teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


スレッド一覧

  1. 11(0)
  2. ハーゲンダッツの苦味成分と健康被害(0)
  3. 株暴落を手招きする投資家を絶対許してはいけない!(0)
スレッド一覧(全3)  他のスレッドを探す  スレッド作成

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:2105/3548 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

主の教義と生活の教義

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年 3月15日(金)10時00分0秒
  通報 返信・引用 編集済
  スウェデン・ボルグが説く「善と悪の役割」
はじめに

http://mujaki666.seesaa.net/category/6889291-1.html

しかしネット言論弾圧法案はまずい情勢である。
インターネット思想警察である。

まさしく人類滅亡の時期である。

キリスト教の中で
黙示録がある。

そこにかいてあるのは
解明されている。

そしてその言葉の意味が
きちんと一般に広く広まる。

すると、イエスキリストがどこかに出現するのではなく、
この「聖書の言葉の内意が正確に理解されたとき」
それが「再臨」の意味であるとスウェーデンボルグは
述べている。 ジャア~~ン!!


http://wwwd.pikara.ne.jp/swedenborg/Lord1.html

『神の愛と知恵』を出した1763年、スウェーデンボルグは、また、
四つのテーマを取り上げ、それぞれについての「新エルサレムの教
義」を書き著しました。「新エルサレム」とは、キリスト教が改革
され主によって新たにつくられる「新教会」のことです。スウェー
デンボルグは普遍的な意味で使っているので「新時代」と言い換え
てもよいと思います。また、四つのテーマとは「主」「聖書」「生
活」「信仰」です。

 まず、『主の教義』から見ていきましょう。問題はいわゆる三位
一体説に集約されるように思われますので、以下で、『主の教義』
からトリニティについて論じている一節を抜粋してみます。トリニ
ティは三位一体と訳されますが、スウェーデンボルグによれば、三
つの位格(人格)という考え方そのものがおかしいということにな
るので、Trinitas(英:Trinity)は三一性、 Trinum(英:Trine)は
三性と訳すことにします。なお、スウェーデンボルグは信仰義認説
をとりません。おかげによってキリストの義が人間に転嫁されるこ
とはないといいます。ただし主がこの世に来られなければ人類が滅
んだことは確かであるといいます。主が来られたのは地獄を征服し、
人間性を栄化されるためでした。

『主の教義』からの抜粋

アタナシウス信条について

58 この信条(アタナシウス信条)は、複数人格の三一性(Trinitas
Personarum)のかわりに単一人格の三一性(Trinitas Personae)と理
解するなら、ことばの表現に関するかぎりすべて真理である。これを
書きなおすと次のようになるであろう。

 救いを望むものは次のキリスト教の信仰を守らなくてはならない。
そのキリスト教の信仰とは次のとおりである。われわれは三一性にお
ける唯一神、単一体における三一性をあがめる。人格の三性と混合す
ることなく、本質を分割することもない。単一の人格の三性は、いわ
ゆる父、子、聖霊である。父、子、聖霊の神性は同一であり、その栄
光と威光は同等である。父の性格は、子にもあり、聖霊にもある。父
は創造されず、子も創造されず、聖霊も創造されない。父は無限であ
り、子も無限であり、聖霊も無限である。しかし無限の三者、創造さ
れない三者があるわけではなく、無限の一者、創造されない一者があ
るのみである。同様に、父が全能であるように、子も全能であり、聖
霊も全能であるが、全能の三者があるわけではなく、全能の一者があ
るのみである。父は神であり、子は神であり、そして聖霊も神である。
しかし三者の神があるのではなく、一者の神があるのみである。同様
に、父は主であり、子は主であり、聖霊も主である。しかし三者の主
があるのではなく、一者の主があるのみである。

 キリスト教の真理によって、われわれは神であり主である一人格に
おける三性を認めるように、キリスト教の信仰によって、われわれは
一者の神、一者の主を語ることができる。父はなにものからもつくら
れず、創造されることも生まれることもなかった。子はただ父にのみ
由来し、つくられることも創造されることもないが、生まれたのであ
る。聖霊は父と子とに由来し、つくられることも創造されることも、
生まれることもないが、発出する。

 かくして、三者の父ではなく一者の父、三者の子ではなく一者の子、
三者の聖霊ではなく一者の聖霊が存在する。この三一性においては、
最大最小はなく、すべてが同等である。それゆえ上述のとおり、三一
性における単一性、単一性における三一性があがめられるべきである。

 本書はVitaについての教義です。Vitaは英語ではLifeですが、日本
語では生命とも生活とも訳せます。本書の出だしは「だれでも良い
Vita(Life)を送るなら・・・」となっているので、ここでは生活と訳
します。



あらゆる宗教は生活にかかわる。そして宗教的生活は善をなす
ことである

1 宗教をもつ人ならだれでも、良い生活を送れば救われ、悪い生
活を送れば罰せられることを知り、認めている。なぜなら、正しく
生活する者は、神についてのみならず隣人についても正しく考える
が、悪い生活を送る者はそうではないことを知り、認めているから
である。人の生活はその人の愛である。人は愛することを自発的に
するだけでなく、自発的に考える。したがって、なぜ宗教的生活は
善をなすことかといえば、良い行いは良い考えと結びついているか
らである。そしてそれらが一人の人間の中で一致して働かなければ、
それらは人の生活にかかわらないからである。



だれでも悪を避けるに応じて、善を行う

21 これらから明らかなように、人が悪を避けるに応じて、人は主
とともにおり、主の中にいる。そして人が主の中にいるに応じて、
自分自身からではなく、主から善をおこなう。ここから次の一般的
法則がでてくる。だれでも悪を避けるに応じて、善を行う。

22 しかしふたつのことが必要である。第一に、人は悪が罪である
から、つまり地獄的で悪魔的であるから、主と主の法則に反するか
らという理由で、悪を避けなければならない。第二に、人はあたか
も自分から行うように、悪を罪として避けなければならない。しか
し、人はそれを主からしているということを知り、信じなくてはな
らない。

http://

 
 
》記事一覧表示

新着順:2105/3548 《前のページ | 次のページ》
/3548