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人称別としての僕

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年 5月25日(日)12時34分40秒
  通報 返信・引用 編集済
  「見よ,虐げられる人の涙を。彼らを慰める者はない。見よ,虐げる者の手にある力を。彼らを慰める者はない。既に死んだ人を,幸いだと言おう。更に生きてゆかなければならない人よりは幸いだ。いや,その両者よりも幸福なのは,生まれて来なかった者だ。太陽の下に起こる業(わざ)を見ていないのだから。<コへレトの言葉第四章1~3節>

橘玲氏の記事です

自殺志願者に安楽死を

http://www.tachibana-akira.com/2010/10/370/comment-page-2より

関連記事:人称別としての僕

http://web.archive.org/web/20071228121521/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/298.html

『厳密に言えば,アダムは何か新しいことを覚えるのではなく,自分の裸体を悟り善と悪の区別を意識するのだ。同様に歳をとってゆく人間は,知らない事を何か習うのではなく,新しい次元の中で,新しい照明のもとに悲しい真理を発見するのだ......

 これはウラジミール・ジャンケレビッチのLa Mort「死」からの引用ですが,私とそれ,あれの三人称的な関係は客観的な事象として捉えられが,私とあなた(僕とマルク)という二人称的関係の場合,とくにあなた(マルク)の死の場合に答えを出すのは無理である。ハイデッカーの個別化の死とは異なるものであるが,と格好つけて言うと偉そうに見えるがそういう哲学論議は最も嫌いなのであえてしない。なぜなら「私」が死んだ経験など語れるものではないから』

『神は生成の誤謬を理解し,なお自制心を失わない者を極端に嫌う傾向がある。それによって発狂した者には微笑みかける。しかし神も自制心を失いかける時もある。背教者ユリアヌスがミトナ教を愛したときのような場合だ』

管理人注:人の本質は悪徳の栄のような.....そうでないような

http://web.archive.org/web/20071228222832/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/151.html

以下転載......

フランスの片田舎に住む20歳の青年ヴァンサンは交通事故で重症を負い、9カ月の昏睡状態に陥った。意識が回復した時、彼の全身は麻痺し、唯一、親指だけがわずかに動いた。ヴァンサンは親指を使って、愛する母親と会話を交わすようになった。彼が望んだのは、この悪夢のような人生を終わらせることだった。

ヴァンサンは、3つの計画を立てた。計画Aは、シラク大統領に手紙を書き、死ぬ権利を与えてもらうことだった。大統領はその手紙に心を動かされ、ヴァンサンの病室に自ら電話をかけた。だがフランス大統領には、彼の希望を叶える権限はなかった。

計画Bは、安楽死を合法化したオランダへ行くことだった。フランスのメディアは、ヴァンサンの大統領への手紙を大きく報じていた。彼は、その計画を実行するにはあまりに有名になり過ぎていた。

2003年9月24日、計画Cが実行された。ヴァンサンは、「事故後の人生で最高の日」と母親に伝えた。母親は、致死量の鎮痛剤を息子に投与した(1)。

日本の自殺者数は年間3万人に達している。その多くが中高年の男性であるため、リストラや借金苦との関わりが注目を集めたが、動機のトップは常に健康問題であり、毎年1万人近い日本人が病気を苦に死を選んでいる。自殺の手段の7割は「縊首、絞首及び窒息」である。

日本はフランスと同じく、安楽死を厳しく制限している。それは、(1)患者の死が避けられず、(2)耐えがたい肉体的苦痛があり、(3)その苦痛を除去・緩和する代替手段がなく、(4)患者本人の明らかな意思表示がある場合に限り、例外的に認められるに過ぎない。ヴァンサンは全身が麻痺しているものの、意識を保ったまま生き続けることが可能だったから、この安楽死の4要件を満たすことはできない。

「尊厳死」は末期医療での延命治療を拒否する権利で、リビング・ウィル(生前発行の遺言書)の普及によって、日本の医療現場でも広く認められるようになってきている。それに対して「安楽死」は、本人の意思に基づいて第三者(主に医師)が安らかな死を与えることを言う。これは、法的には嘱託殺人の一種である。

「自殺する権利があるか?」は宗教や倫理学の重要なテーマだが、本人に実行能力がある場合、この問いは実質的に意味をなさない。権利がなくても、人は勝手に死んでいく。

ヴァンサンは、それとは違う重い問いを私たちに突きつけた。安楽死の要件を満たせないというだけで、人はなぜ苦しんで死ななければならないのだろうか?

2001年4月、オランダで積極的安楽死を認める法案が成立した。それによれば、本人の意思が明らかで、治癒不可能な耐え難い苦痛があれば、医師が患者の生命を終結させても刑罰を科せられることはない。安楽死の要件から「避けがたい死」が除外されたことで、病気や障害で苦しむすべての患者に安らかな死を選択する権利が与えられた。

オランダでは、精神的苦痛による理由で健康体の老人を安楽死させた医師や、2人の子供を失って生きる意欲をなくした女性の自殺を幇助した精神科医に対し、刑事責任を問わないとの判決も下されている。オランダ自発的安楽死協会は、「『人生は終わった』と感じる人が死を選択する権利」を求めている。これが認められれば、すべての自殺志願者に安楽死の道が開かれることになる。

欧米の安楽死推進論者は「死ぬ権利」を主張する。誰もが苦痛なく自らの意思で人生の幕を下ろすことができるべきだ、と彼らは言う。高齢化社会を迎え、私たちはこの問題からか目を逸らすことができなくなってきた。

やがて日本でも、経済力に恵まれた自殺志望者が海を渡って安らかな死を迎えるようになるかも知れない。だが大半の自殺者は、現在と同様に、縊死や溺死、墜落死を選ばざるを得ないだろう。

すべての人が生きる権利を持っている。だが誰も、生きることを強制することはできない(3)。

(1)『僕に死ぬ権利をください―命の尊厳をもとめて』ヴァンサン・アンベール(NHK出版)
(2)アメリカでは、認知症と安楽死が大きな論争になっている。安楽死推進派は、人は自分がいつ死ぬかを決める権利を持っており、事前に本人の意思があれば、認知症によって自己決定権を奪われた際の安楽死を認めるべきだと主張する。反対派は、認知症での安楽死を認めれば、介護が重荷になった家族による“合法的殺人”に歯止めがなくなると反論している。
(3)もちろん、すべての自殺志願者に安楽死が与えられるべきだ、というわけではない。自殺を考える人の多くは鬱病であり、それは適切な医学的治療で改善可能だ。オランダの安楽死合法化への批判としては『操られる死―<安楽死>がもたらすもの』(ハーバート・ヘンディン<時事通信社>)がある。ヘンディンは、オランダの安楽死は誤ったパターナリズム(父親的温情主義)であり、適切なケアによって自殺願望を生きる意欲に変えることができると述べている。

橘玲『雨の降る日曜は幸福について考えよう』(幻冬舎)2004年9月刊
文庫版『知的幸福の技術』(幻冬舎)2009年10月刊

同じ橘玲氏の「認知症と安楽死」

http://www.tachibana-akira.com/2010/10/796

管理人注:昔見た映画で「I decided to finish myself before I am unable to decide myself」つまり私が自分自身で決断できなくなる前に人生に終りを告げることにした.....何という素晴らしい言葉でしょうか。確か20年近く前の映画の中のセリフですが毎日この言葉が脳裏を駆け巡っている。いつかその時が自分にも訪れるだろう。

関連記事:安楽死を選択した人々の物語

http://seiji.yahoo.co.jp/close_up/1585/

安楽死を選択した人々の物語

苦痛から患者を解放する目的で、薬物投与などによって人為的に死を早める安楽死。語り尽くした末、安楽死を選んだ患者とその家族の物語に迫ります。

最終更新日:2014年5月25日
選択の背景にあるものは

『靖子は『痛みで心が折れてしまう前に、人生を終わらせたい』と強く願っていました」

チューリップの花がオランダに春の訪れを告げた4月半ば。アムステルダム近郊、アムステルフェーン市の住宅街にあるネーダコールン家の居間で、ロブさん(69)が安楽死で逝った妻に思いをはせた。…【全文を読む】


ストーリー:「いのち」と向き合う人々(その1) 自分の最期、自ら決定

毎日新聞 2014年05月18日 東京朝刊

靖子は『痛みで心が折れてしまう前に、人生を終わらせたい』と強く願っていました」

チューリップの花がオランダに春の訪れを告げた4月半ば。アムステルダム近郊、アムステルフェーン市の住宅街にあるネーダコールン家の居間で、ロブさん(69)が安楽死で逝った妻に思いをはせた。

10代で海を越えた文通を始め、1972年夏に待ち合わせたロンドンで恋に落ちて、12月にアムステルダムで挙式した。ロブさんは高校の英語教師、靖子さんは日本人学校で音楽を教えながら2人の子供に恵まれたが、87年に甲状腺にがんが見つかった。

手術や放射線治療で闘病を続け、52歳を迎えた97年春に骨転移が見つかる。想像を絶する痛みに襲われ、「打つ手がない」と告げられた。

安楽死は語り尽くした末の選択だった。

「迷いはありました。でも、靖子は自分の病状も知らずにがんで亡くなった姉の最期を悲嘆して、『自分の最期は自ら決める』と思いを募らせ、私はそれを尊重しました」

夏が終わり、痛みは限界に達して衰弱が進んだ。医師の同意を得て「安楽死の要請書」を作成した。

そして9月17日の夕刻、別れのパーティーを開いた。家族と友人がベッドを囲み、ワインで乾杯。ロブさんがマグロのすしを靖子さんの口に運ぶと、「(しょうゆの)つけすぎ」とつぶやいて、小さくほほ笑んだ。

午後8時、医師が来訪。子供と友人は夫婦を居間に残してキッチンに移った。

「ありがとう」「また一緒になろう」。手を握って交わした最期の会話。「ドクターが注射を打つと、まるで人形のように目を閉じて、穏やかに息を引き取りました……」

あの日から17年。ロブさんは時折涙を浮かべながら、記憶の糸を紡いだ。

靖子さんは家族に残した日記に、感謝と別れの言葉をつづり、こう結んでいる。<あと十分で逝きます。本当にありがとう>

「人生のしまい方について考えてみないか」

 今春、長野県松本市にある神宮寺の住職、高橋卓志さん(65)に誘われて旅に出た。終末期の緩和ケアに取り組む英国と、安楽死を認めるスイスとオランダを巡り、「いのち」と向き合う人々に出会った。

ストーリー:「いのち」と向き合う人々(その1) 自分の最期、自ら決定 - 毎日新聞(5月18日)

「安楽死」という日本語は英語の「euthanasia」の翻訳で、語源は「よき死」を意味するギリシャ語に由来する。病苦や死の恐怖から解放され、安らかに逝きたいという願いは、古来続く万国共通の思いである。

「よき死」とは何か?

のど元に突きつけられた問いである。…【全文を読む】

ストーリー:「いのち」と向き合う人々(その2止) 「よき死」とは何か 人生の「しまい方」を考える - 毎日新聞(5月18日)

http://mainichi.jp/shimen/news/20140518ddm010040030000c.html?inb=yh

◇「一人称」で見直す

 「これまで多くの死に接してきたが、死をまるで人ごとのように三人称のまなざしで見ていた。高齢者の仲間入りをした今、一人称の視線で死を見詰め直そうと思う」

 昨秋、長野県松本市の住職、高橋卓志さん(65)はこう言って、旅を持ちかけてきた。「一人称のまなざし」という言葉に、私は心をかきたてられる思いがした。

関連記事:二人称の死

http://square.umin.ac.jp/jct_jmpe/abstract/sympo02.html

ハイデッカーの個別化の死で検索すると.....

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%80%8B%E5%88%A5%E5%8C%96%E3%81%AE%E6%AD%BB%E3%81%A8&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=


死と誕生―ハイデガー・九鬼周造・アーレント [単行本]
森 一郎 (著) は評価の仕様がない本

http://www.amazon.co.jp/review/RVHVMQ6GUDJLB

サルトルの言う死の個別性

http://kunieda.sfc.keio.ac.jp/cat19/sartre-jean-paul/

管理人注:サルトルは無神論者ですから「存在と無」はあまり興味を引くないようではありませんでした。
 
 
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