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ソロモン王とシバの女王のバカ息子メネリク王子の話は本当か?

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年11月 9日(金)10時14分37秒
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  関連URL.......アダムとイブの世界はエチオピアだった

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/381.html

過去ログ..........アダムとイブの世界

http://web.archive.org/web/20071229044148/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/372.html

参考URL.....聖書ものがたり・EXODUS(出エジプト記)

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/126.html

聖書にはモーゼの生涯の中間部がありません。幼児の彼が捨てられファラオの娘に拾われ育てられた時から自分の出生の秘密を知る時期です。この中間部を埋めるには古代の歴史家フィロンやヨセフスの著作です。フィロンはキリストと同時代のヨセフスは50年後ローマ人によるエルサレムの破壊を見た人です。彼らは大昔の聖書である死海文書を読むことの出来た人々である。人間を治めるのは神の律法(トーラー)であるのかそれとも独裁者の意のままか。国民は神の所有物か,それとも自由か。これは今でも争われている問題です。三千年前の尊い教えに忠実であろうと努めました。それがモーゼの五書です。(パラマウント映画十戒を製作・監督したセシル・B・デミルの冒頭の言葉より)(管理人注:死海文書はクムランの11の洞窟で発見された。  イスラエル建国と前後して1947年~1956年にかけて。それを胡散臭いと感じている人は少なくないだろう)。

Numbers(民数記),Deuteronomy(申命記)のエジプトからMOABへの記述の半数以上が不正確であり,セシル・デミル監督が言うように,幼児のモーゼが捨てられファラオの娘に拾われ育てられた時から自分の出生の秘密を知る時期という中間部分がないというのも不思議です。

 By the Brink of OLD NILE。そこへ,ファラオの王女が水浴びをしようと川に下りてきた。その間侍女たちは川岸を行き来していた。王女は,葦の茂みの間に籠を見つけたので, 仕え女をやって取って来させた。開けてみると赤ん坊がおり,しかも男の子で,泣いていた..............。王女は彼をモーセと名付けて言った。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから」<EXODUS・出エジプト記2:4~10>

 モーゼがひとりシナイ山に登ることを述べたシリア社会の神話のうち『人間は人間性を棄てて,アリストテレスのことばを借りていえば「獣か神か」どちらかにならなければならない』ということが示されている。モーゼはヤーウエに召され,ヤーウエと交わるために山に登る。召されるのはモーゼひとりであって,ほかのイスラエルの子らは,離れているように命ぜられる。しかしヤーウエがモーゼを山の上に呼んだ目的は,再びモーゼを,山に登り,神と直接言葉(ロゴス)を交わすことのできなかったほかの人々に新しい掟を伝える使者として,山から降らせるためであった。

関連URL....またお星様キラキラ

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/5.html

旧約聖書ではモーゼがシナイ山に十戒と共に現れた時,彼は人々が黄金の牛を崇拝しているのを見てひどく憤慨した(下記写真参照)。実際モーゼは石刻版を粉々に砕いて人々に心を清めるために殺し合えと命令した(管理人注:石刻版二枚のうちの一つ)。多くの聖書学者達はこのモーゼの怒りはイスラエル人が間違ったものを崇拝していたからだと理解している。実はこの黄金の牛とは”牡牛座の牛”のことでありモーゼは新時代の羊を表現していた。だからユダヤ人は今日でも羊の角笛を吹いている。

参考:Wikiの解説ではとんでもないことが書かれている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%AD%90%E7%89%9B

管理人注:旧約聖書の時代から「聖書はVernal Equinox Precession(春分点歳差運動)であることを告げているのです。新訳になるとそれは顕著になる..........

マタイによる福音書第2章『占星術の学者たちが東の方からエルサレムにやって来た......』イエスは言われた。「都に入ると,水がめを運んでいる男(注:水瓶座のこと)に出会う。その人が入る家までついてゆき........」ルカによる福音書22~10>これはイエスに象徴される魚座の時代の次は水瓶座(2150年)を意味している。こういう天文学的記述が新約では多く出てくる。

管理人注)聖母マリアとは乙女座の乙女=Virginのことでラテン語では乙女はVirgin(聖母)=VIRGO THE VIRGINという。古代エジプト文字では乙女座はMと記される。だからマリアを含むその他の聖母マイラ(MYRRA)=アドナスの母やマヤ(仏陀の母)MOSES,MANOU,MINOS,MISESなどがいる。そういえばミトラもMだ。また乙女座とは”パンの家”を意味しまたベツレヘムとは”パンの家”という意味である。それは天空の乙女座の場所をさしており地球上の場所ではない。イシスとホロスもシュメール神話からくるおとぎ話だ。そのMOSESもおとぎ話であるので正統派ユダヤ人はモーゼの子孫という理屈は成り立たない。よってアークとか聖櫃とか聖遺物があるとしても中身は空っぽと断定はできる。

関連URL........サンカとゴシェン

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/297.html

 聖書を編纂したのはユダ族であるが、ヤコブが異民族の召使に産ませた子供もおり、十二部族の間にも身分の差が在ったのだろう。この様にユダヤ人の系譜も実は複雑であり、単一でなかったことが伺える。中にはエジプト系の人々のように肌の浅黒い種族も居たに違いない。あたかもユダヤ人が単一の民族であるかの様に見せかけた聖書の記述は、この限りでは何らかの意図があって記されたものであろう。

ヒッタイトの碑文 その1

http://www.geocities.jp/kmt_yoko/SI_1.html

ヒッタイトの碑文 その2

http://www.geocities.jp/kmt_yoko/SI_2.html

ヒッタイトの碑文 その3

http://www.geocities.jp/kmt_yoko/SI_3.html

これらの碑文の楔形文字、象形文字 と古代サンカ文字が一致すれば私の研究は終了するのだが....

http://www.eva.hi-ho.ne.jp/suruga/kodaimoji.htm

エジプト・ヒッタイト和平条約

http://55096962.at.webry.info/201210/article_5.html

イルミナティとエジプトの関係を考えると少し納得出来るかも??

出エジプト記で検索すると35件出てきます(随分あるなあ~)。

http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%8fo%83G%83W%83v%83g%8bL&inside=1&b=20

モーゼの五書で検索すると4件出てきます(随分少ないなあ~)

http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%83%82%81%5B%83%5B%82%CC%8C%DC%8F%91&x=0&y=0&inside=1

 モーゼ率いるエジプト脱出の旅の途中で,シナイの山に登ったモーゼはエホバの神より十戒を授かる。ウェルズは言う<イスラエルの子供達がエジプトに定住して奴隷となった物語には,やや曖昧な点がある。ラムセス二世の記録では,ゴシェンの地にいくつかのセム族が定住していたことや,彼らが食物の不足のためにエジプトに隠れていたことを述べているが,モーゼの生活やその行動はエジプトの記録には全くないのである。

 それにエジプトでの悪疫や,紅海で溺れたという神人王のことも見当たらない。とにかくモーゼの物語にはかなり作り事めいたものが漂っており,そのもっとも著しい挿話の一つに,モーゼが母のため葦の箱舟に匿されるところがあるが(出エジプト記第二章第三節)これは古代シュメールの伝説にも見出されるものである。

http://members3.jcom.home.ne.jp/dandy2/works/works_14_2_m.html

http://www.eva.hi-ho.ne.jp/suruga/sekaikokogakunext.htm


西村洋子さんへ敬意と感謝の意を込めて...........

http://www.geocities.jp/kmt_yoko/MyNotebook-2.html

2005年9月29日(木)

今晩のヒストリーチャンネルは「失われたアークを求めて」でした。昨夜と同様に、シナイ山の聖エカテリーナ修道院、エルサレム、エチオピアのいくつかの修道院を訪ねた後、タナ湖のキルコス島へやって来ました。800年間アークがあったと言われている場所です。アークが安置されていた祭壇の周囲に柱穴があり、その間隔を測ったところ、聖書の記述にある幕屋の大きさと丁度同じでした。その他にもソロモン王の神殿から持ち出されたと言われている、生け贄の血を集める大きな金属製の皿、ミートフォーク、モーセが十戒を受け取る場面が描かれた折り畳み式の絵画、唯一アークを運ぶことができると言われているレビ族の神官が生け贄を捧げる時に身に付けた胸当ても映されました。番組ではエチオピアにアークをもたらしたのはメネリク王子ではなく、本当はレビ族だったと述べられていました。アークは4世紀に即位したイザナ王によってアクスムに移され、今はシオン教会聖マリア聖堂に安置され、アークの番人がそれを守り続けているそうです。番組の最後にマヒラの日(願い事をする日)の夜のフェスティバルの様子が映されていました。昨年の1月2日に朝日テレビで放送された番組「エチオピア奥地3,000km 幻の白ナイル源流地帯 古代裸族に人類の原点を見た!」と合わせて見るととても興味深い番組でした。

*****以下はエチオピアのアークについて調べてわかったことです。*****

エチオピアは4世紀においてローマ帝国、ビザンティン帝国、ペルシア帝国と並ぶ世界四大王国の一つであり、その後アフリカで唯一ヨーロッパの植民地にならなかった国でもあるのだが、それはアークの奇跡のおかげだと信じられているという。アークとは、皆さんもご存知のように、モーセがシナイ山で神様から授かった十戒が刻み込まれた石板が納められた聖なる契約の箱のことである。それがエチオピアとどのような関係があるのだろうか?

管理人注:実際には石板は二枚あったが一枚は粉々になっているはずである。

旧約聖書列王記上第10章に「シバの女王の来訪」という記述があるが、この時ソロモン王とシバの女王は恋に落ち、シバの女王は帰国後ソロモン王の息子、メネリク王子を産んだという。メネリク王子は成人後ソロモン王を訪ね、息子として認知されたが、帰国直前に、道中の安全を願って、エルサレム神殿からこっそりアークを持ちだし、エチオピアに持って帰ったという。メネリク王子の一行はエルサレムからカイロへ、カイロからナイル川をさかのぼり、さらに青ナイル川をさかのぼってタナ湖に入ったという。これが歴史的事実ならば、紀元前10世紀中頃のことだろう。

ただし、『新共同訳 旧約聖書略解』によると、シバはイエメンの山岳地帯の呼称であり、この出来事は、外国人であるシバの女王にヤハウェを讚えさせることによって、ヤハウェ信仰の卓越さを読者に示す意図で書かれた、とある。それにもかかわらず、アクスムにはシバの女王が生まれ育ったと言われている宮殿跡がある。伝説はともかく考古学的にはどのように解釈されているのか知りたいところである。個人的にはプントの女王の神殿だったら面白いのになあと思っている。

さて、エチオピアにもたらされたアークは、まずタナ湖にあるキルコス島に800年間安置されたという。その証拠としてその島にあるアークを祀るための祭壇が映しだされていた。その後アクスムという都市のセントメアリーシオン教会に移され、エチオピア正教の信者たちによって守られていたが、10世紀にアクスムで起きた異教徒の反乱を逃れるためにズィワイ湖にあるデブレ・ツィオン島のセントメアリー教会に移されたという。その教会には今も羊皮紙の聖書がたくさん保管されている。反乱鎮圧後アークは再びアクスムに戻されるのだが、その途中でラリベラという町に立ち寄ったという。その町にはエチオピア王ラリベラによって24年間かけて建造された岩窟教会群があり、その第3グループは真上から見ると十字の形をしている。これはゲオルギウス聖堂と呼ばれ、11世紀に凝灰岩の層を掘り下げて造られた。ラリベラ王は近くを流れる川をヨルダン川と命名し、町全体を第二のエルサレムとして計画したという。アクスムに戻ったアークは、16世紀にイスラムの脅威から逃れるために、タナ湖にあるナーガ・セラシエ修道院に移され、その後アクスムに戻されるのだが、その途中でゴンダールという町に立ち寄ったという。この町は17世紀中頃から200年間栄え、ファシリダス城というりっぱな城まである。ファシリダスというのはエチオピア皇帝の名前である。

というわけで、エチオピアの奥地でこのような王国の繁栄が見られたのは、ひとえにアークのおかげであるという。本物のアークはアクスムにあるとされているが、エチオピアのすべての教会には十戒のレプリカが納められたアークのレプリカがあり、お祭りの日にはアークの奇跡を信仰する人々に公開される。首都アジスアベバのトリニティ教会のステンドガラスには十戒の石板を持ったモーセが描かれている。番組中に映しだされた各地の教会には美しい宗教絵画が描かれ、十字形の岩窟教会の存在とともに、大変驚かされたのであった。

エチオピアについて少し補足しよう。エチオピアにはキリスト教はシリア人のフルメンティウスという人物によって4世紀前半に伝えられたが、カルケドン公会議の後単性論に転じた。単性論に転じた経緯は知られていない。1959年には同じ単性論派のコプト教会からも完全に独立し、現在エチオピア正教は単性論派の教会としては世界最大の勢力を誇っている。

歴史上確認される最古の王国は、1世紀に登場したアクスム王国で、4世紀エザナ王の治世に最盛期を迎え、キリスト教を国教として受け入れた。しかし、エチオピア最後の皇帝ハイレ・セラシエ1世がソロモン王とシバの女王の子孫と自称したように、シバの女王の伝説がエチオピアの人々の間に深く浸透している。エチオピアに残るキリスト教美術は11世紀以降のもので、それ以前のものは大部分をイスラム教徒の侵入によって破壊された。エチオピアではキリスト教徒とイスラム教徒の割合は同じで、ともに人口の40%を占める。その他にユダヤ教徒も存在する。彼らはモーセの出エジプトに従わなかったユダヤ人の子孫と言われているファラシャ族で、モーセ五書を古代エチオピア語のゲエズ語で朗読する。出エジプトに従わなかったユダヤ人がいたとは、まったく意外である。


注:下の写真は...........

これはタボット(聖遺物)。エチオピア北部のアクムスの教会にあるとされる。グラハム・ハンコック氏の「神の刻印」で知られる。日本でのお神輿の原型。

お神輿の関連URL............日本神道のルーツは古代イスラエル宗教

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/091shintou.htm

http://

 
 
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