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近衛上奏文と現人神(あらひとがみ)

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年12月10日(月)10時17分1秒
  通報 返信・引用 編集済
  近衛文麿の上奏文と日本敗戦革命

http://www.jul22.net/kuromaku/index.html

戦争終結に対する最大の障害は、満州事変以来、今日の事態にまで時局を推進し来りし軍部内のかの一味の存在なりと存候。彼等は已に戦争遂行の自信を失い居るも、今迄の面目上、飽くまで抵抗可致者と存ぜられ候。もし此の一味を一掃せずして、早急に戦争終結の手を打つ時は、右翼、左翼の民間有志此の一味と饗応して、国内に大混乱を惹起し、所期の目的を達成致し難き恐れ有之候。従って戦争を終結せんとすれば、先づ其の前提として、此の一味の一掃が肝要に御座候。此の一味さへ一掃せらるれば、便乗の官僚並びに右翼、左翼の民間分子も声を潜むべく候。蓋し彼等は未だ大なる勢力を結成し居らず、軍部を利用して野望を達せんとするものに外ならざるが故に、其の本を絶てば枝葉は自ら枯るるものと存候。  尚これは少々希望的観測かは知れず候へ共、もし是等一味が一掃せらるる時は、軍部の相貌は一変し、英米及び重慶の空気或は緩和するに非ざるか。元来英米及び重慶の目標は日本軍閥の打倒にありと申し居るも、軍部の性格が変わり、その政策が改まらば、彼等としても戦争継続に付き考慮する様になりはせずやと思われ候。それは兎も角として、此の一味を一掃し、軍部の建て直しを実行する事は、共産革命より日本を救ふ前提先決条件なれば、非常の御勇断をこそ望ましく奉存候。

管理人注:これが第二総軍と呼ばれる軍部内のかの一味の存在と思われる。彼らをいかにして合法的に処分したのかは「現人神の箱の中 その2」を参照されたし。

謝罪大国と羊の群れ(ガダラの豚の群れ??)

http://www.jul22.net/history.html

龍神伝説

http://2hon8re.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/06/post_1926.html

 【国を売ることに良心の呵責など持ち合わせない種族】③

 そうした流れのなかで、保坂正康著『敗戦前後の日本人』(朝日新聞社刊)

 「8月15日を思うとき、わたしはいつも1枚の写真を思い浮かべてしまう。

 この日は、はたして人々は泣いたであろうか。

 この写真とは、宮城前で正座し、号泣している国民の姿である。学生がいる。若い婦人がいる。老人がいる。兵隊とおぼしき人たちもいる。彼らは、皆一様に同じポーズでうつむいている。なかには、地べたに顔を伏せている者もいる。写真説明には『忠誠足らざるを詫び奉る』と書かれていたりする。

 そして、以上の引用のあとに逆転させるのだ。『しかし、この写真は偽物だった。『朝日新聞』の記事の欺瞞(ぎまん)でもあった』と。

 前記の明治天皇こと、大室寅之佑の(朝鮮人)部落・田布施に関連して、その出身の岸信介についても書いておこう。

 岸信介が皇族並の蓄財をし、これをスイスの銀行の秘密口座に入れていた。と異色の歴史家・八切止夫の本にある。これを裏付ける記述が、近衛文麿の秘書の細川護貞の『情報天皇に達せず』の中に書かれている」

 岸信介の財は東条英機の貯財を大きく上回っている。岸の財産はスイスの秘密口座に入れられ、安部晋太郎、安部晋三と確実に受け継がれている」

 「このグループに、やがて吉田茂が一族として加わってくる。上海にいたサッス―ン・ジャーディン・マディソンというロスチャイルド財閥から援助され財をなした吉田健一は、長崎の女郎が生んだ子供を養子にする。吉田茂その人である。その子が長じて東大法科に裏口入学し、牧野伸顕の娘と結婚する。満州利権を守るため、田布施の一族と血の契りを結ぶ。のちにヨハンセン・グル―プを創り、天皇の承認のもとにアメリカ大使のジョゼフ・グル―に極秘情報を流し続ける。こうして戦争というマネーゲームが続くのである」


現人神(あらひとがみ)の箱の中 その1

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/412.html

現人神(あらひとがみ)の箱の中 その2

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/413.html

「山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥」と有末精二(三の誤植)は書いている。私は東郷茂徳外相の依頼か、他のヨハンセン・グループの依頼を受けた松本俊一次官が原爆投下前のある日、秘かに畑元帥と会談し、8月6日午前8時すぎごろ、広島に原爆を落とす計画を打ち明けたと思う。そのときに松本俊一外務次官は、この日の8時すぎに、第二総軍の全員が集合するようにして欲しいと依頼したとみる。この第二総軍を全滅状態におけば、陸軍の反乱の半分は防げるからである。

畑はヨハンセン・グループの依頼を受けた。「君、これは上の方も承知しているのか。そうか、君、なるようにしかならんねェ・・」と言ったにちがいない。この指令がヨハンセン・グループからグルーに報告された・・・。そして、8月6日午前8時すぎに、広島に原爆が落ちたのである。

大木操の『大木日記』の8月7日を見ることにしよう。大木操は当時、衆議院書記官長であった。

 8月7日(火) 晴
 10時半登院、間もなく警報、小型機空襲。
 議長、副議長と雑談。
 正午過、岡田厚相来訪。広島に原子爆弾を6日午前8時半頃投下。10数万の死傷の報、大塚地方総監、爆傷死、畑元帥健在、高野知事は出張中にて助かる。成層圏より落下傘にて投下、地上2、3百メートルにて爆裂、直径4キロ全壊全焼、エラいことなり。
 直ちに依光代議士は日政の幹部会にこれを伝える。一座愕然。

では、『広島県史(近代Ⅱ)』の「原爆と敗戦」を見ることにする。

広島地区司令部の強い要請により、中国地区司令部の強い要請により、中国地方総監および広島県知事は8月3日から連日義勇隊約3万人、学徒隊1万5千人の出動を命令した。

この二つの本を読んで、私は次のように推論する。

 八月初旬に広島県庁に入った畑元帥は、高野源進・広島県知事と中国地方総監を説得した。第二総軍を動員し、8月3日から連日、義勇隊3万人、学徒隊1万5千人を出動させよと命じた。畑はひそかに、高野知事に真相を打ち明けた。高野知事は広島を去った。こうした中で8月6日の朝8時15分を迎えた。第二総軍の軍人たち、義勇隊、学徒隊の多くが死んだのである。

 私の説を誤謬とする人は、これに反論する説を述べられよ。すべてが偶然と言いはるつもりなら、もう何も言うべき言葉はない。
 この軍隊を指揮した中国軍管区司令官の藤井洋治中将(広島第五十九軍司令官)も、夫人とともに被曝死している。

 一九九七年に国立国会図書館は「政治談話録音」なるものを一般公開した。木戸はその中で「原子爆弾も大変お投に立っているんですよ。ソ連の参戦もお投に立っているんです・・」と語っていた。

現人神(あらひとがみ)の箱の中 その3

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/414.html

あの玉音放送は天皇ヒロヒトの発案である。小森陽一の『天皇の玉音放送』をもう一度引用する。

・・鈴木貫太郎は「宮内次官だった大金益次郎によると、玉音放送という考えは、そもそも宮内省の発議であった。終戦ということを国民全体に知らしめるために、陛下が直接お声で国民に語られるのがいいのではないか、と考え、内閣の方へ諮ったところ、内閣の方もそれを認めた。が詔書そのものを放送されるという考えは初めはなかったらしい。終戦の御前会議で、自らマイクの前に立ってもと仰せられたので、内閣の方も、ぜひ玉音放送ということになったのである」と語っている。
 「自らマイクの前に」立つということは、ヒロヒト自身の提案だったことがうかがえる。玉音放送は、ぎりぎりのところまで追いつめられたヒロヒトが、自らの延命と「国体護持」を実現するための必死の国家イヴェントであり、電波仕掛けのスペクタクルであったのだ。
 録音は、8月14日深夜2度にわたって行われた。陸軍の一部には「玉音放送」を阻止する動きもあったが、宮内省に保管されていた録音盤は無事であった。
 8月15日正午、「終戦の詔書」は「玉音放送」として大日本帝国臣民の耳にとどいた。しかし、その後全文が問題化されることはなく、「堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ」の部分だけが毎年反復されることになったのである。・・・

 かくて「鶴の一声」は全国津々浦々のみならず、海外にまで流れ、日本人は戦争の終わったことを知らされたのである。一般の人々の8月15日の記録はたくさんの本に書かれているから、ここでは触れないことにする。
 『目撃者が語る昭和史』(第八巻)の中に、迫水久常(元鈴木内閣書記官長)の「ポツダム宣言受諾の苦悶」が記載されている。この最後の文章は以下のごとくである。

 ・・・終戦の最終段階は、八月九日夜半と八月十四日午前の前後両度の御前会議である。陛下が白い手袋をはめた御手でしきりに両頬をおぬぐいになりながら、終戦も御決意をお示しになったお姿は今も、私の眼底にはっきりやきついている。今日の日本国民は、実際においてことごとく、その際における陛下の自らをお捨てになって、これ以上の国民の苦難を牧うとされた御仁徳によって生きているのである、と思うのである。(人物往来/S・31・2)

 「天皇が日本を救った」という神話が戦後になって登場する。その神話を実現するために『日本のいちばん長い日』も創作され、映画化された。この本の欺瞞性を私は徹底的にあばいた。半藤一利に個人的な恨みなど少しもない。そして、多くの神話が今日でも創作され続けている。私は「聖断」そのもの自体が虚構であると主張したい。天皇は国体護持にのみ拘わり続け、戦争を長びかせたのである。戦争を長びかせたもう一つの理由を、私は天皇の財宝のスイスヘの移しかえの中に見た。

 松浦総三の『天皇裕仁と地方都市空襲』を紹介したい。「詭弁・すり替えの『終戦の詔書』」の中の一文である。

 ・・・★「終戦の詔書」は全文が詐欺の文章である。筆者(松浦)は最近10回以上、この文章を読んだが、恐るべき文章である。「全文が詐欺の文章」と書いたが、けっしていい過ぎではない。それは、詭弁、すり替え、頬被りの連続で、国体・天皇制を「死守」するためのグロテスクな文章である。
 「終戦の詔書」はポツダム宣言受諾・無条件降伏の文書である。裕仁らが無条件降伏をなぜ「終戦」といい替えたのか。降伏や敗戦ならば、裕仁らは戦争責任や敗戦責任を負わねばならぬ。しかし「終戦」にするとその辺はアイマイになる。戦争責任をのがれるためである。
 裕仁はNHKの記者会見(1975年10月31日)で、「戦争責任は?」と質問されて「そういう文学方面はあまり研究していません」とにべもなく答えている。しかし「終戦」という言葉を発明して、戦争責任をのがれたあたりは相当の「文学方面」に詳しいといわざるをえないのだ。・・・

 この文中の1975年10月31日、日本記者クラブでの会見の模様は530頁にすでに書いた。このときに原爆投下の質問が出た。あの時の「エ・・」という文章は、松浦総三の『松浦総三の仕事』の中から引用した。
 私は「エ・・エ・・エ・・投下された、ことに対しては、エ・・エ・・」の中に、直感的に、天皇が8月6日午前8時15分の広島への原爆投下の件を知っていると思った。この考えに私は拘泥し続け、この考えの正しさを証明しようと追求し続けたのである。

さて、続きを読んでみよう。

そしてつぎに、15年戦争をはじめたのは「帝国臣民の康寧を図り万邦共栄の楽をともにする」ことであり「帝国の自存と東亜の安定とを庶幾する」ための防衛戦争だというのだ。なんと図々しい言葉であろうか。
 この部分の「裕仁理論」の最大の弱点は、日本人ならば『朝日新聞』とNHKの応援でゴマ化すことはできても、中国や朝鮮やフィリピン、マレーシア、インドネシアなど軍靴でふみにじられたアジア諸国にとって、裕仁が始めた15年戦争が「侵略戦争でない」などということはとんでもないことであろう。
 裕仁を東京裁判の法廷へ引きずり出せなかった東京裁判の裁判長ウェツブでさえつぎのように言っている。
 「・・天皇をも裁かないようなら戦争犯罪人はだれも死刑にすべきではなかったというのが著者バーガミニの意見であるが、私もまた同感である」(バーガミニ『天皇の隠謀』)・・・

 松浦総三は1914年生まれである。この本は1995年に出版された。彼は80歳を超えて、この本を書き上げたのである。
 「裕仁理論」を見事に打破している。続けてこの人の文章を読んでみよう。これほど読みごたえのある文章に、そうはお目にかかれないものだ。


裕仁理論=「終戦の詔書」によれば、アジア諸国に対する「侵略」も「防衛戦争」の一環となる。裕仁らはこの「理論」を盾にとって、南京大虐殺、シンガポール虐殺、重慶大爆撃、朝鮮人強制連行、慰安婦問題などを黙殺しようとするのだ。
 そのような「防衛戦争」つまり。正義の戦争も「敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻に無事を殺傷す・・・」というわけで原子爆弾によって「終戦」にせざるをえなくなる。この部分は、裕仁の『昭和天皇独白録』で「ソビエトはすでに満州で火蓋を切った。これではどうしてもポツダム宣言を受諾せねばならぬ」と本音を言っていることと完全に矛盾する。

歴史的事実としては裕仁がポツダム宣言を受諾したのはソ連参戦によって、ソ連の発言権が強まれば国体・天皇制が危うくなるからである。原子爆弾を投下された8月6日や8月9日には、裕仁は「なるべく早く講和を」といっている。それが「ソ連参戦」で即時御前会議が開かれるのだ。
 というわけで、「正義の戦争」は終戦となる。では戦死者、戦災者、その遺族はどうなるのか。それを思うと朕は「五内為に裂く」とオーバーなことをいう。が、「時運のおもむくところ」「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」というのだ。「五内為に裂く」といっているが、その内容は、被爆者援護法や空襲の補償はしないぞ、ということであろう。

米内海軍大臣が言っている[原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ」の意味をもう一度考えなおしてみないといけないかもしれない。
 ★ヤルタ会談の秘密条項の中に、ドイツ敗北の3ヵ月後にソヴィエトは日本に参戦するというのがあった。ちょうどその予定日が8月9日であった。天皇と側近たちはスティムソン陸軍長官から、この8月9日のソヴィエト進攻の日を教えられていたのかもしれない。それは極秘情報とされ、近衛文麿にも重光葵や広田弘毅にも知らされていなかった。彼らは天皇の命を受けソヴィエトヘの和平工作を持ちかけているからである。

 松浦総三の鋭い直感力が私の鈍い頭脳に強力に働きかけてくる。
 あの極秘情報を当時知っていたのは、ルーズヴェルト大統領、ハリマン駐ソ大使、スティムソン陸軍長官ぐらいで、ステテニアス国務長官(ハル国務長官の後任)も知らなかったのである。原爆とソ連の対日戦参入はたぶん、ワンセットだったにちがいない。原爆投下だけでは日本が戦争をあきらめないと知っていたスティムソン陸軍長官は、長崎の原爆投下とソヴィエトの参戦を同時にセットしたのであろう。そうすれば、確実に日本は戦争をやめると計算したのである。

 ヨハンセン・グループの極秘ルートで、天皇はその日、8月9日の出来事をスティムソン陸軍長官から知らされていたにちがいない。だから、8月9日に御前会議を開いて、「鶴の一声」を初めて発したのであろう。天皇とごく少数の側近がソヴィエトの参戦と長崎への原爆投下の8月9日の同時性を知っていたと見る。だから天皇はあまりの恐ろしさに声をふるわし、頬に涙を伝わらせて終戦の決意を語ったのであろう。

 80歳をすぎてなお、瑞々しき若さをもつ松浦総三の本を読み続けようではないか。

・・・そしてつぎに「終戦の詔書」の一番肝心な「朕はここに国体を護持しえて」という「天皇制継続宣言」(千本秀樹『天皇制の侵略責任と戦後責任』)になるのだ。そして最後に「国体の精華を発揚して世界の進運に後れるな」となって終わるのだ。
 [終戦の詔書」の本質をもっとも鋭く分析したのはマクマホン・ボール(マッカーサーの諮問機関である対日理事会のオーストラリア代表・メルボルン大学教授)である。彼はいう。
 「敗戦が決定してから、天皇と日本政府の真の態度を示す最も意味深い文書である。占領期間中とるべき戦術と戦略であると私は確信する。(中略) 一つは占領者の命令にたいする完全な外面上の服従であり、もう一つは占領者の意志にたいする持続的精神的抵抗である」(マクマホン・ボール『日本、敵か味方か』以下同じ)。
 つづけて彼は、
 「この詔書は降伏という言葉をつかっていない。天皇はただ『時局を収拾する』と決意したにすぎない。そして、日本の侵略を正当化する奇妙なまでに厚かましい試みがなされる。天皇は、『帝国の自存と東亜の安定を庶幾する』誠実な願いで戦争を宣言した」というのだ。そして、
 「日本が無条件降伏に至ったことは何も示唆されていない。むしろ『戦局は好転せず』だった。天皇は日本との同盟を強要された東南アジア諸国にたいしては『帝国と共に終始東亜の解放に協力』してきたが故に、彼らに遺憾の意を表しているのである。そして、最後にポツダム宣言の受諾が、日本に『国体護持』することを得せしめたという」
 この意見は、前出の千田夏光の「終戦の詔書」観にかなり近い。ここまで言えるということは、相当に勉強しなくては言えないと思う。しかし、こんな意見もイギリスやアメリカにつぶされてしまうのだ。
 こんな、論弁、ウソ八百、すり替えに満ちた文書は、世界史の中にもそうザラにはないだろう。しかも、1990年代という50年後にも、この理不尽な「裕仁理論」はハツラツと生きているのだ。それは敗戦後に温存された宮廷勢力や大資本、自衛隊、財界や高級官僚や、彼らが握っている「番犬階級」(正木ひろし)であるマスコミによって体系的に報道操作されている。
 「終戦の詔書」の「裕仁理論」は、安保闘争後に「大東亜戦争肯定論」と教科書裁判などでむきをかえる。そして裕仁誕生70年祝典、大阪万博をへて、1975年の裕仁夫妻訪米、76年の裕仁在位50年祝典などで完全に復活して、89年の「昭和Xデー報道」でピークに達する。そのご明仁即位、徳仁・雅子結婚などがつづく。・・・

 この文章に解説は何もいらない。私たちは過去を忘れさせようとする勢力の範囲内で生かされている。「大東亜戦争肯定論」の本が氾濫するなかで生きている。
 私はロベール・ギランの『日本人と戦争』を紹介したい。彼は1938年から1946年までアヴァス通信社の特派員として滞在した。戦後もながく日本での記者活動を続けた。

 ・・・この詔勅の中で、敗戦という言葉はいちども発せられておらず、もちろん降伏という言葉も使われなかった。残忍な原子爆弾がこの戦争の終結の理由だとされた。そして詔勅が別のところで述べているように、「さき二米英二国二宣戦セル所以モ亦実二帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スル」だけがこの戦争の目的だとされた。そこでもし、旧軍人が将来自分たちの好き勝手に歴史を書き直す機会を得るならば、彼らはこの詔勅のテキストを基盤にして次のように言うこともできよう。われわれが戦争をやめたのは、われわれの敵の非人間的行動にのみ依るものであった。わが天皇は毫下の軍隊が深手を受けていないにもかかわらず、殺戮を止めることに同意されたのである。なぜなら、天皇は目本国の救世主であるばかりでなく、いかなる残虐行為にも反対する、人間文明の防衛者たらんと欲せられたからだ、と。・・・

 このロバート・ギランの物の考え方と松浦総三の考え方は、ほぼ一致する。
 「天皇は日本の救世主であるばかりでなく、いかなる残虐行為にも反対する、人間文明の防衛考たらんと欲せられたからだ・・」の中に、私は、天皇とアメリカとの間にあったであろう密約を連想する。

 天皇はたった一度だけの原爆批判を、終戦の詔書の中でのみ赦された。しかし、天皇は死ぬまで一度も原爆投下の批判をしなかった。天皇と深く結びついたヨハンセン・グループも同様であった。
 天皇とヨハンセン・グループは原爆投下の残虐行為を追及しないことによって、原爆を中心とする、米・ソの見せかけの冷戦に協力し続けたのである。それこそがロスチャイルドを中心とするユダヤ国際資本家たちが狙っていた戦略だった。原子力発電への傾斜もそのような戦略の中で推進されていった。
 ロバート・ギランの本を続けて読む。

 ・・・日本人の性格は、悲劇の幕が閉じた際にもわれわれに最後の驚きを与えた。七千五百万の日本人は、最後の一人まで死ぬはずだった。一介の職人に到るまで、日本人たちは自分たちは降伏するくらいなら切腹すると言い、疑いもなくその言葉を自ら信じていた。ところが、潤を流すためにその顔を隠した日本が再びわれわれにその面を示したとき、日本は落ち着いて敗戦を迎えたのである。彼らが敗戦を受け入れた態度には意表をつく容易さがあったように思われた。日本人は明らかな葛藤を示すことなくページをめくり、久しい開見ることがなかった輝きを顔に浮かべさえしたのである。あの日本人の微笑だ。・・・

 ロベール・ギランは日本人の微笑の場面を数々紹介する。「まず、われわれの運命の主人だった警宮たちが微笑を見せた。長い間、われわれに対する憎悪をむき出しにし、下劣な迫害を行ってきた黒い制服のあの人物たちが、三日もたたぬうちに、一人一人外人を訪れ、ぺこぺこお辞儀をして・・・」と書いている。
 決して、断じて、と言いたい。日本人は泣かなかったのである。木戸幸一が見た八月十五日の正午すぎの光景を、もう一度思い出してほしい。あの宮城広場で人々が「万歳!」「万歳!」と手を空につきあげて喜びあっていたのである。松浦総三が見事に喝破しているごとく、「マスコミによって体系的に報道操作されている」その好例が、保阪正康の『敗戦前後の日本人』に書かれている。

 ・・・八月十五日に、はたして人びとは泣いたのであろうか。
 〈八月十五日〉を思うとき、わたしはいつも一枚の写真を思い浮かべてしまう。すぐにわたしの世代のことをもちだすのは気がひけるが、わたしの同年代の友人たちも、意外にこの写真を〈八月十五日〉に結びつけているのである。敗戦の日を具体的な絵柄としてあらわすには、これがもっともふさわしいからかもしれない。
 この写真とは、宮城前で正座し、号泣している国民の姿である。学生がいる。若い婦人がいる。老人がいる。兵隊と覚しき八たちもいる。彼らは、皆一様に同じポーズでうつむいている。なかには、地べたに顔を伏せている者もいる。写真説明には、「ズ芯誠足らざる〃を詫び奉る」と書かれていたりする。・・・

管理人注:あの写真は1日前の予定ポーズ稿

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/aomori/kikaku/030/1.htm

 私はこの写真が完全な偽物であることを立証したし、あの8月15日の「朝日新聞」の記事の欺瞞性も追及した。しかし、天皇教を奉じてたてまつる現代史家たちは、ただ、ただ、天皇崇拝のために本を書き続けるのである。これはまさしく一つの神話である。
消しても決して消えることのできない神話である。この神話の源泉を辿ってみたい。
 佐藤卓巳は『八月十五日の神話』の中で、「終戦の詔書」の意味を追求した。

8月15日の新聞記事

http://showa.mainichi.jp/news/1945/08/post-bf55.html

世界支配、単一世界政府。所謂ワンワールドに世界は向かっている。

http://www.jul22.net/kuromaku/oneworld.html

イルミナティの21箇条

http://satehate.exblog.jp/16707590/

我が父の満州・シベリア

http://miraikoro.3.pro.tok2.com/travels/Wakasa_Tango_Tajima/Wakasa_Tango_Tajima04.htm

下の写真は国体護持のためのプロパガンダ写真

http://

 
 
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