teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


スレッド一覧

  1. 11(0)
  2. ハーゲンダッツの苦味成分と健康被害(0)
  3. 株暴落を手招きする投資家を絶対許してはいけない!(0)
スレッド一覧(全3)  他のスレッドを探す  スレッド作成

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:1679/3586 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

アトランティス幻想 その8,9

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年 9月28日(土)15時31分11秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://www2.odn.ne.jp/hideorospages/atlan08.html

第8話 不可解な話

(1)

 『ガリバー旅行記』を知らない人は、たぶんいないと思うのだが、18世紀のはじめ、イギリスの作家ジョナサン・スウィフトが書いた風刺小説だ。医者で船乗りのガリバーが、世界各地の珍しい国々を訪ねる話である。
 有名な小人の国や、巨人の国、さらに、空飛ぶ島「ラピュタ」や、魔法使いの島、最後は、馬の国(馬の姿をした理知的な存在であるフウイヌムと、人間の姿をした野蛮で醜悪な生き物ヤフーがいる国)に行く。
 ガリバーは旅の途中で日本にも来ており、江戸で「皇帝」に謁見し、長崎からオランダ船で帰国している。
 このように世界各地を訪ねるストーリーにはなっているが、じつは当時のイギリスの宮廷やブルジョア議会を痛烈に批判する作品といわれている。

 ところが、『ガリバー旅行記』はそれだけではないのである。ここにはちょっと不可解な記述が混じってもいる。
 ガリバーが訪ねたのはどこも不思議な国ばかりだが、なかで最も奇妙なのは空飛ぶ島ラピュタだろう。これは文字どおり空に浮かんで移動する丸い島である。
 空に浮かぶ丸い島というと、なんといっても例のアレを思い出しますな。アルファベット3文字のアレ。

 ガリバーの船が南シナ海付近で嵐に流され、さらに海賊に襲われるという難に遭う。しかも、彼ひとりがカヌーで無人島に流され、途方に暮れてしまう。すると、空からこのラピュタという島があらわれ、大声で助けを求めると、スルスルと鎖と椅子が下りてきて、島に引き上げられるのである。
 このラピュタという島は、堅固な物体であるらしく、底面は平らで滑らかであり、海からの光を反射して輝いている。横から見ると、回廊が取り巻いて階段状にあがっていく造りになっており、頂上に王の宮殿がある。島の大きさは、直径約7200メートル、厚さ270メートルという巨大さ。巨大な一個の磁石を動力源にして、上下左右あらゆる方向に移動する。
 この島はまた、地上にあるバルニバービという大陸を領土として支配しており、この大陸だけにある特殊な岩石に磁石が反応するというのである。

 いったい空飛ぶ島というような発想を、スウィフトはどこから得たのだろうか。スウィフトの時代にも例のアレが飛んでいたのか、それとも、古くからの目撃談のようなものが、やはり存在したのだろうか。
 スウィフトはじつは、当時のイギリス社会では野心ある政論家であると同時に、キリスト教の牧師から司祭になった人物でもある。不遇の生い立ちを経て、天才的な風刺の筆で政敵を攻撃し、一時は政界の寵児にまでなったが、やがて野心を断たれ、生まれ育ったダブリンに47歳で引っ込む。『ガリバー旅行記』が書かれるのはこの頃からだ。実際に出版されたのは1726年、スウィフト59歳のときである。
 スウィフトはしかし、ダブリン大学に通っていた頃や、政界の有力者の秘書をしていた青年時代には、古典や歴史の書物を非常に愛好したといわれている。空飛ぶ島ラピュタのアイデアも、案外、ギリシアの古典あたりに隠れているのかもしれない。


 「ラピュタ」という言葉は、スペイン語の「ラ・ピュタ」(なんと娼婦の意)をもじったもので、やはりスウィフト一流の風刺である。
 このラピュタの住人というのが、またじつにおかしな人々だ。音楽と数学と天文学以外には全然興味がなく、思索のためにいつも我を忘れているのである。彼らが思索に没頭し始めると、他人の言葉が耳に入らないばかりか、目の前で女房が浮気しても気づかない、という有様。
 このあたりは明らかに、ピュタゴラスやソクラテス、プラトンなど、古典ギリシアの哲学者たちへの皮肉が込められている。
 とはいえ、訪問者のガリバーにしてみれば、ラピュタの住人たちの数学や音楽の才能を認めないわけにはいかないし、彼自身が引け目を感じもすれば、軽蔑されているようにも思うのである。
 このラピュタの記述のなかで、何といっても奇妙なのは、火星の衛星について述べたくだりだろう。

 ラピュタの住人が得ている天文学の知識のひとつを、ガリバーは次のように紹介している。
「彼らは火星の周囲を回るふたつの小さな星、つまり衛星を発見している。そのうち、内側にある方が、火星の中心からその直径のきっかり3倍の距離、外側の方が5倍の距離にあり、前者は10時間、後者は21時間半の周期で回っている」
 このようにさりげなく書かれているのだが、じつは、火星のふたつの衛星、フォボスとデイモスが発見されたのは1877年のことで、『ガリバー旅行記』が書かれた時代には、まだ知られていない知識だった。ところが、スウィフトはなぜか、それを知っていたのである。

 現代の天文年鑑によると、火星の衛星、フォボスの公転周期は0・3189日、デイモスは1・2624日である。それぞれ大体8時間ほどと、30時間ほどになる。
 スウィフトによれば「前者は10時間、後者は21時間半」というのだが、これはかなりいいセンをいっている、といっていいだろう。常識的に考えて、わりと近い数字には違いない。
 そもそも火星に衛星があること自体が知られていない時代に、衛星の数をふたつとし、その周期までが比較的近い数字で示されているのは、どういうことなのか。「偶然の思いつき」で片付けられるような話ではないようだ。
 この話は早くからイマヌエル・ヴェリコフスキーや、チャールズ・バーリッツといった研究家が紹介していたが、やはり不思議なところがある。 (2006年4月05日)

参考:『ガリバー旅行記』
    スウィフト著  梅田昌志朗訳・解説 旺文社文庫 1976年


(2)

 『ガリバー旅行記』には、どうして火星のふたつの衛星のことがすでに書かれていたのか。また、空飛ぶ島というようなアイデアを、スウィフトはどこから得たのか。
 まぁ、ふつうに考えてみれば、彼が愛好したギリシアやローマの古典のなかに何かヒントがあった、と考えるのが自然だろう。けれども、今のところは、それを裏付ける古典文献が知られているわけではないようだ。空飛ぶ島ラピュタのモデルが、本当に例のアレだったかどうかも無論不明。
 しかし、古代の文献というのは、ときに思いがけない宝の山であったりするものだ。

 だいたいギリシアの古典時代というのは、知的好奇心が爆発的に開花したようなところがある。あの時代の学問のレベルは、むしろ、異常に高すぎるように思えるところさえあって、それまでの古代文明とは何か質が違っている。いわば、それまでの2千年とか3千年かけて蓄えられてきた各地の古代文明を、ギリシア人が総まとめにしたような面があるのではないだろうか。

 彼らの文明の基礎になっているギリシア文字は、もともとフェニキア文字から来たものだし、初期のギリシアの知識人の多くがエジプトを訪ね、エジプトから知識を学んでいる。中東地域や黒海方面にも、古代ギリシア人の足跡はたどることができる。
 このようにして、おそらく各地の文明の影響を多く受け、古代ギリシア人の知識や思考はそれまでよりも一挙に飛躍的に高度になった。というか、現代まで続く学問の基礎を築くことができた。思えば驚くべきことだが、あの時代に誕生した哲学や数学は、現在も学ばれているのである。

 どうして彼らはあれほど純粋に、しかも形而上学的に、論理的に真理を探求する姿勢があったのか、今では不思議になるほどだ。現代の科学的手法とはやや異なるけれども、自然や数学、天文学や医学、地理、歴史、あるいは、神とか、人間の霊魂、万物の根源といったことに対して、彼らは利益のためではなく、純粋に知的に追求した。しかも、彼らの知識や学問には、どうやら秘儀とか宗教が密接に絡んでいるのだ。
 古典期のギリシアでは、バッカスの秘儀、オルフェウスの秘儀、あるいは、エレウシスの秘儀など、いろいろあったことが知られているが、マンリー・P・ホールの『古代の密儀』によると、そのルーツは、エジプトのオシリスとイシスの祭儀にあったようだ。
 何か、このような秘儀を通して、彼らは知識を学んでいたような雰囲気がある。ちょっとミステリアスなところがあるのだ。


 有名な地動説というのは、コペルニクスが16世紀前半に発表するよりも2千年近く前、紀元前3世紀のギリシア人、アリスタルコスが唱えていたことがよく知られている。アリスタルコスは、地球は太陽の周りを回っていることや、地球が丸いことまで唱えていた。
 ところが、この地動説のモデルそのものは、もっと古く、紀元前6世紀のピュタゴラスが、すでに唱えていたといわれるのである。
 ピュタゴラスあるいはピュタゴラス派の人々は、「地球は宇宙の中心にある火のまわりを、ほかの天体とともに回転する球体である」という考えをもっていたとされている。
 このピュタゴラスという賢人は、おそらく、ギリシアの知識人のなかで最も魅力があって謎のある人物だ。残念なことに、彼自身の著作は残っていないのだが、他の人々がピュタゴラスについて多く書き残しているので、推測できるのである。

 ピュタゴラスは一種の教団(宗教団体)を組織していた。彼はエジプトでエジプトの言葉と秘儀を学ぶとともに、ペルシアにも行き、マゴス僧とも交流があったらしい。また、ギリシアに古くからあったオルフェウス教の影響を受け、ピュタゴラスの教団は、霊魂の不滅と魂の輪廻転生を信仰していたといわれる。
 ピュタゴラス自身が過去の10回以上の転生を記憶していたとも伝えられるし、小犬が打たれているところに通りかかったピュタゴラスが、「やめろ、それはわたしの友人の魂だ」と叫んだという逸話も残されている。
 いわば、学者であると同時に、相当のカリスマを持った宗教家だったわけである。古代ギリシアを代表する哲学者プラトンも、ピュタゴラスの影響を多く受けているといわれる。どちらも神秘家の要素がある、といってもよいだろう。

 ピュタゴラスの教団では、魂の清めのための方法として数学を重視した。ことに万物の根源的な原理は「数」に見出されるとしていたようだ。数の比が音階的な調和になるという。全宇宙は数であり、音階であって、教団では天球音楽が唱えられたという。
 このあたりは『ガリバー旅行記』の空飛ぶ島ラピュタの住人の暮らしぶりによく投影されている。ガリバーがラピュタの住人について報告するところによれば、
「この国の人間の耳は、一定の時期に必ず奏されるあの天体の音楽が聞こえるように出来ており、全宮廷はめいめいの最も得意な楽器を手にしてこれを演奏することになっている」などとある。
 スウィフトがラピュタの住人のモデルとしているのは、おそらく、ピュタゴラス教団の人々だったようだ。
(ついでにいうと、ラピュタの住人の一番の心配は「天体に異変が起きるのではないか、ということからきており」、そのために「夜もおちおち眠っていられず」、「知人に会っても、真っ先に聞くのは、太陽の調子はどうですか」なんだそうである。)(2006年4月09日)

参考:『初期ギリシア哲学者断片集』岩波書店
    『ギリシア哲学者列伝』岩波文庫 ほか


(3)

 ピュタゴラスといえば、有名なピュタゴラスの定理(三平方の定理)がある。「直角三角形の斜辺の2乗は、他の2辺をそれぞれ2乗したものの和に等しい」というあれ。
 中学で習ったのか、小学だったのか。じつはあの定理は、ピュタゴラス自身の発見だったとは今ではほとんど考えられていない。彼がエジプトから持ち帰った知識にすぎないとか、あるいは、もう少し後の時代のピュタゴラス派の誰かの発見ではないか、などといわれている。
 ところが、古代バビロニアでは三平方の定理はすでに知られていたようだ。

 古バビロニア時代(紀元前15世紀ごろ)の粘土板に「数学文書」といわれるものがある。そこには「九九の表や、逆数、平方、平方根」などが書かれており、「1次、2次方程式の解き方や、さまざまな幾何学図形の面積の求め方」も含まれていた。
 また、「3つの数で最大のものの2乗が、他のふたつの2乗の和に等しい」というまさにピュタゴラスの定理も載っていた。(『図説世界文化地理大百科 古代のメソポタミア』朝倉書店)
 おそらく、畑の面積を求めるというような実用的な目的から来ているのだろうが、古代バビロニアの数学は驚くべきものだったのである。古代ギリシアの数学も、バビロニアからの影響がなかったとはいえないだろう。

 ただし、古代バビロニアでも、まだπの値は知られていなかった。ふつうはπに相当する値を3とし、もっと正確には3と8分の1というような近似値が使われていた。
 これはエジプトでも同じである。リンド・パピルスといわれる前15世紀ごろの算数問題集では、円の面積を求めるのにπの値は知られていない。やはりだいたいの近似値が使用されていた。
 そう考えてみると、あの大ピラミッドから導き出されるπの値や、もっと驚くべき惑星のデータなどは、古代文明としてはまったく異質なもので、まさに我々の常識を超えているわけである。
 ちなみに、πの値が初めて計算されたのは、古代ギリシアのアルキメデス(紀元前3世紀)によるとされている。


 ところで、前にみたように、ピュタゴラスをはじめ、ヘロドトス、プラトンなど多くのギリシアの知識人は、エジプトを訪れ、エジプトで知識を学んでいる。これは紀元前5~6世紀ごろのことで、あの有名なアレクサンドリア図書館ができる前である。
(古代世界に名をはせたアレクサンドリア図書館は、アレクサンドロス大王がエジプトを征服し、さらに大王の死後、エジプトにプトレマイオス王朝が誕生したあとの紀元前3世紀前半ごろに建てられたとされている。)
 しかし、多くのギリシア人が知識を学ぶために訪れたエジプトには、いったいどのような知識が保管されていたのだろうか。あのプラトンのアトランティス伝説も、プラトンの先祖のソロンがエジプトのサイスの神官から伝え聞いた話がもとになっている。
 また、ヘロドトスが語るところでは、「ギリシアの神々の多くはエジプトに由来し、その祭儀もエジプトから来たものだ」という(ただし、海神ポイセイドンなど、例外もあるといっているが)。いわば、エジプトは古代ギリシア文明の母という面がある。
 ところが、書かれた記録である古代エジプトのパピルスには、特に進んだ知識を思わせるものは残念ながら残されていないのだ。上でみたリンド・パピルスの例のように、これまでに見つかったパピルスからは、とりたてて数学や天文学、科学などの高い知識は見出されていない。何かおかしいのである。どうも、今日の我々が考えるような科学的な知識とは何かが違うようだ。

 むしろ、密かに伝えられてきた神秘的な知識があったのではないだろうか。秘儀のようなかたちで、わずかの神官だけが伝えてきた秘密の知識や情報がエジプトには存在したのではないだろうか。
 ギリシア人の多くは、エジプトで秘儀に参加し、そこから宗教的な体験とともに何かの知識を得ている。
 ピュタゴラスは、エジプトで秘儀を学んだと伝えられているし、プラトンやヘロドトスなどの書物には、明らかに秘儀の影のようなものが背後に感じられるのである。
 たとえば、ヘロドトスの『歴史』では、ヘロドトスはどうやら、ディオニュソス(オシリス)の秘儀を知っていたようなふしが濃厚だ。彼がディオニュソス神について述べるときには、よく次のような表現が見られるのである。
「・・・・私はそれを知っているけれども、ここには述べぬ方がよかろうと思う」(巻二・47)
「・・・・ということは憚(はばか)りがあるのでここにはいえない」(巻二・61)(『歴史』松平千秋訳 岩波文庫)
 どうも、何かを隠そうとしているようだ。

 プラトンもエジプトで神聖な結社の秘儀を受けたとされている。マンリー・P・ホールによれば、それは「ヘルメスの教え」のようなものだったらしいのだが、「彼の書物のなかで、密儀に関する数々の秘密の哲学的原理を大衆に打ち明けてしまったという理由で非難された」という。(『古代の密議』)
 一方、ソクラテスはギリシアで広く行われていた「エレウシスの秘儀」を伝授されることを拒否したという。教団のメンバーにならなくても、その原理をすでに知っていたというのだ。わざわざメンバーになって、自分の舌を封じる必要はないと考えたらしい。
 ソクラテスはしばしば「心のなかでダイモン(鬼神)の声を聞いた」というような発言をしている。ソクラテスは基本的に「懐疑論者」であって、「人間中心」の哲学者だといわれている。しかし、彼がいうところの人間を幸福にする哲学の目的は、「神を瞑想すること」と、「物質的な感覚から魂を救い出すこと」だった。ある種の神秘的な知識をすでに身につけていたらしい。 (2006年4月12日)


(4)

 『ガリバー旅行記』から思わぬ方向に話が脱線してしまったみたいだが、じつはそうでもないのである。
 火星のふたつの衛星の記述が気になって、私はあれこれと思案してみたのだが、いくつかの可能性を考えてみたのである。

 最初はまず、一番ありそうもない話なのだが、まったくの偶然の思いつきでスウィフトの記述が事実に的中したというものだ。火星には衛星がふたつあり、その周期も比較的近い値が述べられていた。これは偶然にすぎないのではないか――
 まあ、可能性がゼロとはいえないけれども、この考え方は現実的にはなかなか受け入れ難いだろう。これをもって一件落着とする常識人はいるかもしれないが、偶然に的中した可能性などは、それこそ常識的に考えて、ほとんどないといってよいはずだ。何か根拠のようなものを持っていたからこそ、スウィフトは書いているのだ。

 そこで次に、古代ギリシアの古典あたりに何かヒントがあったのではないか、という可能性を考えてみたのである。
 南極大陸が氷のない状態で描かれていた中世航海地図(ポルトラーノ)のように、古代の文献には思わぬ情報が書かれていることがある。我々の常識には当てはまらないが、そういうものがあったかもしれない。スウィフトはそれを見たのではないか――
 ギリシアの古典作品などは、キリスト教の普及とともに、ヨーロッパからは次第に消えてしまう。むしろ、アラブ世界でアラビア語に翻訳されて保存されていた。ルネッサンス期にそれらがアラブからヨーロッパに逆輸入され、ふたたびヨーロッパで読まれるようになったことが知られている。
 スウィフトの時代には、バチカンなどに保管されていたギリシア語の写本が、出版物になって出まわり始めた頃である。
 まさにそんな時代なのである。そのなかに、火星の衛星について述べた文献が何かあったのかもしれない。今では行方不明になっているか、失われてしまっているような古代文献があったかもしれない。
 私としてはそう考えてみたわけだが、これはこれで可能性のある話ではないかと思うのだ。

 ところが、可能性をいうなら、ほかにもいろいろあるわけである。
 じつは、もっと不可解な話があって、正直のところ、私としても何ともいえないのだが・・・。それは古代の秘儀を継承しているといわれる謎の秘密結社フリーメーソンと、スウィフトの関係についてなのである。

★  ★

 上で述べたような古代の秘儀は、ローマ時代になっても続いていたが、キリスト教の普及とともに、異教徒の儀礼として排斥され、社会の表舞台からは姿を消していったらしい。
 だが、いつの時代にも、秘密の儀式や秘密結社のようなものは存在し続けるものだ。この現代でも、世界各地に無数のカルト集団が存在しているように、こういったものは人間の精神の不可解な裏面史を形成しているのである。
 中世のヨーロッパでは、錬金術や占星術、魔術などが流行していた。真実かどうかはともかく、これらは古代エジプトにルーツがあると考えられていたようだ。また、ユダヤ教の秘密教義であるカバラや、グノーシス主義、幻想的なキリスト教の分派など、いろいろな教義が信奉されていたようだ。妖術もあったし、タロットも流入してくる。まさに「オカルト全盛」といったムード、というか、オカルトが科学のようなものだったのだろう。

 中世には秘密結社のようなものも多くはびこっていて、秘伝的な騎士団や、秘教的な礼拝をおこなう集団も多くあったようだ。なかでも、十字軍の派遣によってテンプル騎士団という謎めいた結社が、12世紀のフランスに誕生している。この騎士団は、エルサレムのソロモン神殿の跡地を発掘し、重大な秘密を持ち帰ったともいわれている。彼らは強大な富と勢力をもち、教皇庁と対立するまでになるのである。
 このようなヨーロッパの秘伝的な集団は、ガリア(フランス)やブリテン(イギリス)に古くから伝わる、古代ケルトのドルイド僧の秘儀の影響も受けていたようだ(アーサー王の円卓騎士団の伝説などには、それが伺える)。
 ルネッサンスをへて17世紀になると、ドイツで薔薇十字団というこれまた謎めいた秘密結社が登場してくる。こちらはオリエントの影響を多く受けているといわれ、科学と神秘主義を融合する教義をもっていたようだ。
 こうした秘伝的な活動と脈を通じるかたちで、17世紀から18世紀にかけて、イギリスでフリーメーソンが誕生する。現在まで続いている謎の「博愛主義者」の団体である。
 スウィフトが生きていた時代は、まさにフリーメーソンがイギリスで誕生した時期なのである。 (2006年4月16日)


(5)

 スウィフトがロンドンで作家・政論家として名声があがり始めるのは1707年ごろからだ。やがて政治権力の中枢に登りつめ、絶頂期にあったのは1710~14年ごろまでである。その後ダブリンに戻り、ダブリンを拠点にして、次第にアイルランド愛国運動へと情熱を傾けていく(スウィフト自身はイングランドのヨークシャーの名家出身だったが、アイルランドの自由と独立の炎を点火した国民的英雄とまでいわれる)。
 一方、イギリスでフリーメーソンの最初のロッジ(支部)ができたのは1640年代だといわれる。やがていくつかのロッジが統合され、ロンドンに最初の大ロッジが設立されるのは1717年である。23年には憲章が発表され、メーソンの神話的な歴史(紀元前4000年ごろの天地創造から始まり、最初の人間アダムをフリーメーソンの父とする)や、石工(メーソン)の同業組合(ギルド)に似た規約をさだめたとされる。25年には全イングランを統合する大ロッジができ、同じ年にアイルランドでも同様の組織が設立されている。

   こうしてみると、スウィフトの行動範囲と、フリーメーソン設立の動きはクロスしている。
 スウィフト自身がフリーメーソンの会員だったかどうかを私は知らないのだが、『ガリバー旅行記』を書くほどの知的好奇心があり、古典や歴史にも関心の深いスウィフトが、メーソンに無関心だったとは思えない。権力の中枢近くを出入りしていた彼なら、少なくとも何かの接点はあったはずだ。
 当時は、多くの貴族や市民がメーソンに加入したという。これには特定の宗教にこだわらないメーソンの宗教的な寛容さも与っていた。スウィフトはアイルランドの愛国運動では、イギリス国教会の立場にこだわらず、プロテスタント教徒も、カトリック教徒もともに擁護したという。これはメーソンの宗教的な寛容さに通じている。しかも、スウィフトがアイルランドを拠点にしていたまさにその時期に、アイルランドにもロッジができている。となると、スウィフトはその設立の中心メンバーだったと考える方が、むしろ当を得ているのではないだろうか。

 スウィフトが本当にフリーメーソンであったかどうか――。これを調べるには、たぶん外国の大学とか研究機関に信頼できる基礎資料があり、ひょっとしたら、日本でもそれは翻訳されているかもしれないのだが、今の自分にはそこまで手を広げる余裕がない。
 そこで、手っ取り早くインターネットを調べてみたら、出てくる出てくる、海外のサイトにはいっぱいあった。フリーメーソン関連サイトの「世界の有名なメーソン会員」みたいなページには、必ずといってよいほどジョナサン・スウィフトの名前が出ている。日本の関連サイトでも、「スウィフトはメーソン会員だった」と事実として述べているものもある。
 これらをみると、彼がメーソンであったのはおそらく間違いない、といってよいのだろう。すでに既成事実化している印象さえ受けるほどだ。

 アイルランドの愛国運動では、スウィフトはイギリス政府を批判する激烈な文章をパンフレットに匿名で書いていた。それがあまりにも痛烈で正義感に満ちた内容だったため、イギリス政府は書いている匿名の人物を探し出すために、3百ポンドの賞金まで懸けた。しかし、一人の密告者も出なかった。スウィフト自身が後年、それを誇りにしていたという。
 スウィフトが匿名で書いていたこのパンフレットというのが、どうやら、アイルランドのメーソンロッジが発行する機関紙のようなものだったらしい。「一人の密告者も出なかった」背景には、そのあたりの事情があるようだ。

 スウィフトの年譜をみると、彼が政論家としての活動を始めるのは34歳、1701年のことだ。当時のイギリス社会には、「コーヒーハウス」といわれる社交の場が多く作られ、それぞれクラブを形成していた。スウィフトも自分が所属するクラブ(「スクリブリラス・クラブ」という名のようだ)のパンフレットに、政治的な論文や批判文を書き始めるのである。
 じつは、フリーメーソンもこのようなクラブから派生していったといわれている。必ずしも紳士的な集まりだけではなく、賭博や、悪事の謀議の場みたいなクラブもあったようだ。
 スウィフトの政治的な全盛期は、表舞台に立つよりも、むしろ「隠然たる勢力家」だったという。彼の筆には、敵も味方も戦々兢々とした、とまでいわれるのである。
 となると、スウィフトとメーソンの関係は、それほど複雑に考える必要はないだろう。たぶん、メーソンの中心的な立場にいた人物だったのだ。



 フリーメーソンという団体は今も謎が多く、さまざまなことがいわれ、実態がよくわからない。
 アメリカ合衆国建国の中心的な役割を果たしたジョージ・ワシントンや、トーマス・ジェファーソンなど、歴代アメリカ大統領の多くはフリーメーソンの会員だったといわれる。また、フリーメーソンの信条である「自由・平等・博愛」は、フランス革命のスローガンとして援用されてもいる。さらに19世紀には、「フリーメーソンは世界征服をめざすユダヤ人の秘密結社」、というようなユダヤ人陰謀説まであった。

 そもそもフリーメーソンの起源についても諸説紛々だ。メーソンの憲章では、紀元前4000年ごろに天地創造があり、神に似せて造られた最初の人間アダムをメーソンの始まりとしている。これは人類誕生にたいする18世紀当時の歴史観を反映しているが、しかし、そうではなく、何かの根拠を彼らはもっていたのだろうか。
 一般的には、フリーメーソンは17世紀の薔薇十字団のメンバーを中核として設立されたといわれている。だが、もっと古く12世紀のテンプル騎士団までさかのぼるとか、あるいは、古代ケルトのドルイド教を受け継いでいる、さらには、紀元前10世紀ごろの古代イスラエルのソロモンの神殿を建設した石工の棟梁ヒラム、もっと空想的なのは、ピラミッド建設やバベルの塔の建設に参加したという話まで、まるできりがないのである。

 古代エジプトとのつながりも多く指摘されている。メーソンのシンボルといわれる三角形(ピラミッド)のなかの目(神の目)のマークは、アメリカの国璽(こくじ=国の印)に使用されているし、1ドル札にも印刷されている。また、非公開のメーソンの秘密的な入社儀式のなかには、古代エジプト語が使われるものもあるという。このような儀式そのものが、ピラミッドで行われた古代の秘密の儀式に由来する、などという話さえある。
 要するに、嘘も真実も憶測もまじえ、いろんなことがいわれているわけである。それについては私などが知るはずもないし、知りようもないのである。
 しかし、フリーメーソンは基本的に、古代の宗教的・哲学的原理と秘儀を継承しているといわれている。

 古代ギリシアやケルト、あるいはペルシャ、さらにはピュタゴラス教団も含め、古代世界の各地で行われていた秘儀は、基本的にどれもよく似ており、「死と再生」を経験する儀式だった。知られているかぎり最も古いものは、古代エジプトのオシリスの秘儀だが、これはまさにオシリスの死と再生復活の神話をもとにしている。多くの秘儀参入儀礼のルーツは、ここにあるともいわれるのである。(2006年4月19日)


(6)

 古代世界で行われていた「死と再生」の儀式というのは、単なる形式的なものではなくて、死の感覚に限界まで近づく試練のようなものだったようだ。
 紀元後1世紀のギリシア人で、アポロン神殿の神官でもあったプルタルコスによると、
「最初は闇の世界におけるあてどのない旅行であり、つらい紆余曲折があり、不安にみちた、終わりのない歩みなのである。それから、試練の終わる前に恐怖はいよいよその絶頂に達する。戦慄、おののき、冷や汗、恐怖がつづく」
 この儀式では、実際に死を体験するのと同じような恐怖が、秘儀参入者にもたらされるらしい。恐ろしい光景が次々に展開され、いろいろな手段でそれが繰り返されるという。そのなかには、かなり残酷なものもあったようだ。
 そのあと、急に光の世界へと上昇し、清浄な平原のような場所に出て、光の啓示と、神の体験をするという。
「この時以後、人間は完全な密儀に入社したものとして、自由となり、拘束なしに歩ける」
 プルタルコスによると、参入者が実際に死ぬときには、秘儀で体験したことが再現される印象をもつ、とまでいうのである。
(『秘密結社』セルジュ・ユタン著 小関訳 白水社 文庫クセジュより)

   マンリー・ホールの『古代の密儀』によると、ドルイド教の秘儀では、太陽神の死を象徴して実際に棺の中に埋葬されたり、また、最も難しい試練である屋根のない小船で海に流される儀式では、多くの人が命を失ったという。
 秘儀における死の体験は、相当にリアルなもので、決して遊びでも、ゲームでもなかったわけである。
 ただし、このような秘密の入社式は、精神的・霊的な感情を獲得することが目的だった。特別の秘密の教義や、秘密の知識を学ぶのが目的ではないといわれている。エレウシスの秘儀について述べたギリシアの哲学者アリストテレスによると、「学ぶのではなく、体得するのである」ということだ。
 儀式によって、いったん死の体験をし、そこから新しい人間として生まれ変わる。つまり、死と再生によって、魂が新しい感覚を獲得する。それが目的だったというのだ。

 しかし、知識の伝授のようなことが本当になかったとは言い切れない。秘儀参入のある階級に達した人に初めて授けられる知識のようなものは、当然、あったのではないだろうか。
 現代のフリーメーソンの儀式が、どこまで古代の秘儀の伝統を受け継いでいるかは、よくわからないのだが、彼らの組織の祖形といわれる石工職人のギルドには、見込みのある若者を選んで、科学や地理、歴史、哲学などの聖なる知識を授ける制度があったといわれる。何かの知識の伝達がそこでは行われていたわけである。

 フリーメーソンには本来、親方、職人、徒弟の3つの位階制度があったという。それぞれの位階で別々の参入儀礼があり、親方になって初めて入社式は完成するとされていた。職人や徒弟のうちは、まだ真のメンバーとはみなされていなかったわけである。
 この儀式について本などでよく見るのは、18世紀の版画に描かれた親方の参入儀礼だ。
 棺をあらわすボードに横たわった秘儀参入の志願者は、血染めの布を顔にかけられ、列席者によって剣の先端を突きつけられている。その前後にはどんなことが行われるのか、版画からはわからないが、グランド・マスターが独特の握手法によって志願者をおこし、合言葉を伝えて儀式は終わるという。(参照:Microsoft Encarta Encyclopedia 2002 )
 この儀礼が象徴するのは、やはり死と再生であり、新しい自己に生まれ変わることである。


 ひとくちにフリーメーソンといっても、世界には幾つもの団体や組織がある。ヨーク派とスコットランド派といった2大系統や、その分派も幾つかあるらしい。
 各派ごとに位階制度も異なっているようだ。18世紀の間に、国ごとに複雑な位階があれこれと考案されていったらしいが、現在ではふつう、フリーメーソンの位階制度は33階級あるといわれている。
 この33階級のうちには、「秘密の親方」、「東方の騎士」、「薔薇十字騎士」、「崇高な大棟梁」、「殿堂の大司令官」などがあり、やはりそれぞれの位階によって別々の参入儀礼が行われていたようだ。
 こうした位階や儀礼には、今では、「廃止されて久しい」ものも、存続しているものもあるという。
 なぜ、このように複雑な位階制度が発達したのか、無論、我々には知りようがない。
 オーソドックスに考えて、フリーメーソン内部の権力構造を構築するためだったのか、それとも、何かの重要な秘密を守るためだったのか、古代の秘儀の伝統を受け継いでいる要素があるのか、さらには、位階制度や儀式そのものが、メーソン会員の特権意識をくすぐる「儀式ごっこ」的な性格もあったのか・・・・。

 33階級ある参入儀礼のなかには、「バベルの塔」とか「ノアの洪水」、あるいは「義人エノク」(旧約聖書で生きたまま天に上げられたと伝えられる)などをテーマにしたものもあるようだ。聖書(つまり、キリスト教とユダヤ教)で語られてきた歴史的な物語の秘密をシンボリックに伝えている、ともいわれるし、また、フリーメーソン設立に関わる古代や中世の歴史的な事件が象徴的に表現されている、と考える人たちもいる。

 しかし結局、フリーメーソンについては、どこまでが真実なのか、よくわからないのだ。フリーメーソンの掟である守秘義務は有名で、非公開の秘密の入社式なのだから、儀式の中身を外部には漏らさないのが信条となっている。嘘かまことか、その誓約書には「掟を破った者は、舌を根元から引き抜かれる」という文言さえあるらしい。本当にそれだけの秘密があるのかどうか、何ともいえないところだ。

 現在、世界には600万人のメーソン会員がいるといわれる。その4分の3とか、3分の2がアメリカ人だともいう。これほど多くの人がすべて、何か特別の知識や、人類の究極の秘密の奥義に関与しているとは、少なくとも私には思えない。
「フリーメーソンが陰で世界を支配している」などと、空想も交えて言われたりするのだが、そこには、かなり思い込みの要素もあるのではないか、と私などは思う。秘密めいたことを期待する心情は誰にでもあるものだ。
 ただし、フリーメーソンのなかでも、ごく少数の相当に位階の高い人たちだけが受け継いでいる知識や秘密――のようなものは、ひょっとしたら、本当にあるのかもしれない。
 ジョナサン・スウィフトも、じつは、そのような秘密の知識に与っていたのではないか――、そう考えてみたい気にはなるわけである。
 フリーメーソンの設立当時、彼は中心的な立場にあり、おそらく、相当な役割を担ったはずだ。何かの秘密や知識を彼が受け継いでおり、そんな秘密の知識のひとつに、火星の衛星に関するものがあったかもしれない。そう考えてみたい気はするわけである。


 まあ、私としては、このように『ガリバー旅行記』の火星の衛星の記述について、あれこれと考えてみたわけである。誰もが知っている『ガリバー旅行記』にも、案外、奇妙な謎があるものだ。
 この際だから、ついでに、もうひとつだけ付け足しておくと――
 『ガリバー旅行記』のラピュタの章を一番最初に読んだとき、私が思い描いたのは、スウィフトはじつは「コンタクティ」だったのではないか、ということだった。
 つまり、彼は実際に宇宙人に遭遇し、宇宙人から何かの知識を得たのではないか、などと想像した。
 空飛ぶ島ラピュタのモデルは、まさに例のアレだったというわけだが、そんな可能性だって、本当はないわけでもないのである。 (2006年4月26日)

第9話 ドゴン族のシリウス神話

(1)

 今回は、ドゴン族のシリウス神話についてである。つまり、また例のアレがらみの話というわけだ。
 ドゴン族の神話については、すでにマニアにはよく知られており、どちらかというと、ひと頃、常識的な科学者からの否定的な発言が目立っていた。しかし、私はこの件に関していうと、科学者に同調する気はまったくない。
 まずは、概略をかいつまんで紹介すると――

 西アフリカのマリ共和国に住むドゴン族は、なんとシリウス星人が地球にやって来たと思われる神話を保有している。彼らの宇宙創世神話の中心にはシリウスが位置しており、かつてシリウスからやって来た「水の主」ノンモが人類の祖となったというのである。
 ドゴン族のこの神話を最初に調査したのは、M・グリオールとG・ディテルランというふたりのフランス人の人類学者で、1930年代から20年間にもわたり、彼らはドゴン族ほか3部族と一緒に生活するなどして、住民からの信頼を獲得し、神話の奥義に接することができた。
 部族のなかでも神官などごく一部の人だけに、しかも、何段階ものイニシエーションを通して伝えられる秘中の秘の知識である。

 グリオールとディテルランは1950年、その報告書を「スーダンのシリウス星系」というタイトルで、フランスの人類学関係の雑誌に発表した。その後、『青い狐』(1965・邦訳1986)という著書で、さらに詳しく報告している。
 問題は、彼らの報告に含まれていたドゴン族が持っていた驚くべき知識である。シリウスが主星と伴星からなる連星であることや、シリウス伴星の周期が50年であること、またシリウス伴星は白色矮星であることを、ドゴン族は知っていたというのだ。
 当時、まだほとんど西欧文明に接していなかった西アフリカの奥地に暮らす部族が、なぜこんな知識を持っていたかが、ミステリーの始まりである。

 今日の天文学の知識では、全天で一番明るい恒星シリウスは、シリウスA(主星)、シリウスB(伴星)というふたつの星からなる連星であることを、我々は知っている。
 シリウス伴星の存在については、1844年、ドイツの天文学者ベッセルが、シリウスの軌道の波打ち運動から、伴星があることを予測し、この伴星の周期は50年で、非常に重い物質でできていると推定していた。しかし、観測で確認されたのは1862年のことで、アメリカ人のA・クラークによる屈折望遠鏡の発明によって、やっと人間の目でシリウス伴星を見ることができたのである。
 シリウスBは、半径は地球ほどだが、質量は太陽ほどもある。これは1立方センチの重さが1トンとも、10トンともいわれる地球には存在しない物質でできているからだといわれる。こうした伴星の天文学的な性質が確認され、最初の白色矮星とされたのは1925年のことだ。

   一方、ドゴン族のシリウス神話によれば、主星シリウスAのことを、彼らは「シギ・トロ(シギの星)」とか、「ヤシギ・トロ」と呼ぶ。60年ごとに行われるシギの祭礼の儀式と深く関係している。
 しかし、この星はシリウス星系の根本ではなく、シリウスAを焦点にして、50年周期で楕円軌道を描いてまわる別の星を、彼らは宇宙の中心に置いている。この星が宇宙におけるあらゆる創造の出発点だという。ドゴン族はこの星を「ディジタリア」、または「ポ・トロ(小さな星)」と呼んでいる。
 ディジタリアは天空の中でいちばん小さい星だが、いちばん重い星だという。「サガラ」という地球上のすべての生物が集まっても持ち上げられない重い物質でできており、「地上のすべての鉄に匹敵する」重さの物質だという。
   これが伴星のシリウスBのことで、まさに、白色矮星であることを知っていたかのようである。未開と思われるドゴン族が、なぜ、こんな知識を持っていたのだろうか?

 ドゴン族の知識には、ほかにも地球は太陽のまわりを運行しているとか、土星にはリングがあること、あるいは、木星には4つの衛星がある、などというものがある。月は「乾燥し、乾ききった血のように死に絶えている」ともいう。もちろん、こうした知識は、人間の肉眼で獲得できるようなものではない。

(上のように、ドゴン族は木星の衛星を4個としている。これは主要なガリレオ衛星のことだと思われるが、木星の衛星はじつは16個もある。なぜドゴン族は木星の衛星を4個だけとしたのか、疑問といえば疑問である。ただし、後述のロバート・テンプルによると、木星の主要な4個のガリレオ衛星以外の他の衛星は、小惑星帯から木星の重力にとらえられた元小惑星で、サイズも小さく、重要ではないとしている。たしかに、ガリレオ衛星以外の他の衛星は、質量が桁違いに小さく、軌道半径も極端に大きなものが多い。そうであるなら、これらの他の衛星は、比較的最近になって、小惑星から木星の衛星になった可能性があるのだろうか。)

 ドゴン族はまた、人体についても高い知識を持っており、血液が空気(酸素)を取り込んで、体内の臓器を循環していることや、赤血球と白血球の違いも知っていたという。このような医学的知識は、私たちの歴史では近代から現代に相当する。

 要するに、ドゴン族の知識は私たちの文明史の枠に収まらないのである。
 しかし、グリオールとディテルランは、ドゴン族の不可解な知識については学究的な姿勢を貫き、問題提起するよりも、事実を報告するだけに留めた。もちろん、シリウス星人が地球を訪れたなどとは、ひと言も述べていない。
 それを最初に主張したのは、イギリスの作家ロバート・テンプルである。 (2006年5月1日)


(2)

 グリオールとディテルランの報告を目にしたテンプルは、ドゴン族の神話に潜むシリウスからやって来た知的生命体に注目した。
 彼は地球外文明説の立場から1976年、『シリウス・ミステリー』(邦訳『知の起源』1998)を著した。「高度な文明を誇るシリウス星人が、今から7千年以上前に地球を訪問し、地球文明の基礎を創造した」というのである。
 また、古代エジプト文明とシュメール文明が誕生したのも、シリウス星人との接触による、とテンプルはいう。
 この『シリウス・ミステリー』によって、ドゴン族のシリウス神話は一躍世界中に広く知られることになった。

 じつは、ドゴン族の神話によれば、シリウスはA、Bふたつの星だけではなく、なんと3つの星からなっているという。シリウス星系には第3の星「エンメ・ヤ(女のモロコシの星)」が存在するというのである。
 この星はディジタリアの4分の1の重さであり、もっと大きな軌道を移動している。しかも、この星は「ニャン・トロ(女の星)」という惑星を伴っているというのだ。
 現代の天文学は、まだこの三番目の星シリウスCも、さらにその惑星も発見していない。『オリオン・ミステリー』の最新版(1998)によると、フランスのふたりの天文学者が1995年、シリウスCの存在を発見(推定)した、とテンプルは報告している。しかし、シリウスCの存在は、まだ正式に確認されたわけではない。
 もし、シリウスCが本当に確認されれば、まさに驚異というほかないだろう。ドゴン族の知識は現代の天文学より進んでいたと、そういうことになるわけだ。

 ドゴン族にこのような高度な知識をもたらしたのは、テンプルによれば、もちろんシリウス星人のノンモである。だが、いったい、このノンモとはどういう存在なのだろうか。
 ドゴン族の神話によると、宇宙の創造神アンマが「天上でノンモをこねあげてから、その胎盤を材料にして人間の祖先たちもこねあげた」という。
 ドゴン族はこのノンモという謎の存在を、魚のナマズのような姿に描いている。また、イルカのような姿をしていたともいう。ドゴン族の木彫りの像などでは、トカゲのような姿にもなっているし、再生したノンモはやけに手足の長い人間に近い姿もしている。ノンモは「水の支配者」であり、「ノンモの玉座は水底にあった」ともいう。
 テンプルの解釈によると、このノンモは「水のなかに棲む、水陸両棲体」である。ノンモにはいくつかのグループがあり、シリウスに残ったノンモや、地球にやってきて文明を創造したノンモ、再生して人類になったノンモなどがあるというのである。

 ノンモが地球を訪れたとき、「10番目の月の星」と呼ばれる宇宙船が母船となり、そこから着陸船がロケット噴射しながら地上に降りた、とテンプルは解釈している。
「ドゴン族の伝承によれば、ノンモは再び戻ってくる。その再来の日は「魚の日」と呼ばれる。再来の前兆は「新しい星の出現」、すなわち「10番目の月の星」の再出現であるという。そして、「10番目の月の星」の内部から、ノンモが箱船、すなわち着陸船で地球に降り立つという」(『知の起源』並木伸一郎訳)



 よく知られているように、ドゴン族の神話については、カール・セーガンなどの科学者から強い批判がある(カール・セーガン著『サイエンス・アドベンチャー』ほか)。
 それによれば、グリオールらが現地で神話を採取するより前に、ヨーロッパの宣教師によって、当時話題になっていたシリウスの知識などはドゴン族に伝えられたのだろう、というのである。
 いわゆる「常識人の解釈」では、そう考えるほかないのだろうが、宣教師によって伝えられたなどとは、どこかこじつけがましい話ではある。

 民俗学の世界では、たしかに宣教師などが伝えた歌や生活文化が、現地の人々にまたたく間に取り入れられる現象が知られている。だが、そういうものは生活のごく表面的な部分に限られているものだ。部族の宗教の秘密に属するような知識、つまり、彼らの精神文化の真髄に当たるよう部分は、それほど簡単には外部から変えられない。
 ドゴン族の神話や儀式は少なくとも数百年の歴史をもち、独特の仮面儀式として連綿と続けられてきた。グリオールによれば、最も複雑なシギの祭礼の暦の計算方法などは、何段階ものイニシエーションを経てようやく伝授されるという。それらはすべて、シリウスを中心にした宇宙創世神話に基づいているのだ。科学者はこの点を見落としているか、または、故意に無視している。

 シリウス伴星が白色矮星とされたのは1925年、グリオールらがドゴン族を最初に訪れたのは1931年である。そのわずかの期間に宣教師が訪れ、シリウスの知識を伝え、部族の儀式にまでなったと考えるのは、まったく常識的ではないだろう。しかも、シリウス神話を共有するのはドゴン族だけではなく、他の3部族も同じなのである。

 同じように、ドゴン族のシリウス神話は、グリオールらが報告しているだけなので、いわば、彼らの創作ではないか、というような批判もあるが、やはり的を射ていない。
 彼らの著作『青い狐』を読んでみれば、その学問的に真摯(しんし)な姿勢は明らかで、創作と思わせるような余地はまずないといってよい。
 1956年、グリオールが亡くなったとき、マリで行われた葬儀には25万人もの部族民が参列したといわれる。グリオールは最高位の神官と同等の尊敬を集めていた。そこまで部族に深く入り込んだ人物だったからこそ、秘中の秘儀を伝授される許可が下りたのである。誰もがドゴン族の村を訪れ、気軽に教えてもらえるような知識ではないのだ。

 ドゴン族の神話を批判する人々の態度には、シリウス星人のようなものは認められない、という姿勢がはっきりあらわれている。宇宙人が知識を伝えたというような話は、受け入れられないのだ。それはそれで理解できるが、常識の枠のなかで合理的に解釈しようとするあまり、真実を探求する心が曇っては意味がないだろう。


 とはいっても、ノンモとは本当に、テンプルのいうようなシリウス星人のことなのかどうか・・・・。
 『青い狐』に描かれている話は、テンプルがいうほどSF的でもないし、天文学的な性格もさほど強くないように見える。「水の主ノンモ」は、むしろ、精霊として捉えられているようでもある。
 そうであるなら、ノンモは霊的な存在として地球に降り立った、というような考え方もできるかもしれない。
 またテンプルは、ノンモが地球に降り立った時期を紀元前5000年ごろとしているが、ドゴン族や彼らの神話のルーツは、それほど明らかではない。ドゴン族はイスラム教に改宗することを拒み、10~13世紀ごろ、西方のニジェール川上流域バマコ付近から、現在の中流域トンブクトゥ付近に移ってきたとされている。
 テンプルは、バビロニアの伝説にある水陸両棲体のオアンネスなどを考慮して、紀元前5000年前という年代を想定しているようだが、そこにはまだ不確かな要素もあるようだ。
 シリウスをはじめとして、ドゴン族が保有している知識が驚くべきものであるのは事実である。ミステリーはミステリーのままにしておくべきなのか。もっと別のアプローチの仕方があるのか。考古学的な証拠がもっと出てくれば、はっきりして面白いと思うのだが。
(2006年5月8日)

(3)

 シリウスといえば、古代エジプトでも非常に重要な星だった。よく知られているように、7月の中ごろ、日の出直前にシリウスが東の地平線に昇ってくる現象は、「ヘリアカル・ライジング」と呼ばれ、特別の出来事とされていた。それはちょうどナイル川の氾濫がはじまり、耕地が潤う時期と重なるので、古代エジプトの暦の基準となってもいた。
 だが、シリウスがなぜ、これほど古代エジプトでは重要な星とされたのだろうか。
 それはおそらく、ナイル川の氾濫を知らせる、というような単純なカレンダーの役割ではなかったはずだ。なぜならば、季節を知るだけなら、シリウスという星に限定する必要はなく、毎日の星の運行を見ていれば十分にわかるからだ。
 季節ごとに星座が移っていくように、夜空の星の配置と運行はそれだけでカレンダーの役割をしている。現に古代エジプトの遺物には、「星時計」と呼ばれる星座カレンダーのようなものが発見されており、古代エジプト人はそれによって季節の移り変わりを知っていたようだ。

 ではそうなると、やはりなぜシリウスなのだろうか。
 ここにはもっと宗教的な理由があったのではないだろうか。古代人の宗教心のようなものである。シリウスは古代エジプトでは女神イシスの星とされていた。太陽の光に消されて数ヶ月間見えなかったシリウスが、夏の夜明け前にようやく姿を見せる。隠れていたイシスの星がやっと現れる。そのこと自体が、古代エジプト人にとって心の支えだったのだろう。
 シリウス(イシス)はなぜか、それほど古代エジプト人にとっては特別な存在だったわけである。

★   ★

 ところで、シリウスに関しては、ドゴン族と同じように、古代エジプト人もシリウスB、つまりシリウス伴星の存在を知っていたのではないか、という指摘がある。
 これはロバート・ボーヴァルが『オリオン・ミステリー』で指摘し、グラハム・ハンコックも『神々の指紋』で取り上げているので、思い出す方も多いだろう。彼らによれば、ピラミッド・テキストのなかには、シリウス伴星を思わせる文句があるというのである。

 ピラミッド・テキストというのは、古王国第5、第6王朝時代のピラミッド内部の壁面にヒエログリフで描かれた一連の文章で、死者をあの世に送るための呪文のようなものだとされている。のちの『死者の書』の最古の形態である。
 このピラミッド・テキストのなかには、多くの神話の話も含まれているのだが、そのひとつに、オシリス神とイシス神の物語がある。
 オシリスが弟のセトに殺され、ばらばらにされて国内各地に捨てられるが、オシリスの妹であり妻のイシスはそれらを拾い集める。イシスは、トト神に教わった呪文でオシリスを再生させ、オシリスと交わってホルスを生む。その場面の次のような描写だ。

「妹のイシスが、愛に胸を振るわせながら、オシリスのもとにやって来た。死した王が陰茎にイシスを乗せると、精子がイシスのなかに入った。イシスは身ごもり、セプト(シリウス)のようになった〈ピラミッド・テキスト632-3〉」

 ピラミッド・テキストでは、このようにシリウスは「身ごもった」女性のような「二重の存在」とみなされている。ボーヴァルもハンコックも、ここにシリウスが連星であること、つまりシリウス伴星の存在が古代エジプト人には知られていたのではないか、と嗅ぎ取るのである。
 シリウスは古代エジプトでは「セプト」と呼ばれ、前にみたようにイシス女神の星とされていた。イシスは古代エジプト最高の女神である。また夫のオシリスは古代エジプトの全時代を通じて、最も広く崇拝された神で、天空ではオリオン座を当てられている。どちらの神も非常に古くから信仰され、その起源は、王朝成立以前にさかのぼるとエジプト学では考えられている。

 オシリスとイシスの信仰は、古代エジプト文明の誕生の瞬間からすでに存在していたようだ。となると、オシリスつまりオリオン座と、イシスつまりシリウスが、エジプト文明の誕生には何か関係しているのではないか、と考えてみたくなるわけである。
 これに関連して、古代エジプトの出土品に、「目録碑板(インベントリー・ステラ)」という石板がある。この石板には、古王国第4王朝のクフ王の時代、すでにスフィンクスも大ピラミッドも存在していたと思われる記述があり、その製作年代をめぐっていつも何かと問題になるのだが、石板にはさらに、イシスは「ピラミッドの女主人」と記されている。イシスの大きなピラミッドが、すでにエジプト王朝の最初期の時代から建っていたように受け取れるのである。
 つまり、ピラミッドの建設にも、イシスは何か関係していた可能性があるわけだ。

 ドゴン族の神話では、ノンモが棲んでいると思われるシリウスCの惑星「ニャン・トロ」は、「女の星」と呼ばれている。わざわざ「女」と特定されているのだ。古代エジプトでもシリウスは「女神」イシスの星とされている。ここには何か関連があるのだろうか。





シリウスAのマーク 『知の起源』ロバート・テンプル著より


 ドゴン族については、じつはほかにも気になることがある。それは彼らが描くシリウスのシンボルマークについてである。
 ドゴン族はシリウスAを現すのに、直線と曲線が交差した上図のようなマークを使う。このマークはじつは、海神ポセイドンのマークと非常によく似ている。ポセイドンが持っている三叉(さんさ)の矛(ほこ)のシンボルマークだ。
 この三叉のマークは海や水の象徴でもあるし、占星術では海王星のシンボルマークでもある(海王星はやはり水を司るとされる)。
 これは要するに、水と関係するサインと考えてよいだろう。海の神ポセイドンを奉じるアトランティス王国にも通じるサインである。
 ドゴン族はなぜか、このマークを人間の肉眼で見える一番明るい恒星、シリウスに当てている。つまり、シリウスAである。おそらく、「水の主ノンモ」と関係しているからだと思われるのだが、ひょっとするとアトランティスにも何か関係しているのだろうか。

 この三叉のシンボルマークは、気をつけていると、古代世界ではわりとよくお目にかかるのである。新石器時代までさかのぼるマークのひとつで、何かの意味を持っているようだ。インドでは、シヴァ神の強力な武器(パーシュパターストラ)が、やはり同じ三叉矛である。シヴァの息子で像の頭をした知恵の神、ガネーシャがこの武器を持っていることもある。
 また、世界の古い民話では、三叉のマークは「鳥の足跡」というような表現で出てくることがある。何かの秘密の暗号のようなものらしい。かつてこのマークは、それを一目見ただけで何かわかるような象徴的な表現だったのではないだろうか。

 ついでなので、もうひとつ言ってしまうと――
 ドゴン族に関して気になるのは、やや話が飛躍するけれども・・・、シリウスという星は、宇宙人やUFOにまつわる話ではさほど珍しくないことである。
 たとえば、最近わりと面白く読んだ『宇宙人UFO大事典』(ジム・マース著)という本には、驚くようなことがいろいろと書かれているのだが、そこで紹介されている話である。米軍の訓練を受けたあとUFOを遠隔透視し始めた人たちの証言によると、地球にやって来ている宇宙人は必ずしもひとつの種類だけではなく、シリウスやオリオン、プレアデスといった星団から来ている者たちがいるらしいというのである。
 しかも、宇宙人というのはだいたい人間と同じような姿形をしているらしいのだが、なかには変り種もあり、爬虫類型や、カマキリのようなタイプもいるというのだ。
 何とも信じられない話といえばそれまでだが、ドゴン族が描くノンモの姿は、一般的にはナマズのようだが、そのほかにトカゲのような形態や、手足がやけに長いカマキリのような姿の人間もいるのである。何かこのあたりが、先の本の記述と一致している。
 正直のところ、気にはなるのだ。 (2006年5月12日)


(4)

 ドゴン族と古代エジプトの間には、もうひとつ奇妙な共通点がある。ドゴン族はノンモの姿を魚のナマズとして描いているが、古代エジプト初代のナルメル王のパレットには、やはりナマズが描かれているのだ。
 パレットにはナルメル王の名前に、そのままナマズが使われており、ナマズと鑿(のみ)の文字で「ナルメル」と読んでいる。この名前そのものが、「荒れ狂うナマズ」という意味だとされている。
 どうも、ここには何か引っ掛かるものがある。単なる偶然とはいえないミステリーが潜んでいるのではないだろうか。しかも、ノンモとナルメルは音が似ており、どちらも「N―M」という発音である。




ナルメル王のパレットの名前の部分


 古代エジプトを最初に統一した初代の王としては、いくつかの名前がある。ひとつは上の「ナルメル」、また、マネトの『エジプト史』では「メネス」、アビュドスの王名表では「メニ」、ヘロドトスの『歴史』では「ミン」と伝えている。
 これらはどれも発音がよく似ているので、同じ一人の人物か、または第1王朝初期の王たちの集合的な象徴として、ナルメルとか、メネスという名前が使われている、とエジプト学では考えられている。必ずしも、ひとりの王の名前ではないかもしれない、とされているわけである。
 最も一般的な「メネス」という名は、「メニ」という語から派生したもので、「メニ」は「確立する」という意味だという。エジプトを統一し、最初に王朝を確立した王(たち)ということだろう。
 この初代の王についての記録はあまり多くないが、ヘロドトスによれば、「堤防を築き、ナイル川の流れを変えて、エジプト最初の都メンピス(メンフィス)を建設した」という。また、メンピスの北方および西方に、ナイル川の水を引いて湖を造ったともいう。
 これはごくありきたりの記述だ。特に気になるところはないように思える。(じつは、湖を造ったという点に、別のことで引っ掛かりがあるのだが、それはまたの機会にしたい。)

 一方、マネトのエジプト史には、妙な記述がある。
 「(メネスは)60年間統治した。ヘロドトスがミンと呼んでいる初代の王のことである」としたあと、「外国に遠征し名声を得たが、カバに連れ去られ、行方がわからなくなった」。
 カバに連れ去られ、行方不明になった・・・・?なんとも不可解ではないか。古代エジプトを統一した名誉ある初代の王が、なぜ、そんな目に遭わねばならないのか。
 統一以前のエジプトでは、国内各地の部族は、タカやサソリなどをトーテムとして奉じていた。そのなかに、カバをトーテムとした部族があり、ナルメル王は、彼らに連れ去られたのだろうか。それとも、本当にあの動物のカバにどこかへ誘拐されてしまった、ということなのか。いずれにしても、何か奇妙である。
 カバは水に棲む動物である。カバに連れ去られたとは、水中に入ってしまったと考えてみると、何か水との関連を指摘することができる。ドゴン族のノンモと、何か関係があるのか・・・・。それとも、カバにはそれほど意味はなく、初代の王が行方不明になったという、そのこと自体に何か意味があるのだろうか。




ドゴン族の描くナマズの姿のノンモ


 「ナルメル」、「メネス」、「メニ」、「ミン」――面白いことに、エジプト初代の王はどれも、「N-M」または、「M-N」という発音で共通している。ドゴン族のノンモも、「N-M」という音の組み合わせだ。
 ところが、各地の文明の最初の王、あるいは、最初の人間には、なぜかこの「M-N」という音の組み合わせがよく現れるのだ。エーゲ海のクレタ文明の初代の王は「ミノス」、またインドの伝説では、洪水から生き延びた人類の祖は「マヌ」である。
 イギリスの人類学者、リチャード・ラジリーの『石器時代文明の驚異』(河出書房新社)によると、現在では新石器時代の研究がかなり進み、各地の民族の言語的な共通性がわかるようになってきたという。そして、男を意味するのは、さまざまな言語で「MANO」だというのだ。やはり、「M-N」である。英語の「MAN」もそうだし、日本語でも「モノ・者」という言い方がある。「変わり者」とか「くせ者」などという。
 最初の人間あるいは、人類の祖となる人物を、同じ「M-N」という音で呼んであたりに、全人類の共通の祖先とか、共通の祖語とか、あるいは、何か文明誕生の秘密が隠されているのだろうか。
 ただし、ノンモとナルメルだけは、「N-M」という音でどちらもナマズである。
 一方、女性はというと、ラジリーによれば、多くの民族に共通する呼び名は、「KUNA」だそうである。

 ドゴン族のノンモと、エジプト初代の王ナルメルは、なぜ、ともにナマズの姿で描かれるのか。ドゴン族でも古代エジプトでも、ともにシリウスを特別の星としているが、そこには関連性があるのかどうか。解き明かす鍵は今はまだ見つからないが、何か隠されたミステリーを予感させることだけは間違いない。 (2006年5月20日)




 
 
》記事一覧表示

新着順:1679/3586 《前のページ | 次のページ》
/3586