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良い子のための天地創造

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年10月 3日(木)21時42分41秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://www.geocities.jp/hirokuro01/israelshi/tenchi.html

『関連記事』

聖書から見たノアの大洪水

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2126

ギルガメシュ叙事詩から二ケア信条まで その1

http://web.archive.org/web/20071228213740/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/634.html

ギルガメシュ叙事詩から二ケア信条まで その2

http://web.archive.org/web/20071228213740/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/635.html

ギルガメシュ叙事詩から二ケア信条まで その3

http://web.archive.org/web/20071228213740/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/636.html

ギルガメシュ叙事詩から二ケア信条まで その4

http://web.archive.org/web/20071228213740/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/637.html

ギルガメシュ叙事詩から二ケア信条まで その5

http://web.archive.org/web/20071228213740/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/638.html

一つの記事にまとめたギルガメシュ

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/19.html

ノアの方舟関連記事

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/265.html

Wikiによると方舟はゴフェルの木で作られてた記述がありますがゴフェルの木はオーク材で当時はなかったようです....

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%96%B9%E8%88%9F

『ノアの大洪水の主要な原因のひとつはネフィリムでした。ネフィリムのことが書かれてある直後に、神のみことばはこう語っています。「主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。そして主は仰せられた。『わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。』」(創世記6:5-7)そこで神は全地上を洪水にし、箱舟に乗ったノアとその家族と動物以外の、すべての人とすべてのもの(ネフィリムを含む)を殺されました(創世記6:11-22)。』,と。ギルガメシュ叙事詩の洪水の話を読むと原点は「シュメール神話」であることが分かります。

ノアの洪水の発掘調査に関しては拙稿:聖書ものがたり・GENESIS(創世記)参照ください。

聖書ものがたり・創世記

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/125.html

『少し与太話を.....

フリーメーソン-170  フリーメーソンとは何か-45 (イルミナティと中央銀行支配)
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/764.html

そして、それは、旧約聖書のノアの箱舟で有名な、ノアがかけた呪いそのものになっているのです。

ノアの泥酔
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/208.html
ノアの燔祭
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/207.html
大洪水
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/206.html
本当にあった大洪水
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/233.html

旧約聖書(創世記9章)

箱舟から出たノアの息子は、セム、ハム、ヤフェトであった。 ハムはカナンの父である。 この三人がノアの息子で、全世界の人々は彼らから出て広がったのである。

時が経ち、ノアは農夫となり、ぶどう畑を作った。

あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。 カナンの父ハムは、自分の父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。 セムとヤフェトは着物を取って自分たちの肩に掛け、後ろ向きに歩いて行き、父の裸を覆った。二人は顔を背けたままで、父の裸を見なかった。  ノアは酔いからさめると、末の息子がしたことを知り、こう言った。

「カナンは呪われよ 奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」 また言った。

「セム(ユダヤ人)の神、主をたたえよ。 カナン(黒人)はセム(ユダヤ人)の奴隷となれ。 神がヤフェト(白人)の土地を広げ セム(ユダヤ人)の天幕に住まわせ カナン(黒人)はその奴隷となれ。」

ノアは、洪水の後、350年生きた。  ノアは950歳になって、死んだ。

セムの子孫は黄色人種系、ハムの子孫は黒人系、ヤフェトの子孫は白人系であるとされ、人種の分裂は、この時期から次第に明確になっていったとされており、

欧米において黒人が奴隷として使役され、その事に、欧米の人々が良心の呵責を感じないのは、旧約聖書の創世記「ノアの泥酔」の話の中の、「ノアの呪い」に思想の原点があり、正当化されているためだとも言われている。

ノアは人類史上かけがえのない人物であり、ハムはまさに父であり、命の恩人でもある「第二のアダム」となるべきノアを口汚く罵り、ノアが裸で泥酔している姿を見てそれを“破廉恥な醜態”として吹聴してしまった。 そのハムの行為は、神が最初に創造したアダムとエバの家庭の聖なる伝統を踏みにじってしまうほどの大罪となってしまった。 また、男色癖のあったハムは、泥酔いし、寝ている父ノアを犯してしまったという説もある。』

天地創造、および、人類の始まり

私たちの宇宙は今から約150億年前、ビックバンにより発生したとの説が広く受け入れられています。これは1920年頃、ガモフにより唱えられたもので、宇宙膨張の速度を逆算することにより、150億年という数字が生まれました。(最近は139億年という説明になっているようです。ニュートン1998・3号を参考にしました。)、ビックバンの瞬間は、宇宙全体がひとつの点でしかなく、時間も空間もここに閉じ込められていました。しかし、大爆発の何兆分の1秒後に何兆倍も膨張し、宇宙は火の玉となりました。その中でクォーク、電子などの素粒子が作られ、数分後には陽子、中性子などが作られました。宇宙はそのまま膨張を続け、30万年ほどたつと、ようやく温度が下がり、水素原子がうまれました。さらに膨張を続け、温度が下がり続けて、星や銀河が生まれ、それらが広がりつづけて今日の宇宙が出来上がったというものです。そしてその宇宙が現在も凄いスピードで膨張し続けているところが恐いところです。

太陽系を含む私たちの住む銀河は天の川銀河と呼ばれていますが、この銀河の生成は120億年ほど前で、50億年ほど前に超新星が大爆発を起こし、その塵が集まって出来たのがこの太陽系ということです。この説は私の学生時代にはありませんでしたが、この説をもとにすると、太陽系の中に鉄などの重い元素が多量に存在することを説明することが出来ます。宇宙の始まりには水素、ヘリウムなどの軽い元素しかありませんでした。しかし、星が形成される過程で重い元素が作られます。その星が爆発することにより、宇宙に重い元素がまき散らされるのです。太陽はその爆発の塵が集まった中心です。地球はその周辺に集まった塵により出来上がりました。それは46億年前のことでした。

月が地球の兄弟星であることは興味深い現象です。他の惑星の場合、衛星というものは大きくてもせいぜいその惑星の1000分の1程度のものですが、月は地球の80分の1もあります。また地球からの距離も決して遠いわけではありませんので、地球への引力の影響はかなりのものがあります。しかも月が生成した時は今よりずっと地球に近いところを廻っていましたので、これが地球の地核変動に与えた影響は多大なものがありました。生物の進化にも影響を与えたことは充分に考えられます。この月が存在するようになったのは、43億年ほど前のことです。その時、地球にその2分の1ほどの大きな惑星、もしくは衛星が激突し、その衝撃で地球の一部が宇宙に飛び出し、その塵が集まって出来たのが月であるとの説が有力になっています。このジャイアントインパクト説は、長年にわたる月の生成をめぐる議論を終らせる説得力のあるものです。

地球の始めはどろどろとした火の球でしたが、冷えるに従い、地球表面に堅い地殻というものが現れました。そして地球大気に含まれる水蒸気が水となり、何万年も降り続く雨の時代をへて海が生まれました。その時の大気の大部分は炭酸ガス(二酸化炭素)でした。地球は、ちょうど現在の金星のような星になりました。ところがすでにこの頃生命の発生という大事件が起こりました。それは40億年前のことです。最初の生命は細胞膜のない裸のリボ核酸とタンパク質が結合した物でしたが、やがてそれが原核生物になり、次に真核生物が生まれました。25億年前になるとに酸素を発生させるランソウなどの光合成生物が出現し、地球の大気は大きく変化しました。ランソウは二酸化炭素を消費し、残った酸素を排出します。しかし、酸素ガスは各物質ときわめて結合力が強く、はじめは海水中の鉄イオンと反応して酸化鉄となり、海底に沈んで行きました。これが数億年単位で続き、今日あるオーストラリアや世界各地の鉄鉱床になったのです。しかし、15億年ほど前になりますと、さすがに海水中の鉄イオンもわずかになり、酸素ガスはそのまま大気中に放出される時代になり、二酸化炭素が減ってきました。するとそれまで、二酸化炭素を食べて生きていたランソウ類は生存しにくくなり、その代わりに、酸素を材料に呼吸する生命が現れてきました。酸素は反応エネルギーが高いので、活発な活動が可能となります。その代わり、生命体の外側が酸素に反応しない物質でなければなりません。ここから酸素に適応した新しい生命が数多く生まれることになります。

4億8000万年前には最初の脊椎動物(Vertebrate)である魚が出現しました。水中はやがて生命で満たされます。そのうち、他の生物に食べられにくい殻を持った生命が流行します。三葉虫、アンモナイトなどはこの時代の生物です。

また、酸素は大気圏上空でオゾン層を形成し、生命には有害な紫外線を吸収したので、陸上も生命の営み可能な場所となりました。4億2000万年前には植物が陸上へと進出し、植物を追って昆虫が上陸し、3億6000万年前には脊椎動物も両性類(Amphibia)として陸に上がりました。3億年前には最初のは虫類(Reptiles)が現れています。

鳥と恐竜のどちらが先に現れたかが議論されていますが、まことに興味深いところです。常識的には恐竜がいて、その中から鳥になるものが現れたと考えられますが、ある学者はその逆に、鳥が先に現れ、その中の羽を失ったものが恐竜になったと考えます。どちらが正しかろうとも、とにかく地球上が一時期恐竜の天下になったことは事実です。それから、6500万年前まで、地球上で最大、最強の動物は恐竜(Dinosaur)だったのです。2億3000万年前頃にほ乳類(Mammal)が出現しましたが、恐竜に阻まれて繁栄することはできませんでした。この頃、ほ乳類は、恐竜から逃れて、夜間にのみ活動するとか、身体を小さくして恐竜の目に留まりにくくするなどの方法で生き延びていました。

ところが今からおよそ6500万年前、地球に大異変が起こりました。直径10キロほどもある巨大隕石が地球に激突したのです。これは原子爆弾200個分の威力があるとのことです。はじめ、この隕石の落ちた場所が見つからず、海中に落ちたのではないかと見られていましたが、現在では、メキシコのユカタン半島を中心とする半径200キロのクレータがその跡であると見なされています。この大異変で地球は一時的に燃えるほど熱くなり、まもなく、その煙や衝突のほこりなどの影響で急速に寒冷化するという気候の激変をへて、多くの植物が死滅しました。それにより草食恐竜が死滅し、それを食べる肉食恐竜も死に、ついに恐竜は絶滅してしまいました。もっとも、鳥が現存しているので、絶滅したといえるかどうかは言葉の定義問題となります。ほ乳類の多くも絶滅したのですが、生き延びたものがいました。彼らはやがて隕石衝突の影響が和らいでくると、いままで天敵であった恐竜がいなくなったので、自由に地球上のどこへでも増え広がることが可能となりました。ここから、地球は新たなほ乳類の時代へと突入したのです。

6500万年前、恐竜が絶滅したとき、哺乳類はすでに1億年以上の歴史を持っていましたから、多くの種に分かれていたことでしょう。しかしその後さらに、爆発的にその種類と数を増やし、ねずみ類(げっし類)、イヌ類、ネコ類、霊長類(サル類、Primates)などが生まれました。霊長類は樹木の上で生活し、昆虫や木の実、葉などを食べる雑食性の小動物でしたが、樹木の上からものを見るために視力が発達し、それにしたがい、両目が顔の前面に寄ってくることにより、立体視が可能となりました。また木に登るため、両手が物を掴めるように進化し、木の実の場所を覚えるための知能も発達しました。これらの霊長類はすべて尻尾をもったモンキーといわれる動物ですが、3000万年ほど前に、尻尾のないエイプといわれる猿が出現しました。エイプという単語は尻尾のある猿にも使われる場合があるので、より正確に表現するために、現在では類人猿(anthropoid ape)という用語が使われています。類人猿とは、テナガザル、オラウータン、ゴリラ、チンパンジー、人類の5種類しかいません。彼らがなぜ尻尾を失ったのかはよくわかりません。500万年ほど前にチンパンジーと人類の先祖が分離し、これにより、人類が誕生したと言われています。

人類は、アフリカ東部大地溝帯の東側で発生したというのが現在の通説です。大陸移動説によると、当時のアフリカ大陸は今より南にあったと思われます。すでにインド大陸は分離し、南極大陸も、アメリカ大陸も分離した後です。ですから、地球の歴史からみると、人類の誕生はつい最近の出来事になります。

注:アダムとイブの世界はエチオピアだった

http://web.archive.org/web/20071229044148/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/372.html

当時、地溝帯が広がるのにともない、その東側で森林が減少し、そこに住んでいた人類の先祖は二足歩行を強制されることになりました。西側には森が残っていたので、その地域では二足歩行は必要ありませんでした。やがて、東と西の交流が途絶えると、東の類人猿は人類へと進化し、西側の森林の多い地域の動物はチンパンジーになったということです。

人類は、直立歩行することにより脳が発達し、手を使うことから道具が発達し、喉の気道がまっすぐになり、発音が可能になり、それで言葉が生じたということです。最初の人類は猿人と呼ばれています。440万年前の人骨が発見されています。ラミダス猿人と呼ばれるもので、彼らは他の類人猿とほとんど同じ特徴を持っていますが、ただ直立歩行していたことがわかっています。

300万年前のオーストラロピテクスと名付けられている人類は、直立歩行するだけでなく、石器も使っていたことがわかっています。200万年前のホモ・ハビリスは道具を本格的に制作し、使用した最初の人類です。その後、現れるのが原人です。今から160万年前のことです。アフリカのホモ・エレクトスという原人は火を使って、暖を取り、料理し、肉食獣から身を守りました。彼らは100万年前にアフリカを旅立ち、アジア、ヨーロッパ各地へと広まりました。それも火により暖をとることが出来たからです。北京原人は50万年前に北京の周口天近くに住んでいた人類で、火を使ったあとが見つかっています。しかし、彼らは今日の人類の先祖にはならず絶滅したと言われています。今日につながる人類はアフリカのホモ・ハイデルベルゲンシスでした。彼らは徐々に進化しホモ・サピエンスとなり、8万年前に再びアフリカを出て、アジア、ヨーロッパへと広がったと言うことです。

その頃、ヨーロッパにはすでにネアンデルタール人が住んでいましたが、彼ら旧人は今日の人類の先祖ではないとの研究結果が発表されています。確かに、彼らの骨格は今日の人類のものとは異なりますが、混血もせずにまったく絶滅してしまったのでしょうか。さらなる検討を期待したいところです。

3万年前の新人・現生人類の代表がクロマニヨン人です。彼らは現代人同様に、言葉を話し、さい石器も使っていました。この頃はちょうど氷河期の時代で、アメリカ大陸とアジア大陸は陸続きになったことがありました。その時、そのベーリング陸橋を通って人類が初めてアメリカ大陸の地を踏みしめました。彼らが今日のアメリカインデアンの先祖となったのです。そして今から1万年ほど前、最後のヴュルム氷河期が終わり、ようやく古代文明時代が始まることになります。もっとも氷河時代といってもそれは地球が今よりも寒冷で、氷河が北方にひろく広がっていたということであり、赤道近くの熱帯は存在していました。ただ、今より範囲が狭かっただけです。また、温帯もあったはずです。ここで人類は後の農耕の準備とも言える食物栽培の技術を体得していたはずだと思います。

農耕牧畜の始まりは人類の生活を大きく変えました。人類はもともと雑食性の動物で、木の実、昆虫、動物の肉などを食べていました。それが植物の実を食べるようになることは大きな変化でした。はじめ、野生の麦や米は、粒が小さく、それだけで満腹するほどの量はとれませんでした。しかし、人類はそれを大切に育ててきました。そして、品種改良を重ね、次第に粒が大きくなり、収穫量も増え、農業だけで食べていけるようになるのが、ちょうど氷河時代の終る前8000年頃のことでした。現在も品種改良は進行中です。おそらく未来においては、米や麦の粒は今よりも大きく、野菜や果物の種類ももっと豊富になっていることでしょう。

パレスチナのエリコは世界最古の都市のひとつですが、その町で前8000年頃の畑の跡が発見されています。また、牛や羊などの牧畜も前7000年頃から始まっていたようです。そして、石器だけでなく、青銅などの金属の道具も発明されました。また、人類は土を焼いて土器を作る技術も会得しました。

そして前3000年頃に文字が発明されました。場所はメソポタミヤのシュメールです。彼らは印章のような絵文字を発明しています。これが文字の始まりと見なされています。その後、メソポタミヤではくさび形文字(cuneiform Keilschrift)、エジプトでは神聖文字(聖刻文字 hieroglyph)、中国では漢字(Chinese chraracter)が発明され、人類は歴史時代へと突入しました。



エデンの園


創世記の「エデンの園」の舞台はメソポタミヤでした。ここで人類の始祖、アダムとイブが造られたというのが聖書の物語です。「アダム」とはヘブル語で「人」という単語で、「アダム」とも訳せます。ある翻訳では創世記2章から「アダム」が登場し、別の翻訳では5章から登場します。このような違いが起こるところに翻訳のおもしろさがあります。イブも口語訳聖書では「エバ」と表記されています。イブは英語の発音を写したものであり、エバはヘブル語の発音を尊重した結果です。

アダムとイブが実在したかどうかは、論じる必要はないでしょう。アダムとは始祖であり、人類そのものです。実存的には私の存在そのものがアダムと見なされます。それゆえ、私という存在が神により造られ、神の前で罪を犯し、神により追放されたのです。これが創世記のメッセージです。

アダムの子供のカインは農耕者となり、アベルは牧畜者となりました。ここに、当時の人間のあり方が示されています。農耕民族と遊牧民族はきわめて対照的な生き方を示していますが、どちらも前7000年頃に登場しています。農耕民族はメソポタミヤ、遊牧民族はその北方で、それぞれ独自に発展しました。インドや中国、エジプトでも農耕・牧畜文明が発達しました。しかしここでは遊牧民族は生まれなかったようです。それゆえ、遊牧はメソポタミヤ独自の文化なのでしょう。メソポタミヤにおける農業はおもに麦、ぶどう、遊牧は牛、羊、山羊を対象としていました。犬は牧畜ではありませんが、この時代にはすでに家畜化されていました。中国では米、エジプトでは豚も飼い慣らされました。農業は人間に豊かな富と安定をもたらしました。しかし、一方の遊牧民は一定の土地に住み着きませんので、生活形態のちがう農業生活者としばしば対立を招きました。そのことがカインとアベルの物語に反映されていると思われます。聖書では、カインが土を耕す者、アベルが羊を飼う者とされています。神はアベルを良しとし、カインを無視しました。それでカインは怒り、密かにアベルを殺してしまいます。旧約物語をまとめたイスラエルが遊牧民の子孫ですので、この物語では農耕民のカインが遊牧民のアベルを殺すという設定になっていますが、実際の歴史では、しばしば遊牧民が農耕民を殺す事件が多発したことでしょう。なぜなら、遊牧民は戦闘的になりやすい、生活形態だからです。



ノアの洪水

アダムのもうひとりの息子セツの8代目の子孫として、ノアが生まれました。ノアの洪水物語は大変興味深いものです。人類が最初に直面した問題が洪水でした。洪水は、地震や火山の噴火と異なり、人間がなんとかしようと思えば防ぐことのできそうな災害です。それゆえ、人間は洪水の被害を減らす努力をしました。しかし、現実は厳しく、なかなか洪水の被害を押さえることは困難でした。そういう人類の努力と、洪水への関心がノアの洪水物語の背景にあります。ノアの洪水が前4000年頃に本当にあったとか、前2500年頃の洪水の話しであるとか、調査が進んでいるようですが、大洪水はいつの時代にもあったはずです。有史以前から洪水物語は口伝の形で存在していたと考えて何の不自然さもありません。それが前700年頃には、一方でギルガメッシュ叙事詩となり、一方でノア物語となったのです。ノアの洪水物語はイスラエル独自のものでなく、当時のパレスチナおよび、メソポタミヤ地方に広く知られた物語だったと思われます。なぜなら、ノアの箱舟の舞台はメソポタミヤ全体であり、ノアが降り立った山がアルメニアのアララテ山であるからです。ヨセフス(古代誌Ⅰ/92)はその山に箱舟の残骸が残っているという話しを伝えています。おそらくそれを根拠にしているのでしょう。現在もアララテ山頂に箱舟の残骸があり、それを見たという人が現れました。それを確認するために探検家がアララテ山に登ったそうです。はたして発見したのかどうか、結果は聞いていません。古代のアルメニヤ、トルコ、イランの人々がノアの洪水物語を知っていたことは確かでしょう。そして、彼らがそれを旧約聖書から学んだのではなく、旧約聖書の記者がその物語を聖書の中に取り入れたのだと私は判断しています。

箱舟という単語は、英語でアーク(ark)と訳されています。契約の箱もアークと訳されているので、英語人は箱舟と契約の箱を同じ物とイメージする傾向がありますが、ヘブル語では、箱舟がテバー(TBH)、契約の箱はアロン(ARWN)ですから、全然別のものです。しかし、LXXでどちらも箱(キボートス [ギkibwtos])と訳されているのにならって、ラテン語や英語ではどちらも箱(アーク)と呼ばれるようになったようです。



人種の始まり

ノアの3人の息子が、セム、ハム、ヤペテです。18世紀まではこの聖書物語しか知られていませんでしたので、この3人の名が人種の分類に用いられました。セムがセム人の先祖、ハムがエジプト人の先祖、ヤペテがタルシシ、キッテムなどのギリシャ人、ローマ人の先祖と考えられました。これが創世記を書いた時代の人々にとっての全世界であって、中国人や日本人は入っていません。

セム人が今日のアラブ人であるのはよいとして、ハム、ヤペテは修正して理解しなければなりません。ハムはエジプト人とカナン人の先祖というのが旧約聖書の見解です。しかし、カナン人は言語的にも文化的にもセム族というべきで、イスラエルとの違いは人種的には大きくありません。ハム族の代表であるエジプト人でさえ、言語的には三つの子音からなる動詞の形を持つことなどからして、セム族と区別して考えるほどの違いがあるわけではありません。今日の人種学ではセム・ハム族という言い方になっているそうで、聖書で言うセム族とハム族の違いは大きくないことは認識しておく必要があるでしょう。

ヤペテがインド・ヨーロッパ語族という現代の人種分類とだいたい一致しているようです。しかし、創世記10章の系図をまとめた人々はアルプス以北のヨーロッパ人は知りませんし、ペルシャ人への言及さえありません。また、今日インド・ヨーロッパ語族として分類されるようになったミタンニ、ヒッタイトをヒビ人、ヘテ人としてカナン人に分類しています。またペリシテ人がミツライム(エジプト)人に分類されています。これらの間違いがあるものの、全体的にはかなり正確な分類が出来ていることは驚くべきことです。



バベルの塔

メソポタミアは洪水の多発する地域ですので、人々はなるべく高いところに町を作ろうとしました。それで、昔の町が滅びると、その上に新しい町を建て、それが滅びるとまたその上に建てましたので、だんだん丘のような場所が増えてきました。それだけ長い時間が経過したということです。それらの町の中には軍事的に有力になるものが現れ、王制が始まり、都市が生まれました。彼らは軍事的に富を集めましたので、その余力で立派な建物を建てる財力を持つことになりました。メソポタミアの人々の願いはなるべく高い建物を建てることでした。それは無意識のうちに洪水から逃れたいと考えたのだと思います。

創世記11章にバベルの塔の物語が載っています。バベルとはバビロンのことです。他の箇所では「バビロン」と訳されますが、ここだけは伝統を重んじて「バベル」と訳出しています。メソポタミアにはジッグラト(Ziggurat)と呼ばれる石の塔が各地に建てられています。バビロンの近くにもシュメール人により起工された巨大なジッグラトの跡があったそうです。それは破壊されたのではなく、未完成のままになっていたものだとのことですが、おそらくそれを見ていた民衆の間にバベルの塔物語の原型が生まれたのでしょう。それがイスラエルに伝えられたのです。

この物語は、ジッグラトの由来だけでなく、人類の言語の多様性の問題にも関心を払っています。当時のメソポタミアには、セム族だけでなく、フルリ人、ヒッタイト族、カッシート族、などのインド・ヨーロッパ語族も侵入していました。また、セム語にも多くの方言があることは知られていました。これらの言語の違いはどこから来るのだろうかと、人々は考えたのです。その答えとしてこの物語が生まれ、また、語り継がれたのでしょう。

今日、世界の言語は、インド・ヨーロッパ語、セム・ハム語、ウラル・アルタイ語などに分類されていますが、日本語、中国語などはどこにも分類できていません。ヨーロッパ中心の言語学には限界があるような気がします。今後は、もっと新しい視点から、日本語や中国語を位置付けられる言語学に発展することを期待しています。

インド・ヨーロッパ語族は、前1500年頃インドに侵入したアーリア人(サンスクリット語)からヨーロッパ人に至るまで広い範囲に広がる人種で、サンスクリットから英語まで、今日有力な各種の言語を含んでいます。ペルシャ人(イラン人)がインド・ヨーロッパ族であることは覚えておかなければなりません。今日、イランもイラクも共にイスラム国家を形成していますが、民族的背景は、前者がインドヨーロッパ語族であるのに対して、後者がセム族にあたります。ただし、先にも言いましたように、インド・ヨーロッパ語族説についても再検討が必要になるかもしれません。

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