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ダンテ地獄編

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年10月20日(日)22時21分53秒
  通報 返信・引用 編集済
  ダンテ地獄編に認められる科学的側面についての詳説

http://againstcursedworld.blog.fc2.com/blog-entry-37.html

関連記事:拙稿 ダンテものがたり その1~

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/161.html

 『全体の「神曲」を読むことなしに最初の章でののすべてを理解することは不可能である。なぜなら、第1章は(注:ダンテ地獄篇第1歌のこと)、ある意味で、全体の小画像であり、ダンテがここで紹介する主なテーマは作品全体の主要なテーマであるかもしれない。このように、この章はたぶん全体のもっとも重要なものである。

 第1章の精神的な風景は3部からなり、「神曲」それ自体の構成を反映している。「暗い森」は巡礼者ダンテが自分自身を見つける罪の状態を暗示し、そしてそれゆえ、地獄(第1頌歌の主題)と類同語である、ダンテがまもなく旅しようとしていることを通して。「不毛の坂」(29)は悪と善の中間の場所を意味し、そこは人々が愛の「陽の光」と山の頂での至福に至るまでに通過せねばならないのである。それはすなわち煉獄との類同語であり、「神曲」の第2の部分の主題である。太陽の光に注がれた「至福の山」(77)は至福の状態で、それに向かって人が常に奮闘し、第3の頌歌すなわち「天国編」の中に描写されるのである。』

少しだけ地獄の門

http://web.archive.org/web/20080102160204/angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/205.html

少しだけ煉獄編

http://web.archive.org/web/20080106050212/angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/211.html

少しだけ天国篇

http://web.archive.org/web/20071228223041/angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/210.html

 当記事では代表的古典とされるダンテ『神曲』(の中の『地獄篇』)という作品が
[「(現代科学から見ての)ブラックホール特質を想起させる」 と一部の人間に指摘されるような側面]
を伴っていることを主として問題視することにする(※)。

(※上にて述べた、
[一部の人間が『神曲』(『地獄篇』)に[(現代科学から見ての)ブラックホール特質]にまつわる寓意を見出している]
ことについてだが、同点につき、(読み手の方が意欲ある方ならば、だが)、英文情報に強き検索エンジンを動かし、Dante Inferno Black holeなどと入力されて出てくる英文ウェブ情報(ないしそこにて紹介されている洋書内容)をご覧いただくのもよいと思う。欧米圏の一部の人間にそういう傾向が、すなわち、古典『地獄篇』にブラックホール寓意を見出すとの傾向があること、お分かりいただけるはずだ ―当記事「でも」後の段にて問題となる物理学者ら物言いを紹介するが、「それとはまた別に」、の話として、である― 。
 尚、ウェブ上にその存在を認められる、
[『神曲』(『地獄篇』)にブラックホール寓意を見いだせるとの指摘をなす英文情報媒体"群"]
に関しては、 ―書き手らに『言わずもがな』との観点があるからなのかどうしてなのか― 具体的に『地獄篇』のどこにどうブラックホール寓意が含まれているのか解説していない、といったものしか視界に入ってこない塩梅となっているが(情報発信者らはその程度のことすら理解できない人間をはなから突き放しているようなきらいもあるが)、当記事では[時間上の制約]に拘束されつつも仔細なる解説をなすこととするので心ある向きには ―そうではない向きには用はない― 続く内容の検証を求めたい)

 さて、早速、本題に入って述べるが、『地獄篇』に込められたブラックホールがらみの寓意とは以下のI.からIII.のような観点から指し示せるものである。

I. 最初に前提となる[事実]の話をなす。一言で述べれば、『神曲』(地獄篇)という作品は[地球の中心]でもある[地獄の中心]向けて地下を下る、との粗筋を有したものである(自らを物語の主役として登場させている作者ダンテは森の中で人生に迷っていたところを「地下に下る」との地獄の旅に誘われることになり、地球中心に向けて地下へ地下へと下っていく。『地獄篇』とはそういう物語である)。  さらに述べれば、興味深いことに(13世紀から14世紀の画期に成立したものであるにも関わらず)『地獄篇』は地球を球形に見立てている節が作品であるばかりではなく、なおかつ、地球中心点を[重力が等しくも向う中心的ポイント]であるとはきと描き出している作品ともなっている(※)。

(※欧州中世暗黒時代には「地球が球形である」などとの説は無論、容れらていないものだった。地球球体説が公に主張されだしたのはパオロ・トスカネッリが1474年に同説 ―コロンブスがインド目指してアメリカ航海に出たのも同・地球球形説ゆえに、であるとされている― を唱えだして折のことからであるとされている。
 にも関わらず、ダンテはそれに先立つこと150年以上前(伝わるところのダンテ没年は1321年)の13世紀から14世紀画期に成立した『神曲』(『地獄篇』)で地球が球形であるとの描写(直下該当部摘示)をなしているのである。
 それにつき、高校の[世界史]の授業をまじめに受けてその知識を保持されている方は思うかもしれない。
『古代ギリシャ人のエラトなんとかっていうのが地球が球形であるとまで述べてその周長まで求めていなかったっけか』。
 上は事実である(とされる)。すなわち、古代ギリシャ人に地球が球形であるとの知識が(船から見る北極星などの概況などを通じて)あったということ、そして、今より2200年以上前の紀元前3世紀に活躍したヘレニズム期学者エラトステネスが地球の周長を南中高度と円周計算の知識を活かして(太古にあっては驚異的なことに)誤差10数パーセントで計算していたということは事実である(とされている)。といった古典時代の叡智はキリスト教と封建主義王侯の結託が無知を促進した中世暗黒時代に欧州では破壊されつくされていた、というのが常識的な歴史理解となるわけだが、喪われた古典をそれらが保持されていたイスラム圏経緯で入手することでダンテがそういったことを「再」発見していた可能性がある、とは確かに考えられる(:『神曲』については[ダンテの時代には歳差運動によって欧州からは確認不可能になっていた南十字星]に対する言及をなしているとのことも一部で知られているが、それについても[イスラム圏で欧州で一旦は失われた古典時代知識が応用発展されて構築されていた科学体系(アラビアの天球儀など)のダンテの観察可能性]に因を求めることもできなくはない)。
 しかし、ダンテが万有引力の法則など夢もまた夢であった時代に地球の中心部を重力が等しくも働くポイントであるとはきと表記していたこと(直下後述)は ―ニュートン以前にも[重力]の拙い概念はあったとされるのだが― ただの偶然と見ていいことではない。これより詳述していく本記事本題となるブラックホールとの兼ね合いで、である)

 ではダンテはいかに『地獄篇』で地球を球形に見立て、なおかつ、地球中枢が重力における中心的ポイントであると描いていたのか。

 ダンテと彼の地獄での案内役たるヴェルギリウスの間で「地獄の最下層たる地球の中心部コキュートスを超えて反対側に出た折に」なされた会話を挙げることが簡便な途であるととらえたのでそうする。

 岩波文庫より出されているダンテ『神曲』(地獄篇)の大正期にものされた訳本(山川丙三郎訳本) ―大正期文語体のものであるのにも関わらず、どういうわけか未だに書店で最も流通しているダンテ『地獄篇』の訳本― からの該当部引用をなそう。

(引用として)
「汝のかなたにありしはわがくだれる間のみ、われ身をかへせし時汝は重量(おもさ)あるものを四方より引く點(てん)を過ぎ廣(ひろ)き乾ける土に蔽はれ、かつ罪なくして世に生れ世をおくれる人その頂點のもとに殺されし半球を離れ いまは之と相對(あひむか)へる半球の下にありて、足をジユデッカの背面を成す小さき球の上におくなり かしこの夕はこゝの朝にあたる、また毛を我等の段となせし者の身をおくさまは今も始めと異なることなし」

 上の大正期文語体では何を述べているか、分からないかもしれない(⇒筆者もまた岩波文庫版の全篇、上の如しで訳文がつづられている訳本、何故なのかいまだに書店書架に据え置かれている訳本を買ってしまい、『大正期の人間でもないのにこんなもの理解できるわけがないだろうが』と『神曲』を放り投げるところであった。ゆえに、読者が『神曲』内容に興味を抱かれているのなら、そして、完全なる内容把握をなしたいというのなら、 ―数多ある簡訳版ではなく― [完訳版としての現代文訳のもの]を読まれることを勧める)

 そこでさらにラテン語から英訳された文を引き合いに ― Henry Wadsworth Longfellow (ヘンリー・ワーズワース・グッドフェロー)、アメリカではじめてダンテ 『神曲』 を翻訳した19世紀の同文人の手になる訳を引き合いに― 、拙訳を付して問題となる部位を挙げたい(英文の方はオンラインで容易に特定できるものとなる)。

(問題となる案内役ヴェルギリウスとダンテの会話の部位)
That side thou wast, so long as I descended; When round I turned me, thou didst pass the point To which things heavy draw from every side, And now beneath the hemisphere art come Opposite that which overhangs the vast Dry-land, and 'neath whose cope was put to death The Man who without sin was born and lived. Thou hast thy feet upon the little sphere Which makes the other face of the Judecca. Here it is morn when it is evening there
[不足部をかなり補っての拙訳として]⇒ (地獄の中枢地点へ向けて地下へと)私が下へ下へと下っていた際だけなのだよ、君(thouは 「君」 の古語) のいる方面が[(地球の半球の)通り過ぎた向こう側]だったのは。私が(地獄の底を突きぬけて)反転し振り返った折、(脇にいた)君はもはや [あらゆる方向から物の重さが引きつけんとする地点] を通過していたわけだ。そして、いまや我々は(地球の)半球の下側、そう、乾いた大地に覆われ罪なくして産まれ生きた御仁、そのうえで殺された御仁 (設定上、イエスのことである) のおられた(地球の)半球の反対側にいるのだ。足をもってジュデッカ (地獄の最下層たる氷地獄コキュートスの中心部) の反対側をなす矮小な半球の上に置いているのである。あちらの半球で夜ならばこちら側の半球では朝なのである」

 上の摘示部でもってもすんなりとご理解いただけているか不安なところであるからさらなる絞り込み抽出をなすが、
「ダンテと案内役ヴェルギリウスは重さの中枢となっている地点(地獄の中枢)から反転して」「球形構造をとる世界(地球)の地下の反対側に出た」
と記されているのだ(ダンテ案内役ヴェルギリウスが『地獄篇』の末尾に近しき段でダンテに教え諭している部位にてそのように記されている)。

 ここまででもってしてダンテが『地獄篇』で
[いかに地球を球形に見立て、なおかつ、地球中枢が重力の中心ポイントであると描いているのか]
の話をなしたとして(納得いただけていないとのことであれば現代文によってなる完訳版の『地獄篇』などをお手にとられてみることを薦める)、次の話に移る。

II. ダンテが
[地球を球形に見立て、なおかつ、地球中枢が重力の中心ポイントであると描いている]
とのことの時点で[蒙昧の中に片足を突っ込んでいる時代の人間]としては驚異的な業ともとれるのだが、ダンテが重力の中枢たる領域に[(現代科学から見た)ブラックホール的要素]が付加されているとなれば、無論、それは[最早、人間業ではない領域に突入している]とのことになってしまう(であるから、大概の人間はそこに[偶然の一致]的側面しか見出そうとしないところだろう。当記事ではそうした見立てとは相容れないような事実群を摘示するものだが、とにかくも、の話としてである)。
 それにつき、まずもって述べるが、今日の科学から見るブラックホール的なるものはダンテ死後、600年ほど経ってのアインシュタインの一般相対性理論の呈示(およびシュバルツシルトという科学者の解法による存在可能性[示唆]とチャンドラセカールという科学者の解法による存在[明示])によって姿を現し始めたものだ。のようなもの、ブラックホールをダンテが知りえたなどと述べるのは穴居生活の原始人が微分方程式を知っていた(あるいはニュートンよろしく微分法と積分法の概念を合算して天体の運航を指し示して見せた)、というぐらいナンセンスなことである。
 そのように(要らずも、といった)前置きをなしたうえで述べるが、問題となるのは地獄の中枢、すなわち、重力の中枢部の[牢獄]に関する記述である(※)。

(※脇に逸れての注記:[重力の中枢の牢獄]の話に入る前に見るべきではないかととらえた点にについて注記をなしておく(読み飛ばしてもらっても構わない程度の認識にての注記をなしておく)。
 大正期にあいなった山川丙三郎の訳では地獄の中枢部に関するヴェルギリウスの台詞に対して、
[重量(おもさ)あるもの「を」四方より引く點(てん)]
との訳が充てられている。
 対して、19世紀合衆国の文人Henry Wadsworth Longfellow (ヘンリー・ワーズワース・グッドフェロー)のそれに関しては
[To which things heavy draw from every side](物の重み「が」全方位から引きつけんとする方向)
との訳がなされている。
 といったことにつき筆者としては後者の訳が原文に対するより忠実な訳文であるのなら、「それはそれでさらに問題になる」ととらえている。ダンテが地獄の中枢に関して[ありとあらゆる方向から重さあるものが引っ張り込まれる領域]ではなく[あらゆる方向から重さあるものが引きつけようとする地点]と表していたのだとしたら(drawは重さを主語にしての受動態(drawn)をとらぬ形で上にて挙げた英文上では表されている。トスカーナ方言で書かれたとの原文内容は知らないが)、それはそれでさらに問題になるととらえている。
 何を細かいことをうだうだと書いていやがる、と思われる方もおられるかもしれないが、上は決して軽んずべきことではない(と思われる)。
 ニュートンの古典力学では重力は地球が何かを引っ張る力だと考えられていたわけだが、アインシュタイン以後の物理学では重力の本質が[重量(質量)やエネルギーが押す力]であるとあるとされているのだから。(空間に見立てたトランポリンに重い物体を乗せてトランポリンがへこんだ、うわ、そのへこみの力こそが重力だ、的発想である)。
 仮にダンテが上記英文訳どおりに
[ありとあらゆる方向から物の重さが引きつけようとする地点]
と地球の中枢につき表していたとなると、そこには[重さ]それ自体が何かを押して力を発しているといったニュアンス、アインシュタイン的ニュアンスの方がより強くも伴っているように解される、と見立てているわけである ―ちなみに、ここではヘンリー・ワーズワース・グッドフェローの訳文を挙げたが、19世紀前半に作成された英訳版(Henry Francis Caryという他の19世紀文人の手になる訳としてオンライン上に流通しているそれ)ではThat point,to which from every part is dragg'd All heavy substance[全部位が「引きづり込まれている全ての重きものら」となっている方向に向けての地点]などと問題になる部につき分かりづらくも表されている(ニュートン的ともアインシュタイン的とも解される)。といった訳文の不統一性のことなどをも顧慮しつつ、(客観性を重んじる身であるから述べることとして)、ここ注記部の話については私が間違いをなしている可能性もあるのでご放念いただいてもそれはそれで....、と考えている― )

(細かくもなった注記部を終えて本題に戻って述べるが)ダンテが重力が向う中枢部として描き出した部位については
[罪人たちが重力の中枢の氷地獄でルチフェロの歯にて永劫に噛み砕かれている牢獄となっている]
との実にシュールなそのありように[ブラックホールとの結びつき]が見て取れるようになっている。

 それにつき、古典の内容をより細かくも指し示すことからはじめるが、
ダンテは[重力における中心的ポイントたる地球中心地]を最も罪深い罪、裏切りをなした者たちのための[氷地獄](コキュートス。いいだろうか。氷地獄である)として設定して、その場の中枢で氷漬けになった悪魔の王ルチフェロ(ルシファー)が人類の代表的裏切り者ら、すなわち、
[イスカリオテのユダ](キリストを裏切った男)
[マルクス・ユニウス・ブルータス](シーザーを裏切って殺したローマ人)
[ロンギヌス・カッシウス](上と同罪のローマ人)
を[三つの顔と口]で永劫に噛み続けていると『神曲』(地獄篇)で描いて見せている。

以下は長文につき省略



 
 
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