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空想と現実

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年 9月 5日(金)16時19分16秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://www1.ttcn.ne.jp/turu/37kuusoutogenjitu.htm

管理人注:これは空想でなく現実......ロシアとクリミア

http://japanese.ruvr.ru/2014_09_05/276901572/

ちょっと長いですが.......イエスかバラバか

http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%83C%83G%83X%82%A9%83o%83%89%83o%82%A9&x=0&y=0&inside=1

YAHOO検索では.......

http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A2RAyHnAwgtUrlYA.1.JBtF7?p=%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%8B%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%90%E3%81%8B&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=4&oq=&afs=

空想と現実

  「現実」という言葉の概念に向けて意識の焦点をあわせていくと、私の意識は空間をさまよい、やがて私の心の中に戻ってきます。現実と呼べるものは私の想念の中にあるという当たり前の事に気付かされます。

 目の前に展開されている「現実」を眺めながら、それを心の中にたどっていくと、そこに私の想念が発見されます。「私にとってこの想念は必要なのだろうか」とチェックしてみると、必要というわけではないということがわかります。ですが「では、その考えを手放そう」と思ってみたときに心の中には葛藤が生じます。何がこの葛藤を誘発しているのかと探してみると、私がこれまで永い間慣れ親しんできた、固定的観念が上がってきます。この古い価値観と対面させられる事になります。

 そんな時にはこの葛藤の元となっている習慣的考え方に、しっかりと意識の照準を合わせます。そうしていると、それに関する様々な恐れや、雑念が上がってきます。その一つ一つに丹念に意識を合わせて下さい。恐れがあるならそこにじっと意識を合わせ、自分の中心を外さないで下さい。

 あなたの心がハートの中心にいて、何かに意識を合わせていると、その対象に、あなたの内面の光が照射されます。そしてやがて数分の内に、不思議なことにそれがどうでもいいことのように思えてきます。そしてそんな時には、その対象に意識を向け続けるだけの集中力が無くなっています。すなわち集中力が途切れた時には、既にその固定的考え方が、もはやあなたを動かす力をなくしてしまっているわけです。そしてあなたは一つの習慣的考え方から自由になります。あなたの内面から上がってくる葛藤のエネルギーが、古い価値観を破る破壊のエネルギーとして働いてくれるわけです。

 こうしてあなたの眼前に展開される一つひとつの出来事が、あなたを無心へと導いてくれる原動力となるわけです。どうぞ自分のために静かな時間をとってあげて下さい。あなたの古い価値観をはずすためには、どうしてもこうしたエネルギーワークが必要となるからです。

  目の前に困った人が現れてきたとき、どうしても何か手助けがしたくなるものです。そんなときにはどうぞあなたに出来る事をしてあげて下さい。ですがそれだけだったら又あなたの前に、困った人が現れてきます。あなたは困っている人を助け続けるということもできます。人類の救済という素晴らしい自我の高揚感を体験できる事でしょう。そしてそのあなたの救済ゲームは永遠に続くことでしょう。とても素晴らしいことです。でも、もう困った人をあなたの宇宙から完全に抹消してしまうことも出来るのだ、ということも知っておいて下さい。ですがそんなことをしたら、あなたはもう二度と人手助けするという悦びを味わえなくなってしいます。あなたの自我はその最も深いところで、この事を知っています。ですからあなたの自我は人助けを必要としなくなるような誘惑には強い抵抗を示してくるでしょう。

  私達集合意識が「助けたい」という想念を抱いたその瞬間に、助けられねばならない困った人をその裏で製造します。助ける者と、助けられる者は元々一つでしかないからです。一つの想いが相対立する二元的性質を生みだします。救済者というプラスの概念が、救済されるマイナスを生みだしています。

 「困った人はもう必要ない」と言い切ることは簡単ですが、「私はもうだれも助けない」と断言する勇気がありますか? あなたの中に「手助けしたい」という思いがある限り、助けられねばならない人をあなたは目の当たりにするでしょう。そして、もしそんな人が現れた時には、あなたに出来る最善をつくしてサポートしてあげて下さい。

  ですがその後であなたにはする事があります。自分の内面に潜んでいる「人を助けたい」という思いをじっくりと観察して下さい。ゆっくりと時間をかけて、その考え方と対峙して下さい。あなたの生命エネルギーを、もうあなたにとって不要と思われる想念に注ぎ込んで下さい。そうしたら必ず消えていきます。どんなに深いところにあるものも例外ではありません。あなたに決心するエネルギーが生まれるか否か、問題はそれだけです。

 何も無理をすることはありません。起きてくる事に身を委ねていて下さい。全てのことにはそのベストな時というものがあります。自我に言い聞かせたりせず、じっくりとそのエネルギーがやってくるまで待って下さい。あなたという神にとって無駄な事など何一つありません。全て必要な事はベストのタイミングでベストな形でやってきます。それはあなたが変化したときにわかります。全てが完璧なタイミングで起こっていたことがわかります。その時あなたは宇宙の全能性を知るでしょう。

 私の書いていることは、私という個体意識と集合意識の合作です。この文章の全てを信じないでください。あなたにはあなたという個体意識特有の存在理由があります。それは私のものとは違ったものです。ここに書かれている事はあくまでも単なる宇宙の一表現形態でしかないということを踏まえた上で参考にして下さい。あなたこそがあなたの宇宙の中心なのですから・・・。

 今、あなたのするべき事は自分の内面世界を広げていくこと。欲求に従って単に行動して行く者から、その欲求が自分の内面世界のどこからやってくるのかに意識を向け続ける者になって下さい。原因に、原因にと遡り続けることによって、あなたはやがて徐々に集合意識としての自分の記憶を取り戻していくことでしょう。発想が個体意識から徐々に切り離され、集合意識の記憶とのつながりが増えてきます。

 集合意識としての私がこのゲームを始めた張本人であったことを思い出すでしょう。貧者は私が創りだしたのだという事が、病の淵で喘いでいる人は私が産み出したのだということが。経済的苦しみに疲弊した人を、独善的に人の頂点に立とうとする人を創り出したのは私以外の何物でもなかったと・・・。でも安心して下さい。自分を咎める癖のある人や否定的なあなたはこんな事を思い出すことはありませんから。全く自分を咎めることの無くなった人だけがこの事実を思い出します。でないとあなたの自我がその苦しみに耐えられないからです。どうぞ自分を信頼し、自分の宇宙を信頼して下さい。あなたこそが「私」であったことを思い出すでしょう。そして「私」とはこの地球には一人しかいなかったことがわかります。「私」とはこの宇宙に一人しかいないのだという事に気付きます。あなたこそが宇宙に存在するただ一人の「私」です。あなたこそが宇宙生命です。

 そしてあなたはこう言うでしょう。「私はもうこのゲームを終わらせることにしよう。弱者の救済ゲームはもう終わりにしよう」と。自分は宇宙の「私」であることを知っているあなたの決心が集合意識の決心となるでしょう。

 私は去年まで高血圧の薬を飲み続けていました。あるとき、成人検診で医者から指摘されたからです。それ以後、機械的に薬を飲み続けていました。薬を飲んでいれば血圧が安定するからです。見えない世界の方からあるときこう言われました「いつまで薬を飲み続けるつもりか」と。私はどうして私の血圧が高くなったのかを調べてみました。それはすぐにわかりました。私は医者であった父が毎日毎日高血圧の薬を飲んでいるところを見て育ちました。私の心には年をとると血圧が上がるのだという考えがはっきりと刻まれていました。私の心の中のこの鮮明な心象が、この世界に現実として投影されているわけです。

 私達はこれまで、自分の内面の心象を外界世界に投影しているにもかかわらず、現実というモノは、自分とは無関係の何かの力によって引き起こされるという誤解を持ち続けてきました。もちろん現実をこの世界に投影しているのは表面意識ではありませんが、あなたの現実をこの外界世界へ投射しているのはあなたの内に存在する無限の力、あなた自身の本質です。内側の私と外側の私にははっきりとした役割分担があります。自我意識であるあなたこそが何をしたいかを決めます。内なる神はそれを100%叶えようとするあなたの召使いのようなモノです。

 内なる神にはあなたの見えているモノが全く見えていません。この世界は五感を通してしか見ることが出来ません。あなたが外なる世界を見て感じた印象を通して、内なる神はあなたの世界を感じています。そしてあなたが抱いた心象を外側に映し出します。「これでいいかい」と言っているわけです。ですから気に入らなければ心象を書き換えればいいだけです。

 でも私たちはこれをなかなかやりません。血圧が高いという現象を捉えたら、その心の記憶を変えようともせず、薬を飲んで下げるという対処をします。そして自分は血圧が高いという印象を強めます。現実という結果は、ハイヤーセルフからのメッセージです。

 現実は現実なんかではありません。「これでいいのかい?」というお知らせです。ですからそんな結果に対処する必要は全くありません。結果は消えていくのですから。消えないのは対処するからです。あなたが結果を見て、又強い印象を心に抱くからです。結果に対処すべくあなたは又別の欲求をハイヤーセルフに伝えます。こうなりたいと。こうしてあなたは結果を見る度に新たな願望を抱き、要求の数だけが増え続け、最初の願望はどこかへ行ってしまいます。現実とはあなたの心のイメージです。現実は外なんかにはありません。

 あなたが始めたのは自己の救済ゲームでした。私達は外側の世界を見よう、見ようと意識を働かせているうちに、いつの間にかメビウスの帯状の流れに沿って、内と外が反対になってしまいました。外に現実があると誤解するに至ったのです。こうしていつの間にか自己救済ゲームが、この人間世界では他者救済ゲームとして進行してきました。外側の現象を内面に記憶していくゲームから、心を表に映し出すゲームへと変わります。無意識的に行っていた現実想像ゲームから、意識的創造ゲームの始まりです。内面に想像(イメージ)を働かせ、外面に創造をもたらします。真実の自分を思いだして下さい。自分を浄化することによって思い出します。自分の習慣的考え方を手放すことによって本当の自分がわかります。創造的意識だけが残るからです。

  私たちの大脳は、あなたが心の中で創り上げた空想なのか、何かを体験して抱いたイメージなのかを判断する能力がありません。あなたの描く夢、空想はそのまま現実世界へ投影されます。どうぞありたいイメージをはっきりと空想して下さい。それこそが現実なのですから。

津留晃一メッセージ集

http://www1.ttcn.ne.jp/turu/sub3.htm

内部対立

 私達は論理的思考世界に住みながらも、結構矛盾する対立した考え方を知らないうちに受け入れて使っています。「他人には親切に」と思っているその人が「家族を大切に」と思っています。そんな人が「家族と友達のどちらが大切なの」と家族に言われると困ってしまいます。

 「こんなにボランティアだけやっていていいのだろうか、もう少し家族の面倒も見なくてはいけないのではないだろうか?」などと、二つの対立する考え方がムクムクと心の中から上がってきます。こんな時、誰からも問われているわけではないのに、自分のしている事に対する正当性の主張を自我がつぶやき始めます。自分の中に後ろめたさがあり、その後ろめたさをうち消す為にです。自分の中にある対立する二つの考え方が、外面世界に投影されて「どちらが大切なの」という言葉を引っぱっているにすぎません。

 「友達を思いやれ」と言いながら「友達には負けるな」と言います。そしてその二つの考えが矛盾していないという論理を構築しています。今あなたが、それは矛盾していないという理屈を流ちょうに説明できるとしたら、それは心のどこかで実際は矛盾を感じているからなのかもしれません。

 私が社長をやっていたときも「売上げを上げろ」と言いながら、「客を大切にしろ」と絶えず社員に言ってきました。そして売上げを上げる事を考えながら、客の利益を考えるとはどういう事なのかを何度も社員に説明していました。今考えてみればわかるのですが、わざわざ私が説明したくなるところ、強調して説明していたところ(自社の利益と客の利益)は、私自身の内部に矛盾を感じていたからに他なりません。

 私達は、実際は相矛盾する考え方をたくさん受け入れてしまっているにもかかわらず、それが余りに日常的すぎて、ここが論理的整合性のない矛盾した世界であるという事実に気付かないまま暮らしています。そしてこの心の内部矛盾が外面世界に投影され、複雑で対立的な人間関係を表出させています。

 自然界を丹念に眺めてみれば、この世界が論理で説明のつく世界でない事はすぐにわかるはずです。「今、ここを生きよ」と言われても、「ここ」を空間的場所の事としてしか考えられません。証明の世界、立証できる事だけが正しいと考える、思考世界に意識が落ち込んでいるからです。

 論理で裏打ちされた世界での体験がどういった感覚をもたらすのか、そんな体験を望んだ我々の集合意識は、論理を好む男性偏重社会を創り出しました。それがこの現代文明社会です。論理的に証明可能な事だけを正しいと信じる、ちっぽけな世界で人類はどんな体験を果たすのか、我々は見事にその複雑な成果を勝ち取りました。広大無辺な神秘の世界から、見事に偏狭な証明世界を築き上げました。今地球は証明可能な世界観から、純粋な体験世界へと脱皮しようとしています。ちょうど芋虫が蝶に変身するように。

 そしてこの話を信じる必要はありません。証明など出来ないのですから。証明できない時はどうするか、我々は数学等で慣れ親しんできた仮説を立てるという方法を採ることが出来ます。

 「初め私は、宇宙にただ一つの『私』という意識であった」と仮定します。これは仮定ですから全く信じる必要はありません。その仮定から思考を展開してみて下さい。その観点から世界を眺めてみる訳です。ありとあらゆる現実を、細やかに、注意深く、丹念に、より深く。

 私は初めに「あなたは無限です」と言われました。会社を倒産させ全てを失ったと思い込んでいた私に向かってです。どん底だった私は「そんな馬鹿な」と考えながらもその言葉を信じてみようと思いました。そのたった一言から始まりました。「私が無限であるという事は、私は全てという事だ」。「私が全てという事は、私が神だという事だ」。「私が神だという事は、倒産は私が仕組んだという事だ」。「私が仕組んだという事は、私がそれを知りたかったという事だ」。「何だ、これこそ私がしたかった事なのか、そうならば私は今『思い通り』に生きているということではないか」。

 人間の苦しみは、その原因を調べてみると全てがたったひとつに帰結します。それは自分の「思い通り」でないということだけです。実に単純な事です。5万人から愛されたとしても、たった一人、自分が愛されたいと思っている人が思い通りにならないといって、身を投げたタレントがいました。仏陀は「母の命さえ救えないなんて、王位という最高の権限・権力にどんな意味があるというのだろうか」と出家してしまいました。9999の望みが叶ったところで、たった一つが思い通りに行かなければ自我にとってはその全てにおいて不幸と感じます。「お前はこんなに満たされているというのに、なんて欲張りなのんだ」と人を咎めてみても仕方ありません。人間とはそういうものなのですから。

 「私が神であるという事は、私は何かを成し遂げる為にわざわざ来るはずがない。体験こそ私がしたかった事なのだ。だったら今体験している私は全てが『思い通り』という事ではないか。私はこれまで何かを『する』事を目的としてきたが、これからは『体験』を私の目的としよう。起きてくる事こそ私が、体験したかった事なのだから。」こう思えるようになって以来、私の世界から「思い通り」でない事が消えてしまいました。

 想いを遂げて思い通りにして行くよりも、ずっと容易に「思い通り」を達成しました。この世界を、体験の世界という窓を通して見るようにしただけで心は安らぎ、静寂を得ました。心の揺らぎが瞬間の範囲以内に治まるようになりました。これは「私が無限である」と言う単純な考え方を、そうだと仮定したことにより起こってきたものです。

 もちろん今でも私が神であるか否か、そんな事は証明のしようもありません。ですからそれが本当かどうかはわかりません。本当か嘘かなど決めつけなくても不安はなくなり安らぎを得られる事は事実です。

 ここは全てが検証不可能な世界です。自分が何者で、今どこに居るのかさえ判りません。しかし現代人はそれを証明しようと考えました。人類自我の挑戦です。「その課程を体験するため」これが初めの目的であったにもかかわらず、人類は「結果を出す」事を目的として進んでいるようです。微妙なスリ変わりですが、これこそ苦しみの源です。自分の始めた目的を忘れてしまっているのですから。人類は癌を克服できると信じました。宇宙の創造の秘密が解き明かされると信じました。そしてもうじき人類は知るでしょう。解らないという事を通して、思考世界に閉じこめられていた意識が、この思考空間から体験空間へと意識を飛翔させることでしょう。ここが体験の為のエデンの園であったことに気付くでしょう。

 正しいか間違いか、結論を出そうとする自分の姿勢を変えてみる気はありませんか。良いか悪いか、そんな事は決めなくても何ら困る事など起こりません。決めようとするのは、決めないと困った事になると信じているからです。自分が孤立した存在だと思い込んでいるからです。私達は部分であり全体です。決して孤立した存在ではありません。解らない事はあなたが決める必要はありません。結果を出すという目的から、その課程を体験するという目的に切り替えてみませんか。

 今あなたの目の前にある、他人との対立は、あなたの心の中の内部対立に過ぎません。自分の中で争っている相対立する「考え方」という二つのミニ自我を発見して下さい。発見できればその考え方を解除することが出来ますし、その対立する二つの考え方をさらに突き詰めてみて、思考の外へ飛び出してしまう事も可能です。私は考えることが大好きでしたから、考えて、考えて、考えて、頭がオーバーヒートを起こし、意識が思考の外へ飛び出してしまいました。どうしても、どうしても解らなかったからです。その結果、解ったわけです。ここが体験の世界であった事が。それが真実の世界で、今まで思考の世界の中に意識が落ち込んでいただけであった事が。

  「あっちを立てればこっち立たず」、本当でしょうか。この二極的相対世界では思考はここで止まってしまいます。子供が学校へ行きたくないと言い、親は学校だけは行ってくれと言う。互いが自分の思いを遂げようとすると、親子の仲が裂けてきます。自分を押さえれば心の中に歪みを作ります。こんなとき正しさは無力です。正しい選択が出来ますか。親は子供の考えに従うのは簡単だが、それでは余りに無責任すぎると考えます。子供の将来はどうなるのかと悩みがつきまといます。意識をこの正邪の世界から出して、体験という窓からこの状況を覗いてみれば面白い風景が見えてきます。素晴らしい劇が幕を切ったように見えてくる事でしょう。思考の世界へ意識を落とし込んでしまったままでは、この現実に正解はありません。

 早く結論を出そうとする自分の思考パターンに気付いて下さい。結論があなたを幸せにするわけではありません。「決める必要なんかない」という言葉を思い出してみて下さい。ここは論理の世界ではないのですから。あなたが不利になると信じ込んでいるだけで、本当にそうかどうか解らないのです。

 私はいつも、いつも考えてきました。何が正しいのか。そして正しさを選び取ろうと生きてきました。正しいものがあると信じ込んでいたからです。私の頭はいつも何が正しいのかを決めようと絶えず忙しく働き続けていました。「正しい」「間違い」はない、と頭が理解した後もなおです。頭ではわかっていながら、やっている事はいつも知らず知らずのうちに何が正しいのかを探しています。ふと気付くとまたやっています。自分の中にいるもう一人が。潜在意識の中にしまい込んだプログラムに基づいて、すぐにロボット機能が活躍を始めます。私達が無意識のうちに呼吸をしているように、無意識のうちに心は何が正しいのかを決めようと一人で働いています。このロボット機能を解除できるのはあなたの表面意識です。このロボットの再プログラミングは、意識的反復操作によって可能です。「あっ、またか」と咎める必要はありません。単純に繰り返して下さい「何が正しいのか決める必要なんかない」という言葉を。

 考えて、考えて行動する人は、自分の行動に自信を持っています。自分が間違ってないと信じられるからです。正しい人生を送りたいと考えている人は、常に自分が間違えていないかをチェックし続けています。いつも意識して、意識して考え抜いて出した結論ほど、自我はその考えに対抗する意見には従えなくなってしまいます。相手が間違っているとしかおもえないからです。自分が正しいのであれば相手は間違っているに決まっていると発想するからです。特に意見の対立がある場合にはさらに深く考えます。どちらが正しいのかを。そして考え抜いて出した結論ほど修正が難しくなります。あなたの目の前にある鏡からのメッセージが受け取りにくくなります。

 登校拒否のお子さんを持つ親はさらに難しいものです。自分が上から見てしまうからです。この「親」という観点からものを見る場合、それは「自分は正しい」という観点からものを見ている事と同じになります。ですからお前は間違っているという観点から話をします。相手を説得しようとしているのがその何よりの証拠です。どうぞ気付いて下さい。「相手に伝えたい」と思う心は、「自分が正しい」という観点からの発想である事を。「相手に言ってあげたい」と思う優しい心も「私は間違っていない」という観点から発しているのだという事をです。

 あなたが「自分は正しい」の観点に立った時、相手も「自分は正しい」の観点から、発想を始めます。こうして対立が生まれます。あなたが正しさの立場を離れない限り、対立相手もそこを動きません。よく勉強した人ほどこの落とし穴にはまります。考えぬいたぶん、この穴から出づらくなるわけです。この宇宙は反転した世界であるという法則を思い出して下さい。あなたが反転しない限り、この穴からは出られません。自分の中から出て下さい。今その体験をしている人にどうして間違っていると言えるのでしょう。

 親が子を心配する純粋な親心が、どうして子供に受け入れられないのでしょうか。自分の心の中に一体どんな対立関係があるというのでしょうか。その謎を解いてみませんか。あなたが子供にわかって欲しいと思っている分だけ、あなたの親である宇宙も子であるあなたにわかって欲しいという思いを出しているのかもしれません。

 
 
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