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橋の上のホラティウス

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年 1月 4日(金)12時07分33秒
  通報 返信・引用 編集済
  絶望的な大義=悠久の大義

元ゼロ戦パイロットが語る戦争の真実

http://www.youtube.com/watch?v=b9NrJFvn47c

関連記事:裏天皇

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/561.html

特攻隊員は日本人だけではなかった.........

大東亜戦争において、当時は日本であった朝鮮、台湾などの多くの方が日本人として戦い、散華されました。この方々は我々にとり間違い無く護国の英雄なのです。

http://www.tamanegiya.com/totkoutotyousennjinn.html



ねずさんの独り言~橋の上のホラティウス

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1153.html

命を的にして戦った特攻隊は、理解できない狂信者たちであるとまで誹謗されました。

けれど、ケネディ大統領の甥のマックスウェル・T・ケネディ氏は、「特攻-空母バンカーヒルと二人のカミカゼ--米軍兵士が見た沖縄特攻戦の真実」という本を出し、その真実を伝えています。

~~~~~~~~~
彼らの最後の望みは、未来の日本人が特攻隊の精神を受け継いで、強い心を持ち、苦難に耐えてくれることだった。

わたしたちは、神風特攻隊という存在をただ理解できないと拒絶するのではなく、人々の心を強く引きつけ、尊ばれるような側面もあったのだということを、今こそ理解すべきではないだろうか。
~~~~~~~~~

『特攻―空母バンカーヒルと二人のカミカゼ』



http://www.youtube.com/watch?v=kBN-cEkuPBE


書籍『特攻 空母バンカーヒルと二人のカミカゼ』より

1945年5月11日、沖縄――。
米任務部隊旗艦、空母バンカーヒルを戦闘不能に陥れた2機の零戦による壮絶なる特攻。その全貌を"日米"当事者への取材で描く迫真のドキュメンタリー。

本書の著者マクスウェル・テイラー・ケネディ氏は、ロバート・ケネディ元司法長官の息子であり、ジョン・F・ケネディ元大統領の甥にあたる。その著者が注目したのが、沖縄­戦で特攻機の突入を受けた米空母バンカーヒルの物語である。


著者ケネディ氏は、日本の「特攻」について、次のように述べている。

「 彼らの最後の望みは、未来の日本人が特攻隊の精神を受け継いで、 強い心を持ち、苦難に耐えてくれることだった。

  私たちは、神風特攻隊という存在をただ理解できないと拒絶すのではなく、

  人々の心を強く引きつけ、尊ばれるような側面もあったのだということを、

  今こそ理解すべきではないだろうか 」


1945年5月11日、沖縄沖の米艦隊を目指して、多数の特攻機が鹿児島の鹿屋基地を­飛び立った。そして安則盛三中尉(兵庫県上郡町出身)と小川清少尉(群馬県八幡村出身­)の搭乗機がバンカーヒルに突入、この空母は甚大な被害を受け、650名以上が死傷し­た。本書は、その日の激闘を中心にして、そこに至る経緯、そしてその後を描いたノンフ­ィクションである。

著者は、あくまで日米双方の視点でこの戦いを描くべく、何年にも及ぶ綿密な調査研究を­行い、元特攻隊員を含む多数の日米両国の生存者とその家族に、精力的な取材を行ってい­る。取材のための来日は3度にわたった。

本書は、日本の若き特攻隊員の置かれた立場やその心境を丹念に追いつつ、何が軍部を特­攻作戦に駆り立てたのか、隊員たちは、いかにしてそれを受け入れ、実行することができ<wbr />­たのかを探ってゆく。そして、空母バンカーヒルの乗員たちの知られざる英雄的な行為─­─水兵とパイロットが力を合わせ、命がけで救助を行い、最終的に艦を守り抜くまでの一­部始終──を描き、極限の戦いの中でそれぞれの国のために尽くした男たちの真実の姿が­明らかにした。

これまで、日本側の資料では、特攻における実際の場面を「当事者」の視点で描くことが­難しかったが、アメリカ側の詳細な資料と、元乗員たちから集めた数多くのナマの証言を­基にした本書は、米兵を震え上がらせた特攻の「実際」を、克明に、そして残酷に描き出­している。

著者マクスウェル・テイラー・ケネディについて

1965年、ニューヨーク生まれ。ロバート・F・ケネディ元司法長官の息子であり、ジ­ョン・F・ケネディ元大統領の甥にあたる。ハーバード大学、バージニア大学法科大学院­を卒業後、ボストンカレッジで環境学を教え、フィラデルフィアでは3年間、検察官を務­めた。現在はブラウン大学ジョン・カーター・ブラウン図書館の研究員として、海洋史の­研究に打ち込んでいる。


橋の上のホラティウス

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%A9%8B%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%AE%E3%83%9B%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B9&search.x=1&fr=top_of3_sa&tid=top_of3_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=

橋の上のホラティウス

madphycさん

橋の上のホラティウス

橋の上のホラティウスという、西洋の詩(?)があるのですが、
作者や時代背景など、ご存知の方は教えてください。

『Horatius at the Bridge』(『橋の上のホラティウス』)は19世紀のイギリスの
政治家(ホイッグ党)にして歴史家のThomas Babington Macaulay(トマス・
バビントン・マカレー、1800-1859)が書いた非常に長い英語の詩です。

著者についての詳細は下記(英語Wikipedia)参照
Thomas Babington Macaulay, 1st Baron Macaulay
http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Babington_Macaulay,_1st_Baron_M...

『Horatius at the Bridge』の詩全文は下記参照
http://en.wikisource.org/wiki/Horatius_at_the_Bridge

「橋の上のホラティウス」という古代ローマの有名な話があります。この詩は
その話を題材としたものです。古代ローマの話は下記の通りです。
----------------------------------------------------
昔、ローマ王政時代最後の王であったルキウス・タルキニウス(紀元前534-
510)という(伝説的な)人物がいました。タルキニウスの治世は専制的なもの
であったため、あだ名としてシュペルヴス(傲慢な)が付けられ、タルキニウス
傲慢王と呼ばれます。しかし、タルキニウスは甥の妻を強姦したため、その甥
に率いられた反乱が起こり、その結果としてローマを追放されます。
タルキニウスはエトルシア人のところに行き、助けを求めます。エトルシア人は
タルキニウスに助力をして軍勢を与え、ローマに進軍します。これにローマは
非常に驚きます。ローマ周辺の城壁外に住んでいた人々は、できるだけ早く
ローマ市の中へ逃げ込もうとします。そのため、ローマ市に通じているティベル
川の上に架けられた狭い木製の橋に人々が殺到します。
ローマ市の中では人々がパニックに陥っていて、エトルシアの軍勢のローマへの
進軍を阻むために橋を破壊することを忘れてしまいます。
一方、タルキニウスはローマへの道を熟知していますから、彼に率いられたエト
ルシアの軍勢は易々とローマへと向かいます。そして、ローマ人たちが橋を破壊
せずにいたことを見て喜びます。ティベル川を泳いでローマに向かうことはできな
かったからです。ここで、もしもエトルシア軍が橋を渡ってローマに入ってきたなら、
ローマはあっという間に占領されてしまいます。

この時、ローマにホラティウスという名前の一人の若者がいました。彼は自分たち
でエトルシア軍が来ないよう橋の上で足止めしている間に別の者たちに橋を落と
させるようにしようと他の若者たちに提案しますが、他の若者たちはエトルシア軍
のことを考えると恐ろしくて誰も同意しません。そこで、ホラティウスは自分一人が
足止めをするから、他の者は橋を落としてくれと頼みます。彼はたった一人で橋の
上に立ってエトルシア軍に向かって「ローマの兵士と相対するのに十分な勇敢さを
持つものはお前たちの中にいるか」と叫びます。エトルシア軍は槍で彼を突き刺そ
うとしますが、橋が邪魔になってホラティウスに届きません。そしてホラティウスはヒー
ローのようにエトルシア兵が狭い橋を渡ろうとするのを妨げ、二、三人の友人の助け
もあり、ついに橋を落とすことに成功するのです。

たった一人で軍隊を足止めし、ローマを救ったホラティウスの話は、ローマが神に
愛された神聖なる都市であるという信仰を生み出し、その後のローマの常勝を
支える重要な伝説となります。
-------------------------------------------------------

トマス・マカレーは若い頃にローマ時代の伝説を題材とした詩集を書いていて、
この『橋の上のホラティウス』などの英雄的なエピソードを好んでいます。そして
1842年にインドで詩集を編集、出版しています.............

特攻
空母バンカーヒルと二人のカミカゼ


http://www.810.co.jp/book/ISBN978-4-89295-651-5.html

http://ameblo.jp/bbh2009bbh/entry-11295668913.html

そして門の守り手、勇敢なホラティウスは言った


この世のすべての人間に、遅かれ早かれ死は訪れる

ならば、先祖の遺灰のため、神々の殿堂のため

強敵に立ち向かう以上の死に方があるだろうか

私をあやしてくれた、優しい母のため

我が子を抱き、乳をやる妻のため

永遠の炎を燃やす、清き乙女たちのため


恥ずべき悪党セクストゥスから

皆を守る為以上の死に方があるだろうか

執政官どの、早く橋を落としてくれ

私は、2人の仲間とともに

ここで敵を食い止めよう

路にひしめく一千の敵を

三人で食い止めてみせよう

さあ、私の横に立ち

橋を守る者は名乗り出よ


敵を食い止めようと命を捧げた特攻隊員は

千人が果たした以上の事を成し遂げた


英雄ホラティウスは

セクストゥスの攻撃を食い止めるため

人々が橋を落とし、立て直しを図る

時間を稼ぐために、自らの命を捧げた


特攻隊は、押し寄せる敵艦を撃破し

立て直しを図る時間を稼ごうとした


ホラティウスの自己犠牲の最も注目すべき点は

彼が橋を守り切ったかどうかではない


重要なのは、何世紀にもわたり、幾多の西洋人が

ホラティウスのような勇敢な自己犠牲に

勇気づけられてきたという事実なのだ


日本軍の上層部が敗北を認識したうえで

大勢の若者を特攻隊員に任命したのは

絶望的な大義に命を捧げた若者たちの先例が

以後何千、何万年と、人々の自己犠牲精神を

かき立て続けるだろうと考えてのことだった

彼らの最後の望みは、未来の日本人が

特攻隊の精神を受け継いで

何事にも屈しない、強い心を持ち続ける事だった


現代を生きる私たちは、神風という存在を

ただ理解できないと拒否するのではなく


人の心を強く惹きつけ

尊ばれる側面もあったということを

理解しようと努めるべきではないだろうか

『特攻―空母バンカーヒルと二人のカミカゼ』(M.T.ケネディ著)より抜粋

いい顔してます。これが日本人の顔です。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1629.html

【身は大空に散華しても笑顔は生きている】
眞悟の時事通信 平成24年9月9日
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=774

昨日から、私のホームページの表紙に、飛行服を着た十四名の若者が大らかに明るく笑っている写真を掲載した。

陸軍特攻誠第百十九飛行隊出撃直前の写真だ。

諸兄姉、どうか、クリックして写真を拡大し、彼らの笑顔を見ていただきたい。

彼らは、少年航空兵出身の十八歳から十九歳の十人と学徒出陣の四名で、この写真に笑顔を残してから一時間半後の、昭和二十年四月二十二日午前十時ころ、台湾北部の桃園飛行場から沖縄本島方面に特攻出撃していった。
彼らは五百キロ爆弾を搭載して沖縄本島周辺の敵艦に突入し、敵巡洋艦と貨物船を各一隻を撃沈した。

本年八月、東京で畏友の古賀俊昭東京都議会議員と久しぶりに懇談していた際、古賀俊昭さんが手帳から取り出し、
「この笑顔を見てほしい」と差し出したのがこの写真だ。

写真を手に取って、深い感動を受けた。
丁度行われていた甲子園の高校野球の球児たちよりも充実した底抜けに大らかな笑顔だ。

笑顔は生きている。
英霊が甦っている。
涙があふれてきた。

その後、古賀俊昭さんは、この写真と写真を紹介した平成十七年一月十五日の産経新聞のコピーを堺の事務所に送ってくれた。
以後、この写真をいつも持っている。

八月二十一日からの台湾行にも持参し、関西空港から彼ら十四名が六十七年前に特攻出撃していった台湾の桃園空港に降り立った。

この写真は、台湾から日本に帰還した陸軍整備隊長の関忠博さんが撮影し、靴底に隠して検査をすり抜けて持ち帰った。
そして、六十年後、産経新聞に
「戦後六十年間、私は、彼らに生かしてもらってここまで元気でやってこられたという思いでいっぱいです。
せめて隊員の家族や親族にこの写真を渡したいと考え、行方を捜しています。無職関忠博(八十四歳)」と投稿され、平成十七年一月十五日の産経新聞に掲載された。

記事によると、関さんは航空機の整備隊長としての指導のかたわら、出撃する隊員たちと日々語り合ったという。

関さんは、彼らには不思議なほど悲壮感はなく、全員が実に冷静に死について考えていた、出撃までは軍規の拘束を受けない自由が与えられたが、隊員たちは、あまり外出せず、家族や故郷のある日本を守るためには、
「いまここで死ぬのが自分にとって最高の生き方」
と語っていたという。

そして、関さんは、出撃の四月二十二日の朝八時半ころ、桃園飛行場の滑走路近くで隊員たちがそろったときにこの写真を撮影した。

死を前にしても、全員が満面の笑みをたたえていたのが印象的だったと関さんはいう。

終戦後、関さんは収容所生活を経て、昭和二十一年三月に復員するが、復員船の出る基隆港では写真や光学機械や時計を持ち帰ることが禁じられた。
しかし関さんは、「この写真だけは何としても残したい」と思い、靴の底に隠して検査をすり抜けて日本に持ち帰った。

昭和二十年四月二十二日、朝八時半、十四名の若者は、祖国を守るために「今ここで死ぬのが自分にとって最高の生き方」と得心し、何の影もない充実した満面の笑顔を残して数時間後に肉弾となって散華していった。

この写真を映した関さんは、この笑顔を何としても日本へ持ち帰ると工夫し、持ち帰ってくれた。
そして、彼ら十四名は、この八月、私に笑顔を見せてくれたのだ。

我が国を取り巻く内外の情勢は、まことに厳しい。
内は「劣化、自己喪失、日本が日本でなくなる」危機が増大し、
外は日清日露戦役前夜の如き軍事攻勢を受けつつある。

この時に、彼ら十四名は、「君らしっかりせよ」と甦り、笑顔で我らを励ましてくれている。

よって、魂を励まされた私は、
「国のため今死ぬのが最高の生き方」
と確信した魂の不滅と連続性を信じ、

十四名の隊員と、日本にこの写真を持ち帰ってくれた関忠博さんに深謝して、
彼ら十四名の特攻隊員の笑顔の魂に励まされることがすなわち
「日本の再興」と「日本人としての人生の充実」に至る道である、と確信し、ここに彼らをご紹介する。
~~~~~~~~~~

あれこれ私なりに何か書こうと思いましたが、言いたいことは、西村先生が全て書いてくださいました。

私からは、ひとことだけ。
日本にこの笑顔を取り戻したい。
私は、そのために命を賭ける。

以上です。

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