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日本銀行創設とロスチャイルド

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年 7月12日(土)15時44分10秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://electronic-journal.seesaa.net/article/401424428.html

関連はありませんが.....

日本人に謝りたい

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/644

日銀と大蔵省の「たすきがけ人事」で、大蔵省出身の日銀総裁
が力を発揮できなかったのは、金利政策はともかくとして、通貨
供給量の設定と制御については、まったく蚊帳の外に置かれてし
まったからです。本当の意味で景気を左右するのは通貨供給量で
あって、これにタッチできないとすれば、日銀総裁としての仕事
はできないのです。
 それでは、それは誰がやっていたのでしょうか。
 それは日銀生え抜きの副総裁と営業局長が、「窓口指導」とい
うシステムでやっていたのです。「窓口指導」は、昨日のEJで
述べましたが、日銀総裁──大蔵省出身の総裁の場合は副総裁が
融資総額の伸び率を決定し、それから副総裁と営業局長と2人で
増加分を各銀行に融資割り当てをして配分することです。具体的
には新木や一万田がプリンスとして選んだ腹心の佐々木直、前川
春雄、三重野康の3人がやっていたのです。
 米レーガン政権が1983年に「日米円ドル委員会」の設置を
要求してきたときの日銀総裁は、前川春雄だったのです。米国は
これによって、日本の金融資本市場の開放と自由化および金利の
自由化を求めてきたのです。
 時の中曽根首相は、こうした米国の要求にどのように対処すべ
きかを1984年12月末に日銀総裁を退任していた前川春雄に
まとめさせたのです。そのときの日銀総裁は、大蔵省出身の澄田
智なのですが、中曽根首相は前任者の前川に報告書を作らせたの
です。1985年4月のことです。
 そのとき日銀としては、いわゆる1940年体制による戦後経
済体制が限界にきていることを認識しており、この米国からのガ
イアツを利用して、日本を構造改革するときであるとして、前川
は報告書をまとめたのです。これが「前川レポート」です。
 具体的にどのようにするかというと、通貨供給量を制御して意
図的にバブルを起こし、それを一挙に潰すというもので、10年
で構造改革を成し遂げる計画になっていたのです。実際にそれを
やったのは、三重野康なのです。
 三重野は、澄田総裁時代の副総裁と自身が総裁時代の10年間
で、その計画を実行に移したのです。そして、日本を今までの量
的拡大から質的改善、すなわち生産性の向上で構造改革を実施し
国際マーケットに生き残ろうという計画です。つまり、日本に長
期デフレをもたらしたのは、他ならぬ日銀なのです。そのため、
このデフレによる景気後退を「日銀不況」と呼ぶのです。
 改めて考えてみるまでもなく、通貨供給量の設定と制御ができ
るというのは、大変な権力なのです。それに加えて、日銀は19
98年からは、政策に関して政府から干渉されない独立性を手に
入れています。まさに「鬼に金棒」です。だから、一万田元日銀
総裁は、「日銀マンは鎮守の森のように静かにせよ」と戒めたの
です。そんな凄い権力を持っている存在だということを知られな
いようにせよというわけです。
 ところで、日銀は誰が創設したのでしょうか。これに答えられ
る人は少ないと思います。
 松方正義が正解です。明治期の日本において、内閣総理大臣を
2度、大蔵大臣を7回務めた人物であり、晩年は元老内大臣とし
て、政局に関与し、大きな影響力を残した政治家であり、財政指
導者なのです。
 松方正義に関して、次の逸話があります。松方は、1877年
に渡欧し、1878年3月から12月まで第3共和制下のフラン
スのパリに滞在したのです。そのときフランス蔵相のレオン・セ
イから次の3つのアドバイスを受けているのです。レオン・セイ
は、あの「セイの法則」で有名なフランスの経済学者、ジャン=
バティスト・セイの孫です。
―――――――――――――――――――――――――――――
  1.日本が発券を独占する中央銀行を持つべきである
  2.フランス銀行やイングランド銀行は参考にならぬ
  3.最新のベルギー国立銀行を例として精査するべし
―――――――――――――――――――――――――――――
 帰国した松下正義は、1881年(明治14年)に「日本帝国
中央銀行」説立案を含む政策案である「財政議」を政府に提出し
たのです。
 その直後、明治14年の政変で大隈重信が参議を免職されると
参議兼大蔵卿として復帰し、日本に中央銀行である日本銀行を創
設したのです。
 実は松下はフランス滞在時にレオン・セイの紹介である人物と
会っています。それは、フランスのアルフォンス・ロスチャイル
ドであるといわれています。アルフォンスはロスチャイルド家の
4代目当主です。
 とにかく明治時代から戦争終結までには、日本の上層部は隠さ
なければならないことはたくさんあるようです。この間の歴史と
いえば、日本人は、なぜか、司馬遼太郎の歴史小説にはじまる小
説のレベルでしか知らない人が多いのです。
 とくに明治の終わりから大正時代のことを知っている日本人は
少ないのです。これはある意図の下にそうなっているとも考えら
れます。小説であれば、事実をいくらでも美化できますし、平気
でウソも書けるのです。
 学校での歴史の教育は、古代史からはじまるので、時間的に現
代史までは教えきれないのです。しかし、いちばんリアルなのは
現代史であり、そこに力を入れないのは、何らかの意図が働いて
いるのではないかと思います。
 日銀を設立した松下正義は、ロスチャイルドのカウンターパー
トになっており、以後の日銀総裁は、覇権国とのカウンターパー
トの関係を持っている人物ばかりなのです。松下正義は日銀総裁
はやっていませんが、高橋是清、井上準之助、池田成彬、渋沢栄
一、新木栄吉、一万田尚登、前川春雄と続く日銀総裁人脈は、す
べてひとつのつながりがあるのです。
               ──[新自由主義の正体/45]

≪画像および関連情報≫
 ●日銀創設/ユダヤの謀略16
  ―――――――――――――――――――――――――――
  松方正義首相が政府紙幣を今の紙幣(日銀紙幣)に変えさせ
  ロスチャイルドの日本支配を許した!大隈の後を襲って大蔵
  卿となったのは薩摩藩出身の松方正義である。1885年に
  内閣制度が創設されるまでは、大蔵卿こそが最高位のポスト
  だった。松方が中央銀行案を推進するのは、明治10年に渡
  欧してフランス蔵相レオン・セーに会ってからである。ネイ
  サン亡き後のロスチャイルド家の世襲権はパリ分家に移り、
  ジェームズ・ロスチャイルドがロスチャイルド家を統括する
  第三代当主とされ、その後を息子のアルフォンス・ド・ロス
  チャイルドが継いで第四代当主となっていた。このアルフォ
  ンス・ド・ロスチャイルドの「使用人」ともいえるのが、前
  出のフランス蔵相レオン・セーなのである。レオン・セーは
  ロスチャイルド家の「使用人」であり「番頭」なのである。
  ゆえに、レオン・セーの示唆によって日本に中央銀行を設立
  した松方正義は、フランスのロスチャイルド家に見込まれて
  日本に中央銀行設立案をたずさえて帰国し、権力の中枢につ
  いた人物であることが分かるのである。日銀の役割は、不換
  紙幣、つまり、政府紙幣および国立銀行紙幣の償却である。
  「償却」とはふつう会計の帳簿から消すことであるが、この
  ときの「しょうきゃく」は政府紙幣および国立銀行紙幣を本
  当に「償却」した。経済学的には紙幣を償却すればマネーサ
  プライの減少となり、市中に出回るお金が減り、すなわち、
  不景気となるのは当然のことである。これが世にいう「松方
  デフレ」である。        http://amba.to/1jrFQvX

日本をここまで壊したのは誰か

http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1305-30.html

西尾幹二・著  草思社  2010年刊

 『逆境に生きた日本人』を読んで

  次のように日本人をきめつける言葉が相次いで並んでいる本を読んだら、読者はまずどんな印象を持つでしょうか。
  「権力者や組織という背景を失うと、多くの日本人はいかに弱い人間になってしまうのか、そして次の権力者に身を摺り寄せて迎合していく、これが日本民族の姿なのです」
  「(ロシアで出されていた)日本新聞の編集長、イワン・コワレンコ中佐は日本人について『集団主義で勤勉な反面、権力に弱い。それが日本人の民族的特性だ。何か命令されて言い争うことがまずない。私は日本人から〈はい、そうですか〉の返事以外、聞いたことがない。そんな特性が収容所の管理や捕虜の政治教育に大変役立ったよ』と語っています」
  「日本人のこの徹底して媚びる性質のため、地球上に人類が存在するかぎり、日本民族は決して滅びることはありません。例えどんな民族に日本人が征服されても、日本人は徹底して媚びることによって生存していくでしょう。そのかわり日本の文化はめちゃくちゃになります。そんなことを気にしないのが日本民族なのです。自国の文化が傷つけられ、あるいは否定されても無頓着であるということは、戦後7年間の占領政策が半世紀以上たってもほとんど何一つ変わらずに続いているのが証明でしょう」
  「『日本人は猿に支配されたら、団結して抵抗するより国民こぞって木登りの練習を始める民族である』これは名言ですね。実を言うと、私が常日頃思っていることを言葉にしただけです」
  「日本人は1.権威、権力に極端に弱い。2.変わり身が実に早い。3.裏切り者や変節者が多く出る。4.団結することができない。5.日本人は日本を愛せない」
  「私たち日本人は、変節、裏切りの遺伝子を持つため、変節者や裏切り者には実に寛大だが、信念を通す人には冷淡なのです」
  あまりに一方的に言われ放しで、一寸待ってくれと反論したくもなる半面、戦後の日本人の生態をつらつら考えると当たっている面も多いと思われるのです。とくに、ここにきての一段と過去の自分を裏切る日本の言論、NHKをはじめとするマスコミ、自民党も民主党も同じ体質を持つと分かった最近のいいかげんさを見ていると、なるほどと思わずにいられない気持ちになる人も少なくないでしょう。

 日本人の奥底が見えた3つの民族的体験

  この辛辣な文句を散りばめた本は、鈴木敏明著『逆境に生きた日本人』(展転社)です。過日この本をめぐって、筆者を招いて、お話していただいた上で討議を交わす勉強会が開かれました。
  『逆境に生きた日本人』は4つの民族的体験にスポットを当てています。最初は幕末から明治維新を切り拓いた戊辰戦争で、これをアメリカの南北戦争と比較しています。日本人は変わり身早く幕府を裏切り、南北戦争の死傷者百万人に対し、戊辰戦争はわずか三万人で、新政府に簡単に寝返った者がいかに多いかという説です。
  二番目にはマッカーサーに媚び諂った第二次大戦後の占領時代を告発しています。マッカーサーは8月30日に厚木に到着しますが、なんと9月15日に、小川菊松という人の『日米会話手帖』という小冊子が出版され、1カ月半で360万部も売れたという、軽薄な日本人の時局便乗癖を槍玉にあげています。「終戦直前までは、アメリカ軍の日本本土上陸に備えて竹やりの訓練さえしていたのです。それが竹やりを捨てて本屋さんに殺到したのです」と、鈴木さんは忌々しげに語っております。
  第三番目のテーマは、日系アメリカ人の強制収容所体験です。日系人で祖国日本への忠誠を貫いて刑務所に入れられるような剛直な者もいるにはいましたが、これは少なく、大抵の日系人はアメリカへの忠誠心に心の方向を切り換え、二世外人部隊に志願し、ヨーロッパ戦線に出撃しました。戦功を挙げて、アメリカで評価を得ました。しかし、アメリカ政府は無法にも日系人の家財を奪い、彼らを強制収容所に送り込んだ相手でした。そのアメリカ政府の卑劣な仕打ちに対する抵抗もなければ怒りもなく、まことに穏和しくアメリカ合衆国に新たに忠誠心を捧げた大半の当時の日系人の心はまったく理解できないし、情けないかぎりだ、というのが鈴木さんの感想です。
  以上3つのうち最初の戊辰戦争に民族的裏切りを見る見解は、少し違うなと私は思い、席上そう異論を述べました。──(中略)── 会場でも私以外にもこの点では迷う人が多かったようです。
  第二のマッカーサーへの日本人の媚態はまさに鈴木さんの言う通りで、恥ずかしい記憶があります。昭和21年~23年頃に日本国民はあっという間にアメリカ万歳!になります。昨日まで「一億玉砕」と言っていたのに、なぜ「レディーファースト」「デモクラシー」「コカコーラ」「ホットドッグ」になったのでしょうか。20年9月に神宮球場は野菜畑でしたが、早く球場を復活して進駐軍と日本の学生野球の親善試合をやれ、という声が、終戦から1カ月も経たぬうちに上がっているのですよ。神風特別攻撃隊で学徒兵が米艦隊めがけて突っ込んだのはつい昨日の出来事なのにです。この変わり身の早さにはまずアメリカが驚いたということこそが、戦後の占領史を決定づけています。そしてあの戦争は何であったのかという国民的疑問を今に至るも引き摺っている原因であります。
  その点で『逆境に生きる日本人』の第二の体験への指摘は、第四のシベリア強制労働収容所(ラーゲリ)の体験記録の分析──この本の最も重要な部分──にもつながり、日本民族の資質に関する深刻な問題提起ともなっております。

 権力に媚び諂ったシベリア・ラーゲリの日本人の記録

  この本は鈴木さんが数多くの記録文献からポイントを拾い、ご自身の見地で再構成したものですが、その流れるような名調子、ときに稲妻をピカピカと光らせ怒りや絶望の情を隠さない率直さで、一息に読ませる筆力には感服しました。わけても第四のソ連ラーゲリにおける日本人の体験への批判は、われわれの深刻な内省を呼び起こします。ソ連側の非道はもとよりですが、それが悲劇の主たる原因ではなさそうです。日本人が日本人を苦しめたのです。反ソ連ではなく、反将校闘争から始まるのもそれゆえです。必然的にソ連側につく積極的協力者が登場します。抑留者がなかなか帰国できない帰還遅延の理由は、船を送ってこない日本政府にある、とウソの情報を流し、わざわざ海岸にまで拘留者を連れて行ってはそう思わせる芝居まで仕込んだのは、ソ連側と打ち合わせていた日本人協力者たちでした。
  人民裁判で「被告」にされた人は何時間も壇の土に立ち、土下座して謝罪させられたりしました。「反動」には毎日過酷な労働が強いられ、土運びには他の者の二倍も多く積んで、休憩時間にも「反動を休ませるな」と腰を下ろすことも禁じられます。すべて日本人が日本人を虐げたのでした。
  寒さ、飢餓、重労働の三つを用いて行われる極度に非人間的な洗脳教育では、自己批判を強要し、私語にさえ聞き耳を立てます。ソ連製の機械や機具が不良品だと言う私語を聞きつけると、帝国主義を礼賛した者として吊るし上げられ、残飯をあてがわれ、食器をひっくり返され、そこへつばを吐きかけられた者もいました。勲章を発見されたある大佐は「○○天皇」と書いた板をクビに吊るされ、朝夕食堂の人口に立たされました。苦痛と屈辱に耐えかねて建物の四階から投身自殺した者も出ました。
  「吊し上げに暴力をつかうことを禁止したのはソ連当局であり、食事中のいやがらせも収容所当局によって禁じられた。ソ連軍医が就業を禁じたような衰弱者や病人を作業に引っ張り出したのは、日本人捕虜のアクティーブ(煽動者)たちであった」
  ソ連抑留中に出た死亡者の死亡原因の最大のものは日本人による虐待でした。
  「シベリアでは零下40度以下になると、屋外労働は中止になるが、実績を上げようとする民主委員のなかには、その規定を無視してさえ、作業に捕虜たちをかり出した者もいる。こういうときの制止役はむしろソ連側なのである」
  「ノロノロと働いているドイツ人捕虜たちは、日本人捕虜の勤勉さに驚きというよりは嘲笑をなげかけた」
  「ある夜、相変わらずの吊し上げがあった。アクティーブの一人が反動の烙印を捺した男を殴った。ところが偶然、ロシアの歩哨がこれを見た。するとこのロシア兵、猛然とこの殴った男に食ってかかっていった。ロシア人は人を殴ることを非常に嫌う」
  以上のような記述を読むと、日本人として何とも情けない思いがします。日本人捕虜は団結できないのです。生き残るために各自勝手に共産主義者になってみせたり、転向したふりをしてソ連当局に媚びたのですが、新しい権力であるソ連当局への忠誠心を競い合い、その目的のためには同胞を冷酷に傷つけ、死地に追いやることも平気だったのです。
  道徳心麻痺のきわめつきは「スターリンへの感謝状」でした。帰国のための条件づくりなら、紙切れ1、2枚の署名文書でもいいものを、数十メートルの奉書紙に、1万6千語の感謝文を記し、きれいに表装し、刺繍を施し、美しい巻物として桐の箱におさめ、その他に「感謝のアルバム」という画集まで添えました。収容所生活がすばらしかったことを絵で説明し、大元帥への感謝とソ連に対する忠誠を誓う内容で、6万3千人から成るこの署名アルバムはすばらしく精巧につくられていました。「彼らを奴隷のように扱った総責任者スターリンに対して過剰なまでの媚です」と、鈴木さんはいたく嘆いております。
  いくら無事に帰りたかったからといって、ここまで自分を失い、誇りを捨てて、しかもしなくてもいい同胞への迫害を重ね、加虐快楽に陥った捕虜囚人の恥ずべき言動は世界史的にも例がない不名誉な記録です。

★ひとくちコメント ―― 最後に出てくるシベリア抑留者の話は衝撃的です。日本人は団結するのでなく、権力に媚びることによって生き延びようとする者が現れ、同胞を虐待してまで忠誠を示そうとした、という内容です。すぐに今日の我が国の数人の有力政治家の顔が目に浮かびました。日本国民を陥れつつ、自らは外国勢力に媚びて国民の財産を献上してきた人物たちは、まさにこのシベリア抑留者の中のアクティーブ(煽動者)そのものです。
  もちろん、今日の日本に巣くうアクティーブ(=外国の手先)は、政治家だけではなく、経済界やマスコミ関係者、教育界、有力な宗教団体の中にもたくさん潜り込ませてあると見る必要があるでしょう。「自分が助かるために同胞を売る」というタイプの日本人、あるいは外国から渡ってきた先祖が日本国籍を手にした結果、自らは日本人として生まれながらも、この国と国民に同胞意識を持たない“外国魂”の人間たちが、今政権を取ってこの国を実質的に支配している、という現実は知っておきたいものです。
  なお、アクティーブな政治家は、現在の政権党である自民党にも、いまや国民から総スカンを食ってしまった民主党にも、あるいはそれらの政治家を実質的にコントロールしている官僚の中にも潜り込ませてありますので、どの政党が政権を取ったとしても、国民はこの本に出てくるシベリア抑留兵の立場に置かれていると言ってもよいでしょう。戦後、GHQ(占領軍)の手によって牙を抜かれ、羊のように従順にされてしまった日本人は、これから訪れる国難の中で団結して立ち上がることができるでしょうか。私は大変疑問に思っています。(なわ・ふみひと)

管理人注:五味川純平の「人間の条件」や映画をみるとシベリア抑留者の様子がよくわかります。つまり権力に媚びるという日本人の真の姿を見ることができた。会社の中だってそうでしょ。

五味川純平氏について

http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/50d033ac4a6dafce66fe0c53e927b350

教科書が教えない歴史の教科書

http://www.asyura2.com/biz0310/idletalk5/msg/137.html
 
 
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