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主基田と悠基田

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年 6月17日(火)14時43分4秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://www7a.biglobe.ne.jp/~technoqt/kotoawa.htm

参考記事:景教と弘法大師空海

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/293.html

「魏志倭人伝」によれば、3世紀半ばの日本列島のどこかに、女王卑弥呼の邪馬台国があったことは間違いない。しかし、当時のことを記すわが国の歴史書=『古事記』と『日本書紀』(以下では「記紀」と略記)には、その所在地が記されていない。(記紀(きき)とは、『古事記』と『日本書紀』との総称である。『古事記』の「記」と『日本書紀』の「紀」を併せて「記紀」という。)

「記紀」は、天皇家によるわが国支配を正当化するねらいを持つ史書である。その中に、天皇家の体面を汚す過去は記録できない。中国に朝貢していた倭王に関する記録がほとんど無視されているのは、そのためであろう。
したがって、邪馬台国という国名をもじった題の暗号形式の落書は、その題によって、国家の体面を汚すなと権力者に向かって訴えているのではなかろうか。(=「と か な く て し す」 つまり 「咎なくて死す」)「いろは歌」の暗号より)

いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす



注:続日本紀

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%9A%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B4%80

『続日本紀』(しょくにほんぎ)は、平安時代初期に編纂された勅撰史書。『日本書紀』に続く六国史の第二にあたる。菅野真道らが延暦16年(797年)に完成した。文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)まで95年間の歴史を扱い、全40巻から成る。奈良時代の基本史料である。編年体、漢文表記である。

関連記事:在日大嫌い北朝鮮大好き

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/2158

【主基田と悠基田】

天皇陛下の即位式である大嘗祭には京都御所から鳳蓮台を皇居に持ってきて、北は黒の玄武、東は青の青龍、南は朱雀、西は白虎。黄色の中央座は五色人の中央カラー色で、その台上で宇宙シャーマン、天皇は言霊五十音を発する。

アカサタナとアオウエイで囲まれた神田前田の中央は言霊「ス」、ハマヤラワとアオウエイで構成される後田の中央は言霊「ユ」である(図参照)。この前田を『主基田(スキデン)』といい、後田を『悠基田(ユキデン)』という。

http://ameblo.jp/nonaka-yami/entry-10865814012.htmlより

関連記事:もうひとつの主基田と悠基田とメビウスの輪の解説....田を殿とすると

記事の中の阿波踊りは下にある鈴木俊輔さまから勝手にコピペ

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1786

鈴木俊輔氏とは御霊の法則の著者でもある

サトルエネルギー学会前事務局長、現在は言霊研究分科会主査・理事。1947年東京生まれ。芝浦工業大学大学院修了(工学修士)。1995年までの日産自動車中央研究所時代に、金属合金設計、セラミックス物性、触媒の研究に従事。88年日産関係会社(株)NDCに短期出向中に多機能金属触媒「バイオカルム」を開発(日本表面処理学会柴田賞受賞)。96年(有)テクノクエスト代表取締役社長。環境計量士・一級建築施工管理技師・騒音公害防止管理者でありこれまでの発明特許は100件を越える。独自の水の研究、波動装置の研究という科学技術者であると同時に古神道・言霊の研究家でもある(本アマゾンデータはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

平安京の方位線(シャローム=平安にあるように)

http://www012.upp.so-net.ne.jp/houi/heiankyo.htm#heiankyo

       言霊俯瞰(その二、通うア―ワ路)  02.8.8鈴木俊輔

【通う淡路】

阿波踊りという夏の風物詩がある。踊らにゃソンソンと、双手を額の前方に押し出して、手先はメビウス(∞)を虚空に描く。終わり(オメガ:ω)にして同時に始まり(アルファ:α)。其の「今」とは、無限長のスプリングコイルの自由な一点と同様で、過去から寄って来たる一点であり、これから始まる一点とも捉えられる。奈良地方の「茅の輪くぐり」の風習も、輪をくぐって左から戻っては、再び輪をくぐって今度は右から戻り、最後にまっすぐ進入して拝殿に臨む。 沖縄の「エイサー」もメビウスの印象を受ける。ウ(衆生)⇒オ⇒ア⇒エ⇒イ(仏陀)と五重塔を登りつめても、再び衆生地獄の中に身を投じ、修羅界の「衆愚の涙」に改めて涙する。すなわちイは再びウの境地に分けいりて、進化という永遠の連続の中に入り止むことがない。

ア(精神実在世界)⇒ワ(物質現象世界)の波動交流は、ア・KA・SA・TA・NA・HA・MA・YA・RA・ワ 以上の十段を経る。 ア行(吾業)の形質が、和業へと産霊(ムス)ぶ十の段階を経るようでもある。

一二三四五六七八九十と一本ずつ手指を折り重ね、宇宙真理を掌握していくこの作業を「みてぐら(御手繰)」という。石上神社 神歌では「ヒフミヨイムナヤコト フルベユラユラトフルベ」という神呪がある。 宇宙を掌握したこのカタチを「にぎ手(和幣)」という。しかし宇宙法則を握っているだけでは意味がなく、自身が亜神としてそれを活用し万物に敷衍することが重要である。それを「起き手(おきて)」といって、今度はトコヤナムイヨミフイと指を起き立ててゆく。「掟」とは神として行為するとでもいいえよう。

「振るべゆらゆらとふるべ」とはのちの阿倍清明で有名になった陰陽道に承継されるが、宇宙真理と実践開顕が常時其の「今」のなかにぎっしりと詰まっていて、神人合一の機微はいつでも揺らいでいるとでも言うべきであろうか。

さて前置きが長くなった。アカサタナハマヤラワの正体である。このアワ路はヒ(霊)、フ(吹)、ミ(身・実)・ヨ(与)、イ(意)、ム(無)、ナ(納)、ヤ(弥)、コ(凝)、ト(統)と等価であると論者は考えておる。つねにメビウスのように毎日が同じようで実は違った朝で、常に新しい真理を把握する。その常に新しい精神と物質との融合、それがア段にして毎日、毎刻、毎瞬進化の「ア-ワの路」と読む。

アカサタナハマヤラワ、「明るい悟りの田、成りて言の葉の真、弥羅(進化)して和す」と読めないこともないが、その順列必然性は未だに判然とはしていない。

言霊学者、山口志道、大石凝真素美、山腰明将、小笠原孝次らによれば

「ハタサカマラヤナ」、「タカマハラナヤサ」いくつかの音図がこのア段に解説されているが、論者は「タカマハラナヤサ」を採りたい。それは前説「高天原」http://www.alles.or.jp/~tecnoqt/takama.htm

で詳述したが『高天原成弥栄』とア行の精神と、ワ行の物質、その両軸の融合完成ばかりでなく「時間・空間の間の真理」を啓示からも戴いたからである。

このア段を、なぜかくも論ずるかというと、大祓祝詞の「太祝詞」に関連するからである。大祓えでは「天津金木を元打ち切り末打ち絶ちて、千座(チクラ)の置きくらに置き足らわして、天津菅素を本刈り断ち末刈きりて、八針にとり裂きて天津祝詞の太祝詞事を宣れ、かく宣らば天津神は天の岩戸を押し開きて・・・・」との重要な一節がある。しかしその肝心の太祝詞事の神呪は神社庁さえも知らない。即ち神呪は自己開発であると、神道は常にスガリを許さない。

天津金木も天津菅素も言霊五十音図に他ならないが、その構成に部分的な違いがある。天津金木は現代音図、天津菅素は前節表による言霊五十音図である。「金木」とは「神名気」なのか「カ成基」なのか真意は漠としているが、「菅素」とはすがすがしい、言霊の素(モト)の神田である。元打ち切る元とは、アイウエオ(金木)、またはアオウエイ(菅素)である。末とはワ行に他ならない。つまり、智慧の蔵(チクラ)を総動員して、この行を取り裂いて残りの八行を並び替えよ、と読める。

一方、石上神社の一二三神歌では「ヒフミヨイムナヤコト モチロラネ シキルユイツ ワヌソヲタハクメカ ウオエニサリヘテ ノマス アセヘホレケ」という天孫降臨時の重要な神呪も残されている。

その要点を心意約すると、十言霊を心の調和に合わせ唱えよ、唯一こころの深層にて神田、組換え ウオエの段を取裂きア段の瀬へ投ずべしと・・・・・。

このために言霊学者がひそかにチャレンジもした。むろん論者も。

従ってこのア段 ア-ワに挟まれた間の「八心音」が、その方の心の岩戸を押し開く重要なキーということになる。

論者の心象の啓示では「タハサカマナラヤ」とも聞こえることもあった。「(言霊神)田は盛んにして、真鳴は螺旋のいやさかなり」とでもいいえようか。しかし汎用心音としては『高天原成弥栄』を支持する。

各々このア段 八心音を究明されてはいかがか。ご自身の裡なる天岩戸開きになるやも知れない。

本概論では現代音図を修正提案することが目的にあらず、言霊神の解説が本意である。

現代音図「カサタナハマヤラ」を天津菅素(アオウエイ)の音順に組替えた、前表を基準に解説していこう。


表1が、アワ路、 精神(ア)と物質(ワ)間に横たわる、深層吾業から主観現象世界への変化の基本態様である。


【カ神の世界】

まず「カ神」、それ自体は「ちから」「(結)果」を意味する。チカラは肉眼では見えない。エネルギー状態として認識される。チカラとは・重力・電磁力・強い力・弱い力 の4つに大別される。強い力は核力であって原子核内を繋ぎとめているグルーオンという素粒子の働きの世界。その世界は10-13cmくらいの中のチカラの作用である。弱い力とは電子やニュートリノに関係するレプトンと呼ばれる素粒子の、前者よりさらに弱い力で、10-16cmより小さな世界での作用力である。電磁力は言うまでもなく(+)(-)のクーロン力の世界である。重力は日常経験している落下の作用力である。厳密には物体間の質量作用力である。

ところで「ちから」とは? を本格的に哲学した学者がいた。この見えないチカラとは一体何であろうかを長年模索した。その結論が質量(m)と、それが存在する慣性世界で、その質量が持つ加速度(a)との積である。F=m・a を見出した哲学者、それがニュートンであった。 時代は過ぎてニュートン力学も量子力学の世界に入ってくると、単にF=m・a でなくて、質量(m)も素粒子論で解析し、加速度a も時間と空間のそして光速との相対関係から論じられるようになってきた。だからといってF=m・a は間違いではないのである。この地球時間や、太陽系重力環境、地球が動いている速度条件を入れればニュートンはまだ生きている。しかしその「個別チカラ」の概念が時空の影響や慣性系という一定条件の世界を越えた「宇宙統一の絶対チカラ」の概念で論じられてきたのである。近年では、この世が4次元であるが、5次、6次、7次・・・と、4次元を包む、たまねぎ構造のように折りたたまれた宇宙像と解釈する。こうした4次元よりもっと高次の次元から「ゲージ粒子」という素粒子がこの世(4次元)に飛び出してくる。その作用が「チカラの正体」ではないかとも言われている。

ちなみに物質粒子構成に作用する素粒子をフェルミオン、ちからやエネルギーの相互作用に媒介する素粒子をゲージボゾンと呼ぶ。

「カ神」の本性は、変化の要素であって「チカラ」、「エネルギー」である。精神自己の想念エネルギーが「主観自己現象物質世界」をつくりだす。  エネルギーとは「カ」である。

カ行五大 「カコクケキ」は当然 「カ」の属性をもつ。また合成音 たとえば「カソ(ゾ)」はエネルギーの祖や素とよめる。つまり「数(カソ)」の哲学的意義はエネルギーの単位や、エネルギーの基本的大きさ、この概念を追求したところに数の本質があるように思えるのである。また「カゾ」が後年「父(カゾ)」を意味するように変化したことも「数」⇒エネルギーの最小単位⇒「父」 の奥底を探ると興味が尽きない。論者はイロハ、つまり「母」は空間のイメージ、父は精子のように放出エネルギーを感ずるのである。

このエネルギーの発生(カ)が、諸現象の初動であることはいうまでもない。「カ神」のもつ作用はエネルギーの励起であり、諸般の「開動」である。「火」「加」「可」「化」の「カ音」もその『変化開動』の基本作用を垣間見せている。


【サ神の世界】

サ神の作用を要約圧縮すれば、佐すくる、栄える、である。言の葉も、五十神からなる。

私たちのこの世界には60数億もの人類が生存する。個の集合から世界は成る。

人間の細胞は60兆個であり、大腸には120兆個の腸内細菌がいるといわれる。これらが無ければ生存は不可である。60兆個の体細胞の協働性が肉体を支え、その調和が、病のない健全な生活を提供してくれている。精神総本山(自己意識)が体細胞に感謝しようが、しまいが、体細胞は黙々とその本性をまっとうする。

数十年間 苦労をともにしてきた臓器や細胞に感謝することが、実はその肉体を戴いた両親への感謝である。仏壇はなくとも肉体がルーツの祭壇であり臓器への感謝は大切な先祖供養である。肉体への感謝は、自己の持ち物への感謝にあらず、ビッグバン以来 宇宙に創生した素粒子の縁を持ってこの物質肉体がある。肉体のルーツはビッグバンにあり、ひいては大宇宙創造神にあり。「サ」とはこの共生をささえている大生命意志への感謝が本義である。「サ」は佐という、協働和、共生が本性なのである。

大宇宙は後段の「ハ」、ひと粒一粒の「葉」の分散とその個性ある「葉た羅気」によって動いている。したがって宇宙継続の大前提が「共生」であり「佐」なのである。

「サ神」の作用は、物理的には共振共鳴であり、漢字にパラフレーズすると、「佐(タスク)」「栄(サカエ)」であり、敢えて原理と称せば協働原理、共生原理がそれにあたる。

合成語で「サニワ」という悪心、善心の判断がある。「和に似せて佐すく」作用、つまり和ということが前提にあって、和に融合する様に働く作用とでもいえようか。また「沙庭」とは朝廷の広い内庭の意味でもあるが、文字通り和に向けて裁き誘導する司法・行政の場である。言霊の世界は常に宇宙肯定、善、進化、愛の一元論である。

「麻(アサ)」もまた意味深い名詞である。神宮大麻といって「天照皇大神」の札は神宮本庁が発行して各神社に送られる。麻は五角形の葉面をもつが、衣服に、食に、油に、薬に太古より用いられてきた自然界の贈り物である。この故に榊(盛気)、御幣とともに麻は重要な神祇祭礼の素材となっている。

「アサ」とは、「吾佐」であり自らが佐の実行者の宣言。まさしく「サ神」の神境地であり、そのすがすがしい状態を「朝」とも表現したに違いない。


【タ神の世界】

言霊で「タ」とは、田、多、達、立、建などから連想されるように躍動エネルギーを包んだ空間の概念である。自然の力、それ自体を古代人は「神」と称した。それをアミニズムの世界といってもいいが、言霊という意識の内奥のバイブレーション、言霊の出現自体が神作用なのである。上古には言霊「タ」の言語放出を「タ神」の出現と見た。言霊とは、その一つひとつが宇宙の基本エレメントなのである。

造化三神のうちの高産霊之神(タ)、神産霊之神(カ)の二神の凝縮作用が、言霊「タ」、言霊「カ」の波動である。天御中主大神は空間と、エネルギーとを結合し進化させ大調和なさしめる宇宙秩序大原理とみえる。

空間は、時間とともに存在する。時間がなければ空間は存在しない。その時空間は主観自己の内にある内容である。 だから時間は時計が作るのではなく、主観が時間をあやつるといってもよい。主観自己の中に「空間」と「時」は波動交流して内部で静かなな時空間が共存する。「タ」は主観によって拡大し発展する時空間である。

時空間(タ)とエネルギー(カ)の交点が後述の「マ」(間・真)であり、この原点を高天原(タカマハラ)という。タカマハラとは常に「今」の中に生きている。

動詞の「立つ」は空間それ自体が「津」すなわち寄り集まったり出帆したり出入りの変化を意味する。従って時空間的に変化する様子を「タツ」と表現したのであろう。

古文献など紐解くと、余計な言葉は一切なく、俳句よりも煎じ詰められた言霊の一語一語である。例えば「タマ」とは宇宙時空間のなかの真の一点、かような概念的な表記が古文献の特徴である。


【ナ神の世界】

代表的な「ナ神」の作用は、名、成、納、奈、に転移されていった。「名」とは個性が特定化され限定分別された人格・物格を指す。「成」はある現象が姿をあらわしほぼ最終段階の性状を顕わし、「納」はオサマルと唱づれば「成」と等価の状態である、「菜」は草冠である穀物を采、つまり神にささげる意味を持つ。これも最終段階の収まる姿である。奈良の「奈」とは大きく示すと書くが、広き都である。これも地方集落の地域紛争から、鎮まって和なる大いなる都へ発展し治まった状態である、「奈」の情景を思い描くと、落ち着くところへ落ち着く凝縮の概念が浮かぶ。

「ナ」は、エネルギーの「圧縮」「凝縮」であり、治まり鎮まり修理固成する状態である。

ナエ(苗)は、智慧(エ)の種(タカチ化)。マナ(未鳴、真名)とは、言霊になる以前の脳内の閃きであるが、この「マナ」を言霊的に解釈すると、修理固成する最終段階凝縮された姿の、真実の正体(マ:真)とよめる。ハナ(花)とは後述の、葉のエネルギーが治まった最終段階であろう。さすれば美しい鑑賞の「花」以外に、フラワーエッセンスは葉のエネルギーをギッシリ蓄えた波動薬草といえなくもない。


【ハ神の世界】

ハ行は、ひとえに「建設」の属性を持つ。「ハ」は、葉、波、歯、端とみるように独立した個々のエッセンスである。「気(木)の葉菜 咲く弥(木花開耶)」と例えれば「葉」の意味は、「個」と同様で「全の個」といいえて、「全」という建設の方向にむかわしむる属性を持つということがわかる。ハハ(母)とは多くの「葉」の母体をイメージさせる。「派」はかたわれであり、言の葉とは、言葉という現象を創るエッセンスであり、そこにも「創る」という基本属性があることがわかる。ハ行全体は、言葉の要素(個)にして現象の開顕に向けた、その成立過程をハ・ホ・フ・ヘ・ヒ が担当する。 ハ神は「全に向けた個の時空間」とでも言いえようか。つまり無音の建設ベクトル[H]の時空セルに吾(ア)、経験(オ)、判断(ウ)、智慧(エ)、イ(意志)を投入せしめたものが、それぞれハ・ホ・フ・ヘ・ヒの(精)神概念になる。

大宇宙は、ひと粒一粒の「葉」の分散とその個性ある「葉田羅気」によって動いている。「ハ」神は宇宙創造神の細胞(セル)とでもいいかえられよう。


【マ神の世界】

間・真・麻・磨と文字にしてみれば、その原点の言霊「マ」の作用がおぼろげながら理解されてくる。現象と現象の中間に存在する間であり、複雑の中にある真(マコト)である。加えて「マ」の意志は、誠(真事)、正(真佐志:志を助長強化させる真実に生きる)としれば、「マ」の実相とは、沈静して間を置き、神心で事物を判断の自己空間とその精神といえよう。

「マ」神は中道がその本意であって、琵琶の弦をきつく締め過ぎれば弦は切れて使い物にならなくなる。ゆるすぎてもいい音色はならないという釈迦の「中道」そのものが「マ」神の本性である。 真理(マリ)とは角、こわばりのない球にして等方、それでいてゆるぎない重心点を持っている。

物質とエネルギーの間、その両次元を操るのが主観自己である。想念エネルギーという見えないエネルギーを操作(動機、決定、推進)して、物質現象界に棲み、行為し自らの想念で築いた現象物質環境に泣きもし、笑いもし、感情という想念エネルギーに置き換えて自らのうちに蓄えている。

量子力学上のハミルトニアン(H)は、波動関数ψ(プサイ)に作用して、にわかにエネルギー波動(Eψ)に変貌する。そのハミルトニアンは自己という観察係数である。「マ」は主観に関係し、主観の真実実相に関係し、生命の実相への間、入り口でもある。誰しもが個の「マ」をもち、肉体自己の間に収めている。間/マ⇒藻(無数)/モ⇒胸(まとまり)/ム⇒眼(光、現象界との共存)/メ⇒身(肉体)/ミ、と意識の「マ」が物質主義に陥れば、人生経験は単に固定観念を身に積み残していく。我、物質主義をそぎ落として「間」の中に主観純正自己を観察していくとマ⇒モ⇒ム⇒メ⇒ミは、経験知→反省→光→愛へと「マ神」の本性がよみがえる 。


【ヤ神の世界】

ヤ・ヨ・ユ・ヱ・ヰ、このうちYE音とYI音は、母音のエ、イに吸合されて現代ではこの音はなくなって、いわゆる「いろは 48音」だけが使われるようになった。太古には正確にYE、YIの音が発生されていたに違いない。

言霊音図の世界は、千変万化してやまない心の変化を把持固定して、意識を対象に繋ぎとめる。意識を繋ぎとめているのは言霊である。すなわち霊の自己表現である。さらに言霊は、「意識」(脳内のまとまり)と「現象」(音声放出)の両界にまたがる。

人類はサルでも猿人でもなく、この言の葉の深層を獲得したために文明文化は開花していったのである。文字と言霊は一対である。言霊は空気振動を伴う物理空間への放出であると同時に、その披瀝は「今の意識内容」である。文字は言霊のように今の中に響く空気振動を伴わないが、ロゴスとしてその珠智をかきとめ後代に継承することができる。

言霊五十音、それぞれの音が神の作用といえ、ヒトの心のあるべき基本形であり生命そのもののリズムである。その精神原理を宇宙大生命意志の50の作用と見破ったのは恐らく1万年以上も前のヤマト超古代の天皇であったに違いない。現象と心の作用間の実相が「宇宙曼荼羅」として表現され、その言霊五十音を開発の完成したのは、数十世紀を要したのかもしれない。現ヤマト天皇126代の遥か以前の王朝記をとどめる竹内古文書ではそれ以前、100王朝もの歴史を刻んでいる。そこには歴代天皇の世界巡幸、四方津(ヨモツ)国王の来朝の記録ものこされる。

つまり諸海外国王(赤人、青人、白人、黒人)の来朝目的は、その精神文化の完成原典の本道理解と、それを全国民が唱謡する神国への拝礼であったと思われるのである。また伊勢内宮は天皇の御霊屋祖廟、外宮は外国王の御霊屋と記されている。さすればモーゼの子孫アインシュタインが伊勢外宮で感極まったというのも、天才の血に潜む霊脈のなせる業であったのかもしれない。もちろん超古代、邦国は物的繁栄都市ではなく精神繁栄の国土であったのだろう。

さて、「ヤ」と心に響くのは弥、矢、屋、八、邦。 「ヤ」の本性は、本源の放ち、喜びの波動である。本源とは生命意志本源である。生きるとはそもそもが喜びである、大自然は美であり地球上はパラダイスである。しかし「受け入れる」というヒト本性がゆがみ「分離」から端を発し「壊疑」、「収奪」、「破壊」の意識行動に包まれると、人生とその地はリヤ王のごとく「苦渋」にしか見えず、地球上は汚泥と醜怪の坩堝と映る。「偽我」を心魂から完全に抜き去ったときに、地球は本来、美しくヒトまた愛すべき存在と、真実実相を看破したのが大釈迦である。

「ヤ」神世界は、本源の放ち、喜びの波動である。真理との照合、反省から正道へ、その属性を持つのがヤ行全体である。例えば 「ユ」は湧きたつ、悠(ヨロ)こぶ、弓んづる(一緒に頑張る)、許す、などが「ユ」の本性である。


【ラ神の世界】

スパイラル神化の言霊が「ラ」「ロ」「ル」「レ」「リ」である。その吾(ア)の精神の中に刻まれている進化の代表が「ラ神」である。

数千年かけた精神文化の研究と開発ののち、やがて人類は天界、宇宙曼荼羅五十音の原型を地上界に植付けた。さらに多様化する社会生活の細部にも、言霊の活用を移入し始めた。螺旋の「ラ」、羅針盤の「ラ」のほかに来、頼、楽、絡などの語彙に連続性、発展的持続性が読み取れよう。

ラ行五音は、進化の属性を持ちつつ、ア・オ・ウ・エ・イの母音の影響を受け持ち、「ロ」は路、朗、労、老、「ル」は留、流、塁、「レ」は礼、令、黎、「リ」は離、理、裡、璃へと分岐していった。それぞれの漢字の状態を心の中でイメージしていただきたい。常に「ラ」は「進化の流れ」をその意味合いの中に含んでいるはずである。ラ神は、入り来る浸透力を担当する。

 ラ神の合成音 アラーは自己(吾)の中の、渦すなわち進化である。新しい時空を開く光波であり、新しい現象螺旋を展開していく。ちなみに「ラー」は古欧では光、太陽を意味する。

【主基田と悠基田】

天皇陛下の即位式である大嘗祭には京都御所から鳳蓮台を皇居に持ってきて、北は黒の玄武、東は青の青龍、南は朱雀、西は白虎。黄色の中央座は五色人の中央カラー色で、その台上で宇宙シャーマン、天皇は言霊五十音を発する。

アカサタナとアオウエイで囲まれた神田前田の中央は言霊「ス」、ハマヤラワとアオウエイで構成される後田の中央は言霊「ユ」である(図参照)。この前田を『主基田(スキデン)』といい、後田を『悠基田(ユキデン)』という。

11月22日には 天皇は、禊後、白衣にて御霊屋にはいり主基田から刈り取った「潤地米(ウルチ)」、悠基田から刈り取った「百地米(モチ)」を大宇宙 神前にささげる、それが宇宙シャーマン天皇の重要な役割である。 米とは、陰陽の合体形であり、形でみれば、古語にいう記号、(×)と(+)の重ね文字を宛てて、同時に八光を意味する。

上図は前田の主基田、後田の悠基田であり、中央に(主神)、(悠神)が配座していることが分かる。

 古代においては言霊、文字、数、図形が素朴なかつ精神文化を支える重要なOperating System

であった。「コメ」「米」「八光の絵柄」「八(数)」がともに共通な背景基盤で、中心から大地を潤し、光を放ち、なおかつ大生命意志の真実の道(百道)をさす。古代においてはこうした文字も絵図も数も言霊もある意味で共通項を指し、その断片が天皇家式典にいくつか残されているようだ。たとえば三月三日などのゾロ目の日は、重ね(加佐音)といってココロと現象の重要な日でもある。また天地人の重ねの日でもある。

文字や図形よりも「精神文明」開発の過渡期には、とくに言葉と心の結びつきに超古聖人は没頭したに違いない。霊の自己表現である「言霊」がなければ人類は「猿人」の域を脱せずに、自己の自覚もなく、時間・判断・智慧・大いなる意志のアオウエイ五大の分別もなしえない。従って言葉をもたない動物には芸術作品はなしえない

今の意識波動(ア)と肉体物質現象界(ワ)の波動交流、通うアワ路で、子音界は産まれた。人も意識(ア)と肉体行為(ワ)で新たなる現象(子音)の時空を見せ、そしてその経験知を自らの想念帯に刻む。自らが発する言霊が、霊意識を通して大宇宙と共鳴する。

ならば愛・肯定・感謝・素直な心のありようで、その言霊とともに輝ける世相を創り上げていくべしである。

人類の歴史の中で、ムー以前であろう「精神文明」は完成していたのである。宇宙―自己間の存在の科学、生命の実相は遥か古代、言霊宇宙曼荼羅として刻まれ、あまねく社会に運用されていたのである

http://ameblo.jp/nonaka-yami/entry-10865814012.htmlより

【主基田と悠基田】

管理人注:http://kotobank.jp/word/%E6%82%A0%E7%B4%80%EF%BD%A5%E4%B8%BB%E5%9F%BA

『大嘗祭(だいじようさい)における祭儀に関する名称。〈ゆき〉は斎忌,由基,〈すき〉は次,須伎などとも記す。悠紀国,主基国の斎田の新穀が,それぞれ大嘗宮の東の悠紀殿,西の主基殿で神饌に供された。悠紀・主基の国郡は卜定によって選ぶのが原則で特定されていなかったが,平安中期以降は悠紀は近江国,主基は丹波国と備中国が交互に選ばれ,郡のみが卜定された。明治の登極令では京都の以東以南に悠紀,以西以北に主基の斎田を勅定する定めとなった。 』

天皇陛下の即位式である大嘗祭には京都御所から鳳蓮台を皇居に持ってきて、北は黒の玄武、東は青の青龍、南は朱雀、西は白虎。黄色の中央座は五色人の中央カラー色で、その台上で宇宙シャーマン、天皇は言霊五十音を発する。

アカサタナとアオウエイで囲まれた神田前田の中央は言霊「ス」、ハマヤラワとアオウエイで構成される後田の中央は言霊「ユ」である(図参照)。この前田を『主基田(スキデン)』といい、後田を『悠基田(ユキデン)』という。

管理人注;田を殿にすると.......

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%B8%BB%E5%9F%BA%E6%AE%BF%E3%81%A8%E6%82%A0%E5%9F%BA%E6%AE%BF&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=

11月22日には 天皇は、禊後、白衣にて御霊屋にはいり主基田から刈り取った「潤地米(ウルチ)」、悠基田から刈り取った「百地米(モチ)」を大宇宙 神前にささげる、それが宇宙シャーマン天皇の重要な役割である。 米とは、陰陽の合体形であり、形でみれば、古語にいう記号、(×)と(+)の重ね文字を宛てて、同時に八光を意味する。

管理人注:図は本文参照のこと

上図は前田の主基田、後田の悠基田であり、中央に(主神)、(悠神)が配座していることが分かる。

 古代においては言霊、文字、数、図形が素朴なかつ精神文化を支える重要なOperating System

であった。「コメ」「米」「八光の絵柄」「八(数)」がともに共通な背景基盤で、中心から大地を潤し、光を放ち、なおかつ大生命意志の真実の道(百道)をさす。古代においてはこうした文字も絵図も数も言霊もある意味で共通項を指し、その断片が天皇家式典にいくつか残されているようだ。たとえば三月三日などのゾロ目の日は、重ね(加佐音)といってココロと現象の重要な日でもある。また天地人の重ねの日でもある。

文字や図形よりも「精神文明」開発の過渡期には、とくに言葉と心の結びつきに超古聖人は没頭したに違いない。霊の自己表現である「言霊」がなければ人類は「猿人」の域を脱せずに、自己の自覚もなく、時間・判断・智慧・大いなる意志のアオウエイ五大の分別もなしえない。従って言葉をもたない動物には芸術作品はなしえない

今の意識波動(ア)と肉体物質現象界(ワ)の波動交流、通うアワ路で、子音界は産まれた。人も意識(ア)と肉体行為(ワ)で新たなる現象(子音)の時空を見せ、そしてその経験知を自らの想念帯に刻む。自らが発する言霊が、霊意識を通して大宇宙と共鳴する。

ならば愛・肯定・感謝・素直な心のありようで、その言霊とともに輝ける世相を創り上げていくべしである。

管理人注:ドジアンの書と言霊

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1727

人類の歴史の中で、ムー以前であろう「精神文明」は完成していたのである。宇宙―自己間の存在の科学、生命の実相は遥か古代、言霊宇宙曼荼羅として刻まれ、あまねく社会に運用されていたのである。

何の役にも立たないようなことを知るのも教養です。

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/518.html

以下の記事をじっくりお読みください...

http://blog.livedoor.jp/jiteki129/archives/51276406.html

 悠紀殿 主基殿
                       21・8・26

今朝のメッセージで、何故、天皇即位の時に「大嘗祭・だいじょうさい」が行われ、天皇が悠紀殿と主基殿の間を移動するかの意味が解かって来た。其れは、固定化している意識を外して、新しい基盤に入れ替える為の儀式なのである。だから、「譲る・揺する」の「ゆす」を「ゆ・悠(悠紀殿)」「す・主(主基殿)」に分けて使っているのである。

「大嘗祭(おおにえのまつり)」の儀式の意味は、釈迦牟尼佛が「出家・しゅっけ」を勧め、イエス-キリストが「私に付いて来なさい」「私は 貴方達の親子 兄弟の仲を 裂きに来たのだ」と謂った意味と、同じ意識効果を狙ったモノであるのだ。其れは、其れまでの立場とか、環境から外れて、新しい価値観の元に、意識を組み替える為の行為なのである。

「出家」とか、「私に付いて来なさい」とは、家や家族の束縛から自由に成り、旅に出る意味である。だから、出家とは旅に出る事であって、寺院に「入寺」したり、教会に勤務する事ではないのである。
旅行の「旅・リョ」の漢字は、「方人+人人」の組み合わせで、「方人」は軍旗の象形。「人人」は、衆人の意で、多くの人が軍旗をおしたてて行くの意味から、軍隊・たびの意味を表わす。と 載っている。             漢語林

だから漢字の「旅」は、農協さんの団体等が、旗を持った人に付いて旅行する姿は、其れに合っているが、精神的な理・ことを求めて1人で旅をする事には、「旅」の文字は合っていないのである。日本語の「たび」の意味は、「家を離れる」との意味だから、たびに漢字を当て嵌めるなら「家離・たび」と書かなければ成らないだろう。
其れでなければ、「旅行・修行」の「行・いく」の方を、当てなければならない。

有名な、故「中村天風(なかむら てんぷう、1876年7月30日- 1968年12月1日)1911年西洋の旅から日本への帰国の途上、カイロにてインドのヨーガの聖人、カリアッパ師と邂逅。そのまま弟子入りし、ヒマラヤ第3の高峰、カンチェンジュンガのふもとで2年半修行を行う。」は、カリアッパ師の指導で、「石の山を全部運んで移せ」と云われ、全部運び終えた事を報告すると、今度は「全部元に戻せ」と云われ、其の矛盾に満ちた無駄な行為を続けている内に、自我が消失し、重度の肺結核が完治してしまったとの事である。

其れも、悠紀殿と主基殿を行ったり来たりする事と、同じ意識効果が有るのだろう。要するに、意識を切り替える為には、過去の「情報・カルマ・業」を1度消去する必要が有るのである。其の為に考え出されたのが、日本の神社で行われる禊ぎ祓いの儀式なのだ。

今朝のメッセージの映像では、水が入っている1・5m程の長さが有る細長いガラス瓶の様な物を、澤山向こう側に運び、全て運び終わったら、再び元の所に運ぶ場面が現れた。其れは、細長いガラス瓶は人間を意味し、澤山の人間に大嘗祭の儀式を行えとの事ではないだろうか。人間の身体は、60%以上が水分であるとの事なので、四捨五入すると固体ではなく、液体であると言う事に成る。
「身体の水分濃度」http://green.ap.teacup.com/20060818/1211.html

だから、人間を固体だと考えずに、液体だと考えれば、何故、神社の鳥居の前に「御手洗水・みてらい」が有り、「釈迦」や「イエス」や「イザナギ」が水の禊ぎをしたのかも理解されて来る。要は、体内の水の記憶・波動を変える事に意味が有るのだろう。
其の、水の波動を変える事こそが「旅・たび」であり、四国八十八箇所の巡礼や、転地療法等の手段なのではないだろうか。
「新しい御世」http://green.ap.teacup.com/20060818/564.html
「四次元は液体」http://green.ap.teacup.com/20060818/938.html

今朝は、明け方に「岩崎金取り」との言葉が告げられて来て、新しい漢字が色々と使用されているHPが幾つか現れて来た。其の漢字の中に、「田」の上に「人」が冠と成っている「人+田」の文字が有った。そして、香港と台湾の男性のHPが現れ、両方とも本人の上半身の写真が載っていた。其の男性は、2人とも40歳代後半の年齢で、働き盛りの人物である事が理解できた。

どうやら、日本国内だけではなく「台湾」と「香港」に、人物・仲間を探し出さなければ成らない時節が到来した様である。其れが「人田」の文字に関係が有るのかも知れない。「男・ダン」の漢字は、「田+力」で「力」は男性の右腕の力瘤を意味し、男とは「田を耕す力の強い男性」の意味である。其の田が下に有り、人が田の上に跨っている文字は、何を意味しているのであろうか。            漢語林

「田・デン」は、区画された狩猟地・耕地の象形で、狩・田畑の意味を表わす。
其の田の意味からすると、「田+人」の漢字の意味は、「人を狩する」との意味が有り、私が、地球上から人材を狩集める役割を、担わなければ成らないと言う事になる。

其の様に考えると、1昨日のメッセージに現れた、地図上の升目と「こま」の言葉は、今朝のメッセージの前触れであり、将棋の駒の意味が有った事に成る。
私は、将棋を差した事が1回も無いので、将棋に付いては全く無知である。今朝のメッセージには「岩崎金取り」と有ったので、「金」を調べると「金将」の事で、金将は後ろに1歩引くのと、左右と、前方の三方行の、計6箇所に進む事ができる駒であり、王将に次ぐ動きが出来る駒である。

其の働きの意味から考えると、屋久島に有る「岩崎ホテル」を金将の働きにして、左右と前方の全域に動き出せとの意味なのかも知れない。岩崎ホテルは、屋久島では1番ハイクラスのホテルであり、立地条件も1番良い所に建っている。其の事を考えると、先ず台湾と香港に出先を置いて、屋久島生命研究所の動きか、新しい文化活動を起こせとの事なのかも知れない。


 
 
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