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蟻とキリギリス

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年 2月22日(金)16時44分11秒
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  http://kakokijiyou.seesaa.net/archives/200710-1.html

蟻とキリギリスの寓話より~日本人とロシア人の人生観の違い

日本にいるとどうしても理解しにくいが、ロシア人と日本人の根本的な人生観の違いを示す、ひとつの好例がある。私が偶然読んでいた「美学」の本の中にあった非常に凡庸にも思える話に、そのヒントはあった。 世界中でも最もよく知られている童話作家イソップの話に「蟻とキリギリス」がある。ほとんどの方が、ご存知なのではないかと思う。この話など、今更ここに書くまでもないだろうが、一応手短に流しておく。 働き者の蟻と、怠け者のキリギリスがいた。暖かい季節の間、キリギリスはフラフラと遊びまくり、一方の蟻はせっせと働いていた。そのうちに厳しい冬がきて、蓄えのある蟻は助かったが、働かずに怠けていたキリギリスは冬の寒さの中、食べ物が見つからず、蟻に助けを求めるが、断られてしまう。 たしかこんな話であったが、結末には多少パターンもあるようなので、必ずしも、どの国でも同じようにイソップの寓話を解釈しているわけではないのであろう。しかし、日本とロシアでの解釈の違いを見れば、かなり驚かずにはいられないものがある。 たいていの場合、日本では「蟻のようにちゃんと将来のことを考えながら、地道に努力をしておけば、やがて来るべきときが来ても困らない」という教訓を編み出す話として、取り上げられることが通例に思われる。 しかし、ロシアではそれとは正反対というか、まったく異なる解釈を加えているのだ。ロシア人の感覚では、「困っているキリギリスを助けない蟻は悪人」であり、「遊ぶべきときを遊んで、人生を満喫したキリギリス」のどこが悪いのか?むしろ、楽しむべきときを楽しむのは、正しい!むしろ、それを助けないで自分たちだけで結束してしまう蟻の精神というのは、非常に利己主義で冷酷なものだと非難するのである。

これだけを見た人なら、そんなこととロシア人の人生観との繋がりが一体どこにあるのかと思われるであろう。しかし、私の場合、少なくともロシアという社会で何年間か、かなりロシア人側にどっぷり漬かって生活していたお陰で、この話こそ、現代ロシアの社会問題の側面を象徴しているようにも思えてくるのだ。 一般的に、ロシア人を知らない人から見ると、図体が大きくて、いかつい無表情な顔をして、あまり笑いもしない、どこに腹のあるか分からない人々と思っている可能性が強いが、実は彼らは恐ろしいほど感情的で、喜怒哀楽が激しく、議論に熱し、情に流されたりしやすく、おそらく、ヨーロッパ人には有り得ないほど迷信深い人々である。そして、このイソップの寓話のキリギリスの如く、「享楽的人生」を良しとする。 その一例に、離婚率の高さがある。まず、彼らの人生において重要なのは、自分にとってのその場、その場の好悪の感情なので、若いときに情熱的な恋愛に走ったら、そのまま結婚へとゴールインしていく。そして、数年で挫折。あっさり別れる。この場合、大半がそれまでに子供がいれば引き取るのは女性。 そして、懲りもせずに数年後には又、どこかで新しい人を見つけて、さっさと結婚。こういうことを、3回くらい繰り返すのは全然普通で、誰もそれを非難もしないし、むしろ、堂々としたものである。イリーナ・ハカマダという日系ロシア人国会議員だった人などは誇りのように「それぞれ違う夫から三人子供を産んだが、私は好きになった男の子供は産まないではいられない」とテレビで誇らしげに話していたくらいだ。(ちなみに、彼女は非常に知性的で性格も日本の血が混ざっているからか、冷静で客観的な人だ) もちろん、今の日本もだんだん離婚率は高くなっていると思うけれど、関心事の高さから行くと、おそらく「今日の恋愛」も大事とはいえ、年齢とともに「恋愛」よりも「年金」へと重大事が移る人がほとんどではなかろうか?

でも、ロシア人はどちらかというと、いくつになっても、恋愛にたいして見境や分別はなく、情熱があれば、自分が何歳だろうが、相手が何歳だろうが結婚する。ある意味、正直な分、幸せな面もあるが、崩壊したときのこととか、その後の生活がどうなるとか、「将来的計画」を無視して、暴走してしまうところがあって、まさに「キリギリス的人生観」なのだ。 一方の日本人ならば、よっぽどの芸術家だとか、個性的な人は別として、そこまですべてを賭けて恋愛して、「将来的計画」だとか、「蓄え」なんてどうでもいいと言えるのは、何歳くらいまでだろう?(むしろ、日本の場合、打算的な面が働いて結婚へ結びついていくパターンも少なくない)純粋でないといえば、そうも言えるが、社会全体で見ると、皆が「キリギリス」になった社会は明らかに不安定になってしまうというのが、ロシアの例で、残念ながら、日本もそれに近付きつつあると思うときもある。それでも、ロシアほど深刻ではないと思う。 というのは、一時マスコミを騒がせた「マンホールの中に住む子供たち」のほとんどが、そういった若年結婚カップルの親から虐待されて、田舎の町から電車で都会へ逃げてきた子供だというし、全体的な母子家庭の比率の高さは、明らかに社会が安定しない要因のひとつに思われるのだ。 もちろん、蟻が一面で冷酷と言われれば、そうかもしれない。ロシアにいるとき、非常に感じたのが、共産主義的な弾圧政権のもとで、非常に市民の団結意識が高く、顔も知らない人でも、困っている人同士は当然のように「助け合う社会」という面があることだった。 たとえば、女性が重い荷物を持っているとする。すると、全然知らない大きな体格の男性が近付いてきて、何も言わずに、その荷物を階段の下まで降ろしてくれる。あるいは、老女が重い荷物で困っているとき、迷わずに知らない若者に頼んで、途中まで運んでもらう。また、ときには雪道で転んでいる人がいれば、通りかかった人が、無言で腕を引っ張って、助け上げて去っていく。 こういうことが、私の滞在していた頃のモスクワでは当たり前のことだった。また、同じ共産圏の東欧の国々などは、今も市民は貧しいが似たような空気を残していて、なんとなく人々がお互いに困っていれば、助け合い、見返りを求めないところがある。これに関しては、たしかに「蟻社会」だとか、「蟻精神」というのは、非常に狭苦しくて、心も体も窮屈になるような生き方かもしれない。 だから、どっちが素晴らしいということはできないけれど、色んなものの見方があるんだという、反面教師的な感覚を磨く点では、「キリギリス感覚」も我々日本人の中にあってもいいと思うし、おそらく、これから冬の時代が来たときに、「蟻精神」と共に絶対に必要になってくるという気がするのだ・・・ 参考:ウィキペディア「蟻とキリギリス」
連山10/23より抜粋

「蟻精神と共に絶対必要になってくる・・」、つまり両方の精神が必要ということやね! 見返りを求めず助け合い・・というのはたとえば、大地震で避難所暮らしをしたような時は日本人も発揮されたんじゃないかと思う。 つまり、贅沢をしてる時は他人のことなど目に入らなくても、自分が困った時にはじめてそういったことの大切さがわかるんじゃないかという気がする・・・ もっともそれも、現地には物が少なくても、援助物資が必ず入ってくるという安心感があるからかもしれず、ハイパーインフレ、世界大恐慌、食糧不足等がやってきて、そういう保障がない状態ではたして見ず知らずの人たちに対しても貴重な食糧を分けてあげたりできるかどうか? とくにその相手が、後先を考えずこれまで贅沢の限りを尽くしてきたり、また低所得の一般庶民いじめをしてきたような人間だったとしたら、その人間に対しても愛をそそぐことができるかどうか? 私は正直言ってそこまでの自信はないけど、すべての人間にそれができた時、はじめて世界平和が訪れるんやろね!

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