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儒教は宗教か?

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年 5月 3日(土)17時03分28秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://www.geocities.co.jp/Bookend/3756/s.syukyouka.html

関連記事:中国ってなんだろう

http://oka-jp.seesaa.net/article/397160117.html



知の逆転

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2703

歴史は生きている

http://www.asahi.com/international/history/

ポルポト政権誕生までの政治状況

http://www.bllackz.com/2007/01/21408.html

オバマの無知

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2686

中国はなぜ反日か

http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/62.html

(記事の中の動画まとめ)

(ツァラトゥストゥラのような超人にでもならない限り、)一定の宗教心の裏づけがないと正義感を持ち得ない(中共がかくも残虐なのはここに一因)

日本の平和団体/人権団体/女性団体(管理人注:殆どが統一教会の外郭団体)は、中国に対して殆ど全く抗議の声を出さない。要するに偽者の団体である事が今回ハッキリ示された。

善光寺など抗議の声を挙げた一部の寺院を除いて、日本の仏教界も中国に深く侵されている。

間違った歴史観に捕らわれて、勝手に中国に行って謝罪したり、靖国神社に対する訴訟に加わったりする僧侶が多数いる。

国内のプロテスタント系のキリスト教会も、最悪の自虐的行動を行っているものが目立つ。

こうした不健全で異常な状態から逃れるためには、何よりも先ず自虐教育の刷り込みから離れて、謙虚に史実を検討し、母国への誇りを取り戻すことである。

管理人注:自虐教育は米国のWGIPが元にあるので日本政府は米国に抗議をするべきである。しかしながら米国は間もなくイルミナティによって完全に破壊されるのでそれまでじっと我慢をすることだ。

NHKは犬HKとも呼ばれるその正体は

http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/623.html

木村書店~NHKの腐食研究.....http://www.jca.apc.org/~altmedka/nhk.html

下は木村書店のHP

http://www.jca.apc.org/~altmedka/hanbai.html

読売新聞・日テレグループ研究

http://www.jca.apc.org/~altmedka/group-00.html

読売新聞歴史研究

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom.html

田母神俊雄氏の論文

http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

日本の防衛認識 田母神対石原

http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/470.html

関連記事:中国の残虐史

http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/177.html

管理人注:上記記事は捏造的なものも含まれている可能性があります。そうでも書かないと支那人が哀れです。



公開日: 2013/09/09

アリもしない歴史を捏造し、自分たちの行いは利己的に隠蔽。
穏やで受動的な民族(日本や東南アジア諸国)には高圧的で欧米諸国には強く出ない韓国?政府のあり方とその歴史観こそ正すべきだ。

"歴史を直視せよ!(パククネ大統領の日本への発言)"・・・
そっくりそのままのしを添えお返しいたします。

慰安婦像撤去;ホワイトハウスへの署名お願いします
下記リンクより米国内の慰安婦像撤去に関する請願署名がホワイトハウス宛にオンライン??でできます。6/9までにあと3000人あまりの署名が必要です。
みなさん、署名しませんか?
https://wwws.whitehouse.gov/petitions...
(Yahoo知恵袋より転載)http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/...

"なでしこアクション"・・・ホワイトハウスへの署名方法を日本語でガイド。
アメリカ国籍でなくとも、PCアドレスと名前(イニシャルでも可)があれば容易に登録?可能です。
ゆっくりよく読めば簡単です。
http://nadesiko-action.org/

2度目の投稿ですが、少し内容を強化しています。
ライタイハンは、ベトナム語で
「ライ」=「軽蔑するべき混血」
「タイハン」=「大韓」(韓国)のベトナム語読みです。
要するに「ライタイハン」=『憎き敵軍の子供』という意味で差別されています。
しかし韓国では「ライタイハン」=『会いたい』、つまり父親に「会いたい」子供たちと??いう意味として扱われています。
(ウィキペディア韓国版ご参照)

朝鮮戦争とベトナム戦争(マッカーサーは南北統一を目指していたが?)

http://www.asahi.com/international/history/chapter08/

ベトナム戦争で韓国軍は

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2675

ライタンハイ(LAI DAIHAN)で検索すると.........

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&oq=%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3&pstart=1&fr=top_ga1_sa&b=1

反日症候群の正体

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2682



日本人はどういうふうに描かれていたのでしょうか?

菊と刀と日本人.....http://www.geocities.jp/sugiiteruo/index.htm

『中国&朝鮮半島の儒教と思想

大陸が広くて、生き残るためにいつも必死だった(しょっちゅう飢餓や殺戮におびえていた)。→儒教が支配者の階級維持のための制度として利用された。

儒教は、「親の仇を討ったら、その肉を食え。死んでいたら墓を暴け。肉が残っていたらそれを食え。」
儒教は、「復讐は九十九代に渡り、敵の骨を砕いて飲め」
中国では「義」が建前、本音は「利」。「礼」は表面だけ取りつくろうだけになった(嘘を推奨、正直者は馬鹿と家庭で教えられる)
相手を殺してしまおうと考えるが基本
忠ではなく孝が上に来る孝忠であり、本音は親子・夫婦・兄弟姉妹で殺し合う人間不信・利己主義の社会であり一族皆殺し(族誅)、九十九族殺しも珍しくない

日本の儒教と思想

日本は、平和が続いたために、神道他と合体していって「武士道」に発展。
儒教の「礼」や「義」が強調され、自分の利より正義の為に公に尽くす思想に。
共存を考えるのが基本
忠孝が基本であり時に一家・一族よりも公を重んじる立派な社会
基本的に日本は神道社会であり儒教は神仏習合と同様の扱いや江戸時代の学者の一つの考え・流行に過ぎなかった。日本式の立派な儒学者もいるが朝鮮・支那(中国)に異常な幻想を抱き侵略を要求したり自分を野蛮人(夷狄)のように言う藤原惺窩のような例外の異常者も出現した程度。』

支那人は赤ちゃんを食べる(記事の中で堕胎した赤ちゃんのスープが出てきますのでご注意ください。また脳みそはカニ味噌スープの感覚のようです。彼らは生きたままの猿の脳みそを食べる習慣があります。昔映画でやっていましたよ。)

http://blog.goo.ne.jp/kaythai/e/7f0c9f0728e677fdf5bf95a1abe384bc

『人肉宴会が行われた、文化大革命

毛沢東が、権力回復の為に起こした政治闘争。内戦。
学生をあおり、軍隊を出し、教師など知識人や、中国国民党と関わりのあったものを言いがかりを付けてリンチ。1000万人~3000万人を虐殺。
孔子や文化財を否定、破壊する極端な「左」傾偏向主義運動に発展。
朝日新聞は、これを褒め称える記事を書いていた。日本の学生運動も、これの影響を受けている。
文革の頃、たくさんの人肉食記録が残っている。
知識人などに「階級の敵」とレッテルをはり、糾弾集会をみんなで切り刻んで喰った。そんな事が流行った。
中国・広西省武宣県では文化大革命の間に、共産党の迫害によって死んだ人間は524人。その内、食われた者は百数十人。
武宣県において食人行為を行った者は推定1万~2万人にのぼる。
1968年7月1目、武宣県の桐嶺中学副校長・黄氏は、糾弾大会につるし上げられ殺された。学校の食堂や廊下、区役所の炊事場でや教員宿舎や女子学生宿舎で、人肉を煮たり焼いたりしての人肉料理の宴会が行われた。』

=儒教は宗教か=

1 『論語』のセリフ

この問いは西欧でも問題になったが宗教ということで落着いた。もちろん儒教は宗教に違いない。そう言われていないのは『論語』に「怪力乱神を語らず」「鬼神を敬して遠ざく」などのセリフが入っていて、これを根拠にしている人がいるからだろう。しかし、史書『国語』では孔子は怪神にも博識を披歴しているのであるので『論語』も絶対ではない。『論語』が編纂された経緯は知られないのでどんな意図を込められているのか分からない。私見では宗教性が薄い荀子学派が編纂したとも推測できる。また『論語』も『荀子』も共に学篇で始まり尭篇でおわるのも似ている。 さて『論語』では「鬼神を敬して遠ざける」と云うがこの鬼神には化け物・死神・死者の霊の意味もあるので、ここでの敬して遠ざけるとはそれを指しているのではないだろうか。鬼神には祖霊の意味もあるが、これを指すなら孔子の立場からは不可解でこの言葉が信じ難いものになる。孔子は孝を説いたとされているから生きている親には孝を尽くせと云っておきながら、死んだ親はもう遠ざけるのでは御都合主義だろう。時々は面影を思い起こしてなつかしむのが孝心ではないのかな? ところがまた、鬼神に仕えることを問われて「人(生きた親の意味か)に仕えるのもまだ良くしない。鬼神に仕えるのはのはなおさらである。」とも答えている。これが祖霊の意味なら何とも祖先にそっけない態度だ。修飾的表現で洒落た言い回しをしてみただけなのではないだろうか。他のところでは「礼をもって喪し、礼をもって祭る」と祖先を祭ることを説いている。さらに、禹王が自らの食事を慎ましくして供物に努めていることを誉めているところもあるのだ。 つぎに『論語』には「いまだ生を知らず、どうして死を知っていようか」ともある。これは死後を問題にしないもののようだが、これも死後のことを聞かれたのを分からないと、洒落た言い方をしただけかもしれない。また「祭りの礼は神が居ますがごとくする。」とも云う。それでは孔子は鬼神崇拝信仰はすでになくしていても伝統の礼儀は守らなければならないから、祭る真似をするというのか。ところが確か「礼と云い礼と云うも心を込めることである。」ともある。礼は心からするのか?真似事か?どっちなのか? つぎに「孔子が性と天道を云うのは聞いたことがない。」との子貢のセリフである。しかし『論語』には孔子が「天」に信頼を寄せている話しが出てくる。『論語』の他のところでは「鳳や図が出て来ない。わたしも終りだね。」とも云う。これは天の吉祥を期待していたと、天道のことを云っているのである。ただ譬喩として云ったまでなのか? でも『春秋経』また公羊伝・左伝では孔子は麒麟を獲たことになっている。鳳鳥とおなじく天の吉祥だが、孔子は泣いたことになっている。『論語』では鳳は来なかったと失望し、『春秋経』では麒麟を獲て我窮まれりと泣いた。どうも孔子の天や鬼神への態度が定まらない。

孔子の「仁」についての定義も一つの意味を結んでいない。人の思想も歳とともに変化し生涯一定なものでもないだろうが、『論語』の相容れない言葉は何を意味するのか? 孔子はエネルギー・情熱のある人だったから弟子を集めることができたのだろう。また博識でもあったそうだが、思想家として論理的に考える人でなかったからか? それとも『論語』は弟子達が編纂したものだから、弟子達の間で聞き違いがあったのか? それとも時間をへての記憶違いか? それともすでに弟子達の間で孔子の教えの解釈の違いが生まれていたのか? 弟子が師を自らに合わせて創作することもあるだろう。

『墨子』などでは儒者は葬礼業者として出てくる。儒者は三年の喪を唱えていたのは葬礼業者には仕事になると云うことだ。儒者がいつの時代も沢山いるのはこの定職があったからだろう。また、孔子が老子に礼を習ったと儒教の書に出てくるが、それは葬礼を習った。昔の葬儀とは宗教行為に外ならない。また、儒教は老壮などと違い運命や超越的なものに頼らないで、人為に信頼を寄せるものだから宗教とは言い難いとの意見がある。しかし、祖霊や天は超常的な物である。また、その人為を重んじるとは荀子の儒教のことである。荀子は法家の学を取入れた儒者だ。それだから李斯・韓非子などの弟子ができた。法家には宗教性が現れず、人間は合理的に社会を操れると考えていた学派である。荀子は後学の儒者であり、もともとの儒者は運命論者と墨者は云っている。墨者は儒者の公孟子と交際していた。儒者の言葉に、寿と貴位(または富みか?失念した。)は天命であるとのセリフがある。

2 礼

孔子は周王朝と周公を慕っているが周王朝は祭政一致の王朝であったし、周公はその最高位の神官であった。その孔子は礼を復興しようとした。礼とは行儀作法だけではなく、その第一義は祭礼であろう。示偏は神事に係るものに付いている。孔子が復興しようとした周礼とはとりもなおざず周の祭礼なのである。夏王朝があったとするとの礼も祭礼であるはずだ。殷王朝は甲骨文から分かるように上帝を祭る祭政一致の国家であったので殷の礼も祭礼である。周の祭礼政治のさまは宗周の鐘(穆王末年・前940頃?)の金文から知ることが出きる。

「昭王は文王武王によって初めて周に服従した土地を巡察された。この時、南国フクシが反乱を起こし、深く進攻してきた。王はこれに反撃してその都ハクを攻略した。(中略)今ここに、皇天上帝百神が我を安んじ、我が謀事を妨げられない。ここで我は皇天・先代王を合せ祭り、記念して宗周の宝鐘を作る。鐘は厳かな音を響かせ、祖霊を招く。先王は誠にこの上におわします。かくて我に多幸を降し、子孫にまで福を及ぼし、類なき長寿を与えられる。云々」

第二代昭王の武功を回顧し、現王国に天帝祖霊百神の降臨する祝福を述べ、ここに皇天と先代王を合わせ祭ると記されている。天帝・祖霊を仰ぐ神権政治である。

つぎの『国語』の例では楚語下篇にて古代祭祀と神官の様子が観射父によって説明されている。前500年頃のことで孔子が在世のころである。

「昭王が大夫の観射父に問う、『周書に《重と黎に命じて天地の通じるのを断たせた》とあるのはどういうことか。もし、このことがなかったら人間は天に昇ることができたのか』と。応えて言う、『その意味ではありません。昔は人と神の関係は乱れていませんでした。民の中で明朗で二心がない者、またよく厳粛忠誠で、上下の義に親しみ、神聖さは遠くまで明らかで、見れば光り輝くようで聞けばよく透徹する。このような者に神は降ります。この者を男は覡、女を巫といい習わしております。彼らに神々を祀る位置と位牌の席次を決めさせ、犠牲と祭器と時に応じた祭服を用意させます。そして、先代聖王の子孫の中で徳行があって、山川の名前、宗廟のこと昭王穆王の世系のこと厳粛な勤めと礼節と威儀の規則と容姿の飾りと忠信と祭祀の服これらを知り、神に恭しい者を祝官に任命します。そして、名族の子孫で四季の産物、犠牲の規格、玉帛の積類、祭服の使い方、祭器のこと、位牌の席次、びょうぶ扇の位置、壇場のこと、上下の神、氏族の源を知り、心は伝統に従う者を宗伯(祭祀の礼官)に任じます。こうして天地神々そして庶物の官を設けて五官と称し、各々その秩序をつかさどって乱れません。このようであって民に忠信あり、神は明らかな徳あり、民と神と勤めを異にし、敬して穢れません。そうすれば神は民に嘉ものを降ろし、民は供物を捧げ、災禍至ることなく必要が満たされました。云々」

このような祭りは殷王朝の時代からのもので甲骨文に神託のさまを見ることができる。

3 孝

孔子は孝を重んじた。孝とは親に仕えることだが親の親である祖先にも仕えるのである。祖先を祭ることでもある。儒教は三年間の喪を唱えていたが、三年を過ぎてしまえば位牌も捨ててしまうことはないだろう。祖霊となった父を三年以降も祭ることは間違いがないだろう。それが『論語』の「礼をもって喪し、礼をもって祭る」にあたる。孔子は政治・道徳を説いて宗教でないと云われようが、その政治は祭政一致の宗教政治に外ならない、それが礼を興す意味である。そして宗教はキリスト教でもイスラム教でも仏教でも道徳を説くものである。仁義礼智信は儒教が説く道徳であるが、孝は宗教道徳そのものである。孝とは中国の宗族社会から来ていいる宗教徳目だろう。宗族とは男系の血族の大家族制度である。血統を絶やさず代々の祖先霊を祭るのが子の務め「孝」であるだろう。それが『論語』のセリフ「孝は鬼神を致す」なのである。孝は殷王朝の時代にもさかのぼることができる。殷の主神は帝・上帝とよばれた。それは祖先神と解釈されている。実際、殷王は歴代の祖先王の霊を祭っていたことが知られている。上に引用した「宗周の鐘の金文」も周王が祖先を祭るものである。 おなじく一般の民も祖先崇拝の信仰を抱いていた。それは『詩経』に見ることができる。

無衣 秦風
なぜに衣装がないものか
祖先の装束身にまとう
王が戦い始めれば
我も矛を携えて
祖霊とともに戦わん
云々

庭燎
今何時だろう 夜はまだ深い
霊廟の庭にかがり火燃え御先祖がおいでになった
馬車の鈴リンリンと
今何時だろう夜はまだ明けない
霊廟の庭にかがり火ひかり 御先祖がおいでになった
馬車に一族の旗ヒラヒラと

権与 秦風
我ら一族に賜われ 壮大な祖廟の霊よ
ここに降りて もてなしを受けよ
歌い祈る 我らに福禄を与えたまえ
我ら一族に賜われ 四つの供物のがあります
ここに降りて 飽きるまで受けよ
歌い祈る 我らに福禄を与えたまえ

4 礼楽

孔子は政治家と云うより学者のようである。唯物的ではなく、唯心的で精神主義の政治論を語る。弟子に政治を問われると「まづ言葉(名)を正そう。」と答えて、弟子に回りくどいのではないでしょうかと云われた。言葉を表記する漢字の元の甲骨文は卜占で神託を伺うものとして生まれる。文字などは神官が専ら操るものであった。昔は識字階級=学者は神官・僧侶であるのが世の東西を問わないことであるようだ。孔子は礼楽を尊んだがこの礼楽とは祭りとそこで奏される宗教音楽だ。ヨーロッパでの音楽の源は教会、宮廷、町中にあった。アカデミックな音楽は教会、宮廷で生まれたが人気を気にしなくてよい教会音楽はアカデミックな音楽の発展にとって役割が大きかっただろう。聖書はラテン語で書かれていたのでラテン語が公式な文字になった。ラテン語を読み書きできるのもまづ僧侶である。インドでも事情は同じで僧侶階級バラモンがサンスクリット語を操った。インドの古典舞踏は神への捧げ物として神殿で演じられた。孔子が学と礼楽を尊ぶのは僧侶階級に似あっている。礼楽の実例は韓国で李朝の代々の王を祭る「宗廟祭礼楽」を毎年5月の第4日曜日に観ることができる。

5 孔子の門人達

孔子の言葉と伝えられているものは同時代の著名人の晏子や子産とくらべると天文学的量になる。その言葉のどれが孔子本人のものか本当は分からない。孔子が祖先霊や天神を信じていなくて、居ますがごとく礼儀を行えとしたドライな形式主義者だったとしても、孔子を継いだ弟子達が周王朝を研究するとその政治は祭政一致の宗教政治となった。

孟子は有徳の仁者に武力をも無力にする威力を与えていた。それは天は有徳者に味方するから仁者は無敵だと云うのだ。また天の意志と民心が感応して、王家を取り替えることができる革命を推奨した。孟子の天への強信は超自然的な天人合一観である。

秦の始皇帝は封禅の儀式(天子が天地の神を祀る、または天神と直接交わることのようだ)を行おうとして、儒者に相談した。

漢が起って日も浅いころ、劉邦は儒者叔孫通に漢の礼を作らせた。儀式を実際に試してみると、劉邦は大変満足するものであったので、叔孫通を正式に祭祀儀礼を司る「太常」に任命した。

漢の文帝の御代、儒者の公孫臣が「今は土徳の時で、土徳に感応して、黄龍が現れましょう。今こそ暦、官服の色合いの制度を改めるべきです」と五行論で進言した。五行論の五徳の服色にまた土徳の暦に改めることは占星術・天人感応思想である。儒者の預言どうり、十五年に黄龍が成紀の地に現れる。それは天神が文帝の徳政に感応して吉祥を示して文帝の統治を承認したことになる。これによって文帝は公孫臣を博士に取上げ、「異物の神出現して、成紀の地に現れる。民に害なく年は豊作である。朕は親しく上帝諸神を郊外に祀ろう」云った。

さらに、儒者新垣平は望気(雲気を占う術)をもって文帝に御目通りし、説いて「渭陽の地に五帝の廟を建て、周朝の失われた鼎を出来させたいと思います。きっと名宝、玉英も現れるでしょう」と云った。十七年には、またしても玉杯を得ることができた。刻字して「人主、寿を延ぶ」とあった。ここにおいて文帝は年を改めてまた元年として、天下に大いに酒宴を開かせた。このように儒者の公孫臣・新垣平は天人相感の神秘思想で文帝に取立てられたのである。天人相感思想では黄龍のこと、周朝の失われた鼎のこと、玉杯を得ることは、聖天子が地上に現れたことを天が徴シルシをもって示した吉祥である。新垣平は博士学生に六経(儒教の経典)から採取して古へに倣う王制を作らせ、巡狩封禅の祭儀を協議させたとある。周王朝の祭政政治を復興しようというのである。

漢の武帝の御代、武帝は若くして位につき、鬼神の祀りを恭しくした。それで儒術に魅かれ、チョウワン・王蔵等が儒術の学者を召した。武帝は古へを考え明堂を立て諸侯と政マツリゴトしようと望んだ。また巡狩し封禅し暦制度を改めようと計画した。この時代も儒者等は皆、天子が封禅し、五徳により制度を改める祭政一致の政治を望んでいた。明堂とは何か、武帝は太一・五帝・高祖を祭っていたので天神・劉邦の霊前で劉氏諸侯王と政マツリゴトする朝堂であるだろう。巡狩とは神々に供える犠牲獣を狩ることである。

また、武帝は儒者董仲舒を登用して政策問答を交わした。

武帝の問い
天命を受けた徴はどこにあるのか。
董仲舒の答え
父母になつくように民心を得ると受命のしるしです。
武帝の問い
天の警告の災異は何によって起こるのか。
董仲舒の答え
淫逸にふけり徳教を捨て刑罰を用いて当たらなければ、邪気を生じ災異が起こってくる。
武帝の問い
何をなせば天の祝福を受けられるのか。
董仲舒の答え
天の祝福が現れないのは民が教化され正されてないから。大学を立て里に学校を立てることです。
武帝の問い
周王朝は高楼を設け、朱塗りの盾や玉つきのマサカリを用い、舞楽を朝廷に連ねていた。良い玉には飾りを彫らないと言われるがまた、飾りがないと天子の徳を助けないとも云う。朝廷は倹約質素がよいことか豪華華麗にすることが良いことか。
董仲舒の答え
礼法は尊卑を明らかにするもの。受命の天子がまず明らかにするものは暦を改め官服の色を変えることです。倹約に過ぎることは中庸を得たものではありません。

董仲舒も天人相感・天人災応神秘思想を武帝に説いていたのである。董仲舒は自ら雨ごいの呪術もこなした。

また、外戚の儒者王莽は「符命」なる神託を得、漢王朝に取って代わり新王朝を立てた。そして『周礼』の祭政政治を復興しようとした。その王朝を滅ぼした劉秀はまた儒教の経書を神秘化した『緯書』の預言の書によっていた。こうして後漢が成立した。

以上、儒教はいつの時代も個人には祖先を祭り父に仕える道徳を説く宗教であり、 国には祭政一致の神権政治また暦を調える天道(占星)神秘主義また呪術で、くわえて富国強兵などの唯物論ではなく、君臣の義などの道義の唯心論を説く宗教であることが分かる。儒教とは宗教の中では、道義を教えるシャーマニズムと分類できるだろう。

このHPは儒教の葬儀を述べる。
|儒教の葬送儀礼|

追記

儒教は宗教でないという儒者は多い。なぜそんなに宗教であることを嫌うのかと疑問に思う。儒者の云うままによると中国は非宗教的文明なのだそうだ。でもそれはおかしい。周王朝では祭祀儀礼が行われていたはずです。それは周に続く歴代王朝も変わることはなかった。儒者自身が天命を云い続けていたし、緯書も著された。儒教の外にも墨家は天意を唱えていた。『詩経』の民間信仰はシャーマニズムだし、後の民間信仰の道教もシャーマニズムと呪術に満ちている。それがなぜ非宗教的文明と言えるのか。『論語』の一部の言葉を拡大解釈しているのでしょうが、それは井戸の中から空を見上げているようなものだった。山下龍二氏によると朱子学が発端のようだ。朱子は仏教と道教と争い儒家を儒学として政治面・道徳面を強調しての対抗した。朱子学が正統となってから以降、儒者はそれに習っているのでしょう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140504-00000003-rcdc-cn

中国人観光客が日本に対して、「言葉にできない親近感」を抱くのはなぜか?―中国ネット

Record China 5月4日(日)5時55分配信
中国人観光客が日本に対して、「言葉にできない親近感」を抱くのはなぜか?―中国ネット

2日、中国のインターネット上に、「中国人観光客はなぜ、日本に対して親近感を覚えるのか」と題する文章が掲載され、注目を集めている。写真は京都。

2014年5月2日、中国のインターネット上に、「中国人観光客はなぜ、日本に対して親近感を覚えるのか」と題する文章が掲載され、注目を集めている。

【その他の写真】

初めて旅行に訪れる場所では、目新しいものを求める心理状態になる。好奇心から興味が生まれ、物事を深く知るきっかけになるからだ。私たち若者世代が、「日本」と言われて連想するのは「桜」「アニメ」「ラーメン」「制服」「温泉」などだろう。日本アニメや日本料理が好きなために、日本に“聖地巡礼”に訪れる中国人も少なくない。

日本、特に関西地方を旅行すると、古代中国の雰囲気が漂うことに気付くだろう。これは、日本がかつて中国大陸から制度や文化を学んだためである。都市の区画や言語、政治制度、建築などは、遣唐使によって長安から日本へと渡った。そのため、われわれ中国人は日本に対して言葉では言い表せない親近感を常に抱いている。

京都は西安と同じような街づくりだ。通りには漢字の標識があふれており、唐の時代を思わせる木造建築が至る所で見られる。中国人観光客は旅行中、どこか懐かしいような感覚を覚えることだろう。

しかし、本当に両者は似ているのだろうか?日本文化の起源と基礎は中国文化にあることは疑う余地はないが、「和魂漢才」である。技術の上では中国大陸のシステムを受け継いだものの、その中には依然として日本の大和民族の核心的な魂が息づいている。この魂は日本文化独特のものだ。旅行中の飲食や宿泊、参観したお寺や庭園などで感じられる。また、日本人と直接交流することでも感じられるだろう。注意深く観察し、深く思考すれば、あなた自身の見解が生まれるに違いない。(翻訳・編集/北田)

チャンドラ・ボース将軍で検索すると

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%B9%E5%B0%86%E8%BB%8D&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=

ポルポト革命史

http://d.hatena.ne.jp/takeosa75/20050429/p2

管理人注:ポルポトは1/4が中国人との混血であり当時のカンボジア国内を支配していたのは狡猾なベトナム人で虐殺のターゲットはベトナム人。

Wikiによくまとまっています

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%88

ポルポトと康生

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%B7%E7%94%9F

『.........次の点で考えさせられた。

1、ポルポトが何度も中国に行っていること。訪問の時に、康生*1と親しくなり、彼の配下の特殊部隊で訓練を受けた事実(32頁)。

2、ロン・ノル政権下でのアメリカによる空爆が、ポルポト政権の設立の大きな要因になったこと。

3、ポルポトは、粛清を恐れて、政権確立後も積極的に表にでなかったこと。ポルポト個人の神格化のような現象はほとんど見られないこと(109頁)。

4、知ってる人は知っているのだろうが、ポルポト政権下の尋問・拷問・虐殺センターである「S21」で作成された囚人の供述書4300人分が残っており、アメリカのコーネル大学が、全てマイクロフィルムにおさめたこと。そして、日本語訳もされてること(『ポルポト死の監獄S21』)。

5、中国革命の影響。著者の山田氏は、ポルポト革命の性格の一つを「レンタル革命」とし、中国からの影響を次のように指摘する。影響の総体を10とすれば、中国からは5以上とし、遅れた農業社会からすぐ共産主義社会の移行、集団化、農業計画、ダムや水路の建設のための人海労働から、既存の知識への敵視、強制移住、いわゆる「裸足の医者」まで様々なアイデアを借用したとしている(158頁)。』

ポルポト派拝金主義者ではなく貨幣を否定した。銀行を襲っても決して金銭を強奪することはなかったという

http://www.cosmos.zaq.jp/t_rex/works/works_8_d.html(必読)

ポル・ポトと中国

http://marrakech.exblog.jp/7094918(必読)

日本の学校で教えられる近代史は嘘です

http://soumoukukki.at.webry.info/200908/article_4.html


 
 
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