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NHK長谷川浩解説主幹の変死

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年 2月14日(金)01時49分6秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://60265724.at.webry.info/201204/article_4.html

NHK解説主幹、長谷川浩氏
9.11事件の1ヶ月後に
NHK内で変死

2001年10月17日の朝日新聞夕刊にNHKの解説委員主幹である長谷川浩氏(55歳)の変死を報じる小さな記事が掲載される。同氏はNHK放送センタービルの近くで発見されたもようで、自室の窓から転落したと見られている。同氏は国際テロについての専門家で、同年10月10日に放映された9.11同時多発テロをテーマにしたNHK特別番組「あすを読む:新しい戦争と世界」で自説を述べていた。その中で同氏は世界貿易センタービルの攻撃の犠牲者の中にユダヤ人が一人もいないという事実を指摘していた。長谷川浩解説主幹は同番組の中で、世界貿易センタービルに勤務するユダヤ系の職員のほとんどが、9.11のまさにその朝に奇妙にも欠勤していたと語った。

管理人注:より詳しくは当日イスラエルと米国の二重国籍のユダヤ人4000人が欠勤していた....と核心をついた。まとめ記事は......

http://60265724.at.webry.info/theme/129f9e307f.html

四大新聞社の裏側と実態

http://www.asyura2.com/12/senkyo125/msg/185.html

長谷川浩解説主幹のプロファイル

http://60265724.at.webry.info/201106/article_1.html

マルハン・朝鮮・自民党・FEMA

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/492.html

2001年9月11日:起算日
いわゆる“9.11事件”が起こる。

2001年10月10日:29日目(9.11から)
9.11事件の1ヶ月後に、長谷川浩氏はテレビの特別ニュース番組で同事件について話をしていた。
NHK特別番組「あすを読む:新しい戦争と世界」という番組で、9.11事件後の約1カ月間に、長谷川浩解説委員を主幹とするNHKの解説委員たちが総力をあげてこの大事件について調査・研究した成果を発表したものである。長谷川氏は8名のパネリストのうちの1人として、自らの徹底した調査に基づいて、世界貿易センタービルの犠牲者の中に奇妙にもユダヤ人がいなかったことに触れた。そして、9.11同時多発テロの首謀者がアラブのテロリストであるというブッシュ大統領の声明を鵜呑みにすることについて、視聴者に注意を促した。

2001年10月15日:34日目(9.11から)
長谷川浩氏は、上記のテレビ出演のわずか5日後にNHK内で変死しているのが発見される。
NHKの解説委員である長谷川浩氏はテレビ出演での発言のわずか5日後に自らの職場であるNHKの敷地内で横たわっているのが午前11時すぎに発見される。正確に言えば、発見された時点ではまだ死んでいなかったもようである。状況からして高層部の自室の窓から転落したように思われたが、けっきょく検死解剖もされなかったので事実はわからない。遺書などはいっさい残されていなかった。家族も同僚も同氏が自殺するような動機はまったく思い当たらないとしている。

長谷川氏の死亡について日本のメディア内で組織的な無視もしくは隠ぺいと思われる動きがあった。
奇妙にも、同氏の死亡はその日に報道されなかった。同氏のまさに職場であるNHKのテレビニュースでも、民放のニュース番組でも、そしてその日の日本のどの新聞でも報じられなかった。もしこうした変死が午前中に警察に通報されれば、夕刊には報道されるはずである。長谷川氏の死亡事件の場合、同日の夕刊に優に間に合うはずであったが、実際は報道されていない。かりに夕刊に掲載されるのに間に合わなかったとしても、テレビの午後や夕方のニュースではいくらでも報道できたはずである。NHKの場合、自局の敷地内で起きたことであるから、まさに降ってわいた“スクープ”だったかもしれない。しかし、けっきょくどのテレビ局も長谷川氏の死亡事件をその日に報道することはなかった。これは戦後の日本のメディアの歴史において非常に異例で異常なケースである。

2001年10月17日:36日目(9.11から)
記事の“差し止め”がついに解除、しかし不当に小さな扱い
長谷川氏の死亡を報じる小さな記事が“発見”の2日目についに大新聞に掲載される。しかし、朝刊ではなく夕刊であった。実は、報知新聞は大新聞に先駆けて16日に報道していた。大新聞の場合、“差し止め”は50時間を超えたことになる。そしてその解除も差し止めと同様、日本のメディアの上層の誰か、もしくは何らかの力によって、もしくは日本政府の、はたまた何らかの海外からの力によってなされたのかもしれない。さて、大新聞に掲載された同氏の死亡記事はいずれもごく小さな紙面を割くにすぎず、その大きさは名刺大ほどで、写真もなく、どれも同様のそっけない記事である。どの新聞の記事も、死者1名の交通事故の記事のような書きぶりである。長谷川氏の場合、明らかに死因が不審であるにもかかわらずである。報道されるまで50時間以上もかかっているわりには、詳細が書かれていない。新聞紙上のそれらの記事はあまりにも小さく、しかも変死にしてはあまりに扱いが軽かったために、当時、長谷川氏の死亡事件は一般の注意をほとんど引かなかった。背後で忙しく暗躍していた人間にとってはまずまずの成功であったのかもしれない。

こうした報道は“予防的な最小限のメデイアリリース”というものかもしれない。全面的な無視はいずれにしても不可能であるし、むしろ余計に疑惑を招いてしまう。いくら完全な隠ぺいを図っても、けっきょくいつかは暴露され、逆に隠ぺいを図ったことを追及されることになるのがオチである。長谷川氏の変死に対する注意・関心のレベルを可能な限り低く抑えるという目的のためには、死亡記事を、桁違いに小さな紙面で、しかも2日間という冷却期間を置いてから出させるほうが、受け入れ難い度合いがより少ない選択肢だったのかもしれない。いくら不当に小さな扱いであっても、隠ぺいはしなかったという言い訳にできるかもしれない。

警察は検死解剖をすることもなく、自殺と断定した。
問題の2日間ものの差し止めの期間に、同氏の遺体の検死解剖はなされていない。これは変死、不審死の場合、通常考えられないことである。殺人の可能性の線での捜査もなされていない。遺書も残されておらず、遺族や同僚たちも自殺の動機は思い当らないとしている。”転落死”であるとするならば、事故の可能性もあるだろうが、警察はその可能性すらも排除し、検死解剖もすることなく単に”自殺”と断定した。遺体は検死解剖されることなく火葬された。

長谷川浩氏に関する情報はネット上で今でもコントロールされている。
長谷川氏のかつての存在と業績は、彼の死後、組織的に可能な限り消されてきている。NHKといえども、さすがにそのウェブサイト上の放送の記録から彼に関するものをすべて消すことはできない。たしかに記録はある。ただし、タイトルだけである。中身はない。逆に彼の活動の痕跡すべてを消したら、却って怪しまれるだけであろう。長谷川氏は、亡くなるまでの数年間、NHKニュースの解説主幹として非常に活発な仕事ぶりであった。“あすを読む”という自分の番組を持ち、主に国際関係、防衛問題、国際テロに関したテーマで鋭い分析、解説を披露していた。9.11事件が起きると、同氏は同事件に取り組む上でNHKの中で自然にリーダーシップを取ったし、日本の中でも同氏がリードしていた。彼は自分の“あすを読む”に1997年から 2001年10月まで60回近く出演している。しかし、今日現在、それらをNHKは公開しない。また、それらの番組について触れたウェブサイトも多数あったに違いないが、現在ネット上ではほとんど見つからない。それらは組織的に回収されたか削除されたように思われる。

長谷川浩氏の写真について言えば、NHKの看板解説委員で信頼性のあるコメンテイターとして数多くの写真がネット上に流布していたはずであるが、現在ネット上には、たった1点、それも小さくて、ざらついていて、色の薄いものしか見つからない(本ページのトップを再度参照されたし)。これも、余計に疑惑を招くことを避けるためにすべてを消さずにおく“最小限のリリース”の例の1つであろうか。彼の写真のこの少なさ(1点!)は、他のふつうに物故したニュースキャスターの場合と比べてみても極めて異常である。ここには何らかの見えざる力による組織的な抹殺の臭いがする。


素朴な質問:
-長谷川浩氏の変死と、亡くなる5日前のNHKのニュース番組での同氏の指摘とのあいだには何らかの関係があったのだろうか。
-もしあったとしたら、それは同氏の指摘が本当だったからなのか、まちがいだったからなのか。
-同氏の指摘は、誰かに、もしくは地球上のある人々にとってそんなにも不都合なことだったのだろうか。

”NHKの長谷川浩氏”がタブーであってはならない。彼は希有な功労者である。
9.11事件には多くの謎がある。ジャーナリストであれ、一般人であれ、同事件に関係して謎めいた死をとげたひとは少なくない。ある人々は9.11についての真実を知ろうとしていて、また別の人々は図らずも9.11の真実をたまたま知ってしまったように思われる。9.11についての真実を追求する人々はしばしば“9.11の真実追求者(9/11 truthers)”と呼ばれる。長谷川浩氏は、9.11についての真実を追求するなかで最初に命を奪われた “9.11の真実追求者”だったのかもしれない。ジャーナリストは、そもそも好奇心が旺盛である。本物のジャーナリストは真実の追求をやめはしない。真実の追求が抑圧されたり、妨害されてはならない。

長谷川浩氏と彼の死を闇に葬ってはならない。彼の変死は、彼が世界に伝えようとした事実の重大性を物語っている。また同時にその重大さを十分認識しながらも真実の追求、公表をやめなかった彼の勇気も物語っている。しかし、彼の変死についてのその後のメディアの沈黙は日本のマスコミが死んだことを意味する。(何も報道しなかったわけではないと後で言い訳できるように小さな記事だけは掲載してあるだろうが、それっきりである)ここで、ご注意願いたいが、日本のマスコミが死んだのは長谷川氏が死んだからではない。そうではなく、日本のマスコミが長谷川氏の変死について触れることをずっと避けているからである。真実から逃げるジャーナリストはニセモノであり、死んだも同然である。日本のジャーナリズムにとって“NHKの長谷川氏の変死”に触れることはタブーなのである。あなたが今まで“NHKの長谷川氏の変死”について知らずにいたという事実そのものが日本のジャーナリズムの闇と現代史の深淵を物語っている。



死を報じた新聞の奇妙な統一性

http://60265724.at.webry.info/201205/article_1.html

管理人注:新聞記事はいずれもごくごく小さく書かれている。

2001年10月17日、9.11事件が起きてからほぼ1カ月後、NHK解説主幹の長谷川氏の死は死後丸2日も経ってから新聞で報じられた。どの新聞でも、同氏がNHKの敷地内で変死体として発見された記事にしては、あまりにも小さな扱いであった。奇妙な点は、大新聞(朝日、読売、日経、産経)に見られる同氏の死亡事件の扱いの類似性、共通性、あえて言えば、統一性である。

1) まず、どの新聞も長谷川氏の死後2日後の夕刊で報道している。ふつうに考えると、2日間何らかの”差し止め”があったということであろう。しかし、この場合、新聞社それぞれの自主的な判断での”差し止め”とはとても考えにくい。それでは、その横並びの”差し止め”は警察か、どこか新聞社以外からの指示だったのであろうか。そうだとしたら、その理由は何だったのであろうか。

2) どの新聞でも、長谷川氏の死亡記事じたいが不当に小さく、最小限の大きさであり、したがってほぼ同じ大きさである。知名度のあるNHKのニュース解説主幹の変死を報じるには不釣り合いな小ささである。変死であれば著名人でなくとも、その日に報道され、扱いはもっと大きいはずである。ましてや、長谷川氏は、わずか5日前にテレビで9.11事件について発言もしていた知名度のある人物である。3面記事にはさまざまな記事がひしめいているが、NHK解説主幹の長谷川氏の変死よりも、「株主総会をめぐり金銭要求をした警察OBの逮捕」「うつぶせ寝訴訟」「えひめ丸、一遺体確認、家族、悲しみ新た」「自治労幹部、電子決済悪用し横領」といった記事のほうがずっと大きく報じられている。「ハイヤーが衝突炎上、3人死傷」といったありふれた交通事故のほうが優先されて報じられている。

3) どの新聞でも、長谷川氏の死亡記事は最下段に位置している。ここはそのページでいちばん重要性が低い場所である。つまり、最小クラスの記事が最も目立たない位置に配されていることになる。

4) どの新聞でも、長谷川氏の死亡記事は広告にはさまれている。上下にはさまれるか、左右からはさまれるかしている。新聞広告は、広告主がわざわざお金を払って、読者の注意を惹きつけるわけであるから、その周りは注意が薄くなるのは理の当然である。

5)どの新聞でも、冷静に比較して見ると、数日前に起きた「米原潜のえひめ丸衝突事件」の”続報”が不釣り合いに大きく報じられているように思える。しかもいずれもエモーショナルな大きな見出しと同じくエモーショナルな大きな写真を使っている点が共通している。この紙面を開いた読者の注意は紙面の主に上段に奪われて、下段の、広告に埋もれた小記事にまで十分には及ばなかったかもしれない。

「著名人の変死」がどの新聞でも最小の扱いになっているのは、その点だけでも、どう考えても不自然である。朝日、読売、日経の記事では「警視庁代々木署が死因を調べている」としているが、警察は検死解剖はまったくおこなっていない。いっぽう、産経は、「警視庁代々木署は事件性はないと話している」と報じているが”事件性はない”とは”犯罪性はない”と同義であろう。死体発見の状況じたい異常であり、検死解剖もしていないで、どうして犯罪の可能性を最初から排除できるというのであろうか。

どの新聞も3面の、いちばん下あたりで、広告に埋もれたような目立たない、見落としそうな場所である。奇妙にも、上記のどの新聞も、まるで、「出すには出すが、なるべく目立たないように」という配慮がj働いているかのようなレイアウトである。1紙くらい違う扱いがあってもよさそうなものだが、どれもみな「最小限で、しかもできるだけ目立たないように」という配慮が働いているような印象を受ける。いちばん最後の4番目の産経新聞の場合は、特に手が込んでいて、広告で挟んだうえ、さらに2つに分割して、飛び地している。それも逆の流れに飛んでいる。ただでさえ小さなこの記事のこの分割が本当に紙面構成上必要なものだったかどうかじっくりご判断いただきたい。

別々の新聞社が、この記事に関しては、まるで同一人物の指示、最終チェックを受けたかのような統一性がある。一つの記事をどのように報じるかはそれぞれの新聞社の独自の判断で決まるとしたら、この一様性は何なのか。この横並びは何なのか。しかも大きな記事ではなく、最小クラスの記事でのこの共通性、統一性は何を意味するのか。そもそも小さい記事ということは重要性が低いということであろう。そうであるならば、掲載しない新聞があってもおかしくない。しかし、どの新聞も報じている。また、掲載するにしても”小事件”の扱いは新聞によってまちまちになるのがふつうである。しかし、各紙とも長谷川氏の死亡事件は全面的に無視しているわけではない。それどころか奇妙な統一性をもって報じているのである。全面的に無視するにはあまりにも重大すぎる事件であったのである。にもかかわらず、大きく報じなかったのはなぜか。

全面的無視をしなかった1つの理由として考えられるのは、仮に報道されなかったとすると、かえってあとから疑惑、注目を引き起こしてしまうことになるのを避ける意図がある。死亡事件というものはいずれにしてもけっきょく知られることになる。そのときに、報道されていなかったとがわかると、今度は隠ぺいの疑いが起きてくる。つまり、完全な隠ぺいがどうせ不可能なことがわかっているならば、へたに全面的無視はせず、ほどほどに報道してしまったほうが、あとからの疑問、詮索、追及は起きにくいということだ。

完全な隠ぺいを図るのは隠ぺい工作としてはむしろレベルが低く、いずれ暴かれ、意図も突き止められてしまう。隠ぺいの成功は完全な隠ぺいを目ざさずに、むしろ少量の事実を誤情報によって粉飾して公然とリリース、もしくは隠然とリークすることにある。その際、新聞という公器では、その報道のインパクトを最小にするために、紙面構成のテクニックがフルに駆使されることになるだろう。

上記の、特に5項目に留意して、実際の新聞紙面を見て頂きたい。ふつうだったら見落としてしまうか、読んでも大した事件と思わないだろう。

 
 
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