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放蕩息子の帰宅

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年 3月19日(火)10時03分44秒
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  http://homepage2.nifty.com/pietro/arte.html

レンブラント Rembrandtオランダ(1606-69)

「放蕩息子の帰宅」

 レンブラントはルーベンスやベラスケスと並ぶ17世紀を代表する画家である。バロック(1600-1750)を飾る芸術家たちである。レンブラントはオランダのライデンで生まれ、アムステルダムに移り、肖像画家として名声を得た。色調と明暗の配合にすぐれた手法を示した。特に照明によるスポットを当てたような光線は、立体的で遠近法の効果を生み出している。レンブラントは作品によって全く違った表現法を用いることもあって、たいへん多様な個性をもっている画家である。題材も肖像画(一人から群像)、風景や聖書の題材などその範囲は広い。油絵、素描、エッチングを残す。

 さて、この絵の題材は新約聖書「ルカによる福音書15・11-32」に記載されているイエスの話したたとえ話である。それは、2人の息子をもつ人が、その弟の希望通り、財産を分与する。弟は家を出て放蕩の限りをつくし、すべてを失ってしまう。さらにその地方にひどい飢饉が起こり、食べるもにも困った。ある人に身を寄せて豚の世話係になったが、食べ物も与えられなかった。苦しさの余り、父の家に帰ってゆるしを請おうと考え、父のもとに帰ってきた。父親は彼を待ちかまえたように抱擁してゆるし、大歓迎をする。これを見た父に忠実に仕えてきた兄は怒る。父の弟に対する自分も受けたことがない法外な寛大ぶりと、愛をうらやんだからである。それに対して、父は私のすべての財産はおまえのものだ。それでよいではないか。こうして帰って来た者を私はあたたかく迎えたいというのであった。

 何ごともゆるす寛大な神の愛を示す物語として解釈される。筆者として興味があるのは、兄についての記述である。やや分が悪く表されているが、彼の言い分も当然である。しかし、ただ自己的視野で不満を述べたことには問題はありと言えまいか。そのようなことがなければ、はるかに立派な人間であることには違いないのに。人のことを自分の立場と比べてうらやんだり、嫉妬することはしばしば無益であるからだ。人間の価値はこのような些細なことと思われがちなことで決まることがあるように思う。これもこのたとえ話に含まれる一つのメッセージかもしれない。

 もう一つ、すべてをゆされる神の愛は、昨今目にする法的・社会的犯罪はすべて許されるのか?? その当事者は法に基づいて先ず裁かれ、その責任を負うことが必須であろう。すべてを果たしたその後は許される。刑罰を受け、その義務を果たし、回心したとしても、被害者やその関係者には許せないかも。その時は神は許せとおっしゃるだろう。

 この絵の表現は左に父とその帰宅した息子、中央にソフトフォ-カスに描かれている2人、立っているのが母であろうか。じっと帰ってきた者を注視している。座って帽子を被っているのが兄であろうか。驚きの目をもっている。右に描かれている年配の男性はこの家の重要人物、執事かもしれないし、兄とも見える。あわれみの目で見つめている。この人が兄だとすれば座っている人がこの家の使用人の一人かも。レンブラントの光線は父の顔と帰宅した弟の背中、そして右側の人物の顔に強く当てられている。中央の2人には弱い光線が当たっている。イエスのこのたとえ話のすべてを深層的に包含した絵となっている。レンブラント最晩年の作品の一つである。


1669年頃制作、ロシア、ザンクト・ペテルブルグ、エルミタージュ美術館所蔵

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