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フィロンとヨセフス

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年 6月11日(火)12時05分23秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://sun.ap.teacup.com/souun/649.html
 
「キリスト教信仰の基礎である救世主イエスの実在性」

 世界は「大宗教戦争」のまっただ中にある
 
>以前の投稿で、聖書が悪魔崇拝者によって書かれたと述べておられましたが、その根拠はどうしてでしょうか。

関連記事:死海文書で検索すると9件出てきます

http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%8e%80%8aC%95%b6%8f%91&inside=1

正統派研究者が、正面切って、巷間伝えられているかたちでのイエス・キリストの実在性を否定したり、福音書の内容に疑義を唱えることはほとんどありませんが、歴史書で公認されているイエス・キリストの生涯や福音書の成立に大きな疑念を抱いています。

イエス・キリストの生涯や福音書の成立が広く受け止められている内容と異なるのならば、それこそ信仰の基礎に関わる決定的なでっち上げが行われたことになります。

キリスト教は、福音書に書かれたイエス・キリストを救い主として信仰することが基礎だと思っています。
イエス・キリストが広くキリスト教徒が信じている存在とは違う人だと考えていることが、聖書が悪魔崇拝者によって書かれたと判断する根拠です。

キリスト教信仰の基礎である救世主イエスの実在性投稿者 あっしら 日時 2003 年 3 月 10 日

福音書に書かれているイエス・キリストは、BC50年頃、エッセネ派で「義の教師」と呼ばれたイエス・キリストを素材にして再構成したものだと考えています。
エッセネ派も、メシアの到来を待望し、禁欲的な生活をおくっていました。

※ これについては、「死海文書の謎を解く」(ロバート・フェザー著・講談社)や「初期キリスト教」(マルセル・シモン著・文庫クセジュ・白水社)あたりが参考になります。

そして、福音書からは、ローマ教皇庁のような位階的教団組織や司祭階層を正当化することはできません。
(そのような組織論、隠遁的共同生活を宗としたエッセネ派ではなく、イスラエル神殿の司祭階級であったサドカイ派のものです)

このようなことから、いわゆるキリスト教は、滅亡したカルタゴや滅亡したイスラエルの生き残りがローマ帝国内で政治勢力を獲得する手段として作り上げたものだと思っています。


● ローマ帝国の紀元前後から100年ほどの歴史書がほとんど残っていない

紀元前や紀元後90年を過ぎた時代に書かれた歴史書は残っているのに、紀元前後からAD90年ほどの間に書かれた歴史書はほとんど残っていないそうです。
(スエトニウス(69~140年)からやタキトゥス(55頃~120年)は、AD90年前後からの歴史家。スエトニウスが異教徒としてはじめてキリスト教に言及した歴史家とされています)

歴史教科書にも書かれているように、同時代に書かれた歴史書がほとんど残っていない期間は、キリスト教が成立したとされるAD20年代・ピラト総督によっ てイエスが磔死・ユダヤ王国ローマ領・パウロの伝道活動・皇帝ネロによるキリスト教徒弾圧・ペテロとパウロの刑死・古代イスラエル壊滅など、ローマ・カソ リックに連なるキリスト教の生成期と合致します。

ピラト総督がイエスを刑死させたという記録も、ローマ帝国側の史料としてはありません。

皇帝ネロが弾圧したとされる“キリスト教徒”がローマカソリックに連なる信徒集団であったかどうかも不明です。
ローマ帝国から圧迫を受けていた時期のユダヤ人のあいだで、熱心党と呼ばれるメシア待望運動が盛んでした。
メシアとはキリストのことですから、メシア待望運動が“キリスト教”と一括りにされてもおかしくはありません。
逆に言えば、ユダヤ人のメシア待望運動が、ローマ・カソリックに連なるものだったかどうかもわからないということになります。

キリスト教(教団)は、その後、313年のキリスト教公認、392年のキリスト教国教化という推移で思想的権威を確立します。
そうであれば、精神世界を支配するローマカソリック教団が、自己の成立に関わる歴史を封印してしまうことは可能です。


● フラウィウス・ヨセフスの「ユダヤ戦記」にイエス・キリストの記述がない

「ユダヤ戦記」は、古代イスラエルの滅亡にいたる過程が詳しく書かれた同時代の歴史書とされています。
フラウィウス・ヨセフスは、サドカイ派(祭祀階級)の出身でローマ軍と戦う司令官になった人で、ローマ軍の捕虜になった後でローマ側に付き、イスラエルの神殿にこもった抵抗派に投降を呼びかけています。(ヨセフスはAD37~100年頃)

「ユダヤ戦記」は、BC170年からAD70年までの古代イスラエルをローマ帝国との攻防を中心に記述したものです。

そして、この書は、神殿陥落を預言したイエスの正しさを証明するものとして、古代よりキリスト教徒に広く読まれているそうです。

しかし、「ユダヤ戦記」には、AD30年とされているイエスの刑死にまつわる記述は一切ありません。
その一方で、AD60年代にイエス・キリストという何かに取りつかれたような男が、イスラエルの崩壊を大声で叫びで回ったという記述があります。(それが書かれた部分が今手元にないので明日アップします)

参考書籍:「ユダヤ戦記」(3巻・ちくま学芸文庫)


● 福音書に書かれているイエス・キリストの行状が陳腐で人格が異様

福音書を読んで浮かび上がってくるイエス・キリストの人間像は異様なものです。
(4つの福音書で書かれている内容にズレが大きいということもそう考える要因だと思っています)

奇蹟をなしたという記述は問題ではありません。

4福音書に書かれているイエスは、支離滅裂な人格に思えて仕方ありません。
質素を重んじているというのは全体のトーンですが、時として大食漢で大酒のみという描写があったり、母親(マリアさんですね)からも息子はおかしくなったと思われていたという記述があったり、金銭欲もいいんだと受け取れる諭しがあったりします。
(母親の描写とローマ・カソリックのマリア崇拝との落差を感じます。EUの高校生向け共通歴史教科書の頭のほうに、わざわざ、イエスが金銭欲もいいんだと受け取れる諭しをしたこと引用して掲載しています)

このようなブレは、福音書編纂者が、意図的にイエス・キリストを貶める内容をさしはさんだことによって生じているのではないかと疑っています。

ローマカソリックが、司祭の説教だけで聖書を読ませなかったこともこのへんに由来しているのではないかと考えています。


おいっす!!さんも、教会に通われているとのことですから、4つの福音書(イエスの行状をまとめた部分)をイエスがどのような人となりだったかを考えながら読んで見られることをお勧めします。

新約聖書でパウロが書いたとされるものが「でっち上げキリスト教」の中核であり、ユダヤ終末論的色彩が強い「黙示録」を付加したのは悪魔崇拝的装飾だと思っています。
(ローマカソリック以降のキリスト教は、パウロ主義と言ってもいいものです)

勝手な想像ですが、パウロという人と「ユダヤ戦記」を書いたヨセフスが中心になって新約聖書を編纂したか、パウロ=ヨセフスが、エッセネ派の文書と自分の文書を織り交ぜながら編纂したのではないかと思っています。
(ユダヤ教徒だったパウロの回心とヨセフスのローマへの帰順がどうしても重なって見えます)

※ 「ユダヤ戦記」を読むとわかりますが、フラウィウス・ヨセフスは、実に能弁で思考力に富み、政治性も高い人です。
彼が自分で書いているイスラエルの神殿にこもったユダヤ人に投降を呼びかける演説は、感動的でかつ説得力に富むものです。

彼は、ユダヤ社会の歴史にも詳しく(「ユダヤ古代誌」6巻本・ちくま学芸文庫・こちらの書籍は未読です)、イスラエル神殿消滅後は死ぬまでローマにいたそうですから、新約聖書を編纂するチャンスがあった人です。
新約聖書はAD70年以降に編纂されたものだと考えられています。

おまけに、ヨセフスは、ユダヤ教祭祀階級の出身です。それならば、司祭階層を頂点としたローマ・カソリック的宗教組織をつくることも難なくこなせるはずです。

http://sun.ap.teacup.com/souun/650.html


● イエス・キリストのでっち上げ

『原始キリスト教』文庫クセジュ マルセル・シモン著 久米博訳P.40

「最近死海の近くで発見された、西暦紀元より少し前の写本は、「新しい契約」の宗派といわれるユダヤ教の一宗派の蔵書を開示してくれた。

この宗派はあらゆる点からみて、フィロン、ヨセフス、大プリニウスたちによって記述されているエッセネ派の一派とみなされる。

そこには種々の宗規書と聖書外典の、私たちに手に入る一番古い写本や、それと一緒にハバクク書の注解書がある、これはパリ大学教授デュポン=ソメによって、博識と洞察にとんだ解釈が施された。

この注解書によれば、その宗派の首長であるある神秘的な「義の教師」は、紀元前一世紀の半ばと思われる頃、エルサレムの祭司たちの迫害をこうむったことが知られる。

なんらかの事情で、彼は死刑に処されたが、彼の弟子たちは彼が昇天したと信じた。
弟子たちは、彼が輝かしき復讐のために、終わりの時に再びやって来ることを堅く期待した。
そして彼への信仰を、救われて神の国に近づくための条件としたようである。

この驚くべき発見によって起こされる問題のすべては、まだ完全には解明されていない。しかしすでに知られているだけでも、この宗派が原始キリスト教といくつかの点で正確な類似を提示していることを立証するには十分である。

イエスと同様、神の国の先触れであり、発頭人であった「義の教師」は、同時に進行と神学的思弁の対象であった。

彼にとっても、地上の生涯における試煉は、天に上げられ、栄光の再臨をするしるしなのである。それが及ぼした影響の正確な性質や範囲については、なおあきらかにすべき点が残っている。」


【補足】 カソリック系統キリスト教への疑義 (文献引用&福音書引用)投稿者 あっしら 日時 2003 年 3 月 10 日

『出エジプト記の秘密 - モーセと消えたファラオの謎 -』原書房 メソド・サバ/ロジェ・サバ著 藤野邦夫訳 P.146

「タルグムとよばれるアラム語訳の聖書が参考にされたのは、それが早い時代のものだったからである。それは前一世紀の日づけを持つ、再発見された最古の記録(死海文書)に先だって消失したヘブライ語の聖書の翻訳だった。

一世紀にそれをアラム語に訳したのはオンケロスだった。ヘブライ語の最古の聖書をもとに確定されたこの文書は、一連の聖書研究にもとづいていた。

ラシ(引用者注:10世紀のユダヤ教ラビで当該書で数多く引用される(旧約)聖書注釈者)の注釈は、アラム語の聖書を通じてヘブライ語の聖書を説明するものだった。

ヘブライ語はナザレのイエスという、イェシュア・ハノツリといわれたキリスト(ヘブライ語表記略)が書いて話したことばだったのだ。

 ナザレのイエスが読んだ聖書は、まさに現在のわれわれの聖書を説き明かす。」

『ユダヤ戦記』ちくま書房 フラウィウス・ヨセフス著/秦 剛平訳 第3巻 P.72

「しかし、これらの兆しよりももっと恐ろしかったのは次のものだった。戦争が起こる四年前(六二年の秋)、都が平和と繁栄をとくに謳歌していたときのことである。

アナニアスの子イエススと呼ばれているどこにでもいる田舎者が祭(仮庵の祭、スコットを指す)にやって来ると-この祭では神のために仮庵をつくるのが全ユ ダヤ人の慣習だった-、神殿の中で、突然、大声で、「東からの声、西からの声、四つの風からの声!エルサレムと聖所を告発する声、花婿と花嫁を告発する 声、すべての民を告発する声!」と叫び始めた。そしてイエススは日夜こう叫びながら、路地という路地を歩いてまわった。市民の中のその名の知られた者たち は、これらの不吉な言葉に苛立ち、この者を捕まえると何度も鞭打って懲らしめた。

しかしイエススは自分のために弁護するわけでもなく、また自分を鞭打った者たちに密かに解き明かすわけでもなく、それまでと同じように大きな叫び声を上げつづけた。

 そこで指導者たちは、事実そうだったのだが、ダイモニオン(擬人化された悪霊)か何かに憑かれていると考えて、イエススをローマ総督のもとへ引き出した。

彼は、そこで骨の髄まで鞭打たれたが、憐れみを乞うわけでも涙を流すわけでもなく、ただひどく悲しみに打ち震える調子で、鞭打たれるたびに、「エルサレムに呪いを!」と言った。

アルビノスが-彼は総督だった(アルビノスは六二-六四年まで総督)-「いったいおまえは何者で、どこからやって来たのだ。

何のためにこんなことを口にするのか」と尋問しても、それには答えず、都を呪う言葉を繰り返すだけだった。

結局アルビノスは、気が触れていると宣告して男を放免した。以後この男は戦争の勃発まで、市民に接触することはなく、また話しているのも目撃されることもなく、毎日祈りでも唱えるかのように、「エルサレムに呪いを!」と悲しみの言葉を繰り返していた。

イエススは連日自分を撃ち打つ者を呪いもせず、また食べ物をくれる者を祝福もしなかった。男はすべての人にあの薄気味悪い呪いの言葉を口にするだけだった。

とくに祭ともなれば、一段と声を張り上げて叫んだ。こうしてイエススは七年と五ヶ月、相変わらずの調子で、倦むことなく嘆きの声を上げつづけた。

しかし、都が包囲されて呪いの言葉が成就されたのを見ると安息を得た。というのも、そのときイエススは周囲を巡回しながら城壁から「都と民と聖所に呪い を!」と甲高い声を上げていたが、「そしてわたしにも呪いを!」と口にしたとき、投石機から発射された石弾が命中して即死したからである。

こうしてイエススは、呪いの言葉をまだ口の端にのせながら、その命を解き放ったのである。

 これらの数かずの予兆の意味を考えると、人は次のことを、すなわち神は人間たちの保護者であり、ご自分の民にはあらゆる手段を用いて救いの道をあらかじめお示しになっていたことを、しかしまた人間というものは愚行と自らが選び取った悪とで滅びることを知るのである。」

● イエス・キリストの人となり


キリストは、基本的に、教団組織や家族を否定し、平和主義で共産主義的な世界共同体をめざすことを説いたと考えることができる。

「神と金の両方に使えることはできない」(マタイ伝)
「金持ちが神の王国に入るよりも、ラクダが針の穴を通るほうがたやすい」(マタイ伝・マルコ伝・ルカ伝)
「あらゆる貪欲に対して防備を固めよ。なぜなら人の生は、所有物の豊富さによるものではないからだ」(ルカ伝)
「所有するものをすべて売り払い、その金を貧しき者に分け与えよ。そうすればおまえは天国に宝を得るだろう」(ルカ伝・マルコ伝・マタイ伝)
「人々の間で高い価値をおかれているものは、神の目には抱きすべきものでしかない」(ルカ伝)


その一方で、そのような理念とは食い違うイエス像が提示されている。

“自分勝手なイエス”:高価な香油を自分に注ごうとした女性に人々が憤って、香油を無駄にするな。

それを売って貧しい人たちに施したほうがいいと咎めると、イエスは、貧しい人はいつでもいるが、私は今しかないからいいんだ。この女性を記念すべきことをしたんだと容認した。

マタイ伝:第26章6-11・マルコ伝:第14章3-7・ヨハネ伝:第12章2-8
※ ヨハネ伝では、裏切り者ユダが女性を責めたことになっており、ユダが盗みを取り繕うためにその香油を売ってお金を手に入れようとしたからだとなっている。

“好戦主義イエス”&“家族破壊主義イエス”:
「地上に平和をもたらすために、私がきたと思うな。平和ではなく、剣を投げ込むためにきたのである。わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をその姑と仲たがいさせるためである。

わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにはふさわしくない」(マタイ伝:第10章34-138)
「あなたがたは、私が平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか、あながたに言っておく。そうではない。

むしろ分裂である。というのは、今から後は、一家の内で5人が相分かれて、3人はふたりに、ふたりは3人に対立し、まあ父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、姑は嫁に、嫁は姑に、対立するであろう」」(ルカ伝:第12章51-53)

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