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ハゲタカ外資の虚像と実像 その4~6

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年 2月 6日(木)22時51分5秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://kikuchi-blogger.blogspot.jp/2008/10/part4.html

不良債権部隊が派手な買収で利鞘を稼ぎ出していた頃、持田昌典=現ゴールドマン・サックス証券社長=は、GS東京支店長に就任していた。もっとも「支店長」とは名ばかりの肩書きで、NTTドコモの新規公開というGSの歴史に残る偉業を果たしたにも関わらず、持田の上にはマーク・シュワルツという「天下り外人」が社長として君臨していた。

持田が、さらに「白人の上」を狙うには、MSのカルシやシュミットと同様、実績を作る以外にない。IBDの実績は、「M&Aリーグテーブル」の順位によって決まる。「リーグテーブル」とは、アドバイザーとなった投資銀行や証券会社のランキングで、M&Aの取引金額の多い順に民間の調査会社が集計したものである。

「投資銀行が得るM&Aのアドバイザリーのフィー(手数料)は〝レーマン方式〟によって算出されます。例えば、取引額が三億円以下なら八%、三億円から五億円なら六%という具合に取引額に応じて成功報酬が増減する仕組みで、巨額のM&Aであればあるほど、投資銀行の懐に入る金額が増えることになります」(M&Aコンサルタント会社幹部)

持田が率いるIBDが、巨額M&Aのターゲットとして選んだのは、「銀行合併」のアドバイザーを請け負うことだった。そして、一勧、富士、興銀の三行が「みずほフィナンシャルグループ」へ経営統合する際のアドバイザーとなり、平成十一年のリーグテーブルで、GSは「日本企業が関わるアドバイザリーランキング」の取引額ベースでトップに躍り出た。

しかし、江原を失っていたGSが、なぜ、みずほのアドバイザーに簡単に就任することが出来るのか。実は、この順位に異を唱えるM&Aのプロは多い。

「みずほの三行統合は、合併比率も1対1対1と最初から決まっており、頭取同士で基本合意書も締結されていた。そもそも、興銀と一勧の合併比率が同じはずがない。デューディリジェンス(資産査定)もやらず、それらしいオピニオン・レター(第三者の意見書)を出しただけ。みずほ側も外資がリーグテーブル争いをしているのを知っていたので、ダンピングした結果、本来、もらえるはずのフィーは支払われず、受け取った成功報酬は一千万円程度になったと聞いてます」(投資銀行幹部)

リーグテーブルという〝名目上の〟実績作りのため、敢えて利益を度外視してダンピングまでした〝成果〟だという指摘である。持田が不毛なリーグテーブル争いを演じている中、「外資」を語る上で最も重大な事件が起きた。国有化されていた長銀が、米系投資ファンドのリップルウッドに売却されたのだ。

  ■    ■

長銀の売却では、「瑕疵担保特約問題」と新生銀行が上場した際に、キャピタルゲインに課税できないという二つの問題が指摘されている。この問題では、リップルウッドと新生銀行の八城基政社長に対して、「ハゲタカ外資に国民の税金を奪われた」と、批判の矛先が向けられた。

「当時の〝外資批判〟はあまりにも的外れです。リップルウッドは、長銀売却後の二次ロスを応分に負担する〝ロスシェアリング〟を主張したにも関わらず、なぜか金融再生委員会が、〝瑕疵担保〟という不利な条件を提示した。責任を問われるべきは、金融再生委員会と政府、そして政府側のアドバイザーを担当したGSです」(外資系投資銀行幹部)

「瑕疵担保」という条件を考え出したのは、再生委の一人だという。これに対してGSは「その条件は不利だ」と、的確なアドハイスをしたのか。そして、「このままのスキームでは税金が取れない」と、指摘したのだろうか。

金融再生委員会の数百枚に及ぶ議事録を見ると、GSの発言はすべて黒く塗りつぶされている。その理由は「守秘契約」だという。しかし、この当時、GSは、巨額ディールが欲しいだけで、安価でアドバイスをしていたと言われている。黒塗りの議事録の下に隠されているのは、「止むを得ない事情」か、それとも「手抜き」の証拠だろうか---。

リップルウッドによる長銀買収が決まった平成十一年、ニューヨークのGSも百三十年の歴史の中で、最大の激震が走っていた。一月、CEOのジョン・コーザインが「会長」に祭り上げられ、ハンク・ポールソンが単独CEOにとなった。五月には、長年続いたパートナーシップを解消して株式を公開。これによって「古き良きGS」は、名実ともに「普通の営利企業」になった。

そして、コーザインが経営の再前線から引くことは、日本のGSにも波風を起こす結果となった。

「当時のGSの日本人の大半は、コーザインが採用したのです。債券部のヘッド時代のコーザインは、毎日のように日本に電話をしてました。来日すれば、深夜まで部下を引き連れて飲み歩くような男で、尊敬され、慕われていました。一方、コーザインに代わってCEOになったポールソンは、IBD出身で、最も親しい日本人パートナーが持田さんだったのです」(当時を知るGS元社員)

  ■    ■

GSを退社した江原は、家族とともにカリフォルニア南部のサンディエゴで休暇をしていた。しかし、北拓、山一の倒産のニュースを聞いて帰国する。江原は、リップルウッドが日本に上陸するよりも早く、企業再生ファンドの「ユニゾン・キャピタル」を設立し、金融界へ復活を遂げる。ユニゾンは、アスキーや東ハトなど数社を買収し、日系の投資ファンドでは中核的な存在となった。しかし、あるGS元社員は、こんな危惧を口にする。

「今の日本の『乱暴すぎるマーケット』では、他の外資系ファンドと戦って勝ち残っていくには、江原さんは紳士すぎるような気がします・・・」

この言葉にある「乱暴なマーケット」を作ったのとは、江原自身が初代日本人パートナーを務めたゴールドマン・サックスに他ならない。

「かつて江原さんが、十数年かけて築いたNTTや金融機関との信頼関係も、ここ数年のGSの手法が一因で冷え込んでいると聞きます。顧客の利益を蔑ろにして自分たちの利益を最優先するようなアドバイスをして平然としていられる。弱った企業からは徹底的に買い叩き、知識の無い者に不利な契約を押し付けて、〝それがビジネスの勝者だ〟という主張が認められつつある」(日系の大手証券会社幹部)

江原がGSのパートナーだった頃、投資銀行のバンカーは飽くまでも〝黒子〟で、主役は企業の経営者や従業員だった。顧客の投資やファイナンスを手伝っても、投資銀行が前面に出ることはなく、その必要も無かった。ところが今や、こうしたお題目は壁にかかってしまった。ライブドアのニッポン放送買収で、株式市場を混乱に陥れたリーマン・ブラザーズを『したたかな外資』と持ち上げる風潮すらある。

江原に、なぜGSを辞めたのか、そして今のGSについて、どう考えるか聞こうとしたが、「もう九年も前のことですから、何もお話しすることはありません」と答えるだけだった。

平成十三年、CEOのポールソンの後ろ盾を得た持田は、「ゴールドマン・サックス・ジャパン・リミテッド」の社長に就任する。そして、日本でフィービジネスが儲からないことを悟ったのか、債券部や不良債権ビジネスで成功を収めたアービトラージ(利鞘稼ぎ)ビジネスに乗り出す。GSは、投資銀行でありながら、一方で「企業」そのものを売買する巨大投資ファンドへと変貌しようとしていた。

GSが、アドバイザーとプリンシパル・インベストメント(自己勘定投資)という二つのビジネスを両輪にして走り出した時、持田昌典自身も、〝凄み〟すら感じられるバンカーへと変貌を遂げていく。

圧倒的な強さを見せつけ始めた「持田GS」からは、かつてのパートナーたちが、一人ずつ消えていった。そして、十年以上も勤めたマネージング・ディレクタークラスの社員も次々と退社している。

「目が覚めている間は仕事のことだけを考えろ」「日曜日は休日じゃない。接待ゴルフの日だ」「勝つために必要なことをやれ。それ以外のことをやる必要は無い」「俺の部下は俺の言う通りに動けばいい」

GSは確実に、「持田独裁」へ向けて歩き出そうしていた。

平成十三年九月、ゴールドマン・サックス証券(GS)の持田昌典(50)は、港区白金の聖心女子学院に近い一等地に転居した。六百平米の土地に築いた三階建て総床面積八百五十平方㍍の大豪邸は、「土地だけでも約五億円は下らない」と言われる。ガレージには、新車価格千四百万円のイタリアの高級スポーツカー「マセラティ・グランスポーツ」が停まっている。

持田は、父の会社が廃業に追い込まれて家を失ってから、二十年の歳月を費やし、自らの手で「上流階級」の生活を取り戻すことに成功していた。

この時点で、「持田は百億円近い資産を築いた」(GS関係者)と言われている。GSの株式公開で、パートナー(共同経営者)として数十億円の配分を受け取り、NTTドモコ株の新規公開などのメガディール(巨大案件)を手掛け、巨額のボーナスを得ていたはずである。すでに「金儲け」のために働く必要はなかった。実際、GSの元パートナーの多くが会社を後にしていた。そして、「第一勧銀に廃業に追い込まれた」と言われる父親の武雄も他界していた。

もし持田が、このまま退社していれば、彼の名前は「外資系投資銀行の元バンカー」の一人として忘れ去られたかも知れない。しかし、GSの在日代表に就いた持田は、会社を辞めなかった。その理由を、ある外資系投資銀行の幹部は、こう推測する。

「持田さんを社長に押し上げたのは、六年前の銀行合併の際のアドバイザー獲得の功績です。しかし、あの争いは、まったく不毛なゲームで、M&Aの取引額を争う『リーグテーブル』でトップに立つため、採算度外視でアドバイスを引き受けていたのです」(外資系投資銀行幹部)

この争いで、二年連続でリーグテーブルの首位となった持田が率いるGSは、逆にライバルのバンカーから揶揄されていた。

「外資の足元を見て露骨なフィー(手数料)のダンピングをしたのは、みずほです。持田さんは、内心忸怩たる思いが残っているでしょうが、ダンピングを受け入れたのも事実です。口の悪いバンカーは、『GSのリーグテーブルトップは〝偽りの勝利〟だ』とさえ言っているほどです」(外資系投資銀行幹部)

しかも、みずほフィナンシャルグループの中には、持田と「因縁」の深い旧第一勧銀も含まれていた。このまま辞めれば、再び「邦銀に敗北した」ことになりかねない。こうして持田は、GSを「最強外資」に育て上げ、その「独裁者」として君臨し続ける道を選んだ・・・。

   ■    ■

しかし、持田がトップに立つと、「持田支配」を逃れるようにして、GSを去る有力バンカーが相次いだ。KDDIの合併を担当した河野哲也はJPモルガンの社長になり、新卒から二十年近くも在籍してマネージング・ディレクター(MD)にまで上り詰めていた数名の幹部社員もGSを後にした。

中でも、M&A部門のヘッドだった服部暢達(47)の退社は、GSの若手バンカーたちを動揺させた。

「投資銀行は『M&Aの仕掛け人』と言われますが、日本では企業のトップの話し合いで合併が決まるケースがほとんどです。既に決まったディール(合併案件)を、営業活動でアドバイザリーを獲得しているのが投資銀行の実態です。持田さんは、ゴルフや飲食の接待を欠かさず、企業トップと密接な関係を築いてディールを取ってくるタイプです。ところが服部さんは、戦略的なM&Aの提案でディールを取ることを目指していた。若手には、服部さんの姿こそ、理想的なインベストメントバンカーに見えたのです」(GS元社員)

持田と服部の間には、こうした「バンカー哲学」の決定的な違いがあった。持田は、仕事が終わると、親友の横山健次郎が経営する焼き鳥屋に部下を連れて訪れ、酒を飲み交わすことを好んだ。しかし、こうした酒席に服部が顔を出すことは皆無に等しかった。

GSのIBDのトップ同士が、微妙な緊張関係を保つ中で生じたのが、「NTTドコモ海外投資の巨額損失」だった。

ドコモは、平成十一年以降、海外の通信会社六社に約三兆円を投資したものの、わずか数年で二兆円もの減損処理を余儀なくされた。この投資のうち、米国のAT&Tワイヤレスと台湾のKGテレコムのアドバイザーとなったのがGSだった。

「長年、ドコモを担当していたのが服部さんでした。ところがここ数年は、持田さん自らがドコモの立川(敬二)社長=当時=に直接電話をかけてトップセールスをしていた。ドコモは、AT&Tワイヤレスに出資したものの、わずか十六%の株数だっため取締役会での拒否権を行使できなかった。結局、全米二位のシンギュラー・ワイヤレスにAT&Tワイヤレスを横取りされてしまった」(GS元社員)

GSのファイナンシャル・アドハイスは適切だったのか。NTTドコモの中村維夫社長はこう語る。

「投資はドコモの取締役会の決議をへて実行されたもので、失敗の責任は我々にある。今はGSとの間で具体的に進めてる案件は無いです。(持田社長のバンカーとしての評価は)ノーコメントですね」

服部は、退社までの数年間、月曜日の朝八時半から行われる定例の「全体会議」に姿を見せなかった。全体会議には、GSのIBD全員が出席し、各案件の進捗状況が報告される。そして、他社にディールを獲られると、持田から「何をやってるんだ!」と容赦の無い叱責の声が上がる。全体会議は、「持田イズム」をIBD全体に浸透させる〝ミサ〟であり、軍隊の朝会のようなものだ。

GSは「通信分野」の強さを最大の武器にしていた。服部や河野の退社は、GSの屋台骨を支えた「通信」の時代が終焉し、持田の手によって新たな時代の模索が始まったことを物語っていた・・・。

GSからMDクラスの退社が相次ぐ中、持田がターゲットにしたのが、「最後のバンカー」と言われる三井住友銀行頭取の西川善文(66)だった。

当時、三井住友は、「融三案件」という平和相互銀行やイトマン事件に絡んだ巨額の不良債権の処理に追われていた。さらに、銀行内部には、西川の独走を抑えようとする「旧三井」系の行員が蠢動し始めていた。こうした危機を見透かしたように、GSは千五百億円の増資の見返りに、年率四・五%の高額配当と、GSの欧米の顧客へ最大約二千五百五十億円の信用保証を手にした。世に言う「不平等増資」である。

この一回目の増資は、平成十四年夏、GSのIBDを中心に設置されたチーム「プロジェクト・サマータイム」が策定した。しかし、一回目の増資は、西川が、自ら弱みを曝け出した結果に過ぎない。「持田イズム」によって組織されたGSのIBDが圧倒的な強さを発揮するのは、二回目の増資である。

持田は、破格の好条件で提携を結んだ西川を信用し切っていた。横山が経営する西麻布のフランス料理店「P」で西川を接待し、「今まで、私とゴルフをしてくれる上場企業の経営者は、消費者金融のトップぐらいでしたが、西川さんは付き合ってくれる」と、喜んでいたという。

ところが、一回目の増資の払い込みが完了しない平成十五年二月初旬、GSに、「三井住友が、JPモルガンを通じて三千億円超の増資を計画している」という情報が飛び込んできた。

「旧三井系の人間が中心になって、JPモルガンに増資計画のマンデート(業務委託)を与えていたようです。ところが、JPが機関投資家に内々で相談したため、既に増資を公表していたGSに情報が漏れた。第一報を聞いた持田さんは明らかに動揺してました。〝西川に諮られた〟と思ったんでしょう」(GS関係者)

三千億円もの増資が実行されれば、GSの持ち株比率は稀釈化する。持田の「クビ」が飛びかねない事態である。持田は自らヘッドになって、約十名の「ミッション・インポッシブル3」という名のプロジェクトチームを即座に立ち上げた。

そして、GSのCEOのヘンリー・ポールソンが、衛星回線のビデオカンファレンス(テレビ会議)を通じて、「このままでは一回目の払い込みは難しい」と言って、西川を吊るし上げる一幕もあったという。

GSは、二週間という短期間で世界中の投資家から三千五百億円を掻き集め、三井住友の二回目の増資を奪い取った。この時、みずほフィナルンシャルグループは「一兆円増資」の一部をメリルリンチ証券に依頼していた。ところが、GSが市場を席巻したため資金が集まらず、ディールをキャンセルせざるを得なくなったのだ。

「これを聞いたみずほの首脳は、メリルの担当者に灰皿を投げつけて激怒したそうです。『竹中プラン』を受けて、みずほの行員が全国で頭を下げて一兆円を集めている最中、〝やっぱり駄目でした〟で済むほど投資銀行のビジネスは甘くないのです」(先の外資系投資銀行幹部)

GSは、JPモルガンとメリルを蹴散らし、名実ともに「最強外資」であることを証明した。この時こそ、敗北を続けていた邦銀に、ディールを通じて初めて「勝利」した瞬間だった。

■     ■

「最強外資」となったGSは、六本木ヒルズに移転した。IBDのトップである持田は会社からの迎車で、債券部トップのトーマス・モンタグは自宅から150キロの巨体をスクーターに乗せて通勤している。

「モンタグは稼ぐ人間には金を使い、稼がない人間には使わせない。ある種の恐怖政治を敷いてますが、マーケットを見る能力、人を使う能力は突出している。二人とも本部の『経営委員会』に入っているので、ニューヨークへも意見を言える。日本人の持田さんがトップに立ち、本部の方針に振り回され無いこともGSの強さの一つでしょう」(前出の外資系投資銀行幹部)

しかし、持田の地位が高まり、GSが「強さ」を発揮する一方で、「信用」が二の次になる振る舞いが目立ち始める。その代表的な例が「日本テレコム」案件である。

昨年、GSは、自らが保有する日本テレコムの株式をソフトバンクに売却する際、ソフトバンク側のアドバイザーとなった。つまり、売り手が買い手側にアドバイスするという、「利益相反」と批判されても仕方がない暴挙に公然と打って出たのだ。

「GSは二兆円を超える投資ファンドを保有している。こうしたプリンシパル・インベストメント(自己勘定投資)は、米国のGSが始めたことですが、米国では、ファンドへの投資を通じてコンフリクト(利益相反)を起こすようなアドバイザーには就かない。下手をすれば株主から訴えられるからです。その意味で、日本のGSは病的にグリーディー(強欲)です」(同)

GSは、「顧客第一主義」と口で言いながら、実際は日本市場や一般株主を「舐めている」ように見える。

「現在のGSのIBDは、カバレッジ(営業)バンカーが十人ほどで、その下にアドバイザリーグループが八十人ほどいます。カバレッジバンカーは、コーポレートファイナンスを卒業したシニアが就任する例が多い。その結果、〝持田イズム〟を理解したバンカーがピラミッドの頂点にいるので、仕事となると一糸乱れぬ軍隊的な強さを発揮する。ところが、持田さんの指令が最優先されるので、お客さんからは、〝どこを見て商売してるんだ?〟と思われることも多いのです」(外資系投資銀行幹部)

メリルリンチの網屋信介、ドイツ証券の結城公平、元モルガン・スタンレーの吉沢正道など、外資系投資銀行には「信頼できる日本人バンカー」がいる。しかしGSは、勝負にこだり続ける強靭な持田の顔しか見えてこない。

GSは、経営再建中の準大手ゼネコン「フジタ」へ410億円を出資した。さらに「西武鉄道」の買収へ照準を定めている。

しかし、こうした積極的な買収戦略は、まだ日本の市場で受け入れられていない。GSが一から立て直したゴルフ場ですら、「買い漁り」と言われてしまうほどだ。それは、日本テレコムなどのディールを通じて露見した「日本市場や株主を見下した」態度が原因ではないだろうか。

■     ■

持田の父・武雄は、家業の「メリノ」を廃業する際、下請け業者や納品先の百貨店に、一切の焦げ付きを発生させなかった。西武百貨店で「メリノ」の仕入れを担当していた萩本泰博が回想する。

「武雄社長の〝綺麗な廃業〟は、社内で話題になったほどです。その後、メリノの元社員が会社を作った時、西武の社員が一緒に工場まで行き、〝この方は信用できます〟と太鼓判を押したほどです。それほど武雄社長は尊敬され、信頼されていました」

持田の生き方は、父親とは対照的だ。アメリカナイズされた合理主義者でも、頭がいいだけのトレーダーでもない。むしろ、企業統治の手法も営業スタイルも極めて古典的な「日本流」である。

持田は、西川を接待した西麻布のフランス料理店で、深夜までカリフォルニアワインを飲みむことが多い。昼間、まりなじを決して部下を叱責している持田は、この店ではどこにでもいる50代のサラリーマンのようになる。チェーンスモーカーの持田は、セブンスターを次々に灰にしながら、

「俺が人から悪く言われてるのは分かってる。どうせお前も嫌いなんだろ」

と部下に嘯き、笑っているという。しかし、持田の口からは、言い訳も他人の悪口も出てこない。キレイ事を言って自分を正当化しようともしない。ただ、「勝つ」ことだけを目的に働き続けている。〝最も成功した日本人インベストメントバンカー〟と言われる持田は、実は、〝最も古いタイプの日本的経営者〟の生き残りなのかも知れない。

そして「独裁者」となった持田が退任するまで、GSが日本市場での信頼を得られなければ、「金儲けが上手いだけの尊敬されない外資」という評価に終わってしまうだろう。

(文中敬称略)

初出:「ハゲタカ外資の虚像と実像」(後編)『週刊新潮』2005年7月14日号
 
 
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