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バラバを選んだ人類

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年 9月 7日(日)11時32分48秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://www7.plala.or.jp/machikun/mataibara.htm



ここより......http://www7.plala.or.jp/machikun/mataiz.htm

参考記事:空想と現実

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2905

バラバを選んだ人類

 ピラトから「バラバか、イエスか」と問われて、民衆はためらうことなくバラバを選んでしまった。正義の人、あれほど民のためを思い、つくした人を民衆はあっさり見捨てて、なんと極悪人であるバラバの釈放を求めてしまった。分厚い聖書の中でもこのシーンほど、キリスト教というものの本質を示している部分はないだろう。

注:下の文章にありますが......まわりがバラバ、バラバ、と叫んでいる状況では自分も保身のためにバラバを!と言ってしまうのが人の性(さが)でありこれは永遠に変わらない。後でその人に聞くと「あれは本心でなかった」などの答えが出てくるのです。例えば希望退職などはほぼ強制されますがある家族ぐるみでお付き合いしていた仲のいい仲間がそのターゲットにされた場合皆で「辞めろ,辞めろ」と叫びます。自分はその人たちに一人で対抗出来るでしょうか?対抗したら自分にも火の粉が飛び移りますので同調して自分の友人を囲んで罵声を浴びせ「辞めろ,このバカ」をやるのです。これが人間の社会なのです。

 もし、このときにピラトが民衆のひとりひとりに個別に同じことを聞いたら彼らはなんといっただろうか。おそらくは皆が「釈放されるべきはイエスである」と言ったことであろう。民衆一人一人はおそらく善良であり、またイエスの善行を良く知っていたと思われる。だから少しでも冷静に考えればこの「イエスかバラバか」という選択肢自体が無意味なものであり、イエスのような人が磔刑に処せられるはずがないのである。

 私は聖書のこの場面を読むたびに、第一次世界大戦のことを考える。第一次大戦がなぜあんな世界規模の戦争になってしまったのか、ということについてはいまだに定説がないらしい。要するに誰もわからないのだ。ただ言えることは誰もがあの戦争があんな世界中を巻き込む大戦争になるとは思っていなかった、ということだ。

 あの戦争が世界大戦となった原因の一つは当時網の目のように張り巡らされていた諸国間の同盟関係である。ではなぜ同盟というものがあったのかといえばそれは自国の安全保障のためであろう。国家間の安全弁としての諸同盟が逆に大戦争の原因を作っていたのである。

 多くの人が犠牲になる世界大戦など、望む者はいないだろう。(一部の人の利益となる局地戦争ならばそうでもないだろうが)誰も望む者がいない大戦争を結果的に人類は選んでしまった。第一次大戦はまさに20世紀のバラバである。人類は「バラバを!」と叫んだ民衆の時代から少しも進歩してはいないのである。

 第二次世界大戦に関しては第一次世界大戦の戦後処理の必然の結果だと言われている。ヴェルサイユ条約であれだけ過酷な戦後賠償をドイツに求めれば窮鼠ネコを噛む、ドイツ人は生きるためには何をするかわからない、ということは当時の識者の一部では理解されていた。(J.M.ケインズなどがその代表) しかし、この時点でも人類はバラバを選んでしまったのである。ヴェルサイユ条約もまた人類にとってのバラバであったのである。

 日本の歴史でいえばバラバとなったのはあの悪名高き、日独伊三国軍事同盟であろう。現在から振り返ればあの条約を推進した松岡洋右などは悪の権現のように言われているが、彼にしてみればあの条約こそが日本の安全保障に必須と考えていた訳である。松岡洋右を擁護するわけではないが、彼は外相という立場にあって必死になって日米戦争回避の道をさぐっていたのである。

 結果的にはあの軍事同盟が日米関係の命取りとなり、日本は太平洋戦争に突入してしまった。アメリカとの戦争を本気で考えていた日本人は当時でもほとんどいなかったと思う。陸軍とてあくまでも仮想敵国はソ連であり、それもできればソ連との直接対決は国力から考えて避けたい、と考えていたのである。

 日本人はあの時代、まさにバラバを!と叫ぶ民衆と同じだったのである。少しでも冷静に考えれば、アメリカやソ連などと戦争などして勝てるわけがない、ということはわかるはずだ。(日露戦争はニコライ王朝末期で共産党革命が進んでいたロシアという特殊条件のもとでかろうじてひろった勝利であったのである)

 さて、太平洋戦争後の日本はバラバを選ばずにうまくやってきたのであろうか。確かにこの50年以上、日本人は戦争とは無縁で生きてきた。その間に経済大国ともなった。しかし、小さなバラバはやはり無数に存在し、常にバラバを!と叫んでいる状態にあるのは戦前と変わらない、と思う。戦争という一点に集中しないだけで、さまざまな局面で私達はバラバをつい選んでしまっているような気がする。たとえばレンアイなどをする時、ある女にとってイエスとなるような存在のオトコとバラバのようなオトコがいてそれぞれから求愛されたとすると、結局多くの女はバラバたるオトコを選んでいるような気がする。

 かつて私は公務員をしていた。そこには労働組合があった。みんな組合のやっていることは何かおかしいんじゃないか、と思いつつ、仲間はずれになるのを怖がり、表面的な人間関係を保つために、適当に組合活動をやっていた。当時私は「ははあ、組合というのはバラバだな」と思っていた。まわりがバラバ、バラバ、と叫んでいる状況では自分も保身のためにバラバを!と言ってしまうのだ。あの本物のバラバの釈放を要求した民衆たちもまた内心はこんなんでいいんだろうか、と思いつつ、つい勢いにのって「バラバを!」と叫んでしまったのではないだろうか。

 キリスト教はまさに人間のこのような弱さを前面に押し出して考える思想である。人類はつねにイエスを十字架につけ、バラバを釈放してしまう特性を持っている。現代でも無数にいるバラバを前に、私達はどのように生きていったらよいのであろうか。

牧師にはサヨクがおおいんだよ

http://www7.plala.or.jp/machikun/mataih.htm

http://

 
 
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