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老子・道徳経 その3

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年 3月16日(土)23時30分49秒
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  http://www.ginzado.ne.jp/~okoshi/rousi.html

第三十二章

「道」は実在的であるが名がない。

もともと区別がなく目にみえないものである。

けれども、天下にそれを支配できるものは何もない。

もしも統治者や君主がそれにとどまれば、天下の万物は当然、彼らに従うだろう。

そして、天と地は統一され、平和の露を降らせるだろう。

命令されなくとも、人々は自ら調和するだろう。

区別が始まると名前ができる。

名前ができるとどこにとどまるかを知るべきである。

とどまるところを知れば、決して消耗されない。

世の中で「道」にとどまるということは、河や海に注ぐ谷川と同じである。



第三十三章

他人を知るものが智のある人であり、自己を知るものが目覚めた人である。

他人を負かすには力がいる。

満足することが富んでいることであって、

力をもって行うものが大志を抱くことになる。

源を保持するものが永続し、死んでも失っていないものが永遠に生きるのである。



第三十四章

大いなる「道」はすべて普及する。

そして、あちらへ、こちらへと行く。

万物はそこにとどまり、成長する。

そして、そこから閉め出されるものは何もない。

仕事を完成しても功績を求めない。

万物を養っても支配することはない。

意図をもたないから小さなものと呼ばれ、

万物がそれに向かっていても、それらを所有しないから、

大いなるものと呼ばれる。

だから、賢人は偉大になろうとしない。

ここから、その偉大さが達成されるのである。



第三十五章

大いなる象をつかんで天下を扱うと、どこに行っても何の害にもあわない。

天下を穏やかに、静かに、そして平和にするのである。

音楽やおいしい匂いは通行人を魅惑し、しばらく立ちどまらせる。

「道」の味は淡泊で味がない。

それを見ようとしてもよく見えず、それを聞こうとしてもよく聞こえない。

だが、それは用いても使い尽くせないものである。



第三十六章

凝縮しようと思えば、まず分散しておかなければならない。

気を弱めようと思えば、まず強めておかなければならない。

衰えさせようと思えば、まず勢いよくさせておかなければならない。

獲得しようを思えば、まず与えておかなければらならい。

これは見えない光と呼ばれる。

柔らかいものは剛いものに勝ち、弱いものは強いものに勝つ。

魚が池の深いところにいるように、

国家最高の武器は見えないようにしておくのがよい。



第三十七章

「道」は実在し、何事もしない。

だが、それによって為されるということはない。

もし統治者がそこにとどまるならば、あるゆるものは自然に変わるだろう。

もし変わる過程で意図があらわあれるならば、

名前のないもともとの非区別によって抑制するべきである。

名前のないもともとの非区別を経験すれば、意図のない状態があらわれる。

意図がなくなれば静かになり、天下は自然に安らかになるであろう。



第三十八章

徳の高い人は徳を自慢しない。

だから、徳がある。

低い徳の人は徳にこだわる。

だから、徳がない。

高い徳の人は何の行動もしないが、何事も為されなかったということはない。

低い徳の人は行動するが、故意になされる。

高い仁愛の人は行動するが、動機をもってするのではない。

高い道義の人は行動するが、動機をもってするのである。

最も礼儀のある人は行動するが、誰もそれに従わず、

それで、袖をまくり、相手を引っぱろうとする。

だから、「道」が失われると徳がそこにあり、

徳が失われると、仁愛がそこにある。

仁愛が失われたのちに道義がきて、道義が失われたのちに礼儀がくる。

礼儀は信義を欠くことで、無秩序の第一歩となる。

予期された知識は「道」の外見であり、愚行の始まりである。

ここから、偉大な人は真実を選びとり、外見をとらないのである。

彼は真実によって行動し、外見によっては行動しない。

このように、彼は「道」のはたらきに従い、外見を見合わせるのである。



第三十九章

昔、「一」を得たものがいた。

「一」を得て、天は清らかに、

「一」を得て、地は穏やかになった。

「一」を得て、神は霊的になった。

「一」を得て、海は充満している。

「一」を得て、万物は生きかえった。

「一」を得て、統治者は天下の模範となった。

これらすべては、「一」によってこうなったのである。

清らかでなければ、天は裂かれるだろうし、

穏やかでなければ、地は揺れるだろう。

霊的でなければ、神は砕けてしまい、

充満してなければ、海は干上がってしまうだろう。

生きかえることがなければ、万物は消滅するだろうし、

天下の模範でなければ、統治者はつまずいてしまうだろう。

だから、価値なきものは価値あるものの基礎として役立ち、

劣っているものは優れているものの基礎として役立つ。

このように、統治者は自らを長所のない、

価値のない、孤立した者を呼ぶのである。

これは価値なきものが価値あるものの基礎として役立つことを証明しているのではないだろうか。

だから、最高の名誉はほめられないことである。

統治者は優美な翡翠のようの尊ばれることを望まない。

彼らは平たくて堅い岩石のようである。



第四十章

あともどりするのが「道」の動きかたである。

たわみやすいのが「道」のはたらきである。

天下のあらゆるものは有から生まれる。

有は無から生まれる。



第四十一章

優れた才能をもってる人が「道」に耳をかたむけたとき、熱心にそれを行う。

普通の人が「道」に耳をかたむけたとき、それを信じるように見えるが信じていない。

最も劣った人が「道」に耳をかたむけたとき、大声で笑う。

笑わなかったら、それは「道」でないかもしれない。

だから、「建言」にある。

理解しないように「道」を理解せよ。

そこから出てくるように「道」の中に入れ。

困難があるかのようになめらかに「道」とともに動け。

最高の徳は、徳でないかのようである。

すべてを包む徳は、徳を欠いているかのようである。

厳しい徳は怠けたぶらつきのようである。

真の本質は空であるかのようである。

大いなる白は黒であるかのようである。

大いなる方形には隅がない。

大いなる容器はできあがるのがおそい。

大いなる音楽は音がない。

大いなる象は形がない。

「道」は隠れたもので、名前がない。

しかし、「道」はあるゆるものに援助を与え、成しとげるようさせるものである。



第四十二章

「道」から「一」が生み出される。

「一」から二つのものが生まれ、二つから三つのものが生まれ、

三つから万物が生み出される。

これらすべては肯定と否定の統一によって調和し、

あらゆるものによって包まれる。

長所もなく、価値もなく、孤立したものを誰れも好まない。

ところが、統治者はそれらのことばを自称して使っている。

このように、ものは価値を減らすことによって、かえって価値をふやし、

価値をふやすことによって、かえって価値を減らすのである。

昔の日とはこれを教えている。

「凶暴な人は凶暴さによって自分野人生を終える。」

これが基本的な標語である。



第四十三章

世の中で最もしなやかなものは、世の中の最も堅いものを貫通する。

無はすきまのないところに入りこむ。

ここで私は、行動のない行動の価値を知り、言葉のない教えの価値を知る。

行動のない行動の価値に匹敵できるものは世の中に何もない。



第四十四章

名誉と身体、どちらが切実であるか。

身体と財産、どちらに多くの価値があるか。

成功と失敗、どちらに大きな害悪があるか。

あまりに大事にすると費やすものが多く、

多く貯めれば貯めるほど失うものは多い。

満足すべきことを知れば恥をかかず、

正しい時にとどまることを知れば危険に出会わない。

こうすれば、いつまでも持ちこたえられるのである。



第四十五章

最も完成したものに達すると、何も完成していないようである。

それを用いてもつきることはない。

最も充満したものに達すると、まだ空虚のようである。

それをもちいても限りがない。

このように、完全にまっすぐなものものは曲がっているかのようである。

最も技量のあるものはくだらないかのようである。

最も雄弁な人は口がきけないかのようである。

こうして、静けさは動きにまさる。

寒さは暑さにまさる。

静けさは天下の模範となる。



第四十六章

天下が「道」によって治められるとき、馬は畑を耕すのに使われる。

天下が「道」によって治められないとき、馬や武器は辺境のそばにまで増殖する。欲望の罪より大きい罪はない。

満足するのを知らないほど大きな災いはない。

征服することよりも大きな誤りはない。

だから、足りたと思うことで満足できれば、いつでも充分なのである。



第四十七章

戸口から出ないで、天下のことを知る。

じっと外を見ないで、天の道のすべてを知る。

遠くへ行けば行くほど、知ることはいっそう少なくなる。

だから、賢人は出かけないで、あらゆるものを知る。

見ないでも、あらゆるものを確認し、

行動しないでも、あらゆることを成しとげる。



第四十八章

学問をするとき、日ごとに蓄積していく。

「道」を行うとき、日ごとに減らしていく。

減らしたうえにまた減らすことによって、何もしないところにゆきつき、

そして、すべてのことがなされるのだ。

だから、無為によって、しばしば天下を勝ち取る。

行動するようでは、天下は勝ち取れないのだ。



第四十九章

賢人には定まった心はない。

だが、人々の心をその心とする。

彼は善であるものを善とするが、善でないものも善と考える。

このようにして、区別のないものに達する。

彼は真なるものを真とするが、真でないものも真と考える。

このようにして、区別のないものに達する。

天下の賢人は良心的に人々の心を区別のないものにする。

人々は見たり聞いたりする感覚をあてにするから、

賢人は彼らを赤子のように扱う。



第五十章

生きのびる道と死にいく道がある。

十人のうち三人が生きのび、十人のうち三人が死んでしまう。

さらに十人のうち三人が生命に執着するが、しかし、彼らもそれを失ってしまう。

何故かといえば、生命を豊かにしすぎるからである。

自分の生命を守るにすぐれた者は、虎や犀に出会うことがない。

戦場においても、危険な武器を身につけない。

犀も彼を突き刺すことはできないし、虎も爪でひっかくことができない。

武器も彼を傷つけることはできない。

何故かといえば、彼に死という場所がないからである。



第五十一章

「道」はすべてのものを生み出し、「徳」がそれらを養う。

ものはそれぞれの性質によって形づくられ、関係ある状態がそれらを満たす。

だから、あらゆるものはすべて「道」を敬い、「徳」を尊ぶ。

「道」が敬われ、「徳」が自然に尊ばれるのは、

誰かが命令するのではなく、自然にそうなるからである。

このように、「道」はすべてを生み出し、「徳」はそれらを養う。

それらを生み出し、育て、形を与え、特性を与え、かばい、守る。

それらを生み出しても、所有することはない。

はたらかせても、報いを期待せず、成熟しても、管理することをしない。

これは見えない「徳」と呼ばれる。

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