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ハゲタカ外資の虚像と実像 その2~3

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年 2月 6日(木)22時45分53秒
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  http://kikuchi-blogger.blogspot.jp/2008/09/part2_30.html

持田がGSへ転職した八十年代、日本のマーケットでの外資系投資銀行は、取るに足らない存在だった。

唯一、頭角を現しつつあったのは、山一證券からソロモン・ブラザーズ・アジア証券に転じていたトレーダーの明神茂(55)だけで、M&Aや引き受けなど、いわゆる投資銀行部門(IBD)は赤字を垂れ流す「お荷物部署」だった。また、外資系金融機関で、実力バンカーと呼ぶに相応しい日本人は、平成四年にシティバンクの在日代表に就任する八城政基の登場まで待たねばならず、当時は、米国からの「天下り外人」によってトップの座を牛耳られていた。

この頃、GSの投資銀行部門の主な仕事は、米国の不動産や企業を日本の投資家に売るため、金融機関や生保などに頭を下げて営業活動するというものだった。営業を担当していたのが、GSの東京支店を数名で支え続けた川島健資(51)=現メリルリンチ日本証券副社長と江原伸好(53)=ユニゾン・キャピタル社長の二人。持田は、コーポレートファイナンス、日本の証券会社で言うところの「引き受け」が仕事だった。

実は、当時のGSは火種を抱えていた。

「東京のGSに『日本人の顔が必要だ』と、ニューヨークが判断して、川島、江原のいずれかをパートナー(共同経営者)にしようと動き出したのです。結果的に、日本の金融機関に顔が売れていた江原さんがパートナーになるのですが、〝年次〟では川島さんが古かった。もっとも、次回は川島さんがパートナーに就任すると思われていました」(当時を知るGS関係者)

こうした微妙なパワーバランスを内在するGSに、一人の若者が出現して、「抗争」が、さらに複雑化する。ソロモン・ブラザーズで明神と働いていた二十六歳の松本大は、GSに移籍するや、デリバティブなどを駆使した債券のトレーディングで、巨額の収益を稼ぎ始めたのだ。

「強烈な〝異文化〟の流入に恐れたのは、IBDでした。これまで十年以上かけてIBDが稼いだ収益を、債券部が数年で超えてしまう勢いだった。次第に、債券部の採用人数や発言力が増していき、IBDは肩身が狭くなっていった」(前出・GS関係者)

M&Aのアドバイザリーなどでフィー(手数料)を稼ぐIBDと、自らマーケットに金を注ぎ込んでアービトラージ(利鞘稼ぎ)で儲ける債券部とは、まったく思想が異なるビジネスである。こうした「対立」は、どこの投資銀行でも共通して生じていた。

   ■    ■

そんな時、GSの債券部の社員十数人が、ニューヨークから来日していた債券部のヘッドで、パートナー(共同経営者)のジョン・コーザイン(現ニュージャージー州上院議員)が宿泊するホテルオークラの部屋に押しかけ、直談判するというクーデター紛いの「事件」が発生した。

「債券部が、収益の大部分を稼いでいるのに、評価がIBDより低い」
「持田が、債券部との共同事業を自分の功績のようにニューヨークに報告しているのではないか」

なぜ、持田は「疑惑」の目で見られたのか。これについて、GSのIBD出身者はこう解説する。

「持田さんが担当していたコーポレートファイナンスでは、ニューヨークとの間での情報交換やドキュメントのやりとりが不可欠だった。そのため、ニューヨークが朝になる深夜まで会社に残って電話やファックスをしなければならない。それで誤解されたのではないか・・・」

しかし、債券部の危惧は、平成四年に驚くべき形で的中する。パートナー就任が確実視されていた川島が外され、持田が入社九年目で二人目の日本人パートナーとなったのだ。持田は、伊勢丹と提携して「バーニーズニューヨーク」を招致するなど、実績をあげていた。しかし、日本国内での信用構築に十五年以上も取り組んできた川島を差し置いたパートナー就任には、IBDからも「不審」の声が挙がった。

「社内の騒然とした空気を感じ取ったIBDのヘッドのロバート・カプランが、順番にIBDの社員を回って、〝今回のパートナーシップ選考について意見のある人はちゃんと聞きたい〟と言って、一人づつ個別に話をしたほど、気を使わざるを得ない事態でした。持田さんがパートナーになり、川島さんがなれなかったことは、それほど微妙な問題だったのです」(同)

日本でのGS立ち上げの最大の功労者である川島は、その後、パートナーに選ばれることなく、メリルリンチ証券へ転職した。

   ■    ■

パートナーになった持田は、白金台の家賃約八十万円の高級マンションに引っ越した。広さは五十坪ほどで、ダイニング、リビングがあり、ハーフサイズのバスケットコートや、卓球台やビリヤードなどの施設があった。父が築いた松涛の豪邸には及ばないが、バブル崩壊で疲弊する都銀の銀行員が羨む住居を手に入れたことになる。

しかし、持田がようやくパートナーに相応しい仕事を手掛けるのは、六年後の平成十年、二兆千二百五十五億円という史上最高額のNTTドコモの新規公開である。この時、日本の金融界は、北海道拓殖銀行、山一證券の破綻、野村證券の総会屋事件、日本長期信用銀行の破綻など、未曾有の危機に直面していた。

持田が率いるGSが、日本の危機に尻目に儲けていた時、一人の邦銀バンカーが危機を脱しようと奔走していた。第一勧業銀行の企画部副部長、後藤高志である。いわゆる一勧の「四人組」の一人として、総会屋事件で副頭取や元会長が相次いで逮捕される中、若手改革派の一人として、経営陣の総退陣などを主張した男である。

昨年十月、六本木ヒルズ四六階に陣取る持田は、部下に「西武の堤(義明・コクド前会長)に渡りをつけろ!」と指令を出した。有価証券報告書の虚偽記載で揺れる西武鉄道に目をつけたのは、「相手の危機に乗じて儲ける」という持田の常套手段だろう。しかし、銀行管理下に入った西武鉄道のトップに座ったのは、みずほコーポレート銀行副頭取の後藤だった。

「後藤社長と持田社長との〝溝〟は、総会屋事件の時に、持田の手法を目の当たりにしたことだけではありません。後藤社長は、東大ラグビー部出身で、一勧ラグビー部では先輩・後輩の間柄です。〝裏切り者〟の持田社長と、ビジネスをするとは考えられません」(前出・メガバンク幹部)

持田は、一勧ラグビー部のOB会には一度も顔を出したことがない。いまだ両者の間には、「一勧を裏切った男」「父の会社と自宅を奪った銀行」という、まったく異なった〝事実〟が平行して存在し続けている。

しかし、外資系投資銀行を舞台にして、旧態依然とした会社組織に反旗を翻した男たちが、「死闘」を繰り広げてきた例は、これに止まらない・・・。

(文中敬称略)

初出:「ハゲタカ外資の虚像と実像(前編)」『週刊新潮』2005年6月30日号

その3

平成八年十一月。

ゴールドマン・サックス(GS)の日本人パートナー、江原伸好(53)=現ユニゾン・キャピタル社長=が会社を後にした。江原は、川島健資(51)=現メリルリンチ日本証券副社長=とともに黎明期のGSを支え、金融機関向けのカバレッジ(営業)を担当し、FIG(FINANCIAL INSTITUTION GROUP)のヘッドとして、十六年の長きにわたって「GSの顔」を務めてきた。

日比谷高校を中退して渡米。シカゴ大学でMBAを取得後、米系の金融機関で働いてきた江原は、長身でスマートな風貌と相まって、ウォールストリートの匂いがする外資系バンカーと呼ぶに相応しい人物だった。電電公社(現NTT)の政府保証債の米国での発行など、数々の実績をあげた江原は、邦銀の企画部や国際部では「GSで最も華のある信頼できるバンカー」と語り継がれている。

しかし、この〝信頼できるバンカー〟江原の退社は、GSが、「古き良き」投資銀行の伝統を脱ぎ捨て、狙った獲物を絶対に逃さない「最強外資」へと、その姿を変貌させることを暗示していた・・・。

江原退任の翌年、北海道拓殖銀行、山一證券が相次いで崩壊したのを契機に、「外資」による本格的な日本買いが始まる。彼らが橋頭堡としたのは、「不良債権ビジネス」である。その先兵となったは、不良債権が金儲けになることを知悉していた外国人バンカーたちだった。

   ■   ■

「なんだこのチンピラみたいな外人バンカーは?」

平成九年三月、東京三菱銀行が米国の穀物商社最大手のカーギルの投資子会社に不良債権の「バルク売り」をしたことを皮切りに、邦銀から吐き出される不良債権の外資による買い漁りが本格化した。

来日当時、日本人から「チンピラ外人」などと見下されていたのは、まだ三十代前半のソニー・カルシ、フレッド・シュミットの二人だった。二人は、モルガン・スタンレー(MS)の不動産投資銀行部に派遣された「外人部隊」だったが、当時の肩書きは単なるアソシエイト。つまり、投資銀行の中では下から二番目の地位である。

「MSは、ワスプ=WASP、アングロサクソン系プロテスタントの白人=が支配する貴族的な社風の会社です。カルシはインド系アメリカ人で、シュミットは日本人とのハーフ。二人とも非常に頭がキレる男でしたが、保守本流である投資銀行部門(IBD)はワスプが牛耳っていたので出世できない。彼らが大金を掴むためには、不動産ビジネスのような歴史の浅い仕事を手掛けなければならなかった」(MSの元社員)

カルシ、シュミットを含め、日本人スタッフら約二十人でスタートした不動産部隊は、恵比寿ガーデンプレイスのIBDと同じフロアに同居した。ところが「貴族階級」のIBDから嫌われてしまう。

「不動産部隊は〝カウボーイカルチャー〟で、昼間から大声を出して騒いだり、他人の机から勝手にCDを出して聴いたりするような連中ばかりだった。それで、六階に追い払われてしまうのですが、そこは〝シェル貸し〟という内装も何も無いタコ部屋同然でした。この部屋だけは、ウッドパネルで飾られ、美人秘書がいる外資系投資銀行とはかけ離れた、雑居ビルのような雰囲気でした」(前出・元MS社員)

タコ部屋でビジネスをスタートしたカルシとシュミットの二人は、当然、チンピラなどではなかった。カルシは、MSの不動産投資ファンド「MSREF(メズレフ)」を通じ、大京からの不良債権の買い取りを指揮した。シュミットは、世界最大の調査機関「クロール」の元エージェントという肩書きが示す通り、英語と日本語を自在に駆使し、不動産管理会社「KGI」の社長として、「どんな相手でも口説き落とせる男」とまでいわれた交渉力で、買い取った不動産の債権者や不法占拠者を整理した。

MSの不良債権部隊の戦略は徹底していた。日本の金融機関が不良債権ビジネスを手掛けられなかったのは、処理の過程で「裏社会」の人間との接触を余儀なくされたのも一因だ。そこでMSは、「ローカルパートナー」という肩書きで、債務者の追跡調査や「闇の勢力」との交渉を請け負う会社を雇い、汚れ仕事を外注してしまう。

余談だが、当時、筆者がMSのローカルパートナーである銀座の「D社」を取材をしていたところ、現役の朝日新聞の記者を使って、「お前、何をコソコソ嗅ぎ回ってるんだ!」と脅されたことがある。カルシやシュミットは、こうした企業を懐に抱き込むのを厭わないほど、不良債権ビジネスに賭けていた。

   ■    ■

平成九年春、GSのマネージング・ディレクターとして来日したダニエル・H・クリーブスは、不動産買収ビジネスを手掛ける日本人スタッフのリクルートをしていた。クリーブスは、日本経済新聞をスラスラと読むほど日本語が堪能で、GSが送り込んだ「日本買い」のヘッドとして、打って付けの男だった。

「もうすぐ長銀が潰れる。さらに生命保険会社も何社か倒産するだろう。我々は、すでに根回しをしてある。GSは東京中の不動産を買うつもりだ!」

面接に訪れた日本人を前にして、クリーブスが流暢な日本語で豪語すると、あまりの大言壮語に相手が呆気に取られることも少なくなかった。しかし、クリーブスの言葉は、半分は真実となった。日比谷の「やまと生命ビル」を買収したのは、クリーブスの部隊で、長銀も経営破綻した。

もっとも、肝心の「東京中の不動産を買う」という夢は、カルシが率いるMSの不動産部隊に阻まれた。平成十三年に千代田生命の破綻で売り出された広尾の「恵比寿プライムスクェア」の入札でMSに敗れてからは、GSが都心の不動産を勝ち取る例は目立たなくなってきた。一方のMSは、「ウェスティンホテル東京」を五百一億円、「品川三菱ビル」を千四百億円で買うなど、いまだに買収攻勢は衰えていない。

「MSは、買い取った商業ビルの証券化(CMBS)の総額が約四千億円になろうとしています。二位のみずほグループでもMSの三分の一以下で、GSは十位にすら入ってない。今、銀座で豪遊できるCMBSの営業マンは、MSの人間だけだというくらいマーケットを牛耳っています」(メガバンクの不動産ファイナンス担当者)

現在、MSのカルシ、シュミットの二人はマネージング・ディレクターに出世した。米系投資銀行で保守本流に入れず、必死で実績を築くことで「チンピラ」から成り上がった二人は、多くの日本人バンカーからも賞賛されている。

「カルシは、今は成功の証としてポルシェを買い、都心の高級マンションに住み、MSのアジア・オセアニアを掌握する不動産部門のトップに就任している。日本の銀行から不良債権を買い叩いて儲けたが、誰からも恨まれないナイスガイだった」(外資系投資ファンドの日本人幹部)

一方のクリーブスは、GSが六本木ヒルズへ入居する際、森ビルとの間で家賃の値下げ交渉を成功させたのを最後に退社した。クリーブスを知るGSの元社員はこう語る。

「クリーブスは冷徹なバンカーだった。日本語は堪能だったが、打ち解けて付き合っていた日本人は少なかったと思う・・・」

まったく同じ時期に巨大投資銀行の「外人ヘッド」として不良債権ビジネスを手掛けたカルシとクリーブスだが、その後の人生は違うものになりそうだ。

初出:「ハゲタカ外資の虚像と実像」(中編)『週刊新潮』2005年7月7日号
 
 
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