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アトランティス幻想 その5

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年 9月28日(土)15時16分23秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://www2.odn.ne.jp/hideorospages/atlan05.html

第5話 アトランティス周辺事情(1)

(1)

 アトランティスなんて、信じられない!単なる夢物語なのに、古代へのロマンをいたずらに誘っている!、という人も勿論いますね。
 これはアトランティスだけではなく、UFOなどについての議論でよく見かけます。
 たしかに、オカルトだの、UFOだのと同じように、アトランティスもわりといかがわしい目で見られたりしますね。胡散臭いものの集まりみたいな扱いで、「トンデモ」なんていう表現もあります。
 多くの人々にとっては、あまり訳のわからない変な話には関わりたくないのが、じつは本当でしょう。こういう分野には、実際、かなりいい加減な、いかがわしい話があるのは事実でして・・・。

 私は長年ピラミッドをやっていたので、ある程度慣れてしまっていて、最初から受け入れるつもりのない人を、無理に相手にしたくない。何が何でも否定したい人のところへ、説得しに出かけるような真似などしたくない。そもそも、できることなら、近づきたくない。アトランティスだって、UFOだって、興味のない人や、否定したい人まで無理に巻き込む必要はないわけです。
 それよりも、もっと本気で追求したい。真実を探求したい。少し大げさかもしれませんが、そういうことになりますね。
 ミステリーは現に目の前にある。ピラミッドでも、聖書などの世界でも、ですね。

 ところで、アトランティスというのは、本当にプラトンが創りだした架空の存在で、単なる夢物語だろうか?
 否定論者がいくら否定しても、アトランティスには何かの根拠があるように思えます。
 古くは、エーリッヒ・フォン・デニケンが『未来の記憶』などで主張し、20年後にグラハム・ハンコックが『神々の指紋』で主張したようなことは、考古学的にはたしかに実証性に乏しく、かなり偏った強引な主張が多い。しかし、何から何までが根拠に乏しく、実証性がないかというと、そうでもない。
 ハンコックやフレマスが主張するアトランティス南極説などは、私はやはり「あり得ない」と思いますが、しかし、『神々の指紋』の冒頭の1~3章で紹介されている何枚もの古い地図〔ピリ・レイスの地図(1513年)、オロンテウス・フェナエウスの地図(1531年)、メルカトルの世界地図(1569年)、フィリップ・ビュアッシュの地図(1737年)〕についての記述などは、今読み返してみても相当の説得力があるし、やはり面白い。
 アトランティスは荒唐無稽のロマンでもなければ、架空の夢物語でもない。やはり何かの可能性を感じさせます。


 前述のチャールズ・ハプグッド教授は、こうした古い地図を研究した結果、「紀元前7000年ごろ、世界規模の海洋文明が存在した」と主張しています(『古代海王たちの地図』1966)。
 紀元前9600年ごろにアトランティス文明が消滅したあと、2500年ほど経って、汎世界的な海洋文明が存在したと考えていたようです。
 最近の水中考古学の発見は、たしかに従来の文明史への見直しを迫っています。沖縄県与那国島の海底遺跡や、インドのキャンベイ湾で見つかっている海底遺跡は、紀元前8000~前7000年ごろに文明と呼べるものが存在した可能性を感じさせます。
 しかも、これらは古代エジプト文明やメソポタミア文明とは、何か違う要素があるように思えますね。汎世界的な広がりがあるのかもしれない。
 ハプグッド教授の「世界規模の海洋王国」に通じるものかもしれません。しかし、それはいったいどんな文明なのか、具体的なイメージは明らかでありません。

 与那国島の海底遺跡をずっと調査されている琉球大学の木村政昭教授をはじめ、海洋地質学関係の先生方は、「エジプトやメソポタミアより古い文明は、海のなかに残されている」というような主張をされています。
 氷河期が終わった後の海面上昇によって、多くの遺跡が海に沈んでしまっている。そのなかには、エジプトやメソポタミアに匹敵する規模のものがあるかもしれない、というわけです。
 たしかに海面上昇によって、新石器時代の多くの遺跡が海に沈んだのは間違いない。そのなかにはエジプトやメソポタミアに匹敵する、しかもそれらに先行する文明が眠っているかもしれない。そのとおりです。

 しかし、よく考えてみると、今は沈んだ海の底にしか遺跡がないというのは、ちょっとおかしいですね。
 文明と呼べるほどの大規模なものなら、陸上にだってその痕跡があっても不思議ではない。人々の暮らしは海辺だけで営まれていたのではないはずで、むしろ、農耕や牧畜に適した土地は内陸の平野や草原であることが多い。
 汎世界的な文明であるなら、農業生産も行われていたはずですから、そのような耕作地はおそらく、海辺だけではなかったはずです。
 陸上の遺跡でいえば、エジプトやメソポタミアより数千年古い時代に、イェリコやチャタル・ヒュークなどの都市遺跡があることは、前に述べたとおりです。先行する世界規模の海洋文明があるというなら、これらの地域とつながっていても不思議ではないですね。世界規模の海洋文明というのは魅力的で、たしかに可能性も感じるのですが、具体的なイメージを考えていくと、どうなのかな?と思ってしまう。何か不自然な感じがするんですね。

 むしろ、未知なる文明が海底にしか残っていない、ということであれば、それはもっと異質な、私たちが予想するのとは別の形態の文明であるかもしれない。(2006年1月25日)


(2)

 これまでのところは「です・ます調」で書いてきましたが、どうもエネルギーがスムーズに伝わらないところがあるので、これからはもう少し自由に、勝手な感じでやらせてもらおうかと思います。そのあたり、ご勘弁願います。
 種明かしをしますと、じつはこのコーナーをやり始めたは、今年の7~8月ごろに予定しているアトランティス関連の本のアイデアをまとめる、というか、中身やタッチを決めたいという思惑がありまして、それでやり始めたんですが、そろそろ本腰を入れないといけない。そんな事情もありまして・・・。
 今度はあまり普通の本屋には置いていない、学研のムー・スーパーミステリー・ブックスというシリーズなんですが、このシリーズ、わりと強烈な「トンデモ」系で、ときに風変わりな目で見られたりもしますが、当方としては、もうそういうのあまり関係ない。この分野をやれる場所というのは、おのずと限られてくるという現実もありまして、自分なりに頑張ってみよう、というところです。

 さて、文明誕生のミステリーについてですが・・・・

 人類の文明はふつう、メソポタミアのシュメール文明を最古に位置づけていますね。年代でいうと、紀元前3000年ごろ。メソポタミアの南部、チグリス川とユーフラテス川の下流域でシュメールという人類最初の都市文明が誕生した。
 この文明の特徴は、エジプトのような巨大な石造建造物とか、ストーンヘンジやバールベックのような巨石の文明ではなく、古代都市のネットワーク、そして、そこから発掘される大量の粘土板ですね、人類で初めて文字による記録のシステムを生み出した、その凄さですね。

 シュメール文明について、もう少し詳しく見ると・・・・
 まず最初に、紀元前3500年ごろから前3100年ごろにかけて、ウルク期というのがある。ウルクという町(現在名ワルカ、聖書のエレク)に人口が集中し始め、大きな都市ができ、それまでの小さな農村集落とはまったく別の生活文化が始まった。
 このウルク期は3期に分けられていて、次第に巨大な都市になっていくわけですが、最終的に面積は250ヘクタール、人口3~4万人の都市といいますから、時代を考えると、すごいですね。さらに、次の初期王朝時代には、その倍の規模になるといわれています。

 このウルク期の最末期に文字が現れてくる。粘土板に書かれた最古の文字記録ですね。この段階ではまだ楔形文字ではなく、象形文字ですが、書かれている言葉はシュメール語とほぼ特定されています。まだ文字体系にはなっておらず、大麦の収穫や、交易の記録、職業や都市のリストなどのようです。
 こうした文字の使用が始まった紀元前3100年ごろをもって、シュメール文明の開始とするようです。その後、ジェムダド・ナスル期という過渡期が200年ほどあり、シュメールの都市文化が周辺地域に伝播する。

 紀元前2900年ごろから初期王朝時代となる。各都市に王権ができ、都市国家が並立する。北方のアッカド地方のキシュにも、シュメール人とは別のセム系の人々の強大な王権が存在しており、北部のアッカド、南部のシュメールという色分けができていたらしい。伝説的な英雄ギルガメシュがウルクの王になったのが、紀元前2700年ごろらしい。

 その後、シュメールの中心都市はウルクからウルに移ったらしく、紀元前2600年ごろ、ウルの第1王朝が始まる。レナード・ウーリーの発掘で有名なウルの王墓の時代がこのあたりですね。同時に、各都市国家間の抗争が活発になり、ラガシュ、ウンマなどの勢力も強大になる。北方のマリ、シリアのエブラなども栄えてくる。
 楔形文字の書き方が確立されてくるのは、紀元前2500年ごろで、この頃からメソポタミア各地でいわゆる歴史の記録が書かれ始める(王碑文や行政経済文書)。

 シュメールの各都市国家は抗争や併合を繰り返したのち、ウンマの王がいったんシュメールを統一する。しかし、アッカドのサルゴンによって征服され、紀元前2350年ごろ、アッカド王朝が樹立される。これによって、シュメールとアッカドが統一された。
 その後、アッカド王朝が衰退し始めると、前2100年ごろ、ラガシュではグデア王、ウルではウル第3王朝が成立し、シュメールの復活はあるものの、その後混乱期を迎え、前1800年ごろ、古バビロニアがメソポタミアを統一し、バビロン第1王朝を築く――と、だいたいこんな流れですかね。

 シュメール文明の特徴である楔形文字についていうと、上でみたように前3100年ごろに最初に発明された文字は、その後、数百年をかけて表音化され、体系化されていき、同時に、葦の茎を筆にして、粘土に押しつけて書かれるようになる。そのために、文字が90度横倒しになる。(縦向きに読んでいた、という説もありますが。)
 これが楔形文字で、前2500年ごろ正書法ができあがってくる。表記の仕方や、用法が決まってくるわけですね。
 しかし、まだ自由に物語を書くような段階ではない。文学作品というようなものが登場してくるのは、前2000年ごろといわれています。有名なギルガメシュの物語や、天に昇ったと伝えられるキシュの王エタナの物語などが書かれる。シュメールの王名表(王朝表)が書かれたのも、この頃とされている。
 よりいっそう表現が自由になってくるのは、むしろ、次の時代、古バビロニア時代になってからといわれます。

 こうしてみると、文字が発明されて以来、ある程度自由な文章表現ができるようになるまでには、じつは千年以上かかっていることになりますね。シュメール人も、最初から表現の仕方がわかっていたわけではなく、あれこれと試行錯誤や創意工夫があったに違いない。
 このようにして書かれた文字の記録のなかに、大洪水とか、神々の話など、いろいろ不可解なことや、物議をかもすようなことも、含まれているわけですね。

★   ★   ★

 ところで、シュメール文明誕生以前はどうだったのか?そのあたりも気になるところです。
 ウルク期の前に、じつは紀元前5000年ごろからウバイド期というのがあった。これは初期の村落文化で、今のところ南部メソポタミアの最古の居住跡とされている。このウバイド期以前に、シュメール地方に人が住んでいたかどうか、まだわかっていない。
 ペルシア湾に近いエリドゥは、このウバイド期に相当する遺跡で、最初期の小さな祭祀場から大きな神殿へと連続的に発展していく様子をたどれる、といわれています。

 シュメール人は言語的にも民族的にも系統不明とされており、これは古くから「シュメール問題」として知られていますが、最近ではウバイドとシュメールは文化的に連続していると考える傾向が強いようです。つまり、ウバイド文化が基盤にあって、シュメール文明ができあがっていった。ウルク、ウル、ニップールなどの主要な都市も、人々の居住はウバイド期にまでさかのぼることが、発掘の結果知られている。しかし、彼らシュメール人が、いったいどこからやって来たのかは、まだ謎らしい。

 では、ウバイド期以前というのはどうなっているのか?
 これはむしろ、シュメール地方ではなく、チグリス川の中・上流域、北イラクやシリアで、サマワ文化やハラフ文化というのがある。灌漑による初期農耕村落の文化だといわれます。ウバイド期になって、シュメール地方のウバイド文化が、これら北部の文化に取って代わっていくという。
 シュメールの文化(たぶん高い農耕技術)が、ウバイド期にメソポタミア全域に広がっていくわけですね。おそらく、このあたりにシュメールの都市文明が誕生してくる背景があるんでしょう。

 まあ、こういう文化の流れになっていますね。
 しかも、ここで気づくことは、シュメール文明が誕生する前後の歴史を、このようにオーソドックスに見ていくと、とりたてて未知の文明がシュメールの背後に隠されている様子は、どうもないですね。
 アトランティスとか、高度な科学知識を思わせる要素は、どうも見当たらない。少なくとも考古学でみるかぎり、とくに不可解なところはないようだ。
 超古代史マニアにはよく知られたゼカリア・シッチンがいうような「メソポタミアの神々が宇宙船で飛び回っていた」とか、「宇宙空港があった」という、そんな痕跡はまったく見つかっていない。

 ついでにいうと、シッチンさんのシュメール語の知識というのは、どうもあまりいただけない。かなり極端な解釈で、相当に空想的といってもよい。 (2006年2月7日)


(3)

 物好きにも、私は楔形文字を勉強してみたことがある。
 少し前になるけれども、1995年春、東京都三鷹市の中近東文化センターで、シュメール語の講座が開設された。それをきっかけにして、同センターでシュメール語やアッカド語、ヒッタイト語の講座に数年間参加していた。
 エジプトのピラミッドとは違う角度から古代文明の謎を捉えてみたい、という思いが基本にあったのだけれども、それ以上に、古代文字というものに以前から興味があったことが、講座に通い始めた理由だった。

 中近東文化センターの古代語学講座は、もともとオリエント方面を学んでいる大学院生クラスの人たちを対象にして開設されたものらしい。だが、一般からの参加も受け付けていたので、社会人や主婦の人たちもわりと参加していた。
 最初に始まったシュメール語講座は、初級、中級ふたつのコースに分かれており、中級の方は、すでに何年間も勉強しているいわば専門家のクラス。そこには5人くらいの人が参加していたようだ。

 一方、初級に集まったのは20人ほどで、その半分ほどが大学生や大学院生など若い人たち、残りの半分がいわゆる社会人だったが、わりと年配の人たちが多かった。
 ところが、時間がたつうちに初級クラスの人数はどんどん減っていき、どういうわけか、学生の数が回を追うごとに少なくなった。最終的には、一般の参加者の方がしぶとく残ったような格好で、最後まで残ったのは社会人の6~7人、なかでも女性が多かった。みなさん楔形文字やシュメールの歴史に、何がしか思い入れを持っている方々だったようだ。

 このシュメール語講座は、じつは非常に貴重なもので、当時、広島大学の言語学教授であった吉川守先生が、わざわざ広島から講義に来られていたのである。吉川先生はシュメール語の第一人者で、「世界チャンピオン」ともいわれている。シュメール語の動詞組織を体系化したといわれる大変な学者である。
 もちろん私は当初、そんなことはつゆ知らず、そもそも、何をきっかけにシュメール語講座のことを知ったのかもよく覚えていないのだが、講座に通ううちに、けっこうのめりこんでしまった。吉川先生の話を聞きながら、古拙時代の文字を見るのが、とても楽しかったのである。

 春から始まった講座は、夏休みの中断のあと、秋から再開されたが、まもなく思いがけないことに、吉川先生が急に体調を崩されてしまった。受講生たちは、先生のご病気について、東京―広島を新幹線で頻繁に往復されていたことが、ご負担だったのではないかと、申し訳ない気持ちになったものだった。
 講座は代わって、京大の前川和也先生、早稲田の前田徹先生が、交互に講師を務められることになった。どちらも、シュメール語の世界では大変な方々である。
 前川先生は、毎年のように大英博物館に粘土板の研究に行かれており、まだ誰も見たことがないような粘土板を読まれている。文字どおり世界のシュメール語研究の最前線にいる方だ。一方、前田先生も「大変な実力者」と評価が定まっている。
 知る人は少ないが、日本はシュメール語研究のひとつの拠点なのである。

 このシュメール語講座がきっかけになり、たしか翌年からシュメール語のほか、アッカド語、ヒッタイト語の講座も始まった。どれも半年間のコースで、講座は2週間に一度くらいのペースである。
 私は別に熱心な生徒でもなかったが、結果的にひと通り、初級、中級のクラスを数年間かけて受講した。この講座は現在も同センターで続いており、今年度は、ヒッタイト語講座だけが開催されているようだ。

 まあ、こうして一応、楔形文字について少しは学んだけれども、ではそれで、粘土板の文字が読めるようになったかというと、そんなことは絶対にあり得ない。教わったテキストなら多少はわかるけれども、本物の粘土板となると、ほとんど文字の識別さえできないのだ。いうまでもないが、私などはただの素人で、あくまでも初歩の手ほどきを受けたにすぎないのである。
 楔形文字の研究は、どうもそんな生易しい世界ではない。これは断言してもよいと思うけれども、素人が粘土板を読んだり、ましてや、オリジナルな解釈を考えたりすることなど、まったく論外なのである。

 独自の解釈をしようと思えば、シュメール語とアッカド語の対訳辞書といわれる粘土板をはじめ、何千枚、何万枚という粘土板を検討しなければならない。文字や用法をひとつひとつ比較するわけである。これがいかに大変な作業であるか、どれほどのキャリアを必要とするか、誰でも想像できるだろう。(メソポタミアから出土した粘土板は全部で約60万枚、そのうちの10万枚が大英博物館にあるといわれている)

 楔形文字はふつう、19世紀の半ば、ローリンソンによって解読されたとされているが、実際は、それから百数十年が過ぎた今になっても、解読されていない文字がある。とくにシュメール語には、読み方や意味がわからない文字がまだ幾つもあるといわれている。
 ひとつのケースを挙げると、シュメールの初期王朝時代のラガシュの王で、10年ほど前までは「ウルカギナ」と読まれていた名前が、今では「ウルイニムギナ」と読まれるようになっている。
 研究はずっと続けられているが、このように不確定な要素も残されているわけである。

 一種独特のこうした楔形文字の雰囲気というか、解読の大変さみたいなことだけは、私も理解しているつもりなのだ。素人なりに、楔形文字の世界に触れたことで、それがわかるのである。
 で、そういう目で件(くだん)のゼカリア・シッチンの本などを読み始めると、「えー!」、「あれっ?」という箇所が頻発して、まったく読むのが嫌になるくらいなのである。一例を挙げてみると、次のようなケースがある。(2006年2月12日)


(4)

 シッチンさんの本では、シュメールの文書の解釈で、「宇宙船」という言葉がよく使われている。
 いったい何という粘土板の、どういう単語に、そんな訳語がつけられるのだろうと思っていたら、『神々との遭遇』という本に、下のような図解つきで紹介されていた。



ゼカリア・シッチン著『神々との遭遇(上)』P39より


 この図解に関連して、本文では次のように書いてある。

―― 南部メソポタミア、古代シュメールが聖書のエデンの由来となるエディンだという確証は、シュメールの文書と聖書の説話が地理的に完全に一致することを裏付けている。そればかりではない。人類が「神々との遭遇」を経験した相手グループをも確定するのだ。エディン(E・DIN)は、DIN(「正義の者/神の者たち」)の住まい(「E」)であった。彼らの総称はディン・ギル(DIN・GIR)で、「宇宙船の正義の者たち」を意味し、絵文字では、着陸のために司令船が切り離される2段ロケットとして描かれた(図8a)。筆記文字が、絵文字からくさびのような楔形文字へ進化すると、この絵文字は「天空の者たち」を意味する星のシンボルに取ってかわった。後にアッシリアとバビロンで、このシンボルは交差するくさびに簡素化され(図8b)、その読み方はアッカドの言語でイルー(「そびえ立つ(高尚な)者たち」)へと変化した。――

 正直にいうと、こうやって引用するのもおぞましくなるような、まさにトンデモな内容なのだが、しかし、知らない人がこれを読んだら、「へー、そうなの」と思ってしまうかもしれない。

 多少専門的になるけれども、もう少し詳しく見るので、ご勘弁を。
 まず、「エディン」というシュメール語と、聖書の「エデン」については、たしかにシュメール語学者の間でこれまで、「ある種のつながりがあるかもしれない」という程度の指摘はされてきた。しかし、シュメール語の「エディン」は、「荒地」とか「荒野」というのが本来の意味で、よく都市国家間の係争地になったりする場所のことだ。余った土地というような意味合いから、「豊かな農地」というイメージは出てくるのかもしれないが、聖書のアダムとイブ、りんごの木や蛇という楽園のイメージとは、やや違うだろう。
 ちなみに、シュメール語の「エディン」は、シッチンさんがいうような「エ・ディン」とふたつの文字に分けるのではなく、ひとつの文字で書かれる。

 次に、問題の宇宙船についてだが、シッチンさんによれば、なんと「ディンギル」という文字が宇宙船なのだ、といっているようだ。
 「ディンギル」という文字は、もともと星をあらわす絵文字からきたもので、見たとおり星のマークを線で表現したものである。シュメール語のなかでは、最も基本的な文字のひとつだ(下図『ラバーのマニュエル』文字番号13)。
 この文字は、「天」という場合には「アン」、「神」という場合には「ディンギル」と読む。 (シュメール語ではこのように、ひとつの文字にたいして複数の読み方や意味があるのがふつうである。なかには10以上の読み方や意味があるケースもある。)




DINGIRの文字。左から右に絵文字から変化していく。
『MANUEL d'EPIGRAPHIE AKKADIENNE』(通称ラバーのマニュエル)


 で、シッチンさんの本の図解によると、彼は「ディンギル」という文字の発音は、ふたつの文字の発音を組み合わせたものと考えたらしい。そして、もとのふたつの文字を形として合成してみると、二段ロケットのように見えるところから、「宇宙船」と解釈するらしいのである。

 はっきりいって、恐ろしくなる。冗談か、漫画でなければ、いったい何だろうというところだ。

 「ディンギル」というこの文字は、シュメール語でもアッカド語でも同じように神をあらし、シュメール語では「ディンギル」(複数ディンゲレネ)、アッカド語では「イル(ム)」(複数イルー)と読まれる。
 「ディンギル」という発音が何に由来するかは、たしかに不明のようだが(英語のGODや、日本語の神も同じだろう)、ふつう「ディンギル」がふたつの文字に分けられて発音されることはない。どの民族もこの文字を見れば、神のことだとすぐにわかるので、自国語の発音で「神」の音を当てればいいのである。

 ところが、シッチンさんは「ディン・ギル」とふたつの音に分け、「ディン」と「ギル」という文字をあてる。しかも、「ギル」の方がどうやら「宇宙船」らしい。「着陸のための指令船」だそうだ。
 しかし、この「ギル」という文字は、絵文字までたどることができ、もともとナイフや剣をあらわしている(文字番号10:GIR2)。宇宙船でもなければ、その指令船でもないのである。




GIR2の文字。さらに古い絵文字もある


 シッチンさんは非常に奇妙なことを述べていて、まず宇宙船をあらわす「ディン・ギル」があって、それがやがて星の文字になっていったというのだが、そんなことを聞けば、シュメール語学者は卒倒するだろう。すでに述べたように、この文字は星をあらわす絵文字としてつくられ、神や天をあらわしていた。つまり、神のシンボルは星であらわされていた。


 もうひとつの「ディン」は、文字番号338のDE2らしいのだが(シッチンさんはそれを表示しない)、ふつうは「デ」と発音される文字だ。名君と伝えられるグデア王(紀元前2100年ごろのラガシュの王で、彫像が多く残っている)の「デ」が、この文字である。文字の意味は、ふつうは「叫ぶ」とか「注ぐ」である。書き方にはいくつかのパターンがある。(下図)




DE2の文字。ほかにSIMUG、DIM6などの読みもある


 シッチンさんは、この文字をどういうわけか、「ディン(DIN)」と解釈し、どういうわけかまた「正義の者/神の者たち」という訳語をつけているが、少なくとも私が調べた範囲では、この文字を「ディン」と読むことはないようだ。比較的近い発音では、「DIM6」と読むケースが、まれにあるらしい。

 ちょうど吉川先生の講座に出ていたとき、この文字を「ディム6」と読むケースがあった。「ウルカギナ(ウルイニムギナ)の改革碑文」といわれる文書で、大麦の収穫についての話だったが、この文字が書かれており、「DIM6」とされていたが、吉川先生の解説では、「まだ意味がよくわかっていません」ということだった。
 「ディムの人が、36シラの大麦を持っていった」という文だった。

 この文字は少なくとも、宇宙船とか何とかに関係するものではない。しかも、この文字の読みは、あくまでも「ディム」であって、「ディン」ではないのだ。
 シッチンさんの図解を見ると、この文字の先端は、どうやら指令船が収まるためなのか、わざわざ空けてあるのだが、このあたりもまたわざとらしいのである。

 私は別に、シッチンさんの考え方自体を、批判するつもりはないのだ。よく知られているように、メソポタミアの神々の物語には何がしか不思議なところ、宇宙的な要素があるのは事実なのである。おそらくそれはギリシアでも、インドでも、もっと別の民族の神話でも同じだ。極端にいえば、宇宙人をイメージしてしまうような要素があると指摘することはできると思うのだが、こんなやり方では、お粗末すぎる。しかも困るのは、たいていの人はシュメール語や楔形文字などは、知らないのが当たり前だから(世界中どこだって同じだろう)、シッチンさんみたいなことをいわれれば、本当にそうなのかと思ってしまうことなのだ。 (2006年2月15日)


(5)

 ゼカリア・シッチンという人のプロフィールを見てみると、「パレスティナで生まれ、ロンドン大学でヘブライ語などの諸言語を学んだ」とある。さらに、「シュメール語を解読できる世界でも数少ない学者の一人」などとある。
 出版社や編集者が、宣伝効果や箔をつけるために著者紹介でゲタをはかせて持ち上げるのは、まあ、多少は仕方ないと思うけれども、「数少ない学者の一人」とは、私などは笑ってしまう。
 シッチンさんの書いたものを読むと、解読という作業には不可欠な文法的な内容がほとんど感じられず、とてもシュメール語の原文を読んだり、ましてや解読をしているとは思えない。彼自身が著書のなかで漏らしているところによると、ファルケンシュタシンなどのシュメール語学者が粘土板から解読し、テキスト化したものを、自分なりに解釈し、しかもかなり飛躍したアイデアで、つまり、思いつきで創作しているようだ。

 シッチンさんにはある種の言語学の素養があるし、シュメール語も素人ではないのがわかるが、シュメール語の専門家でもない。おそらく、本物のシュメール語学者はゼカリア・シッチンという名前など聞いたことがない、というだろう。
 (現に、私がシュメール語講座に通い始めてまもなくの頃、その方面の研究者の名前を誰も知らなかったので、唯一知っていたシッチンさんについて尋ねてみたら、そんな名前は聞いたことがないと、ある先生から怪訝な顔をされたことがある。)

 シッチンさん自身は、おそらく自分がやっていることなど最初から百も承知に違いない。彼は学者でなく物書きで、しかも、どちらかといえば一風変わった作家だ。彼にとってみれば、別に学問に貢献する必要はないし、奇抜なアイデアで読者を喜ばせれば、それで作家の仕事にはなるわけである。
 固苦しい学問的な探求よりも、エンターテイメントの方向に重点を置いても、誰も文句はいわないし、むしろそれを喜ぶ読者もいる。その手の本が書かれることは、いわば出版の世界では常識といえば常識だ。

 しかし一方で、シッチンさんの本は、古代文明のマニアの人たちには、けっこう真面目に受け取られているようだし、それだけではなく、この分野をやっている外国の作家や研究家の本でも、シッチンさんの名前にはわりとお目にかかるのである。
 グラハム・ハンコックは「アトランティスなどの失われた文明についての文献を徹底的に再検討し」、「そのなかには作家エーリッヒ・フォン・デニケンやゼカリア・シッチンの本も含まれていた(『神々の世界』)」と書いている。また、『神々の遺伝子』の著者、アラン・アルフォードは、デニケンやシッチンの影響をまともに受けて、この分野をやり始めた若手の研究家のようだ。
 この人はシッチンやデニケンの主張をそのまま受け継いでいるらしく、ことに古代メソポタミア方面については、シッチンさんのアイデアをほぼ全面的に認め、(言葉は悪いが)その「受け売り」で書いているようなところがある。

 そのために、『神々の遺伝子』には、次のようなことが書かれていたりする。
――シュメールという名称は、KI・EN・GIR(キエンギル)と書かれ、「ロケットの主の国」を意味する。(P176)
 こんなものを見ると、私は本当に嫌になる。

 上で述べた例の「宇宙船」の「GIR」を持ってきて、「KI・EN・GIR」とやっているわけである。まったく、もう、お話にならない。
 シュメールの名称である「キエンギ」という文字は、「KI・EN・GI」と書かれる。それは「地・主・葦」と書かれているのであって、ナイフをあらわす「GIR」の文字は使わない。シュメールの初期王朝時代の王碑文に「シュメールとアッカドの王」という定型句があり、そこではいつも「ルガル―キ・エン・ギ―キ・ウリ・ケ」と書かれる。(「キ・ウリ(KI・URI)」はアッカドのこと。「ルガル」は王。最後の「ケ」はこの場合「~の」+「~が」にあたる。)

 だから、シュメール=「キエンギ」を、「キエンギル」とは絶対にいわない。この本の著者は、宇宙船とか、指令船と結びつけるために、音が似ているので、こんな真似をしたのだろう。これはアルフォード自身の考えなのか、それとも、他の多くの箇所がそうであるように、シッチンさんからの受け売りなのだろうか。
 阿呆らしいので、私は確かめる気もしないが、普通の人はこんなことをいわれても、「はあ、そうですか」というしかないだろう。わざとこんなことをしているのであれば、自説を強調したいための詐欺みたいなものだ。
 上でみた「ディンギル」の場合と同じで、少しシュメール語や楔形文字をかじった人間なら、こんな真似は絶対にしないのである。

 ゼカリア・シッチンさんは、メソポタミアの神々を宇宙人ととらえ、アンやエンリル、イナンナといった神々が、宇宙司令官として中東各地やアフリカまで宇宙船で飛び回っていたと、そんなストーリーを考えていらっしゃる。しかし、『古代オリエント集』(筑摩世界文学大系1)に入っているメソポタミアの諸文献と比べてみれば、もとの物語はどういうものかよくわかる。(2006年2月19日)

 
 
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