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フリーメーソンとオカルティズム

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年 1月22日(火)16時51分55秒
  通報 返信・引用 編集済
  >ヒラム・アビフとは、伝説上の人物で、ソロモンの神殿を建設した大棟梁である。伝説によると、彼はフリーメーソンの秘儀に通じた奥義伝授者だった..........

聖書のヨハネの黙示録第13章18節には.....賢い人は,獣の数字にどのような意味があるかを考えるが良い。数字は人間を指している(管理人注:とは言い切れない)。そして、数字は六百六十六である。

プロテスタントのある人は666はヒラム(=フリーメーソン)であるといい,ある人はネロ皇帝であるとする。従って次のアップはニュートン極秘文書の獣の数字666の正体とは.......を中心に管理人の見解とも併せて書いてゆこう。

天皇破壊史ダイジェスト

http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/318.html

参考URL.....高利貸ロートシルト その1

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/401.html

参考URL.....高利貸ロートシルト その2

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/402.html


http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/mason/freeocult.htm

フリーメーソンについて

http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/mason/newpage1.htm

フリーメーソンとは何か

http://wave.ap.teacup.com/applet/renaissancejapan/msgcate46/archive

常識としてのオカルト

http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/siryou/sakuinn.htm

大部分のフリーメーソンは、思想を語り合う哲学研究の団体ではなく、上流階級のサロン、社交クラブと言うのが実態であった。また、その活動は、相互扶助の助け合いが主であった。
 したがって、ほとんどのフリーメーソン会員はオカルティズムには関心を持たない者ばかりであった。いや、そもそも関わり合いすら持ちたがらなかった者が殆どだったであろう。
 確かに、ロンドンの大ロッジが設立される前からも、薔薇十字運動の影響を受けて、フリーメーソンに秘教的な香りを期待して近づいた者も少なくなかった。しかし、薔薇十字運動に参加した者の中でも、オカルティストと言える程の人は、実はあまり多くはなかったのである。いいところ、神秘主義思想に心引かれるインテリ、啓蒙思想の支持者と言ったところが関の山であった。
 すなわち、思弁的フリーメーソンの参入者達は、ほとんどが神秘主義にたいしては「ごっこ」以上の関心は持っていなかったのである。

 とは言うものの、オカルティズム思想に本当に興味を持ち、それを学び研究するためにフリーメーソンに近づく者もまた、多くは無いが、確実に存在したのである。

テンプル騎士団

http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/temple/temple.htm

テンプル騎士団とマルタ騎士団

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/349.html

 フリーメーソンのオカルト結社化については、テンプル騎士団が大きく関係している。
 1737年、パリの大ロッジで、「ラムジーの講話」なるものが発表された。この講話を発表したラムジー・アンドリュー・マイケルは、カトリックに改宗したイギリス人で、高位メーソンの法学者であった。そして、フランスにスコットランド式の儀礼を広めた人物でもある。彼は、この講話の中で、こんな説を発表する。
 十字軍の時代、聖地エルサレムを異教徒の手から奪還しようとした騎士達は、国籍や身分と言った壁を乗り越えた「霊的な」統一国家を樹立するために、理想的な友愛団を創設した。そして、「連綿と継承されてきた秘儀と叡智」を民衆の間に広めようとした。しかし、これらの知識が不信心者や異教徒の手に渡らないよう、独自の合言葉やシンボルを用いて、暗喩という形で布教を行っていた。
 一方、聖地から帰還した友愛団に所属する騎士達はヨーロッパの各地にロッジを設立した。フリーメーソンは、こうしたロッジの生き残りである……。
 ラムジーのこの講話は、最初は高級幹部のみに限定して聞かされた。しかし、早くも翌年には小冊子となって一般にも発表された。
 彼は、この講話の中で「テンプル騎士団」と言う言葉は使っていない。
 しかし、仄めかしているのは確かだ。「ほどなくして我々は聖ヨハネ騎士団と併合された」なる遠まわしな歴史的事実が書かれていた。
 また、フランスにはテンプル騎士団の残党がスコットランドに落ち延びたという言い伝えがあった。さらに、どちらも「ソロモンの神殿」と大いに関係がある。フリーメーソンはソロモンの神殿を作った石工の末裔だという伝説もあったし、テンプル騎士団もソロモンの神殿(テンプル)の跡地に幕屋を構えた。こうした偶然が話しに信憑性のようなものを与えてしまった。
 さらに、フランスだけではなく、スコットランド派のメーソンの一部にも、紛らわしい伝説が存在したことも、これに拍車をかけた。例えば、ピエール・ドーモンなるテンプル騎士団の騎士がスコットランドの実践メーソンの創立者である、という説だ。その他にも「異境の地」だの「霊峰ヘレドム」など、メーソンには紛らわしい伝説やシンボルがいくつも存在した。

 そして、フリーメーソンの「ヒラム・ハビフ伝説」が、テンプル騎士団のジャック・ド・モレーの復讐伝説と、重なりあった。
 ヒラム・アビフとは、伝説上の人物で、ソロモンの神殿を建設した大棟梁である。伝説によると、彼はフリーメーソンの秘儀に通じた奥義伝授者だった。ある日、彼の三人の部下が良からぬ考えを起こし、彼を待ち伏せ、秘儀を明かすように脅しをかけた。しかし、ヒラム・アビフは頑として口を割らなかったために殺害される。この三人の下手人は、彼の死体を山に埋め、そこにアカシヤの枝をさしておいた。彼の姿が見えなくなったことに気づいたソロモン王は15人の石工に彼の捜索を命じる。そして、創作中の職人が偶然、アカシヤの枝を手がかりに彼の死体を発見し、それが手がかりとなって下手人の三人は逮捕され、処刑される。
 これは、フリーメーソンの象徴的寓意なのだが、ジャック・ド・モレー伝説は、これの繰り返しではないのか? と言うわけである。

 勿論、これは完全に空想の産物であり、歴史的根拠は全くない。
 そもそも、テンプル騎士団が秘教結社だったということ自体、根拠の無い話しだ。
 それどころか、この騎士団は、「秘密結社」ですら無かった。
 (これらについては別項で詳述する。)
 事実、この講話が発表されてすぐ、スコットランドの大ロッジは「馬鹿馬鹿しい」とのコメントを出したが、この「テンプル騎士団起源説」は、ヨーロッパ大陸で大旋風を引き起こしてしまったのである。

 そしてついに、スコットランド派からも、この説に興味が惹かれる者も現れることになる。
 1754年にボンヌヴィル勲功侯がラムゼーの構想を受け継ぎ「クレルモン参次会」を創設。1760年には、そこからさらに「テンプル厳修派」なる分派が生まれた。
 こうしたテンプル騎士団を標榜する分派が、数多く生まれ出た。しかし、このブームはすぐに沈静化する。こうした分派のメンバー達も、次第にこの説を放棄し、正統派に戻って行った。
 しかし、それでも多くのメーソンがテンプル騎士団に近親感を持っているのは確かだ。何しろ、絶対王政と異端審問所という「共通の敵」を持っているからだ。

 ともかくも、このブームがきっかけとなって、「テンプル騎士団系フリーメーソン」が雨後の筍の如く、ヨーロッパ中に創設される。これらは、錬金術、ヘルメス哲学、占星術、カタリ派の思想、各種キリスト教神秘主義を取り込み、オカルティズム結社化を進めてゆく。
 位階制が量産されるのも、この騎士団系メーソンで、ものによっては100位階を越えるものすらあった。
 こうした思想はテンプラリズムと呼ばれる。
 代表的な団として、「テンプルと聖ヨハネの連合教団」、「テンプルとホスピタルの騎士団」、「王立教団」などがある。これらはいずれもイギリスの団だ。
 フランスにも夥しい数のテンプラリズムの騎士団が創設された。
 その中でも有名なものは、1804年にB・R・ファブレ・パラプラによって設立された「テンプル教団」であろう。この団は、「ラルメニウスの証書」だの「レヂティコン」なる怪しげな証拠と称する古文書や、偽造品の聖遺物を持ち出して、正統なテンプル騎士団の後継団体を名乗った。高位メーソンたちが面白がって参加したために、そこそこの分派にまで成長した。そのうえ、ナポレオンの支援まで受けたこともある。が、創立者のパラプラの権力が、高位メーソンの参加によって失墜し、すぐに衰退した。
 他にも「新テンプル騎士団」、「エルサレム神殿全権軍事騎士団」などがあり、アメリカを中心に現代でも活動している団もある。

 これらの団の設立過程は、ケース・バイ・ケースである。
 思弁的メーソンと何の関係の無いもの、最初は関係無かったが途中から融合したもの、関係の曖昧なもの、設立の認定証を貰いながらも変形したもの……などなどである。

 言うまでもなく、ロンドンの大ロッジことスコットランド派やフランス大東社と言った主流派は、こうした活動を軽蔑するか、無視するか、である。
 そして当然の如く「非正規」のメーソンとされる。
(さらに残念なことにごくごく一部だが破壊的カルト化する集団も現れた。スイスで集団自殺事件を起こした「太陽教団」も、こうしたテンプル騎士団系メーソンの子孫である)

 だが、こうしたテンプル騎士団系メーソンこそが、後の魔術結社の母体となるのである。
 かのOTOが、その一つだ。
 また、母体とはならないまでも、位階制などに大きな影響を与える。
 儀礼に薔薇十字のシンボルを好んで使ったのも、テンプル騎士団系フリーメーソンだ。これは、かの「黄金の夜明け」の遠い先祖と言えなくも無い。


「テンプル騎士団」 レジーヌ・ペルヌー 白水社
「テンプル騎士団の謎」 レジーヌ・ペルヌー 創元社
「秘密結社の辞典」 有澤玲 柏書房

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