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無の神の概念と遠藤周作

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年 1月11日(土)17時32分39秒
  通報 返信・引用 編集済
  本?とあるのは嫌がらせですが後で修正します。

追加:修正した記事はブログの方にあります。

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/685.html



下段にありますが『英国映画・マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙(2011)は、「年老いたマーガレットは、既に亡くなっている夫デニスの幻覚と共に生活している」という設定です』......本村 名誉教授の説によれば、古代人は幻視や幻聴を現実のものと認識していた。従って、マグダラのマリアが「復活なされたイエス様に会った」と。
遠藤周作氏は言います。「私は神の存在に疑問を抱いたからといって、それがキリスト者として間違った態度だとは考えていません。信仰というものはそういうものであって、99%の疑いと1%の希望なのですから」と書いている。

公開日: 2011/12/15

映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』予告編  2012年3月16日(金)全国公開
イギリス初の女性首相として強力なリーダーシップを発揮したマーガレット・サッチャー?を、『クレイマー、クレイマー』『プラダを着た悪魔』のメリル・ストリープが演じる人?間ドラマ。1979年の就任以来、強気の姿勢でイギリスを導いて"鉄の女"と称された?サッチャーの誰もが知る姿と、その裏に隠された孤独な一面を繊細に描き出す。監督は、?『マンマ・ミーア!』でメリルと組んだフィリダ・ロイド。サッチャーの夫を、『アイリ?ス』や『ハリー・ポッター』シリーズのジム・ブロードベントが演じる。ハリウッドを代?表する演技派女優、メリルの渾身(こんしん)の演技が見どころだ。
配給:ギャガ
オフィシャルサイトhttp://ironlady.gaga.ne.jp/
(C) 2011 Pathe Productions Limited. Channel Four Television Corporation and The British Film Institute.

イエスの生涯、私のイエス、キリストの誕生(著者:遠藤周作)

イエスの生涯(発行:新潮社、1973 年。新潮文庫、1982 年、490 円)

私のイエス(発行:祥伝社、1976 年。祥伝社黄金文庫、1988 年、514 円)

キリストの誕生(発行:新潮社、1978 年。新潮文庫、1982 年、476 円)

著者の遠藤周作氏(1923-1996)は東京生まれ。幼年期を満州の大連で過ごし、神戸に帰国して、11 歳でカトリックの洗礼を受けた。慶応大学仏文科卒。フランス留学を経て、1955 年「白い人」で芥川賞を受賞。一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題(「沈黙」など)を追及する一方、ユーモア作品(「おバカさん」など)、
歴史小説(「侍」など)も沢山ある。1995 年、文化勲章受章。

私(林久治)の感想文の第1回で、「日本人に贈る聖書ものがたり」(著者:中
川健一)を紹介した。その最後で、私は「旧約聖書や新約聖書に記載されている内
容に対しては、3種類の立場がある」との見解を記載した。

1「著者は神の霊感により聖書を書いたのだから、内容には微塵も誤りがない」と
の立場(聖書無謬説)。

2「キリスト教の伝道や聖書の編纂の過程で、当時の人達が理解しやすいように、
改竄された部分がある」との立場。

3「旧約聖書や新約聖書に記載されている内容は他の宗教や神話からのパクリで、
捏造されたものである」との立場。

「日本人に贈る聖書ものがたり」は、?の立場の本である。私の感想文の第2回で、「キリスト神話:偶像はいかにして作られたか」(著者:トム・ハーパー)を紹介したが、この本は?の立場である。今回は、?の立場の代表として、遠藤氏の名作3点を紹介しよう。
私の子供のころは、キリスト教の明るい面しか頭に入っていなかった。クリスマスの楽しい音楽を聞き、「イエス様は馬屋でお生まれになり飼葉桶の中で寝かされ、東方から三博士が星に導かれてお祝いに来た」(マタイの福音書 2.1-13)などの童話を聞かされた。「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。」(マタイ福音書 6.26)などのイエス様の説教も格好良かった。
しかし、私が大きくになって「マリア様の処女懐胎」、「水をブドウ酒に変えた奇跡」、「病気を治す奇跡」、「十字架上で刑死した後の復活」などの到底信じられない事跡が新約聖書に記載されていることを知り、キリスト教に不信感を持つようになった。「空の鳥」の説教にしても、「鳥たちはいつも『ピーチク、パーチク』と呑気に鳴いて暮らしているわけではない」とか「鳥たちは弱肉強食の生存競争を必死に戦いながら、エサを探しまわって生活し、子孫を残しているのだ」、とイエス様の説教に批判的になったりもした。

世界史を習うと、キリスト教国やキリスト教徒の残虐・非道な行為が山積していた。例えば、十字軍の野蛮行為、インカ帝国などの南米の国々を征服して人民を虐殺して現地の文化を破壊した行為、原住民を殺しながらフロンテイアーを拡大して行った米国の西部開拓、何百万人ものアフリカ黒人を拉致して新大陸で奴隷として酷使した行為など、全く悪魔の所業であると私は憤慨した。

20 世紀後半に至っても、米国のキリスト教原理主義者は学校で「進化論」を教えることに反対したり、ローマ法王庁でも「ガリレオに対する異端裁判」を取り消すことをしなかった。(1992 年になって、ローマ教皇ヨハネ・パウロ 2 世は、ガリレオ裁判が誤りであったことをやっと認め、ガリレオに謝罪した。)
このような時期に(1970 年代末)、私は遠藤氏の「キリストの誕生」を読み、「カトリック教徒である遠藤氏が新約聖書に対して柔軟な見解を持たれている」ことを知り、大変感動したことを今でも鮮明に憶えている。それから三十数年が過ぎた現在、遠藤氏のキリスト教に関する3連作「イエスの生涯」(以後は、本?と書く)、「私のイエス」(以後は、本?と書く)「キリストの誕生」(以後は、本?と書く)を再読し、私の現在の感想を書いてみようと思った次第である。
なお、新約聖書は、四つの福音書(「マタイ福音書」、「マルコ福音書」、「ルカ福音書」、および「ヨハネ福音書」)、「使徒行伝」、21 通の書簡、および一つの預言書(「ヨハネの黙示録」)の 27 文書からなる。そのうち、「ポーロ(パウロとも呼ばれる)の書簡」が最も古く紀元 50 年代に成立し、四つの福音書の中では「マルコ福音書」が最も古く紀元 70 年代に成立したと考えられている。

本?は、四福音書を資料として「イエスの生涯」を考察している。本?は、本?の内容を易しく要約すると共に、遠藤氏のキリスト教に対する見解を説明している。
本?は、「使徒行伝」を資料として、「イエス」から「キリスト」が誕生した謎を考察している。この感想文では、遠藤氏のイエス・キリスト感を検討してみよう。
遠藤氏は、彼の新約聖書に対する視点を、次のように述べている。(?のp.52-54)「我々が手にしている聖書は、必ずしもイエスの生涯を事実通りに追っているわけでない」ことをカトリック側もプロテスタント側も認めている。聖書作家たちはイエスの死後、彼を目撃した弟子たちや地方に伝わっていたイエスの伝承を集めて、当時入手できた史料(キリスト語録集)を使い、イエスの生涯を彼等なみに組み立てた。したがって聖書に書かれたイエスの生涯はたしかに一貫した真実を持っているが、ひとつひとつの事実という点では必ずしも正確に書かれていない。

本?と本?おいて、遠藤氏はイエスの誕生には触れず、成人してからのナザレでの生活から物語りを始めている。これは、「マルコ福音書」や「ヨハネ福音書」のスタイルに従っている。他の福音書では、「受胎告知」、「処女懐胎」、「羊飼いへのお告げ」、「東方の学者たちの礼拝」、「ヘロデ大王の幼児虐殺」などの「イエスの誕生」に関する奇跡的な物語を華々しく記載している。なお、新約聖書にはイエスの生年月日は記載されていない。イエスの誕生日が 12 月 25 日になったのは、「キリスト教正統派教会がローマ皇帝と妥協して、ミトラ教の冬至祭(太陽の復活を祝う祭)をイエスの誕生日とした」との説が有力である。

遠藤氏は、このような「イエスの誕生に関する奇跡」や「誕生日選定の経緯」については、本?の最後で少し触れている。(?のp.253-254)遠藤氏は「私の今の立場は、聖書に書かれているイエス誕生の物語は事実ではないが、魂の真実である」と書いている。また、遠藤氏はイエスの父のことを、養父ヨゼフ(?のp.43)と書いている。これは聖母マリアの「処女懐胎」という不可解なキリスト教の教説を認める立場である。遠藤氏はどうして「処女懐胎」には沈黙しているのであろう
か?私としては、この点が是非とも知りたいのである。
兎も角、遠藤氏は、「イエスは養父から大工の仕事を習われた。ガリラヤの大工の多くは巡回労働者であったので、イエスもナザレの町やその周辺を歩いて仕事をしたのであろう」と書いている。こういう仕事をしながら、イエスが見たのは、庶民の生活の辛さや貧しさだけではなく、惨めな病人や体の不自由な人が沢山苦しんでいることだった。(?のp.43-45)

それに対して、ガリラヤの支配者であるヘロデ・アンテパス王はローマ皇帝に追従していた。ユダヤ教の主流派であるサドカイ派とパリサイ派はローマ帝国と妥協してその権威を守っていた。(?のp.12-13)なお、サドカイ派はエルサレムの神殿を管理する特権を持っており、パリサイ派は律法の徒な解釈にふけっていた。
(?のp.56)
イエスの時代、ユダヤは五百数十年にわたって、外国の支配下にあった。その間、ユダヤ民族は屈辱感と自尊心が高まり、二つのものだけは頑としてゆずらなかた。
一つは、彼等の神ヤハウェに対する信仰であった。もう一つは、ヤハウェがダビデ王のような民族的メシア(救世主)を送り、ふたたびユダヤの国土と誇りをとり戻してくれるという強い希望であった。(?のp.15-16、?のp.49-50)
皇帝テベリオの十五年(ルカ福音書 3.1)、死海とユルダン川下流はさまれたユダの荒野(図 4.1 の、緑色の地域)で、ヨハネが人々を集めて、罪が赦されるための悔い改め基づく「洗礼」を説いた。ヨハネは荒野で「マムシの末たち。だれが必ずくる御怒りをのがれるように教えたのか。斧はすでに木の根におかれています。
よい実を結ばない木は切られて、火に投げ込まれます。」と説教した。(ルカ福音書 3.2-20)「神の国の出現する日は近い。そのためには悔い改めよ」と叫ぶヨハネの声はナザレにも届いた。イエスは堅実なナザレの生活を捨てて、荒涼たるユダの荒野に行こうと決心した。

(?のp.17-18、?のp.50-51)
イエスは洗者ヨハネからユルダン川で洗礼を受け、彼の教団に入門した。ユダヤ教主流派のサドカイ派やパリサイ派の姿勢を厳しく責める洗礼者ヨハネの声は、ガリラヤで育ったイエスの共感を引くものであった。(?のp.55-56)イエスはヨハネ教団の規約に従って、ヨルダン川の近くの山で四十日間の断食と祈りの生活に入った。聖書に書かれているイエスがサタン(悪魔)の誘惑を退けたという有名な話はこの時のことである。遠藤氏は、「この物語は、イエスがクムラン修院で修行したことを意味しているのではないか」と書いている。(?のp.30-31、?のp.56-
57)
図 4.1 イエス時代のパレスチナの地図(紀元 6~70 年頃)

1947 年に、死海の北西に位置する「クムラン」という地の洞穴で古い写本が偶然に発見された。それ以降、この地の洞穴では多数の写本が発見され、これらは「死海文書」と呼ばれている。この「死海文書」によって、クムラン修院の存在が明らかになった。クムラン修院はエルサレムのユダヤ教主流派から追放された「エッセネ派」の修院であった。聖書の作家たちは、エッセネ派の存在もクムラン修院にも
触れていない。遠藤氏は、「これは、イエスの死後に起こったユダヤ戦争(AD66-74)でクムラン修院が反ローマ運動の『熱心党』のかくれ場所となったため、聖書作家が慎重な態度をとったためであろう」と書いている。(?のp.31-32)

死海文書によれば、クムラン教団の考え方の第一は、「自分達の教団からやがて救世主が出現して、彼が地上の支配者となる」ということだった。第二は、「教団のメンバー同士の愛は語っているが自分たち以外の者への愛は決して述べなかった。」これは「罪人でさえ神は救う」というイエスの考え方とは根本的に対立するものだった。(?のp.60)遠藤氏は、「これは私一人の考えですが、おそらくクムラン教団から、誘いがイエスにかかったと思います」と書いている。「クムラン教団から離脱したという出来事が、聖書の中では悪魔の誘惑をイエスが断った、という形で書かれている」と遠藤氏は考えた。(?のp.57-58)私は、遠藤氏のこの見解に賛同できる。
ユダヤ教主流派は「ヨハネの洗礼運動がユダヤ人たちの心を惹き、その勢力が無視しがたいものになった」と不安の念に駆られはじめた。もしローマにたいする反乱や一揆が起これば、ユダヤ知事ピラトに自分たちの特権を取り上げられるのを恐れたのであった。主流派は調査団を送り「ヨハネがいかなる権利と資格で洗礼を人々に授けるか」を厳しく尋問した。ヨハネは「あくまで自分はメシアの伝達者で
ある」と言いつづけて難をまぬがれた。(?のp.36-37

図 4.2 林が調査した、クムラン教団、ヨハネ教団、マンダ教団、およびイエス教
団の関係図。

おそらくこの時、イエスの名もエルサレムの主流派に報告されたに違いない。イエスはヨハネ教団のなかで、ヨハネの愛弟子として皆から注目されていたからである。(?のp.40)イエスはヨハネ教団やエッセネ派などの荒野の人々のなかに欠如しているものに気付いた。彼らの抱く神のイメージは父親のイメージであった。その神は、世界の終末と審判とを背景にして、怒り、罰する旧約的な神だった。彼等
とは違った神のイメージが、イエスの心に生まれつつあった。それは、哀しい人間に愛を送る新約の神のイメージであった。(?のp.60-62)
イエスは自分の弟子たちを連れてユダの荒野を去り、故郷ガリラヤに帰った。彼等は、カナという村で知人の婚礼に招待された。カナの話は、とかく暗くなりがちな聖書の出来事のなかで、春の訪れのようにあかるい話である。村人たちは笑いころげながらブドウ酒を飲み、イエスもまた声をたてて笑われ、次々と酒を飲まれたことであろう。ルカ福音書(7.34)には「イエスは大食で大酒を飲む」との陰口が書かれている。そこには、ヨハネ教団のもつ神の暗いイメージを乗り越えた、イエスのあかるい悦びがある。(?のp.67-68)イエスの使命は悦ばしき知らせ(福音)なのである。(?のp.76)なお、私の調査では「カナの物語はイエス自身の婚礼であった」との説もある。

この婚礼の席で、イエスは始めての奇跡を行った。宴会のブドウ酒がなくなったので、イエスは「水を最良のブドウ酒に変えた」のである。(ヨハネ福音書 2.1-12)遠藤氏は、「イエスはこのような奇跡を本当に行ったか?」ということを問題にしていない。その代わりに、遠藤氏は「聖書の中で、イエスの奇跡として語られているこの行為は、イエスが弟子(水)の人間的な夢をやがて徐々に自分の世界(酒)のなかに昇華しようと考えられていたことを暗示している」と書いている。
(?のp.68-69)
このような時期に、突如として、ヘロデ・アンテパス王は洗者ヨハネの逮捕に踏み切った。逮捕の口実は、「ヨハネが王の非合法な結婚を公然と非難した」ことであった。本当の理由を、当時のユダヤ人史家ヨセフスは、「ヘロデは、ヨハネの民衆に対する大きな影響が、反乱につながらぬかと怖れた」と書いている。(?のp.69-70)その後、ヨハネはオスカー・ワイルドの有名な戯曲「サロメ」に描かれているように、首を切られて悲劇的な殺され方をする。(?のp.41)
洗者ヨハネの死を契機にして、イエスは周囲のユダヤ人から、期待と警戒との二つの目で見られるようになった。期待の目はガリラヤの庶民たちの目で、イエスを洗者ヨハネの後継者と考え、腐敗したユダヤ教を改革するだけでなく、ユダヤを占領しているローマを追い払う軍事的指導者として、大きな夢を寄せていた。警戒する目はユダヤ教主流派の目で、群集を扇動して自分達に反抗する危険な男、自称改
革者と彼らの目には映った。(?のp.73)

イエスが村々をまわって民衆に話しをした。彼がそこで見たのは、家族や隣人からも見放された病人や体の不自由な人、祭司たちから蔑まれる収税人や娼婦がたくさんいた。イエスはこのような見捨てられた人々に近づいて、愛情を示された。聖書には、イエスが彼らの病気を奇跡で治したという「奇跡物語」と、彼らの惨めな苦しみをイエスが分かちあったという「慰めの物語」がたくさん出てくる。遠藤氏は「奇跡物語よりも慰めの物語のほうが、はるかにイエスの姿が生き生きと描かれている」と書いている。(?のp.79-81)

図 4.3 遠藤氏は、イエスのガリラヤでの初期の伝道時代を、「ガリラヤの春」と呼び、「酒と笑いに満ちた絶頂時代」と書いている。(?p.52、?のp.64)

図 4.4 娼婦とされているマグダラのマリアは、新約聖書で重要な人物である。これはレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)による、彼女の肖像画である。

遠藤氏は「長血(婦人病)を患う女をいやす物語」を紹介している。この物語は、マタイ福音書、マルコ福音書、およびルカ福音書に記載されている。(?のp.88)
その記述の内容を以下に緑色文字で示す。
ときに、十二年の間長血をわずらった女がいた。だれにも直してもらえなかったこの女は、イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわった。すると、たちどころに出血が止まった。イエスは、「わたしにさわったのは、だれですか」と言われた。みな自分でないと言ったので、ペテロは「先生。この大ぜいの人が、ひしめき合って押しているのです」と言った。しかし、イエスは、「だれかが、わたしにさわったのです。わたしから力が出て行くのを感じたのだから」と言われた。
女は、隠しきれないと知って、震えながら進み出て、御前にひれ伏し、すべての民の前で、イエスにさわったわけと、たちどころにいやされた次第とを話した。そこで、イエスは彼女に言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。」(ルカ福音書 8.43-48)
遠藤氏はこの物語について、次のように述べている。「この物語には、イエスが彼女の病気を治すという奇跡物語が混じっていますが、私たちの心を動かすのは、彼女の病気がイエスの奇跡で治されたという結末より、おずおずと衣服に触れたその女の指一本から、彼女の切ない苦しみのすべてを感じとったイエスの繊細な感受性のほうです。」(?のp.88)
遠藤氏はさらに述べている。「だがこの時、イエスはもう一つのことも知っておられた。現実における愛の無力さということである。聖書に書かれているすべての奇跡物語の背景にはこのイエスの苦しみがかくれている。奇跡物語は私たちに、『イエスが奇跡を行ったか、否か』という通俗的な疑問よりも、『人々がイエスに結局は愛ではなく、徴と奇跡しか求めなかった』という悲しい結末を想像させ
る。」(?のp.67-68、?のp.91-92)

遠藤氏は「イエスの奇跡」を重要視しなかった。遠藤氏はご自分が大病を患い手術を受けた体験から「人間の苦痛というものには、かならず孤独感がつきまとっている。肉体的な苦痛の場合、誰かがじっと手を握って側にいてくれれば、苦痛の中
に占める精神的な苦痛の部分である孤立感がなくなり、痛みは半減します。イエスが病人を治したという奇跡物語には、人間の孤独感を分かち合おうとしたことに本質的な問題があったのです」と述べている。(?のp.188-189)
私は遠藤氏のこの見解に賛成です。更に、私は「イエスが病人を治したという奇跡物語に、次の効果もあった」と考えている。?不潔極まりない病人を、イエスがやさしく水で洗って清潔にしてあげると、肉体的苦痛が緩和した場合もあったのではなかろうか。?ユダヤ教では、ハンセン病の患者や体の不自由な人は、「神罰を受けた者」として厳しく差別されていた。イエスがこのような人々に接して「あなた方は、神罰を受けていません。私に帰依すれば天国に行けます」と言ってあげれば、彼等は精神的に救済されたでしょう。?アフリカやニューギニアの密林では、現在でも魔術師が「悪魔祓い」を行っています。イエスも「悪魔祓い」で病人を治しました。ある種の精神病には、「悪魔祓い」で病気が治る場合があります。
次に、遠藤氏はイエスの宣教のクライマックスとも言える、「五個のパンを増やして五千人以上の人々に食べさせた奇跡」と「山上の説教(山上の垂訓、とも呼ばれている)」に対する氏の見解を述べている。先ず、遠藤氏は「この二つ物語は、同じ日の同じ時に起こった出来事であると考えざるを得ない」と書いている。(?のp.102)また、遠藤氏は「五千人という数は聖書作家たちの誇張だろう」とも書いている。(?のp.86)
この二つ物語の意味として、遠藤氏は「食べ物もなく餓えた五千人群衆とは、征服されたユダヤ人そのものを表しており、イエスはそれに対して『愛という食べ物』を分かち与えた、というのがこの『奇跡物語』の内容です」と、相変わらず「イエスの奇跡」を暗に否定している。(?のp.101)過越祭という民族的な感情を発露する祭りを前にして、山に集まったおびただしい民衆は口々に「今こそユダヤのために立ち上がってくれ。あなたが中心になってくれるなら、自分たちは従うだろう」とイエスに叫びました。そして群衆はイエスの答えを待ちました。イエスの弟子たちも、群集の中に紛れ込んでいた主流派の監視員も固唾をのんで待っていたはずです。(?のp.101-102)イエスは返事をしました。それが有名な「山上の説教」です。

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
悲しむものは幸いです。その人たちは慰められるからです。
以下同様にイエスは、柔和な者、義に飢え渇く者、あわれみ深い者、心の清い者、平和をつくる者、義のために迫害されている者は幸いです。と言われました。(マタイ福音書 5.3-10)

イエスは更に言いました。「敵を愛そう。あなたを憎む人に恵もう。あなたを呪う人も祝そう。あなたを讒する人のためにも祈ろう。右の頬をうたれれば左の頬を差し出そう。上衣を奪う人には下着も拒まぬようにしよう。」遠藤氏は、「この愛の原理は、ユダヤ律法についての法文重視とは真っ向から対立するものでした。群衆たちは動揺しました。彼らは今、初めて、自分たちの反ローマ的な感情や民族主
義的な闘争に対するイエスのはっきりした拒絶を聞いたのです」と書いている。(?のp.104-105)

このようにして、イエスは群衆にとって「期待はずれの預言者」、「無力な男」、「結局は何もできぬ男」になってしまった。(?のp.105)遠藤氏は「多くの弟子たちは去り、残った弟子たちも師の真意を全然理解できなかった。その彼らは、後になって逮捕されたイエスを見捨てただけでなく、エルサレムの主流派の人々に助命を乞うて、身の安全まではかりました。そういう意味で、弟子達は、われわれと同じような俗人であり、俗者であり、弱虫だったのです」と書いている。(?のp.109-110)
遠藤氏は「弟子を中心に聖書を読むおもしろさ」と題して、「弟子たちは、イエスを誤解していただけでなく、彼を『神の子』と考えてもいませんでした。そんな感情を持った彼らが、イエスの死後、突然目ざめるわけです。弱虫で卑怯者だった彼らが、もう死も怖れず、肉体の恐怖にも尻込みもせず、イエスのために苦渋の旅を忍び、ひたすら迫害に耐えます。その不思議な弟子たちの変わり方の原因こそ、
聖書が私たちに課するテーマであり、謎ともいえるでありましょう」と述べている。(?のp.110-111)

いよいよ聖書物語は、「イエスの逮捕」、「裁判」、「十字架上の刑死」と続く「イエスの受難物語」が始まるのだが、それらの詳細はよく知られているので本感想文では省略する。詳しく知りたい方は、本?か本?をお読み下さい。ここでは、「受難物語」に対する遠藤氏の独特な見解を紹介しよう。

遠藤氏は本?で、「最後の晩餐の後、ユダが群衆と共に去っていった時、イエスはこの夜に逮捕されることを知っていた。イエスはこれから起ころうとする自分自身の受難に対して、苦しんだ」と述べている。(?のp.165-166)私は「イエスが神の子(もしくは、三位一体の神自身)であれば、イエスはこの期におよんで怖れるはずがない。もしかして遠藤氏は、『イエスは人間であった』と考えていたのだろうか?」との疑問を持っている。兎も角、遠藤氏が推測したイエスの心境を、以

下に赤文字で記載する。

イエスは死の不安のために「汗、血のごとくしたたる」ほど苦しまれた。永遠に人間の同伴者となるため、愛の神の存在証明をするために、自分は最も惨めな形で死ななければならなかった。人間の味わうすべての悲しみと苦しみを味わわねばならなかった。もしそうでなければ、彼は人間にむかって「ごらん、わたしがそばにいる。わたしもあなたと同じように、いや、あなた以上に苦しんだのだ」と言えぬからである。(?のp.174)私は、「遠藤氏のこの見解はわれわれ日本人には大変分かりやすいが、本場・欧米のキリスト教徒の見解とは少し違うのではないか?」
との疑問を持っている。

そこで、私は「イエス・キリストの贖罪」を上手く説明する文章をネットで調べてみた。その結果が次の文である。青色文字で示す。

出典:http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/079wakaru.htm

人が罪を犯して神に背を向けたとき、神も人に背を向けられた。しかし、キリストの贖罪がなされたとき、神は人に御顔を向けられた。したがって、あとは人が各自の顔を神に向けなければならない。各自が神への信仰に立ち返るとき、贖罪がその人に対して有効となる。
イエスの処刑に対して、遠藤氏は「奇跡は何も起こらず、彼は無能だった」と書いている。イエスが十字架に釘付けされたのは真昼で、息を引き取ったのは午後三時です。三時間の言語に絶する苦痛の間、彼は最後の余力をふり絞って、自分を見守っている人々や自分の左右に釘付けされている二人の盗賊にかぼそい声をかけました。遠藤氏は「昼から三時まで太陽は雲に隠れてあたりは薄暗くなったが(マタイ福音書 27.45)、奇跡は何ひとつとして起こりませんでした」と書いている。(?のp.145-146)
本?では、遠藤氏自身が本?とは少し違う記載をしている(?のp.214-215)。
私が新約聖書を調べたところ、「奇跡は何ひとつとして起こりませんでした」と書いているのは、ヨハネ福音書(19.30)のみです。マタイ福音書では、イエスが死亡した直後に「大異変」が起こったことを次のように書いている。
そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。(マタイ福音書 27.50-52)

マルコ福音書(15.37-38)とルカ福音書(23.44-45)にも同様の記載がある。このような「大異変」が起こったのが事実なら、その記録が残るはずである。実際は、イエスの処刑の記録は歴史には残っていない。このような大異変の記録がないことにより、「新約聖書は後の時代に捏造されたもので、イエスという人物は実在しなかった」という説を提唱する学者が沢山いる。多分、遠藤氏は「このような大異変
の記載は、聖書作家たちの潤色である。イエスの死に際しても、神は沈黙していた」との見解を持っていたのであろう。私もそのように考える。
イエスの生涯がこのままで終わっていれば、イエスは紀元一世紀前後にユダヤ社会に沢山いた「偽メシア」たちの一人になってしまう。イエスの死後に、彼の卑怯な弟子たちが「使徒」になり、「キリスト教」が成立したのは、「イエスの復活」があったからである。新約聖書の文書の中で、最初に成立したのは「ポーロ(パウロとも呼ばれる)の書簡集」です。ポーロは彼の書簡集の中で、イエスの「生誕の
奇跡」もイエスが行ったとされる多くの「奇跡物語」も語っていない。彼はただ「イエス・キリストの復活」のみを語って、彼の説教を行っている。

私は第1回の感想文で、イエスが復活の奇跡を実現できた可能性を次のように考えてみた。(なお、?は前回には無かったが、今回はじめて付け加えた。)
?イエスは聖書に書いてある通り、彼の死から三日後に復活した。なぜなら、「神にとって不可能なことは一つもない」のだから。
?イエスと弟子達は手品師の一座で、民衆が「イエスは十字架で死亡したように見えたのに、生きた姿で現われた!」と驚くような手品を大々的に興行した。
?十字架に架けられたのは別人で、イエスは長生きをした。
?イエスは十字架で死亡したように見えたので、役人は死体をアリマタヤのヨセフに引き渡した。ヨセフがイエスの埋葬の準備をしている間に、イエスは仮死状態から蘇生した。

?イエスが十字架で死亡された後、復活はなかった。数人の弟子達は「自分達はイエス様を見捨てた」ことを後悔したあまり、精神に変調をきたした。その結果、彼らはイエスの姿を幻視したり、声を幻聴するようになった。
?イエスが十字架で死亡された後、復活はなかった。弟子達はイエスの死体を墓から盗みだして、「イエス様のご遺体が消えたのだから、イエス様は復活されたのだ」と強弁するようになった。
?聖書に書かれていることは歴史的な事実ではなく、総てキリスト教の神話(または、捏造)である。従って、歴史的にはイエスは実在しなかったし、彼の復活も当然なかった。
現在でも、キリスト教徒の中で多くの方々は、?の見解を信じていると思います。
「?の見解を信じることこそ、キリスト教徒になる条件である」と言っている神父さんや牧師さんが多いようです。まして、古代や中世の一般庶民は、?の見解を有難く受け入れることができたでしょう。現代の日本人として、私は?の見解を信じることはできません。多分、遠藤氏も?の見解を信じられなかったのではないでしょうか。私は?以外の可能性を完全には否定できませんが、「事実はどれが本当だったか」は分かりません。ただ、東大・本村 凌二名誉教授は「古代人にとっては、幻視や幻聴は精神病の症状ではなく、現実の出来事だと考えられていた」と講演されていた。私は「?が本当であれば、おもしろい」と思っている。
復活は歴史的事実なのか。それともキリストの永遠的生命を語る象徴的な挿話なのか。遠藤氏は「このことを考えるためには我々はそれを目撃したと言う弟子たちのことから考えねばならぬ。聖書を読んで我々が深い謎として受けとることの一つは、弱虫だった弟子たちがなぜやがて強き使徒になれたのか、ということである」
と書いている。(?のp.220-221)

この謎に対して、遠藤氏は「かなり大胆な私の推測」を次のように提唱している。(?のp.234、?のp.159、?のp.15)

?イエスがユダヤ衆議会の裁きを受けた時、ペトロもイエスの弟子たちの代表として同時に裁きを受け、その席上でイエスを否認することを「烈しく誓った」と考えられる。言いかえれば、弟子たちはすべてイエスを否認することを誓約し、その後の追及捕縛をまぬがれたのである。私がこのような大胆な推測を敢えてするのは、その後、当分の間、ユダヤ衆議会がイエスの弟子たちの存在を黙認し、咎めもせず、裁きもせず、放任していたふしぎな理由をこれ以外に考えられぬからなのである。
この妥協のおかげで弟子たちは助かり、その代わりイエスは全員の罪いっさいを背負わせられる生贄の仔羊となったのだ。(?のp.15)
?十二人の弟子すべてが、イエスを裏切ったのである。弟子たちがいちばん怖れたのは、十字架上でのイエスの怒りであり、呪いだった。だから、「イエスが十字架上で何を言うか」を弟子たちは、ただならぬ恐怖と後悔とで待っていたはずだ。ところが、イエスは自分を苦しめた者たち、自分を見棄てた弟子たちに恨みや憎しみの言葉を言わなかったばかりではなく、「主よ、彼等を許したまえ。彼等はそのなせることを知らざればなり」と彼等にたいする許しと神への取りなしを祈ったのである。(?のp.20)

本?で、遠藤氏は「イエスの死と復活」に対して、次のように書いている。
?これを聞いたとき、弟子たちは衝撃を受けた。十字架上での烈しい苦痛と混濁した意識のなかで、なお自分を見棄てた者たちを愛そうと必死の努力を続けたイエス、そういうイエスを弟子たちはじめて見たのである。彼等はこの時はじめて自分たちがイエスについて今まで何も知らなかったことに気がついた。だが今、弟子たちははじめて何かが分かりはじめたのである。イエスと共に過ごした日々を思い出すと、イエスが何を言おうとしていたのかが少しずつ彼等にも理解できるようになった。
(?のp.21-22)

?このような驚愕と衝撃。それまで知らなかった、気づかなかった、誤解していた師を再発見したこと。それらが彼等の出発点となる。イエスは現実には死んだが、新しい形で彼等の前に現れ、彼等のなかで生きはじめたのだ。それは言いかえれば彼等の裡にイエスが復活したことに他ならない。まこと復活の本質的な意味の一つはこの弟子たちのイエスの再発見なのである。(?のp.22-23)

?このイエスの顕現は、長い苦しい夜を送った弟子たちの宗教体験である。この深い宗教体験がどのようなものだったかは、我々には誰もわからない。なぜならこのような神秘的な体験を人間の言葉では表現できぬからである。言葉で言いあらわせない弟子たちの宗教体験を、後世の福音書は「エマオの旅人の話」、「甦ったイエスとの食事」などで具体的に書いた。トロクメのような学者はこれを「後になって
作られた逸話」だと断言している。遠藤氏もそれに同意している。しかし、造られた逸話を逆に読めば、そこには弟子たちが生涯の同伴者としてあの人を深く感得したことを示している。(?のp.45-47)

「遠藤氏のかなり大胆な推測」に対する私(林)の感想を記載したい。私は三十数年前にはじめて本?を読んだときに、「遠藤氏の推測は、従来のキリスト教徒の硬直な考えとは違って、とても面白くて説得力がある」と感心した。しかし、「遠藤説が唯一の解ではなく、他にも多くの解が存在する」とも思った。その考えは、現在も変わっていない。イエスの復活に対して、?の説が最も単純明快で、支持者も多い。(特に、キリスト教徒では。)私は「遠藤氏が?の説を採用せず、敢えて
難問に挑戦した」ことに敬意を表したい。遠藤氏も認めているように、これだけでは迫力が少し不足しているようで、決定的なXがまだ残っているような気がする。(?のp.280)

「イエスの復活」に対して、私(林)のかなり大胆な推測を以下に記載する。?福音書によれば、アリマタヤの金持ちヨセフがピラトに願い出てイエスの遺体を引き取り、自家の新しい墓に埋葬した。当時の習慣に従い、墓の入口を大きな石で塞いだ。弟子たちがイエスの遺体を盗み出すことを防ぐために、ローマ兵が墓を警備した。イエスの死の三日後、マグダラのマリアなどの女たちがイエスの遺体に油を塗ろうとして墓に行った。すると、墓の入口を塞いでいた大石は脇に動いていて、入口は空いていた。マグダラのマリアたちが墓に入ると、イエスの墓は空になっていた。その直後、マグダラのマリアは復活したイエスに会うことになる。

?私は、「以上の福音書の記述はすべて捏造で、イエスの遺体は同時に処刑された2名の遺体と共に、受刑者の死体捨て場(例えば、荒野の谷)に投げ捨てられた」と推測する。遠藤氏も「受刑者を墓地に埋葬することは禁じられていた」と書いている。(?のp.215)死体捨て場では、死体は野獣や野鳥が食べるままに放置されていたはずである。福音書の著者たちは、このような悲惨な状況を記載することを
はばかり、「イエス様のご遺体だけは特別に墓に葬られた」と、虚偽の記載をしたのであろう。

?福音書は「復活したイエスに最初に会ったのはマグダラのマリアだ」と記載している。私は「マグダラのマリアは霊感力が特に鋭く、しかも生前のイエスとの霊的関係が非常に強かったので、イエスの幻覚を最初に見たのはマグダラのマリアだった」と推測する。本村 名誉教授の説によれば、古代人は幻視や幻聴を現実のものと認識していた。従って、マグダラのマリアが「復活なされたイエス様に会った」と
最初に言い始めたのではなかろうか。私は?の説より、?の説の方が面白いと思う。

?なお、英国映画・マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙(2011)は、「年老いたマーガレットは、既に亡くなっている夫デニスの幻覚と共に生活している」という設定です。サッチャー元首相(1925-2013)。この映画の動画は、次のサイトをご覧下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=djUTosfnxT4

本?で遠藤氏は、イエスの弟子たちが「十字架上で無力に死んだイエスが、どのようにしてメシアになった」と考えるようになったかを、次のように解説している。
?イエスの死後、イエスの弟子たちの中でイエスの顕現を信じた人々がエルサレムに結集した。これが最初の原始キリスト教団で、中心人物はペトロだった。(?のp.56-57)彼等は「イエスの受難」の謎とイエスの死に対する「神の沈黙」の問題を必死に解こうとして、手掛かりをユダヤ教の預言者たちの言葉から探り出そうとした。その結果、弟子たちは「長い間、預言者たちが語ってきた異国に蹂躙されているイスラエルとユダヤ人を、ほかならぬイエスその人の象徴」として受け止めた。(?のp.275)

?弟子たちは「今は迫害されているこのイスラエルとユダヤ人とが、神によって再び栄光を取り戻す」という神の約束を、そのまま師イエスに対する神の約束に移行した。「受難のイスラエルがやがて栄光のイスラエルになるように、受難のイエスはやがて栄光のイエスに変わる。神はその栄光を与えるため、イエスにわざと十字架の苦しみを与えた」と弟子たちは考えるに至った。「栄光の光の座についたイエ
スはメシアとしてこの地上にいつかは姿を見せる。だからイエスと自分たちとはしばし別れているのであって、間もなくあの師を見る日が来る」というのが弟子たちの信仰であった。(?のp.275-276)
?ブッセのような神学者は「この段階では、弟子グループはイエスをまだ主ともキリストとも呼ばなかった」と主張する。弟子たちは、自分たちに突きつけられた「神の沈黙」という謎と格闘するうちに、栄光のイエスの「再臨」を解答として持つようになった。そしてその栄光のイエスを天の雲に乗って地上に現れる「人の子」という称号で呼び、次第にそれが「メシア(救い主)」となった。ユダヤ教の中の「メシアはダビデの子孫からあらわれる」という言い伝えに従って、「イエス
をダビデの子孫」と考えるようになっていったのであろう。つまり、初期の弟子たちの気持ちは「イエスは最初は神にえらばれた優れた預言者であり、ラビ(教師)であったが、その生涯の努力、その受難、そのむごたらしい死の酬いとして神から我が子としての資格を与えられた」であろうと、遠藤氏は推測している。(?のp.276-277)
本?で遠藤氏は、「初期の弟子グループのイエス観は、ポーロ(あるいは、パウロとも呼ばれる)によってもっと飛躍された」と、次のように解説している。
?ポーロは生前のイエスを知っていない。彼がエルサレムから逃亡する信者たちを追跡するうちに、彼等の信仰からキリストの存在を感得した。彼が触れたのはイエスではなくキリストだったのだ。だから彼の心には人間であったイエスはほとんど存在しない。ポーロにあるのはキリストだけである。(?のp.277)
?ポーロによれば、キリストはこの地上に生まれる前から神の天地創造という秘儀に参加しており、神と人間との断絶を埋めるために天から地上に遣わされた「神の子」である。「御子はすなはち、見えたまわざる神の御像(みすがた)にして、一切の被造物に先だちて生まれ給いし者なり」(コロサイ書 1-15)「(神は)彼を以て万物と己を和睦せしめ、その十字架の血を以て、地に在るものをも天に在るものをも和合せしむ」(コロサイ書 1-20)という言葉がそれを示している。(?のp.277)

?ここに弟子グループが考えもつかなかった飛躍的なキリスト感とキリストのイメージがある。ここではイエスは人間イエスではなく、神的なキリストとなっている。
この「贖罪者としてのキリスト感」をポーロがどこで得たのかは確実でない。遠藤氏は「エルサレムから各地に離散した信徒たちの信仰団体が少しずつ弟子グループとはちがったイエス観を持ち、それをポールにバトン・タッチしたと言えるのだ。
バトン・タッチによって受けたものを、ポーロがおのれの信仰の坩堝のなかで燃やし、叩き、かため、その神学を作りだしたのである」と述べている。(?のp.277-278)

紀元一世紀は、ユダヤ民族、ユダヤ教、キリスト教にとっては「受難の時代」であった。

?ローマから派遣された知事たちは相次いでユダヤ人に弾圧的な政策を取った。紀元 66 年に、知事フロルスがユダヤ人の小さな騒動に対して、エルサレムの神殿から罰金を取った。それを非難するユダヤ人に報復するために、彼の命を受けたローマ兵はエルサレムを略奪し 3600 人を殺害した。エルサレムでは、過激派のユダヤ人が保守派を押し切って断固、ローマと戦うことを宣言した。(?のp.246-247)

?収拾がつかなくなった知事フロルスは、上司のシリア総督に援軍を求めた。しかし、シリア軍はユダヤ各地での抵抗により退却した。ローマ皇帝ネロはシリア軍の敗戦に驚き、名将ヴェスパシアヌスに6万の兵を率いてユダヤに進撃することを命じた。紀元 67 年に、ヴェスパシアヌスの軍勢はシリアに上陸した。しかし、紀元68 年に、ネロは自殺に追い込まれた。そこで、紀元 69 年にヴェスパシアヌスはロ
ーマに帰国して、混乱を収拾して自ら皇帝に就任した。(?p.247-250)
?紀元 70 年に、皇帝ヴェスパシアヌスは彼の息子ティトゥスに、エルサレム総攻撃を命じた。激戦の末、ローマ軍団はエルサレムを制圧し、神殿を含むユダヤ人の誇りとするすべてのものに火がかけられた。だが待ち望んでいた神の怒りや奇跡は起こらなかった。市内の至るところで罪なきユダヤ人の婦女子がローマ兵に虐殺されているにもかかわらず、メシアは遂に現れなかった。叛徒はすべて処刑され、17 歳以上の男子は鎖につながれて、エジプトの労役に送られた。この戦争は、「第一次ユダヤ戦争」と呼ばれている。(?p.250-259)

?第一次ユダヤ戦争の前後に、キリスト教徒はユダヤ教主流派やローマ帝国により厳しい迫害を受けている。紀元 62 年に、イエスの従兄弟(プロテスタントでは弟)ヤコブはエルサレムで崖から落とされて殺害された。イエスの弟子グループの中心であったペトロは、紀元 64 年にローマでネロにより殺害された。ポーロもこのころに、ローマで殺害されたと思われる。第一次ユダヤ戦争における、キリスト教団の動向は伝えられていない。第一次ユダヤ戦争後に残された原始キリスト教団の苦しみは、「神の沈黙」と「キリストの不再臨」であった。(?のp.264)

?林が調べた後日談
出典:http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/paul/appendix-23.htm
2世紀に入り、ハドリアヌス帝(在位 117-138)治下、エルサレムにユダヤ教の神殿に代わりユピテルの神殿が建てられ、割礼の禁止、ユダヤ教の習慣への介入が行われるに至り、再度ユダヤ人による反乱が起こります。紀元 132-135 にかけて、ユダヤ教会から救世主と公認されたバル・コクバ(星の子)に指導された反乱は(第二次ユダヤ戦争)、一時エルサレムを解放しますが、またもやローマ軍に鎮圧されてしまい、以降ユダヤ人はエルサレムから追放され、ユダヤという名称さえ残されなかったようです。そしてこの地方はパレスチナ(ペリシテ人の地)と呼ばれるようになりました。
第一次ユダヤ戦争の直後に話を戻すと、?で述べたように、イエスのみならず、ヤコブやペトロやポーロの惨めな死には、どんな深い意味があるのか。神はなぜ沈黙していたのか。これほど大きな試練は原始キリスト教団にとってなかった。試練の中でも、彼等はイエスを忘れることができなかった。キリストが彼等の要望に応えなかったのに、彼等はキリストをなお信じつづけている。イエスのことを考えず
に彼等は生きていけなくなっている。イエスは彼等を捕らえて放そうとはしない。(?のp.285)

遠藤氏は「その意味でもイエスは既に復活し、再臨していた。一人、一人の人生の底に、一人、一人の心の核にイエスは再臨していた。それを原始キリスト教団は気づかなかったにすぎぬ。やがて彼等はその事実を知るようになるが、それは長い歳月がたってからであろう」と述べている。(?のp.285-286)

本?の最後に、遠藤氏は次のように書いている。
原始キリスト教団のみじかい歴史を調べる時、私がぶつかるのは、いかにそれを否定しようと試みても否定できぬイエスのふしぎさと、ふしぎなイエスの存在である。
なぜこんな無力だった男が皆から忘れ去られなかったのか。なぜこんな犬のように殺された男が人々の信仰の対象となり、人々の生き方を変えることができたのか。
このイエスのふしぎさは、どれほど我々が合理的に解釈しようとしても解決できぬ神秘を持っている。その神秘こそ今度も私の書きえなかった「彼とその弟子の物語」のXなのである。(?のp.287)
本?、?、?を改めて読んだ後、私(林)が感じた事を以下に書いてみよう。
?イエスの復活と再臨に対する遠藤氏の見解は、我々日本人には大変分かりやすく、納得できるものである。しかし、「本場・欧米のキリスト教徒の方々は遠藤氏の見解を受け入れることが出来るか」との疑問を私は持っている。結局は、「神」をどう考えるかに帰着する。換言すれば、「神の定義」の問題になる。
?旧約聖書では、「神(ヤハウェ)とは、天地のすべてのものを創造した存在で、一人一人の人間の行動と心を常に監視している存在で、最後の審判では一人一人の人間を裁く存在」と定義している。私は「そのような万能の神は存在しない」と考えている。本?で遠藤氏も「私自身を振り返ると、神はまったくいないのではないか、という恐ろしい疑いにとらわれることがないとは、言いきれないのです。しか
し、私は神の存在に疑問を抱いたからといって、それがキリスト者として間違った態度だとは考えていません。信仰というものはそういうものであって、99%の疑いと1%の希望なのですから」と書いている。(?のp.20-21)
?遠藤氏は本?、?、?の随所で「福音書に記載されたイエスの奇跡は、文字通りに解釈するのではなく、その裏にある真実を読み取るべきである」と主張している。
現代の日本人には、そのような遠藤氏の見解が大変受け入れやすい。しかし、私は「古代の一般庶民は民度が著しく低かったので、聖書の物語を何の疑いもなく有難く信用していた」と考えている。逆に言えば、「イエス様の偉大さを、古代の一般庶民に分からせるために、聖書の物語が創作された」とも言える。
?現代人は「知恵の実」を食べ過ぎているので、「聖書の物語がどこまでが真実で、どこまでが創作なのか」が分からなくなっている。極端な人は、「イエスの実在」まで疑うようになった。私には「イエスの奇跡、イエスの復活、イエスの再臨に対する遠藤氏の見解は少し甘いのではないか」と思わざるを得ない。

?遠藤氏の「X」に対する私の大胆な推測を以下に述べたい。イエス様はその生涯をかけて、「神ヤハウェは存在しない。自分自身の幸せとユダヤ民族の栄光は、ヤハウェに頼らずに、自分の力で獲得しなさい」と教えたと、私は推測する。イエスの時代は科学が現在ほど発達していなかったので、バシレイデースの「無の神」の概念が最高の到達点と言えよう。(私の第3回の「グノーシス」に対する感想文で、次の事項を紹介した:バシレイデース説の特徴は、種をまいた後、「無の神」は何ら手を下さないということである。これ以降は、すべてはこの種子から自律的に生成するのである。この説の背景にあるのは、「神をわれわれのこの世界や宇宙に出来るだけかかわらせないようにしよう」というモチーフからである。このモチーフ
は、「神の超越性を強調する」というヘレニズム時代からの流行に帰着する。)

?遠藤氏が提唱した「イエスという同伴者」は古代人には受け入れやすいが、現代人の私にはなかなか受け入れ難い。私のような人間には、「一人、一人の人間の心は、この広大な宇宙の中で全く一人ぼっちの孤独な存在である。私の死後は、全くの無になってしまう」との虚無感が生じる恐れがある。

?「イエスという同伴者」の代わりに、私は「40 億年に渡って切れ目なく続いてきた生命の連鎖」を頼りにしたい。約 40 億年前の地球上に、ごく単純な生命が無生物界から発生した。その原始生命は、お互いに厳しい生存競争をしながら、現在の多種多様な生物群に進化して来た。40 億年前の最初の生命から、現在の私まで、生命の糸は一度も途切れることなくDNAが伝わって来ている。私も、私と妻のDNAを子々孫々に伝える立場にある。「私はこのような生命のネットワークに参加している」と(まさに、グノーシス的に)知れば、私が現在生きていることを感謝し、私の役割が終われば安心してこの世を去ることが出来る。
(記載:2013 年6月 16 日

HTMLでは本?となっていますのでPDFを印刷し訂正してあります。

http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=YsO09mCsKboJ&p=http%3A%2F%2Fwww015.upp.so-net.ne.jp%2Fh-hayashi%2FD-4.pdf%E2%80%8E&u=www015.upp.so-net.ne.jp%2Fh-hayashi%2FD-4.pdf#search=%27http%3A%2F%2Fwww015.upp.sonet.ne.jp%2Fhhayashi%2FD4.pdf%E2%80%8E%27

PDFは本の書評の最下部にあります。17ページすべて立ち上がるのに時間がかかります。

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2458

上の引用URLにも出てきますが久保田牧師の「自虐史観を脱出せよ」はいいと思います。

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/katarogu.htm

http://

 
 
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