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イエスの最後の言葉

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年 1月 3日(金)22時45分35秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/death_of_jesus3.html

注;佐倉哲エッセイ集

http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/index.html

十字架につけられたイエスが死の直前、最期の言葉として残したものを福音書は記録しています。ところが、マタイとマルコはその言葉の内容に一致があるのですが、ルカとヨハネは、まったく異なる言葉をイエスの最期の言葉として記録しています。

イエスの最期の言葉

マタイとマルコによると、十字架上のイエスが死の直前語った最期の言葉は「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という、きわめて現実感のともなう、苦悩に満ちた言葉です。

マタイによる福音書 27:46-50
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」という者もいた。そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。他の人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。

マルコによる福音書 15:34-37
三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」という者がいた。ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。

ところが、ルカやヨハネによると、平安と満足感にあるれる、まったく異なった言葉を、イエスの最期の言葉として残しています。

ルカによる福音書 23:44-46
既に昼の十二時頃であった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。

ヨハネによる福音書 19:28-30
この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の預言が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器がおいてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプにつけ、イエスの口元に差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。

このように、福音書は、イエスの最期の言葉に関して、矛盾した記録を残しています。この不一致は、おそらく、初期のクリスチャンのイエスの死に関する理解の変遷を示しているのだ、と思われます。福音書は、イエスの死に際して、その弟子たちは逃避したことを記しています。教祖の死という絶体絶命の危機に面したわけです。この事態を代表するのがマタイとマルコが残した「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉(詩編22からの引用)でしょう。ところが、やがて、イエスの復活の信仰がはじまり、それにともなって、イエスの死が、イエスの宗教運動の敗北ではなく、神の意志によってあらかじめ定められた、救いのために必要な犠牲であった、という解釈が持ち込まれるようになります。この段階を示すのが、ルカの残した「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」というイエスの言葉であり、ヨハネの残した「成し遂げられた」と言うイエスの言葉です。つまり、イエスの死は敗北ではなく勝利であった、という新解釈です。このような新解釈が、イエスの口に別の言葉を語らせる結果となったのでしょう。

関連記事;グノーシス主義はなぜ歴史の舞台から姿を消したのか?

http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/gnousisu/nanika.htm

グノーシス(Gnosis)の意味は、ギリシャ語で「知」あるいは「認識」を意味する。
これには、いくつもの流派があり、また時代の流れと共に複雑な変貌を遂げて行く。

このグノーシス派は、初期キリスト教の異端なのだろうか? いや、もともとグノーシス主義とでも言うべき思想があって、これがキリスト教を取り込んだと言ったほうが正確であろう。
ともあれ、原始キリスト教にあってローマ教会にとっては、このグノーシス派は、大変な脅威だった。それは、当時の教会指導者達の書き残したものを見てもあきらかである。
実際、一時期グノーシス派は大勢力となり、数の上でローマ教会派を上回っていたこともある。また、聖人として列聖されているギリシャ教父の中には、グノーシス派の指導者と目される者も居る。

グノーシス派は、徹底した弾圧により、歴史から姿を消す。残されている書も極度に少なく、その教義を知るためには、当時のグノーシス派の敵が書いた本を参考にしなければならないほどであった。

ところが、20世紀の中ごろに状況は一変する。1945年エジプトのナグ・ハマディの修道院の遺跡から、膨大な量のコプト語で書かれたパピルス写本が発見される。これが、聖書の研究者達にとって、「死海文書」に次ぐ大発見とされるナグ・ハマディ文書である。

グノーシス派が使っていた文書群である。
これによって、グノーシス派の研究は、20世紀に入って飛躍的に発展する。
そしてこれは、新約聖書の成立を調べる上での重大なヒントともなるのである。

さて、グノーシス派とはいかなる宗教、思想なのか?
もちろん様々な諸派があり、その思想は一概には言えない。
だが、新プラトン主義にも通じた流出的宇宙論(アイオーン界、中間界、物質界)を持つこと、霊肉一体の思想を持つこと、自己救済による神との合一を唱えること、などが共通の特徴と言えよう。

そして、「物質」を堕落の結果と考え、「物質」より構成される「肉体」を、「霊魂」の牢獄と考えるのも特徴だろう。
また、善悪二元論を唱えるのも大きな特徴だ。彼らにとって「悪」とは、「善の欠如した状態」ではなく、一つの恐るべき存在として取らえている。ただし、この「悪」は、「善」に打ち勝つことは絶対に出来ない。

また、「聖書」における「旧約の神」と「新約の神」を区別するのも特徴だろう。
実際、恐ろしい「旧約の神」とイエスの説く愛に満ちた「新約の神」は、あまりに違いすぎ、聖書を読む者を悩ませて来たが、グノーシスはそれに単純明快な答えを出したのだ。「旧約の神」と「新約の神」は別人である、と。
「物質は堕落の結果」で「肉体は霊魂の牢獄」と考える彼らにとって、物質の塊りの世界を7日もかけて創造し、土くれからアダムとイブを作った「旧約の神」は、実は「神」ではなく、堕落した強大な天使の一人と考える。彼らは、これをデミウルゴスと呼び、アイオーンの善の光をさえぎる「悪」であるとさえ言う。
また、イエスも肉体をまとった存在としてではなく、霊的な存在としてとらえた。

確かに、このような教義をローマ教会が認めるわけがない。彼らがグノーシス派を、敵視し激しく攻撃したのも、当然の帰結なのかもしれない。

ともあれ、グノーシスは、見かけの上では原始キリスト教の段階で消滅したように見えた。
しかし、その思想は陰花植物のように生き残り、時には激しく爆発さえした。そして、今もなおオカルティズム思想の中に様々な形で影響を残しているのである。

この魅力的な思想について、数章に分けてもうちょっと詳しく書いて行ってみたいと思う。

「グノーシスの宗教」 ハンス・ヨナス 人文書院
「グノーシス」 クルト・ルドルフ 岩波書店
「グノーシスの神話」 大貫降 岩波書店
「原始キリスト教とグノーシス主義」 荒井献 岩波書店
「グノーシス 陰の精神史」 岩波書店

ナグハマディ文書

http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/gnousisu/naguhamady.htm

1945年12月、エジプト南部に位置するナイル河畔の町、ナグ・ハマディ付近で、一人のアラブ人農夫によって発見された。彼らは肥料に使う軟土を掘り出すために、ナグ・ハマディ郊外へと出かけた。そこは150以上の洞窟がある山で、エジプトの長い歴史の中で、墓場や修道院に使われた場所だった。そこを掘っていると偶然、赤い素焼きの壺が出てきた。好奇心に駆られた彼らは、それを割ったところ、中から出てきたのは、ボロボロになったパピルスの写本の束だった。

彼らはそれを竈の燃料に使っていたのだが、とある事情(そのアラブ人農夫は父親の敵討ちのために殺人を犯し、警察に睨まれており、家宅捜索で没収されるのを恐れた)から、その本を知人のキリスト教神父に預けた。その神父の友人の歴史教師が、この写本の価値に気づいた。

この写本は、そのまま古美術品のブラックマーケットに流されてしまい、転売に次ぐ転売をされ、さらに一部の学者の独占欲により死蔵されるなど、恐ろしく複雑でやっかいな経緯を経て、発見から実に30年以上もたって、ようやくその全貌が明らかになったのである。

この写本は、13冊の本にまとめられている。そして、それは52の文書からなる。
これは学者達の手によって、大きく4つに分類されてる。

一つ目は「新約聖書外伝」である。
正統派(?)のキリスト教会は、群雄割拠していた数多くの新約聖書の中から27の文書を「正統」とした。この選抜から漏れてしまったものを「新約聖書外伝」と呼ぶ。
ナグ・ハマディ文書には、多くの「外伝」が含まれていた。その多くは「トマスによる福音書」、「ピリポによる福音書」、「エジプト人福音書」などのグノーシス派の新約聖書である。

ナグ・ハマディ文書の半分以上が、このグノーシス派の新約聖書である。
他にも「ペトロと十二使徒行伝」や「シルウァイスの教え」等のグノーシスでは無い外伝も若干混じっていた。

二つ目は、キリスト教とは無関係のグノーシス文書だ。
中には「アダムの黙示録」、「セツの3つの教え」等の旧約聖書絡みのグノーシス文書もあるが、大部分は旧約とすら関係が無いものが多い(とは言うものの、キリスト教的な加筆が成されている)。「雷・全きヌース」、「シェーム釈義」、「マルサネース」などが挙げられる。

三つ目は「ヘルメス文書」である。
宇宙の流出による創造を説いた「アスクレピオス」の他、「第八のものと第九のものに関する講話」や「感謝の祈り」等、グノーシス派のヘルメス文書がある。

四つ目は、キリスト教ともグノーシス派とも関係ない書物、要するに、「その他」である。
プラトンの著書や、格言集などだ。

そもそも、このナグ・ハマディ文書の持ち主とは何者だったのか?
これは謎に包まれている。
既に、発見された場所が、土中の壺の中と言うちょっと異常な場所だ。これは、意図的に埋められた、つまり隠された物である可能性が強い。

現在、最も有力な説は、発見場所の近くに「パコミウス共同体」と呼ばれる原始キリスト教の修道院が存在したことが分かっている。ここは、正統派(?)ともグノーシス派とも、明確な区別の付かない共同体であったらしい。367年にアレクサンドリアの司教アタナシオスが、「正伝の27文書」以外の新約聖書は全て焼き捨てよ、と言う命令をエジプト中の教会に発令した。この時、そこに居たグノーシス派の修道士の一人が、この知識を守るために、これらの本を埋めて隠したのではないか? と推測されている。

ナグ・ハマディ文書の原本は、ギリシャ語で書かれ、それがコプト語に翻訳された。
このコプト語文書の成立は、おそらく3世紀後半から4世紀初頭と考えられる。

このナグ・ハマディ文書は、「トマスによる福音書」が含まれる。確かに、ナグ・ハマディは、現在の新約聖書成立の謎を解く鍵を含んではいる。だが、「トマス福音書」は、イエスの生の言葉にさほど近いものではないらしい。
いや、「トマス福音書」は、思いっきりグノーシス主義の産物だ。原始キリスト教の大本と考えるには無理がるあるように思える。

グノーシス派の聖書は、キリスト教の新約聖書の形を取ってはいるが、いわゆる正統派(?)の新約聖書とは、その思想が大きく異なっている。

そもそも、キリスト教では、「神」と「人間」は、全くの他者と規定している。これに対してグノーシス派の福音書は、これを否定する。自己認識は神の認識である。人間と神は実は同一なのだ、と説く。
また、グノーシス派の「新約聖書」は、罪と悔い改めを説かない。イエスとは、人間を罪から救うために降臨したのではなく、人間に霊的な知識を与えてくれる導師として来たのだ、と主張する。そして、弟子が霊的に覚醒すると、イエスに仕える必要は無くなる。両者は対等にして同一の存在になるのだ。
さらに、正統派(?)は、イエスのみが主にして神の子であると考える。イエスと人間は全く別の存在だ。しかし、「トマス福音書」では、トマスがイエスを認めるや否や、イエスはトマスに向かって「私はあなたの先生ではない。」と言い、私はあなたと同じ泉から知恵を授かった存在であり、あなたと私は対等にして同一の存在である、と言い切る。

このようにグノーシス派は、人間を神の下僕とみなす正統派(?)のキリスト教とは、根本的に異なる。
神は人間の内部にも存在する。人間は、覚醒することによって、神と合一し得る存在と考えているのだ。人間を下僕とみなし逆らう人間は容赦なく皆殺し、と言う恐ろしい存在は、実は「神」ではなく、デミウルゴスと言う堕落した天使にすぎない、と考えるのも当然の帰結だったのかもしれない。

「ナグ・ハマディ文書1~5」 岩波文書
※主なナグ・ハマディ文書の邦訳。カバラ的な天使名が登場するなど、興味が尽きない。
「ナグ・ハマディ写本」 エレーヌ・ペイゲルス 白水社

ナグハマディ文書を検索すると沢山出てきます。実際聖書の中にもグノーシスを異端視する記述がある。

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%8A%E3%82%B0%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A3%E6%96%87%E6%9B%B8&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=

第二ペトロの手紙には............

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%A7%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%92%E7%95%B0%E7%AB%AF%E8%A6%96%E3%81%99%E3%82%8B%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%8C&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=

ユダの手紙とペトロの第二の手紙

http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/43yuda.html

キリストの栄光、預言の言葉(1・16~21)―聖書の権威

ペトロが確信をもってキリストの力と来臨を伝えるのは、キリストの威光(ご変貌)を聖なる山で目撃したからである(1・16~19)と、イエス直弟子の権威を明らかにして、(旧約)聖書の預言は、聖霊の導きで語られた神の言葉であるから、(グノーシス主義者のように)勝手に解釈してはならないと、戒めます(1・20~21)。

1:20 何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。

1:21 なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。

偽教師についての警告(2・1~22)―人身攻撃

本論に入って、出現する偽教師たち(グノーシス主義者、※7)の行状と運命を預言します。彼らは傲慢にも、キリストの贖いを信じない、無法者なのです(2・1~3a)。

彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。自分の身に速やかな滅びを招いており、 2:2 しかも、多くの人が彼らのみだらな楽しみを見倣っています。彼らのために真理の道はそしられるのです。

ノアの時代の洪水や、ソドムの滅亡などのように(ユダ5~7と同じ)、敬虔な者を救った神は、不信の人々を厳しく裁いて滅ぼした(2・3b~10a)。権威を侮る彼らも同じようになります。

2:9 主は、信仰のあつい人を試練から救い出す一方、正しくない者たちを罰し、裁きの日まで閉じ込めておくべきだと考えておられます。

2:10 特に、汚れた情欲の赴くままに肉に従って歩み、権威を侮る者たちを、そのように扱われるのです。彼らは、厚かましく、わがままで、栄光ある者たちをそしってはばかりません。

そして、大言壮語する彼らへの非難(※9、2・12~19)――理性のない動物、不義、姦通者、強欲、呪いの子、バラムの道、干上がった泉、嵐に吹き払われる霧、深い暗闇、肉欲のみだらな誘惑、滅亡の奴隷などなど――ユダの手紙(12~16)に負けない悪口を長々と述べ、特に一旦信じたのに離反した背教者については、軽蔑を露わにします(2・10b~22)。

2:22 「犬は、自分の吐いた物のところへ戻って来る」また、/「豚は、体を洗って、また、泥の中を転げ回る」と、 その人の状態は前より悪くなると、ことわざを引用します。

関連記事:聖書ものがたり・使徒言行録

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/151.html

コロサイ人への手紙はグノーシス主義的異端(注:グノーシス派は、人間を神の下僕とみなす正統派(?)のキリスト教とは、根本的に異なる。神は人間の内部にも存在する。人間は、覚醒することによって、神と合一し得る存在と考えている)に攻撃されていることを嘆きそれを排除,排撃しキリストを正統派福音の中心とするよう書き送った手紙である。これでパウロはキリスト教の屋台骨となった。ありとあらゆる国のミッションスクールと呼ばれるお嬢様・お坊ちゃん学校でしつこくパウロをやるのはこの理由からである。

聖パウロに捧げられたセントポール大聖堂

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=1&oq=%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB

ヤフー知恵袋..........ロンドンのウエストミンスター寺院とセントポールではどちらが.....

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1061459240

管理人注:とくにGood Fridayではセントポールの数十トンの鐘が気が狂ったように鳴り響く。セントポールに入るにはカネを取られる。パウロがキリスト教の屋台骨である面目躍如たる徴だ。

http://

 
 
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