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預言の終焉

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年 9月25日(水)21時43分44秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://blogs.yahoo.co.jp/honkytonkman_2/28928373.html

管理人注:カナンの地は約束の地ではありません

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2099

★イスラエルの歴史

紀元前334年~紀元前332年 - マケドニア王国のアレクサンドロス3世による東方征服でパレスチナの地が征服される。その後、マケドニアは分裂し、プトレマイオス朝、そしてセレウコス朝(シリア王国)の支配下に入る。

紀元前143年 - セレウコス朝の影響を脱しユダヤ人がこの地の支配を確立する(マカバイ戦争)。その後、ローマ帝国の属州となる。

66年 - ローマ帝国の属州であったユダヤの地でユダヤ戦争(第1次ユダヤ戦争)が勃発。独立を目指すが、70年にローマ帝国により鎮圧される。 神殿崩壊。

132年 - ユダヤ人バル・コクバに率いられたバル・コクバの乱(第2次ユダヤ戦争)が起き、一時イスラエルは政権を奪還したが、135年に再びローマ帝国に鎮圧される。その後、現代イスラエル国が誕生するまで長い離散生活が始まったとされる(ディアスポラ)。

管理人注:ディアスポラで検索すると7件出てきます

http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%83f%83B%83A%83X%83%7c%83%89&inside=1

聖 書に書かれていることを見てみると,イスラエル民族はその成立の頃から,すでに様々な人種的要素が交じり合っていた。当時の小アジア,シリア,パレスティ ナには多くの異なった人種が住んでいた。例えば,ブロンドで長頭長身のアモリ人,色が黒く黄色人種系のヒッタイト人,黒人のクシート人など多種多様であっ た。聖書の各所に見いだされるように,古代ヘブライ人はこれらの人々との通婚を行っていたのである。古代の預言者たちは「異国の神の娘たちとの結婚」には 大声で反対を唱えたが,元来,性関係にルーズなイスラエル人を思いとどまらせることは出来なかった。指導者達が先頭に立って悪いお手本を示したとさえいえ るのである。イスラエル人最初の家長であったアブラハムはエジプト人ハガルと同棲していたし,ヨセフはエジプト人祭司の娘だったアセナテと結婚した。モー ゼはミディアン人のチッポラと結婚,ユダヤ民族の英雄とされているサムソンはペリシテ人であった。ダビデ王の母親はモアブ人であったし,彼自身ゲシュル人 の王女をめとっている。ソロモン王(彼の母はヒッタイト人)ときては「多くの外国の女を愛した。すなわち,パロの娘,モアブの人々,アンモン人,エドム人,シドン人,ヘテ人,の女を愛した........」(列王記(上)11章1節から)と,醜聞録はえんえんと続く。』

313年 - 東ローマ帝国の支配下に入る。

★ユダヤ教

文献に現われる「ユダヤ教 ユダイスモス(ギリシャ語)」の初見は紀元前2世紀である。
(マカバイ記二2章21-22)高等批評では、無名のユダヤ人著作者がBC100頃に書いたとされる。

宗派

(1)ファリサイ派(パリサイ派)は古代イスラエルの第二神殿時代(紀元前536年 - 紀元70年)後期に存在したユダヤ教内グループ。本来、ユダヤ教は神殿祭儀の宗教であるが、ユダヤ戦争によるエルサレム神殿の崩壊後はユダヤ教の主流派となってゆき、ラビを中心においた、律法の解釈を学ぶというユダヤ教を形作っていくことになる。
現在ではファリサイ派という名称は使われず、「ラビ的ユダヤ教」、あるいは「ユダヤ教正統派」と呼ばれている。

(2)サドカイ派は第二神殿時代の後期(紀元前2世紀)に現れ、ユダヤ戦争に伴うエルサレム神殿の崩壊と共に姿を消したユダヤ教の一派。
現代の研究者たちはサドカイ派を神殿に拠って権力者たちと結託していた祭司のグループであったと考えている。

端的に言えば、サドカイ派は富裕層であり、ファリサイ派は一般市民であった。

(3)エッセネ派は、紀元前2世紀から紀元1世紀にかけて存在したユダヤ教の一グループの呼称。現代では複数の関連のある集団がまとめてエッセネ派という名で言及されていたと考えられている。呼称の語源は不詳。ファリサイ派から発生したと考えられるが、俗世間から離れて自分たちだけの集団を作ることにより自らの宗教的清浄さを徹底しようとした点で、民衆の中で活動したファリサイ派とも一線を画している。

新約聖書では(1)と(2)は登場するが、(3)のエッセネ派は一切登場しない。それを以ってイエスはエッセネ派ではないかという推論をする人がいる。大いにあり得ると思っている。

★預言の終焉

ヘレニズム時代になって(BC332年頃から)預言者が現われなくなる。
預言の終焉である。
それ以降は聖書テキストの読解を通して神の言葉を知ろうとするために聖書解釈が必要となりユダヤ古典学が発展する。

その「預言の終焉」まではヨシュアからエレミア、エゼキエル等々18名の預言者が適時に現われて「神の言葉」を伝えていた。
急に途絶えたのである。

「古代ユダヤの預言の終焉のミステリー」と学者は言う。
学者だからはっきり言えないのだろう。
それまでは預言者に託けて語ったとされてテキストが作られていたと考えられるかも。

対立する宗派も生まれ、一定の規模にまで成長・成熟した宗教では誰しもが認める預言者を産むことは難しくなるのは道理である。

★ミシュナーとタルムード

ミシュナー・・・ユダヤ教指導者・ラビのトーラーに関する註解や議論。

タルムード・・・モーセが伝えたもう一つの律法とされる「口伝律法」を収めた文書群である。
ラビの教えを中心とした現代のユダヤ教の主要教派の多くが聖典として認めており、ユダヤ教徒の生活・信仰の基となっている。ただし、聖典として認められるのはあくまでヘブライ語で記述されたもののみであり、他の言語に翻訳されたものについては意味を正確に伝えていない可能性があるとして聖典とはみなされない。

1世紀以降にミシュナーやタルムードに登場するラビが賢者(ハハム)と称し、聖書解釈を行いユダヤ古典学の基礎を築くこととなる。

マックス・ウエーバー「古代ユダヤ教」

http://d.hatena.ne.jp/oshimayukinori/20130328/1364434117

マックス・ウェーバー 「古代ユダヤ教」(岩波文庫・中)2/3Add Star

 エジプト大文化圏の辺縁にいたというユダヤ教の「幸運」

 p409-14

 古代イスラエル王国の政治的状況が憂慮すべき事態となるにつれて、どのような社会的不法行為や過失が神を怒らせたのか、また、どうすればヤァウェをなだめることができるのかが、ひろく一般に論議されるようになっていった。

 それとともに、元来は王国の役人に過ぎなかったヤァウェ祭司に対し、ヤアウェの意志や贖罪されるべき過失を探知するという課題に立ち向かうことが求められていった。政治的運命の重圧が増すにつれ、贖罪の犠牲の意義とヤァウェの命令についての知識が社会全体の中で喫緊の課題となり始めた。

 p445

 レビびとが威信を獲得したのは、彼らのヤァウェの命令に関する純合理的知識によってである。すなわちヤァウェの命令に対する背反を贖うための儀礼の知識をレビびとが持っていたからである。

 王も共同体全体もそのことに関心があったが、レビびとの私的顧客の関心ははるかに強いものだった。イスラエルの政治的苦境が増大するにつれてこの需要はますます強まった。私的顧客に教えることで彼らを苦境から救出すること、そのことこそが(現在でも)レビびとがトーラー(律法)を唱える意味である。

 p463

 紀元前六百年のバビロン捕囚期の前後に、政治的苦境が大きくなるにつれて、ヤァウェ祭司は民衆をエルサレムでの集中礼拝に導くようになった。そしてそれは副次的に、「ヤァウェから分ち与えられる犠牲の食事」つまり動物の屠殺と肉食が、イスラエル全土に拡大することにつながった。このヤァウェ祭司の個人的食事の世俗化は、過ぎ越しの食事に象徴される旧来の氏族の宗教的意義に対して、最終的な打撃を与えるものだった。

 p476

 特別な種類の性的決議論が、レビびとたちにあるわけではない。性的諸事象それ自身に関する古い自然主義的な無邪気さが、レビびとたちの間でだけ、肉体的露出に対する徹頭徹尾儀礼的な心配と結合しているにすぎない。

 しかもこの結合は、われわれの市民的な羞恥感情とはいささかの関係もない。当時の祭司身分が培養したこの独特な儀礼的態度は、歴史的には北イスラエルの農民の性的狂躁道に対する嫌悪の中にその源泉が存在する。

 じつはイスラム圏でも、ほとんど同じ事情がある。古代農民たちの性的狂躁道はイスラム圏でも同じだったが、知識階級であるイスラムの祭司たちが裸たることに強い反感を示したために、皮肉にもこの地方は現在につながる繊維産業の担い手となったのである。

 辺縁地域だからこそ、「世界の進行」に敏感だった

 p483

 旧約聖書のさまざまな物語は、時として強大だった王権に圧迫されながらも軍事力を持った大氏族が健在であったことの証明である。また、王権に対して精神的に独立し、しかも古い連合戦争神の威信ゆえに王が無視できない職業的なヤァウェ祭司たちも旧約の物語の担い手であった。

 王権に批判的なヤァウェ主義を支援したもう一つのグループは、土地財産を持って定住している敬虔な平信徒たちだった。対外政策の失敗によってひとたび王権の威信が動揺すると、彼らは宮廷を公然と批判した。いまも現存する、王国以前の時代に関する古い諸伝承の集成を引き受けたのは、この平信徒サークルと彼らが支えていた純ヤァウェ崇拝者だった。

 p507-9

 古代の土俗信仰の馬鹿馬鹿しさを排除した宗教改革的思想がまず孕まれたのは、バビロン、アテナイ、アレキサンドリア、ローマのような大文化の中心地ではない。捕囚期以前のエルサレム、後期ユダヤ時代のガリラヤ、後期ローマ時代の属州アフリカといった文化地帯の辺縁地域においてであった。

 その理由は明白である。新しい宗教的な思想が可能となるためには、この世界のもろもろのできごとに新鮮な驚きを感じるひとびとの心が不可欠だからである。文化に飽和している人々は周囲の世界に驚嘆する能力を失いやすい。大文化の辺縁に生活する人々にこそ、世界の進行について驚嘆する能力は与えられる。

 イスラエル人にこのような問題提起の機縁を与えたできごとが何であったのか――、それは打ち続く解放戦争と王国の成立、賦役国家と都市定住文化の成立、諸大国の威嚇、とりわけダビデ・ソロモン後の北王国の崩壊と栄光の最後の名残りである南王国の同じ運命である。

 そしてそのあとにバビロン捕囚が来た。連合戦争神ヤァウェの威信は、こうした大文化の辺縁に生活する人々の艱難の中で創造された。

 p527

 イスラエルに特別の政治的惨禍が生じるのはなぜなのかという問題に対して、レビびとたちは次のように考えた。民がヤァウェの儀礼的・倫理的諸義務を履行するかぎりにおいて、連合戦争神としての古い約束を実行してくれる。イスラエルに惨禍が起きるということは民が義務を履行しなかったからだ、と。

・・・このような問題提起と解決の模索がなされたことは、捕囚を前にして、それまでの素朴な祈りや反省や生贄や占星術的決定論ではあきたらない何らかの合理的神義論を求める要求が、当時の社会的空気の中に現れていたことを示している。

参考:終末の時代に起こること

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/shumatsu05.htm

近代以前のアフリカ

http://www.h2.dion.ne.jp/~mogiseka/lecture/premodern_africa.htm

http://

 
 
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