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シーグレイブ夫妻著:黄金の戦士

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年10月25日(金)13時07分58秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://www.asyura2.com/0601/bd45/msg/571.html

関連記事:マナ板の上に乗る日本のナショナリズム

http://www.asyura2.com/0601/bd45/msg/572.html

第二次世界大戦の真相

http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/294/

フィリピンの戦跡を訪ねる

http://4travel.jp/traveler/akashids/album/10657213/


公開日: 2012/06/21

フィリピン・ルソン島
マニラ・マバラカット・コレヒドールの戦跡を訪ねる

2012:平成24年2月5日(日)~2月9日(木)

http://4travel.jp/traveler/akashids/a...

特攻隊は日本人の誇りであり未来永劫心ある日本人に勇気を与え続けてくれる。

以前、この空耳版で「バルセロナより愛を込めて」さんが、レッ・ボルテールの記事「黄金の百合作戦」について紹介されました。黄金の百合作戦(レッ・ボルテール:山下の黄金の「伝説」)http://www.asyura2.com/0411/bd38/msg/768.html

関連投稿で、gooseさんは「中国、台湾、シンガポール、フィリピン、フランス、ドイツ等で新聞書評が掲載されています。関連諸国で自国語の書評を読んでいない国民は当の日本人だけ?」とコメントされていました。 http://www.asyura2.com/0411/bd38/msg/817.html

また、HAARPさんの興味深いフォローもありました。http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/557.html

そして、つい最近出版された高橋五郎著『スパイ〝ベラスコ〝が見た広島原爆の正体』の第四章、戦利品としての「秘密財産」の中で、この本の内容が紹介されています。

真偽については別にして、いずれにしても、日本に関して書かれている歴史が日本人以外の人に広く知られていて、肝腎の日本人だけが知らないというのはいかにも奇妙なことです。というわけで、『黄金の戦士』の序を紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
GOLD WARRIORS 黄金の戦士 山下の黄金をアメリカは秘密裏に発見した

スターリング・シーグレイブ、ペギー・シーグレイブ共著
二〇〇三年発行、Verso出版

序 生き埋めにされた

第二次世界大戦が終結する数ヶ月前、フィリピンにおいて、山下奉文将軍はルソンの山々で遅延活動を闘っていた。一方、日本の皇室の皇子たちは未来にそなえて準備していた。彼らは略奪した金の延べ棒と、また別の盗んだ財宝を近くの洞穴やトンネルの中に隠すことに忙しかった。それらは後に発見される運命ではあったのだが。これらは数千年にわたり集積されたアジアの十二の国々の財産であった。日本陸軍に付属した専門家集団は組織的に、宝庫、銀行、工場、個人の家、質屋、画廊を空っぽにした。そして一般人からも奪った。一方、日本のトップの強盗たちはアジアの地下社会と暗黒経済から略奪した。この点では、日本はナチより遙かに徹底していた。それはあたかも、東南アジアを巨大な掃除機で吸い取っていったかのようだった。略奪品のほとんどは韓国を通る大陸経由で日本に届けられた。残りは海上輸送であったが、一九四三年初期に合衆国の潜水艦による海上封鎖が完全になってからは、海上輸送ができなくなった。そこで、財宝を隠すことが決定的に重要になった。財宝を隠すことができたら、日本が戦争で負けても、金融的には負けることにはならないのだ。この戦争がどのように解決されようとも、日本はフィリピンを維持することをずっと期待していた。皇子たちによって監督されて、百七十五の「皇室」の財宝を隠す地下室がこの島々の中に建設された。一九四五年六月初旬に、バンバングから二十マイル以内に合衆国の戦車隊が接近したとき、百七十五の地下室の主任技師たちが集められ、八番トンネルとして知られていた地下二百二十フィートの地下室で送別会が催された。そこには、壁という壁に金塊が山と積まれていた。夜が更けると、彼らはしこたま酒を飲んで、愛国歌を歌い、万歳(「長生き」)を何度も何度も大声で叫んだ。真夜中に、山下将軍と皇子たちはその地下室を抜け出た。そして、地上への連絡トンネルをダイナマイトで爆破した。技師たちは墓に入れられた。彼らは生き埋めにされたのだ。儀式的な自殺ができなかった者たちは、黄金に囲まれて徐々に窒息していっただろう。そして、その地下室群は秘密にされるだろう。数日後、皇子たちは潜水艦で日本へ逃げ帰った。そして三ヶ月後、山下将軍はアメリカ軍に包囲された。

 半世紀の間、このぞっとする生き埋めの物語は知られることがなかった。隠された財宝は山下の黄金伝説として無視された。しかし、墓に入れられたのを見た一人の目撃者が、八番トンネルにわたしたちを連れて行き、個人的な話をしてくれた。戦時中、ベン・ヴァルモレスは特別な日本の皇子付きの若いフィリピン人の従者であった。この皇子はフィリピンにおけるすべての皇室の財宝を隠す場所の建設と、目録作りと、封印を担当していた。高等教育を受け、時として感傷的だったからか、この皇子は最後の場面で、ベンの命を惜しみ、ダイナマイトが爆発する直前に、ベンを八番トンネルから出した。私たちがインタビューしたとき、ベンは七十歳代半ばで健康がすぐれなかったが、一九四三年から一九四五年にかけて彼が見たことと、皇子の仲間たちの中で経験したことを何ヶ月かにわたって、私たちに話してくれた。ベンは遂に、わたしたちに彼がその皇子と関係した他の皇子たちを確認することができる決定的な手がかりを与えてくれた。

 日本のアジアからの略奪は、天皇裕仁の魅力的で教養のある弟、秩父宮によって監督されていた。彼の組織は天皇のある歌に因んで「黄金の百合」(ゴールデン・リリー)と暗号で呼ばれた。より下位の皇子たちは占領地域を横切る「黄金の百合」の各地の支部の長であった。日本からの情報によって、現在の時点で、ベンの戦時中の主人は竹田宮恒徳(つねよし)皇子であったことが確認された。竹田宮恒徳は天皇裕仁の従兄弟で、明治天皇の孫であった。これを確証するために、一九八八年にわたしたちは一九三〇年代に撮られた多くの皇子たちの不明瞭な写真を用いて、ベンに「ブラインド・テスト」を行った。この写真は英国図書館東洋コレクションから得た軍服を着た皇子たちの写真だった。彼らは真珠湾の前夜に写っているように見えた。わたしたちは各々の写真に書かれた名前を除き、普通の兵隊と一緒に混ぜたのだが、ベンは即座に武田宮、裕仁の兄弟である秩父宮と三笠宮、そして年長の皇子朝香宮を間違いなく確認した。ちなみに、朝香宮は南京虐殺事件の時の日本軍の司令官だった。ベンは、彼らが目録を作り財宝の場所を封鎖する間、この皇子たちと一緒にいて、食事やお茶や煙草の世話をしたと話してくれた。ベン・ヴァルモレスは田舎の米を作る農民で、フィリピンから一度も出たことがなく、小学校以上は行ったことがない。それ故、彼が即座に皇子たちを確認したことは説得力がある。わたしたちが用意した武田宮の写真を見たとき、ベンは凍り付いた。それから、日本の民謡「さくら さくら」を低い声で口ずさみ始めた。この歌は武田宮が一人で歌っていたと、ベンは言った。

 武田宮の身元の発見によって、わたしたちはより大きなパズルから、見失っていた一つの小片を得ることができた。わたしたちが日本の皇室の伝記「The Yamato Dynasty 大和朝廷」を書いていた一九四五年十月に、アメリカの諜報部員がフィリピンに日本の財宝が埋まった地下室の場所を知り、極秘に数十億ドルの価値がある黄金、プラチナ、文化的な美術品、紛失した宝石等を発見したということを知らされた。この情報がもし本当なら、合衆国政府が半世紀もの間隠してきた途轍もない国家機密の存在を暴露することになる。その掛かり合いが非常に深刻なので、わたしたちは別に調査する価値があると決定した。ここに、わたしたちが調べたことがいくつかある。

 一九四五年九月二日、日本が降伏したという公文書を受け取った後に、山下将軍と部下はキアンガン・ポケットの山の要塞から現れて、A・S・ 'ジャック'・ケンワーシー憲兵少佐指揮下の合衆国陸軍将校の部隊に投降した。彼らはマニラ郊外ニュー・ビルバッドの監獄に連行された。(山下がマニラ市を攻撃しないようにと命令した後に)岩淵完二将軍の部下の水兵や海軍兵らが起こしたマニラ市でのぞっとする残虐行為のために、山下将軍は戦犯の容疑がかけられていた。彼の取り調べでは、戦時中の略奪品についてはまったく言及がなかった。しかし、隠された計画があったのだ。弁護士に知られることなしに、山下将軍を肉体的に拷問することは不可能なので、代わりに彼らは山下の部下を拷問した。山下の運転手小島カシイ少佐が特に目をつけられた。山下が満州から一九四四年十月にフィリピンの防御のためにフィリピンに着いてから、小島は山下を何処にでも運転して連れて行った。小島の拷問を担当したのはセルビノ・ガルシア・ディアズ・サンタ・ロウマーナーという名のフィリピン人のアメリカ諜報局将校だった。彼はいくつもの名前と身分を持っており、彼の友達は「サンティ」と呼んでいた。サンティは小島少佐に山下を車で連れて行った場所を明かすことを要求した。そこに、金塊と他の財宝が隠されていたのだ。

 サンティを監督していたのは、調査して判明したのだが、エドワード・G・ランスデイル大尉だった。彼は後に、アメリカの最も有名な冷戦の戦士の一人になった男だ。一九四五年九月、ランスデイルは三十七歳だった。それまでは、彼はサンフランシスコに居て、戦争中はOSSのために宣伝文を書いていた、取るに足らない宣伝専門の諜報員だった。一九四五年九月、トルーマン大統領がOSSを閉鎖する命令をだした時に、ランスデイルの人生に大きなチャンスがやってきた。アメリカの諜報員と自分の個人的なネットワークを維持するために、OSS長官ウィリアム・ドノヴァン将軍は自分の部下の諜報員を他の政府部門と軍事部門の部署に異動させた。ランスデイル大尉はフィリピンの合衆国陸軍G-2に配置転換された五十五人の職員の一人だった。フィリピンで、ランスデイル大尉はサンティが山下長官の運転手を拷問していることを聞きつけ、オブザーバー兼実行者として加わった。

 十月の始め、小島小佐は白状し、ランスデイルとサンティをマニラ北部の山々にある一ダース以上の「黄金の百合」の財宝の場所へと連れて行った。そのうちの二つは簡単に開いた。

 中にあったものは、みんなを驚ろかせた。

 サンティと配下の者たちが他の地下室を開く準備をしている間に、ランスデイル大尉はマッカーサー長官に概要を説明するために、東京へ飛んだ。それから、トルーマン大統領に概要を説明するために、ワシントンへ飛んだ。内閣で協議した後、トルーマンは発掘を続けること、しかしこれを国家機密にすることを決定した。

 財宝――金、プラチナ、失われたたくさんの宝石――は共産主義と闘うために、世界的に秘密の政治的な活動資金を創り出すために、ヨーロッパで発見された枢軸国の略奪品と結合された。この「黒い黄金」はトルーマン政府が秘密の作戦のために使うことができる、全く無制限で証明書が不必要な資金の運用を可能にした。「黒い黄金」はまた、同盟国の基金を補強するために、政治指導者たちの賄賂にするために、そして外国の選挙を操作するために、ワシントンによって使われる諜報員の基地を提供した。一九四〇年代後半、この計画は全く正当だと見られていた。というのは、ソ連が世界中で積極的に共産主義者と共産主義運動を援助していたし、資本主義世界の生存を危機的状況に追い込んでいたからだ。

 ほとんどの読者は、私たちがこの情報によって驚いたのと同じくらい驚かれるでしょう。ある人はトルーマンの戦略的な決定に深く悩まされるかもしれない。また、ある人はそれに心から同意されるかもしれない。この決定を検証すること、あるいはその善悪を調査することは、この本の範囲ではない。それはその時には賢い選択であったかもしれない。そして、それはその時だけでなく、長い間戦略的な重要性を持っていた。私たちの報告は単に予備的なものである。そして、後に続く人たちのために、わたしたちは政治的に中立な立場を維持したい。この本の唯一の目的は秘密のベールを剥ぐこと、そして予期しないような重大なことを将来に手渡すことと、それを検証することである。それはとても多いだろうし、悩ますものだろう。

 それはトルーマンだけの決定ではなかった。戦時略奪品をグローバルな政治活動の資金にするという考えは、ヘンリー・L・スチムソン陸軍長官とともに、ルーズベルト政府の間で実際に始まっていた。戦時中、スチムソンは枢軸国の略奪品について、またそれを平和になった時にどう扱うべきかについて、綿密に検討する専門委員会を主催していた。戦争の流れが枢軸国に不利に変わってからは、財宝が取り戻されるのは時間の問題だった。この戦争の賞品のほとんどは、ナチスによって占領された国と市民の犠牲者から略奪された黄金の形になっていた。元の所有者の痕跡を消滅させるために、ナチスは黄金を溶解し、ライヒスバンクの鈎十字と黒鷲の刻印を押したインゴットとして再鋳造した。黄金の痕跡を辿ることが困難なのは、また別の理由があった。元の所有者の多くが死亡していたことと、戦前の政府が存在していなかったからだ。東ヨーロッパはソ連の支配に陥っていた。それで、略奪された黄金を元の持ち主に返却することは、問題外であった。

この問題に関するスチムソンの特別な助手は、彼の副官であるジョン・J・マッコイと、ロバート・ロベットと、コンサルタントのロバート・B・アンダーソンだった。三人とも公共事業と銀行業に精通した賢い男たちだった。マッコイは後に世界銀行の頭取に、ロベットは国防長官に、アンダーソンは財務長官になった。彼らが出した結論は非公式に「ブラック・イーグル・トラスト」と呼ばれるものを設立することだった。戦後の世界経済の計画のためにニューハンプシャーのブレトン・ウッズに四十四カ国が会した一九四四年六月に、この考えは極秘にアメリカの同盟国と最初に議論された。(これはマニラのCIAの職員で前CIA副局長レイ・クライン――彼は一九四五年のサンティの発見を知っていた――を含む多くの高いレベルの情報源から得た資料によって確認できた。クラインは一九九〇年代、つい最近まで、シティ・バンクの金庫室の中にある日本が戦争で得た黄金を制御する仕事に関与していた)。

 トルーマン大統領と、マッコイとロベットとスチムソンを含むワシントンの高官に概要を説明した後に、ランスデイル大尉はロバート・B・アンダーソンを連れて、一九四五年十一月に東京に戻った。それから、マッカーサー将軍はアンダーソンとランスデイルを伴って、マニラへ極秘に飛んだ。マニラで、彼らはサンティが既に開けていた地下室へ出かけた。その地下室で、アンダーソンとマッカーサーは「二メートルの高さにびっしりと積み上げられた金塊の山」のところへぶらぶらと降りていった、とわたしたちは告げられた。彼らが見たものから、アジア中から数十億ドルもの財宝をある期間で日本が略奪したことは明らかであった。アンダーソンとマッカーサーが見たものは、単に日本に「届けられなかった」黄金だった。戦争で破産するどころか、日本は非常に富んだ国になっていたのだった。

 レイ・クラインと別の者たちによると、一九四五年から一九四七年の間に、サンティとランスデイルによって発見された金塊は、極秘に船で四十二カ国、百七十六の銀行に移された。秘密にすることがきわめて重要であった。もし、巨大な量の盗まれた金が発見されたことが知られたら、数千人の人々がそれは詐欺で手に入れたものだと、権利を主張するだろう。そして、政府は所有権の問題を解決するために動きが取れなくなるだろう。トルーマン大統領はまた、もし大量の黒い黄金がまさに存在していることが公に知られることになると、一オンス三十五ドルの固定された金の値段が崩壊するだろうと警告されていた。そうなれば、多くの国は自国通貨を米ドルにリンクさせているので、そしてドルは金にリンクしているので、世界中の通貨価値が急落して、経済恐慌の原因となるだろう、と。この議論は「ブラック・イーグル戦略」から利益を得ようとする立場に立つ者たちによって大きく誇張されたが、誰もどんな合意が得られるかを明確にすることはできなかっただろう。もし、その黄金が秘密にされたら、金価格は一オンス三十五ドルに固定できるだろうし、ドルの強さを維持できて、金にリンクした通貨は安定するだろう。一方、連合国の主要銀行を支持しながら、連合国を強化しながら、黒い黄金は予備資産として使えるだろう。いわば安全装置として、これらの銀行に置かれた金塊は注意深く制御された。その黄金の使用には厳密な制限がつけられた(使途指定と呼ばれる手順)。これによって、ワシントンは時として、政府や中央銀行や主要銀行に圧力をかけることができた。簡潔に言えば、国と指導者が協同し、冷戦の中で合衆国と連合を維持している限り、眠っている金塊から派生する政治的な汚い基金として得意客のために使用することが可能だった、ということだ。

 記録文書によると、一九四五年と一九四七年の間に、莫大な金とプラチナが「ユニオン・バンク・スイス」と別のスイスの銀行を含む世界の巨大銀行に預けられたことが示されている。そして、それが「ブラック・イーグル・トラスト」の主要な貯蔵所となった。スイスが戦争中、中立国であったこと、またスイスの銀行が略奪されたり、破壊されたり、破産したりしないので、スイスの銀行が中枢の役割を演じた。主要なスイスの銀行の役員によってサインされた書類は、この資産を基礎にして裏書きされた非常に巨額な借款が戦争から復興するためにもがいている英国政府、エジプト政府、中国国民党政権、その他の国々になされたことを示していた。

 長い期間、これらの事態を悪化させた元凶は、国家機密という口実がそれを悪用する環境を創り出したことである。国家機密を防御することは、政府の官僚と、彼らが属している部署の者たちを防御することである。後半の章で、この地下資金が巨大な賄賂として表面化したこと、イタリアやギリシャや日本やその他の国で、選挙を金で買うことに使われたという多数の記録された例を提示する。有益な信託が世界中の影響力のある人物のために設立された。黄金の持参人の証明書が契約締結の誘因として与えられた。賢者たちの手の中にあれば、可能性は無限であった。

 数十年間、世界の巨大銀行の幾つかは金庫室の中にある黒い黄金を弄ぶことに耽溺するようになった。今や、彼らは黄金を維持するために必要なことなら、どんなことでもするだろう。これは、スイス銀行でホロコーストの被害者の黄金で起こったように、そのためなら証明書を持っている者、あるいは相続人からだまし取ることさえするということを意味する。

振り返ってみると、「黄金の百合」の財宝がある地下室を発見することと、「ブラック・イーグル・トラスト」の設立は、愛国的な理由と高貴な根拠のためになされるとしたら、容易なことだった。冷戦の間、国家機密にされることによって、仲間の報告を見ることが不可能だったので、多額の地下資金として諜報活動に使用することは、それほど容易なことではなかった。それを使うことによって利益を得る者たちを除外したら、いったい誰が秘密の資金を監督できるだろうか。

また別の悪用がなされた。この財宝を隠匿するために、また一九四〇年代後半のアジアに押し寄せた共産主義の潮に対抗するために、ワシントンは多くの大きな外交的な嘘をついた。特に、日本について嘘をついた。日本が黄金のほとんどを盗んでいたのに。

 日本を支配しているエリートは、共産主義の脅威を警告している伝統的にガチガチの保守主義者である。アメリカは日本がアジアの反共産主義の砦になることを望んでいた。そこで、東京の隠された富のことは決して知られてはならなかった。東京の最も熱烈な反共産主義者はたまたまだろうが、戦犯として起訴されていた。そこで、アメリカは民主主義への改革と新しい憲法を導入する一方で、日本をまったく非民主的な男たちの支配に後退させ、巨額な黒い資金を注入することで、彼らを権力者の地位に保った。

 一九四五年のことの始めから、ワシントンは日本は何も盗んでいないし、不景気になり戦争が終わったときに破産したと主張していた。ここに、多くの大きな歪曲がある。そして、それが怖ろしい秘密となった。

 「黄金の百合」で集積され、ワシントンによって取り戻された財宝は秘密にされねばならなかったので、日本とアメリカの市民は完全に欺かれたことになる。一九五一年の日本との平和条約の締結はこれらの歪曲によって歪められた。それで、(日本の会社のために奴隷労働を強いられた)数千人の戦争捕虜と市民はその苦難に対してまったく賠償を受けなかった。日本が戦時賠償を逃れるために、ジョン・フォスター・ダレスはこの条約の用語をうまく秘密にするために、三人の日本人と私的に会った。三人の内の一人は宮沢喜一だった。宮沢は後に日本の首相になったし、何度も財務省の大臣になった男である。
 平和条約の第十四条によると、「日本はこの戦争中に、日本に起因する連合国軍への損害と苦難に対して賠償金を支払うべきであると認められる。しかしながら、日本の資産は現在十分でないこともまた認められる」。

 日本は破産しているという主張を補強するために、第十四条は次のように述べる。「連合国軍は、日本によるすべて行動に起因したことに関して、連合国軍とその国民のすべての賠償要求を放棄する」。(強調は著者)。この条約に調印することによって、連合国は日本の略奪品がウサギの穴に落ちて消滅したこと、更にすべての日本軍による犠牲者は運が悪かったということで、意見が一致したということだ。

 この条約に賛成した返礼として、連合国の疲弊した中央銀行を強化するために、ワシントンはサンタ・ロウマーナーによって取り戻された黒い黄金を船便で秘密に送った、ということをわたしたちは証明する。

 「ブラック・イーグル・トラスト」とそれが生んだ政治活動資金は、本に書かれて暴露されることなく維持されたので、これらの汚い資金のあるものは悪い奴らの手に落ちた。そこで、彼らはその資金を今日まで維持している。そして、それは以前より大きくなっている。ワシントンと東京の信頼できる筋からの情報によると、一九六〇年に副大統領ニクソンはアメリカ大統領選挙の時に、ニクソンの選挙資金としてキックバックするという約束の見返りとして、これらの資金の内で最大の資金、M資金を日本の自民党指導者たちに与えた、という。しかし、M資金はその当時で三百五十億ドル、今の価値で五千億ドル以上と言われるが、自民党のキングメーカーによってそれ以来ずっと支配されてきた。彼らは選挙を金で買うために、日本の一党独裁体制を維持するために、いかなる意味ある改革も阻止するために、その資金を使ってきた。別の資金による同じような悪用は世界中で見られる。
 秘密は力である。力は堕落する。秘密の力は秘密に堕落する。

 日本に関する専門家チャルマーズ・ジョンソンはこれをうまく表現している。「冷戦は終わった。合衆国が信じてきたどんなことでも、冷戦を起訴するために必要だった。冷戦そのものは、もはや費用の点と意図しない結果について、無知を正当化することはできない。今日の論点は、日本が社会主義に変わるか、中道主義に変わるかではなく、なぜ長期間合衆国に依存してきた日本政府がこれほど堕落し、馬鹿げたものであり、弱いのかということである」。

                    ●

 どこから、このすべての財宝は来たのか? 今まで、アジアからの日本の略奪は、酔っ払った兵士による盗みと暴力による、散発的なバラバラな活動として無視されてきた。しかし、これは偽情報である。

 戦争の拡大による略奪は何も新しくはない。一八六〇年、中国北部へ懲罰的な遠征をした英仏の軍隊が酔っぱらって暴れだし、北京郊外のすばらしい夏宮殿で略奪した。打ち壊し、破壊し、あるいは運べないものは焼き、一つの宮殿とあずまや以外のすべてが焼けて、やっと終わった。信じられないことだが、兵士たちが見つけた黄金は本物だったのだが、教育を受けていない彼らは、そのほとんどを捨ててしまうか、アルコールと交換した。(この連合軍の司令官はエルギン侯爵で、彼の父はアテネのパルテノン神殿からほとんどの彫刻を持ち出した)。一九〇〇年、西洋の軍隊が再び北京に入城した。今回はいわゆる義和団の公使館包囲を解くための入城だった。それから、紫禁城の内部で略奪しながら、打ち壊しながら、酔っ払って暴れ回った。

 日本が一八九五年から一九四五年の間に行ったことは、質的に異なっていた。これは酔っぱらいの略奪や打ち壊しではなかった。日本人は真面目で、しらふで、計画的だった。彼らは普通の泥棒や歩兵たちには無視されるような、価値のある書籍や写本に特別に注意を向けていた。彼らはアジアの三合会や暴力団やギャングたちなどの暗黒世界から略奪することに、特に注目し専心していた。日本は麻薬を持って中国へどっと押し寄せた。その麻薬をギャングたちに与え、交換に黄金を得た。麻薬は各々の隠された場所から財宝を吸い上げた。個人のレベルでは、拷問は巨頭、部族の長老、銀行家、企業家を含む金持ちの個人を襲うときには当たり前に使われた。

 日本に持ち帰られた最も価値ある物品の中に、美術品と歴史的な遺物があった。今日まで、この世襲財産のごく一部しか盗まれた国や個人に返却されていないという記録がある。それが問題である。黄金でできた仏像を含む幾つかの主な美術品は、フィリピンの地下に隠されていたが、最近見つかった。しかし、ほとんどの芸術品と美術品は依然として、日本で個人的に隠匿されているか、東京で皇室の蒐集物となっている。なぜ、日本がこれを持っていることが許されているのか?

 公的には、日本の戦時中のエリート(皇室、財閥、ヤクザ、「いい」官僚たち)は一握りの「悪い」熱狂的な軍人を生け贄にして、戦争を終えた。読者がお気づきのように、これは真実ではない。天皇裕仁を含む日本のエリートたちは、戦争が終わったときには、戦争が始まった時よりはるかに金持ちになっていた。ある者は終戦前後に、数十億ドルの資産をつくり出した。

 日本はひどく痛めつけられ、戦争が終わったときには、かろうじてどうにか食っていける状態だったと、わたしたちは告げられる。事実は、驚くほど少ない工場と住宅しか破壊されておらず、それもひどい損傷を受けていなかった。そして、インフラストラクチャーの損害はわずかだった。広く世間に知られている損害のほとんどは、普通の日本人が住んでいた数百万軒の紙と木でできたマッチ箱のような家だった。彼らの苦悩は大君主たちの見解には加えられていなかった。

 日本を共産主義に対する防波堤にしようという切迫した必要性に取り憑かれていたので、ワシントンは戦時の指導者たちと皇室のメンバーと金融のエリートたちが、十二のアジアの国々を破壊し、窮乏状態に陥れたことに関して、いかなる責任からも免責した。わずかに日本の戦争中のエリートたちがスケープゴートとして死刑に処せられた。幾人かは指導者たちの安らぎのために、責めを負って強制されたり、濡れ衣を着せられた。戦後の占領の終わりの頃には、すべての日本の戦犯は自由の身になった。その中には、一九三〇年代と一九四〇年代に東アジアを縦断して世界で最も大がかりな麻薬取引を指揮していたギャングたちと親分たちが含まれていた。ワシントンは、日本の政府が戦争を始めたその同じ男たちの手に戻ることを見ていた。これはベルリンでナチ党の者たちを元に復帰させることと同等のことであった。日本ではほとんど抵抗はなかった。というのは、すべての反対はアメリカのマッカーシーの赤狩りよりずっと厳しい魔女狩りのキャンペーンのために沈黙させられていたからだ。わたしたちが示すように、日本の極右の再誕生は戦争の略奪品によって資金調達されていたし、日本の財閥によって戦争の間アジアから搾り取られた利益とも協同していた。

 合衆国の占領の始まりから、マッカーサー将軍、トルーマン大統領、ジョン・フォスター・ダレス、そして一握りの別の者たちは略奪品についてすべてを知っていたし、日本のエリートたちが途轍もない富を維持していることを知っていたことは、紛れもない事実である。マッカーサー司令部によって準備され、一九五〇年に発行された占領に関する公式報告の中に、はっと驚く告白がある。
「占領の劇的な仕事の一つは、黄金、銀、宝石、外国の切手、彫刻の原板、そして日本では通用しない通貨などの大量の宝物を集積し管理することを扱ったことである。この富の大部分は集積され、日本の役人によって合衆国軍の管理下に置かれたにもかかわらず、これらの財宝の申告されていない隠し場所が存在することが知られていた」。たとえば、マッカーサーの職員は東京湾に沈められた二十億ドル相当の金塊のことを知っていた。この金塊は後に回収された。

 一九四六年に合衆国諜報部によって発見された別の大きな財宝は、暗黒世界の親分児玉誉士夫によって集められた百三十億ドルの戦時略奪品であった。児玉は帝国海軍の「本当の海軍大将」として、中国と東南アジアで「黄金の百合」作戦に従事していたのだが、アジアの暗黒世界とヤクザからの略奪を担当していた。戦後、巣鴨刑務所から出所するために、また戦犯として起訴されるのを免れるために、児玉はCIAに一億ドルを渡した。そして、これはM資金に加えられた。児玉はそれから、個人的に二つの政党を創立する資金を出した。その二つの政党は合併して、日本を支配する自由民主党となった。また、自由民主党は今日まで、ワシントンから強力に援助されている。

                   ●

 日本が戦争で略奪した黄金をサンティが極秘に取り戻したことに関する動かしがたい証拠は、アメリカで法的に正当な活動から得ることができる。サンティの遺言検認を申請すること、ニューヨーク、アルバニーで彼の納税記録の立証証明をとること、そして合衆国とスイスと香港その他に預金されていた彼の財産の法的な証拠を押さえるなどの簡単なことで、世界は「黄金の百合」に発した秘密の銀行の財産にあふれているという動かしがたい証拠が提供される。

 後で見ることになるのだが、サンタ・ロウマーナーが一九七四年に死んだ時、彼のもっとも大きな黒い黄金の預金の幾つかがエドワード・G・ランスデイル少佐の名前にすぐに書き換えられた。このランスデイルは三十年前の一九四五年に、サンティと一緒に小島少佐を拷問した男だ。一九七四年の時点では、ランスデイルはCIAを退職してから十年以上経っていた。そして、私的な軍事と諜報の会社を設立することによって、アメリカの新しいネットワークを作る事に関して、ランスデイルと他の元諜報員や将校たちが果たした役割を認識することによってのみ答えがでる錯綜した問題を残した。

 この好奇心をそそる物語に結びつく、多くのまた別の有名な名前がある。長期間シティ・バンクのCEOであったジョン・リードは、サンタ・ロウマーナーの黒い黄金の進展において鍵となる人物として、関連する幾つかの訴訟にも名前が出てくる。それらの訴訟を手助けした者の中に、サンフランシスコの弁護士メルビン・ベリがいた。『ラスベガス・サン』の編集者に書簡で、ベリは「私は今世界中で幾つかの非常に重要な銀行が[サンタ・ロウマーナーのために]お金を預金したことを確信している」と言った。ベリの訴訟をちょっと読んでみよう。「被告人ジョン・リード、被告であるシティ・バンクの会長でCEOは、[サンタ・ロウマーナーが」所有していた金塊の換金においてシティ・バンクの先棒を担いだ・・・・リードとシティ・バンクは上記の金塊をバイヤーに組織的に売ってきたし、今も売っている。そして自分たち自身の使用のためにその売買を兌換している」。

 別の訴訟が「黄金の百合」の略奪品が実際にフィリピンに隠されていたことを証明している。ロゲリオ・ローハースはフィリピンの錠前師で、山下の司令部が置かれていたバギオの山のリゾート地の病院の裏にあるトンネルの中に隠されていた、一トンの重さの黄金でできた仏像一体と数千の小さな金塊を見つけた。ローハースが見つけたことを聞いて、すぐにマルコス大統領は黄金の仏像を押収するために暴漢を送りつけた。ローハースが抵抗すると、彼は逮捕され、拷問を受け、最後には毒殺された。一九九六年に、ハワイ州の合衆国法廷は、マルコスの財産に対して四百三十億ドルの支払いを相続者に対して言い渡した。これは歴史上最高額の市民に対する罰金である。

 マラカニアン宮殿で発見された記録は、一九六八年にマルコス大統領は協同で発掘する取引をするために、軍の将校たちのチームを日本に派遣したことを記している。そのチームのメンバーによると、彼らは一人の皇子「高い位の日本人の将校・・・天皇裕仁の従兄弟」に会った。彼は日本はフィリピンに一千億ドル以上の価値がある財宝を隠した。そして、それを全部取り戻すためには「一世紀以上」かかるだろう、と述べた。

 関連した法廷闘争として、元合衆国法務省長官ノーベルト・シュライのものがある。彼は日本のM資金についてあまりに多くの質問をしたことで、合衆国財務省によって訴えられたことに対して、自分の生存を賭けて闘わねばならなかった。シュライは起訴され、告訴され、破産させられ、そしてM資金を基盤とした金融的な証明書を換金しようとしたとして、専門家として破滅させられた。しかし、その一方、元国務長官アレクサンダー・ヘイグは―目撃者によると―日本へ行き、大統領ジョージ・H・W・ブッシュの親書の助けもあって、同じ証明書で換金することに成功した。一人の男は成功し、もう一人の男は破滅させられた理由は、ワシントンと東京の間の金融的な共謀のぞっとする話の一つである。

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 わたしたちは「黄金の百合」について引用された、巨額のドルの価値について深く懐疑的になっていた。公的には、延べ棒や貨幣や宝石を含んで、世界には約十三万トンの加工された黄金しかないと言われている。公式の記録では、アジアは世界の人口の七十五パーセントを有するが、世界中の黄金の五パーセントか所持していないとされる。一見しただけで、馬鹿げている統計だ。しかし、少なくとも西洋では、黄金の法則はあたかも重力の法則みたいに、やかましく言って教え込まれる。事実、誰もどれだけの黄金があるのか、本当のところは知らない。新世界からどれだけの黄金が略奪されたのか知らない。なぜなら、黄金が一旦、ヨーロッパに着いたら、そのほとんどがメキシコとペルーを占領するのに資金を出したフガ家やヴェルザ家等のヨーロッパの銀行家たちの家族に届けられるからだ。フガ家やヴェルザ家の者たちが黄金を用いてどんなことをしようと、彼らはそれを極秘にする。クルップ家、ロスチャイルド家、オッペンハイマー家、ウォーバーグ家、あるいはロックフェラー家のような一族の本当の富を知る方法はない。しかしながら、彼らが長い間非常に金持ちであり、その富は利口な方法で多数に分散されていることはわかっている。一兆ドルと言えば多いと聞こえるが、エコノミストは今日、金持ちの手には約二十三兆ドルあると告げる。そして、そのほとんどは海外の個人的な預金として眠っている。そこでは、銀行の守秘義務とその国の法律で、徴税人や配偶者や依頼人からこれらの資産を隠すことになっている。わたしたちは偉大なアジアと中東の王室の黄金の保持、貿易のネットワーク、そして暗黒世界のシンジケートについてほとんど何も知らない。西洋の巨頭は自分の銀行と石油会社と政府に対する影響力あるいは支配を所有しているかもしれない。しかし、富裕なアジアの人たちは決して政府や銀行を信用しない。むしろ、小さな黄金やプラチナの延べ棒、あるいは宝石にすることを好む。中国では、この絶対的な不信は数千年も遡る。アジアで二千年以上絨毯の下に押し込まれていたものは、西洋の銀行(そして、わたしたちが知っている黄金の市場)が存在するようになった、たかだかこの三世紀以降の合衆国とヨーロッパの銀行に預金されていたものより、ずっと大きかったということは確認できる。合衆国政府は、政府がどれだけの黄金を所持しているかを公表することを拒否しているし、一九五〇年代初期のノックス基地の最終的な公的な会計検査を公表することも拒否している。簡潔に言えば、黄金は世界最大の秘密である。これに対するいい理由がある。

 この本の要点はどれだけ盗まれたか、どれだけ隠されたか、どれだけ極秘に取り戻されたか、あるいはどれだけが今後発見されるか等を考えることではない。嘘と欺瞞のために、完全な詳細は決して知り得ない。

 この本で、注釈で、九百メガバイト以上の文書、写真、地図、別の画像を含む二つのCDの中で、わたしたちは巨大な量の戦争で奪われた黄金がシティ・バンク、チェース、香港上海銀行、「ユニオン・バンク・スイス」、その他の世界的な銀行の金庫の中に、今日も維持されているという確実な証拠を提供する。わたしたちは手紙の写真コピー、契約書、貨物運送状、州政府の納税記録、保険の担保、そして「ブラック・イーグル・トラスト」を運用したブローカーたちとのインタビューを提供する。

 わたしたちは極秘の信託がマッカーサー将軍と彼の旧敵天皇裕仁によって協同して支持され、日本の三和銀行で設立された方法に関して証拠書類を提供する。この取引は裕仁の年号にちなんで昭和信託として知られているが、非常に大きかったので、一九八二年までに一年間にほぼ十億ドルの利子を払っていた。わたしたちはまた三つの昭和信託の一つを確認した。そして、わたしたちはどのようにしてマルコス大統領がこの取引を知ったか、そしてこれを使って日本政府にブラック・メールを送ったかを示す。

 わたしたちは陸と海で展開された主な戦後の黄金の発掘作戦の記録と写真を持っている。サンタ・ロウマーナーとランスデイルは一九四五年から一九四七年までに、財宝の場所を発掘したにすぎない。十年間に日本人が個人で、あるいは集団で財宝を取り戻すためにフィリピンに戻ってきた例のように、別の重要な発掘がなされた。

 わたしたちはアメリカの鉱業の専門家で冶金学化学者ロバート・カーティスによって二十五年以上にわたって制作され収集された約六万点の資料と数百時間に及ぶテープとビデオテープからなる記録を独占的に使用する許可を得た。彼はテレサ2からマルコス大統領のために八十億ドルの金塊を実際に発掘した。マルコスからほとんど暗殺されそうになった後にフィリピンを飛び出し、カーティスはその財宝を記録する歴史的な重要性に夢中になった。マルコスのために五つの主要な「黄金の百合」の発掘の工学に関与する過程で、カーティスはマニラの内外で個人的に多くの場所を研究することができた。それは、彼に「黄金の百合」の技術者たちによって使われた技術に関して並ぶ者が居ない理解を与えてくれた。

 マルコス大統領と一緒に働いていた数ヶ月間、彼は百七十五あるうちの百七十二の財宝の地図を写真に撮った。わたしたちはCDに幾つかの地図を再生している。

 わたしたちはまた、オプテンノールト号によって日本が取り戻した話を告げる。捕獲されたオランダの客船が病院船を装って財宝を安全に日本に運ぶために、「黄金の百合」で使われた。一九四五年、この船は日本に戻って舞鶴の海軍基地の近くで、黄金とプラチナを積んだまま日本の海軍将官たちによって沈められた。その財宝は一九九〇年代初期に取り戻された。日本人が回収した船の名前と、オーストラリア人が回収した船と潜水艦は、一人の関係者によって撮られた写真にすべてはっきりと見ることができる。

 ここに含まれるものには、合衆国政府の高官たちとペンタゴンの将校たちのグループが、「ジョン・バーチ協会」、統一教会、そして極右のギャングたちと提携して、自分たちが監督支配できる新しい私的なFBIと軍産複合体を創設するために、「黄金の百合」の財宝をどのように使おうとしたかを示す手書きの手紙と図表がある。これは一九八七年に香港での会合を録音したテープによって確認される。この会議には、レーガン大統領の国家安全保証会議の(メンバーで)退役した合衆国陸軍ジョン・シングローブ将軍とロバート・シュバイツアー将軍が参加していた。彼らの常識から考えるとそうなるのかもしれないが、日本人が一九四二年に金塊を隠すために同じような穴を掘ったという誤った信念に基づいて、どのようにして、彼らのグループがマニラの近くの台所の下に、四百フィートの深さの穴を掘ろうとしたかを読者に示そうと思う。この穴が三百フィート以上になると、水面下になった。そこで、将軍と大佐たちは、その財宝を掘り出すために、合衆国海軍の深海作業ができる潜水夫と減圧器を持ってきた。何ヶ月も骨折った挙げ句、また百億ドル以上もの費用がかかったのに、彼らは何も手に入れることができずに、あきらめた。

 わたしたちは、なぜ同僚の評価と十分な情報公開が緊急に必要とされるかを示す同じような奇怪な間違った冒険の幾つかを詳しく話す。

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 ホロコーストの犠牲者がスイスの銀行によって隠された資産を取り戻すために、フォルクスワーゲンのようなドイツの会社での奴隷労働の補償を勝ち取るために、そして家庭や職場から盗まれた美術品の所有権を取り戻すために、ほぼ六十年を要した。日本の占領五十周年を契機に、彼らの成功は、別の犠牲者たちが補償を求める根拠の確かな要求をすることを勇気づけた。これは前例のない犠牲者たちの共闘を導いた。

 この最後の太平洋戦争の闘争は、カリフォルニア州の裁判所で行われていた。そこに、生き残った戦争捕虜、奴隷労働をさせられた人たち、慰安婦、そして市民の犠牲者が戦後非常に奇妙なことに否定された補償を勝ち取るために、数十億ドルの訴訟をおこした。一九九五年、太平洋戦争の七十万人の犠牲者が依然としてまったく補償されていないと見積もられていた。加齢と病気のために、その数は急速に減少した。彼らの背後には、活動家と法律事務所の途轍もない連合がある。英国は沈黙させるために、犠牲者に一時金を支払うことによって、法律的な発見のこの潮流を回避しようと試みた。

 ワシントンはカリフォルニア州の訴訟を連邦裁判所に移すことによって、異なる対処をした。そこで、彼らは政治的な圧力と政府の使者の介入によって阻止された。国務省と司法省は一九五一年の平和条約第十四条を使って、戦争捕虜と犠牲者が三菱、三井、住友のような莫大な富を持っている日本の会社を訴えることを阻止した。二〇〇〇年六月の合衆国上院公聴会で、ユタ州選出のオーリン・ハッチは国務省と司法省の弁護士に対して、一九五一年の平和条約が犠牲者のすべての権利を放棄しているという彼らの主張の合法性に挑んだ。「あなた方は我々の連邦政府は『おまえなどくたばれ。バターンの死の行進、誤った扱い方をされた人たちへ、我々はすべてのあなた方の権利を進んで放棄しようとしているところです・・・』という意味のことを言っているのですよ。憲法上、わが政府が条約ではこうなっていると言うだけで、個々の市民の権利を取り上げることが果たしてできるのか・・・? 我々は日本政府に支払えと言っているのではない。我々はその行為をした企業に支払えと言っているのだ。これらの企業の幾つかは現在、数十億ドルの会社なのだ」。

 このような情熱を込めた訴えにもかかわらず、二〇〇〇年九月に合衆国選挙区裁判所判事ボーン・ウォーカーは、戦時捕虜と別の奴隷労働に対して反対の裁定をした。ウォーカーは「戦後からアメリカと日本の間に存在する外交的な同盟を覆すことは危険である」と言って、訴訟を却下した。

 三人の元合衆国日本大使はそれから、『ワシントン・ポスト』に一通の手紙を載せた。彼らは、これらのアメリカの前戦時捕虜と弁護士たちは事実上のテロリストであるという仰天させるような主張をした。

 本当の問題点は利害の争いである。クリントン政権の間の合衆国日本大使トーマス・フォーリーは、「平和条約は日本に対するすべての訴えを無視する」と主張して、戦時捕虜と奴隷労働の補償を断固として拒絶した。彼の副大使クルストファー・J・ラフラーはことあるごとに、このドグマを繰り返した。

 フォーリーの妻は住友から高給を貰っている顧問であったことが、犠牲者の利害に関わる問題だった。住友は日本の最大の財閥で、巨大企業の一つであり、戦時中の奴隷労働に深く関わった訴訟の標的だった。フォーリーが大使としての任を終えてアメリカに帰国するやいなや、彼は別の巨大企業三菱と、顧問とロビイストの契約書にサインした。三菱は戦時中の奴隷労働者の最大の使用者の一つであった。

 おそらく、最も重大な意義があることは、ラフラーは元首相で大蔵大臣の宮沢喜一の娘と結婚していたことだ。宮沢はジョン・フォスター・ダレスと一九五一年の条約について極秘に交渉していた日本人の三人の内の一人であった。(宮沢はまた、ローシエル教授とその他の者から、M資金の金融的な監督官と見られていた)。利害を巡る紛争は、東京との外交的な約束の障害になっているようには見えない。

 今日、国会の公聴会と一般会計局調査を有利にするために、東京とワシントンの間の金融的な共謀の十分な証拠がある。半世紀に及ぶ外交的な嘘と欺瞞と隠蔽の後に、国家機密というイチジクの葉を剥ぎ取る時がきている。国家機密とは暴政の狡猾な一つの形である。議会のため、アメリカの人々のため、民主主義の原理そのもののために、ワシントンは十分に狡猾でない説明をする義務を負っている。

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 バタンガス州のマニラから海岸へ下ったすぐの所に、劇的な財宝があった場所がある。いつの日か、そこは「黄金の百合」のテーマ・パークになるかもしれない。最近、幾度か日本人による発掘の努力がなされた目的の地であった。南シナ海を望みながら、ここは「ナバロンの要塞」との名をもらうほどの、多くのトンネルと銃座を備えた岬だった。(わたしたちはその場所を正確に指摘しないように頼まれている)。この地下の複合施設の建設は、フィリピンを長期にわたって占領する戦略の一環として、一九二〇年代早期から日本人によって始められた。それは一九四四年には、財宝で満たされた。その後、そのトンネルの内の三つは、日本人のグループによって開けられた。彼らは金塊を積んだトラックを発見した。彼らはトンネルの入り口でそれを見つけたことで非常に喜んだので、それから先には全く入っていかなかった。奥への通路には何も障害はないようだった。この財宝のすべてはどこから来たのだろうか。そのすべては韓国から始まった。


 
 
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