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アトランティス幻想 その6,7

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年 9月28日(土)15時27分27秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://www2.odn.ne.jp/hideorospages/atlan06.html

第6話 アトランティス周辺事情(2)

(1)

 古代文明と宇宙人というようなテーマになると、フォン・デニケンとゼカリア・シッチンにはどうしても出会ってしまう。ほかにも、ロバート・テンプルをはじめ1970年代には、宇宙考古学という分野の研究家がたくさんいて、多くの本が書かれた。
 UFO目撃騒動なども70年代には頻発し、宇宙人にまつわる話題が何かと世間で取り沙汰されていたのである。本当にその手の話が70年代には多かったが、なぜか、最近はあまり聞かれなくなった。

 宇宙考古学というと、やはりその中心人物はデニケンになると思うけれども、ある意味で、デニケンの主張は世間を騒がせすぎたためか、その反動も大きかった。各分野の専門家からの攻撃にさらされ、ほとんど面目をなくしてしまった、という事態になった。
 主張のインパクトも強かったけれども、いかがわしさのインパクトも同じように強く、実証性に乏しい。いわば、ハッタリ屋という扱いになってしまった。この分野に造詣が深いイギリスの作家、コリン・ウィルソンでさえ、デニケンについては「荒唐無稽で、不正確なこじつけの主張」と手厳しい。

 デニケンについては、私は20年ほど前に何冊か読んでいたが、当時の印象は「思い入れが強すぎて、読みにくい」というようなものだった。考古学的な事実を無視して、自説を強引に主張するので、本としての信頼感がもてない。
 何年か前に復刻された作品(『未来の記憶』『星への帰還』『人類を創った神々』)を、昨年ざっと読み返してみたときも、その印象は大して変わらなかった。どうも、自説に合うように話を作りあげているところがあるようだ。しかし、視点を変えてみると、一世を風靡しただけのハッタリ的な迫力と、それゆえの面白さはたしかにある、ともいえる。こういうものを当時の人々は、どこかで欲しがっていたのではないだろうか。

 実証性が乏しい、あるいはほとんどないという点では、ゼカリア・シッチンも同じだ。 第5話で述べたこと以外にも、シュメール語の解釈のいい加減さはひどいもので、「交差する惑星」だの、「ニビルという惑星から来た」だのと、いったいどの粘土板の、どの文字からこういう解釈が生まれるのか、不思議なストーリーが創作されている。「地球は太陽系の外側から数えて7番目の惑星」などと、あきれるような話もある。
 まだシュメール語の解釈に未確定の要素が強かった70年代以前の知識を、シッチンは拠り所にしているようだ。しかも、文字の根拠をほとんど示さないまま、考古学的な事実もまったく無視して、空想だけで話を作りあげているのだから、ある意味では、デニケンよりお粗末といってもよいかもしれない。
 しかし、シッチンの場合はデニケンほどは目立たず、また言語学の素養もあるということで、マニアには一目置かれているようなところもあるようだ。

 シッチンについては、前に述べたように私はシュメール語の内容で引っ掛かってしまうので、読むのが嫌になってしまう。手にとってはみるものの、結局、阿呆らしくなってやめてしまうというパターンが続いていたが、最近、一度きちんと読んでみようと決め、わりと新しい『神々との遭遇』(上下二巻)を読んでみた。ほかにも2~3冊、ざっと目を通してみた。
 全体的な印象はデニケンと同じようなもので、本としての信頼感は乏しい。読むのも、正直にいって、読みづらい。しかし、何から何まで全部がいい加減かというと、そうではなく、ときには鋭い指摘もあり、丹念な考察には意外な気がすることもある。
 なかでも、ヘブライ語の知識に基づいた聖書の物語への指摘には説得力を感じることもある。シッチンにしてみれば、楔形文字やシュメール語の方面より、ヘブライ語と聖書の分野が十八番(おはこ)なのではないだろうか。

 デニケンにしても、シッチンにしても、すでにレッテルを貼られた「札付き」かもしれないが、別の見方をすると、ある種の先人的な役割を果たしたことは言っておくべきかもしれない。
 彼らの主張がすべて荒唐無稽かといえば、必ずしもそうではないと私には思える。聖書の物語に宇宙人の要素を持ち込んだ彼らの発想は、ある意味では、多くの人々が漠然と感じていたことを代弁したような面もあったのではないだろうか。
 個々の主張だけでみると、荒唐無稽であったり、こじつけがましかったり、あるいは、まったく空想的であったりするのだが、全体として眺めたとき、一方で、彼らが古代文明のミステリーの扉を開いたという面はあるに違いない。
 『神々の指紋』など、G・ハンコックの一連の著作も、この二人をベースにしているといってもいいだろう。評価するのとは、ちょっと違うけれども、一種のパイオニアとしての性格はあったように思う。そういう側面があることは指摘しておきたい。(2006年2月23日)


(2)

 話がちょっと脇にそれてしまったので、ふたたびシュメール文明に戻って――

 シュメールの「キ・エン・ギ」という名称は、前にみたようにシュメール語では「地・主・葦」と書かれ、「葦原の地」というような意味だ。シュメールの地、南部メソポタミアはおそらく葦が生い茂る土地だったのだろう。
 では、「シュメール」と「キエンギ」という名称の違いは何かというと、「シュメール」はアッカド人からの呼び名であって、シュメール人自身は自分たちの民や土地を「キエンギ」と呼んでいたようだ。
 いわば、日本とジャパンの違いみたいなものだろうか。
 アッカド人とはセム系の民族で、今のアラブ人やユダヤ人につながっていく人々である。シュメール人はそれとは別系統だったと考えられている。

 このシュメールの「キエンギ」について、吉川守先生の解説は、
「主(エン)という文字には、上から見渡すようなニュアンスがあるので、『見はるかす葦原の地』というように訳せるかもしれません」ということだった。
 そういえば、古代の日本の名称も「豊葦原瑞穂の国」と呼ばれ、葦との関連がある。
 このあたりに注目して、古代日本とシュメールとのつながりを主張する人々が日本では昔からいる。なかには、言語的なつながりまで主張する人々もいる。

 日本語もシュメール語も、ともに膠着語(こうちゃくご)に分類される言語で、「て、に、を、は」で文章をつないでいける。
 膠着語はほかに、トルコ語、バスク語、グルジア語、朝鮮語などがあり、いずれも言語系統が不明とされている。(いくつかの言語の複合言語らしい。)
 古代史研究家のなかには、「日本語とシュメール語が似ている」とか、「シュメール語は朝鮮語に似ている」という意見を持つ人もいる。だが、言語系統などはきわめて専門的な議論なので、私などにはわからない。しかし、少なくとも私は、日本語とシュメール語が似ていると思ったことは一度もないし、シュメール文明と古代日本がどこかで文化的な接点があると思ったこともない。朝鮮文化についても同じである。
 最近の言語学の方では、ヨーロッパからアジアにまたがるユーラシア大陸全体の祖語(ユーラシア祖語)があったのではないかという考え方があり、むしろ、そちらの方に可能性を感じたりする。


 これに関連して、シュメール語には興味深い点がある。
 というのは、言葉の原始性みたいなものをシュメール語は保っているように思えることだ。人間が言葉をしゃべり始めた頃の素朴な雰囲気みたいなものを感じるのである。
 第5話でみた「シュメールとアッカドの王」というのをもう一度見てみると、
  「ルガル・キエンギ・キウリ・ケ」
  「(王)(シュメール)(アッカド)(~の、~が)」
と書かれる。
 つまり、王にかかる「~の」が最後にくる。このようにうしろから前を指示するケースがシュメール語では普通である。
 もう1例あげると、ウルクにあるエアンナ神殿は、
 「エ・アン・ナ」、つまり、「(家)・(天の神アン)・(~の)」となる。

 「~の」という指示する言葉が最後にくるような言語は、世界でも非常に珍しいらしく、おそらく唯一ではないかとも言われるが、これは言語としての古さを感じさせる。
 たとえは悪いかもしれないが、昔の西部劇に出てくるインディアンの言葉がこんな感じで話されていた。一番大事な言葉を最初に出し、後から次々と説明を追加していくような話し方である。
 シュメール語にもそんなところがあるので、
「シュメール語には、一種の原始性が残っているということでしょうか?」
と、ある先生に尋ねたところ、
「そういうところはありますね」という返事だった。

 シュメール語に比べると、同じ楔形文字で書かれていても、セム系のアッカド語などは(とくに古バビロニア時代後半からアッシリア時代くらいになると)、ずっと実用的で、組織化されている印象を受ける。すでに文法が出来あがっているように見えるのである。
 我々日本人から見たら、セム語はむしろインド・ヨーロッパ語族に近いとさえ感じるほどだ(現に、同じ屈折語に分類されている)。

 もし本当に、シュメール語のなかにまだ言語の原始性が保たれているのであれば、人間が言葉をしゃべり始めたのは、それほど古くはないということかもしれない。
 ただし、言語として組織化されたのは意外に歴史が新しいとしても、表現手段として、コミュニケーションの道具として、人間が声を使っていたのは相当古くまでさかのぼるはずだ。どこまでがただの発声で、どこからが言語かという区別は難しいのかもしれない。コミュニケーションというだけなら、別に言葉でなくても、身振りや表情でも伝わるし、人の思いだけでも、ドスンと伝わるケースもある。
 人間が言葉をしゃべり始めたのがいつか?という問題は、今もまだミステリーのままである。(2006年2月26日)


★  ★  ★


 話がどんどんそれたついでに、この際なので――
 じつは、シュメールの地名にも謎が多いのである。

 シュメールの地名は、シュメール語では理解できない場合が多いといわれ、先住民の地名がもとにあったのかもしれない、とも考えられている。

 たとえば、シュメール最古の都市といわれるエリドゥは、シュメール語では「NUN・KI」(ヌン・キ)と書かれる。「聖なる・地」という意味である。これを「エリドゥ」と発音していた。しかし、なぜヌン・キと書いて、エリドゥと読んでいたのか。「エリドゥ」だけでは、シュメール語では理解できない(しにくい)のである。

 同様におもしろいのは、ラガシュという地名だ。
 ラガシュはシュメール語では、「シル・ブル・ラ・キ」と書かれる。意味は「(カラス)(群がる)(地)」である(シル・ブルでカラス)。つまり「カラス群がる」と書いて、「ラガシュ」と読んでいた。ラガシュにはカラスが多かったのだろうか。
 しかし、なぜ「ラガシュ」と読むのか、今では誰もわからない。ラガシュという音だけでは、やはりシュメール語では理解できない。
 吉川先生の解説では、ちょうど日本の「飛鳥」と同じで、「飛ぶ鳥」と書いて「あすか」と読む。しかし、なぜそう読むのかわからない。これと似ているのじゃないですかね、ということだった。

   ほかの地名も見てみると――
 ウルクの場合は、もともと「ウヌ(グ)」だったようだ。シュメール語では「UNU(G)・KI」と書いてある。
 ウヌ(グ)がウルクになり、数千年の歳月を経て、現在のワルカになったようだ。
 ウルクの場合、このように「ウヌ(グ)」と「ウルク」は音としてはつながっており、エリドゥの場合とは違う。しかし、もとの「ウヌ(グ)」とは、どういう意味なのかよくわからないようだ。
 文字を見ると、ジッグラトのようなものが表されている。この一文字だけで、「ウヌ(グ)」と読んでいる。

 ウルの場合はちょっと変わっている。
 シュメール語ではウルは「セシュ・ウヌ(グ)・キ」、つまり「兄弟・ウルク」と書いて、「ウリ(ム)」と発音していた。「ウリ(ム)」の音が「ウル」になったらしい。
 「ウルクの兄弟」というのだから、都市国家ウルは、ウルクから派生したのかもしれない。しかし、ウリ(ム)だけでは意味がよくわからないのは、ウヌ(グ)の場合と同じである。

 ユーフラテス川は、シュメール語では「ID・BURANUN(イッド・ブラヌン)」と呼ばれた。
 「イッド」は川のことだが、「ブラヌン」の意味がよくわからない。
 文字でいうと、「ID・UD・KIB・NUN・KI」(イッド・ウド・キブ・ヌン・キ)となっており、「時(または日)が導く聖なる地」の「川」というような意味のようだ。
 「ブラヌン」がアッカド語の「プラット」になり、やがて、現在のユーフラテスになったとされている。
 だが、「時(または日)が導く聖なる地」と書いて、なぜ「ブラヌン」と読むのか、そこのところがよくわからない。

 この「イッド・ブラヌン」から川の「イッド」がなくなると、「UD・KIB・NUN・KI」だけで今度は地名になる。ZIMBIR(ジムビル)と読まれる。これは太陽の町シッパルのことである。シッパルはもともと、シュメール語ではジムビルというような音だったらしい。
 ジムビル(シッパル)を流れる川が、ブラヌンつまりユーフラテス川だった、ということだろうか。

 このシッパルという町は、じつはちょっと気になる場所でもある。
 シュメールの王名表(王朝表)には、大洪水前の原初の5都市のことが述べられているのだが、エリドゥ→バドティビラ→ララク→シッパル→シュルッパクの順番に天から王権が下り、全部で5都市8人の王が24万1200年間支配したと、そういうものすごいことが書いてある。シッパルはこの原初の5都市の4番目になっている。たぶん、かなり古い歴史を持つ町だったのだろう。

 シッパルにはまた別の伝説もある。紀元前3世紀のバビロンのマルドゥク神殿の神官ベロッソスが伝える大洪水の物語では、洪水前の記録をシッパルに埋めたというのである。 「大洪水にそなえ、あらゆる時代の書物を太陽の町シッパルに埋めた」と述べられている。洪水後にその書物を掘り出して、バビロンを建設したとも書かれている。

 そういう視点で、シッパルという町、つまりシュメール語のジムビルを見ると、「時(または日)が導く聖なる地」という名前は何かを暗示している。時の流れが解き明かす秘密のようなものがあったのか、ひょっとすると、まだ何かの記録が埋まっているのじゃないか、などと想像したくなるわけである。

 ついでに、地名について付け足しておくと、エンリル神の町ニップールは、「EN・LIL・KI」(エンリルの地)と書いて、「NIBRU」(ニブル)と読んでいた(ニップールはアッカド語の発音)。
 単純といえば単純だ。しかし、ニブルだけでシュメール語の意味があるのかどうか、(私には)わからない。
 前に述べたゼカリア・シッチンさんの「交差する惑星ニビル」とは、どうもこの「NIBRU」(ニブル)あたりから引っ張ってきているのか、あるいは、バビロニアの創世神話である「エヌマ・エリシュ」に出てくるネビル(木星)あたりから創案しているらしい。


 いずれにしても、このようにシュメールの地名には、シュメール語で理解できないケースが多い。そのために、先住民の地名がもとにあったのかもしれない、といわれるのだが、ではその先住民とは誰なのか?
 シュメール以前はウバイド期なので、ウバイド人のことなのか、それとも、ウバイド人とシュメール人は同じ民族だとすると、それ以前に別の民族が住んでいたのか、そのあたりはまだよくわかっていないようだ。


 さて、ここまで第5話と6話で、最古のシュメール文明についてあれこれと見てきたけれども、少なくともいえることは、プラトンがいうようなアトランティスの存在は、シュメールの記録からは見えてこないということである。シュメールの粘土板には、どうやら大洪水で沈んだアトランティスという島を思わせるようなものはないようだ。
 ただし、大洪水についてはいくつかの伝説があり、それについてはまたあとの機会に述べることにしたいが、アトランティスそのものについては、シュメールの記録からはどうも不確かだ。人類に知識を伝えたオアンネスや、洪水を知らせた知恵の神エンキの伝説はあるけれども、これはやや趣きが違う。アトランティスはどう考えたらいいのだろうか。(2006年3月2日)

第7話 洪水伝説とギルガメシュ

(1)

 旧約聖書の創世記には、有名なノアの大洪水の話が書かれている。
 雨が40日と40夜降り続き、地上をすべて覆う大洪水が起こった。洪水は地上にあふれ、ノアの一族と動物たちだけが箱舟で逃れた。箱舟はアララト山の山頂に漂着した。陸地があるかどうか調べるために鳩を放ったが、鳩は2度戻ってきて、3度目にやっと戻ってこなかった。生き残ったノアは人類の祖となった・・・・。
 と、このような話が語られている。
 この物語は、かつて地球上で起きた本当の事件を伝えているのか、それとも、単なる寓話なのか、今も明らかではない。しかし、同じような洪水伝説が、ほとんど世界中の民族に残されているのも事実だ。

 旧約聖書の洪水物語の部分が編纂されたのは、今では聖書の年代学によって紀元前6世紀ごろと考えられている。ところが、この物語はさらに古い起源を持ち、古代メソポタミアの粘土板にも、そっくりの内容が述べられていたことが知られている。
 1854年、メソポタミアのチグリス川上流にある遺跡、ニネヴェを発掘したイギリス隊は、古代アッシリア時代のアッシュール・バニパル王(前7世紀頃)の王宮文書庫から約2万5千枚にのぼる粘土板を発見した。いわば貴重な古代図書館の発見だ。
 1872年、大英博物館の銅板印刷の技術者であり、楔形文字を学んでいたジョージ・スミスは、この古代図書館の粘土板のなかに聖書とそっくりな洪水物語が書かれているのを発見した。スミスは翌年、みずからニネヴェの発掘に赴(おもむ)き、粘土板の洪水部分のちょうど欠落していた箇所を発見するというドラマも生まれた。
 のちに、これが全部で12枚の書板からなるギルガメシュ叙事詩と呼ばれる世界最古の物語である。

 では、この物語はいったいどれくらい古いのか。
 ギルガメシュ叙事詩の主人公、ギルガメシュは、メソポタミア最古のシュメール文明の伝説的英雄だ。この主人公の冒険譚である。そのなかに大洪水について述べられた部分があり、大洪水から生き残ったウトナピシュテム(古代バビロニア語で「永遠の生命を得た者」の意)という人物が、ギルガメシユに大洪水の模様を話すのである。それはギルガメシュ叙事詩の第11番目の書版の200行分ほどにあたる。
 ギルガメシュは、仙人のように生きるウトナピシュティムという人物を、長い旅の果てに探しあてる。どのようにして永遠の生命を得たのかと尋ねたところ、「隠された事柄をお前に明かそう」と前置きして、ウトナピシユティムは次のような話を語る。

 神々が大洪水を起こす決定をしたとき、知恵の神エアは、こっそりとウトナピシュテムにそれを知らせ、箱舟をつくるように命じた。箱舟は一辺約60メートルの立方体をしており、7階建ての造りで、各階は9つの部屋に分けられた。そこにすべての生きものの種、彼の家族と親族、すべての技術者を乗せた。
 まもなく、すべての光が暗黒に変わったかと思うと、大地は壺のように壊れ、暴風が吹き荒れ、大洪水が地を襲った。人々は破滅し、神々さえも洪水を恐れて天に引きあげてしまった。6日と7晩、暴風と洪水が押し寄せ、7日目にやっとおさまった。
 海の彼方に陸地が見え、箱舟はニシル(ニムシュ)の山に漂着した。1日、2日と、山は箱舟を動かさなかった。7日目になって、鳩を放したが、休み場所が見当たらず、舞い戻ってきた。燕を飛ばしたところ、やはり戻ってきた。烏を放したところ、水が退いたのを見て、帰ってこなかった。この洪水で、すべての人間は粘上に帰ってしまった。
 ウトナピシュテムと彼の妻は、神々と同じ永遠の命を与えられ、遥か遠くの河口に住むよう命じられた。

 まさに聖書とそっくりの内容だ。(2006年3月7日)

(参照『ギルガメシュ叙事詩』月本昭男訳 岩波書店 / 『ギルガメシュ叙事詩』矢島文夫訳 ちくま学芸文庫)


(2)

 ニネヴェの王宮文書庫で発見されたギルガメシュ叙事詩は、すでに物語として完成された形をしており、標準版と呼ばれている。粘土板には欠落している部分も多く、全体で約3600行のうち、約半分ほどが復元されている。
 この標準版はすでに紀元前12世紀ごろには成立していた。しかし、もっと古い古バビロニア語版、シュメール語版の断片も発見されているので、その起源はシュメール時代までさかのぼるようだ。
 ただし、シュメール語版は、まだギルガメシュ叙事詩の原型ともいうべきもので、まだ素朴な神話や伝説といったところだ。標準版には含まれていない物語もある。それらが古バビロニア時代(前18世紀ごろ)に「ギルガメシュ叙事詩」という文学的なスタイルに最初に編纂され、さらに多くの改訂を加えて、アッシリア版へと完成していったようだ。
 この世界最古の物語のあらすじをごく簡単に紹介すると、次のようなものである。

 ・・・・メソポタミアの古代都市、ウルクの王ギルガメシュは3分の2は神、3分の1は人間で、暴君として知られていた。ウルクの町の若い娘はすべて彼のもの、といった有様である。困惑した人々の訴えを受けて、神は、野人エンキドゥを造り出す。エンキドゥは荒野で獣に育てられ、獣と同じように走ることができた。ところが、ウルクから送りこまれた聖なる娼婦シャムハトと交わったことで、人間としての生を知る。
 エンキドゥは聖なる娼婦に連れられて、ウルクにやってくる。そこでギルガメシュの暴君ぶりを聞いて憤り、ギルガメシュと路上で格闘することになる。ところが、ギルガメシュとエンキドゥの戦いは決着がつかず、むしろ戦いのあと、ふたりは固い友情で結ばれる。
 ふたりは、杉の森の恐ろしい怪物フンババ退治に出かけ、怪物を殺すことに成功する。
 また、女神イシュタルが、森を征服した勇敢なギルガメシュに思いを寄せ、なんと誘惑しようとするが、ギルガメシュは相手にしない。怒った女神は、荒れ狂う天の牡牛を地上に送り、ギルガメシュを懲らしめようとする。しかし、ギルガメシュとエンキドゥは、天の牡牛を殺してしまう。
 ところが、フンババと天牛の殺害の責を負って、エンキドゥの死が神々によって決定されてしまう。エンキドゥはやがて衰弱し、死んでしまう。ギルガメシュは手厚い埋葬を行うが、友の死をきっかけに、死の恐怖にとりつかれる。
 ギルガメシュは死と生の秘密を知るために旅に出る。大洪水を生き延び、永遠に生きるウトナピシュテムに会うためである。
 彼は、難関のマーシュの山(双子の山)でサソリ人間から、山を通り抜けるルートを聞き出し、暗黒の空間を通って輝く海辺に達する。
 海辺でギルガメシュは酌婦シドリと出会い、彼女から、ウトナピシュテムに会うには「死の水」を渡らなければならないこと、そのためには舟師が案内してくれることを教えられる。ギルガメシュは、舟師の指示によって「死の水」を渡り、とうとうウトナピシュテムのもとにたどり着く。
 ウトナピシュテムは、自分が神々と同じに列せられた経緯を、ギルガメシュに語って聞かせる。ここで語られるのが大洪水の話である。そのあと、永遠の命を望むギルガメシュのために、ウトナピシュテムは7日間寝ずにいる試練を彼に課してみる。ところが、ギルガメシュはこれに耐え得ない。死はおろか、眠りすら克服できないのが人間なのである。
 しかし、ギルガメシュは、海の深淵にあるという「若返りの草」の在り処をウトナピシュテムから教わり、帰路に着く。ギルガメシュはこれを求めて海の深遠に達し、この草を手に入れることに成功する。だが、ウルクへの帰り道、泉の水で身を清めているとき、蛇に草を持ち去られてしまう・・・・

 このように、老いと死は人間には免れないという深遠なテーマを叙事詩は語るのである。(2006年3月8日)


(3)

 ギルガメシュ叙事詩の「ギルガメシュ」という名は、もとのシュメール語では「ビルガメシュ」と書かれている。シュメール語で「先祖の英雄」という意味である(「年老いた若者」とも)。「ビルガメシュ」が「ギルガメシュ」と転訛し、アッカド時代、あるいは古バビロニア時代あたりには「ギルガメシュ」の名前で定着していたらしい。
 では、このギルガメシュ(ビルガメシュ)の物語は本来、年代にすると、いつごろの出来事を語っているのだろうか。さらにまた、そもそもギルガメシュとは、実在の人物なのだろうか。

 シュメールの王名表(前2100年ごろ成立)によると、シュメールの初期王朝時代後期(前2450年ごろ)には、ギルガメシュの名前はすでに神格化されていた。
 前に述べたように、この王名表には大洪水の前に原初の5都市に天から順番に王権がくだり、そのあと、「大洪水が地を覆った」という問題の記述がある。大洪水については、ただ1行、そう書いてあるだけである。
 洪水後は、まずキシュに王権がくだり、さらにウルク、ウルへと移る。ギルガメシュは、このウルクの5番目の王として登場している。
「聖なるギルガメシュ王が126年間支配した」とある。
 してみると、ギルガメシュは、洪水後のウルクに実在した王であったのかもしれない。

 また、王名表によれば、シュメール文明の最初の支配的な町とされるウルクより前に、北方のアッカドの地にあるキシュに王権がくだった、とされていることも注目されるところだ。
 王名表に残るキシュの王のほとんどは、セム系の名前とされており、キシュには早くからセム人が住み着いて、強大な王権を打ち立てていたことが予想されている。
 ただし、このような王名表の記述は、必ずしも研究者に文字通りには理解されていないようだ。キシュからウルク、ウルへという洪水後の王権の移動も、じつは時間的な流れではなく、各都市は同時に存在していた。南部メソポタミアを支配する有力な都市が、キシュからウルク、ウルへと、次第に移っていったという事実があり、各都市の順番をそのまま縦に並べ、そこに王名も併せて記述されているようだ。
 したがって、キシュの最後の王アッガがじつは、ウルク5代目の王ギルガメシュと同時代だったと考えられている。「ギルガメシュとアッガ」という物語が伝えられており、ウルクの王ギルガメシュが、キシュの王アッガの攻撃を防ぎ、キシュからの独立を果たすのである。つまり、ウルクはそれまではキシュの支配下にあったという。
 考古学的には、こうした事実はまだはっきりとは裏づけられていないようだが、シュメールとアッカドの文明(王権)はそれぞれ、当初から、ほぼ同時に存在していたのかもしれない。

 このように今では、出土した碑文などの資料から、キシュやウルクの王名表の初期の王の名前が現に見つかっている。
 また、前1800年ごろのウルクの碑文には「ギルガメシュの古き業なるウルクの城壁を再建した」と記されており、ウルクの城壁はギルガメシュによって作られたという伝説が存在していたようだ。
 ギルガメシュが実在した人物かどうか、これまで疑問視する見方もあったが、こうした資料によって、今ではギルガメシュは前2700年ごろ、おそらくウルクに実在した王ではないか、と考えられるようになっている。
 つまり、ギルガメシュ叙事詩は今から4700年ほど前の古代都市ウルクに実在した王をモデルにしているようだ。しかも、シュメール初期王朝時代の後期には、ギルガメシュはすでに伝説の人物として神格化されていた。
 ギルガメシュ叙事詩はおそらく、人類の文明史上、最も古い時代の物語といってもよいわけである。
 しかも、ここで注目されるのは、ギルガメシュの物語のなかで語られる大洪水の話は、彼の時代よりずっと古い、はるか昔の神話的な出来事とされていることだ。
 大洪水の伝説が、もし本当の事件を伝えているのであれば、その年代はそれくらいのタイムスパン(時間の隔たり)を想定する必要があるわけである。(2006年3月13日)

参考
前川和也 世界の歴史1『人類の起源と古代オリエント』(中央公論社 1998年)
前田 徹 『メソポタミアの王・神・世界観』(山川出版社 2003年)
『古代のメソポタミア』(朝倉書店 1994年)


(4)

 ここではやや冒険的なことを述べないといけないのだが、それはギルガメシュとピラミッドについてなのである。
 ギルガメシュ叙事詩には、じつは、もっと思いがけない事実が含まれている可能性がある。どうやらエジプトのピラミッドやスフィンクスについて述べられている、と思える箇所があるのだ。
 昨年、月刊誌『ムー』の8月号には書いたけれども、おそらく、こんなことは今まで言われたことはないのではないだろうか。
 シュメール文明が始まったばかりの初期王朝時代の初めに、エジプトにはピラミッドやスフィンクスが存在していたなどとは、現在の歴史観ではあり得ない。しかし、ことピラミッドに関していえば、常識的な歴史観にはもうあまり意味がない、と私は考えているので、ここでも自分の見方を述べておこう。

 問題の気になる箇所は、叙事詩の第9の書板にある。
 ギルガメシュが生と死を探求する旅に出て、「マーシュの山」にさしかかる場面である。友エンキドゥの死によって死を恐れ、荒野をさまようギルガメシュは、ウトナピシュテムのもとに行く途中、マーシュの山にさしかかる。この山が、通過するべき大きな関門になっているようだ。叙事詩には、次のようにある。

夜、山の麓(狭間)にやってくると、
わたしはライオンどもを見て、震えあがった。
わたしは月の神シンに向かって祈った。
山の名はマーシュ
彼がマーシュの山に着いたとき、
それらは日毎に日の出を見張っていた。
その頂上は天の底に届き、
下は冥界にまで達していた。
サソリ人間たちが、その門を見張っていた。
彼らの恐ろしさは身の毛がよだつほど、その形相は死であった。
その恐るべき畏怖の輝きが山をとりまいていた。
彼らは日の出と日の入りの太陽を見張っていた。
サソリ人間はギルガメシュに言う。
「彼(ウトナピシュテム)のもとに行く道はない。この山を行こうとしても、誰も通り抜けられない。そこは12ベール(120キロ)も闇が続く」

 ギルガメシュはしかし、サソリ人間からマーシュの山を抜けるためのシャマシュ(太陽神)の門と道を聞き出し、どうにか無事に通り抜けることに成功するのである。
 ここにある「マーシュ」とは、古代バビロニア語で「双子」の意味である。双子のように見える山があり、その前にはライオンがいるという構図である。
 これは何かを寓話的に、あるいは、シンボリックに述べているようだ。大洪水を生き延び、永遠に生きるウトナピシュテムのもとに行くためには、どうしてもそこを通らなければいならない。おそらく、双子の山とライオンで象徴されるような場所があったのである。
 ところが、双子の山とライオンという構図で思い浮かぶ場所がじつはある。なんとあのギザのピラミッドとスフィンクスなのだ。

 中世アラブの著述家たちの記録では、ギザのピラミッドは今日のように「3大ピラミッド」とはいわず、むしろ、「ふたつのピラミッド」と呼んでいるケースが多い。
「フスタート(カイロ)の西にあり、世界の七不思議に数えられるふたつの大きなピラミッドは、一方はアガトダエモン、他方はヘルメスの墓である」(マスーディー・10世紀)
 3大ピラミッドを少し離れて見ると、クフ王とカフラー王のふたつの大きなピラミッドだけが見え、メンカウラー王のピラミッドは見えなくなる。まるでふたつの大きなピラミッドだけが並んでいるように見え、それは「双子」といってもよい大きさである。さらに、その前にはライオンのスフィンクスがいる。

 叙事詩はまた「(双子の山は)日の出を見張っていた」という。また「日の出と日の入りの太陽を見張っていた」ともあり、何か太陽と関係する場所のようだ。
 こうした表現は、ギザのピラミッドの空間が東を向いて造られていることによく当てはまる。ピラミッドを守護するといわれるスフィンクスは東を向いて座し、まさに「日の出を見張っている」わけである。そのスフィンクスの称号は、ハルマキスト(ホル・エン・アケト=地平線のホルス)、つまり太陽神としての性格を持っている。
 さらに、サソリ人間という不気味な存在・・・・。叙事詩では、「彼らの恐ろしさは身の毛がよだつほど。その形相は死であった」という。

 アラブの伝説では、ピラミッドの周りには、近づこうとする者から秘密をまもるために、恐ろしい亡霊がとり囲んでいると考えられていた。叙事詩に出てくるサソリ人間とは、そのようなものと考えることもできる。
 一方、マーシュの山は冥界にも通じており、そこを通り抜けなければ「人間の生命の秘密」には達しない。これはまさにピラミッドの秘密そのものといってもよいだろう。
 ギザのピラミッド周辺には不思議な伝説が、はるかに古い時代から存在していた。ピラミッドやスフィンクスの地下には、人類にとってきわめて重大な秘密が隠されている、と、古王国時代から語り伝えられてきたのである。 (2006年3月17日)


(5)

 ギザのピラミッドやスフィンクスは、今日では、紀元前2500年ごろ、エジプト古王国第4王朝の王たちによって造られたとされている。だが、そこには重大な疑惑があるのは、このホームページや拙著などで、これまでに何度も主張してきたことだ。今さらここでも、それを繰り返す必要はないだろう。3大ピラミッドは、クフ王やカフラー王によって建てられたとすること自体に、今では深刻な疑いが持たれるのである。

 ピラミッドに関するアラブの伝説は、現代のエジプト学とはまったく別の考え方をしている。アラブの伝説では、ピラミッドは大洪水から知識を守るために建てられたとするのである。

「大洪水の300年前、エジプトのスリド王は、星が落ち、大地が転覆する夢を見た。神官たちを集め、星に相談させたところ、大洪水が近く国を滅ぼすこと、そして世界の非常に狭い部分一箇所だけが災害を免れることを確かめた。王は救うべきものは救うことを決意し、まもなく、数々のピラミッドの建設が始められた。ピラミッドのあらゆるところに、数学、建築、天文学、医学や薬学、賢者の教えなどすべての知識が記録された」(12世紀のアラブの作家イブン・ワシフ・シャー)

 大洪水が起きたことを前提にし、ピラミッドはそれ以前に建てられたとしている。
 また、ピラミッドの建造者についても、アラブの伝説は独特の内容を伝えている。
 大きくふたつの考え方があり、ひとつは上のような洪水前のスリド王とする。もうひとつは、古代の伝説的な預言者ヘルメス・トリスメギストスである。これはギリシア神話の知恵の神ヘルメスでもある。
 ピラミッドには洪水前の驚くべき高い知識が記録されており、それはヘルメスに由来するような知識だと考えられていた。アラブの伝説では、このヘルメス・トリスメギストスは、聖書に登場する伝説の預言者、「死ぬことなく天に上げられた」義人エノクと同じだとされている。
 ギルガメシュ叙事詩のなかで永遠に生きるウトナピシュテムは、生命と死の秘密を知った賢者でもある。そこにはヘルメス・トリスメギストス(エノク)の姿が重なってくるといってもよいだろう。ギルガメシュの物語は、ここでもピラミッドをイメージさせるわけである。
 さらに興味深いことは、アラブ世界で伝えられてきたピラミッドの伝説は、その起源を探っていくと、なんとギルガメシュ叙事詩にまで行き着く可能性があるということなのである。


 ギルガメシュ叙事詩が成立してくる過程については、いろいろなことが考えられ、「マーシュの山」が叙事詩に加えられた経緯についても幾つかの可能性が考えられる。物語という性格上、必ずしも叙事詩は歴史的な事実を伝えているのではなく、多くの空想や創作が加えられていると考えるのも自然だ。だが、ここでは敢えて叙事詩の成立以前に、すでにピラミッドが存在したとも考えられることを指摘しておきたい。

 ギルガメシュ叙事詩で語られている物語の年代は紀元前2700年ごろということだ。これは初期王朝時代のウルクの王ギルガメシュという人物を当てはめた年代だが、じつは伝承自体はもっと古くから存在したともいえる。
 マーシュの山の記述が本来どんなものだったのか、今ではもちろん知り得ないが、もしそれが本当にギザのピラミッドやスフィンクスを指しているのであれば、我々は人類の文明の歴史について新たな視点を持つことになる。
 人間の秘密を収めたピラミッドの伝説は、はるかな昔から、すでにギルガメシュが生きていた時代から、不思議な秘密となっていたとも考えられるのだ。ピラミッドは、現在考えられているよりもはるかに古い時代に造られたこと、しかも、ギルガメシュ叙事詩がそれを伝えているともいえるわけである。 (2006年3月17日)


(6)

 それにしても、大洪水は本当にあったのだろうか。
 旧約聖書やギルガメシュ叙事詩に語られている規模の大洪水というのは、特定の地方だけを襲った河川の氾濫というものではないだろう。高い山の頂きまで水位が上昇し、陸地全部が水で覆われ、ほとんどの人間は死んでしまう。いわば、地球というか惑星規模の大異変だ。それによって、ある一族または一組の男女だけが生き残る。このような伝説が世界各地に残されている。

 これまで大洪水についてはさまざまな議論がされてきたが、現在もはっきりした痕跡のようなものは判明していないようだ。大洪水を惹き起こした原因は、彗星か小惑星が地球に衝突したとか、南極の巨大な氷山が海に落ち大津波が発生した、あるいは、太古に核戦争があった(インドの古文献には現にそれを思わせる描写があるので)、その他、あれこれの破壊的な天変地異が想像されてきたが、今もって大洪水がいったいどのようなものだったか、そして、実際に起きたのかどうかさえわかっていない。


 最初のピラミッドの本(『ピラミッドに隠された天文学』1993年)にも書いたように、私自身が以前から予想しているのは、何か未知なる天体が惹き起こした太陽系全体の異変だったのではないか、ということだ。
 巨大な天体が太陽系の惑星の軌道面に近づき、各惑星の運行に重大な影響を与える。地球では公転軌道や自転運動に大きな影響があらわれ、たとえば、自転軸や自転方向が一瞬変わる、というような事態があったのではないかと考えた。
 これはピラミッドに示されていると思われる各惑星の公転軌道のデータが、現在のものとは、わずかにずれていると考えられることからの発想で、大洪水は、単なる地球上だけの事件ではないように思えるのである。
 ただし、ピラミッドに込められた各惑星の公転軌道のデータというのは、まだ不確定のもので、私自身も確証はないのだが、そのような可能性を想像することはできるのである。

(おそらく、地球の軌道はかつて、もっと太陽に近いところにあり、1年の長さはたぶん360日前後だったのではないだろうか。世界の多くの古代文明では、1年の長さを当初360日前後としているケースがわりと見られる。エジプトでも最初の時代には1年を360日としていたが、暦と時間の神のトト神がそれに5日を足したとされている。
 1年の長さが当初360日だったという意見は、あの『衝突する宇宙』のイマヌエル・ヴェリコフスキーも述べている。ただ、『衝突する宇宙』自体がいろいろと問題のある本でもあって、とくに木星で巨大爆発が起こり、それによって金星が誕生し、地球に近づき異変を起こした、というような話には、とうてい私自身はついていけないのだが、1年の長さについてすでに述べていること(同書第8章)は注目しないわけにはいかない。)

 太陽系のなかに未知なる惑星が存在しているという考え方は、天文学の世界では古くから論じられ、予想もされてきたテーマではあるようだ。しかし、実際のところ、いまだ決定的な発見には至っていない。
 昨年7月、米カリフォルニア工科大の研究チームが「第10惑星」を発見したと発表し、さらに、この惑星を回る衛星(月)を見つけたともしている。
 同研究チームによると、この「第10惑星」の直径は約2700キロで、冥王星(直径約2300キロ)の1.2倍ほどだという。太陽系の惑星としては、きわめて小さな天体だ。冥王星でさえ、あまりにも小さいので、惑星とするかどうかの議論が今でもあるほどだ。国際天文学連合はまだ正式に、この新しく発見された天体を惑星とは認定していない。
 太陽系全体の異変に関していうなら、この新天体はまず関係はないといっていいだろう。

 ところがもう少し以前、1972年、カリフォルニア大学ローレンス・リバモア研究所の天文学の研究者たちが、ハレー彗星の軌道の計算をしていて、土星の3倍の質量をもつ巨大な天体が太陽系のはずれに存在している可能性があると発表した。
 それによると、この天体は冥王星よりもはるかに遠くをゆっくり動いており、軌道面傾斜角が極端に大きな惑星ではないか、という。つまり、すべての惑星は水星から冥王星までほぼ同一平面上を運行しているが、この天体は、惑星の軌道面にたすきを掛けたような運動をしているというのである。しかも、土星の3倍の質量をもつということは、太陽系最大の惑星、木星の影響力に匹敵する天体ということになる。

 この未知なる惑星は計算によって推定されただけで、望遠鏡で発見されたわけではない。
 多くの天文学者は「このような天体が本当に存在するなら、他の惑星に与える影響力はあまりにも大きく、今日の安定した太陽系の姿はあり得ない」として、この未知なる天体の存在にたいして否定的であるようだ。おそらく今も、無視されたままになっているのだろう。
 だが、こうした未知なる天体が、今も太陽系のどこかに存在する可能性はあるわけである。しかも、このような天体が惑星の軌道面に近づけば、太陽系のシステムそのものが大混乱に陥ることは明らかだ。
 大洪水というのは、このような天体によって惹き起こされた比較的短期間の事件だったのではないだろうか。
 シュメールの伝説では7日間、聖書では40日間とあるように、数日とか数十日というような天文学的には一瞬の出来事だったと考えられる。だが、それによって地球の動きは、軌道が変化したり、自転の向きが二転三転するほどの大きなかく乱を受けたのではないか。私としては、そんな予想をしているのだ。(2006年3月24日)


(7)

 いずれにしても、大洪水については確定的なことは何ひとついえないのだが、この話の最後に、メソポタミアから伝わる他の洪水伝説も紹介しておこう。
 シュメールの粘土板のなかには、ギルガメシュ叙事詩で語られる洪水伝説のもとになったと思われる話が見つかっている。宗教都市ニップールから出土した粘土板に書かれていたもので、次のようなものだ。
 ・・・・洪水によって人類の種を滅ぼすことが神々の会議で決定された。だが、壁のうしろで聞いていたジウスドラ(シュメール語でやはり「永遠の命を得た者」の意)にだけは、大洪水の到来が知らされた。洪水は七日七晩荒れ狂い、ジウスドラは船で逃れ、人類と動物の種を保存した。神々はジウスドラに永遠の命を与え、海を渡った土地ディルムンの山、太陽の昇る土地に住まわせた。

 この粘上板が書かれたのは、紀元前1900年ごろとされている。内容はギルガメシュ叙事詩とほとんど同じといってもよいだろう。ただし、ジウスドラが洪水後に住んだ場所は、「太陽の昇る土地」にある「ディルムンの山」となっている。
 ディルムンは普通、ペルシャ湾のバーレーン島とされることが多いが、ここでは何か太陽と山に関連する場所されている。「太陽」と「山」というイメージから、やはりここでもピラミッドを想起するのは無理なことではないだろう。ギルガメシュ叙事詩のマーシュの山や、永遠に生きるウトナピシュテムと重なってくるわけである。

 洪水伝説としては、ほかにアトラハシス物語というのもある。
 これはバビロニア語版、アッシリア語版のわずかな断片だけが知られていたが、20世紀後半、大英博物館が所蔵する粘土板のなかに、ほぼ物語全体を復元できる原文が見つかり公表された。
 この物語ではまず、神々の労役を肩代わりするために人間が創られたという人類創造説話がある。穴倉のようなところで鉱夫のように過酷な労働を強いられていた下級の神々が、反乱を起こし、武器をとって神々の主エンリル神の神殿に押しかける、という物騒な始まりになっている。エンリル神は、神々の労働を担わせるために人間を創る決断をする。
 一人の神が殺され、出産の女神たちがその肉と血と粘土を混ぜ合わせ、さらに殺された神の精霊を吹き込んで、7組の人間の男女が創られた。
 ところが、時がたつうちに地上に増えた人間があまりにも騒々しいので、エンリル神は人間に災いをもたらす決定をする。飢饉が、そして疫病が人間に襲いかかる。しかし、それで人間が滅亡することはなかった。
 エンリル神はついに洪水を起こす決断を下す。ところが、人間の味方であるエンキ神(エア)は、ひとりの人間に洪水の到来を知らせる。葦の壁のそばで聞いているアトラハシスに洪水を知らせ、屋根のある丈夫な船を作るよう設計図まで描いてみせるのである。
 洪水が始まり、7日7晩の間、諸国民の上に氾濫と嵐が襲いかかった。人間たちが破滅するさまを見て、神々は悲しんだ・・・・

 と、このような話が復元されている。
 この物語は古バビロニア時代に創られたものらしい。
 神々の労働を肩代わりし、神々に奉仕するために人間が創られたという話は、古バビロニアからアッシリア時代にかけて広く普及していたようだ。しかし、より古いシュメール時代には、むしろ、人間は土から造られたという素朴な内容だったとも考えられている。
 この物語で洪水を生き残るアトラハシスとは、「大賢者」とか、「最高の賢者」という意味である。ギルガメシュ叙事詩のウトナピシュテム、シュメールの洪水伝説のジウスドラと同じ人物といってよいだろう。ただし、アトラハシスという名前は、アトランティスによく似ている。プラトンのアトランティスと何か関係があるのだろうか。

 アトランティスの名は、アトランティック・オーシャン(大西洋)や、ギリシア神話の巨人アトラスとの関連性が考えられている。
 しかし、アトランティック・オーシャンは、もともと古くからのアトランティス伝説があって、そこから付けられた海の名前であるとも考えられる。
 一方、巨人族のアトラスは、オリンポスの神々と戦って敗れ、世界の西の果てで天空のへりを肩にかつぐ役目を課せられたと神話は伝える。その後、岩に変えられモロッコのアトラス山になったという。やはり西方との関連性を思わせる。
 ギリシア神話というのは本来、中東地域との深いつながりがあるので(ヨーロッパの語源となったエウロペという王女が、牡牛に変身したゼウスによって、フェニキアからクレタ島に連れて来られたように)、アトランティスもあるいは、中東起源の可能性があるのかもしれない。しかし、アトラハシスはどうなのか、今のところ何ともいえない。
参考『古代オリエント集』

★   ★   ★


 メソポタミアの洪水伝説の最後は、ベロッソスの伝える物語である。
 ベロッソスは前に述べたように紀元前3世紀前半のバビロンのマルドゥク神殿の神官で、 神殿に保管されていた楔形文書を利用してバビロニアの歴史を書き残した。いわゆる『バビロニアカ(バビロニア誌)』といわれるもので、ギリシア語で書かれていたようだが、今では原本は失われている。
 しかし、紀元前1世紀のギリシア人、アレキサンドロス・ポリュイストール、紀元後3~4世紀のエウセビオス、紀元後9世紀のシンケロスなど、後世の史家の写本によって復元されている。以下のようなものである。

「ララグコスの王オリアルテス(アルダテース)の息子ジスゥトロス(クシストロス)の治世に大洪水が起こった。夢にクロノス神があらわれそれを告げたので、ジスゥトロス王はシッパルの太陽の町にあらゆる時代の書物を埋めて残すように命じた。ついで大きな船をつくり、親類や親友、動物や鳥、飲み物や食料を乗せ洪水に備えた。
 大洪水が起こり、人間は滅ぼされた。漂う船からジスゥトロスは鳥を2度放ったが、鳥は止まるところがなく船に帰ってきた。3度目に放すと、鳥は帰ってこなかった。船はある山の上に漂着した。
 王は妻と娘、それに水先案内人だけを連れて下船し、大地に接吻すると、神に感謝して犠牲を捧げた。王たちの姿はその後見えなくなった。残った人々は船を出て、王を探し、その名を呼んだ。すると、天から王の声が聞こえ、自分たちは神とともに住むのでもはや戻らないこと、信仰深くあらねばならないこと、残された者たちはバビロンに戻り、町を再建すること、シッパルから書物を掘り出すこと、船が漂着した場所はアルメニアであることなどを告げた。
 人々はバビロンに帰り、シッパルから書物を掘り出し、バビロンを再興した。彼らが洪水を逃れた船の一部は、まだアルメニアのクルド山脈に残っており、アスファルトをはがして持ち帰り、お守りにしている人もいる」

 この物語のなかの「ララグコス」という場所は、シュメールの王名表にある原初の5都市のうちの「ララク」、「オリアルテス(アルダテース)」は「ウバル・トゥトゥ」、「ジスゥトロス(クシストロス)」は「ジウスドラ」であると考えられている。
 すべてギリシア風の呼び名になっているが、基本的にシュメールの洪水伝説や、ギルガメシュ叙事詩、アトラハシスの物語と同じストーリーである。

 さて、このようにメソポタミアに伝わる洪水伝説をざっと見てみたが、やはり気になることは、プラトンが伝えるアトランティスのようなものは、まったく見当たらないことだ。 (2006年3月29日)





 
 
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