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日本に渡来したイスラエル族 その5

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年10月17日(水)14時05分12秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-570.html

 前月の論考で対象とした月海伝承は、さらにいう。
「3世紀頃、朝鮮半島では騎馬民族の侵入が起こり、当時朝鮮と連合国家であった九州には、この乱を逃れて朝鮮民族が多数移住してきた」(月海黄樹著『龍宮神示』)。

 ここで「朝鮮民族の移住」と言うが、朝鮮なる地域概念はもともと朝鮮半島北部から南満洲地域を指し、中心は鴨緑江以北の吉林省周辺である。半島の南半部は部族国家が割拠しており、「韓」と呼ばれて朝鮮の地域概念には含まれなかった。政治的に未統一で民族を形成していなかった半島の各部族を、「朝鮮民族」と総称するのは俗語である。

 つまり、月海がここでいう朝鮮民族とは、半島南端からの渡来民の総称で、その実体は秦氏と秦人であった。秦氏はイスラエル支族の1支流であり、秦人(ハタビト)とは、その支配下にあった諸民族、すなわち西域民族・ツングース族さらに半島在住の倭人らを含む雑多な人的集団を指したものである。ついでに言えば、月海は「朝鮮との連合国家」というが、国家的状態にない半島からの渡来民と、九州原住民との混住状態を「連合国家」というのは過言で、これも俗語として解すべきである。

 月海伝承は続く。「その中で九州にある王朝の入婿になったのが神武天皇であった。そのことは、神武天皇と同一人物であるとされる崇神天皇の名がミマキイリヒコ・イニエ(任那からの入婿)であることからも推察できる」(前掲著)。

 3世紀のシナ大陸は3国鼎立の動乱の渦中で、満洲から半島北部にかけても、北方民族が乱立・抗争を始めた。その中でトルコ系騎馬民族の1部族が朝鮮半島を南下した。半島の南端には当時騎馬民の一種が駐屯しており、首領を辰王と称したので辰韓と称されていた。辰韓は南下してきた同族に追われ、球撞きのように弾き出されて北九州に侵攻した。

関連URL.........サンカとゴシェン その4

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/303.html

『トルコはかつてオスマントルコと呼ばれた。

オスマンリ:かれらの最大の挑戦は,遊牧社会を異質的な環境へ移動させ,そこで動物でなしに,異種の人間社会を支配するという,新しい問題ととりくまなければならないことであった。その離れ業はオトマン奴隷家族であった。つまり,バーディシャー(解説:オスマン帝国はパーディシャーを元首号とし、しばしば皇帝とされますが、ガージャール朝ではバーディシャーは地方領主の号)の人間家畜を管理する人間番犬を選び訓練することであった。かれらは出来るだけ人間性を捨てて動物性を身につけたり,単線的な本能的行動にもっぱら心を向けるという,驚くべきことをやってのけた。

 羊,山羊を飼育する畜産民は,子羊が生まれると,一年以内に雄は種付け用を少し残し,後は殺して食べる。ごくわずかの雄を去勢して群れの先導役にさせる。それを人間支配の技術に転用するのが去勢の意味。シオン長老の議定書(プロトコール)第18議定書より。これこそがバーディシャー由来の人間家畜の管理術。

『キリスト教は,シリア社会に属していた人々を先祖とする民俗からきたものである。シリア世界の一半を形づくっていたイランは,ミトラ教を提供した。イシス崇拝は,エジプト世界の征服された北半分から来たものである。アナトリアの大母神キュペレの崇拝は,多分,当時,宗教を除く他のすべての社会的活動の面において,死滅してからすでに久しい時を経ていた,ヒッタイト(Hittite)社会からもたらされたものとみなされる』』

 以上が辰王の九州侵攻の真相であり、これを100年以上も遡るミマキイリヒコの渡来と混同してはならない。ミマキイリヒコなる人物は、2世紀後半に天磐舟と名付けた武装商船に乗り、任那を発して北九州に到来したイスラエル支族の1人で、そこで同族の宇佐氏に迎えられた。

 宇佐氏とはそも何ものか。吉薗周蔵は大正末年、穴太村・上田家の外孫にあたる外科医・渡辺政雄から聞き取った上田伝承を、手記の「別紙記載」に記しているが、それには
 「(渡)辺サン云ハルニ、自分ハ 京都(=丹波のこと)ノ アヤタチノ一族 デアルガ、アヤタチト云フハ 後ニ ツケタル姓デアリ、元ハ 海部ト云フ姓デアッタ由」で始まる。
 「他ニハ 物部ト云フ姓ガアル。又 宇佐ト云フ姓モアッテ 全テガ ユダヤノ血デアリ アヤタチノ元デアル由。コノ中デ 宇佐ハ 元 婚姻ニヨッテ ユダヤトナッタル姓デアル由(宇佐八幡宮)」で始まる。

 他に物部と宇佐がいる。宇佐氏は元来は先住の日本人だったが、婚姻を重ねて中身がイスラエル支族に置き代わった、と辺(ナベ)さんは、周蔵に教えたのである。

 2世紀当時の日本列島には、先住縄文系のほか、イスラエル支族と彼らが率いてきた海民・倭人らが共存していた。後者が数百年前に渡来したために、日本列島は縄文文化から弥生文化に移行したのである。弥生も晩期に差しかかった2世紀には人口も倭人系の方が勝り、縄文族との混血も進んでいたが、渡来系の海部氏側から「元来の」日本人と称えるから縄文族を措いてありえない。

 宇佐氏は、豊前国の宇佐郡を本拠とし、代々宇佐国造として宇佐神社を祀ってきた。宇佐神社の本来の祭神は、筑前の海人族・駒形氏が奉祀したことで知られる航海女神である。すなわち、イチキシマヒメ、タギリヒメ、タギツヒメの3姉妹神で、世に宗像3女神と呼ばれるが、駒形一族だけが専有する女神ではない。中心神格のイチキシマヒメは、シュメルでイシュタルと呼ばれ、オリエント諸国ではアシュタルテと呼ばれた水の女神、航海神である。イシュタルの信仰は、有史以来世界中に行き渡り、ことに海南島を本拠とする媽祖として、その信仰は、台湾はじめ東南アジアの海人から、今も厚い崇敬を受けている。この女神は、わが国においては古来【弁天信仰】として栄え、全国の小高い丘の上ことに海の見える所には必ず弁天の小祠がある。どの弁天社も、本当の祀神はイツクシマヒメであって、仏説の弁財天ではない。弁天と並んで盛んな観音信仰も、対象は仏説の観世音菩薩ではない。シナ道教で崇敬される観音古仏(南海古仏)も同じで、実は弁天(媽祖)であると見てよい。ことほど左様に、イシュタル信仰は、道教・神道・仏教で、装いを変えて民衆の間に浸透しているのである。胸形君と後述の池守系宇佐氏は、ともに縄文系の海民で、遠祖のシュメル以来、イシュタルを祀っていたわけである。

 世に言うところ古来・宇佐氏の系図に2本あり、高魂命を祖とするもの、天三降命を祖とするもの、これである。後者から出たウサツヒコは神武東征期の人物で、16代目から池守氏を称し、天武朝朱鳥元(686)年に宇佐姓を賜わった。これに対し、元明朝に僧・法蓮が宇佐公の姓を賜わり、二つの宇佐氏が生まれたが、法蓮は渡来人の系統だから、池守氏の方が宇佐氏の本来の後裔と考えられている。天三降命は独立系の神で、縄文系の神とみて良い。
 上田伝承が謂う「宇佐氏の血統に潜入したユダヤ」とは、いわゆる秦氏を措いてあるまい。上田伝承が、渡来イスラエル支族として、アマベ・モノノベと並べてウサ氏を論じながら、秦氏に言及しないのが不自然だし、逆に、宇佐氏を秦氏のことと解すると、すべて平仄が合う。

 秦始皇帝は朧姓の秦王の子でなく、実父は秦王を支援した胡商の呂不韋であったという。前722年のイスラエル亡国後、シナには多くのイスラエル支族が流人したが、その1つが呂氏であった。始皇帝による秦帝国の樹立は、シナ世界のワンワールド化で、ワンワールドの特性は法治主義で、頭脳と財力が支配する世界をもたらすが、これこそイスラエル族が欣求した楽土であった。シナに流移したイスラエル支族と「シナのユダヤ人」と俗称される客家(ハッカ)との関連は、極めて考究に値するが、ここでは触れない。とにかく、呂氏がイスラエル支族であったことは間違いないのである。

 秦帝国が劉氏(漢)によって滅びた後、秦帝国の建国に携わってきた呂氏一族は朝鮮半島に逃れ、以後は秦氏と改称したものと考えられる。その目的は「秦」のブランド化であろうか。半島に移った秦氏(呂氏)は、半島南端部の任那ないし伽耶と呼ばれた地域に交易拠点を設けた。その実状は、柵を巡らして望楼を置いた都市国家で、秦韓と呼ばれたが、指導者が秦氏で、これに従った秦人は、西域系・ツングース系・倭人系らの雑多な商工民団で、その中に拠点防備に当たるガードマン(傭兵)も当然混入していた。

 楽韓に定住してほどなく、秦氏の一部は秦人を率いて日本列島への渡来を図る。やがて豊前の宇佐郷に住み着くが、移住が円滑に進んだのは、宇佐の地に古来土着していた縄文系宇佐氏とウマが合ったからである。

 縄文人の人口的主流は南方モンゴロイドであったが、その昔渡来してきたシュメル族が混住し、両者の混血も進んでいた。宇佐郷の縄文系宇佐氏は、前述のイシュクル(イチキシマヒメ)信仰を保持していたことから、縄文人の中でもシュメル的要素を色濃く残していた部族と思われる。つまり縄文系宇佐氏はシュメルとセムの混血民族として誕生したイスラエル族とは、血統的にも文化的にも相通ずるものがあった故に、その一派たる秦氏が渡来してきた時には、迎えるにやぶさかでなく、積極的に通婚もし、その結果、縄文系宇佐氏の実体が急速に秦氏に入れ替わったわけである。前述したように、宇佐氏の系譜に2本あるというのは、宇佐氏の血統の変遷ないし交替を、どこかで反映したものではないかと思われる。

 日本列島には、ホアカリ信仰の海部氏が、すでに紀元前3~4世紀ころ(推定)に丹後に上陸し、古王国を建て、各地に農業集落のイセを建設していた。渡来イスラエル支族としては2番手の秦氏は、宇佐で縄文族宇佐氏と通婚して勢力を涵養したが、任那から渡来してきた同族のニギハヤヒを女婿とし、これを支援して大和地方に送り込み、ナガスネヒコとの同盟政権を建てさせた。ニギハヤヒは後の天孫神話では天孫系譜に取り込まれ、天孫ニニギの兄弟ながら異端の神とされて、物部氏の祖となる。一方、その実像の方は、皇統第10代のミマキイリヒコイニエ=崇神天皇とされたのである。

 その後も陸続と渡来してきた秦氏は、もはや宇佐氏の枠なぞにとらわれず、秦氏そのものを名乗り、豊前を秦王(シンワウ)の国と呼んだ。秦氏がその後、同族の海部氏を併呑しまた物部氏を凌駕して、列島の経済権をほとんど牛耳るに至るのは、3世紀末~4世紀初(推定)に来襲した騎馬民族の辰王を迎えたからである。縄文系宇佐氏の有していた宇佐神官祭祀権を握った秦氏は、祭神を辰王(の子?)のホムダワケ(応神天皇)と母オホタラシヒメ(神功皇后)に変えたうえ、ヒメ(比売)神を合祀する形とした。ヒメ神とは、いうまでもなく従来の主祭神・ムナカタ3女神のことで、ここにオリエント以来海人族が尊んだ女神イシュタルは、言うべくもなきほど卑小・形骸化されたのである。

 九州に来襲した辰王の1族を、海人族が騎馬族と意識したことは間違いない。上田伝承には「朝鮮カラ追ハレタル騎馬族ガ 日本ヲ襲ヒ、海人ラハ 朝鮮カラ来タル 応神天皇ナドニヨッテ、海ヅタヒニ 僻地ヘト追ハレタノガ 海人トノコト」とある。辰王を応神天皇とする説もあるが、いかに秦氏の手厚い支援を受けたとしても、来日1世の代で天孫王朝を創業するのは無理と思う。上の「来タル」は、応神天皇その人が渡来したと普通は読むが、父親が来日して日本で生んだ息子の場合も、これで通じる。応神の即位に先立ち、母のオホタラシヒメの治世が異常に長いのも、応神が来日2世であったことを示唆していまいか。

 秦氏が辰王を迎えたのは、特種の血統性によるもの、と私見は見ている。つまり、天孫族とは何か、である。

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