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ナグ・ハマディ文書

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2013年12月 4日(水)10時15分17秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/gnousisu/naguhamady.htm

1945年12月、エジプト南部に位置するナイル河畔の町、ナグ・ハマディ付近で、一人のアラブ人農夫によって発見された。彼らは肥料に使う軟土を掘り出すために、ナグ・ハマディ郊外へと出かけた。そこは150以上の洞窟がある山で、エジプトの長い歴史の中で、墓場や修道院に使われた場所だった。そこを掘っていると偶然、赤い素焼きの壺が出てきた。好奇心に駆られた彼らは、それを割ったところ、中から出てきたのは、ボロボロになったパピルスの写本の束だった。
 彼らはそれを竈の燃料に使っていたのだが、とある事情(そのアラブ人農夫は父親の敵討ちのために殺人を犯し、警察に睨まれており、家宅捜索で没収されるのを恐れた)から、その本を知人のキリスト教神父に預けた。その神父の友人の歴史教師が、この写本の価値に気づいた。
 この写本は、そのまま古美術品のブラックマーケットに流されてしまい、転売に次ぐ転売をされ、さらに一部の学者の独占欲により死蔵されるなど、恐ろしく複雑でやっかいな経緯を経て、発見から実に30年以上もたって、ようやくその全貌が明らかになったのである。

 この写本は、13冊の本にまとめられている。そして、それは52の文書からなる。
 これは学者達の手によって、大きく4つに分類されてる。

 一つ目は「新約聖書外伝」である。
 正統派(?)のキリスト教会は、群雄割拠していた数多くの新約聖書の中から27の文書を「正統」とした。この選抜から漏れてしまったものを「新約聖書外伝」と呼ぶ。
 ナグ・ハマディ文書には、多くの「外伝」が含まれていた。その多くは「トマスによる福音書」、「ピリポによる福音書」、「エジプト人福音書」などのグノーシス派の新約聖書である。
 ナグ・ハマディ文書の半分以上が、このグノーシス派の新約聖書である。
 他にも「ペトロと十二使徒行伝」や「シルウァイスの教え」等のグノーシスでは無い外伝も若干混じっていた。

 二つ目は、キリスト教とは無関係のグノーシス文書だ。
 中には「アダムの黙示録」、「セツの3つの教え」等の旧約聖書絡みのグノーシス文書もあるが、大部分は旧約とすら関係が無いものが多い(とは言うものの、キリスト教的な加筆が成されている)。「雷・全きヌース」、「シェーム釈義」、「マルサネース」などが挙げられる。

 三つ目は「ヘルメス文書」である。
 宇宙の流出による創造を説いた「アスクレピオス」の他、「第八のものと第九のものに関する講話」や「感謝の祈り」等、グノーシス派のヘルメス文書がある。

 四つ目は、キリスト教ともグノーシス派とも関係ない書物、要するに、「その他」である。
 プラトンの著書や、格言集などだ。

 そもそも、このナグ・ハマディ文書の持ち主とは何者だったのか?
 これは謎に包まれている。
 既に、発見された場所が、土中の壺の中と言うちょっと異常な場所だ。これは、意図的に埋められた、つまり隠された物である可能性が強い。
 現在、最も有力な説は、発見場所の近くに「パコミウス共同体」と呼ばれる原始キリスト教の修道院が存在したことが分かっている。ここは、正統派(?)ともグノーシス派とも、明確な区別の付かない共同体であったらしい。367年にアレクサンドリアの司教アタナシオスが、「正伝の27文書」以外の新約聖書は全て焼き捨てよ、と言う命令をエジプト中の教会に発令した。この時、そこに居たグノーシス派の修道士の一人が、この知識を守るために、これらの本を埋めて隠したのではないか? と推測されている。

 ナグ・ハマディ文書の原本は、ギリシャ語で書かれ、それがコプト語に翻訳された。
 このコプト語文書の成立は、おそらく3世紀後半から4世紀初頭と考えられる。

 このナグ・ハマディ文書は、「トマスによる福音書」が含まれる。確かに、ナグ・ハマディは、現在の新約聖書成立の謎を解く鍵を含んではいる。だが、「トマス福音書」は、イエスの生の言葉にさほど近いものではないらしい。
 いや、「トマス福音書」は、思いっきりグノーシス主義の産物だ。原始キリスト教の大本と考えるには無理がるあるように思える。
 グノーシス派の聖書は、キリスト教の新約聖書の形を取ってはいるが、いわゆる正統派(?)の新約聖書とは、その思想が大きく異なっている。
 そもそも、キリスト教では、「神」と「人間」は、全くの他者と規定している。これに対してグノーシス派の福音書は、これを否定する。自己認識は神の認識である。人間と神は実は同一なのだ、と説く。
 また、グノーシス派の「新約聖書」は、罪と悔い改めを説かない。イエスとは、人間を罪から救うために降臨したのではなく、人間に霊的な知識を与えてくれる導師として来たのだ、と主張する。そして、弟子が霊的に覚醒すると、イエスに仕える必要は無くなる。両者は対等にして同一の存在になるのだ。
 さらに、正統派(?)は、イエスのみが主にして神の子であると考える。イエスと人間は全く別の存在だ。しかし、「トマス福音書」では、トマスがイエスを認めるや否や、イエスはトマスに向かって「私はあなたの先生ではない。」と言い、私はあなたと同じ泉から知恵を授かった存在であり、あなたと私は対等にして同一の存在である、と言い切る。

 このようにグノーシス派は、人間を神の下僕とみなす正統派(?)のキリスト教とは、根本的に異なる。
 神は人間の内部にも存在する。人間は、覚醒することによって、神と合一し得る存在と考えているのだ。
 人間を下僕とみなし逆らう人間は容赦なく皆殺し、と言う恐ろしい存在は、実は「神」ではなく、デミウルゴスと言う堕落した天使にすぎない、と考えるのも当然の帰結だったのかもしれない。


「ナグ・ハマディ文書1~5」 岩波文書
※主なナグ・ハマディ文書の邦訳。カバラ的な天使名が登場するなど、興味が尽きない。
「ナグ・ハマディ写本」 エレーヌ・ペイゲルス 白水社
 
 
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