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現人神の人間味

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年 3月27日(水)13時48分37秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=3681563

 ◎ 「天皇の歴史:古代史」を歪曲する「天皇制の歴史:近現代史」 ◎

【ハルトゥーニアン『歴史と記憶の抗争-「戦後日本」の現在-』2010年4月】

 ① ハリー・ハルトゥーニアン,カツヒコ・マリアノ・エンドウ編・監訳『歴史と記憶の抗争-「戦後日本」の現在-』みすず書房,2010年4月( 原書名: Harry Harootunian,Struggle between History and Memory:Collected Essays )

 1) ハルトゥーニアン『歴史と記憶の抗争-「戦後日本」の現在-』紹介
 本書は「敗戦後日本政治史」を,天皇・天皇制を核心に置き,批判的に考察している。日本語訳の文章は,原文どおりに活字を組んでいるのかもしれないが,改行のない頁がけっこうあって,かなり読みづらい文章である。文意を厳密に維持し,崩さない範囲内であれば,日本語訳ももう少し工夫して,もっと改行を入れたり文章を区切ったり工夫をくわえ,読みやすくするように十分に「意訳」してほしかった。

 それはともかく,本書は,非常にきびしい日本天皇批判論である。「詳細」と「目次」は,こうなっている。

 日本語の「戦後」の意味は,過去65年間全く変らない。なぜ私たちは「戦後」がこれだけつづくことを疑問に思わないのか。日米関係を徹底して問いなおす待望の論集。

序論 特殊体制,縺れ合い-あるいは米国による日本の形象化について-
1  あいまいなシルエット-イデオロギー,知,そして米国における日本学の形成-
2  戸坂潤の処刑とその他の物語-記憶,歴史,日本の「戦後」問題にかんする随想-
3  日本の長い戦後-持続する記憶,忘却される歴史-
4  記憶,喪,国民道徳-靖国神社と戦後日本における国家と宗教の再統合-
5  見える言説,見えないイデオロギー
6 「一木一草に宿る天皇制」-指示するもののない象徴-
7  天皇ではなかったかもしれない天皇-ヒロヒトの独白録-
8  帰ってきたヒロヒト-ハーバード・ビックス『昭和天皇』を読む-
  ユニヴァーシティ,ファシズム,声―ハリー・ハルトゥーニアンと歴史-監訳者あとがきにかえて-

 著者ハリー・ハルトゥーニアンは,シカゴ大学で25年間教鞭をとったのち,ニューヨーク大学東アジア研究学科を創設,10年間同学科長を務める。現在,コロンビア大学大学院招聘教授(東アジア研究)。今後数年間はデューク大学文学部客員教授の予定。歴史学・日本思想史専攻。Journal of Asian Studies 誌編集長,Critical Inquiry 誌共同編集長を歴任。American Academy of Arts of Sciences 会員。なお,訳者のエンドウ・マリアノカツヒコ[エンドウ カツヒコマリアノ]は,ヴィクトリア大学(カナダ)太平洋アジア学部助教授。日本思想史専攻。

 2) 昭和天皇「論」の対照的な著書「2作」
 a) 一方に,ハーバート・ ビックス,吉田 裕監修:岡部牧夫・川島高峰訳『昭和天皇 上・下』(講談社,2002年7月・11月。文庫本の再版は2005年7月・8月〔原書名:Herbert P. Bix, Hirohito and the Making of Modern Japan〕)という著作がある。

 b) 他方に,デ-ヴィド・バ-ガミニ,いいだ もも訳『天皇の陰謀 前篇・後篇』(れおぽ-る書房,発売:薔薇十字社,1973年3月。文庫本の再版は『隠された昭和史天皇の陰謀 1~7』現代書林,1983年4月,および『天皇の陰謀 1~7』NRK出版部(現代書林),1988年9月)という著作もある。

 ハルトゥーニアン『歴史と記憶の抗争-「戦後日本」の現在-』のビックス『昭和天皇』に対する批判は峻烈であるが,まっとうな評価を展示している。こう議論する。昭和天皇「は戦争の最後にはみずからの生き残りと皇統の維持を確保するために人民を無視し,みずから招いた苦しみとみずから命じた犠牲を完全に無視した」。これはどこまでも,裕仁天皇「自身とその家計を救うために日本人民を破滅の危機にさらしたという点でやはり残酷であった」(『歴史と記憶の抗争』295頁)からである。

 本ブログの筆者も,いままでなんどかとりあげ記述してきたように,このハルトゥーニアンの評価に近い。昭和天皇を天皇としてではなく「ただの人間1人」として観察すれば,それほど困難もなく導出される結論である。

 バ-ガミニ『天皇の陰謀』は,ビックス『昭和天皇 』に比べてこう論評されている。「バーガミニが他の誰よりもはるか昔に,問題の核心にゆきついていた」。「日本の皇室は,1930年代の戦争の陰謀に中心的な役割を演じながら,けっしてそれを認めようとしない」。ところが「バーガミニは不注意にも,当時の職業的な日本研究が『常識』としていたものを逆なですることにより。ある種の学問的大逆罪を犯してしまったようである」。「その『常識』とは,天皇は戦争に関与しなかったという防御的宣言」である(283頁)。

 いうなれば,ビックスとバーガミニの両著は,「真の現実と,ほとんどの人びとが生きなければならない偽りの現実との社会的断絶が前提されている」(275頁)ところの『日本の天皇・天皇制「問題」』に接近するさい,研究者が示す両極端の見解をそれぞれ代表的に現出させている。

 旧敗戦後,旧明治憲法が改正され新しく日本国憲法が制定されるまで昭和天皇は,日本帝国陸海軍を統べる大元帥の地位にあった。天皇裕仁は,この国においてかつて「最高・至上である軍人の地位」に就いていた。ところが,当人のいいわけを聞くと実は,「私はいやいや戦争に関与していた」という。だが,このような,とうてい信じることのむずかしい〈俗説〉は,仮に信じえたとしても,彼の「責任回避の態度」を赤裸々に物語っていた。まともな歴史研究家であれば瞬時にみやぶれる,彼の「とって付けたような遁辞」である。21世紀の現段階になってもなお,このような〈稚拙・未開の言説〉が日本社会の言論界の一部にまかりとおっている。相当に始末が悪い。

 敗戦後になるや突如,「平和を愛する昭和の天皇陛下像」が構築されはじめ,世間に広く喧伝されていった事実史がある。戦後史をこの手の情報操作によって捏造していった形成過程は,1945年8月以前の時代史をまったくしらない者であればさておき,それじたい「眉唾ものの」「皇室イメージ改善・向上ための戦略実行であった」と回顧されてしかるべきものである。

 ②「天皇ではなかったかもしれない天皇-ヒロヒトの独白録-」

 1) 天皇「免責・免罪」
 マリコ・テラサキ・ミラー編著,寺崎英成『昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記』(文芸春秋,1991年3月)は当初,『文藝春秋』1990年12月号に掲載されると,新聞・週刊誌・オピニオン誌などが,いっせいに論評を繰りだしてきた。その騒ぎかたは原文そのものを脅かすほどであった。つまり,20世紀も最後の10年間の時期になっており,すでに忘却の領域に移っていたかもしれない「人びとの意識の縁」ではあっても,あらためて「天皇有罪論」を想起させかねなかったのである(ハルトゥーニアン歴史と記憶の抗争』260頁参照)。

 「天皇有罪論」とは,かつての「戦争の責任」問題を意味する「天皇の過失」を指している。彼が体現していた権威によってこそ,「その戦争の歴史」が創られていった。すなわち,彼は,開戦-敗戦-破壊へと導いた「出来事の連鎖=歴史の展開」に深くかかわっていたから,その〈決定の機構〉にまつわるもろもろの〈特殊な責任〉も喚起させられる話題となった(260-261頁参照)。

 ところが,寺崎英成『昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記』は「その音量全体としては,昭和天皇の会話部分を誇張し,雑音のみを生み出している。その結果,ドラマからコーラスを,原本から写しを区別するのはむずかしい」(261頁)。われわれは,この独白録が昭和天皇の「戦争責任」を免責させるという大前提を満たすため,それも本人とも入念に相談しつつ周到に準備された文書である事実をすでにしっている。

 2) 独白録「制作」の狙い
 寺崎『昭和天皇独白録』は「戦争の決定に天皇が関与した」「関係をいっさいとりのぞこうとして」いる。この物語の作成に実際にかかわった5人の側近はまったく特定されようとしない。「組み立てられた物語と首尾一貫した筋書きが浮かび上が」るように,「天皇は自分の『言葉』で演じている」。その「ドラマは1920年代後半の張作霖暗殺事件から太平洋戦争の集結におよぶ」ものであるが,「戦争は必然的展開であったと読者に得心させるストーリーとなっている」(262頁)。

 この物語の語り手は博識であって,昭和天皇は「軍国主義への抵抗者」「立憲政体の熱心は擁護者」に役づけし,「天皇を実際の意思決定の場から遠ざけ,つねの彼の願望を打ち砕いてきた権威筋とは,単に天皇としてかかわったとするストーリーを狙っている」。とくに「明治憲法以来,日本の天皇に付随していた強大な個人的権限が,この記録では不思議にも,天皇の名において統治した制度が,天皇の有する最高統帥権をなぜか行使しえた悪者,すなわち軍部に移っている」(262頁)。

 「天皇無罪論」のためであってか,それほどまで急いて「この記録の作成」が準備されていた。ただし,この『独白録』の編集者は「この記録の作成に関する重大な問いに応えていない」し,「昭和天皇が文字どおりに『素直』に語った声として額面どおりに受けとるには問題がある」。なぜなら「天皇が綴ったものでないことは明白であり,これを天皇の個人的記録とするのは奇妙に思える」からである(263頁)。

 3) 独白ではない「独白の録」
 この記録の形態は,ある意見を天皇=語り手が直接に述べる場面によって,絶えずかき消されているという特徴がある。その声は,そこにまえもって示されている判断に呼応した物語を語るに終始する。この「策略のポイント」は「天皇を軍に敵対する者のようにみせる」ために,「軍部の決定や政策への不賛同を記録している」ことにある。「天皇は物語を生み出してはいるが,同時にその主要な題材になっている」。つまり「語り手であると同時に語られる者だ」から(以上,264頁参照),いわば「1人二役」が演じられている。

 天皇自身の「発話のまえに,他の誰かによって生み出された」「痕跡は全面的に隠され」,「その結果独白録は,さまざまな出来事が顕在化し生起しつつある時期に,天皇が純然たる独白ないしひとり芝居を演じているという印象を与える」。「しかしこの記録は明らかに戦後,そして発話の『私』--天皇--の挿入に先だって作られている」。天皇=「『私』(発言)の声をそこだけとくに示すとか,それを他の者の声ないし語りそのものの部分と区別することはなされていない」(265頁)。

 いいかえれば「発話のなかの『私』--天皇--との声を合成した痕跡を消し去っている。したがってこの記録の内容は,なぜこのテクストが生み出されたかという理由,そしてこの語りのなかで自分に振り当てられている役割が分からず,それをしばしば表明する明らかに場違いな天皇を露呈している」(266頁)。

 ③ 神話を信じる昭和天皇

 1) 現人神の人間味
 昭和天皇の発言についていおう。「天照大御神を始祖とする途切れのない統治者の家系の継承者であり,その政治的権威が『現人神』の神性を根拠にしているような〔昭和〕天皇が,自分の権威や正統性の源を拒否することは理解しがたい」。それでも「天皇は自分が『現人神』たることを信じたことがないのだと時代を遡って立証しようとしたことはなんら驚くに当たらない」。「天皇の人間宣言は,神,戦争犯罪への加担者,そのいずれでも絶対にありえない普通の人間としての天皇を,あらためて作ろうとしたイデオロギー的ファンタジーから必然的に生まれた結果であった」(267頁)。

 「天皇が日本の外交に関する重要な決定に内通しており,しかも支配的な意見に対して異なる評価,それも事態のなりゆきをまったく変えたかもしれない評価を下せる立場にあった」。にもかかわらずこの「独白録は,あたかも当時の日本が法規範と政治責務を柱とする立憲政治の国であったかのように,昭和天皇みずからを立憲君主として認識し,その立場上内閣や軍部によってなされた決定に積極的に反対を唱えることは慎むべきことだと考えていたと記録している」。そうであったとすると,「昭和天皇は自分が『国体』の器官すなわち『脳髄』だということを失念しているかにみえ,それは明治時代以降天皇が統治してきた日本という特殊な立憲国の性格を,彼が完全に誤認してい」たことになる(267-268頁)。

 留意したいのは,昭和天皇「が保持しようとした立憲政体が,開戦時にも終戦時にも同じ性格のものであったことには一言も触れていない」点である。要は「昭和天皇は絶対君主であった。彼の祖父(明治天皇)が人民に憲法を与え,人民が天皇に与えたのではなかった」(268-269頁)とすれば,「『立憲政体』を,昭和天皇がどのように認識していたのか問われねばならない」(269頁)。

 2) 昭和天皇の位置,自己認識
 独白録を読むと「いまだ存在していなかった立憲政体のリベラルな君主という役割を演ずるべく,天皇の改装が進行中であるかのようだ」った。「だが,もしそれが独白録のメッセージであるならば,つまりもしそれがこの記録の主要な筋立てであるならば,当然つぎのことが問われ」る。「1946年という時点で,過去15年間に自分の演じた役割を昭和天皇はどのように考えていたのか。彼が遵守し『現人神』として具現していた明治憲法に記された独自の天皇観が明らかに与えていた政治体制のなかで,昭和天皇はみずからをいかなる天皇として認識していのか。この『独白』が生まれる以前の時期をとおして,昭和天皇はどこに位置していたのか」(269-270頁)。

 昭和天皇は「現人神」と考えられていたし,ここに自身の拠りどころもあった。昭和天皇は,開戦反対の動きは「大内乱」を引き起こす危険があって,自身と周辺の生命が危うかった。さらに終戦時のクーデタの噂に関して,そのような内乱があれば自分の生命も保障されなかった。あるいは,1930年代の騒乱は,戦争そのものよりもっと破壊的で悲惨であり,日本は滅びてしまったと回想していた。しかし,昭和天皇の危惧は「終戦直後の日本に流布した内在的共産主義革命の噂と,それがさらなる暴力と破壊とをもたらすという危惧の残響である(271頁)。

 3) 独白録は空騒ぎ-偽の天皇像の創作-
 昭和天皇は戦争前の10年間,なにを信じ,実際にどんな発言をしていたのか,それらに関しては,それはなにも語ってはいない。独白録が語っているのは,むしろ天皇と天皇の側近が,戦後に戦争責任のあらゆる咎めを天皇に負わせないための策として,その時代の筋書きを立てなおすのに,なにを必要と考えたのかである(272頁)。

 昭和天皇は,歴史物語としては,戦前の重要な10年間とそれにつづく動乱を素通りし,ずっとあとになって自分の独白を5人の側近に語っている時期に触れているのみである。歴史の痕跡は,1930年代,1940年代の昭和天皇の経験というかたちで,物語の外側にある権威を主張するけれども,これが遡及しているのは,物語が構成された時点のみであった。この物語は,あらゆる君主のなかでももっとも絶対君主的であった昭和天皇を主役にしかねないことがらの指し示すものを除去する1条件として,組み立てられている(272頁)。

 たしかに独白録は,そうやって「戦後日本の,天皇ではなかったかもしれない天皇というイデオロギー的ファンタジーを築くのに多いに役立った」(272頁)といえる。

 ④ ハルトゥーニアン『歴史と記憶の抗争-「戦後日本」の現在-』2010年4月が暴いたもの

 1) アメリカに差し出した昭和天皇の身上書
 ハルトゥーニアンは,マリコ・テラサキ・ミラー編著,寺崎英成『昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記』(文芸春秋,1991年3月)の欺瞞性を指摘したのである。いうなれば,昭和天皇を,日本占領・統治にとって都合のよい道具「政体:象徴天皇」に変造してほしかったアメリカ側が,この天皇をそのように使いはじめるに当たり,戦争中から欧米寄りであった「旧套の日帝支配者たち:特定集団」にも助力させて天皇に書かせた『誓約書』であった。

 その誓約書は,昭和天皇1人だけで執筆するには荷が勝ちすぎたから,側近たちに手伝わせたに過ぎない。しかし,その結果はハルトゥーニアンも批判しているように,天皇の主体性がどこにあるのか完全に不分明な独白録の執筆になっていた。独白録というにはあまりに『個=裕仁「性」がない』というのが,独白録に対するハルトゥーニアンのきびしい指摘であった。

 裕仁天皇は,1945年の敗戦のときまでは旧大日本帝国の総帥:大元帥であった。しかも,一般臣民の「顕教」界では《生き神様》と信じられていた彼のことであったから,昭和20年代の7年間,日本帝国:日本国の実質宗主国となったアメリカ合衆国にとって,使い勝手のよい「日本国の象徴天皇」に変身させておく必要があった(21世紀の現在もまったく同じようなことかもしれないが・・・)。そのために昭和天皇側が必死になって書き上げた〈身上書〉が,まさしくこの『天皇独白録』であった。それゆえ,その中身はべつに「でっち上げ」でも「嘘っぱち」でも,いっこうにかまわなかったのである。

 東京裁判に裕仁天皇は引き出さないと事前に決めていた遠望深慮のアメリカ側にとっては,戦争中から既定の方針に,日本側が上手に応じるかたちで理屈づけしてくれる「天皇の告白」さえ出してくれれば,それでよかったのである。いわば「理屈はあとから」付いてきてくれれば,それはそれでこと足りたのである。

 2) 庶民の読みかた:その1
 だが,寺崎英成『昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記』は,以上のようにしくまれた歴史の因縁を少しもしらない〈日本の庶民〉は,つぎのような感想をすなおに語ってくれる。

 それまでの側近日記と違い,昭和天皇が語られたままの一人称で記録されており,第一級の資料といえます。本書より,戦前,戦中にあって昭和天皇がいかに苦悩し,苛立ち,和平を求められたかが分かります。昭和天皇は早くから,戦争を避けようとされましたが,世の情勢などから意図しない方向に進んでしまいました。
注記)http://yuuyuugasin.blog24.fc2.com/blog-entry-45.html

 これはきわめて表相的な読みかたであって,ハルトゥーニアンが歴史を回顧して研究した批判点などとは,もちろん無縁の〈意見〉である。しかし,独白録が狙ったところはまさに,こういう「すなおな反応」,歴史の無知を前提にした「それ」を獲得しようとする点にあった。ふつうは庶民が専門の歴史家であるわけもなく,日本近現代史の研究者であることもないから,この「昭和天皇独白録」だけでもっても,いともたやすくそれこそコロリと騙されて当然である。

 庶民の立場から「戦前,戦中にあっても昭和天皇は平和主義であった」かのように思いこむのは勝手である。だが,たとえ「昭和天皇は早くから,戦争を避けようと」する気持があったとしても,なぜその意図がかなわなかったのか,その真相は彼ら=庶民に分かるわけもない。

 3) 庶民の読みかた:その2
 寺崎英成『昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記』の初出は『文藝春秋』1990年12月号であった。このとき独白録に接したある日本の庶民は,こういうふうに感想を書いていた。

『天皇独白録』発表される 文藝春秋 1990年12月号
  -「天皇独白録作成の目的に関して」『文芸春秋12月号』文芸春秋編集部-

 それにしても,なんのためにこの生々しい記録が作られたのか,それがどう使われたのかということについてはなお不明な点が多い。昭和20年初頭から政府,軍の要人は戦犯として次々に逮捕され,翌年(昭和21年)4月28日には,東条英樹元首相以下のA級戦犯28名が起訴された。極東国際軍事法廷東京裁判の開幕である。一部には昭和天皇をも戦犯として裁くべし,という強行論もあり,天皇退位も真剣に検討された。

 実はマッカーサー元帥は,それより前の(昭和21年)1月25日に,長文の最終結論をワシントンへ送り,昭和天皇を戦犯指名から除外することに決定していた。しかし先の「側近日誌」の昭和21年2月25日付記述には次のような箇所がある。「ご文庫にて拝謁」。「戦犯審判開始が漸次遅るる訳は,マッカーサー司令部に甲乙に議論のあるゆえ」,「側近としても,陛下のご行動につき,手記的なものを用意する必要無きやにつきご下問あり」。

 『独白録』は天皇無罪論を補強するため,天皇自身から話を聴く機会をもったものと考えられる(※NHKスペシャル『御前会議』原本)。あるいは逆に,天皇陛下みずからが昭和を回想し,後世に記録を残そうと熱意を抱いたとも推察される。他から強いられたとは思えない率直な話ぶりから,その気持がうかがえる。あまりにも率直に,といってもいい。それだけにこのうえなく貴重な昭和史の元資料となっている。いずれにせよこの「独白録」がいかなる目的のもとに作成されたものであるかは,昭和史研究家の分析を待たねばなるまい。
注記)http://www.tante2.com/tokyo-saiban-1.htm 引用・参照。目次画像もここから。

 本ブログ筆者の研究によれば(「2009.7.29」「■昭和天皇延命工作■」参照),昭和21〔1946〕年末ころには,天皇が東京裁判のような法廷には引き出されないことを教える情報が,彼のもとに届けられていた。庶民=素人の従事する研究次元での話とすれば,「昭和史研究家の分析結果」がどのくらい蓄積され利用されているのか不詳である。

 ましてや,昭和天皇自身がアメリカに「生命乞い」しなくても,敗戦後に向けて天皇位を維持されうる保障が,アメリカからさきに示唆されていた。だから彼は,それはもう熱心になって「その後に生きるための身上書」を「独白する録」のかたちにととのえ,アメリカに提出したのである。むろん,天皇の側近たちもそれをしあげるための援助を惜しまなかった。しかし,その結果できあがった『独白録』は,裕仁氏の主体性・個性を漂白させる作用をもたらした。

 したがって,この「3) 庶民の読みかた:その2」に引用された人物は,「昭和天皇の敗戦後」とは 180度も正反対の内容を提示していた,つまり,戦争中には大元帥として〈有能な最高指揮官ぶり〉を発揮しながら昭和天皇が「軍事・戦局を積極的に語った」史料である『小倉侍従日記』に触れて,こう述べている。

 これらの日記に劣らず,政治的,軍事的な発言も随所にみられる。なかんずく昭和17年12月11日,伊勢神宮参拝のために泊った京都御所の侍従詰め所に天皇はわざわざやってくる。小倉ら侍従及び侍従武官に,1時間47分にわたって語った戦争観は生々しい。率直な気持の吐露であったろう。

 この日記のもう一つの特徴は,戦争を国民とともに戦っていたころの,皇室のありのままの姿が残されていることである。皇太子の教育を心配し,皇后の健康を気づかい,皇后とときには「衝突」する “父として夫として” の天皇がいる,といっていいであろう。いいかえれば,『天皇独白録』の戦後の述懐とは違って,戦争を戦っているそのときの天皇の肉声がそのまま記録されている。最高司令官の立場からの諸発言に聞こえる。
注記)http://www.tante2.com/tokyo-saiban-1.htm 画像もここから。

 --この画像「上部」には,伊勢神宮を参拝する昭和天皇が写っている。昭和17:1942年12月中旬のころ,大東亜戦争の戦局は日本不利へと転回しだしていた時期である。元帥の軍服を着用して,天皇家の祖先〔天照大神〕が祀られていると自身が信じる墓にいって,なにを祈ったのか? それは戦争勝利なのであって,けっして敗戦などではあるまい。まさか「軍人に強要されて伊勢神宮に参拝し,戦勝を祈らされた」ということではあるまい。

 『小倉侍従日記』昭和17年12月11日の記述については「昭和天皇が各部署から上がってくる情報を総合して,的確に判断していたことがわかり」,「そして,そのような判断がありながらも,結局陸軍の横暴に引きずられてしまった」と説明する者もいる。かといって,そのように「引きずられていた大元帥の天皇自身」に,戦争指導上の責任がなにもなかったとはいえず,逆におおありである。そのように判断するのがまっとうな観方である。

 立花 隆はこういっていた。--小倉侍従日記によってみても,天皇が戦争初期(日中戦争)は悩み苦しみつつなんとか戦争のこれ以上の拡大は食いとめようと努力していたことは分かる。しかし,途中から天皇の気持がかわってしまい,「戦争はやるまでは深重に,始めたら徹底してやらねばならぬ。また行はざるを得ぬ」と考えるようになった。そして,1941年12月8日,太平洋戦争が,ハワイの真珠湾攻撃とマレー沖海戦の大勝利で始まり,その後も年内は勝ち戦をつづけていく過程で,天皇も急に楽観論に転じてしまった。
注記)http://caprice.blog63.fc2.com/?no=32

 前段の論及は「まことに興味深い」というさい,「『天皇独白録』の戦後の述懐とは違って,戦争を戦っているそのときの天皇の肉声がそのまま記録されている」と,わざわざ指摘している。すなわち,「天皇独白録」は「戦争を国民とともに戦っていたころの,皇室のありのままの姿」を,敗戦後になって意図的に抹消するために制作された「裕仁天皇自身の経歴」を偽るための身上書であった。分かりやすくいえば「履歴(経歴)詐称の独白録」。

 4) 敗戦のいいわけだらけであった昭和天皇の言説
 「敗軍の将兵を語らず」という文句がある。「兵」とは兵法・戦法を意味し,「戦いに敗れた将軍は再び戦略については語らない」という意味である。ところが,昭和天皇は「勝軍の大将ならぬマック元帥閣下」から,大東亜・太平洋戦争に至るまでの自身の「兵法」との歴史的関係を「なかったものにする〔してくれる〕」身上書を書くように勧められた。

 この事情をすぐに悟った賢い昭和天皇は,それに報いるべく必死にそれを書きあげたのである。しかし「敗軍の将兵を語らず」であるから,「兵法」=「自身の戦争指導の部分」にはいっさい触れず,自身がいかに「軍部に〈玉:タマ〉あつかいされ,苦労したか」だけを綴ったのである。もちろん,これは事実でも真相でもなく,アメリカとの出来ゲーム,いいかえれば,その馴れ合い試合を円滑に進行・消化させるために,彼が「創作的に語り」あるいは「語らされた〈物語〉」であった。

 そうした昭和天皇の命乞い「身上書」のツケまわしを,一気に背負って地獄の底に送りこまれたのが,いわゆるA級戦犯となった東條英機以下の高級軍人や政治家たちであった。戦争指導をした高級軍人や国家閣僚であった彼らが,いかほどの戦争責任を背負わねばならなかったかといえば,東京裁判の正当性が国際法に問われる余地も大きくあるゆえ,一筋縄にはいかない論点である。

 しかしながら,A級戦犯がハデな処刑儀式もなく,13階段を登ぼらされて絞首刑とされる光景を想像しながらも,昭和天皇は自分の首筋を撫でつつ「身上書」である「独白録」を,「これで俺も長生きできそうだ」とでもつぶやき「エンピツを舐め舐め」書いていたかもしれない。「一言でいえば,裕仁は,昭和の戦争のすべての局面で,つねに主語の位置に立っていた唯一の人物である」(http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/kinkyo0801.htm)。

バーガミニ『天皇の陰謀』

は、第2次大戦終了までの昭和の20年間を、昭和天皇・裕仁を主語に明示して書いた現代史である。裕仁が主語の位置に立つことを避けて、あいまいな物言いで済ましているのが、ほとんどの日本現代史である。あたかも、戦前から「天皇象徴制」であったかのように、裕仁が神聖で犯すべらかざる絶対王ではなかったかのようにあつかうのがほとんどの日本現代史である。
裕仁の役目は形式的な「朕」であり、「玉璽」を捺す無口で穏やかな海洋生物学者で、ときどき“あぁ、そう”と言うだけの内気な人物、と思われているフシがある。それは、敗戦が避けられないことが明らかになった時、終戦前から作為されてきた“平和天皇”という新たな偽造であり、日本国民を騙すことにまんまと成功した裕仁の偽像である。
では、戦前の裕仁の実像は、どういうものであったか。バーガミニ『天皇の陰謀』はそれを述べようとしている。一言で言えば、裕仁は、昭和の戦争のすべての局面で、常に主語の位置にたっていた唯一の人物である。

ひとつだけ、例を挙げておく。
サイパン島に連合軍が約7万人のアメリカ兵を上陸させたのは、1944年6月である。サイパンは日本が第1次大戦中にドイツから獲得した領土であり、日本の戦前からの領土が敵によって攻略される最初の土地であった。サイパンには3万の日本兵のほかに、日本の植民地として民間人が2万5千人以上住んでいた。
アメリカ軍の徹底した物量戦で日本軍はことごとく破壊されようとした。この場合に、日本の戦争指導部にとって「一つの問題が起こってきた。いかに民間の住民に指示したらいいのか。・・・・・・一つの日本人共同体がそっくり捕虜になるかも知れなかった。・・・・・・彼らは合衆国の待遇によって一驚し喜び出す恐れがあった」。

    裕仁は、民間の日本人の欠陥[捕虜となって米軍の豊かな待遇に触れて、残りの日本人の戦闘精神を沮喪させること]がサイパンでの患いになると判断すると、その月の終わりに[1944年6月]、大体においては自決を遂げていた民間人を鼓舞激励する天皇の命令を発した。その命令は自決を要求してはいなかった。それはサイパンの指揮官に、そこで死ぬ民間人に戦闘中に死んだ軍人のそれと同等の来世における霊的資格を約束する権限を与えたのである。(第7巻 p119)

バーガミニはこの部分に、つぎのような注を細字でつけている。

    裕仁のために弁解する者の中には、これやその他の死の命令は、すべて実際には裕仁が政府用箋に捺した玉璽をあえて悪用した大本営の誰かによって発せられたのだ、と主張している。こうした失敬なお笑い草はなんら確認されていないものである。木戸内府をはじめ、皇居の廷臣の半分は、もしも本当に王位の神聖な玉璽が誤用されていたならば、腹を切らなければならない責任を感じたであろう。(同)

わたしは、本書で真に“怖ろしい”と感じたところは、つぎの引用である。
なぜ、日本人が(日本兵が)中国や東南アジアで残虐行為をあえて行ったのか、ということがずっと分からなかった。不審に思っていた。“大東亜共栄圏”などの独善的な思想のためなのか、“神国”思想のせいか、等々。だが、バーガミニは、日本の戦争指導部(そのトップが裕仁)は日本に敗北しかないことを疾うに知りつつ、なぜ簡単には降伏しなかったか、を問うて、あまり安易に早期に降伏すると国民の不満が戦争指導部批判(とくに天皇批判)となる可能性を恐れたからだ、といって、次のように国民全体を共犯者にする意図があったのだという、怖ろしいことを述べている。

     最も微妙な問題は、戦争責任の分担であった。一部の日本人は、地球を支配して、かつて威勢を誇った中国、ヨーロッパ、アメリカからの貢ぎ物を受けとりたいと考えていた。しかし、中国人の目を焼き、イギリス人を去勢し、アメリカ人の肉を食おうなどと考える者はいなかった。だが、こうした残虐行為に多数の日本人を参加させる慎重な命令を憲兵は出し、それによって、日本の犯したあやまちは日本国民全体の責任であり、個人――とりわけ裕仁――の責任ではないという罪の意識を国民に抱かせようとしたのだ。犯罪責任を分担することにより、日本のありとあらゆる一般大衆は、目には目を、歯には歯をという報復でさえなければ、どんな和平であろうと喜んで受けいれるようになるだろう。
     日本軍の捕虜収容所における戦慄すべき事態は、こうした陰険かつ微妙な民衆操作のための配慮によって生じたのである。犠牲の子羊だけが血祭りにあげられただけではない。裕仁の憲兵と収容所長は、人種、宗教、皮膚の色、性別の差なく死を分配した。幸いなことに、彼らはそれを科学的な炉やガス室を用いずにやった。だが、ユダヤ人を除けば、日本軍の収容所での死者はドイツ軍の収容所のそれより多いのだ。第三帝国の兵士によってイギリスおよびアメリカ人23万5473名が捕えられ、そしてその4%、9348名がナチの収容所で死んだ。日本軍は9万5134名のイギリス、オーストラリア、アメリカ、カナダおよびニュージーランド人を捕虜とし、うち2万7256名、28%が日本軍収容所で死んだのである。(第7巻 p7~9)

ここでは、バーガミニは中国人にたいする残虐行為や泰緬鉄道などでの現地人の死亡数について取り上げていないが、それは、それぞれの個所で詳細に触れられている。
このバーガミニの展開が正解であるかどうか、わたしには分からない。しかし、“外人好きで、好奇心旺盛で、付き合いの良い日本人”という評判だった日本人が、なぜ、極悪非道の残虐行為を為すことができたのか。これは歴史的事実である。それに対する一つの解が示された。バーガミニによる解である。わたしにとっては初めての説得力のある解であった。だが、この解が想定している国家指導部(裕仁)と全ての日本国民との関係の血の凍る怖ろしさは、ヒドイものだ。「バーガミニの解」が、なんと怖ろしい「神王」像を含意しているか。

誤解のないようにつけ加えておくが、バーガミニは決して自分が捕虜体験のある白人であるという観点をもって、日本人や裕仁をこき下ろそうとしているわけではない。そういう、お手軽な著作ではないことは保証できる。連合軍側の都市爆撃・原子爆弾・海上を泳ぐ日本兵への機銃掃射などを厳しく断罪している。
また、歴史家や批評家からは完全に無視されるか、嘲笑的にバカ呼ばわりされるような言及しかなされないのが現状であるようだ。



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