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アイレスター・クローリー

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年 3月11日(月)10時44分17秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/seiyou3.htm

アイレスター・クローリーの履歴書

http://www7.ocn.ne.jp/~elfindog/Crowley.htm

法の書とテレーマ教

 「法の書(LIBER AL vel LEGIS)」とは、クロウリーによって創始された宗教、テレーマ教の聖典である。

 この本は、いわゆる自動書記によってかかれたという。
 発端は、1904年カイロにて、彼の新妻ローズとのハネムーンの時のことである。この大旅行の最中にも、魔術実験を欠かさなかったクロウリーだが、その実験中にローズが突然に神がかり、奇妙なお告げを伝えてきた。
 ローズは魔術やエジプト神話には、まったくの素人だったにも関わらず、ローズは専門用語を口走り、ホルス神の名を口にした。そのお告げによると、「クロウリーはホルス神を怒らせたので、彼を召還して謝るべきだ」という。
 クロウリーは、そのお告げに従い、ホルス神の召還儀式を行ったところ、今度はクロウリーが神がかり、自動書記で1冊の書物を書き上げた。これが「法の書」であるという。
 彼に「法の書」を伝えた存在、それは、ホルス、すなわちホール・パール・クラアトの使者にして、「秘密の首領」の一人にして、クロウリーの聖なる守護天使エイワスであったと言う。

 この「法の書」は、クロウリー自身の注釈と合わせて、国書刊行会より日本語版も出ている。

 さて、この「法の書」の教えとは一体どのようなものなのであろうか?
 「法の書」は、オカルティズムの奥義書の殆どがそうであるように、象徴と寓意の塊で、そのまま読んでみても、意味不明のアホダラ経である。
 クロウリー自身も、解釈は難解であり、「よく理解できない部分もある」と認めてるほどのものなのだ。
 しかし、その思想は、以下のようなものであるという。

・キリスト教に代表される、人間が神に従うだけの「奴隷の宗教」の時代は終わり、人間自身が神と化す宗教の時代が始まる。

・人間は自己に内在する「真の意志」を発見し、それに従って生きなければならない。

 有名な「法の書」の一節、「汝の意志するところをなせ、それが法の全てとならん」は、決して「好き勝手に生きよ」という意味ではない。自分の心の中に隠されている「真の意志」を発見し、それに従って生きる」ということである。
 すなわち、人間の心の中には、誰もが「神性のかけら」を含んでいる。仏教で言うところの「仏性」である。
 しかし、たいていの人間は、この「神性」は、大量の煩悩の奥底に沈み隠れており、それが現れることはない。そこで、修行者は、なんとかしてこの「神性」とコンタクトをとり、それを引き出さなければならない。
 この「神性」とコンタクトし、引き出すことこそ、「守護天使との会話」であり「神との合一」のことなのである。

 すなわち、「真の意志」を発見し、それに従い生きることにより、人間は神と化す。
 そういう宗教こそが、キリスト教のような「奴隷の宗教」と取って代らねばならぬ。
 それが、「法の書」の思想であり、この人間自身を神と化すための新宗教として、「テレーマ教」を創始したわけである。。

 クロウリーは、人間自身が神と化す具体的な手段として、魔術を使おうとした。
 実際、「守護天使との会話」、「神との合一」は、クロウリーに限らず、あらゆる近代魔術の流派が、最終目的に掲げているものだ。
 彼は、黄金の夜明けやOTOの儀式を、彼独自の方法で改造し、独自の技術・教義を作り上げて行くことになるのである。

 この「テレーマ」という言葉は、ギリシャ語で「意志」を意味する。あのフランシス・ラブレーの風刺小説「ガルガンチュア物語」から、拝借したもので、実は「汝の欲することをなせ」という言葉自体、この作品からの引用でもある。
 ラブレーの反キリスト教的な傾向が、クロウリーに影響を与えているのは厳然たる事実であろう。しかし、だからと言って、ラブレーの風刺とクロウリーの思想をイコールで結んではならない。

 さて、クロウリーは、こうしたテレーマ教の魔術的修行を実践する修道院として、イタリアに、かの「テレーマの僧院」を創設する。
 だが、これは悲惨な失敗に終わる。もともと経済的に苦しく運営には無理があったし、衛生状況など環境もかなり悪かったらしい。
 そこへもって弟子が食中毒で倒れてしまう。クロウリーは、彼を医者に見せず、自分で治療しようとするという重大なミスをしでかす。それがため、弟子は死亡する。
 クロウリーは、その弟子を「テレーマ教の尊い殉教者」として、魔術式の葬式を行った。しかし、それが地元のマスコミに煽情的に取り上げられ、またムッソリーニ政権下の締め付けが厳しい状況もあり、イタリア政府から国外退去を命じらた。これによって、テレーマの僧院は閉鎖を余儀なくされるのである。

 しかし、もちろんクロウリーは、テレーマ教の実践と宣教はやめることなく、生涯に渡って続けた。
 そして、それらはOTO各派をはじめ、多くの後継者たちによって引き継がれている。

 しかしながら、この「法の書」は、よく言われる通り、確かに毒を含んでいると思う。
 かのクロウリーへの悪意を含んだ伝記を書いたジョン・サイモンズは、この「法の書」について、「民主主義も無ければキリスト教的慈愛もなく……子供じみた癇癪に満ち溢れている」。
 ヒットラーの思想との類似を指摘する声すらある。
 言われてみれば、その通りだ。
 しかし、そもそも「法の書」を、キリスト教のように神の慈愛を求める宗教の聖典と考えて読むべきものではない。「法の書」において、「神」とは崇めたり、慈愛や救いを求めたりする対象ではないのだ。あくまで、人間が目指す、目標でしかないのだ。
 さらに、神と化すためには、一般的な道徳をも別に置かれる。善悪なども、小癪な人間の浅知恵であり、神と化すことを目指す人間にとっては、さして重要なことではない……。
 もちろん、これは極論だ。
 実際、現代のテレーマ教の後継者達も、こんな考えは持っていない。きちんとした道徳観を持っておられる立派な方々が殆どだ。
 ただ、「法の書」には、そういった毒の部分も、含有していると言えなくもないと、私は思う。
 その上、誤解の種となる記述もおびただしく蒔かれている。
 だから、この本は、初心者が注釈や先達の助言なしに、いきなり読むべきではない、と忠告される。

 この「法の書」の伝授は、先に述べた通り、自動書記によって得られた。1904年4月8日から3日間にかけて行われた。
 クロウリーによると、ペンを取り白紙に向かうと、その「声」は部屋の隅から左肩を越えて聞こえて来たという。
 この書は3章構成からなり、各々66、79、75節からなり、全部で220節から成る。別名を「第220の書」と呼ばれるのは、そのためである。これらの数字には、カバラのゲマトリア的な意味があるという。

 最後に、「法の書」が出版されると、戦争が起こるというジンクスがあるとう噂がある。
 しかし、これは、こじつけだろう。この地球上では、いつでも世界のどこかで、戦争状態になる国が、必ずどこかにあるのだから。

「法の書」 アレイスター・クロウリー 国書刊行会

セトの寺院

 アントン・サンダー・ラヴェイの創始したサタン教会は、アメリカのポップ・カルチャーに影響を及ぼしたことは紛れも無い事実であろう。彼は自分の思想の喧伝にメディアを盛んに利用した。彼がショーマンであったことは事実だが、「単なるショーマン」として片付けてしまうのは、あきらかに不公正であろう。少なくとも彼は、自分の思想に関しては大真面目だった。

 例えば、これはサタン教会オランダ支部で起こった裁判についても見て取れる。サタン教会のオランダ支部は、冒涜的かつポルノ的な儀式を公開して観客から料金を取っていた。当局は、これをポルノ・ショーであるとし、課税の対象にした。しかし、オランダ支部はこれに反発。このショーはあくまで宗教儀式であり、料金は信徒からの寄付であるとした。オランダにおいても宗教法人は課税の対象にならないのである。結局、これは裁判に持ち込まれ、オランダ支部の勝訴に終わった。
 しかし、ラヴェイは、こうしたオランダ支部を批判した。ラヴェイのアメリカ本部は、非課税申請はしておらず、彼の思想では、宗教団体はすべからく税金を納めるべきであるという。
 また、ラヴェイの弟子に、ラリー・レイバーンという占星術師とロナルド・アダムズという技師がいた。彼らはラヴェイの思想に入信しながらも、彼の「サタン教会」には非協力的だった。ラリーは「教会の連中は頭がおかしい、つきあいきれない」と公言。またアダムズに至っては、「教会は狂信的カルト教団だ」と言う。彼らが言うには、悪魔崇拝者には組織など必要ない、というのだ。
 しかし、ラヴェイは、この二人を大いに賞賛する。
「私が欲しいのは、まさにこういう人物なのだ。無能な連中を抱きこまずに、自分ひとりで行動できる人物!!」

 それは政治的にも見て取れる。
 ラヴェイのサタン教会は、保守派からは嫌われたが、極右主義者からは支持を受けた。これは、当時の不良少年達が、ファッションに悪魔主義や極右思想を気取ったことと関係があるのかもしれない。
 極右団体、反ユダヤ主義団体、KKKの一部、ネオナチなどが、ラヴェイに接近した。
 特にネオナチには、悪魔崇拝とナチズムの融合を唱え、OBRなる教団が作られたこともあった。
 ラヴェイは、自分に都合の良い時は、こうした極右主義者達を利用した。しかし、彼はこうした連中と正式に手を組むことは断固拒否していた。
 彼は極右主義者を軽蔑していた。
 勉強も出来ない、スポーツも出来ない、女もつくれない、しかし腕にハーケンクロイツの描かれた腕章を着ければ強くなった気になれる。……極右主義者なんてのは、この程度の知性しかないのだ。
 これが、ラヴェイの言い分だった。

 とまれ、ラヴェイのサタン教会は、夥しい数の分派を生み出した。
 それはサタン教会の正式な下部組織もあったし、同盟関係の組織もあった。ラヴェイの思想を剽窃してるだけの組織もあれば、ラヴェイと反目して出来上がった分派もあった。会員1名の幽霊団体もあれば、数百人規模の団もあった。不良少年のグループもあれば、社会的地位のある者達から成る組織もあった。
 だが、その多くは短命に終わることが多かったようである。
 だが、こうした分派の中でも、特筆すべきものもあり、その代表がマイケル・アキノによって設立された「セトの寺院」であろう。

 マイケル・A・アキノは、軍人である。陸軍情報部において心理戦の専門家であった。それが1968年にラヴェイの講義を聴き、彼の思想に夢中になる。そして、サタン教会に入信した。
 ラヴェイ夫妻は、すぐにアキノの卓越した才能に気づく。
 1970年に、アキノがベトナムでの兵役を終えて帰国すると、ただちに彼を「司祭」に任命した。さらにサタン教会の機関紙「割れた蹄」の編集にも関わらせた。やがて、アキノは、教団ナンバー2の位階が与えられることになる。サタン教会の正式な儀式である、クトゥルー神話の邪神達への儀式も、ラヴェイの依頼によって彼が作ったものである。
 アキノとラヴェイの間に対立が生じ、それが表面化するのは1972年頃のことだ。
 思想的に、アキノは明らかにオカルティストであった。
 しかも、彼は儀式魔術に強い魅力を感じていた。
 それゆえに、無神論を唱え、儀式魔術を「神秘めかしたたわごと」で片付けるラヴェイには、次第に不満が生じるようになる。さらに、ラヴェイが位階の任命権を独占していることにも不満だった。ゆえに秋のはラヴェイを「聖職売買者」と非難することになる。
 一方、ラヴェイもアキノのことを、エゴが強すぎ、必要以上に知的であると批判した。
 結局、アキノはサタン教会から脱退する。
 これは大きな分裂だった。ニューヨーク支部長を始め、幹部クラスの信徒達が、少なからぬ数の弟子達と共にアキノに従ったのである。

 1975年、アキノは「悪魔」を喚起し、これから自分はどう行動すべきか託宣を求めた。
 すると、サタンは、エジプトの悪神セトの姿で出現した。さらに、そのセトが言うには、自分はかのアレイスター・クロウリーの守護天使エイワスと同一の存在であるという。
 そして、そのセトは「セトのアイオーン」の幕開けを宣言した。
 セトは1904年にまずクロウリーの前に出現し「ホルスのアイオーン」を宣言し彼を導いた。さらに1966年にはラヴェイを導き「サタンのアイオーン」を伝えた。そして、3番目の預言者としてアキノを選んだのだという。セトによると、ラヴェイの「サタンのアイオーン」は中間段階に過ぎず、その後の「セトのアイオーン」において、理想世界の完成は成し遂げられるという。
 アキノは、自分はクロウリーと彼の弟子ジャック・パーソンズの後継者であり、クロウリーに続く「第二の獣」であると宣言。セトより、そのためのイニシエーションを受けたと主張した。
 これを契機に彼は、独自の出家パフォーマンスを行う。ラヴェイのように丸刈りにする代わりに、額の中央から両側に髪を剃り、眉毛をそり落とし、666の刺青を入れた。
 そして、「夜に現れしことの書」なる聖典も書き上げる。

 彼の思想は、ラヴェイのそれを基盤にしている。大意においては同じである。
 違うところは、まずサタンではなくセトを受け入れること。
 そして、ラヴェイが「自己中心主義」をモットーにしているのに対し、アキノは「意識の拡大」をモットーにしていることである。このモットーは、「Xeper」という言葉であらわされる。これは「なりつつある」という意味で、意識がより高次の世界へ進化しつつあることを意味する。
 アキノは、人間の知性はセト神より授かったものと考える(ラヴェイは知性は単なる生物進化の産物としか見ていなかった)。セトが人間に知性を与えた理由は、人間が自然を操作し、神のような存在になるためであるという。
 人間は普段は日常に忙殺され、その真の意識は「眠りの状態」にある。そこで、それから脱却し「自意識」を持たねばならない。そのために人間は一時的に「客観的意識」の状態になるが、それを経由して人間は意識の全状態をコントロールできるようになる。その時こそ人間は宇宙の真理を知り、不死身のの超越的存在になれるという。
 アキノは広範囲の読書を進め、知性の重要さを説いた。
 信徒達には魔法名を名乗らせ、それに基づく儀式を行った。儀式の中で信徒達は「客観的・主観的な意識」を共に解放させ、意識を一点に集中させ、物質欲の中に隠れていた真の意識を発見させる。
 信徒は、自分の深層意識の中にある高次の別人格である「カー」を発見し、これと一体化することが求められるのである。
 ともあれ、アキノの「セトの寺院」の最大の特徴は、実践オカルティズムの重視にあるように思う。言ってみれば、ラヴェイの思想・哲学を認めつつ、儀式魔術等の実践オカルティズムの修行を行う。そういった教団とも取れる。
 実際、アキノの技術は、クロウリーの「法の書」やグルジェフの弟子ウスペンスキー等の強い影響下にあるように思われる。

 もう一つ特徴的なのは、アキノはヒットラーの「我が闘争」に惹かれ、ナチス的神秘主義をも教義に取り込んでいることである。彼はいわゆる人種差別主義者ではないが、ナチの大衆支配の理論やナチの一部幹部達が熱中した神秘主義に魅力を感じているらしい。

 1975年に創立された「セトの寺院」は、多くの支持者を集めた。しかし、80年代から衰退が始まる。85年には大きな分裂があり、「ネプシスの寺院」なる分派を生んだ。こちらの教義は「セト」のそれとほぼ同じだが、フェミニズム的傾向が強く、ナチズム的な思想を廃し、ラヴェイの「サタン教会」と同盟関係にある。

 他に興味深い分派としては、ポール・ダグラス・ヴァレンタインの「悪魔解放教会」がある。
 彼は(私は未確認だが)魔女術を15年ほど実践していたらしい。しかし、ラヴェイの「悪魔聖書」との運命的出会いから、悪魔崇拝に改宗した。
 彼の教義は、ラヴェイの強い影響下にある。
 大きな違いは、性魔術を重視し、実践していることであろう。
 また彼は「伝統的な悪魔の虚飾と冒涜」が重要であると説く。そして、ラヴェイが悪魔崇拝を宗教とイコールで結びつけたがらなかったのに対し、彼は「発展性のある宗教である」と明言している。
 さらに、サタン教会では手薄になっている部分を、信徒に提供することを使命にしているという。

 反ラヴェイの立場をはっきりと表明する分派もあった。
 「正統派悪魔教会」は1971年に設立され、最盛期には500人以上の信徒を抱えるまでになった。
 もっとも、この教団はわずか3年で解散する。

 ともあれ、ラヴェイの撒いた「現代のサタニズム」は、多くの分派を生み、アメリカにおける実践オカルティズムに、すくなからぬ影響を与え続けていることは否定できない。
 ラヴェイの思想に儀式魔術を合体させようとしたマイケル・アキノの試みも、こうした興味深い現れの一つであろう。


「黒魔術のアメリカ」 アーサー・ライアンズ 徳間書店
「悪魔教」 ブランチ・バートン 青弓社
「魔術の歴史」 J・B・ラッセル 筑摩書房

ラヴェイ ~20世紀の悪魔崇拝~

 アントン・サンダー・ラヴェイは1932年にシカゴで生まれた。
 彼は、早くからショービジネスの業界に触れ、そうした方面への才能を開花させていた。
 高校生のときにサーカス団に入り、猛獣の調教師となった。そして18歳にはカーニバル業界に入り、読心術を学んだ。彼がオカルトや催眠術に触れたのは、この頃らしい。そして、蒸気オルガン引き、占い師、殺人現場専門の警察のカメラマンを経ながら、20世紀の悪魔崇拝の大家としての道を進んで言った。

 彼が独自の悪魔崇拝の哲学を構築し活動をはじめるのは、1950年代の頃かららしい。
 最初にはっきりさせておくが、彼の崇拝する悪魔とは、世間一般で考えられている悪魔とは、だいぶ異なる。彼の考えるサタンとは、神に謀反を起こして天から堕とされ、セコい復讐にもえるようなケチな存在ではない。
 キリスト教の神話に登場するような悪魔ではない。言ってみれば、キリスト教の神話に登場する悪魔など、教会が布教宣伝のために作り出した道化でしかない。
「みなさん、恐ろしい悪魔から身を守るためにもキリスト教を信じましょう。」
「キリスト教の敵は、邪悪な悪魔にあやつられているのです。」
 こんなものを信じてみたところで、釈迦の掌の上で大立ちまわりを演じている猿と同じだろう、ということだ。
 彼の考える「悪魔」は、そんな存在ではない。

 では、それは何か?
 彼は言う。人間には、新しい神が必用である。それは、教会にあるような無味乾燥な、奴隷が主人に対するような崇拝を要求する神ではない。人間とは切り離すことのできない存在、「神性」を有しながら人間の痛みを知り、人間と共に欲望や苦しみを分かち合い、それでいて人間よりも叡智を持ち強い力を持った神。
 歴史を振り返ると、科学や哲学の進歩をもたらして来た者達は、既存の権威に反逆して来た者たちではないのか? 教会や権力や一般社会に反逆した者たちではないのか?
 人間の心の中には秘められた自由奔放な欲望や強いパワーがある。これを解放す者は、高みから人間を見下ろし家畜や奴隷のように人間を扱う者では断じてない。強い反逆心を持つ人類の同胞でなければならない。
 では、そうした新しい神とは何ぞや?
 「創世記」の時代から、畏怖の念を持って語られてきた謀反と激情の神。人類を誘惑し(=人類に快楽を教えてこれを推奨し)、神の秘密を人間に暴露して迷妄から解放してくれる存在。そう、サタンと呼ばれるものではないのか?
 サタンは、人間に罪を犯して悪に服従するようなことは要求しない。彼の目的とは、神やキリストとは異なる方法での人類の救済である。彼は、人間に自由奔放に生きることを薦め、それによってこそ真の人間理解を得ることができる、という。

 ラヴェイは、いわゆる「霊的」なものには、強い不信感を持っている。
 彼は、儀式魔術なども「神秘めかしたたわごと」、「信心ぶったまやかし」と切って捨てる。
 では、なぜ彼の教団では、黒ミサや黒魔術の呪術を行うのか?
「人間には幻想が必要だからである。」
 それで、かのクトゥルー神話の邪神への祈り、などというものも出てくるわけである。
 彼はある意味、宗教の効能を認め、それを積極的に活用する唯物論者と言うべき側面も持っているように思える。

 彼の哲学は、単純な快楽主義ではない。
 彼の思想は1969年に出された「悪魔聖書」に集約される。
 悪魔崇拝とは宗教というより、人種学である。それはキリスト教とは正反対のものである。すなわち、その実体は「合理主義」と「自己保存主義」であり、本来は世俗的で健全な思想である。単にそれを「宗教」というオブラートで包んでみたものにすぎない。
 この健全な思想が、危険視されるのは、むしろ世間を支配しているキリスト教に代表される思想が、不健全なためである。
 彼の「悪魔聖書」には、9つの声明文がある。
 これを読めば、彼の大まかな価値観が理解できるのではあるまいか?

1.悪魔は節制ではなく放逸を好む。
2.悪魔は幻想ではなく実存である。
3.悪魔は偽善に満ちた自己欺瞞ではなく、優れた叡智である。
4.悪魔は敵を愛するような不合理なことをして愛を浪費しない。愛するに値する者のみに恩恵をもたらす。
5.悪魔は「右の頬をうたれたなら左の頬も向けよ」などと不合理な要求はしない。復讐を要求する。
6.悪魔は責任を負うべきものに対して責任を持つ。
7.悪魔は野獣のごとき人間である。それは、現実にいる動物よりも賢く、時には凶暴になる。高度に発達した精神と知性のために、恐ろしい獣となる。
8.悪魔は、いわゆる「罪」といわれるものを認める。なぜなら、それらの多くは肉体的・精神的な欲求を満たしてくれるものだからである。
9.悪魔はキリスト教においてさえ、人類の親友であった。彼は太古の昔から、ずっとそうであった。

 また、これに対して、ラヴェイは悪魔崇拝者が避けるべき「罪」についても言及する。
 これも9つあり、愚鈍、知ったかぶり、唯我主義、自己欺瞞、集団への同調、見通しの欠如、過去の権威の忘却、非生産的な自尊心、美意識の欠如である、という。

 彼の理想は、まずは快楽の肯定である。快楽主義は、どこも悪くない。欲望を無理に押え付ける節制は自然に反した不合理で偽善的な行為である。
 そして、平等主義のような欺瞞は捨てる。人間を区別し、階層化させる。しかし、その方法はファシズム的な方法では成功しない。あらゆる義務を放棄し、自由な共同体を作ることによって(例えば一夫多妻制を設けるなど)、それは成される。
 そして、弱肉強食のジャングルの掟に従った社会を作る。
 これによって、人間は解放され、進歩する。
 こうした考え方に基き、かれは11から成る悪魔崇拝者が守るべき道徳を挙げる。だいたい、こんな感じである。

1.人から求められない限り、自分の意見を口にするな。
2.聞きたがる人以外には、自分の悩みについて話すな。
3.郷に入らば、郷に従え。さもなくば、その郷から出てゆけ。
4.あなたの郷に入って来たのに、あなたに敬意を示さない客は、遠慮なくぶちのめせ。
5.相手の同意の無いセックスをしてはいけない。
6.自分の物でもない物を奪ってはいけない。さもないと、奪われた人は悲鳴をあげ、助けを求める(そして、結果的にあなたが損をすることになる)。
7.呪術を行って効果があったら、素直にそれを信じること(それが科学的かどうかなど、どうでもよろしい、人間には幻想が必要なのだ)。
8.自分の利益と関係ないものに、文句をつけるな。
9.小さな子供を傷つけてはいけない。
10.人間以外の動物を傷つけてはいけない。ただし、食用にしたり、自分の身を守る等、必用な場合は許される。
11.公共の場で他人に迷惑をかけてはならない。また、迷惑を受けたら注意せよ、聞かないようなら、ぶちのめせ。

 要するにこれは、秩序だった合理的な利己主義、快楽主義とも言える。
 また、彼は「子供を傷つけるな」、「人間以外の動物を傷つけるな」とし、かの有名な「悪魔崇拝者は子供をさらって生け贄にしている」といった都市伝説や悪意に満ちた噂への対抗も忘れない。

 こうなると、当然の疑問も浮かんでくる。
 こうした哲学を実践するのに、なんでわざわざ「悪魔」を引き合いに出すのか。もうちょっと、上品で刺戟の少ない言葉を選べば良いのではないのか?
 彼は答える。
 「悪魔」という名前を使えば精神が高揚する、精神が高揚すれば意欲がわき、自己鍛錬もやりやすくなる。それは、様々な目的を達成するに足る強力な言葉である。もっと簡単に言えば、面白くて発展性があり、そのものずばりの名前だから、我々は「悪魔」という言葉を使うのだ。
 ラヴェイは、ショービジネスの世界に身を置いただけあって、ある種の言葉なりシンボルが、人間の心に揺さぶりをかけ、あるいは魅了し、イデオロギーの原動力となることを知っていたのではあるまいか。
 「悪魔」という、このインパクトのある、様々な意味や、人間の心に大きな影響をあたえ得る言葉を使ったからこそ、彼の哲学が成功したとも言えるのかもしれない。

 彼が、こうした思想を持つに至る一つのきっかけは、警察のカメラマンとして殺人や自殺の現場、そして遺族達の姿を見たことがきっかけだったという。
 遺族達は、涙を流しながらも「これも神の御心です」という。ラヴェイには、それが理解できなかった。こんな惨いことをしておいて、何が神か? どうして、遺族が、そんな神に感謝しなければならないのか?
 彼は1950年代には、既に悪魔主義の思想を構築しつつあった。彼はアレイスター・クロウリーにも強い共感を示し、OTO系の魔術結社に接近したこともあったが、「神との合一」を目指す彼らとは、考え方が合わなかったらしい。
 彼はこのころ、オカルトに興味を示す。超常現象に興味をもち、ポルターガイストの調査なども行った。しかし、かれはここで超常現象というものは、ほとんどが誤認に基づくものだということを思い知らされる。ポルターガイストの正体は、天井裏で風に吹かれるブリキ缶だったりした。
 しかし、同時にラヴェイは、人はそんな客観的真実よりも、もっと別の物を求めていることに気づく。
幽霊の正体は枯れ尾花だった、と説明するとかえって人は落胆するのだ。
 そこで、彼は、自分にポルターガイストの調査を依頼してきた人々を落胆させないために、「大丈夫、悪魔払いをしておきましたから。」と答えるようにした。
 ……人間には幻想が必要なのだ。
 こうして彼は、一種の魔術師として有名になる。
 1955年には警察を退職し、オルガン奏者をしながら、悪魔払いや呪術や占いを請け負う魔術師として活動した。
 それから彼はオルガン奏者を続けながら、魔術を行い、離婚と結婚、子供の誕生を経験し、充実した毎日を過ごす。1965年には、ライオンを飼って調教し、慈善事業にも熱中した。

 彼は1966年に剃髪し、この年をサタン紀元とした。
 こうして彼の「サタン教会」は、創立された。彼は「黒い法王」を名乗り、自分の思想の布教を開始した。
 1967年には、弟子達のために、悪魔崇拝者風の結婚式を行い、マスコミの注目を集める。
 彼はマスコミを大いに利用した。キリスト教に対する冒涜的なパフォーマンスの黒ミサを行い、自分の愛娘への悪魔崇拝式の洗礼式なども公開した。
 おりから、当時のアメリカには、ポップカルチャーとしてのオカルトが大流行していた時期でもある。彼のこうしたパフォーマンスは、大いに受けた。
 そして、多くの芸能人を中心とした著名人達も、彼の思想に共感したり、あるいは単に面白がったりして、彼のサタン教会に入信した。また、ラヴェイと友人関係を結んだ。
 彼はホラー映画「ローズマリーの赤ちゃん」に悪魔役で出演したり、イーグルスのホテル・カリフォルニアのレコード・ジャケット写真に登場するなど、メディアを利用した。
 ショービジネスの経験のある彼らしい布教方法であろう。
 そして、1969年には、彼の哲学思想をまとめた、サタン教会の聖典、「悪魔聖書」を書き上げる。
 他にも「悪魔儀式」や「魔女の書」などの著書もある。

 1960年代の風潮は、彼に対しては、おおむね好意的であった。
 そして、夥しい数の「サタン教会」の分派が現れ、60~70年代のオカルト・ブームの一翼すら担ったのである。
 しかし、この流行は、必ずしも彼の望んでいたものではなかった。
 不良少年達のファッションに利用されるだけならまだしも、哲学も思想も無い自堕落なだけの犯罪者たちが悪魔主義を標榜する。
 かのマンソンの事件のとばっちりも、彼のところへ来た。
 さらに、根も葉もない悪意に満ちたデマも彼を攻撃した。
 80年代を過ぎてアメリカが保守傾向になってゆくと、マスコミも彼を攻撃するようになった。
 彼はサタン教会の規模を縮小させた。
 こうして彼は、自分の哲学への誤解を解こうと尽力しながらも1997年に没した。

 当然、彼の体系は、儀式魔術とも魔女術とも、まったく異なるものである。

 彼の評価は分かれるところであろう。
 私も、彼の思想には、同調できるところは多くは無い。
 しかし、彼を単なるポップ・オカルティズムのショーマンとしてかたずける考え方には賛成できない。ましてや山師扱いは、まったく不当だと思う。
 彼が後世に残した影響は、侮れない力を今も保っている。
 この洗練された20世紀の悪魔崇拝もまた、ひとつのイデオロギーとして考えて行かなければならないであろう。


「悪魔教」 ブランチ・バートン 青弓社
「魔術の歴史」 J・B・ラッセル 筑摩書房
「世界神秘学事典」 荒俣宏 平河出版

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