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伽耶は日本人のルーツか

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年 3月22日(金)21時06分33秒
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本日は、「伽耶は日本のルーツ」(澤田洋太郎著 93年)のご紹介をします。

著者は、この書にて、日本人および天皇家のルーツについて、大胆ではあるがうなずける仮説を展開されています。

まず、日本人の原郷を伽耶地方つまり、朝鮮半島の南端、慶尚南道のあたり、古代に任那とか弁韓と呼ばれていた地域としています。

論拠は、つぎのとおりです。
伽耶地方と北九州地方の、弥生時代と同時代の遺跡や発掘品の比較によって 双方非常によく似ていて、若干、北九州の方が新しいということ。

・環濠集落や銅剣、鏡、管玉の意匠が、そっくりであること。
・双方で、そっくりの馬よろいが発見され、騎馬民族系譜であること。
・墓制がそっくりで、石槨はあるが、棺はないという騎馬民族の特徴がある。
  ・この騎馬民族的特長は、百済や新羅にはありません。

つぎに、天皇家の由来、系譜についての説をご紹介いたします。

①1世紀に北九州は、百余国に分かれていたわけですが、これは、伽耶地方の 諸国の王族が、伽耶の海岸線で活躍していた倭人(海人族)に助けられて、北九州に移住し、国をつくったというものです。

②この中から、邪馬台国が成長し、卑弥呼が登場するのは、3世紀半ばです。

③伽耶の豪族であり、日輪信仰をもつ、物部氏の祖先が、畿内に移動。

④卑弥呼の死後、男王がたつが、国が乱れ、豊後中津方面に退去し、後にヤマトに移動(神武東征 300年ごろ) 物部氏を臣従させて、日輪信仰つまり、天照大神を奪う。これが、イリ系の天皇と呼ばれ、神武、崇神です。

⑤400年ごろ、神功皇后・応神が、波多氏・蘇我氏・巨勢氏・平群氏・紀氏・葛城氏の助けをかりて、畿内に入り、大王となる。これが、ワケ系(タラシ系)の王朝で、応神から継体までつづく。

⑥532年、伽耶の王国は、新羅に降伏。その王族が、ヤマトに来朝、欽明天皇となる。ずっと蘇我氏の実質支配となる。この王朝は、天智天皇までつづき、ずっと任那回復や百済への肩入れを続ける。任那王族の王朝なので、うなづける。

⑦このあと壬申の乱により、天武が即位。天武は、天智とは兄弟ではなく、別の王統であり、新羅系の渡来人の指示を受けている。

⑧770年、天智の孫、光仁が即位し、百済系の復活となる。その子の桓武は、百済王家(100年前から日本に帰化)の姫を皇后にする。桓武は、天皇家が、三韓の出身であることを隠すため、それに関する焚書を実施する。

天皇家のルーツと、庶民としての日本人のルーツとは、どのような関係になるのかということであるが、私は、大同小異だと思います。
天皇家が、伽耶の王族の子孫だとしても、かれらは、伽耶の庶民と同じ民族であろうし、北九州の同時代の人々も、伽耶と同じ文化をもつ人々であろうと思われるからです。

澤田先生の著書でおもしろいのは、伽耶人、倭人が、騎馬民族系であり、百済は高句麗系、新羅には、騎馬民族の特徴がないことから、伽耶は、三韓のなかでも特徴のある地域だということです。
これは、日本語と朝鮮語が、よく似ているが、音韻構造がとても異なり、別の民族、遠い過去に分岐したと考えるべきということになります。決して、朝鮮民族から日本民族が分岐したわけではないということです。

また、日本民族では、自己主張をしない日本人の気質や虫の鳴き声を音楽として聴ける性質など、縄文人から受け継いだものや南方系から受け継いだものがあります。

これで、2300年ぐらい前まで、日本人のルーツは、かなりの確からしさで見えたと思います。

しかし、いつ朝鮮族と日本人がわかれたのか、日本人と同一の祖先をもちそうな民族の範囲を特定していくなどの、テーマが残っています。

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