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死者に護られた霊的空間(結界)東京

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年 3月12日(火)23時20分39秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/321802378.html

2013年02月11日
死者に護られた霊的空間(結界)東京

 「東京(江戸)の結界」とはどういうものか。
 そもそも山手線はなぜ作られたかに関わる。
 詳しくは以下の動画をご覧いただくと、「へえ!?」が連発状態になる。(「山手線がつくられた本当の理由」)
http://www.youtube.com/watch?v=hlPD7_gh7js

 結界とはWikipedia によれば、聖なる領域と俗なる領域を分け、秩序維持のために区域を限ること、とある。どうもそれでは本質に迫っていない。現世に生きている人間を怨霊のパワーから遮断して護る(称する)ためのバリアとでも言うべきだろうか。これは観念論の立場からはバリアはほとんど実体と捉えるが、唯物論では観念と捉えることになる。

 つまり唯物論の立場からは、そんなものは妄想だ、となる。
 しかし、まるで古代の怨霊信仰じゃないかと思える観念が、いまだに日本人の思考をいわば「実行支配」していることを無視して、日本とは何か、日本人とはないかを問うことはできない。

 話を戻すと、山手線の線路が鉄で、鉄は怨霊(平将門)の侵入を防ぐのだそうで、それが「結界」になっているというのだ。ちょっとチャチャを入れれば、鉄道のレールは完全にはつながっておらず、レールのつなぎ目が空いているではないかと言えるが、そういう瑕瑾(?)は考慮しないらしい。

 将門は日本三大怨霊の一つ(他は崇徳天皇、菅原道真)である。将門が敗れて首が京都へ運ばれて五条河原で晒し首にされたが、腐らなかったあげくに3日目に首が飛んで江戸に落ちた。今ではその場所(千代田区大手町1丁目)が首塚となっている。

 将門の守護神が北斗七星(妙見菩薩)だそうで、その北斗七星の形に、江戸のなかに将門にちなむ神社が配置されている。台東区の鳥越神社(将門の手)、千代田区九段の築土神社(将門の足)、新宿区西早稲田にある水稲荷神社、新宿区北新宿の鎧神社(将門の鎧)、中央区日本橋の兜神社(将門の兜)、大手町の首塚(首)、千代田区の神田明神(胴体)の7つ。これを地図に置いてみると、見事に北斗七星の形になっている。

 「江戸の方位線」というサイトの「将門と浅草寺」に詳しい。
http://www012.upp.so-net.ne.jp/houi/edo.htm

 こういう配置にしたのは江戸幕府であった。朝廷の敵であった将門の霊的なパワーを使って、京都の朝廷から江戸を護ろうとした。将門の霊を味方に付けようとした。
 次に将門の怨霊と山手線の関係であるが、これは明治政府の仕掛けである。
 倒幕で天下をとった明治政府は、ふたたび天皇を日本の頂点に戻した。朝廷の敵であった将門の怨念や霊力を恐れ、それを活用しようとしていた江戸幕府の怨念を断とうとした。霊力を封印するために利用したのが、呪術的に大きな力を持つ鉄(レール)だった。

 そこで鉄道(山手線)を江戸の中心を囲うように張り巡らせて、将門の怨霊に対する「結界」としたのであった。山手線の環が将門を祀った7つの神社のつながりを断っている。
 さらには東京のJR中央線もこれは高尾山からほとんど直線で新宿まで伸び、将門の北斗七星の霊力を遮断するように山手環状を貫く。高尾には大正天皇や昭和天皇の武蔵野陵がある。天皇の霊力(の発信地)から将門の怨霊を封じ込めようとしている。
 東京における高尾は、京都における鞍馬山に対応している(相似像)。どちらも修験道の霊場で、天狗でも知られる。

 この説はそもそも加門七海氏が発見し、『平将門魔方陣』で説かれたものだ。

 当然に京都にも結界は張られている。
 http://homepage2.nifty.com/toshi_nk/kyoto/heiankyo.html
 大阪にも同じように結界が存在する(生國魂(いくたま)神社、大阪四天王寺、大阪天満宮)。名古屋や福岡、広島にもある。
 日本のあらゆる都市にこうした結界が結ばれているのであろう。

 江戸の話に戻すと、こうした怪力乱心は将門伝説ばかりではない。
 江戸時代には将門を倒した側の武将の霊力が利用されていたようで、江戸の三森と言われた柳森神社、椙山神社、烏森神社は江戸城の鬼門除けだそうだ。
 上野寛永寺が江戸城北東の鬼門除けで、日光東照宮も江戸城の真北にあることは有名である。

 次にネットで「平将門魔方陣と明治政府魔方陣が交錯する都市・東京」を見ると、将門の結界の解説のほかに、明治政府がとった結界がどのようなものだったかを述べている。
http://www.ippongi.com/2009/04/03/平将門魔方陣と明治政府魔方陣が交錯する都市・/
  *         *

 明治政府魔方陣のそれぞれのポイントは以下だ。
9)靖国神社・・・国のために戦死した人々を顕彰
10)谷中霊園・・・明治6年に出来た神式公共霊園
11)雑司ヶ谷霊園・明治6年に出来た神式公共霊園
12)築地本願寺・・江戸最大の庶民の墓所
13)青山霊園・・・明治6年に出来た神式公共霊園
10~13の霊園は正確な長方形、
そしてその対角線の交点に靖国神社(9)、これが明治政府魔方陣である。

 この明治政府のレイラインを将門の北斗七星を重ねてみると、七星のレイラインがズタズタに切られているのがわかる。
 明治政府は、東京の守護を将門の霊力ではなく、新政府のために亡くなった人々の霊によって行おうとしたのだ。
 しかし、明治政府が結んだ結界は大正大震災によって、築地本願寺墓所が和田堀廟所(元陸軍弾薬庫)に移転してしまうことによって破れてしまう。そして、この破れた結界の方向から来たB29によって東京大空襲が決行されてしまうのであった。
   *      *

 B29はともかく、この指摘は正しいと思われる。明治政府は江戸幕府の軍を殺戮して権力を奪ったのであるから、その非業の死を遂げた幕府側の将兵たちの怨霊の祟りが怖かったはずである。だから靖国神社(招魂社)を建てた。
 靖国神社の鳥居は神田明神(将門)の真正面を向いている事、冬至の太陽が沈む方向に江戸の浅草寺を見る場所にあるという事、そしてその真反対の方向に明治神宮があるという事も、まさに結界という考え方で成り立っている。

 以前、拙ブログで能とは何かを述べたが、端的に言えば、能こそは非業の死を遂げた武将の怨霊を慰め、決して祟らぬようにしるための重要な儀式だったのである。

 日本人には先祖からのこの観念が、いまだ去りがてにたゆたっているのである。だから、明治政府は死者に護られた霊的空間東京を作ろうとしたのである。その考え方が今はなくなったと考えるのは早計ではないか。

 もしかすると、あの地下鉄サリン事件も、こういう魔方陣(結界)を破る目的で、池袋、中目黒、荻窪、我孫子、北千住から東京の中心に侵入しようとしていたのかもしれない。いきなり霞ヶ関にクルマで乗り付けてサリンを撒いても良かったのに、いずれも地下鉄の始発駅から乗り込んで霞ヶ関に「侵入」している。
 もしそうだとすると、サリンを撒くこと自体はさして重要な目的ではなく、要は死者を出して「穢れ」させて東京の結界を引き裂くことが主眼だったのかもしれない。
 ならばいったいオウムとはいかなる勢力だったのか…。

 さらに「東京は死者に守られている霊的要塞都市である」というサイトの記事も興味がある方は覗いてみるとよいと思う。
http://www.ippongi.com/2009/02/19/test/

posted by 心に青雲 at 07:22

この記事へのコメント

神戸にも魔方陣がないかと研究した人がありますが、結論から言うと、平清盛が兵庫津を中心に、いくつかの神社を配置した程度で、魔方陣と言えるほどのものはないという結論になりました。

後背地に、比叡山に匹敵するような山伏の山があるのですが、空海や最澄に匹敵する行者を産まなかったため、今では、忘れ去られています。

そこに、日吉山権現にみたてて裏鬼門を守らせたのですが、結局、そこから義経に破られていますから、法力がなかったんでしょうね。

よくも悪くも神戸市の軽さは、こういうおどろどろしい念力が伏せこまれていない、ないし、それに失敗したことにあるようです。
Posted by 神戸だいすき at 2013年02月11日 22:35

http://www.ippongi.com/2009/02/19/test/

徳川家康が幕府を開き、江戸の町を作ったときに、風水的な備えをした事はよく知られている。
例えば、日光東照宮を江戸城の真北に、鬼門(東北)に東叡山・寛永寺を置いた。

それから、約260年後、大政が奉還されて、江戸城は官軍に明け渡され、明治時代が始まった。
明治政府は幕府とは違う霊的防御をしようとした。
その中心的施設として、新政府のために命を落とした霊を顕彰するために、1869年に東京招魂社を創ったのである。
東京招魂社は最初、上野の山に建設するという案もあったようだが(木戸孝允案)、上野は彰義隊の血が流れた生々しい土地という事で、結局は大村益次郎案が採用され、九段になったという。
これが、後の靖国神社である。
この靖国神社の鳥居が神田明神の真正面を向いている事、冬至の太陽が沈む方向に江戸の浅草寺を見る場所にあるという事、そしてその真反対の方向に明治神宮があるという事の意味は、神社の系譜 なぜそこにあるのか (光文社新書)に詳しいが、僕は、霊的都市東京は、それだけで完成したわけではなかったと思っている。

明治政府は、1869年に東京招魂社が建立されてからの5年後の1874年に谷中霊園、青山霊園、雑司が谷霊園を創っているのだ。
実は、この三霊園に築地本願寺[1]を加えた4つの墓所を線で結ぶと正確に長方形になる。
そして、その長方形の中心に靖国神社がある。
これは単なる偶然であろうか。

さらに、その後、1923年に多磨霊園を増設。この霊園は、靖国神社のほぼ真西に存在している。(これで、明治維新から戦前に作られた都内の大霊園がすべて意味ありげな配置にあることがわかる。)
また、染井霊園は江戸時代から続いている墓地であるが、靖国神社のほぼ北に、両国の回向院はほぼ東に位置している。[2]

上記のように見てみると、靖国神社が、絶妙な位置にあることに改めて驚愕する。
それぞれの墓地に眠る有名人の一部を以下に上げてみよう。

築地本願寺  佐藤栄作、樋口一葉、服部良一、海音寺潮五郎...
染井霊園   若槻礼次郎、幣原喜重郎、岡倉天心、高村光雲...
雑司が谷霊園 小泉八雲、夏目漱石、東條英機、永井荷風...
青山霊園   吉田茂、大久保利通、池田勇人、志賀直哉...
多磨霊園   東郷平八郎、高橋是清、三島由紀夫、岡本太郎...

明治政府は、死者達に守られた霊的空間東京を作ろうとしたのである。東京は、外部からの邪悪な霊を死者の力によって防御しようとした極めて強固な霊的要塞に守られていると言うべきなのだ。[3]そして、もしそうであるとするならば、安易に靖国神社を廃社したり、国立慰霊施設を別の場所に設立するなどということは慎重にすべきかもしれない。
今後、考察を続けたいテーマである。

[1]ただし、築地本願寺の墓地は関東大震災を契機として1934年に和田堀廟所が作られ、多くの墓が築地から移築されている。
[2]したがって、両国国技館も靖国神社のほぼ真西に位置する。ちなみに、靖国神社の真南には国会議事堂と東京タワーもある。
[3]また、最近の都市伝説として、東京を一周する山手線の東北-西南にそれぞれ位置する、上野と渋谷にある、西郷像とハチ公像の犬が東京を守るための狛犬との説もあって興味深い。(なおすけの都市伝説)より

まさむね

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