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日露戦争

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年 2月11日(火)11時37分14秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/662.html

この風刺画にあるように、満州から大国ロシアを追い出し、自由貿易によって莫大な利益をあげようとする、アメリカとイギリスが、日本を使って戦わせようとした戦争です。
このように、日本人を傭兵として利用しようとしたのは、日露戦争に始まったことではなく、戦国時代にポルトガルやスペインが中国の明を征服するために、西国大名を鉄砲・火薬・金・女を使って取り込んだキリシタン大名の例もそうです。

欧米からすると、中国を支配するための兵を自国から送るのは、当時の輸送手段では十分でないため、現地で傭兵を作る必要があった。 また、キリシタン大名の立場からすると、自分を守るために、鉄砲と火薬を必要とし、利害が一致したと言う事です。 鉄砲は、信長の時代に日本国内で大量生産できるようになりましたが、肝心の火薬の原料となる硝酸カリウムがありませんでした。 硝酸カリウムのとれる南アメリカを征服したポルトガル、スペイン、イギリスが世界を征服していったのが当時の歴史です。

ちなみに、女が使われた例としては、日本人で初めて西洋人の妾をもった伊達政宗がそうです。 織田信長にせよ、キリシタン大名にせよ、伊達政宗にせよ、バテレンからすれば、日本を植民地化、また日本と貿易するために、とりあえず日本に人を送り込まなければならない。 しかし、日本の最高権力者はバテレンが鉄砲・火薬を持ち込み、地方大名が力を持つのを防ぐため鎖国、またキリスト教を迫害したい。 一方、地方大名は火薬を手に入れ力を持ちたいという思惑です。  信長が天下を取れたのも、長篠の戦でも分かるように、バテレンから鉄砲・火薬を手にした事が重要なポイントです。 上杉謙信・武田信玄のような仏教に傾倒した戦国大名ではバテレンにとっては都合が悪く、比叡山を焼き討ちするくらいの信長をバテレンが支援したのも無理はありません。 信長は西洋の先端技術を入手するために、キリスト教徒を保護していました。 織田信長と一戦構える直前に、上杉謙信、武田信玄ともに謎の中毒死(食中毒)をしているのも、歴史家はもっと調べる必要があるでしょう。 キリシタンが背後にいる毒殺の可能性も否定することはできません。

話を日露戦争に戻すと、ロシアが満州から朝鮮半島に触手を伸ばしてきましたが、当時のロシアは世界No.1の大陸軍を有する帝国で、とても日本単独で戦える相手ではありません。  イギリスとしても世界戦略の一環で、東アジアの植民地権益を守るためには、ロシアの南下を何としても妨げねばならないので、利害の一致した両国は、1902年(明治35年)に日英同盟を結びました。

日英同盟から学ぶ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/146.html

また、在英日本公使の 林董(はやしただす) は、ロンドンのエンパイヤーロッジN.21008で、フリーメーソンになった人物で、ロッジマスターにまで登りつめ、ロンドンで日英同盟に調印した人物でありますが、一方のイギリス外相の第5代ランズダウン候も日英同盟に調印した人物ですが、彼もフリーメーソンでありました。

日英同盟を結んだ日本は、ロシアに満州から引き上げるよう要求しましたが、ロシア軍は言うことを聞かず、1904年(明治37年)2月8日、日本はロシア軍の基地であった旅順と仁川を攻撃し、次の日にロシアに宣戦布告しました。

ロシアとの開戦が決まったものの、日本は戦費不足で日銀総裁の副総裁の高橋是清を、戦費調達のために欧米に派遣しましたが、誰も戦時公債の起債に応じてはくれませんでした。 そこに救いの手を伸ばしてくれたのが、クーン・ローブ商会のユダヤ人金融家ヤコブ・ヘンリー・シフでありました。

この時、ロスチャイルドに一度融資を断られていますが、これは当時ロスチャイルドはロシアのバグー油田の利権を持っていたので、表向きロシアに逆らうことが出来なかった為です。 しかし後にロスチャイルドも融資をしてくれています。 シフ家とロスチャイルド家は、隣同士に住んでいた仲で、シフは1865年にアメリカに渡りましたが、ロスチャイルドのアメリカ代理人でありました。

日本は、こうしてイギリスのロスチャイルド、アメリカのクーローブ商会から支援を受け、計4回ポンド建外債を発行し、戦費の約70%(8億2000万円=8200万ポンド)を調達でき、そのお金でイギリスのロスチャイルド系の兵器会社から戦艦や武器を購入し、日露戦争を戦いぬくことが出来ました。

当時の公債の金利相場は2%ほどでありましたが、契約で4.5~6%の金利をロスチャイルドに払わねばならず、日露戦争の本当の勝者はロスチャイルドであったと言われています。

日露戦争では、旅順の203高地を陥落させ、さらに奉天でも大勝利を収め、1905年5月27日日本海海戦ではバルチック艦隊を打ち破り、アメリカ大統領のルーズベルトに仲裁してもらい、8月にアメリカの軍港ポーツマスで講和条約がむすばれました。  これをポーツマス条約と言います。

条約の内容は、

1)朝鮮の監督は日本が行う
2)ロシアが中国から借りていた、満州の旅順・大連は日本が借りる。
3)南満州鉄道を日本に譲る
4)南樺太と、北洋漁業の権利を日本が貰う。

というものです。

フリーメーソン-32  近代日本とフリーメーソン
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/624.html

イギリスの産業革命による科学技術の発達、そして大航海時代によるアジア諸国との接触で、世界の歴史は必ずしも聖書の教えるものと一致しない事を学んだヨーロッパの人々の間では、宗教からは少し距離を置き、超自然的なものではなく、科学技術に基づき、人間本来の理性を中心に捉えて思考するという啓蒙思想が17-18世紀に興りました。  その啓蒙思想を受けて、活動が盛んになったのがフリーメーソンです。

宗教から開放され、科学技術の発達により、ヨーロッパの国々は国力を増し、大きな発展を遂げることになりました。 そして蒸気機関と鉄道の発明により、鉄そのもの、そして鉄を溶かし還元するための石炭などの需要が増え、ヨーロッパ内からだけではまかないきれない地下資源を求めて、アフリカやアジアに進出して来たのです。

フリーメーソン思想の原点は、古代エジプト神話のホルス神の万物を見通し真理を追求するもので、古代イスラエルのソロモンの知恵、ギリシアのピタゴラス学派につながる真理の追究、建築・数学を重視し、「自由・平等・博愛」を説く、ヨーロッパで啓蒙時代に興った極めて平和的なものであります。

それが「石工組合」に伝承され、中世ヨーロッパで石造建築が行き渡り、建設需要がなくなったあたりから、石工ではない政治家、貴族、学者たちが入会することになり、政治色を帯びてくるようになりました。

全てを見通す目
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/589.html
ホルスの目
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/590.html
フリーメーソン-7 イルミナティ

http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/597.html
フリーメーソン-8 3つの世界大戦
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/598.html
フリーメーソン-9 グラントリアン(大東社)
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/599.html

マリーアントワネット
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/202.html

また、当時のヨーロッパの哲学者や音楽家たちも、啓蒙思想と古代からの理性中心的な考えをあわせ持つフリーメーソン思想に大きな影響を受け、自らもフリーメーソンとなっています。  モーツアルト、サリエリ、バッハ、ハイドン、ベートーベン、リストなどは全員フリーメーソンです。

フリーメーソン-12 モーツアルト
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/602.html
フリーメーソン-13 魔笛
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/603.html
フリーメーソン-14 ゲーテ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/604.html

そして、アメリカ建国にもフリーメーソン思想は大きな影響を与えており、アメリカ建国の父と呼ばれた人達の56人中53人が、また歴代大統領の14人がフリーメーソンであります。

フリーメーソン-5 アメリカ建国
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/595.html

近代日本は、まさにフリーメーソンとともに歩んできたようなもので、

日本に最初に入って来たフリーメーソンは、1779年に来日し、オランダ商館長となったアイザック・ティチングで、日本にフリーメーソンのロッジ(集会所)ができたのが1864年の横浜、日本人で最初にフリーメーソンになったのがオランダのライデン大学に留学していた西周で同じく1864年のことでした。

フリーメーソン-25 日本上陸
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/617.html
フリーメーソン-26 西周
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/618.html

1853年にフリーメーソンであったペリーが日本を開国させ、日米修好通商条約で通訳として活躍したのが、フリーメーソンに深い関わりを持ったジョン万次郎。

フリーメーソン-27 黒船来襲
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/619.html
フリーメーソン-28 南北戦争と明治維新
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/620.html
フリーメーソン-31 ジョン万次郎
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/623.html

フリーメーソンであったグラバーが維新軍に武器を供給して明治維新は成し遂げられ、フリーメーソンの在英日本公使の林董(はやしただす)が日英同盟を調印し、フリーメーソンのシフによる資金供給で日露戦争を戦い、その後中国ではフリーメーソンの蒋介石とアホな日本の政治家たちにより日英同盟は破棄され、

フリーメーソン-2 中国進出
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/592.html
日英同盟から学ぶ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/146.html

フリーメーソンの蒋介石ををフリーメーソンのルーズベルトが支援し、フリーメーソンのオッペンハイマーが原爆の開発に成功し、フリーメーソンのルーズベルトが原爆投下を決定し、フリーメーソンのトルーマンが投下しました。

そしてフリーメーソンであるマッカーサー率いるGHQによる占領政策で、戦後の日本が形成されてきたのが、日本の近代史です。

 
 
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