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WGIPと聖地の取り違え

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年 4月 8日(火)19時23分34秒
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NHKの籾井勝人会長のどこが悪いのでしょうか。経営委員に百田尚樹氏や長谷川美千子氏がいるということはNHKの大改革に繋がる動きです。敬愛する長谷川美千子氏はその著「バベルの塔」で和辻哲郎文化賞を授与された方で大変なインテリでその著書の中で真っ向からシオニストに「聖地の取り違え」で戦いを挑んだ姿は素晴らしいの一言です。

長谷川美千子氏の関連記事

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/94.html

『創世記10~8には,クシュには,またニムロデが生まれた。.....彼の王国の主な町は,バベル,ウルク,アッカドであり,それらはすべてシンアルの地にあった。シンアルの地とはメソポタミアである。ここは重要なポイントでもあります。なぜ米国カザール・ユダヤがここを狙って,本当の聖地にしようとしているのか?長谷川美千子氏のバベルの謎320ぺージあたりにヒントがる。「メソポタミア平原には,各所に<シュメール語で小尖塔を意味する>ジグラトと呼ばれる遺跡が見られ,これらのうちの一つが,バベルの塔にちがいないということも,かなり古くから考えられていた。

 もっとも古くは,12世紀の後半,メソポタミア地方を旅行したスペインのナヴァーラの人,トゥデーラのベンヤミンが,バベルの塔の遺跡を発見したと伝えられている。彼はユダヤ教の僧侶であり,この他にも聖書に登場する古代都市ニネべェの跡とみられる遺跡を発見している。彼がバベルの塔の跡と考えたのは,イラクのヒルラ市付近のビルス・ィ・ニムルドでこれは別のジグラド(ボルシッパのナブ神神殿のジグラト)であることが解っている。またバベルの塔はバビロンの遺跡の北側の丘バービルにあったという。

 その後の発掘調査で1908年,バビロンの南側の低地エス・サクンに,巨大な正方形の遺跡を発見した。そこから発見された煉瓦の刻銘などから,それが「バブ・イリ=バベル」の都の「エ・テメン・アン・キ」と名づけられたジグラトの跡であることが確かめられた。実際に「バベル」の町に=バビロンの町に実際に存在したのである。

 メソポタミアには創生神話の「エヌマ・エリシュ」がある。それによると,バビロンのエ・サギラ神殿とジグラト(エ・テメン・アン・キ)なのである。.....このバビロン市の聖塔にまつわる話によると,これ(エ・テメン・アキ)<管理人注:アッカド語で天と地の礎の家という意味>は有史以前スメルの王によって起工されたが,竣工するに至らなかったものであろう。まづ,空間的な距離について言えば,パレスティナ地方とバビロンとは,いわゆる「肥沃な三角地帯」のほぼ両端に位置して,一見かなり遠くにはなれているようにも見える。ジグラトそのものは,ティグリス,ユーフラテス川の上流にいたるまで,メソポタミア平原のほぼ全域にわたって分布している。アブラハムの生まれ故郷のウルは,ユーフラテス川(管理人注:第4の川)の,バビロンよりもさらに下流にあった町であり,そこに建てられたジグラトは,現在もその姿をとどめている。

 メソポタミア創世神話のマルドウク神は,ジグラトを「偉大な神々(アヌンナキ)の家」と呼び,そしてそれの建てられるべき町を,それにちなんで「バブ・イリ」すなわちバビロンと命名しようとした。バビロンのジグラトに付けられた「エ・テメン・アン・キ」という名は,アッカド語で「天と地の礎の家」という意味で,ボルシッパのジグラトの「エ・ウル・メ・イミン・アン・キ」という名は「天と地の七つの案内者の家」という意味である」

 バビロンあるいは,バビロニアはバグダッドの南方約90キロの地点にユーフラテスをまたいで広がる。長谷川三千子氏はこう指摘している。「カナンの地」は,イスラエルの民にとって,故郷と呼ぶべき類の地ではなく,そもそも,それは事実の上から言っても,彼らの故郷ではなく,それは,カナンの人々(注:現在のパレスティナ)が住みつき,根づいた土地なのである。

 イスラエルの民の「カナンの地」との関係は,徹頭徹尾ヤハウエ神に依っている。この地はヤハウェ神によって示され,命じられ、約束されたことによってのみイスラエルの民と結びついているのであり,それ以外の形で結びついてはならないのである。......ヤハウイストの生きていた時代と推定される起源前十世紀頃という時代は,ティグリス川上流の二ムロデやコルサバードに発掘されたジグラドは,ちょうど紀元前十世紀,九世紀ごろに新築または再興されている。広い意味では,ヤハウイストはまさにジグラトと同時代の人間だったのである。』

出典:La Voz de Aztlan

http://web.archive.org/web/20071228094904/angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1110.html

聖なる土地でパレスチナの人々を抑圧している邪悪なシオニストたちの多くは、実際には古代ヘブライ種族に属するものではない。彼らは、1000年以上も前に自分の利害関係のためにユダヤ教に改宗したロシアや東ヨーロッパから移住してきた機会主義者どもである(管理人注:13世紀スペインでの異端尋問のように逆に偽キリスト教徒に改宗した人を隠れマラーノとよぶ)。ユダヤ教は多くのあり方でシオニズムに乗っ取られてきているのだ。
 イスラエルのシオニストたちはパレスチナ人を陵辱しているばかりではない。彼らは同時に純粋なユダヤ人たちを陵辱しているのだ。シオニストたちは信心深くなくユダヤ人自体を憎んでいる。こんなことはあなた方が米国の主要ニュース・ネットワークでは読むことも聞くことも無いだろう。この世界で真の反ユダヤ主義者(アンチ・セミット)は、実際にはシオニストたちなのだ。セム族の人々にはパレスチナ人とその他の中東諸民族が含まれているのだ。(訳バルセロナより愛を込めて)

http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/2618d8da9660953b32612c11617442c7

百田尚樹NHK経営委員と森喜朗元首相は米英が日本の敵国であるという隠された真実を公表し始めた!
2014年02月10日 | イスラエル・ユダヤ・国際金融資本
●百田氏発言の波紋広がる 米中が批判、報道相次ぐ ― スポニチ Sponichi Annex 社会 2014年2月8日 12:23

東条英機元首相らA級戦犯を裁いた東京裁判に疑問を呈し、南京大虐殺を否定した作家の百田尚樹NHK経営委員の発言が海外でも波紋を広げている。有力メディアが相次いで報道したのに続き、米中両政府も批判。追及の矛先が安倍晋三首相の任命責任に向かう可能性もはらんでいる。

 百田氏は3日、東京都知事選に立候補した元航空幕僚長の田母神俊雄氏の応援演説をした際、米軍による東京大空襲や原爆投下を「大虐殺」とした上で「東京裁判はそれをごまかすための裁判だった」と述べた。

 さらに1937年末に南京を占領した旧日本軍が捕虜や市民らを虐殺した南京大虐殺に関しても「38年に蒋介石がやたらと宣伝したが、世界の国は無視した。そんなことはなかったからだ」と発言した。

 米英両国やアジア太平洋の有力メディアは直ちに反応。英BBCなどは、百田氏の発言に先立ち、NHKの籾井勝人会長が従軍慰安婦に関し「どこの国にもあった」と発言していたと伝えた。

 安倍氏が昨年、百田氏をNHK経営委員に任命したことも紹介。米誌タイム(電子版)は百田氏について「ナショナリストの作家で安倍(氏)の親友」と形容、安倍氏自身も昨年末の靖国神社参拝により周辺国の怒りを買ったと報じた。

 シンガポールのストレーツ・タイムズ紙(同)は通信社電に「中国が南京大虐殺否定に激怒」という見出しを付けて報道。オーストラリアのシドニー・モーニング・ヘラルド紙も中国の反発を伝えた。

 中国外務省は5日、南京大虐殺は「侵略戦争下で起きた残忍な犯罪」と非難。在日米大使館も8日、米政府の公式の統一見解として、百田氏の発言は「非常識だ」と批判した。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/02/08/kiji/K20140208007543950.html

●百田尚樹氏をアメリカが「非常識だ」と批判 | 国を磨き、西洋近代を超える Posted on 2014年2月8日 by 坪内隆彦

 2014年2月8日の共同通信の報道によると、百田尚樹氏が都知事選応援演説で、アメリカによる東京大空襲や原爆投下を「大虐殺」とした上で、東京裁判を批判したことについて、同日、在日米大使館報道担当官は「非常識だ」と批判した。これは、アメリカ政府の公式の統一見解としている。
「安倍首相は戦後レジームからの脱却を断念?─対米自立派と対米追従派の分岐」(2014年1月31日)で、「日本が戦後レジームから脱却することをアメリカは許さない」というメッセージが、再び強く発信されようとしているのだろうかと書いたが、もはやそれは確実と見なければならない。
いまこそ、戦後レジームからの脱却を目指す者は、アメリカからの圧力をはねのけて対米自立に突き進む覚悟を決めるときではなかろうか。
http://tsubouchitakahiko.com/?p=3857

●東京裁判史観は在野の興亜論者の行為も否定した | 国を磨き、西洋近代を超える Posted on 2014年2月8日 by 坪内隆彦

 平成25年末の安倍首相の靖国参拝以来、東京裁判批判を許さないというアメリカの意志が明確になってきた。もはや、戦後レジームからの脱却を目指すためには、アメリカとの思想闘争は避けられなくなった。
 以下、『アジア英雄伝』の「はじめに」の関係箇所を引用する。

〈占領期のアメリカによる日本の言論統制の目的は、戦前の日本の行為を全て悪、連合国の行為を全て善とする、一方的な考え方を日本に浸透させることにあったのではなかろうか。日本政府の行為も、在野の興亜論者の行為も、アメリカに不都合なものは、悪とされたのである。
 この占領期に行われた言論統制は、徹底したものであった。昭和二〇(一九四五)年九月一〇日、GHQは「新聞報道取締方針」を出した。さらに、GHQは同年九月一九日に「プレス・コード(新聞規約)」を発令、一〇項目の禁止事項を明示して言論統制を強化しようとした。プレス・コードは一九四六年一月二四日付で、一般の出版物だけでなく、国会を含む官庁の出版物にも準用されている。
 欧米によるアジアの植民地化という歴史自体が、封印されたのである。勝岡寛次氏が『抹殺された大東亜戦争』(明成社)で紹介している通り、占領下の一九四六年一二月、姉崎正治は『國心民報』で次のように書いていた。
 「一六世紀以来、ヨーロッパ諸国は進撃の地に立ち、又しぼりとりをして、アジヤ諸国は受身になった。ヨーロッパの支配力は十九世紀の終まで段々進んできたが、それ以来世界のうごきに変化が生じ、アジヤ諸国民の覚醒が起こり、その反抗はたかまつて来たが、同時に合衆国の勢力は極東に地歩をしめ(中略)此が東洋諸国民古来の伝来を爆破する力をも呈した」
 こうした言論すら検閲によって、削除の対象となっていたのである[i]。さらに、アメリカは、西尾幹二氏が『GHQ焚書図書開封』で明らかにしている通り、戦勝国側に不都合な日本の出版物を没収(Confiscation)した。まさに、「焚書」が行われていたのである。
 GHQは一九四六年三月一七日に、「宣伝用刊行物の没収」と題した覚書を日本政府に突きつけ、終戦直後までに出された刊行物の中から、七七六九点を没収の対象に指定していた。本書で取り上げたビハリ・ボースと石井哲夫による『印度侵略悲史』(東京日日新聞社)をはじめ、欧米のアジア侵略、植民地支配、大東亜戦争開戦の真相、日本の興亜思想、国体思想等に関する出発物が対象となっていた[ii]。
 このような徹底した検閲と焚書を進めた上で、GHQは露骨な洗脳工作を開始した。その際、重要な役割を担ったのが、GHQの部局の一つとして文化政策を担当していた民間情報・教育局(CIE)である。彼らは、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(War Guilt Information Program=WGIP、戦争犯罪宣伝作戦)を策定し、日本人に、敗北と戦争に関する罪、現在および将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底させるよう命令した。
 高橋史朗氏は、WGIPについて、「東京裁判が倫理的に正当であることを示すとともに、侵略戦争を行った日本国民の責任を明確にし戦争贖罪意識を植えつけることであり、いわば日本人への『マインドコントロール計画』だった」と主張している[iii]。
 WGIPの命令に沿って、「太平洋戦争史」の連載や「真相はかうだ」の放送が開始された。「太平洋戦争史」は、アメリカ国務省の編纂文書『平和と戦争』(一九四三年)などに基づいて、CIEのスミス企画課長が書いたもので、各新聞に一斉に掲載させた。連載終了後、その内容は中屋健弌訳で一九四六年に高山書院から刊行されている。
 一方、「真相はかうだ」は、真珠湾攻撃四周年にあたる一九四五年一二月八日にあわせて、九日に始まり、翌年二月一〇日まで毎週日曜午後八時のゴールデンタイムに全一〇回、NHKで放送された。CIEのラジオ課が、脚本、演出を手がけた。「太郎君」の質問に「文筆家」が「戦争犯罪人」らの罪状を暴露するという体裁をとっていた。ここで、南京事件は日本人に罪悪感を植え付ける格好の材料とされた。「大虐殺。南京では一度や二度ではない。何千回となく行われたんだ」というセリフが、四回にわたり挿入されている。
 さらにGHQは、一九四五年一二月一五日、日本政府に対し、国家神道の禁止と政教分離の徹底を指示する覚書を出し、「大東亜戦争」や「八紘一宇」の用語を禁止した。こうして、「大東亜戦争」という言葉さえもが封印されたのである。その結果、ごく一部の人物を除き、本書で取り上げた志士たちの反抗の歴史もまた、顧みられないようになっていったのではなかろうか。本書の元となった連載「アジアの英雄たち」執筆の動機の一つは、その封印を解き放つことにあった。
 こうした状況で筆者が頼りにしたのが、「焚書」の対象となった戦前の文献である。中山忠直『ボースとリカルテ』、頴田島一二郎『オッタマ僧正』など、戦時期に書かれた文献は、若干の脚色が散見されるとしても、戦後封印された志士たちの闘争の真実を記録していると思う。
 志士たちの亡命生活、潜伏生活の後は、辛うじて残されている。例えば、芝三田南寺町(現三田四丁目)の願海寺の境内には、いまもフィリピンの志士ベニグノ・ラモスの家族が住んでいた洋館風の住居が残されている。浜名湖大草山の展望台の脇には、アウン・サンの潜伏を思い起こさせる「ビルマゆかりの碑」が建っている。

[i]勝岡寛次『抹殺された大東亜戦争─米軍占領下の検閲が歪めたもの』明成社、二〇〇五年、六三、六四頁。
[ii]西尾幹二『GHQ焚書図書開封─米占領軍に消された戦前の日本』徳間書店、二〇〇八年。
[iii]『産経新聞』二〇〇五年八月四日付朝刊。〉
http://tsubouchitakahiko.com/?p=3861


 
 
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