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豊国文字とサンカ

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年 3月23日(土)14時25分52秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://www1.ocn.ne.jp/~r.okabe/mananotubo.html からですがこの方は飛騨でタクシードライバーをされている方です。偉いですね。でもリンクを貼らない記事も多々あります。

http://www1.ocn.ne.jp/~r.okabe/

関連記事...........

サン文字と豊国文字

http://www.kumanolife.com/History/sankamoji.html


豊国文字とサンカ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%A3%E6%96%87%E5%AD%97


豊国文字の拡大

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%9B%BD%E6%96%87%E5%AD%97


豊国文字とあいうえお

http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/sindaimonji/toyokuni_n/toyokuni_n_list.htm


九州王朝とアヒル文字とハングル語

http://323.teacup.com/yoshiro/bbs/9018


蘇我氏と九州王朝

http://323.teacup.com/yoshiro/bbs/8090


神代文字岩

http://sence-net.com/mysteri/jindai.htm


神代文字考察

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/gengogakuin/gengokenkyu/mojishico/kamiyomojico.htm


古史古伝と神代文字

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/842


サンカの祖先は創世記のヘテ人 その1

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/304.html

サンカの祖先は創世記のヘテ人 その2

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/305.html

サンカの祖先は創世記のヘテ人 その3


http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/306.html

ハッティで検索すると5件出てきます

http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%83n%83b%83e%83B&x=0&y=0&inside=1


どうやら答えはここにありそうだ

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/303.html


名古屋地方のサンカは『八』と呼ばれていたという(八鏡文字?。恐らくはハッティ(管理人注:紀元前2500年-紀元前2000年頃にアナトリア半島に居住していた民族で、ヒッタイトの先住民。「原ハッティ」「ハッティ人」などと呼ばれる。)のことであろう。だいたい出てきましたね結論が........サンカ(山窩)=ヒッタイトの先住民=創世記ヘテ人が祖先

ハッティの神話

八鏡文字(カタカムナとサンカ(山窩)文字と古代ヒッタイトでの文字が一致すれば謎はとけるであろう。

八咫鏡(やたのかがみ)の裏面にはヘブライ語(へブル語)が

ヒッタイトという名称がよく知られるが、これは、英語読みで原音はハッティ。現在の小アジア・シリア地方の古代帝国で、紀元前1500年前後の数世紀に繁栄していた。鉄を生産し、武器や戦車に用いた。エジプトの記録ではヘタ、創世記にはヘテ人と記された民族で、インド・ヨーロッパ語族に属する。(管理人注:ヨシュア記一章四節、士師記一章二十六節、列王紀上十章二十九節、列王紀下七章六節その他聖書の各所に記されてある)


妙法蓮華とマナの壺の正体

http://www1.ocn.ne.jp/~r.okabe/mananotubo.html

漢字の楷書の正字のことを真字(マナ)と言うが、鑑真の名に字を加えると「鑑真字」となり「真字鑑(マナカガミ)=真字鏡」となる。マナと言えばユダヤの三種の神器の一つであり、出エジプト後のモーセ一行の飢餓を救った食べ物を入れた壺のことだが、マナの壺のマナは「何だろう?」という謎かけの意味の言葉とされているのだ

古代インドでは、黄金の単位がマナであったし、日本では漢字の楷書の正字をマナと呼んだ。ユダヤではマナの壺の食べ物のマナ(何だろう)は、大勢の人々が食べても翌日には供給されているという不思議な食べ物だった。日本でも真魚鰹の「真魚(マナ)」は食べ物である魚を示している。

日本のまな板の「マナ」も食べ物に関する名であり「学(マナ)ぶ」は「真字(マナ)ぶ」のことで、漢字の楷書の字を学ぶことが語源であり「字」の漢字から「学(學)」の漢字が出来ている。

さらに物部氏の祖の海部氏の祀る丹後一宮の籠神社の奥宮には真名井神社があり、「真名(マナ)」という言葉が神に関係している。真名井の「真」は鑑真の「真」であり、真字(マナ)の「真」でもあって「真名=真字」である可能性が高い。

さらにだ、日本語にはマナコ(眼)という言葉があって、ユダヤのマナの壺の「マナ」に符合する言葉が真魚・俎板・真字・学・真名・眼と六つもあるということは尋常ではない。「学」は「真字」が語源であったから除外すると、真魚・俎板・真字・真名・眼の漢字に共通するのが「目」となる。

「目」は天照大神と月読神がイザナギ神の目から生まれたことに関係し、観音の原名の金星神イナンナの象徴の六芒星は籠目と言われ、籠神社の「籠」と真名井神社の真の漢字の中の「目」の合体も籠目であった「目」の漢字もマナコと読み、真魚・俎板・真字・真名・眼のマナに関係する言葉が、すべて天照大神と月読神がイザナギ神の「目(マナコ)」から生まれた神話に関連していることがわかる。

妙法蓮華の妙は、明けの明星の金星の「明」のことであって「明」は天照大神と月読神の「日・月」を示している。天照大神と月読神は「目(マナコ)=眼」から生まれた。マナの壺の「壺」は「コ」と音読みする。マナの壺は契約の櫃に納められていた。「櫃」に納められた「匚」の中身の「貴」の漢字も、中央に「目」が隠されていた。

マナ壺は日本では「眼(マナコ)」という暗号となって、封印された。

「眼」の漢字は天照大神の生まれた左目(籠目)を示すように左に目があり、右には艮の金神を示す「艮」の漢字がある。真実の艮の金神とはマルドゥークが授けられた神々の支配のシンボルのシムトゥのことであり、月神シンと太陽神ウトゥを象徴する鏡であった。これが真字鑑(マナカガミ)であり、漢字の楷書を生む亀鑑と呼ばれる物で、天照大神を象徴する八咫の鏡であったし、釈迦の説いた妙法蓮華鏡でもあった。

八幡神の正体と太秦の語源

八幡神信仰と弥勒信仰

八幡信仰の総本山の宇佐八幡宮(宇佐神宮)の一之御殿の八幡大神が祀られたのは、紀元725年(神亀2年)であり、二之御殿の比売大神が祀られたのは八年後の天平5年であった。

八幡信仰は御許山を神奈備山とし、御許山には奥宮の大元神社がある。八幡神は紀元571年に大神比義が、菱形池ほとりの笹の上で光りを発する三才の童子を観得したことに始まるとされているが、元来は下賀茂神社の祭神の建角身命の子の玉依彦(宇佐津彦)と玉依姫(宇佐津姫)を祖とする宇佐氏の石信仰が始まりであった。御許山の三つの巨石を聖石として崇拝していた宇佐氏の信仰と新羅系帰化人の辛嶋氏の鉱業神を主神としていた信仰の融合によって始まった。 比義伝説の、三才の童子が「我は誉田天皇(応神天皇)、広幡八幡麻呂なり」と告げ、金色の鷹となったり、金色の鳩になったりして止まった地に、鷹居瀬社を建てられたのが708年(和銅元年)で、現在地に遷座されたのが、一之御殿の創建の時になる。

宇佐八幡宮の現在地への創建は、宇佐氏一族の僧の法蓮によってなされ、法蓮は八幡宮の神宮寺となった弥勒寺の別当職ともなった。弥勒寺の創立は虚空蔵寺と法鏡寺とが合体したことに始まり、金堂は大神氏、講堂は宇佐氏が統括した。天平9年(727年)弥勒寺は神宮寺となり、翌年には国分寺となった。

三輪山の三輪氏の出身の大神比義が、八幡神と応神天皇を同一神としたことで、奈良朝中期からは八幡神=応神天皇の説が一般化することになるが、それ以前の八幡神は宇佐氏の崇拝する神奈備山(御許山=馬城峰)の石神崇拝であり、辛嶋氏の鉱業神の崇拝が主力であったし、辛嶋の「辛」は「加羅」を示していた。宇佐地方は仏教の伝来が早く、神仏混合も奈良朝以前に始まっていたと言われている。

『法華経』の妙法蓮華から法蓮の僧侶名が作られ、八幡神の菩薩名の護国霊験威力神通大自在王菩薩も、『法華経」の一節の「神通自在」から取ったものだった。

弥勒寺の前身であった虚空蔵寺の名は、『古事記』の山幸彦の別名の虚空津彦の由縁となり、法鏡寺の名が『妙法蓮華経』の「法経」を「法鏡」であることを示唆していた。ようするに『妙法蓮華経』とは「明法蓮華鏡」であり「明宝蓮華鏡」という太陽と月を象徴する花模様の鏡のことになる。

弥勒寺の名の弥勒はアッカド・バビロニア神話の主神マルドゥークのことであり、マルドゥークの持っていた神々の支配のシンボルのシムトゥが明宝蓮華鏡であった。虚空蔵菩薩は摩尼宝珠(如意宝珠)を仏格化した仏であり、如意宝珠とは妙法蓮華鏡のことである。山幸彦は海神ワタツミから塩盈珠と塩乾珠を授けられた。これが如意宝珠であり、妙法蓮華鏡だったことになる。

シュメールとヒッタイトの八幡神

著者の住む飛騨宮村に位山と呼ばれる聖山がある。万葉集でむらさき山と歌われ、標高1,500mほどの秀麗な山である。山の容姿がピラミッド型をしていることもあって、日本のピラミッドの一つとも言われている。頂上には天の石戸と呼ばれる巨石があり、飛騨一宮の水無神社の奥宮となっている。

頂上まで続く登山道には多くの巨石群が連立していて、シュメールやケルトの遺物と考えられていて『竹内文献』の富山の皇祖皇太神宮の大元宮があった所とも言われている。

位山の麓にあたる渡瀬地区に大森神社というひなびた神社がある。元一宮である。大森神社という名称は出雲の神奈備山の麓に必ずある神社の名称で、出雲では王守神社・王森神社とも書いている。位山は出雲系民族が富山の神通川沿いに上って来て、神通川の源流である位山を神奈備山としたものと考えられる。その証拠に水無神社の祭神は出雲のスサノオ神の子の大歳神の娘の御歳神となっている。

位山の巨石群から「 」と「井」と「 」のペトログラフが発見され、「 」と「井」はシュメールの太陽神を象徴する図形文字で、「井」は齊部(忌部)文字記号で数字の五を表す図形でもあり、「 」は牛神(牛頭天王)を象徴するとともに、やはり太陽神を表す図形文字であり、「井」は真名井の井である。

位山の南20kmほどの所に位山八幡宮(岐阜県益田郡萩原町山之口)がある。ここも神体山がピラミッド型をしていて、巨石群が連立している。古代ではおそらくピラミッド型の山容の山を位山と名づけ、神奈備山としたのだろう。この近くの郷土史家に聞いたところ、山之口の住民の言い伝えでは、位山八幡神社の「八幡」の語源は「ハティム・アン」であると言う。

「ハティム」の「ハティ」は「ハッティ」と言われたシュメール時代にシュメールの都市国家群の西北に隣接して国家を構えていたヒッタイト王国の民族の原名である。

ハティの英語読みがヒッタイトで、ヒッタイト王国は鉄の発明と騎馬民族で有名であり、『旧約聖書』の「ヘテ人」の国であり、エジプトでは「ヘタ人」と呼ばれた。古代イスラエル王国のソロモン王の母がヘテ人のバテ・シヴァであったから、ソロモン王にはヒッタイト騎馬民族の血が流れていたことになる。

ソロモンの名がモンゴル語では「ツォロモン」となって、明けの明星の金星を指す言葉に転用されている。ソロモン王は金星と太陽を象徴する六芒星をソロモンの封印として使用していた。このことが騎馬民族によって、モンゴル地方に伝わった。さらにハティム・アンの「ム」はアッカドのナラム・シン王の「ム」と同じで「の」「と」の意味の接尾語であり「ナラ」は光り輝く太陽を示し、日本の奈良になった。

ヒッタイト人とフルリ人

ユダヤ教やキリスト教の神(全能者=シャダイ)は、シュメールの天空神アンの別名の山に住むエル(エル・ハル・シャダイ)のことである。この「アン」が、安倍氏や平安京や天の安河の「安」になるが、イスラエルとエルサレムの「エル」がエル神(アン神)のことで、エルサレムが平安の意味であることにもつながるのだ。

天空神アンはアンシャル(天霊)とキシャル(地霊)から生まれている。天霊と地霊はアプスー(真水)とティアマト(塩水)から生まれている。このティアマトはアッカド神話のエヌマ・エリシュ(神々の戦争)で子孫であるマルドゥークに捕らえられ、魔力ある怪剣で身体を二つに切られ、一方は天空になり、一方は下界の水に被せて大地にされた。これが天地開闢である。

ところが、ヒッタイト神話のクマルビ神話では、ヒッタイトの先住民のフルリ人の神のクマルビの精子を受けて、石から生まれた怪物のウルリクムミがどんどん大きくなり、背丈が天上界まで達し、イシュタル女神が誘惑したが成功しなかったが、智恵の神のエア(エンキ)がマルドゥークの怪剣で、ウルリクムミの巨大な足を切って打ち倒したという。この二つの神話のティアマトとウルリクムミが合体して、インドのプルシャ神話・中国道教の磐古神話・北欧のユミル神話になった。

ヒッタイト王国の先住民族のフルリ人は、『旧約聖書』でホリ人と記されている。フルリ人はノアの方舟がアララト山に漂着したとされるアララト山麓のウラルトゥ地方(アルメニア地方)に住んでいた。アララトがウラルトゥの語源である。アララト(ウラルトゥ)は高地(高いところ)の意味で、位山の一位の木(アララギ)から作った笏を応神天皇以来代々の天皇の即位に献上する習わしがあるのは、天皇家がアララト山に漂着したノアの子孫のイスラエル王家であることを記憶するためである。アララト(高い山)とアララギ(高い木)のアララの符合がこれを的確に物語っている。

ヒッタイト神話の石の怪物のウルリクムミは、万物が生まれたとされるエルサレムの地下にある聖なる岩と重なり、ゲルマンの巨人ユミル・インドの巨人プルシャ・中国の巨人磐古となって、あげくの果てに我が国の神道の一大勢力であった物部氏の氏神の石上神宮の石神となった。」

管理人注:巨人ユミル

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%9F%E3%83%AB


世界の神々参照(
中国の巨人磐古)

http://blogs.yahoo.co.jp/andante45_54/11725718.html


ヒッタイトのクマルビ神話

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%81%AE%E3%80%8E%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%93%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%80%8F&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=


ウリルクムミ

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%9F%B3%E3%81%AE%E6%80%AA%E7%89%A9%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%A0%E3%83%9F&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=


石上神宮の楼門上に掲げられた額の「萬古猷新」の文字は「萬古名を新たましむ」と読むが、これは「磐古猷(猶)神」のことで「磐古は猶太(ユダヤ)の神」であることを「萬古」という新しい名に変えたことを示しているのである。

「猷」の漢字の意味は「はかりごと」がしてあることを示し「猷」の同音漢字の「猶」を充てれば、猶太(ユダヤ)となることを想定して書かれていたのだ。

フルリ人とホリ人

フルリ人の石の怪物ウルリクムミがフルの御魂を祀る石上神宮の萬古神(磐古神)になった。饒速日命の別名のフルはフルリ人を示していることになる。丹後一宮の籠神社の宮司を務める海部氏の系図によれば、天照国照彦天火明奇甕玉饒速日命の別名がホホデミノミコトでもあるから、山幸彦のホオリノミコトと同一神となる。ホオリがフルリ人を『旧約聖書』でホリ人と記した民族名を示し、アララト山麓の高地に住んでいたホリ人のことを山幸彦としたわけだ。

フルの御魂と大物主神は同一神であったし、饒速日命の正式名に天照が充てられていることから、饒速日命=フルの御魂=大物主=天照大神という等式になり、天照大神を象徴する八咫鏡はフルの御魂の別名の天下万物聚類化生大元乃神宝に相当することになり、その正体は大和大物主奇甕玉命と呼ばれる物で、大和大物とは、「大+大」=「☆十☆」=十芒星デカグラムの図形の描かれた物であり、奇甕玉と呼ぶ玉であった。これは大大和国玉命(大倭国魂命)と呼ばれる物とも同じ物で、十芒星の描かれた玉であったが、大大和=大和大=大山和(山和大)=☆の描かれた三角形△の和を示し、△+▽=六芒星となり、六芒星の中に十芒星が描かれた玉が大和大物主奇甕玉命(大大和国玉命)であり、天下万物聚類化生大元神宝だった。

マルドゥークは神々の支配のシンボルのシムトゥと魔力ある怪剣を持っていた。そして日本神道の最高の祭主である天皇家では、支配のシンボルの八咫の鏡と草薙の剣を三種の神器の二種としているし、日本神道の大元である物部氏の祀る石上神宮には天下万物聚類化生大元乃神宝があり、霊力ある神剣フツの御魂があった。シムトゥと神道は同じであり、シムトゥが八咫鏡(天下万物聚類化生大元乃神宝)であり、魔力ある怪剣が草薙の剣や神剣フツに相当することになる。

フツの御魂とフツシ御魂という石上神宮の剣神は、スサノオ神の父の名のフツとスサノオの別名のフツシを示し、フツシとはフツの子の意味になる。フルリ人の都市国家のヌーズーの近くにスーサという都市国家があったが、スーサの王をスサノオと呼んだことが定説になっているのも、当然のことなのだ。

マルドゥークは国土の中心に聖殿を造りバビロンと名づけた。これはバーブ・エル(イル)のことで、天神アン(エル)の門の意味であり、バビロンのイシュタル門には、天神エルと風神のエンリル(ハル神・バァル神)の紋章の十六菊花紋があった。アッカドのナラム・シン王の戦勝碑(フランスのルーブル博物館蔵)にも太陽を象徴する十六菊花紋が彫り込まれていた。日本の皇室の紋章はシュメールのアッシュールナシルバル二世像の腕輪の紋章とアッカドのナラム・シン王の戦勝碑の紋章の十六菊花紋につながっていて、日本の皇室がシュメール・アッカド・バビロニアと確実につながりがあることを示している。

そして物部氏は『源平盛衰記』や『新撰姓氏録』では古代のインドのマガダ国から来たことになっている。これはイスラエル王国の滅亡とともにシュメールの王族がインドに亡命したことを物語っている。

ヒッタイト王国の首都 ハットウ

紀元前2,000年頃黒海の南、チグリス・ユーフラテス河の北西部のアララト山の南西部のアナトリア地方にヒッタイト民族が侵入して、ルウィ人やバラ人というインド・ゲルマン民族語系の原語を話す先住民族を征服して、ヒッタイト古王国を建てて、王都をハットウサに定めたのが紀元前1,750年頃であった。紀元前1,400年頃にはヒッタイト帝国と言われるまでの隆盛を極めたのだが、紀元前700年頃にはアッシリアの侵攻によって歴史の表舞台から姿を消した。丁度イスラエル十部族の北王国もこの頃アッシリアによって滅亡し、イスラエル十部族がスキタイ騎馬民族によって忽然と姿をくらました時代に相当するから、スキタイ騎馬民族の中にヒッタイト騎馬民族が吸収されていた可能性もある。

ハットウサ(現在のボガズキョィ)で発見されたボガズキョィ文書版(一万枚の粘土板は、シュメール語・アッカド語・ヒッタイト語・ルウィ語・バラ語・ハッティ語・フルリ語の七種の言語が書かれていたことから、ヒッタイト帝国は七種類の言語を話す民族の居住する複合国家であったことが判明した。

しかし、ヒッタイト語とハッティ語という二つの言語が発見された以上、ヒッタイト人とハッティ人が同一民族ではないという危惧も抱くが、ヒッタイトはハッティの英語読みで、『旧約聖書』のヘテ人のことで、エジプトではヘタ人と呼ばれた民族のことだから、アナトリア地方に侵入したヒッタイト民族も先住のハッティ人も同一民族だったと言える。

おそらくアナトリア地方に侵入したヒッタイト民族は、先発のハッティ人の誘導のもとで進出が行われた可能性が高く、それまでルウィ人やバラ人やフルリ人などと長年過ごした先住のハッティ人の言語は、後に侵入して来るハッティ人の言語と違っていても、なんら不思議はない。

同一民族でも、住む所が離れていて、他民族と共存していれば、言語に違いが生ずるからだ。

さて、ヒッタイト王国の都のハットウサには、ヒッタイト王国の神を祀る神殿があった。現在でも神殿の遺構が残っているが、ハットウサの「ハット」は「ハッティ」のことで、「ウサ」は「ウシャ」のことで「神殿(社)」の意味だった。

このことから、我が国の秦族の本拠地の宇佐八幡宮の語源がウシャ・ハティム・アンであり、その意味はヒッタイトの天神アンの社であったことがわかる。さらに秦氏の「秦」を「シン」と読むのは、月神シンの信奉民族であったことを示し「ハタ」と読むのは、ヒッタイトの原名のハッティが「ハティ・ハット・ヘテ・ヘタ」と呼ばれ、これが「ハタ」に変化したと考えられ、韓国語のパタ(海)を語源とするより自然である。

秦氏は八幡神の象徴として鳩を、賀茂大社の象徴として八咫烏を伝説にしているが、鳩も烏もノアの方舟から飛び立った鳥だった。


参考:韓国のハングル文字と日本人

http://9308.teacup.com/12345abcde/bbs/8

古史古伝と神代文字

http://act9.jp/fan/report/ai/ryuh/koshikoden.htm

古史古伝

古史古伝とは、神代を歴史的叙述の対象とし、神代文字に関する伝承を有する古文献と称されるもので、多くは没落した民族の伝承と伝えられ、アカデミズムに史料的価値を認められない共通性がある。

『上記(うえつふみ)』

序文によると1223年に豊後太守大友能直父子ら七名によって編纂されたもの。天保初年に豊後の国学者・幸松葉枝尺(さきまつはえさか)によって発見され、明治以降流布した。伝本には宗像家に伝わった「宗像本」と、明治六年に発見された「大友本」がある。明治十年に吉良義風により『上記鈔訳』が出版されている。
神代から神武天皇までの歴史が豊国新字という神代文字で記されいる。特色は、

『古事記』との関連が著しいが、『古事記』より詳細な記述も多く、説話に女権的色彩が濃い。
ニニギに先立ちスサノオに始まる出雲七代の歴史が記されている。
神武以前にウガヤフキアエズノミコトを世襲する七二代の継続王朝を介在させること

などである。
このウガヤフキアエズ王朝について、田中勝也氏は、七百年もの間変化のない王号をもって同一の地に実質的な世俗王権が続く可能性は小さいとしている。
また、豊国新字は山窩(さんか)文字との類似が指摘されており、『上記』は明治初期の九州の山窩が作ったという説がある。
序文は偽作という見方がされているが、本文が文体・用語の面で記紀・『万葉集』の時代でさえ死語となっていたような語彙が使われているなど、『上記』の価値は定まっていない。
吉良氏の『上記鈔訳』が、ウガヤフキアエズ王朝を記す他の古史古伝(『竹内文書』『九鬼文書』『富士古文献』など)に影響を与えたと言われている。

『竹内文書』

武内宿禰の孫の平群真鳥が、雄略天皇の命により神代文字を翻訳した原本の写しと、皇祖皇太神社由来の神宝類を含む資料の総称。平群真鳥は、武烈天皇の密旨によって、高天原の故地である越中に隠遁してこれらを庇護したという。竹内家の養子である巨麿は明治四三年に天津教を開き、大正末から昭和初期に『竹内文書』を公表した。その後不敬罪で起訴され、狩野亨吉氏の文献批判によって偽書と断じられた。

管理人注:偽書の意味は.........

http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=DGbrqDWDo2UJ&p=%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%81%AB%E6%BD%9C%E3%82%80%E3%81%AA%E8%AC%8E%E3%81%AE%E5%8B%A2%E5%8A%9B&u=angel.ap.teacup.com%2Fgamenotatsujin%2F228.html

内容は原始神の宇宙創成から神々の地球降臨、人類の誕生、二度にわたる超古代文明の興亡を伝える。
世界的、壮大なスケールの記述が多く、世界には五色人が存在し、みな日本から発したこと。モーゼ、マホメット、釈迦、孔子などが来日して教えを学んだこと。ボストンやサンフランシスコ、アフリカ、オセアニアなどという地名まで登場する。
また、太平洋にある「ミヨイ」「タミアラ」という謎の大陸の滅亡に関する記述があり、オリハルコンを彷彿させるヒヒイロガネという金属も記されている。
『竹内文書』もウガヤフキアエズ王朝を記すが、その歴代天皇名の漢字表記が『上記鈔訳』と非常に類似している。もともとの『上記』の原文が漢字ではないことを考えれば、『竹内文書』は『上記鈔訳』に基づいてウガヤ王統譜を造作したことは明らかである。
明らかに疑わしい点が多いにも関わらず、『竹内文書』は、戦前は皇国史観ゆえに国粋主義者に、戦後はUFOや太古の航空機の伝承との関係でSF愛好者に支持され、また、戦前の風潮への反発から、大和朝廷以前に先王朝が成立していたという内容が超古代史研究者をひきつけている。

『秀真伝(ほつまつたえ)』

三輪季聡(すえとし)が大三輪氏の祖神・大物主櫛甕玉命(くしみかたまのみこと)が記した神代の伝承にその後の歴史を交え、景行朝に朝廷に献じたもの。季聡は大田田根子であるとする。
大三輪氏の流れを汲む井保家に伝えられていたものが、近江の三尾神社に奉納され、その写本が天保年間に小笠原通当によって書写され、以来小笠原家に伝えられてきたものを、松本善之助氏が公開した。
全文が秀真文字で書かれた五七調の叙事詩で、特徴は、

記紀のアマテラスが男神アマテルとして語られる。
宇宙創造において、原初神・国常立から流出した地水火風空の五元素が混じりあったとされ、古代インドの宇宙観と一致する。
イサナミがアマテルを産んだ際に嬰児は胎衣に包まれて卵のように見えたとあり、朝鮮の建国神話に見られる卵生説話を連想させる。
高天原は日高見国にあり、その日高見国を仙台地方とする。
天孫降臨はニギハヤヒとニニギの二度あったとすること、

などである。
また、天祖・国常立の八人の子(八御子神)の最初の文字を順に読んでいくと「とほかみえひため」となる。

管理人注:とほかみえひため祓い給え清め給え

http://yaplog.jp/alcione/archive/367

調べてみると、伯家神道では、「遠津御祖神笑み給へ」(とおつ みおやのかみ えみたまえ)という意味だそうです。


でも、最近、他の説を知りました。

『秀真伝(ほつまつたえ)』 という古代の日本の神界の事が書かれた古文書に書いてあります。

地球の主宰神である国常立大神の八人の子(八御子神)の最初の文字を順に読んでいくと「とほかみえひため」となるそうです。

神道の「とほかみえみため」は、本当は「とほかみえひため」であり、誤って伝えられたものだそうです。

それに、元々の「とほかみえひため」は、この八御子神の偉業をたたえる呪言だとか。』


神道の唱言に「とほかみえみため」というものがあり、意味不明とされてきたが、これは「とほかみえひため」の誤伝で、八御子神の偉業をたたえる呪言であるという。
『秀真伝』は五七調を貫徹しているが、古代では字余りなどの変則句が含まれるのが自然であること。また漢語を無理やり読み下した形跡があり、漢字渡来以前の文章とが思えないこと。序文の短歌が石川五右衛門の「磯の真砂は尽くるとも世に盗賊の種は尽きまじ」に似ていること。「めかけ」という江戸時代以降の言葉が出てくること。秀真文字による花押が存在するが、花押は九五〇年以降に登場すること。秀真文字は母音と子音の組み合わせで構成され、五十音図の存在を前提とするものであるため、上代の音韻に基づいて作られたとは考えにくいこと、などから偽書であるとされている。

『宮下文書』(富士文献)

秦の方士徐福が八五隻の大船団を率いて渡来し、紀州熊野に到着した。その後富士山麓に土着し、阿祖山太神宮に伝わる伝承を編纂した。この『徐福伝』を原本とし、度重なる書写と編集を経たものという。阿祖山太神宮の宮司である宮下家に伝えられていたが、噴火や火災によって殆どが失われ、残ったものが明治になって封を解かれ、大正十年に三輪義凞(よしひろ)が整理・編集し『神王紀』として出版した。
多くの伝承が混交しており、文書同士の矛盾も多いが、富士山こそ蓬莱山であり、高天原が富士山麓にあったとする主張は全編を貫いている。
日本の神々はもともと大陸で発祥し、高皇産霊神が初めて東方進出を志し、子の国狭槌尊とともに富士山麓に都を置いた。高皇産霊神の死後、国狭槌尊は先遣隊を率いて先に日本列島に来ていた兄・国常立尊と再会し、日本列島を分割統治したとする。
また、三貴子としてスサノオのかわりにヒルコが登場し、スサノオはアマテラスと対抗して皇位継承を要求する乱暴者とされている点も特徴である。
『宮下文書』も『竹内文書』同様、ウガヤ王朝の記述が『上記』と符号し、また木花咲耶姫尊の悲劇的な説話が『ラーマーヤナ』と酷似するなど問題点は多いが、古史古伝のなかで唯一原本の影印版が刊行されており、今後の研究が待たれる。

『九鬼(くかみ)文書』

九鬼家の遠祖で天児屋根命(あるあめのこやねのみこと)の時代に記録された神代文字の原文を藤原不比等が漢字に書き改めたもので、丹後綾部の九鬼氏が保管してきたという。天児屋根命は、記紀では皇孫邇邇芸能命(ににぎのみこと)に従って高天原から高千穂に降り立った天津神の一人とされる神である。
この文書の本来の性格は、九鬼神道の教義であり、神代史はその一部にすぎないが、その内容の一番の特徴は出雲王朝を正統としていることである。万国の首都である高天原は出雲の地にあり、スサノオの系譜に現在の天皇が繋がるとされているのである。
また物部氏滅亡の際に、「あめつちのことふみ天地言文」の写しが、守屋一族、大中臣一族、春日一族、越前の武内一族によって保存されたいう、古史古伝の伝存に関わる記述がある。
日本とユダヤの交流を記している点でも異色で、この文書の公開を働きかけ、『九鬼文書の研究』を書いた三浦一郎は日ユ同祖論者として知られていた。
『九鬼文書』は『竹内文書』の影響が強いと指摘され、出現経緯や内容・表現から見て、近代以降の成立である事は明らかである。また綾部の大本教との関係が深いともされる。

(キャラクターの背景 九鬼氏 参照)

『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』

三春藩藩主秋田孝季が藩史編纂のため妹婿の和田長三郎の協力を得て収集した史料を編纂したもの。和田家で代々書写して伝えてきたもので、昭和22年に和田喜八郎氏の天井裏から箱ごと落下して発見されたという。
内容は古代津軽の民・荒吐族の国家と大和朝廷の抗争の歴史、及び荒吐族の末裔である安倍氏・安東氏・秋田氏の活躍と没落である。
荒吐族とは、アソベ族・ツボケ族など縄文人を思わせる先住民、神武東征によって邪馬台国を追われた安日彦・長髄彦兄弟の一族、中国系渡来民の混成によって成立した民族であり、いわゆる蝦夷の主力だという。
その真贋をめぐり世間の耳目を集めたが、編纂者と発見者の筆跡や誤字が一致することや近代的な知識がなければ書けない内容も多く、偽書であることはほぼ確定している。

『先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんぎたいせいきょう)』

聖徳太子が推古天皇の命を受け編纂したものとされる。伊雑宮(いさわのみや)の神庫から長野采女によって発見され、一六七九年に出版された高野本が流布した。
歴史的記述と文化的各論を加えた膨大なスケールの文献で、全編に神儒仏三教一致思想が流れており、特に教典というものを持たない神道の教典的性格を有する。
歴史的記述は、長髄彦の陸奥亡命説や飯豊皇女を「清貞天皇」として天皇に立てるなど、異伝を多く伝える。
伊雑宮の方が伊勢内宮より古くからアマテラスを祀っていたという記事が伊勢神宮の反発を招き、江戸幕府により偽書として禁圧された。文書の由来や作者などには依然謎が多いとされる。

『物部文書』

成立・編者ともに不明。秋田県仙北郡の唐松神社の神主・物部家に伝来した。その祖は物部守屋の子・那加世とされている。
祖神ニギハヤヒの鳥海山降臨と、天日宮の創建、物部氏の大和への西遷、長髄彦との和睦、神武への従属、神攻皇后の北海征伐、崇仏戦争の敗北と物部氏の故地回復などが、天日宮に関連した縁起譚となって記されている。
また、聖徳太子が神として美化され仏教説話的奇譚で飾られているのも特徴である。
物部氏の家伝である禁厭伝や祈祷法が記されており、物部氏の宗教儀礼を知るうえで貴重であり、大和物部氏が所持した十種の神宝を秋田の物部家が伝えたと書かれている。現在はこのうちの五種が存在しているらしい。
文体からは古代まで遡るものではなく、阿比留草(あひるくさ)文字が使われていることも偽書視されている理由である。

神代文字

神代文字とは、漢字の渡来および仮名の成立に先だって、上古の日本にかつて行われたと称せられる文字で、「神字」と書いて、「かんな」とも呼ぶ。
古史古伝の多くに、神代文字が登場する。『上記』は豊国文字、『秀真伝』や『三笠紀』は秀真文字で書かれており、全文でなくとも神代文字が使われている古史古伝は多い。『九鬼文書』には春日文字など、『竹内文書』には百種以上、『宮下文書』には阿祖山文字、『物部文書』には物部文字、『東日流外三郡誌』には津保化砂書文字などが出てくる。
また、対馬の卜部・阿比留(あびる)家において発見され、平田篤胤によって「日文(ひふみ)」として紹介された阿比留(あひる)文字・阿比留草文字がある。
静岡の浅間神社、神奈川の大山阿夫利神社、埼玉の三峰神社などの神璽や、洞窟や岩などにも神代文字と言われる文字が記されている。
このように神代文字には多くの種類があり、形態も象形的なものから幾何学的なものまで様々であるが、問題はそれが本当に神代から存在していたものなのか、日本固有のものなのかという点にある。

神代文字研究の歴史

神代文字が存在したとする説は、おそくとも室町時代から神道家の間にひろまっていた。
江戸時代、新井白石が、出雲大社や熱田神宮に神代から伝わったとされる文字が残っていることを指摘した。一方貝原益軒は『古語拾遺』の言葉を挙げてその存在を否定した。当時賀茂真淵や本居宣長らの国学者は否定していたが、多くの神道家が神代文字肯定派であった。復古神道の推進者、平田篤胤は神代文字に関する資料を全国に求め、『神字日文伝』の中で日文を正真の神代文字とした。一方、伴信友は『仮名本末』で神代文字の偽造説を説いて否定した。
明治に至り、神道家の落合直澄が『日本古代文字考』を発表し、考古学上の文字資料を集成してその存在を肯定した。一方、国文学の山田孝雄は、『所謂神代文字の論』において、個々の神代文字について偽作であるとした。豊かな国語・国文学的知識からの博引傍証からなるこの書の中で、実際の古典に神代文字で記された実例がないことを述べ、阿比留文字などもハングル文字の模倣であると断言した。この山田論文によって、学者としてその存在を信ずるものはほとんど影をひそめるにいたった。ただ昭和年代に入っても、愛国者や軍人のなかにその存在を信ずるものがあって、政治問題にまでも発展しかねない事件を引き起したことがある。
その後国語学者の大野晋が奈良時代の母音の数によって、神代文字は平安時代以降の偽作と論じ、決定的な否定論と思えたが、言語学者の松本克己や国語学者の森重敏は、この八母音説を否定している。

神代文字否定派の論拠

神代文字の形を分類すると、だいたい甲骨文字とハングルの二つに大別できるほど良く似ている。ハングルは、朝鮮の京城で一四四三年に創案された表音文字である。神代文字の中で最も有力なものとみなされた日文は、明らかにこのハングルに基づいて作られたものである。
古代に固有の文字がなかったということについては、平安時代の『古語拾遺』に「上古の世、未だ文字あらず」と記載されている。
神代文字で書かれた古い文献のようなものは一つも残っていない。
漢字に先立ってすでに固有の文字があったとすれば、わざわざ漢字を輸入して日本語を写したり、それから仮名を発達させたりする必要は考えがたい。
仮名は音節文字であるのに、神代文字は一種の単音文字であり、神代文字はその構成において、仮名よりも一層進歩した文字とみなされる。
神代文字は四七音ないし五〇音しか書き分けない。奈良時代以前にまでさかのぼると、日本語の音節には「いろは」四七文字では書き分けられない八七種類の音(甲乙二種類の音があり、母音が八つ)があり、それらは五十音図のうちには収められないところの音であった。すなわち、いろは歌や五十音図だけでは示しきれないところの音が上代にはあったのである。これらを「万葉仮名」ではちゃんと書き分けてその区別を守っている以上、もし神代文字が真に仮名以前のものであったとすれば、少なくとも、もっと多くの字体がなければならないのに、いわゆる変体仮名にあたるものさえなく、きわめて整然とした統一をもっているのである。神代文字は多く四七字か五〇字から成っており、それが「いろは歌」や五十音図の影響下に後世偽作されたことを示している。

神代文字肯定派の反論

一方この奈良時代の八母音説に対し反対する意見もある。松本克己は、奈良時代の八母音は、漢字という書記法が日本語の発音を微妙に書き分けたことによる一種の虚像であるとして批判し、また、国語学者の森重敏は文法論と語構成の立場から奈良時代の八母音説を否定している。

また、佐治芳彦は、平田篤胤の門弟たちが収集した岩窟や石窟に残っている神代文字(ペトログリフ)について、山田・大野両氏が言及していないことを批判している。

おわりに

古史古伝の多くに、この後世の偽作とされる神代文字が出てくることで、古史古伝は内容以前の問題で偽書として否定されているのが現状である。

参考文献

『別冊歴史読本 古史古伝の謎』新人物往来社
『歴史読本 『日本書紀』と謎の古代歴史書』新人物往来社
『別冊歴史読本 危険な歴史書「古史古伝」』新人物往来社
『日本超古代史の謎』佐治芳彦 日本文芸社
『謎の竹内文書』佐治芳彦 徳間書店
『謎の神代文字』 佐治芳彦 徳間書店
『[超図解]竹内文書』高坂和導編著 徳間書店
『「秀真伝」が明かす超古代の秘密』鳥居礼 日本文芸社
『秘められた日本古代史 ホツマツタヘ』松本善之助 毎日新聞社
『歴史Eye』1994年1月号 日本文芸社
『徐福伝説考』逵志保 一季出版
『神道の本』 学研
『世界大百科事典』 平凡社

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