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誰も知らない本当の湯川秀樹

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年 6月24日(火)12時43分33秒
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関連記事:ノーベル財団はルシファーの手先

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/763.html

湯川秀樹は日本で最初のノーベル賞の受賞者だ。

『ユダヤは日本に何をしたか』(成甲書房)渡辺悌治著

http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1307-07.html

「戦時中、日本で一日も早くその完成が待たれていた、マッチ箱一つの大きさで戦艦一つを沈めうるといわれていた新兵器は、今日いう原子爆弾のことであった。そして仁科芳雄博士の研究では、実験段階ではすでに完成していた。しかし、その基礎理論が完結をみないでおり、理研内では研究員たちが手分けして研究にあたっていた。それが一応のまとまりをみたとき、これを一つの学説として発表してはどうかという案も出たが、軍の機密に属することでもあり、早計に外部に洩してはならぬという仁科博士の意見で発表は厳禁されていた」

仁科芳雄は、これも理科系の人なら知らない人はおるまいが、日本現代物理学の父と呼ばれた俊才である。1938年にドイツで原子核分裂と、核分裂で莫大なエネルギーが生じることが発見された。帝国陸軍は、理化学研究所の仁科にこの核分裂を利用して核爆弾をつくってくれないかと要請した。そこで仁科が、理論的研究に着手する。そして有名なサイクロトロンを発明し、実用化に向けて一歩を進めた。米国でも、1943(昭和18)年にマンハッタン計画が始まって、核爆弾の実用化が進められたが、同時に日本でも仁科の手によって、すでに実験段階での見込みは立っていたのである。

サイクロトロンは小型のものは1937(昭和12)年には完成し、1944(昭和19)年には200トンの大型サイクロトロン完成していた。ちなみにサイクロトロンとは、原子核の人工的破壊に用いるイオン加速器である。原子爆弾開発に必須の装置で、当時各国が開発にしのぎを削っていた。

ところが、である

渡部悌治氏はつづける。「(核爆弾の理論的完成をみていたものを)それを、当時理研にいた研究補助員の湯川秀樹が米国に売り渡したのである。米国は終戦後、湯川の功績を論功行賞としてノーベル賞を授与させている。日本の利益にはならず、米国のためになったことで褒美がもらえたのだ。」

これが、湯川秀樹がノーベル賞をもらえた経緯だ。繰り返すがノーベル賞は国際金融資本が世界の人々を騙して支配するための道具なのだ

今だ、こんな賞をもらったことをありがたがる連中が山ほどいる。

http://

 
 
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