teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


スレッド一覧

  1. 11(0)
  2. ハーゲンダッツの苦味成分と健康被害(0)
  3. 株暴落を手招きする投資家を絶対許してはいけない!(0)
スレッド一覧(全3)  他のスレッドを探す  スレッド作成

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:1503/3550 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

九州王朝についての考察

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年11月10日(日)16時21分25秒
  通報 返信・引用 編集済
  ある読者からメールが届きました。一つは

http://www.geocities.jp/waikoku/index.html

もう一つは

http://www.geocities.jp/ojyaru_24/

「九州王朝」については、今やその存在を疑う人はいません。どこにどういう風に存在したか、その歴史はどのようであったかという事実を、誰が正確に把握することができるか、という問題のみが残された課題です。

「倭国」の「筑紫豊王朝」が、六六三年の、「唐」「新羅」との白村江の戦いで、大敗北を喫し、解体します。
その時に、先に、六四五年のいわゆる大化改新で、大和州の蘇我氏を倒して、「天皇の治める国」としていた大和洲「日本国」へ、中大兄皇子(天智天皇)、大海人皇子(天武天皇)は避難し、六六七年、近江朝「日本国」を創始します。

国名は「旧唐書」に、「倭國自ら其の名の雅ならざるを惡(にく)み、改めて日本と爲す」とあるように、「倭国」自らが、「日本国」を号しました。

天智天皇が亡くなり、後を天武天皇が継ぎます。
天武天皇は、その国史を編纂するために、太古より連綿と続く「筑紫・豊王朝」の歴史書「帝紀・旧辞」を元に、日本列島全国史「古事記」「日本書紀」に変換しました。地名は「筑紫・豊国」の、元の地名を、列島各地に拡大コピーしました。

それと.....

参考:「君が代」の歌詞を持つ「かりすなどり祭」
http://tizudesiru.exblog.jp/14013549/

「君が代」ゆかりの三社参り
http://lunabura.exblog.jp/tags/%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3/

「君が代」と九州王朝
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosak26/furutawa.html

管理人注:天武天皇と天智天皇

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1689

関連記事

失われた九州王朝

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1842

在日大嫌い北朝鮮大好きな人へ

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/2158

日本に渡来したイスラエル族

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1040

君が代はユダヤ国歌だったのか

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1425

豊国文字とサンカ

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1661

赤い盾混血八咫ガラス

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1699

泉湧寺の謎

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1696

近畿の弥生遺跡で九州の土器片

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131116-00000507-san-soci

弥生時代を代表する集落跡の「唐古(からこ)・鍵(かぎ)遺跡」(奈良県田原本町)から出土した土器片が、同時代中期中ごろ(約2200年前)に九州北部で作られた土器と判明し、町教委が15日、発表した。同遺跡を含む近畿の弥生時代の遺跡から九州の土器が確認されたのは初めて。専門家は「瀬戸内海を通じて直接交流があった可能性がある」としている。

 須玖(すぐ)式と呼ばれる土器の破片で、甕(かめ)の口縁部(こうえんぶ)にあたる。長さ13センチ、幅5・3センチ。昭和63年に出土し、今回、土器の再整理作業中に確認された。

 須玖式土器は、筑前(ちくぜん)地域(福岡県)で出土する弥生時代中期の土器。口縁部をL字形に折り曲げ、赤く彩色する特徴がある。

 唐古・鍵遺跡では、これまで出土した土器の西限は吉備地域(岡山県)。逆に九州側から見た場合も、弥生時代中期の九州の土器が出土した東限は吉備地域だった。町教委の担当者は「広域交流の可能性を示し、問題を提起する土器」としている。

 土器片をみた田崎博之・愛媛大教授(考古学)は「たとえ出土したのが1点でも、当時の広域交流を考える上で重要な意味を持つ」としている

 土器片は16日~12月23日、町内の唐古・鍵考古学ミュージアムで展示される。

琵琶湖岸から不思議な力を示す祭祀遺跡が

http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/130924/lif13092420360035-n1.html

 土の中から忽然(こつぜん)と姿を現した一対の石は、国内に存在しないタイプのデザインが刻まれた短剣の「鋳型」だった-。滋賀県高島市安曇川町三尾里の上御殿遺跡で見つかった弥生時代中期-古墳時代初め(紀元前4世紀~紀元3世紀)の製作とみられる短剣の鋳型は、春秋戦国時代(紀元前770~221年)の中国北方に分布する短剣に似ていたため、青銅器文化の新たな伝来ルートを示す大発見として一躍関心を集めた。

 だが、それだけではない。この遺跡の古代の河川跡からは、人や馬をかたどりけがれを清める祭祀(さいし)具「形代(かたしろ)」が大量に出土したり、特定の人物名を7回書き連ねた甕(かめ)が見つかったりと“不思議”な力の存在がうかがえるような遺物が相次いで見つかっているのだ。研究者たちは、この遺跡周辺が古い時代から連綿と続く「水辺のパワースポットだった」とみて、今後の調査成果に熱い視線を注いでいる。(小川勝也)

 ■「偽物かと思った…」

 今回見つかった鋳型には、柄の先に円形の装飾が2つ並ぶ「双環柄頭(そうかんつかがしら)短剣」と呼ばれる形が彫り込まれていた。これは、春秋戦国時代に中国・華北地方や内モンゴル地方で、騎馬民族が武器などとして使っていた「オルドス式短剣」に酷似していた。

 日本に銅剣文化がもたらされたルートは、朝鮮半島を経て九州北部に伝えられた、というのが定説。しかし、オルドス式短剣は日本だけでなく朝鮮半島での出土例もないことなどから、この鋳型の発見で、中国大陸から日本海を経て直接もたらされたとする新たなルートが浮上した。

 研究者からは「『偽物じゃないか』とさえ思った。それほど信じられない発見だ」「こんなものが銅剣の出土例が少ない近畿から出るとは…」など驚きの声が相次いだ。

不思議な遺物続々…

 上御殿遺跡は、高島市の南部を東西に流れる鴨川の北側に広がる。古代の琵琶湖にあった港や主要幹線だった北陸道が走り、古くから北陸と近畿を結ぶ交通の要衝として、人々の交流が盛んな場所だったと考えられている。

 「人が集まる場所には災いやけがれも集まるとされる。この付近は清めの儀式などを行う場所だったのではないか」。遺跡の調査に当たる県文化財保護協会の中村健二副主幹が言う。

 発掘調査は河川改修に伴って平成20年度に始まり、古墳時代から中世の初め頃まで流れていたとされる河川の跡が見つかった。

 人物名が7回書き連ねられていた土師器(はじき)の甕は、奈良~平安初期の河川跡から出土。甕に書かれていた「守君舩人(もりのきみのふなひと)」は、水の祭祀をつかさどる人物だったとされた。ただ、名前を繰り返し記した土器は過去に例がなく、中村さんは「複数回書く意図がわからない」と首をひねる。

 古墳時代の腕輪「石釧(いしくしろ)」も見つかった。石釧は当時の貴重品だったため、邪馬台国の有力候補地・ヤマト(奈良)からの影響を受けた祭祀が執り行われていた可能性も指摘された。

 このほか、まじないに使われた人や馬の形をした形代も大量に出土。この中には人の表情をユーモラスに描いたものもあった。

 県立大の林博通名誉教授は「聖なる川が古くから流れ、古代から連綿と続く思想と観念が受け継がれてきた土地だったのだろう。これだけ祭祀の遺物が出る遺跡は珍しい。日本の祭祀や政治、国の成り立ちを考える上できわめて重要な遺跡であることは間違いない」と強調する。

争奪の歴史繰り返す近江

 琵琶湖の水運、北陸や東海地方と畿内を結ぶ交通の要衝、そして肥沃(ひよく)な土地-。戦国時代には「近江を制する者は天下を制す」と言われ、さまざまな戦いが繰り広げられたように、近江の地は常に大国や権力者がのどから手が出るほどほしがる土地だった。

 弥生時代にも、邪馬台国と対立した濃尾平野の大国「狗奴(くな)国」に挟まれ、激しいせめぎ合いの舞台となった。こうした歴史的な背景も、謎の多い遺物の意味を考えるカギになりそうだ。

 奈良文化財研究所の難波洋三・埋蔵文化財センター長は「発掘された遺物などの調査が進み、より多くの情報が集まれば、さらに興味深い発見につながるだろう」と期待を込めた。


邪馬台国と大和朝廷

http://www2.odn.ne.jp/hideorospages/yamataikoku.html

http://

 
 
》記事一覧表示

新着順:1503/3550 《前のページ | 次のページ》
/3550