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テンプル騎士団とロスチャイルド家の結婚 

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年 5月25日(土)22時28分45秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://higasinoko-tan2.seesaa.net/article/170515077.html

初代ロスチャイルド家創業者マイヤー・アンセルムに関しては以下を参照

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/214.html

ロスチャイルド家とゴールドシュミット家

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/481.html

『イルミナティ』っていうのはいったい何やねん!
『悪魔崇拝集団』って何やねん!
色々なサイトにあるのであえて言う事もないとは思ってましたが上記の記事からもう一度良く考えてみるもの必要かと一つの要素として記事を書きました。
自分の頭にだけあっても何ですしね(汗)
歴史の勉強のおつまみに....。

まず、イルミナティや背後に見える悪魔崇拝教団を知るには以前の財団Xで触れたテンプル騎士団やフリーメイソン、ロスチャイルド家との関わりが重要でしょうね。
以前の記事:http://higasinoko-tan2.seesaa.net/article/168729390.html
テンプル騎士団がフランス国王フィリップ4世により、悪魔崇拝をする組織として解散させられたのは以前触れたのでご存知かと思います。

テンプル騎士団は船や欧州中のネットワークを使いあらゆる商売や金融業にまで手を広げ、日本で言えば『坊主丸儲け』のように当然無税で丸儲けしたテンプル騎士団は十字軍に資金を貸したりと影響力はとても甚大だったのです。
エルサレムを守る組織として誕生した反面、実際に悪魔崇拝の一面を取り入れたある組織による活動があったのも確かです(それは後ほど)。
しかし、フランス国王フリップ四世はその莫大な富と影響力を恐れてか、悪魔崇拝組織として騎士団を捕らえ、その資産を略奪した。
1312年フィリップ四世はテンプル騎士団の解散を命じ200年の歴史を閉じることになる。
このフィリップ四世によるテンプル騎士団(ユダヤ人虐殺)解体は後々、イルミナティの設立者アダム・ヴァイスハウプトによってフランス革命が仕掛けられ、フランスのブルボン王朝が崩壊され奪った富が奪い返される事になる。

米国誕生100周年記念に寄贈された『自由の女神』が、フランスのフリーメイソンが米国フリーメイソン&テンプル騎士団国家であるアメリカ合衆国誕生成功の為に送った背景が理解出来ると思います。

更に深く背景を知るために有名なこの記事を訳したいと思います。

ロスチャイルドと聖杯の血統
2005年8月22日
BY:デイビッド・リビングストン

ジェイコブ・ロスチャイルド(名門ロスチャイルド家を率いる現在のトップ)は、イルミナティー最上位のファミリーとの間で重要な同盟関係を作り上げる為に、いわゆる血族の子を作る為に、聖杯ファミリーの直系といわれているシンクレア家と結婚しました。(この聖なる子(邪悪な子)が僕は新世界秩序の王に君臨すると思っています。)

シンクレア家とは?・・・テンプル騎士団がスコットランドに逃れて100年後、テンプル騎士団の子孫『ヘンリー・シンクレア』が大西洋を西に向かって謎の航海をしたという記録がある。後にアメリカ合衆国建設をフリーメイソン組織と共に果たす。フリーメイソンという組織の位階をイルミナティーが作ったと言う話もあるが、それは間違いで『スコッチ式儀礼』という名称で、33位階の不動の儀礼体系を創り上げるのに成功したことから由来している。(注意:達人先生が会ったシスコ・ウィーラー女史(サタンの花嫁で11位階)が実は99位階だと暴露したのも興味深い。全ての謎はまだ明かされていないのでしょうか)実は近代的フリーメーソンが、フランスに入ったのは1717年よりかなり前であり、1742年 にはフランス全体で200のロッジが既に観察されたという。 イルミナティーの設立はドイツの赤い楯(ロートシルト)の代表マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドがアダム・ヴァイスハウプトに命じ、資金提供からイルミナティが1776年5月1日に誕生した。マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの莫大な資金源はヘッセン家に仕えていた時、マイヤーがヘッセン=カッセル方伯の子ヴィルヘルム九世からカネをかすめ取り、その金を三男ネイサン・ロスチャイルドがイギリスに運び『世紀のゴールドラッシュ』を達成した時の産物。達人先生によればこの資産がなんと2500倍に増えたという。
仕組みはこうです・・・イギリスへと渡ったネイサン・ロスチャイルドは、1810年にロンドン証券取引所の支配者フランシス・ベアリングが亡くなると、新しい支配者となり、世界一の金融王としてイギリスがヨーロッパ同盟諸国に提供した4200万ポンドの資金の半分を調達するまでになりました。  そして1815年、ネイサンは世紀の大もうけに成功します。皇帝ナポレオン率いるフランス軍と、イギリス=オランダ=プロイセン連合軍が戦ったワーテルローの戦いが起こりました。この戦争は、仮にイギリスがフランスに負ければ、大陸のパワーバランスが崩れ、イギリスの大陸における利権が一気に失われかねないということで、非常に大きな意味を持っていました。  この時、イギリスは国債を発行することによって対ナポレオン戦争の軍資金を調達していました。イギリスが負けることになれば、当然、イギリスの国債は大暴落してしまいます。投資家たちは、皆、戦争の行方を固唾を呑んで見守っていました。  そして、戦争終結から数日後、イギリスの国債は大暴落しました。その理由となったのは、ネイサン・ロスチャイルドでした。その日の朝、ロンドン取引所の持ち場にいたネイサンは、青ざめ、疲れきった顔をして、急に国債を売り始めたといわれています。ネイサンは、イギリスに対して莫大な投資を行っており、また独自の情報ネットワークと情報を素早く手に入れるための手段(個人の快速船など)を有していることが知られていました。そのため、ロンドンの市場関係者たちは、「ロスチャイルドが債権を売っているということはイギリスが負けたのだ」と考え、われ先にと債権を売り始め、最終的に国債は大暴落したのです。  しかしながら、実際はナポレオンがイギリスに敗北。当然、戦勝国であるイギリスの国債は、大暴落した次の日には、イギリス勝利の情報とともに暴騰しました。しかし、その時はネイサンがイギリス国債を大量に買い漁った後だったのです。誰よりも早く、そして密かにイギリス勝利の確かな情報を手に入れていたネイサンは、イギリス国債を売りまくり、イギリス敗北を偽装するかたわら、秘密の代理店を使って、紙屑同然の値段の国債を買いまくっていたのでした。  この出来事により、多くの投資家と、ほぼ全ての名門の家系が破産し、対してネイサンは約100万ポンドの利益を得たといわれています。これは、当時のお金の価値では天文学的な数字で、この日の儲けで彼の財産は2500倍まで膨れ上がったともいわれています。このことはのちに「連合国はワーテルローの戦いに勝ったが、実際に勝ったのはロスチャイルドだった」という諺となって残っているそうです。参考:http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20050903

最近の映画ダヴィンチ・コードでダン・ブラウンによって、または、以前の彼による『ホーリー・ブラッド(神聖なる血液:張付けにされたイエス・キリストの血を受けた聖杯)』つまり『聖杯伝説』の著書で一般的に広められたように、スコットランドのスチュアート・ファミリーがおそらくアーサー王とイエス・キリストの子孫です。
だが、むろん、このファミリーはイエスの子孫などではありません。この考えに至にはとても不合理です。しかし、彼らは確かに聖杯に関わりがあります。そして、彼らはキリスト教徒でなく、カバリスト(カラバ主義者)なのです。

カバラとは・・・「汎悪魔主義(パンデモニズム)」とも呼ばれます。 (グノーシス主義というもの似たようなものだと考えて構いません。) つまり「神は存在せず、悪魔しかいない」という主義です。 なぜこんな思想が生まれてきたかというと、 かつて旧約聖書(ユダヤ教・キリスト教)を信じる者から「なぜこの世に悪があるのか?悪も神が作ったのか?」という疑問が出てきて、 この疑問に対して 「神が悪を作ることはないから、悪は善の欠如である」 「善の欠如なら、努力すれば善は達成できる」と説かれていましたが、 そうなると、 「人間の罪が無くなっては穢(けが)れだけではないか!?」 「人間は罪深い生き物ではなかったのか!?」 ということになり、 そして「人間には、実は原罪(オリジナル・シン)なんてなかった」という発想が生まれてきました。 この考えの逆は、実は”この世に悪があるという事”は「=(イコール)神など存在せず、悪魔しかいない」ということになります。 そこで、ユダヤ教の絶対神であるヤハウェ(エホバ・ハレルヤとも)を闇の神として、 光り輝く神として「ルシファー」を存在することにしました。 夜明けの明星、つまり金星のことです。 ヤハウェ(闇の神)vs ルシファー(光の神)としたのです。 こうなるとスピノザもイルミナティ思想で、 大きくは善(正しい)と、悪(間違い)の戦いという構図になります。 それが、汎神論=汎悪魔主義(パンデモニズム)です。 これが世界大戦を裏で操っていたイルミナティ・フリーメイソンの悪魔主義者アルバート・パイクにも通じてきます。 中世は他人を中傷したりイタズラするものでしたが、悪魔は近代になってから増殖しました。 悪の考え方の2通りあり、 1つ目は、善の欠如(西側)というもの。 2つ目は、悪自身が自立している(ビザンツ「東ローマ帝国」、神学やロシア正教神学) というものです。 神が悪を作ったのならばそれは神ではなく悪魔だ。 するとスピノザなどの「汎神論」というのは「汎悪魔主義」ということになります。 神学界でスピノザを警戒しているのはそのためです。

実際にスチュアート・ファミリーは、イルミナティの中核をなす全ての貴族の血統のように、西暦8世紀のギヨーム・ド・ジェローヌの血筋を引いています。ギヨームの父は、バグダッド(イラク)でユダヤ人を支配していたユダヤ人共同社会(Exilarchs)の世襲統治者で、後継者に関する議論(争い)の後、西欧に追いやられた人物:ラビ・マヒカル(Rabbi Makhir)でした。彼はフランスで『テオドリック(Theodoric)』と名乗り生活し、シャルルマーニュ(カール大帝:768年 - 814年)の叔母であるアルダと結婚。そして、彼の資本により作られた都ナルボンヌと共にラングドック地域で『ユダヤ人の王(King of the Jews)』に任命されました。

それ以降ナルボンヌは、中世カバラ教の中核都市となりました。
このカバラ主義者は、エルサレムに埋められた神聖な聖典を取り戻すという命により、当初ローマ帝国の支配下、その次にイスラム帝国の支配下にエルサレムが置かれアクセス不能なことから、巧みに十字軍を扇動する役割を果たしたようです。
一旦エルサレムが十字軍により征服されると、テンプル騎士団(カバリスト修道会の有名な騎士団)が遺跡の発掘を指揮しました。そして、『セーフェル・ハ・バーヒール(Sepher ha Bahir)』の聖典を発見します。それにより失われた神秘的伝統を復活させ、カバラの文化革命を開始しました。
このカバリスト思想による浸透のもう一面は、『カタリ派』という異教でした。カタリ派の地盤はトゥールーズ地方にありました。またそこは、 『ギリェミッズ(Guilhemids)ファミリー(そのファミリーの何人かは異教の熱心な擁護者)』として知られる、ギヨームの子孫の要塞でした。
しかし、このカタリ派が教会迫害の罪のない犠牲者であったとして、多くのイルミナティ・プロパガンダ扇動者によって理想化されていました。しかし、実際にカタリ派はルシファーと熟練した魔術の崇拝を支持し、神の聖書を拒絶していました。テンプル騎士団の異端的な面に影響を及ぼしたのがこのカタリ派でした。その為に騎士団がフランス国王の命令により1307年に解散されたのです。

このカバリストによる革命の一部が聖杯伝説(それはカタリ派とテンプル騎士団のテーマを包含する)でした。そして、アキテーヌ地方(ギリェミッズ・ファミリーのもう一つの拠点)で組織化し発展させました。
『サングリアル(Sangreal)をSan Grealと区切ると聖杯』となり、『Sang Realと区切ると(王家の血)』もしくは『Royal Blood(王族の血) 』と翻訳されるべきなのです。なぜならば、それがギヨーム・ド・ジェローヌと、究極的にはダビデ王から由来する神聖な血統について言及していて、そして、実際にそれが堕天使とそのリーダーのルシファーの末裔である事を示していると考えられるからです。

シンクレア家は、ババリアの父に介され、彼の偉大な曾孫娘バイキングのリーダー(ロロ・ラグンバルドソン(Rollo Ragnvaldsson))と結婚した、ギヨーム・ド・ジェローヌの子孫でした。ロロの子孫の中にはノルマンディーの征服王ウィリアム一世がいました。『シンクレア家』、言い換えると『聖クレア』は、フランス中で様々な城を与えられました。
しかし、彼ら全員は、征服王とイングランドに行きました。しかし、シンクレア家の一人がウィリアム一世という名の征服王が気に入らなかったので、彼に対し不満を抱く一部の男爵達とスコットランドに行って、スコットランド王マルカム3世に雇われることで彼自身の身をスコットランドに置きました。
スコットランド王のマルカム3世は、スコットランド王で『カトリック教の聖人』のデイヴィッド1世の父でした。
1128年のトルワ議会のすぐ後、ユーグ・ド・パイヤン(Hugh de Payens)(テンプル騎士団の最初のグランドマスター)は、スコットランド王のデイヴィッド1世に会いました。デイヴィッドは後に、テンプル騎士団を自分のまわりにおいて、彼らを「昼夜を問わず自身の素行を守るガーディアン」に任命しました。
デイヴィッドは、征服王ウィリアム1世の姉妹でもある、最初の十字軍のリーダー:ゴドフロワ・ド・ブイヨン(Godefroy de Bouillon)の兄弟のランバートII世の孫娘と結婚しました。ゴドフロワの弟(ユースタスIII世)は、デイヴィッドの姉妹(メアリー・スチュワート)と結婚しました。彼らの娘(征服王ウィリアム一世の娘でもある)はイングランドのスティーブンI世王(アデラ・デ・ノルマンディー(Adela de Normandie)の息子)と結婚しました。アデラの兄弟(イングランド王のヘンリー1世)は、デイヴィッドの姉妹(スコットランドのエディサ)と結婚しました。彼らの娘(イングランドのマチルダ女王)がアンジュー伯爵ジョフロワ5世(Geoffrey V, Comte d'Anjou)と結婚しました。そして、彼らの息子であるヘンリー2世がエリナー・オブ・アキテーヌと結婚しました。
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『フォース湾』『現在のテンプルの地』
デイヴィッド王はユーグ(テンプル騎士団長)と彼の騎士団にフォース湾沿いにあるBalantrodochの領地を与えました。まさに現在、ロスリン家の用地に近いその地はテンプルと名を変えました。
そして、伝説によれば、テンプル騎士団が裁判を受けたとき、彼らのリーダー:ジャック・ド・モレーがテンプル騎士団員をスコットランドに帰還(逃がす)するよう手配しました。そして、スコットランドに渡る事が出来た生き残りの騎士団員がバノックバーンの戦いでロバート・ブルース(ブルース家のロバート1世)に加担し勝利に導いたのです。
戦いに勝利したブルース家のロバート1世が偉大であるデイヴィッド王の3代遠い孫としてスコットランドの王位につく権利があると主張しました。ウォルター・スチュアート(スコットランドの第6代執事長であるスチュワード)もまた、バノックバーンの戦いにおいて重要な役割を果たしました。それから第6代執事長のウォルター・ステュアートがブルース家のロバート1世の娘マージョリーと結婚しました。そして、彼らの子ロベール2世がブルース家の継承者でした:彼の叔父、スコットランドのデイヴィッド2世が死んだ後、結局、ブルース家のロバート1世がスコットランドの王位を継承したのです。
スコットランドで生き残ったテンプル騎士団は、スコットランドの護衛隊メンバーとしてブルース家のロバートに仕えました。それにより、2つの突出して力を得たファミリーが『スチュアート家』と『シンクレア家』でした。
ヘンリー・シンクレアはブルース家のロバートの熱烈な支援者で、そして、ブルース家の血筋と結婚したヘンリー・シンクレアの子孫(ウィリアム・シンクレア)が聖杯が埋められているかもしれない場所のうちの1つだと思われた敷地に、オカルトの象徴として満ちあふれたロスリン礼拝堂(ロスリンの村の教会)をデザインし建てました。ついに、シンクレア家はスコットランド・メイソン団の遺伝ある正統なグランドマスターに君臨したのです。
エリザベス女王が後継者を選ばずに死んだ後、彼女の後に、スコットランド女王メアリーの息子、イングランドのジェームス・スチュアートI世が王位を継承しました。
しかし、組織の最後の君主であるイングランド王ジェームズ2世・スチュアートを追放して、オラニエ家のウィリアムが取って変わりました。この王座を後退させられた理由が18世紀のフリーメーソンと共謀したスチュアート1世が原因だったからです。
同時にスチュアートが原因でフリーメーソン団の制度にスコットランド儀式(スコッチ式儀礼の33階位)のエッセンスが加わることになったのです。それ以外では、カバラとして知られる東洋の神秘的な伝統を救ったのがテンプル騎士団の後継者:スチュアートだと考えられました。

その後、シンクレア家やスチュワート家、メイソン団がアメリカへ渡ったのでしょう。

テンプル騎士団とロスチャイルド家の結婚 その2

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1804

写真は元記事を参照のこと

しかし、18世紀後半からイルミナティはロスチャイルド家によるリーダーシップを受け入れました。
名家の創設者『マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(Mayer Amschel Rothschild)』は、息子達に近親とだけ結婚するよう命令していました。それは祖先から代々受け継がれた結婚の仕来りだからです。
しかし、最初の例外が『マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド』の息子(悪名高いネーサン・マイヤー・ロスチャイルド(Nathan Mayer Rothschild))の娘:ハンナでした。彼女は『ヘンリー・フィッツロイ閣下(父親がイングランド王:ジェームズ2世(James II)で、イングランド王:チャールズ2世スチュアート(Charles II Stuart)直系の子孫)』と結婚しました。
しかし、直近ではネーサン・マイヤー・ロスチャイルドの3代後の孫にあたる『第4代ロスチャイルド男爵:ナサニエル・チャールズ・ジェイコブ・ロスチャイルド(Nathaniel Charles Jacob Rothschild)』が『メアリー・セレナ・ダン(Mary Serena Dunn)』と結婚しました。
jRothschild.jpg
『ナサニエル・チャールズ・ジェイコブ・ロスチャイルド』
メアリー・セレナの母親は『レディー・メアリー・シビル・聖クレア(シンクレア)=アースキン(Lady Mary Sybil St. Clair-Erskine)』でした。シビル婦人は『ジェームズ・フランシス・ハリー・聖クレア(シンクレア)=アースキン(James Francis Harry St. Clair-Erskine)、つまり、ロスリン伯爵(5th Earl of Rosslyn))』の娘でした。
現在ジェイコブ・ロスチャイルドは、英国ロスチャイルド・ファミリーのトップです。『父親(KGB職員アンソニー・ブラント(Anthony Blunt)とガイ・バージェス(Guy Burgess)の友人で、元MI5エージェントで高名な動物学者:ビクター(Victor))』から第4代淮男爵位を継承しました。
ジェイコブは1980年にファミリーが運営する銀行NMロスチャルズを辞めて(いとこエヴリンに後を任せ)、RITキャピタル・パートナーを起こしました。
ジェイコブ・ロスチャイルドは『Yad Hanadiv(ロスチャイルド財団)』の議長です。そして、そのロスチャイルド財団(それはユダヤ人の方針研究の議長職)は世界中でユダヤ人に対し悪影響を及ぼす問題を推進するよう専念します。

rothschildComp.jpgさらにYad Hanadivは、イスラエル国会政府ビルディングとイスラエル最高裁判所を建造して与える役割を果たしました。そして、この構造物は顕著にフリーメーソンのシンボルであるピラミッドとイルミナティの万物を見通す目を特徴としています。(写真:一番下)
ジェイコブ・ロスチャイルドはダイアナ皇太子妃と個人的に親しい友人で、ヘンリー・キッシンジャーとはビジネスのつながりで個人的に強い関係を維持します。
ジェイコブ・ロスチャイルドはルパート・マードックの事を良く知っています。1960年代にオーストラリアの新聞社オーナーであるマードックが初めて英国に来た時からの長い友人です。

ジェイコブ・ロスチャイルドの田舎の屋敷は、ロナルド・レーガン大統領やビル・クリントン大統領などを含む国家長官が訪問するための規則的な会場でした。(写真中央)
1990年のサミットで『マーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)』はフランスのフランソア・ミッテラン大統領をその屋敷で迎えました。
ジェイコブ・ロスチャイルドは2002年にヨーロッパ経済円卓会議を主催しました。そのロスチャイルド家主催の会議には『ジェームズ・ウォルフェンソン(James Wolfensohn)』、『世界銀行総裁:ニッキ・オッペンハイマー(Nicky Oppenheimer)』、『ウォーレン・バフェット(Warren Buffet)』と『アーノルド・シュワルツネッガー(Arnold Schwarzenegger)』のような人物が参加しました。(写真:一番上)

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