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卑弥呼のルーツ

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年12月 3日(火)11時29分36秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=0NGWWKlpLP8J&p=www.geocities.jp%2Fojyaru_24%2Fhimikoroot.pdf&u=www.geocities.jp%2Fojyaru_24%2Fhimikoroot.
pdf#search=%27www.geocities.jp%2
Fojyaru_24%2Fhimikoroot.pdf%27

HTMLで見る

卑弥呼は鏡と共に、天の香具山=北九州豊国の鏡山に眠る。
本書から、真の古代史研究の第一歩がスタートする。

PDFで見る

www.geocities.jp/ojyaru_24/himikoroot.pdf

邪馬台国九州説

http://www.geocities.jp/ojyaru_24/

智導世津翁 逆転の 古代史地動説!!!

「邪馬台国九州説」の決定版!
「倭国」九州「筑紫・豊国」王朝が、七〇一年大宝律令で正式に、「日本国大和王朝」に継承された。そして「日本国」のルーツは「豊国」にあった

注:大宝律令

http://note.masm.jp/%C2%E7%CA%F5%CE%A7%CE%E1/

 魏志倭人伝に表れるあの有名な卑弥呼は、記紀には、何故か、名前のかけらすら登場しない。
 しかし、智導世津翁の調査では、別名で5名登場する。
 その5名の居場所を調べると、全て筑紫の「豊国」であった。
 「豊国」とは、魏志倭人伝では、「奴国」「不弥国」「投馬国」「邪馬壹国」を含む大国であることが解った。隋書倭国伝では、最終目的地の「十余国=トヨ国=豊国」である。
 さらに、伝承や万葉歌を元に調べていくと、「豊国」に、宇佐島、大隅島、ヒアカル宮、葦一騰宮、カシハラ(香春)、豊浦宮、などがあったことが解った。
 そして、万葉歌から、「天の香具山」=「豊国の鏡山」であることを、発見した。
 そして、遂に、その「豊国の鏡山」の、鏡のように磨き上げられた岩戸の内に、卑弥呼が葬られていることを発見した、のである。
 その「豊国の鏡山」を、「豊国」の中に、遂に特定することができた。

本ホームページは、智導世津翁の尊敬する推理の迷人「迷探偵」と、「智導世津翁」の二人の問答形式で、古代史の色々な問題を研究し、解決してまいります。

研究のターゲットは究極的には、地球的な規模の大異変・大洪水の後の、紀元前の神話の時代から、六六三年の白村江の大敗北が元で、「倭国」が解体するまで、「日本列島を掌握する王朝が連綿として、『筑紫の豊国』にあった」という「命題」です。

「九州王朝」については、今やその存在を疑う人はいません。どこにどういう風に存在したか、その歴史はどのようであったかという事実を、誰が正確に把握することができるか、という問題のみが残された課題です。

「倭国」の「筑紫豊王朝」が、六六三年の、「唐」「新羅」との白村江の戦いで、大敗北を喫し、解体します。
その時に、先に、六四五年のいわゆる大化改新で、大和州の蘇我氏を倒して、「天皇の治める国」としていた大和洲「日本国」へ、中大兄皇子(天智天皇)、大海人皇子(天武天皇)は避難し、六六七年、近江朝「日本国」を創始します。

国名は「旧唐書」に、「倭國自ら其の名の雅ならざるを惡(にく)み、改めて日本と爲す」とあるように、「倭国」自らが、「日本国」を号しました。

天智天皇が亡くなり、後を天武天皇が継ぎます。
天武天皇は、その国史を編纂するために、太古より連綿と続く「筑紫・豊王朝」の歴史書「帝紀・旧辞」を元に、日本列島全国史「古事記」「日本書紀」に変換しました。地名は「筑紫・豊国」の、元の地名を、列島各地に拡大コピーしました。

何故、国史編纂で、こういう作業をしたか、と言いますと、近畿大和には元々、朝廷の歴史がなかったからという理由と、もうひとつのさらに大事な理由は、「倭国」の事々を後世に伝えていきたいという思いからです。
そこで、「筑紫の豊国」の帝紀・旧辞をソックリそのまま使用して、近畿大和が悠久の歴史を持ったかのように、「古事記」・「日本書紀」に編纂し直し、同時に、「倭国」の事々を和(倭)風文化として永久に伝えていったのです。
よって、記紀に記された地名の、本籍地を探れば、祖先の原郷=筑紫の豊が解ると言うわけです。

勿論、地名をソックリ、コピー移動して、近畿大和に、古代から王朝が存在したように見せかけても、それによって来る矛盾は、いくら上手に隠しても、いかんともしがたく、「近畿大和王権一元史観」から見る限り、記紀は「矛盾」だらけです。
世間では、その「矛盾」を「謎」だと言っていますが、「謎」ではなく、「矛盾」なのです。
そして、これら古代からの貴重な記録を正しく読み解くのが、我々に課せられた使命だと考えます。

関連記事:卑弥呼の舞

http://blog.livedoor.jp/nanamihantaro/archives/cat_103770.html

卑弥呼関連

http://blog.livedoor.jp/nanamihantaro/archives/cat_0246.html

卑弥呼の墓

http://blog.livedoor.jp/nanamihantaro/archives/267728.html

卑弥呼墓:高倉神社古墳
http://ping.blogmura.com/xmlrpc/yagowiecx341
卑弥呼の墓は、宇佐市長洲にある高倉神社古墳です。

考古学者が140、150mの前方後円墳と推定しています。径百歩は、長さを示し、144m余りです。

現在、前方部だけが残っています。

墓の位置・図版

http://sky.geocities.yahoo.co.jp/gl/nanamihantaro


 
 
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