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東北地方にアイヌの足跡を巡る

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年 3月 5日(水)13時57分9秒
  通報 返信・引用 編集済
  東北地方にアイヌの足跡を辿る-発掘人骨の形態学的・遺伝学的研究 2006年度 研究実績報告書

1 東日本縄文人、北海道続縄文人、九州古墳人、関東古墳人、東北古墳人、東北古代人、関東鎌倉時代人、九州江戸時代人、府内江戸時代人、南東北江戸時代人、北東北江戸時代人、北海道アイヌ頭蓋の計測的および非計測的データのデータベース構築が完了した(百々・川久保)。

東北地方の江戸時代人は東北北部でも関東地方と大きく変わることがないのに、古墳時代の東北地方には縄文人的特徴を残す人々が住んでいたことが示唆された。

2 東北地方中央部江戸時代遺跡人骨と近現代東北地方人頭蓋の歯の計測的・非計測的データを収集した(松村・鈴木)。東北地方中央部江戸時代人(河崎の柵擬定地遺跡)の歯は府内江戸時代人とほとんど変わらないことが示された。

3 宮城県石巻市梨木畑貝塚と山形県酒田市秋穴洞窟出土の古墳時代~古代人骨からミトコンドリアDNAを抽出し解析した(安達)。

秋穴人骨のDNAは現代東北地方人と変わるところはなかったが、梨木畑貝塚人骨には北海道に特有なDNAハプロタイプが認められた。
http://kaken.nii.ac.jp/d/p/17370089/2006/3/ja.ja.html

東北地方にアイヌの足跡を辿る : 発掘人骨頭蓋の計測的・非計測的研究 2009-12-01

南東北(宮城・福島・山形)由来の古墳時代人・古代人と北東北(青森・岩手・秋田)由来の江戸時代人の頭蓋について,計測的分析と形態小変異の分析を行い,これら東北地方の古人骨に,縄文人やアイヌの形態的特徴が,どの程度遺残しているかを調べた。

比較資料として,東日本縄文人,北海道アイヌ,関東の古墳時代人と江戸時代人,それに北部九州の古墳時代人と江戸時代人の頭蓋を用いた。計測的分析では,顔面平坦度計測を含めた18項目の頭蓋計測値を用い,マハラノビスの距離(D2)にもとづいた分析と線形判別分析を試みた。頭蓋形態小変異については,観察者間誤差が少なく,日本列島集団の類別に有効であることが知られている6項目に絞って,スミスの距離(MMD)にもとづく分析を行った。

D2でもMMDでも,縄文人に最も近いのは北海道アイヌであったが,東北地方の古墳時代人(計測的分析では古代人も含む)がこれに次いでおり,古墳時代でも江戸時代でも,

九州→関東→東北→北海道アイヌまたは東日本縄文人

という,明瞭な地理的勾配が観察された。


同様の地理的勾配は,判別分析においても確かめられた。このような地理的勾配から判断すると,今回研究の対象にすることができなかった北東北の古墳時代人は,南東北の古墳時代人よりも,さらに縄文・アイヌ群に近接するであろうと推測された。
http://ci.nii.ac.jp/naid/10029570803

http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html#c295

関連記事:アイヌ語

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E8%AA%9E&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=1&oq=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C

アイヌで検索すると沢山出てきます

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C

縄文時代とアイヌ

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=

縄文時代と弥生時代

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%A8%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

アイヌ民族は縄文人の末裔か? その1

http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2009/11/000957.html

アイヌ民族は縄文人の末裔か? その2

http://web.joumon.jp.net/blog/2009/11/000963.html

上のブログの管理人様より その1

http://web.joumon.jp.net/blog/2010/02/001016.html

【人類はその歴史の99パーセントが洞窟に住んでいた】
人類は500万年前に足の指が先祖帰りしたサル(真猿)の突然変異体として木から陸上に落ちてしまいました。いわゆる木に登れないサルが人類の祖先です。樹上という外敵の少ない楽園から地上に落ちた人類は外敵も含めて当然すさまじい自然外圧に晒され、何度も絶滅の危機に瀕します。陸上にいると様々な外敵から狙われるため環境が最悪である洞窟の中でしか生存できず、人類史の大半は洞窟生活をしていました。
その中でサル時代に形成された共認機能を進化させ観念機能を生み出すと、200万年前に火を発明、さまざまな道具を作り、言語機能を獲得、2万年前の弓矢の発明まで至って外敵と対抗できるようになり、ようやく洞窟から出ることができます。

【縄文時代は命綱である共認を保持してきた時代】
縄文時代とはその直後に登場した、いわば人類が洞窟という密猟生産から狩猟、採取生産へというようやく陸上に定住し自然外圧をある程度コントロールできる時代に入ってきた段階でした。
しかし、縄文時代とて常に自然外圧と隣あわせで、その寿命は30歳とも言われ、多くは若年で死んでいく厳しい時代です。
洞窟時代から人類は共認機能を拠り所に集団として生きていくしか術がなかったわけですが、縄文時代は前時代に作りあげた集団共認と自然を注視する精霊信仰、自然崇拝をベースに本源集団としての集団共認を形成し、1万年の長さに渡って激しく変動する自然外圧に翻弄されながら人口を増やしたり減らしたりして継続させてきました。

注目すべきはこの1万年間で戦争があったという形跡がほぼ皆無であるということです。先の贈与の記事でも触れましたが、集団間の距離が近づくと縄張り確保を巡って緊張圧力が生じ、争いの危機が登場します。それを回避しさらに集団間の連帯に繋げていく贈与のシステムを適用させていく事で争いを回避、互いの縄張りを維持しながら共生していったのが縄文時代でした。
繰り返しになりますが、縄文時代の特筆すべき点は人類の命綱である共認をしっかりと保持してきた事にあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【5000年前の私権社会の登場】
一方、縄文時代中期の同じ時代に世界を見渡すと5000年前に世界的な寒冷化に伴い中東のメソポタミア地域で遊牧民であるシュメール人が土地と食料を争い世界初の戦争を勃発させます。この戦争の発生はそれまでの人類史を大きく転換させます。

人類はあらゆる外圧に対して集団共認を作り出す事でその突破口を切り開いてきました。しかし共認は同時に自我も生み出します。
外圧が強い時代は自我も集団の共認に封印され決して自我が集団を超えることはなかったのですが、自然外圧をある程度克服し、集団の共認が緩むと自我の問題が顕在化してきます。さらに遊牧という生産形態がそれを後押ししました。家族単位の集団で生産できるようになった遊牧という形式は人類集団のそれまでの基本形であった母系制から父系制に転換し、財産や女の所有をめぐって集団自我が芽生えるようになります。

自分の集団さえよければそれでよいという集団自我が発生し、他集団を警戒、否定するようになると戦争へと向かっていきます。いざ戦争が始まると、玉突きで拡大していき、その流れは止められません。古代の中東から西洋社会はそうやって長い戦争の期間を経て形成されていきます。

戦争で勝った集団は敗北した集団を従え、序列を形成します。そうやって勝抜き戦をくりひろげ頂点に立った集団が作り上げたのが最初の王国です。エジプト、メソポタミアで都市国家が形成されたのがこの5000年前のこの時期です。頂点に立った国王は大衆をその後も従属させていかなければならず、そこで考え付いたのが私権(私有権と女の占有権を認める)という新しいルールです。それまでは集団のトップ(ボス)でなければ女は与えられなかったのが私有婚を制度化することで末端の兵士にも女が行き渡るようになります。

こうして私有権を成員が認め、同時に国王の巨大な私有も武力を背景に認めざるを得ないようになった私権社会が成立していくのです。もちろんその段階になると兵士も農民も国王の所有物になり、初代国家とは国王の私有物そのものだったのです。
私権社会とはこうして集団がバラバラに解体された上に個々を束ねる社会として出来上がったものなのです。

その2

http://web.joumon.jp.net/blog/2010/02/001017.html

【私権社会の拡大と日本への到着】
私権社会の波は西洋社会だけに留まらず、戦争の拡大と共に東は中国やモンゴル高原に広がっていきますが、海を隔てた日本に到着するのは弥生時代以降になります。

日本は朝鮮半島や中国からの渡来民を受け入れますが、彼らは本国で敗北した負け集団です。
私権社会のシステムや武力は持っていますが、私権意識の強さという点では大陸の勝ち組からは劣っていました。また、すでに縄文時代に強固な集団共認を形成していた日本を外部から来た小集団が支配する為には武力一辺倒ではダメで、まずは日本に定住し、日本に馴染み、自らの文化を伝え、日本人を大陸の文化に塗り替える必要があったのです。ミイラ取りがミイラになるという諺のごとく彼らは日本に定着する事で日本の共認域に染まっていったのだと思います。

大量渡来の波はいくつもありました。大陸での変動がそのまま日本列島に流れていきます。紀元前には中国大陸から、任那が6世紀に滅ぼされたときには大量に高官が到着します。
さらに古墳時代の7世紀後半には百済が唐と新羅の連合軍に滅ぼされ、その国王の一派が日本に漂着しました。その50年後に作られた日本国は百済の新天地であるはずでしたが、同時にそれまで半島から漂着していた任那の高官や新羅や高句麗、さらに中国大陸に祖先をおく一派に度々反発を受け、日本国内でも渡来人集団同士で争いを繰り返していきます。

葛城―物部―蘇我から始まり天智―天武―持統―その後の奈良時代の天皇の変遷はその力学で決まっていきました。このように日本における私権社会の定着は一筋縄ではいかず、それまでの縄文時代のネットワークを駆使したものが勝者になっていきます。

【日本での私権社会の変遷】
日本はその後、隣国中国という巨大な外圧を受けながらも、海という最大の防衛力を有効に活用し、中国の介入を早期に排除、その後は独自の路線を継続させ、日本流の私権社会への転換を遂げていきます。
結果、他国にはない朝廷と幕府という二極体制を作り上げ、その結節点に天皇を置くという非常に複雑な支配体制が江戸時代まで続くことになります。他国が皇帝を中心とする力の原理に貫徹された判りやすい一極体性に対して、日本のそれは支配を分散化させる方向であり、江戸に至っても徳川は前に出ず、地方大名達と結びつく戦略(参勤交代)に出ました。

このように日本と世界の歴史は一面、連続してパラレルでありながら微妙に異なり、同じ封建社会や市場社会でも中身は異なります。どのように異なっているのか、なぜ違いが生じたのか、これを読み解くには私権社会の純度と集団共認の残存度を秤に掛けて見ていく必要があるのです。

常に戦争が絶えず、国境が刻々と変化してきた世界の国々は私権社会の純度の高い国家です。一方、国家成立以降大きな戦争もなく、国境は海に守られ、一度もまともな侵略がなかった日本は私権社会の純度は当然異なり、裏返せば縄文時代に培った不文律の共認原理が色濃く残存し、その影響は現代人にまで刻々と繋がっているのです。

【縄文時代をどう評価するか】

    この縄文時代の共認を母体とした日本国の可能性をどのように評価するのか、またこの間世界に起きているさまざまな諸現象をどう読み解くか?

これは現在の先進諸国が私権社会の終焉を示しているとの見方が必要であり、新たな社会秩序の形成には私権社会以前の自然の摂理を見つめ、集団共認をベースにした本源社会に可能性はあるのではないか?というところに糸口を求めようとするものです。
5000年も前の社会にもどるということではありません。あくまで集団や成員の拠り所とする意識の状態として、あるいはそれを統合する社会の規範や形態として、どのような認識や仕組みが適しているのか、それを模索していこうとするのがこの縄文ブログの役割なのではないかと思っています。

【私権社会(=市場社会)に変わる新しい社会の模索こそ当ブログの役割】
20世紀はまさに工業生産から近代市場の成長に載って欧米が世界の中心でした。しかし、すでに欧米に凋落が始まっている現在、21世紀は明らかに別の時代が到来します。市場社会に変わる次の社会とは何か?同じように物が流通し、人は行き来するのですが、その中心に互いの親任関係や人々の認識を中心とした共認時代が到来することになるのではないかと考えています。

まだまだ半熟卵ですが、既に50名強の歴史に精通した会員が結集しているこのブログではこれから数年以内に広く社会に提起できる共認社会の政策提案まで目指していきたいと考えています。

江戸時代の幕藩体制

http://web.joumon.jp.net/blog/2014/03/001571.html

実現論・序文

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=0&t=0

実現論・前史

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=1&t=0

実現論・私権時代

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=2&t=0

実現論・市場時代

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=3&t=0

実現論・場の転換

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=4&t=0

ルイネット

http://www.rui.jp/
 
 
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