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サドの計画

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年 1月 4日(金)13時08分25秒
  通報 返信・引用 編集済
  MARQUIS DE SADE(1740-1814)

フランス革命期の貴族・ド・サド侯爵のこと。サディズムの語源ともなったが,サドはマゾヒズムとの両刀使いであった。サド公爵夫人は三島由紀夫によって戯曲化されたが正確にはサド侯爵夫人たち6人によるサドを語りつくす三島戯曲の最高峰に位置ずけられる。ゲームの達人のリンク集にも貼ってある。

 奇矯な行動のため,なんども投獄されたが獄中で小説を書いたところは,ベルレーヌに似ているところがある。晩年ナポレオンによって狂人と決定ずけられ,精神病院で死を迎えた。本名は「DONATIEN-ALPHONSE-FRANCOIS DE SADE」正式フランス語ではCの下におたまじゃくしの記号が入る。

 20世紀に入るとサルバドール・ダリなど前衛芸術家によって評価された。


http://muroyanei.blogspot.jp/2008/01/blog-post_20.html

関連URL........悪徳の栄

http://web.archive.org/web/20071228222832/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/151.html

『愛という名の罪』という短編集の序文「小説に関する考え」のなかで、サドはこう言います。

「私の書き方は強烈すぎる、とひとは言う。私が悪徳に与える特質は醜すぎる。その理由を知りたいだろうか。私は悪徳を愛させたくないのだ。女性をたぶらかす登場人物を女性に愛させようという、クレビヨンやドラのような危険な計画を私はもっていない。反対に、女性にこういう人物を憎んでほしいのである。こうすることだけで、女性はだまされなくてすむようになるのだ。そして、そうするために、悪徳の道を歩む登場人物を非常に恐ろしいもの、絶対にあわれみも愛も感じさせないものにしたのである。この点において、こういった人物を美化することが許されていると信じる人々よりも私の方が道徳的であると私には自負できる。(…)絶対に、そう、繰り返して言うが、絶対に、私は地獄のような色彩においてしか罪を描くつもりはない。ひとに罪を剥き出しの姿で見てほしい。罪を恐れ、憎んでほしいのだ。そうするためには、罪を特徴づけるあらゆるおぞましさを見せる以外の方法を私は知らない。」

クレビヨンとドラは十八世紀の有名な作家です。サドはまた自分の戯曲の登場人物について妻への手紙にこうも書きました。

「これは悪徳に満ちた女で、私がこの女を罰したとしても、まちがいなく私の戯曲は憎むべきものだというのだろうか。しかし、もしこの女が罰せられないままでいたとして、だれがこんな女の真似をしようと思うだろうか。つまり、これが芸術なのである。芸術とは劇のなかで悪徳を罰することにあるのではなく、だれも真似をしたいと思わないようにして悪徳を描くということなのだ。このようにすれば、もう悪徳を罰する必要はない。判決はすべての観客の心のなかで静かに宣告されるのだ。」

サドはまた傑作小説『アリーヌとヴァルクール』のなかでこうも言います。

「ああ、いかに悪徳が目につこうとも、それは悪徳の信奉者にとってしか恐れるべきものではなく、たとえ悪徳が勝ち誇ろうと、美徳の側からすると悪徳はその分おぞましいものでしかない。悪徳の色合いを和らげることほど危険なことはない。クレビヨンのように悪徳を描くことは悪徳を愛させることで、その結果あらゆるまじめな人間がものを書くことによって成し遂げたいと思う道徳的な目的を達成できないことになる。」

よってサドは匿名で発表したポルノ小説をそれまでのひとが用いたことがなかったような露骨な言語で書きました。残念ながら日本語訳はその色合いを和らげていて、サドにとって最も重要であっただろう、悪徳を憎ませる新しい言語の創出の計画をまったくないがしろにしたものだと言わざるをえません。サドはそれを「危険なこと」とまで言っているのです。サドは正しいと言わなければならないでしょう。

『アリーヌとヴァルクール』は長大なものですが、サドは序文や註で「全部読んでから判断せよ、ここを飛ばして読んではならない」と繰り返し読者の注意を喚起しています。サドを抄訳したひとはこういったサドの本質をまったく理解していませんでした。サドはおそらく文学史上最も頭のいい作家でしたが、自分が眼病を患っても読書をやめられないような人間であるがゆえに、読者は必ずしも自分のように全部まじめに読むわけではないということにだけは想像力を働かせられなかったのです。これがサドの悲劇でした。ブランショは「サドをすべて読まなかったものは何も読んでいない」と言いましたが、このことばを文字通りに理解しなければなりません。(もっともブランショが本当にサドのことをよく理解していたのかどうかに関しては、かなり心許ないと云わなければなりません。) サドの抄訳はサドの翻訳ではないのです。

サドが文学史上最も軽蔑され差別された作家であるがゆえに、多くのひとがサドを自分の好きなように料理することが可能な作家だと思い、サドが書いていたことを読もうとしません。サドを一度もまじめに読んだことがないサド信奉者は私のことをこう非難するでしょう。「お前はサドをつまらない作家にしようとしている。」 しかしサドをつまらない作家にしたのは二百年のあいだ彼の書いたことをまじめに読もうともしなかった自称信奉者の方なのです。サドは決して啓蒙の世紀の終わりに降ってきた隕石ではありません。むしろ啓蒙の世紀に結論をつけるフランス哲学文学の最高峰なのです。進歩史観にとりつかれている人間は、サドがシュルレアリスムのさきがけであってほしいと思います。しかし実際にはサドを歴史的な文脈のなかにしっかりと位置づけるべきなのです。人間の理性をきわめたサド以降、人間の理性は後戻りをはじめたのです。

サドは先入見を心の底から憎んだ作家でした。それなのにサドに対する先入見に心の底まで染まった人間がサドの理解者を自認し、サドが言ってもいないことを流布させたのです。何という歴史の皮肉でしょうか.............

(管理人注)今年はヘブライの館やロスチャイルド限定で勉強されるといいと思います。

http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/_floorA4F_ha.html

ロスチャイルドに関しては「ロスチャイルドの陰謀」ジョン・コールマン博士(SEIKO SHOBOU)を読まれるといいでしょう。なにせ世界の黒幕中の黒幕なのですからね。これ一冊で十分です。

http://inri.client.jp/hexagon/floorA2F/a2f1401.html

例えばここの「天皇の軍隊」を読んでもその背後に誰がいたのか容易に分かると思います。

http://ameblo.jp/64152966/entry-11381737853.html

http://www.geocities.jp/operaseria_020318/kosumosu/England/WindsorKings.html

サクス=コバーグ=ゴータ朝 (第一次大戦よりウィンザー朝と改名)
エドワード7世(1841.11.9~1910.5.6)(在位:1901~1910)
HM Albert Edward Ⅶ ("Bertie")
父: サクス=コバーグ=ゴータ公子 アルバート(1819.8.26~1861.12.14)
HSH Franz August Karl Albert Emanuel
母: イングランド女王 ヴィクトリア(1819.5.24~1901.1.22)(在位:1837~1901)
HM Queen Alexandorine Victoria
妃: デンマーク王女 アレクサンドラ(1844.12.1~1925.11.20)
HRH Alexandra Carolina Marie Charlotte Louise Julia ("Alix")
第一王子 アルバート・ヴィクター(クラレンス公)(1864.1.8~1892.1.14)
HRH Albert Victor Christian Edward ("Eddy")
第二王子 ジョージ5世(ヨーク公)(1865.6.3~1936.1.20)
HRH George Frederick Ernest Albert ("Georgie")
第一王女 ルイーズ(ファイフ公妃)(1867.2.20~1931.1.4)
HRH Louise Victoria Alexandra Dagmar ("Lulu")
第二王女 ヴィクトリア(1868.7.6~1935.12.3)
HRH Victoria Alexandra Olga Mary
第三王女 モード(ノルウェー王妃)(1869.11.26~1938.11.20)
HRH Maud Charlotte Mary Victoria ("Harry")
第三王子 ジョン(1871.4.6~1871.4.7)
HRH Alexander John Charles Albert
妾: ジェニー(1854.1.9~1921.6.9)
Jeanette Jerome ("Jennie" or Lady Churchill)
妾: ワーウィック伯爵夫人 デイジー(1861.12.10~1938.7.26)
Francess Evelyn Greville "Daisy"
妾: アリス・ケッペル(1869.10.14~1947.11.22)
Alece Frederica Edmonston Keppel "La Favorita"
妾: アグネス
Agnes Keyser
妾: カロリーナ・オテロ(1868.11.4~1965.4.12)
Carolina Otero ("La Belle")
妾: リリー(1853.10.13~1929.2.12)
Emilie Charlotte "Jersery Lily Langtry"
妾: サラ・ベルナール(1844.10.22~1923.3.26)
Sarah Bernhardt

 両親の厳しいしつけ故か、両親からは愚息と呼ばれる問題児だったが、国民的には大衆と触れ合う彼は人気が高かった。
 妃のデンマーク王女アレクサンドラは、ロシア皇后となった妹ダグマールやオーストリア皇后エリーザベト(シシィ)、フランス皇后ウジェニー(ナポレオン3世妃)らとともに、当時指折りの美姫のひとりに数えられていたが、瘰癧にかかった名残で首に醜い手術跡があることを恥じていたという。夫の不倫などが原因で夫婦仲は冷え切っていたが、特に晩年の王の寵姫であったアリス・ケッペルはアレクサンドラ妃を尊重して控えめだったため、彼女に対してはそれほど悪感情は持っていなかったようである。長女ルイーズ出産後に合併症にかかり、足を引きずるようになった。福祉や救貧などに尽力。
 長男アルバート・ヴィクターは肺炎で薨去。のちのロシア皇后アレクサンドラ(皇太子アレクセイらの母)にプロポーズして断られている。彼は切り裂きジャックの正体ではないかと疑われていた。
ジョージ5世(1865.6.3~1936.1.20)(在位:1910~1936)
HM George Ⅴ Frederick Ernest Albert
父: イングランド国王 エドワード7世(1841.11.9~1910.5.6)(在位:1901~1910)
HM Albert Edward Ⅶ ("Bertie")
母: デンマーク王女 アレクサンドラ(1844.12.1~1925.11.20)
HRH Alexandra Carolina Marie Charlotte Louise Julia ("Alix")
妃: テック公女 メアリー(1867.5.26~1953.3.24)
HSH Victoria Mary Augusta Louisa Olga Pauline Claudine Agnes ("May")
第一王子 エドワード8世(ウィンザー公)(1893.6.23~1972.5.28)
HRH Edward Albert Christian George Andrew Patrick David
第二王子 アルバート(ジョージ6世)(1895.12.14~1952.2.6)
HRH Albert Frederick Arthur George ("Bertie")
第一王女 メアリー(ヘアウッド伯爵夫人)(1897.4.25~1965.3.28)
HRH Victoria Alexandra Alice Mary
第三王子 ヘンリー(グロスター公)(1900.3.31~1974.6.10)
HRH Henry William Frederick Albert ("Harry")
第四王子 ジョージ(ケント公)(1902.12.20~1942.8.25)
HRH George Edward Alexander Edmund
第五王子 ジョン(1905.7.12~1919.1.18)
HRH John Charles Francis

 兄王太子が即位前に薨去したため王太子となる。短気でかんしゃく持ちといわれ、幼少期は母の手を焼かせた非常な問題児であったが、第一次世界大戦期の英国をよく領導し、国民からは尊敬された。1921年には昭和天皇(当時皇太子)の訪英を親身に世話した。
 妃メアリーはもとは兄アルバート・ヴィクターの婚約者だったが、彼が急逝したため急遽太子となったジョージと結婚した。肺癌で薨去。我を通す性格で、姑のアレクサンドラ妃との仲は芳しくなかったが、ヴィクトリア女王には気に入られていた。
 長女メアリーはヘアウッド伯爵ヘンリーの妻となった。世間的には親に決められた不幸な結婚と考えられているが、実情はそうでもなかったようだ。兄エドワード8世と仲がよく、ウィンザー公となった彼がエリザベス2世の結婚式に招かれなかったことに抗議して自身も欠席している。
 四男ケント公ジョージは数多くの浮名を流し、アメリカ人女性キキ・プレストンとのあいだには子までもうけたという。1942年、自身の操縦する飛行機が墜落して薨去。
 五男ジョンは自閉症でアスペルガー症候群と診断された。心臓発作で早世。
エドワード8世(1893.6.23~1972.5.28)(在位:1936)
HM Edward Ⅷ Albert Christian George Andrew Patrick David
父: イングランド国王 ジョージ5世(1865.6.3~1936.1.20)(在位:1910~1936)
HM George Ⅴ Frederick Ernest Albert
母: テック公女 メアリー(1867.5.26~1953.3.24)
HSH Victoria Mary Augusta Louisa Olga Pauline Claudine Agnes ("May")
夫人: ウォリス・シンプソン(1896.6.19~1986.4.24)
Bessie Wallis Warfield, Mrs. Simpson

 エドワード(家庭内ではデイヴィッドと呼ばれた)は女性遍歴を重ねた挙句、離婚歴のあるアメリカ人女性ウォリス・シンプソンとの交際を続け、父ジョージ5世は崩御までこのことについて頭を痛めていた。エドワードは独身のまま即位するが、ウォリスとの交際をおおっぴらにして結婚を匂わせるなどしたため、最終的には時の首相に退位を迫られ、ウィンザー公となってウォリスと結婚。”王冠を賭けた恋”として有名になった。
 ちなみにウォリスをエドワードに紹介したのは、当時エドワードの愛人だったファーネス子爵夫人テルマである。
ジョージ6世(1895.12.14~1952.2.6)(在位:1936~1952)
HM Albert Frederick Arthur George Ⅵ
父: イングランド国王 ジョージ5世(1865.6.3~1936.1.20)(在位:1910~1936)
HM George Ⅴ Frederick Ernest Albert
母: テック公女 メアリー(1867.5.26~1953.3.24)
HSH Victoria Mary Augusta Louisa Olga Pauline Claudine Agnes ("May")
妃: ストラスモア伯女 エリザベス(1900.8.4~2002.3.30)
Lady Elizabeth Angela Marguerite Bowes-Lyon
第一王女 エリザベス2世(1926.4.21~)
HRH Elizabeth Alexandra Mary ("Lilibet")
第二王女 マーガレット(1930.8.21~2002.2.9)
HRH Margaret Rose ("Margot")
夫: スノードン伯爵 アンソニー(1930.3.7~)
Antony Charles Robert Armstrong-Jones
長男 デイヴィッド(リンリー子爵)(1961.11.3~)
David Albert Charles
長女 セーラ(1964.5.1~)
Lady Sarah Frances Elizabeth

 病弱ながらも誠実な人柄として知られる。吃音があった。即位名はジョージだが、家庭内ではアルバートと呼ばれ、一般にもアルバート王子として知られていた。兄の退位を受けて即位。次男として身軽な生涯を許されていただけに、この突然の災難に涙したといわれる。
 妃エリザベスには3度求婚し、アルバートの母メアリーが自ら赴いて結婚に心を砕くなどし、やっとで結婚したといわれる。妃は第二次大戦中にバッキンガム宮殿が被災しても動じず、おおらかな人柄で国民的な人気を誇った。100歳を越える長寿を保った。
 ジョージ6世は1952年、肺癌のため崩御。病弱といっても60歳にもならずに亡くなったのは、王位を継がせたウィンザー公夫妻に責があるとして、妃エリザベスは生涯義兄夫妻を許さなかったという。
 第二王女マーガレットは美貌で知られる。1944年に侍従となったピーター・タウンゼント大佐とは長年の恋愛関係にあったが秘匿されていた(詳細を知っていたのは姉エリザベスただひとり)。彼女の恋は姉の戴冠式でメディアに露見したが、政府は王女が大佐と結婚するつもりならば、継承権も王族としての年金も剥奪すると厳しい姿勢を示し、母エリザベスも反対した。結局ふたりは別れを余儀なくされ、1955年に大佐はベルギーへ亡命してしまう。王女は1960年にスノードン伯爵アンソニーと結婚するが、その結婚は不幸だった。夫の浮気に悩み、自身も浮気を繰り返し、離婚に至っている。
エリザベス2世(1926.4.21~)(在位:1952~)
HM Elizabeth Ⅱ Alexandra Mary
父: イングランド国王 ジョージ6世(1895~1952)(在位:1936~1952)
HM Albert Frederick Arthur George Ⅵ
母: ストラスモア伯女 エリザベス(1900.8.4~2002.3.30)
Lady Elizabeth Angela Marguerite Bowes-Lyon
配: ギリシャ王子 フィリップ(エディンバラ公)(1921.6.10~)
HRH Philip
第一王子 チャールズ(ウェールズ公、コーンウォール公、ロスシー公)(1948.11.14~)
HRH Charles Philip Arthur George
妃: スペンサー伯女 ダイアナ(1961.7.1~1997.8.31)
Lady Diana Fraces Spencer
第一王子 ウィリアム(1982.6.21~)
HRH William Arthur Philip Louis ("Wills")
第二王子 ヘンリー(1984.9.15~)
HRH Henry Charles Albert David ("Harry")
妃: カミラ(1947.7.17~)
Camilla Rosemary Parker Bowles
第一王女 アン(1950.8.15~)
HRH Anne Elizabeth Alice Louise
夫: マーク・フィリップス(1948.9.22~)
Mark Anthony Peter Philips
長男 ピーター(1977.11.15~)
Peter Mark Andrew
長女 ザラ(1981.5.15~)
Zara Anne Elizabeth
夫: ティモシー・ローレンス(1955.3.1~)
Timothy James Hamilton Laurence
第二王子 アンドリュー(ヨーク公、インヴァネス伯、キリレー伯)(1960.2.19~)
HRH Andrew Albert Christian Edward
妃: セーラ(1959.10.15~)
Sarah Margaret Farguson
第一王女 ベアトリス(1988.8.8~)
HRH Beatrice Elizabeth Mary
第二王女 ユージェニー(1990.3.23~)
HRH Eugenie Victoria Helena
第三王子 エドワード(ウェセックス伯爵)(1964.3.10~)
HRH Edward Antony Richard Louis
妃: ソフィー(1965.1.20~)
Sophie Helen Rhys-Jones
流産(2001.12.6)
miscarriage
長女 ルイーズ(2003.11.8~)
Lady Louise Alice Elizabeth Mary
長男 ジェームズ(セバン子爵)(2007.12.17~)
Lord James Alexander Philip Theo

 前王ジョージ6世の長女。本来王位には遠いと考えられていたが、伯父の突然の退位によって10歳で王位の法定推定相続人となると、弟の誕生を祈り続けたといわれる。
 王太子である長男チャールズは長年の愛人カミラと結婚したが、前妃ダイアナが死後も絶大な人気を誇っていたため、国民感情に配慮してカミラは王太子妃(プリンセスオブウェールズ)ではなくコーンウォール公爵夫人と称される。
 三男エドワードは父のエディンバラ公を継承予定。彼の子女はHRH(殿下)の敬称を有するが、両親の意向により使用していない。


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