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シャロームシャローム

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年10月25日(木)08時01分32秒
  通報 返信・引用 編集済
  現在のイスラエルのユダヤ人入植政策の古代版が、まさに古代日本において行なわれていたかも知れないのだ。そうすると、日本の古代の為政者は、国土計画において何を行なおうとしたのか。それは、新天地でのエルサレムの創造ではなかっただろうか(文中より)

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/yomu.htm#kodainihon

上の膨大な資料のなかに古代日本とイスラエル10部族の謎というのがあります。

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/032kodai.htm

http://www.youtube.com/watch?v=pbBAPWeNohU&feature=player_embedded


関連URL...........いろは歌の暗号

http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-03.htm


景教碑の謎 その1

http://www.geocities.co.jp/kmaz2215/motto/keikyo/keikyo/keikyou-hi.htm


景教碑の謎 その2

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2215/motto/keikyo/keikyou-2.htm


景教博士と呼ばれた 佐伯好朗博士が 1908年に発表した[太秦を論ず」において 世間を驚かせる
説を唱えました。「秦氏 ユダヤ人景教徒説」です。

秦氏一族は 4~5世紀ごろ朝鮮半島からやってきた渡来人
5世紀半ばごろには京都に定住するようになり、平安京遷都に尽力しました。
一説には平安京は秦氏の資金と技術によって造営されたとも言われています。
彼らは養蚕を伝え、高度な金属鋳造や土木技術を持っており 巨大墳墓の造営や治水に力を発揮したと言われています。
しかし 歴史の表舞台にはほとんど登場せず謎の一族となっています。

佐伯博士は 京都にある秦氏の寺、太秦(うずまさ)寺をめぐる ユダヤとの関連を思わせる数々の事実から 「秦氏 ユダヤ人景教徒説」を唱えました。
さて 古代の日本にユダヤ人が来ていたとするとどういう人たちなのか?
ということから登場するのが 旧約聖書にある 消えたイスラエルの十部族です

ユダヤ人の王国はダビデの息子ソロモンの時頂点を極めましたが、その後分裂しサマリアを首都とした「北イスラエル王国」とエルサレムを首都にする「南ユダ王国」を建国します。
北王国は、前722年アッシリア帝国により、滅亡し十部族はアッシリアに連行され捕囚されます。
南王国も前587年新バビロニア帝国によって滅亡し、バビロン捕囚となります。前538年ペルシャ帝国により新バビロニアは滅亡、バビロンにいた南王国の二部族は解放され、こぞって帰還しました。 しかし既にアッシリア帝国は滅亡していたにもかかわらず北王国の十部族は帰還せず、歴史の表舞台から消えたのでした 。
さて この十部族のゆくえについて世界中でさまざまな探求がなされましたが、十部族の一部がシルクロードを経由し日本に到達し日本人の先祖の一つとなったという説が「日ユ同祖論」です。

しかし このようにキリスト生誕の500年も前に姿を消した十部族が4~5世紀になって登場するという説にはかなり無理があると思います。

http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/qbl-index.html

古代日本謎の中東思想渡来考

はじめに

 神話は、どのような国でも祭祀の中に取り入れられて、古代人の信仰の土台となり、思想的な拠り所となっていた。
 日本の神話は古事記に代表される。古事記は上、中、下の三巻から成り、この前に古事記成立の動機などを示す序文が付けられている。その序文には、「過去の時代は暗く遥か昔のことであるが、前々からの教えによって国土を生み出したときのことを知り、先の物知り人によって神を生み人間を成り立たせた世のことが分かる」とあるように、特に神話部分は、古い過去から先賢によって伝えられてきた古代の知識、ないしは事実と考えられていたものであったことが分かる。

 そのような古事記の神話には、本質的に何が書いてあるのか、近年、暗号化文献とみる立場から、ユニークな説が出されるようになった。筆者の知る限りでは、山田久延彦氏や辻村三氏が活躍されている。
 山田氏は宇宙考古学(古代史解明の糸口を宇宙文明へと広げる)という新境を開かれたが、その発想の卓抜さを可能とするほどに、古事記が驚異的な未来知識をその中に秘めていることは確かなことである。
 だが、筆者も時同じくして研究を始め、独自のやり方で一説を持つに至った一人であり、むろん諸氏の説とは観点が異なり、結論もまったく異なったものとなっている。

 古事記の神話は、一つ前の時代の相当に程度の高い文明の歴史を語り、それが変災で滅び、再生して今の時代に至る過程を大掴みに伝承していると考えられる。それゆえ古代にあってもなお、古事記との命名はすこぶる妥当なわけであるが、これに加えて、今の時代の終わりに至るまでの預言らしい記事もみうけられるので、特筆しようと思う。

 過去の程度の高い文明とは伝説上のアトランティスを物語るものかも知れない。もしそうならば、古代の為政者にとってその名残りを保持することは、家柄の先古に遡る事実を示すに足る有力な証しとなり得たであろうし、自国に知識資産の存在するを以て、対外的に誇れるものとなったに違いない。かつてのアッシリア、バビロニア、ギリシャなどの優れた文化が、国と民族の優秀性を物語った例をみるべきだろう。

 ならば、筆者の見出した解釈は正しいと言えるのか、確たる証拠があるのかという段になると、海外の洪水伝承などに関する著物を参考にしたり、謎めいた遺物へのこじつけ的解釈を施すくらいがやっとのことであった。 ところが今回、まったく偶然にテキストである古事記の指し示す土地の側から証拠立てる方法が見付かったのである。その方法とは、まったく途方も無いけれども、発想を少し変えれば実に単純なものであった。

 古事記に語られる地名は、今でも最古の部類の祭祀霊場として西日本を中心に分布し、禁忌の地を形成している。もしも古事記が予想どおりの文献なら、そうした土地の間に何らかの相関関係が存在しても不思議はないという脱常識的な発想から、複数の祭祀霊場を点として与え、これらを線で結んでみることにしたのである。すると、それらは相当見込みの有る精度で、シンプルな幾何学図形上に配置されていることが判明した。

 図形には、数十ないし数百キロにおよぶ巨大な直角二等辺三角形や辺比5、4、3の直角三角形、黄金比率の採用らしき大小の構図、半径2緯度長の円の構図などがあり、長さには規格が認められ、当時識られていないはずの地球のサイズさえ考慮されているようであった。それは従来の歴史観では、およそ解釈のしようのないものである。

 だが、それらの地点群はさらに重畳的に、特別な祭祀シンボルを描き出したことから、何者が、また何を目論んでいたのかについても推論の展開が可能となった。それは、ユダヤの神秘思想、カバラの祭祀に使われるシンボルであったのである。

 このことから、本論では、謎の超古代を窺い、古代中東に始まる民族の変遷を考え、中心となる古代日本史を推理し、カバラの真骨頂である現代にまで及ぶ預言に言及するという広範囲を扱うこととなってしまった。
 糸口になった古事記は、摩訶不思議な古文献であった。その中には古代人では想像もつかないはずの未来知識が語られている。

 顕著な例を一つ挙げてみよう。さし絵は古事記上巻、国譲りの段の一節「建御雷男神、十掬の剣を浪の穂に逆に刺し立てその先に趺み坐て」をイメージしたものである。この時、天鳥船が伴われたが、これはまさに戦闘機から投下された核爆弾の炸裂の光景なのである。その意味については本論で考察することにしたい............


これは既に、多賀―伊吹山を結んだ例があるように、各点を結んで五芒星形にもなり得るが、このとき得られる内五角形の北頂には、奇しくも平安京、底辺中央には明日香、そして心央には平城京が位置してしまう。
 つまり、古代大都市は幾何学的形式を満たすように設営され、五大祭祀拠点で結界、守護されるごとくになっているのである。

 黄金比率という観点からすれば、これほど自明なものはない。正五角形の一辺と、その中で作る五芒星形の一芒の長さの比は、幾何学法則として、1:1.618・・・となる。
 黄金比率は、それを2乗すれば2.618・・・となり、1を黄金比率で割れば0.618・・・となるという、数理的不可思議性により神聖視されたものというが、本来は自然界の摂理の持つ安定性の中に潜在している比率とされる。

 アンモナイトが太古に数億年の長きに渡って種を維持し続けられたのも、その比率で自らの体を渦に巻いているからだと考えられている。植物に五花弁の花を持つものが多いのもその安定性ゆえであろうという。観る者に美しく安定してみえる五芒星形の魅力は、黄金比率という精髄を内に秘めていたからであり、それを知っていた古代人は、あえてシンボルとして抽出し、神聖視し、様々な護符などに用いていたのかも知れない。

 さて、図形は九州のものを除いて合理的に所在位置が重畳しているが、特に菱十字形と五芒星形について、海外の祭祀にこうしたシンボルを重畳的に使うものがないかどうかを調べるとき、重大な符合の見出せるケースがあったのである。

 そのシンボルは、ヘブライの神秘思想、カバラの祭祀において、追儺の儀式の一連の手順の中で使われていた。
 カバラはオリエントの知識を集成した思想体系である。伝統的に口伝に頼った秘教であるため、一を以て千を語ることはできないのであるが、現在の西洋魔法にその内容を垣間見ることができるとされる。

 それ(*11)によれば、追儺の儀式は、祭司者自身を浄化するための「カバラの十字」と、周囲の霊的影響から結界するための「小さな五芒星」の儀式から成るという。
 もちろん現代の西洋魔法の処方と今回の図形が的確にマッチするものではない。カバラの十字は縦横の長さが等しいとされ、五芒星は星頂が上でなくては邪悪なものとされる向きもある。しかし伝承の変化は有ろうかと考え、ここではシンボルとして満足していることが決め手になろうかと考えた。

 さて、カバラの起源は神秘に包まれ明確ではないが、エジプトでの歴史を辿ったユダヤの民により伝播された知識体系である以上、エジプト幾何学のキャリアーとして十分考えられることではないだろうか。ここで少し、カバラについて詳しくしておこう。

カバラとは何か

 カバラは、学問的立場からすれば、ユダヤの原典である「モーゼの五書(旧約聖書の初めの五書、創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)」の論考、解釈から発展してきたとされ、主たるアウトプットに「タルムード」(2世紀~)や「ゾハル」(13世紀)や「創造の書」(2~6世紀)がある。

 旧約としての書物の成立年代が紀元前千五百年頃とされているので、カバラも内容的には紀元前千年を下らないと考えられてはいても、書物としての体裁が整った段階でカバラが生まれたとするのが学問的立場の考え方であるために、その年代は相当後世に押しやられている。

 ところが、非正統的な西洋魔法などの立場からすれば、カバラはユダヤの神秘思想ではあるが、エジプトとカルデア(新バビロニア)の知識の流れを汲むものであることは、西洋魔法の権威W・B・バトラーなどによって説明されている。

 カバラは元来、「口から耳へ」とか「伝統」の意味を持つように秘密の教えであり、厳重な組織のもとに口伝されるという伝統を持ち、文書化されなかった非常に長い経過があるという。その知識内容の幅や規模については、ヘルメス学の書などに一部がうかがえる以外は知り得ないとされている。

 それによれば、カバラには、自然学(自然界の秘密)、占星学(宇宙の秘密)、類比学(物理学)、魔法、観照の五学があり、その中には重要な秘儀に関する事項、思考の贅を尽くした学問、古今の知識探索の結果にいたる歴史や自然科学の全体が網羅されていたというのである。

 エジプトは優れた天文、幾何学知識をそこに合流させたであろうし、カルデアはシュメール、アッカド、アッシリアなどの過去にメソポタミアに居を定めた文明の叡知を学び、淘汰していたであろう。この立場からすれば、カバラの発祥ははるかに古く、そのゆえに古代日本に伝えられたことは、十分に考えられるのである。

 一つ、秘教に関する重要な鉄則がある。文字などによってその内容が一般に公開されるようになったときは、その秘教自体が衰退期、末期にさしかかったことを意味するというものだ。かつて厳重な戒律をもってしていた秘教を守る組織が、何らかの理由でその統率機能を果たせなくなったとき、方針の多様化にともなう内部崩壊や対立が起こり、内部告発が始まるのはどのような組織においても同じだと言える。

 カバラが文書化されるようになったのは紀元後になってからである。その最初であるものに、アレキサンドリアのフィロン(前20~後40頃)がいる。彼は「モーゼの五書」に関して質疑の形で膨大な著作を残した。聖書の章句を寓意として解釈し、ゲマトリアなどカバラの体系に強い影響を与えたとされている。学問としてはそれで良いとしても、彼が当時から今にいたるまで異端とされているのは、公開してはならない秘密を文書化する先駆けとなったことによるのかも知れない。

 後世のタルムードやゾハルも、キリスト教に対抗するために、ユダヤ教の独自色の強いものとなって現われざるを得ないものだった。秘教の輪をユダヤ民族全体へと広げ、民族の独自の知識文化として定着させていったものと解せる。だが、それは今誰にでも読める形になっており、もはや秘教とは呼べなくなっている。

1947年に偶然発見された「死海文書」は、秘教の書である。
 フィロンとほぼ同時代、紀元前1世紀頃の死海西岸の洞窟で瞑想生活していたクムラン宗団(エルサレムの第2神殿が破壊された後にこの地方にやってきたわずかな生存者)の「イザヤ書」に関する手稿で、カバラ思想の原型ともいえる神的霊知に関する発達した秘儀体系をもっており、ネオ・ピタゴラス学派の神秘思想の影響も受けているという。

 彼等のしていたのは、瞑想生活を通じて神を知ろうとするもので、「メルカバ」(天の車)の幻影を見ることが一つの大きな達成とされたらしい。
 メルカバの幻影とは、エゼキエル書や黙示録の初めを飾る神の属性の幻影である。この方法は秘教であり、師伝の口頭の形でのみ伝えられたが、カバラの本来はこうしたものであった。
 旧約聖書を彩るユダヤの預言者も、いきなり天啓が与えられたのではなく、長い地道な修験的生活によってその能力を獲得したと考えられている。

 古代日本には、その伝統的流れがユダヤ系の人々を文化の伝播者として入ってきており、特に知識階層は為政者となり、秘教を世にも巧妙なトリックを使って国土計画の基盤に据えたと考えられるのだが。
 また一方、衰退は、平城京完成と本格稼働という究極計画の成就にあわせて、知識が古事記として文書化されたことが伝統の終結のステイタスになったと筆者は推理して、今後の日本古代史を展開することとした。

 余談ながら、その後の西洋のカバラの歴史は次のように展開したと推測する。
 紀元前2世紀以降、ユダヤ教徒には迫害の歴史となる。その後のユダヤ教の根幹をなすタルムードがモーゼの五書の註解書としてパリサイ派の学者たちによって作られたが、これは迫害に対する民族の結束を説いた知識武装の書であった。
 バビロニアとパレスチナには学校が置かれて教育に供され、基礎となる律法の論考、旧約原典との照合、現実の事件例における適用、新たな原則設立などの研究が行なわれ、学者にラビの称号が与えられたりした。

 これによって、ユダヤ教には決まった方向が設定され、タルムードをカバラの中核と捉えるなら、カバラの流れも顕在的なものと潜在的(秘教的)なものに分かれていくのである。

 潜在的なものは、さらに敬虔な瞑想生活を通じて神を知ろうとする瞑想的カバラと、錬金術や占星術などのまがまがしいとみられがちな通俗的カバラに分けられる。その後者は、神秘思想としてユダヤ世界に潜在しただけでなく、非ユダヤにとっても、豊かな知識面で興味ある対象に違いなかった。様々な分野の者の参考に供して、多大な影響が後世にもたらされた可能性がある。

 また、カバラは世界の政治経済に関わる異形の秘教組織(フリーメーソンなど)の存立の土台となっている。彼らは、組織とカバラの関係を説いた興味深い不思議な起源神話を持っている。(三章)それはとりもなおさず、古今、カバラが世の変革の根底に潜在した指導原理であり、世の歴史の謎を解く鍵だからであろう。


古代地図「ヤタノカラス」

 もう一度球体地球の話に戻して言うと、カバラのゾハル(成立13世紀)には「人間が住んでいる地球は、円のように回転している。住民のある者が下に居るとき、他の者は上に居る。ある地域が夜のとき、他の地域は昼である」と書かれている。

 古代エジプトの民衆教育用文書には、太陽の女神の「ごらんなさい、男神である地球は、私の前では丸い鞠のようなものです」と書かれていた。科学に縁の無い民衆ですら、こういう教えは受けていた。いわんや、秘密を握る立場の神官をやである。

 今後の推理で筆者は、こうしたオリエントの神官階層の流れが、日本の覇者となっていったと考えるものであるが、日本神話においてすら、自転する地球は明確に「おの・ころ(自・転)島」と表現されている。

 古代日本に国土をキャンバスにして希有壮大な幾何学模様が描かれていたことをみても、エジプト仕込みの地図と知識が渡ってきていた可能性を示唆していよう。それは、オリエントの知識の集成、カバラによって伝えられたことはもはや明白ではなかろうか。

 では、そのような大がかりな働きをした地図そのものについて、当然のことながら何らかの伝承があるべきであろう。それが秘伝のものなら、それなりの表現で。

 それが実は、古事記中つ巻の神武天皇東征の段に寓意の形で出ているのである。

 高木の神はヤタノカラスに指図して、神武天皇の道案内をさせたというのだが、このヤタノカラス(ヤタ〓多面、烏〓唐図)こそが秘伝の地図そのものと解釈されるのだ。

 ヤタの「ヤ」は多数を意味し、「タ」は「田」すなわち整理し測量された土地を意味し、カラは韓とも空とも書かれるように海外とか宇宙を意味する。

 スはズ(図の音読であるが、古事記編纂の頃には漢語の暗号組込みもなされた)の清音化であるとともに、「統」(訓読)で地勢を掌握する意味が込められている。

 総じて海外に発祥する地勢掌握のための秘伝地図という意味が掛け加えられているのである。加えて、カラスとはこれまた高空から鳥瞰した感のある地図の視点をも暗示している。

 カラスには尾がつきものだ。図形は愛知県を東端として終わるが、尾を示す場所だから尾張と名付けられた感があり、また「終はり」の掛詞であるから図形はそれ以上東には結びつかないと予想される。その実、幾何学原理をさらに東に展延できそうな祭祀拠点を、筆者は未だ見出していない。

 日本で、そうした地図は未だ発見されていないし、現存の可能性も乏しいと言わねばなるまいが、皇室には古伝の未公開の文物があると言われるし、後に重要な関わりを述べることになる物部氏の末孫の家系には門外不出の秘伝の地図が伝えられるとあって、興味深いものがある。


 (3)日本に来たユダヤの民

 失われた十支族を求めて

 カバラはユダヤの神秘思想と言われる。伝承では、エジプトで得た知識を持ってモーゼが民族を率いて出て、ヘブライ王国の基を築いたとされる。

 ヘブライはソロモン王の後、分裂して北のイスラエル王国と南のユダ王国となり、イスラエルは先にアッシリアに滅ぼされ、民族は「より東の未到の地に行こう」の言葉を残して行方知れずとなり、ユダはしばらく後に新バビロニア(カルデア)に滅ぼされ、民族の知識階層がバビロンに連行された。

 そこで彼らは、半自由人としての生活を送りながら民族の団結を呼び起こすユダヤ教思想を確立した。そうした試練と民族の存亡をかけるストレスの中で、他を凌ぐ知的優秀さが求められ、洗練されゆく知識の流れの中で、カバラが熟成したとみられている。

 カルデアはやがてペルシァに滅ぼされ、バビロンの拘禁を解かれたユダヤ人たちは喜んで故地に戻ったとするのが旧約聖書の論理だが、後世の研究では幽囚の時の彼らの生活はかなり豊かであったため、パレスチナの瓦礫の故地には魅力がなく、定着したかどうかは疑わしいというのが定評を越えた説として見直されている。

 では、どこへ行ったのか。おりしも預言者がヤーヴェに立ち返れと唱え、ユダヤ民族の一本化を実現する理想を掲げた時代であった。ヘブライの再建のためにイスラエルの失われた十支族の行方を追ってシルクロードを東遷し、中国、朝鮮を経て日本にまでやってきた者もいたと考えられるのである。

 日猶同源を証拠だてる論議とともに、日本に残る固有名詞や習俗から、ユダヤ民族の流入を証明しようという研究は、かなり以前からあった。

 最も古いものとしては、明治8年にイギリス人のN・マクレオドが著書「日本古代史の縮図」において、日本人の生活、習慣、祭りについて、旧約聖書の古代イスラエルとの類似に言及したものがある。(*19)

 戦前には、アイデルバーグが、神道上の習慣と旧約聖書の記述を照合比較するとともに、古来の日本語の固有名詞が古代ヘブライ語で解釈できることを述べている。

 たとえば天皇の呼称スメラミコトは、古代ヘブライ語で解釈でき、スメラが発音上のサマリア(イスラエル王国の首都)で、ミコトが皇帝の意味で、あわせるとサマリアの皇帝を表わすのだという。

 また、初代神武天皇の称号カムヤマトイワレビコは、古代ヘブライ語やアラム語で解釈され、カム(創設する)ヤマト(神の民)イワレ(ヘブライ)ビコ(崇高なる)で、「神のヘブライの民の崇高な創設者」の意味になるという。

 三種の神器の一つ、「八坂の勾玉」も、ヤサカが神への信仰を意味し、マガタマがヘブライ文字のヨッド(,)を模したもので、イスラエルの神を表わすという。

 また、ミカドとは十支族のうちのガド族の出自を示しているのだともいう。

 こうしたことを事実とするなら、一国の王の名前に、以上のような意味付けを与えることの宣伝力は、相当なものと考えざるをえない。執拗に古代人一般に対して、「ユダヤの統率者ここに在り」と喧伝しているのも同じことになる。

 理解できぬ者は別としても、古代ヘブライ語に多少なりとも通じた内外のユダヤの民には、強いインパクトを与え続けたのではあるまいか。

 もしかすると、古代皇室には既にエゼキエル思想が反映しており、イスラエルの十支族の末裔が早くから日本に浸透していたのを察知了解して、預言に従って離散したヘブライの民を結集すべく図った一つの方策だったかも知れない。

「人の子よ、汝一片の木を取り
その上にユダおよびそのともなるイスラエルの子孫と書き、
また一片の木を取りその上にヨセフおよびそのともなる
イスラエルの全家と書くべし。
・・しかして汝これを供に合わせて一本の木となせ。
・・我イスラエルの子孫をその往けるところの国々より出し、
四方よりかれを集めてその地に導き、
その地において汝らを一つの民となして
イスラエルの山々に居らしめん。
・・再び二つの国に分かれざるべし。
彼等また・・身を汚すことあらじ。・・」
(エゼキエル書三十七章十六~二十三)

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/297.html

 信仰が人々を支配し、明日の分からぬ過去の時代においては、どれほど強い影響を持っていたか知れはしない。かつて約束を違えたことのないとされる神が、そうした約束を与えたのであるから、なおのことである。

 神功皇后は、新羅征伐を繰り返したが、朝鮮半島に定着したユダヤの民を浮遊させ、移動を促す陽動作戦ともとれる。

 皇后が百済から献上された七支刀は、神聖数「7」に基づくユダヤの象徴的燭台メノラを模したものであり、内外に「ユダヤ求む」を印象付けるには著しく、応神朝にはユダヤ系として知られた秦氏の祖、弓月君が大量帰化した事実も一連の出来事として説明がつく。

 現在のイスラエルのユダヤ人入植政策の古代版が、まさに古代日本において行なわれていたかも知れないのだ。

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