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秦氏の謎を解く

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年10月17日(水)22時55分53秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://suisekiteishu.blog41.fc2.com/category24-2.html

こういう見方もあるようだ

http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2454.html

まず秦氏の謎解きにおいて2方面の流れがあります。シュメール系スサノオとイスラエル系の秦氏は、遠い昔日本に到来しました。秦氏はこの日本において、スサノオや猿田彦、空海などと組み、壮大な仕掛けを構築したようです。

しかし、その目的や具体的な意味については、まだ納得のいく答えが得られていません。当面の解決すべき課題は、従って、秦氏が歴史の裏面でどのような仕掛けを、いつ、何のために仕組んだのかという点でしょう。これらは、過去から現在に至る歴史の流れと考えられます。

次に念頭に置くべきは、秦氏に係わる壮大な宇宙論です。それは、過去から現在へと流れる歴史をも包含した、全宇宙史的なものでした。宇宙の開闢から始まって、生命の発祥、人類の発祥、日本人の特殊性の発生まで、古い世界が閉じ新しい世界が開ける際は、必ず特異点が関与し、それは死と再生を意味していました。

秦氏の仕掛けは多分、日本人の特殊性の発生に関与し、この特異点にも絡んでくるのでしょう。ここまで解明できれば、宇宙史レベルの流れと秦氏の謎がリンクして、今まで書いてきたことを全体として見通し、リンクさせることができるのです。

そこに至る第一歩が、秦氏の仕掛けの解明でした。長い探求を経て、ようやく謎の扉を開く段階に至ったのです。

さて、秦氏の仕掛けという部分では、ジグゾーパズルの断片も既に出揃っています。後はそれをどう整理し組み合わせるかという課題だけが残っているのです。では、どのような角度からどうパズルの断片を組み合わせれば、謎の核心部に迫ることができるのでしょう?

秦氏は基本的に自分たちの行動を隠していますが、それでも平安初期までは目に留まるだけの痕跡があります。しかしそれ以降になると、表面的な活動さえほとんど見られません。これは秦氏研究の誰もが頭を悩ます謎となっています。しかし、あれこれ悩む必要はありません。物事は単純化して考えればいいはずです。

不可解な彼らの行動に意味を与えるとすれば、秦氏は、平安期以降自ら歴史の裏面に潜ったと考えるしかないでしょう。では彼らは、なにゆえに、どこに、またどのようにして潜ったのでしょう?ここに秦氏の謎を解く最初の糸口があるはずです。では、平安期以降の秦氏の姿を見ていきましょう。

聖徳太子のブレーンとして有名な秦川勝はもうご存知ですね。彼は大和猿楽の創始者でもあり、芸能の祖神として各層から幅広い崇敬を集めました。また能楽の祖である観阿弥、世阿弥も秦氏の系統です。四天王寺の伎楽奏者もその多くは秦氏です。このように秦氏は芸能関係の中に流れ込みます。

次が、遊行者や呪術、陰陽道の流れです。秦川勝の子孫に著名な秦道満がいますね。彼は安倍晴明と並ぶ陰陽師です。陰陽道を代表する呪術図形セーマン・ドーマンは、晴明と道満に由来しています。しかも、秦道満または秦勝道の子とされるのが有名な八百比丘尼で、八百歳まで生きたこの尼の伝説は漂白の巫女によって受け継がれてきました。

八百比丘尼の関連URL

http://www.ley-line.net/wakasa/wakasa03.html

(注)上座部の比丘尼311の戒律.......ちなみに男性の比丘は250の戒律

http://www5a.biglobe.ne.jp/~houon/sin-koza11.htm

秦川勝から秦勝道、秦道満へと続く秦氏の系譜は、八百比丘尼からいわゆる七道者へと引き継がれます。彼らは漂白遊行の陰陽師。七道者とは猿楽、アルキ白拍子、アルキ御子、金タタキ、本タタキ、アルキ横行、猿飼を指しているのです。

平安期以降の秦氏は、下級陰陽師や芸能の徒、漂泊遊行の徒、山岳修験者として、どちらかといえば下層の民になり、最後は非人扱いとなってしまいました。古代における秦氏は、陰で日本の権力者を支え、時代が下るにつれて民衆や民間信仰の中に埋没し潜行していったのです。

ここで一旦、秦氏が消えた謎の追及を横に置きましょう。その前に、天武天皇が構築した統治システムについて再度検証する必要があるからです。さて天武天皇は諸制度を整備しましたが、どんな制度を整備したのでしょう?

答えは以前に書いていますので、もうご存知ですね。天皇は氏族制度から中央集権への転換を図り、官僚制度を整備しました。そして神道、仏教も国家の統制下に置くため、神祇制度、僧綱制度を整えていきます。これにより、都市部から村落に至るまで全国規模で神道、仏教の統制体制が構築されます。さらにアマテラスを皇祖神化し、伊勢神宮の祭祀や斎宮を制度化させます。また記紀の編纂に着手、占星台や陰陽寮を設置しました。

問題は、上記したほとんどの施策に陰陽思想が組み込まれていることです。記紀の編纂目的が天皇絶対制の確立を内外に示し、天孫の神と豪族の神を系譜化することにあるなら、陰陽五行は必要ありません。伊勢神宮にしてもアマテラスを皇祖神化すれば十分で、陰陽思想を組み込む必然性はないはずです。また、天皇絶対制を支える目的で官僚制度を作ったのに、官僚や貴族をコントロールする陰陽寮まで設置するのはおかしな話です。

天皇の表の支配体制の裏側に整えられた陰陽五行体制。この二重仕掛けの体制の裏には、必ず別の目的が隠されています。大事なのは、表の目的ではなく裏の目的を探ることなのです。では、裏の目的を考えてください。

…ちょっと難しいですか?では、一つヒントを出します。例えば平安貴族や官僚は、陰陽師のアドバイスなしには自分で何一つ決められませんでした。引越しですら、いつ、どの方角にするか陰陽師と相談していたのです。いかがでしょう?そろそろ頭の中であるイメージが像を結びませんか?

天武天皇の表の目的は、天皇絶対制の確立……。けれども、貴族や官僚、神官は陰陽五行によってコントロールされていた。とすれば、秦氏の裏の目的は彼らに対する心的なコントロールです。秦氏は、天武天皇が構築した全国的な支配体制をベースに、伊勢神宮や貴族、官僚に対して陰陽五行のカーテンすなわち結界を張り、ある物を見えないように隠したのです。

まさに驚くべきことですが、秦氏と天武天皇によって構築された二重仕掛けの支配体制は、日本の上層部に対し何かを隠し見えなくするためにあったのです。

では、秦氏は何を目的として貴族や官僚をマインドコントロールしたのでしょう?

以上の検討から、一つの仮説を立てることにします。それは、秦氏が日本に契約の聖櫃を持ち込んで隠したという仮説です。こんな仮説を出せば、日ユ同祖論が唱えるトンデモ説じゃないかと、直ちに反論が出るでしょう。

確かに、長い年月を経てオリジナルの聖櫃は失われたかもしれません。ロストアークですね。しかし、よく考えてください。聖櫃の本質とは何でしょう?それは既に論証した様に、死と再生を象徴するものです。

だとすれば、仮に聖櫃が大きな瓢箪に変わっていたとしても、それが持つ意味自体に何ら変わるところはありません。聖櫃、方舟、瓢箪、聖櫃を模したとされる神輿のいずれも、作っただけでは単なる器(=物)に過ぎないでしょう。

物に人が特別な意味を与えることで、それらは特別な存在へと変容するのです。

また、聖櫃が日本に持ち込まれたという仮説により、「日本に秘められた謎を解く その10」にて提示した全ての謎が解ければ、この仮説は真なりと言えるでしょう。

ということで、秦氏が日本に持ち込んだのは『契約の聖櫃』あるいは死と再生を象徴し聖櫃と同じ意味を持つもの、と仮定しておきます。(以降は単に聖櫃と記載します)

関連URL........アダムとイブの世界はエチオピアだった

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/381.html

管理人注:『契約の箱』あるいは聖櫃と呼ばれているものの中身はお神輿の中と同じで空です。

モーゼで拙稿を検索すると67件出てきます。

http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%83%82%81%5B%83%5B&x=0&y=0&inside=1

突然ですが、話は海外に飛びます。欧米においては、聖櫃はエチオピアのAksumという村に運ばれ、シオン聖マリア聖堂に収められているという説が唱えられています。この説には一定の説得力があり、酔石亭主も納得したくなるほどのものです。

なぜならエチオピアは、もうご承知のように、人類が発祥し第三の世界が開けた特異な場所だからです。大地の気を感知できる一族であれば、アフリカ大地溝帯が発する気の流れに沿ってエチオピアに向かうのは、ある意味で当然のようにも思えます。

しかし考えてもみてください。日本は、第四の世界が開けた地点です。第三の世界から第四の世界へ移行する中継点(=死海地方=ミニ特異点)で作られた聖櫃が、第三の世界が開けた地点(=過去の地点)に逆行して運ばれるでしょうか?

そんなはずはありません。聖櫃は当然次の中継点(=巨丹=ミニ特異点)を経由して、未来の地点(=第四の世界が開けた地点=日本)に運ばれるはずですね。また進化の不可逆性も考慮に入れると、エチオピア説の可能性は低くなります。

多分、聖櫃のレプリカが作られ、関連する品々と共に人類発祥の地であるエチオピアに運ばれた。そのためこの地に聖櫃の痕跡が残っている―ということなのでしょう。もちろんレプリカであっても、レビ族によって意味を付与されたものなら、聖櫃として認定される可能性はあります。

ただ、聖堂は立ち入りが認められておらず、聖櫃の存在を確認する方法はないようです。聖堂のすぐ近くには、数多くのオベリスクが立ち並んでいる場所もあり、さも聖櫃がありそうな雰囲気を漂わせています。


大きな地図で見る
グーグル地図画像です。

ご自分でご覧になるには、グーグルアースでAksumと入力するだけで現地に飛んで行けます。町の左上側に二つの丸い台地状の山があり、左右の山に挟まれた右側の山寄りにシオン聖マリア聖堂があります。聖櫃が収められているとされる建物は、グーグル地図画像上の丸いドームの真下よりやや左側にある四角い建物です。次に画像をエチオピア全体が見えるまで引いてください。Aksumがアファール三角地帯に近い場所だとわかりますね。

大秦景教流行中国碑の拓本

http://www.for.aichi-pu.ac.jp/museum/z2dfol/yz2p01.html

Aksum王国については以下Wikipediaより引用します。

一般に、アクスムは現在のイエメンに当たる南アラビアから紅海を越えてきたセム語系のサバ(シェバ)人が中心になって建国されたと考えられている。一方、少なくとも紀元前1000年位にはセム語系民族が存在したこととサバ移民が数十年しかエチオピアに留まっていなかったことを示唆する証拠を示して 、アクスムはより古い土着のダモト(D’mtないしDa'amot) 王国の跡を継いだ者達の国である、と主張する学者もいる。参考:サバ王国
王たちは、ソロモン王とシバの女王の子であるメネリク1世の血筋を引いているとして、自らの正当性を主張し、"negusa nagast"(「王の中の王」)と公称していた。
アクスム王国はインドとローマ(後に東ローマ帝国はアクスムに多大な影響を与えた)と主に交易した。象牙・鼈甲・金・エメラルドを輸出し、絹・香辛料・手工業製品を輸入した。2世紀にアクスムは紅海を越えてアラビア半島に属国となるよう迫り、また北エチオピアを征服した。350年にはクシュ王国(メロエ王国)を征服した。

ソロモン王まで出てくるのですから、いかにも聖櫃が運ばれた可能性がありそうに思えてしまいます。

ではエチオピアから日本に戻りましょう。次に聖櫃はどこに隠されたのかという問題が出てきます。ここでは、聖櫃は陰陽五行の結界が張られ、アマテラス、スサノオ、猿田彦、秦氏、空海が護る伊勢神宮に秘匿されたと仮定しておきます。

けれども聖櫃は、それが存在するかも知れないという疑念すら抱かせないよう、厳しく封印しておく必要がありました。

そこで秦氏は陰陽五行を利用して、貴族階級や官僚に対して結界を張り、彼らの目から聖櫃の存在を隠蔽したのです。秦氏のこの仕掛けによって、平安貴族など、外出するのも、家を建てるのも、陰陽師の助言なしには動けなくなりました。

21世紀の現代になっても、京都の人が家を建て転勤する場合、他の地域と比較して方角を気にする人が圧倒的に多いそうです。秦氏と天皇が1300年前に仕掛けた心的コントロールは、いまだに効力を発揮しているのです。

世界史上最高の聖遺物である『契約の聖櫃』の秘密を守るには、見えないカーテンを国家の上部構造に張り巡らす必要がありました。天皇絶対制をベースにした裏の陰陽五行体制は、伊勢神宮や貴族、官僚を心的にコントロールするためにあり、このとき日本の上部構造が秦氏によって閉じられたのです。

これこそが、秦氏による史上空前の心的コントロールでした。しかし一方で、疑問も出てくるでしょう。貴族や官僚に対する心的コントロールと、秦氏が消えた謎とが結びつかないからです。つまり、まだ論理の輪がきちんと繋がらず、ジグゾーパズルに欠けた部分が残っているのです。(注:その4以降は原文をお読みください)


注:八百比丘尼から)補陀洛浄土があるという熊野の海の彼方を見たとき、ぼくは、自分の背後に続く一つのラインを意識した。近畿の五芒星を形作る五つの神社の一つ、熊野本宮大社から五芒星の中心を南北に貫き、飛鳥京、平城京、平安京、そして八百比丘尼の生地若狭を結ぶ東経135°46′40″(WGS84測地系)ライン。

 北の端では海から不老不死がやってきた八百比丘尼の伝説が残り、南の端では、海の彼方に不老不死がある補陀洛浄土の伝説がある。そして、じつは、若さにも徐福伝説が残されている。

 若狭と熊野、この二点を結ぶものはそれだけではない....。

http://

 
 
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