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九州高千穂のホホデミ王朝と神武東征

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年 9月13日(土)10時25分29秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://silicon-kid.cocolog-wbs.com/blog/2013/09/32-8d8c.htmlさまより転載.....大変貴重な記事を有難う御座いました。これで勉強できました。



関連記事:九州王朝についての考察

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/2252

スメラミコトとサマリアの陛下

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/807.html

「飛鳥昭雄著「竹内文書と月の先住宇宙人」の中に、飛鳥氏が下鴨神社の裏神官大烏から聞いた話があります。竹内文書の著者竹内巨麿が鞍馬山で修行していたとき、大烏から竹内文書の中に荒唐無稽の要素を織り込まなければ発表をゆるさないと規制され、やむなく、誰が見てもわかるウソを織り交ぜたと記されています(飛鳥昭雄前掲書pp.294~300)。」......これでトンデモの意味が分かるというもの。

ホホデミ王朝290年

http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A7YWPWzJoRNUtTUA9N2JBtF7?p=%E3%83%9B%E3%83%9B%E3%83%87%E3%83%9F%E7%8E%8B%E6%9C%9D&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=&afs=

『「ウガヤ朝」という言葉を広めたのは吾郷清彦である。昔は、神話にでてくるニニギ・ホホデミ・ウガヤフキアエズの親子三代を、神武朝とか仁徳朝とか天武朝とか桓武朝などのような言葉と同じような意味でニニギ朝・ホホデミ朝・ウガヤフキアエズ朝といい、この三代をあわせて「高千穂三朝」(日向三代)といっていた。はじめ、吾郷清彦はこのようなつもりでウガヤフキアエズ朝を略して「ウガヤ朝」といっていた。これを「ウガヤ王朝」と書いて、あたかも皇室とは別の古代王朝が存在したかのような紛らわしい表現を発案したのは別の歴史本ライターである。』

「神武天皇の倭の謚(おくりな)はカムヤマトイワレヒコホホデミノミコト(神日本磐余彦火火出見尊)が本名だそうだ。一般的には「カムヤマトイワレヒコ」で紹介されることが多いが、正当竹内文書によると、「ホホデミノミコト」がついているほうが本名だ。
このホホデミノミコトは他で聞いたことがある名ではないだろうか。ご存じのとおり、ホホデミノミコトはニニギノミコトの子で、山幸彦こと、火遠理命(ほおりのみこと)で、かつ神武天皇の祖父にあたる方だ。
ウィキでは、火遠理命(ほおりのみこと)は、日本神話や記紀に登場する人物で、別名は、彦火火出見尊・日子穂穂手見命(ヒコホホデミノミコト)、虚空津日高(ソラツヒコ)。正しくは、天津日高日子穂穂手見命(アマツヒコ(タカ)ヒコホホデミノミコト)と言う。「海幸山幸(うみさちやまさち)」の説話に登場し、一般には山幸彦(やまさちひこ)(山佐知毘古、やまさちびこ)の名で知られる。神武天皇の祖父に当たる人物。(wiki)
ということで、「ホホデミ」は「大物主」、「事代主」などと同じで、代々に引き継がれる称号(世襲名)となっている。
「事代主」は「八重事代主」と聞かれるように、実は八代目の事代主だ(竹内氏)そうだ。
山幸彦に始まる「ホホデミ」王朝の最後を引き継いだのが、神武天皇となっている。
しかし、神武のホホデミノミコト王朝は大和族、日向族(天照大神の系統)であり、神話で天孫降臨したことを前面に押し出すため、また、意図的に九州の高千穂や宮崎の日向を拠点にしていたこと、九州の一豪族にすぎなかったことを隠すために、あえて「ホホデミ」の称号を消していったようだ。(布施氏)
神武は九州から出発し、「ニギハヤヒ」や「ナガスネヒコ」が治める肥沃で豊かな「豊芦原瑞穂の国」である近畿に東征していった。
なぜ、「ニニギノミコト」等の大和族・日向族・スメラミコトである「ホホデミ王朝は」九州が拠点なのか。
その理由はマイブログ「24)正統竹内文書による大和族、出雲族、ユダヤ族と日本神話(八咫烏の正体」で紹介したとおりだ。
大和族と出雲族はシュメールから1500年をかけて、帰還してきたのだ。帰還時には当然ながら、原日本人やシュメールには向わず日本の地に残った一族が大倭日高見国を築いていたために、いきなり中央の近畿には入ることが出来ないのは、道理であろう。
九州よりも少し中央に近い、今の中国地方には、先に帰還した出雲族(スサノオ)が原日本人や縄文人と和合して、大国主等が出雲を中心にして国を築いていたので、端の九州に落ち着かざるをえなかった。また、九州北部には、やはり地方豪族や大倭国のトミやオミ(臣;国司:クニツカサ)が治めていて、山上の高千穂に拠点を構えざるを得なかったものと思われる。
以前、マイブログ(24)では次の通り紹介した。
”彼ら(大和族、出雲族)が日本に戻り着いたのは、紀元前4、5世紀であり、(シュメールから)1500年間はアジア大陸を東に移動してきたことになる。正統竹内文書では、通説とは逆で、スサノオのグループ(後の出雲族)は、アジア大陸を陸路で日本に向かい、(朝鮮半島経由で)壱岐島経由で北九州にたどり着いた。一方、スメラミコトたち(後の大和族)は、海路で日本に向かい(沖縄久高島経由か?)九州の高千穂に上陸した。
この二つの部族は(古代からの叡智と)圧倒的な武力を持ち、大和族は日向を中心に九州全域と瀬戸内海内海の一部の原日本人を支配していった。出雲族は出雲を中心に次第に支配領域を広げ、近畿や北陸日本海側を支配した。その後、両者の間で戦争が勃発し、オオクニヌシの息子のコトシロヌシの時の戦争で、大和族と出雲族が拮抗し和睦した。(大国主の国譲り神話)その結果、大和族の王であった神武(サノ彦)は融和策として出雲族の娘(コトシロヌシの娘タタライスズヒメ)を娶り、大和朝廷を確立していく。”
最近にスピ系で大和族(アマテラス族)に関係する面白い話を聞いた。
それは、アマテラスやスサノオの神の父母神であり、神武天皇の7代先祖である伊弉諾命(イザナギノミコト)と伊耶那美(イザナミ)に関する逸話だ。
天照大神のご両神である伊弉諾命と伊耶那美が当初はやはり九州宮崎の日向あたりの海辺に都を置いていたがしかし、伊弉諾はなぜか伊耶那美とうまくいかず、娘「天照大神」を含め、一族郎党を引き連れて、山上の高千穂に移動し拠点を構えたということである。
なんと、神武の7代前から大和族(元日向族・スメラミコト)は九州高千穂に拠点を置いていたことがわかる。
天孫降臨の神話でも九州日向の地は次のように記されている。天孫降臨とは、天孫のニニギノミコト(邇邇藝命)が、葦原の中つ国を治めるために天降(あまくだ)ったことだ。
ニニギノミコトは天照大御神から授かった三種の神器をたずさえ、天児屋命(アマノコヤネノミコト)などの神々を連れて、高天原から地上へと向かう。途中、猿田毘古神(サルタヒコ)が案内をし、ニニギは筑紫の日向(ひむか)の高千穂に降り立ったという、『記紀』に記された日本神話である。(wiki)
ニニギノミコトは天照大神の子オシオミミの子で、アマテラスから見たら孫にあたる。ニニギノミコトの子は山幸彦(やまさちひこ)こと火遠理命(ほおりのみこと)ことホホデミノミコト、火遠理命(ほおりのみこと)の子は鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズ)、鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズ)の子が神武天皇(カムヤマトイワレヒコホホデミノミコト)とされている。
最後に日向(ひむか)の場所の特定だが、宮崎県の日向と鹿児島県大隅地方の二つの説があるそうだ。
この降臨の経路については、日向国の高千穂峰に降り吾田国(現在の鹿児島県南さつま市:薩摩半島の西海岸)の長屋の笠狭碕に到達したとする説が有力であるらしい。
日向(ひむか)の歴史はかなり古く、鹿児島県大隅地方もその昔は日向と呼ばれていた。(行政上、日向(ひゅうが)国が設置されたのは7世紀以降)
大和族(スメラミコト)がシュメールから海路にて船団で沖縄を経由して、最初に日本にたどり着くのは、鹿児島南さつま市の長屋の笠狭碕辺りだとすると、有力説が妥当に思えてくるではないか。」

聖書イザヤ書の概略から

http://yovel.exblog.jp/i2/より

ヒゼキヤ王の時代にユダヤ人は神から離れ、南北イスラエルは滅びる時代にありました。ヒゼキヤ王に仕えていた預言者イザヤは神からこの世が終わる時までダビデの血筋が東の島々で途絶えず続くと啓示を受け、ダビデの血統であるヒゼキア王の長子(長男)と神宝(アロンの杖・マナの壷・モーセの十戒石それらを入れた契約の箱アーク)、優秀な部下を引き連れタルシュシュ(スペイン)の船で東の島々に向かい、台湾、与那国(ヨナの国)、八重山(ヤーエの山)、那覇(へブル語で休息)、諫早(イザヤ)、九州高千穂へと辿り着きました。このヒゼキヤ王の長子が高千穂に降りた事が神武天皇の天孫降臨と言われる様になったのではないでしょうか。もし彼らから日本人が派生したなら、血筋上日本人は聖書の選民の子孫で、世界で失われた12支族と呼ばれるイスラエル人になります。
完全な解説→http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=155.....

関連記事:アロンの杖とマナの壺

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/517.html



2010/03/16 にアップロード

Japan Marine Club ® 「名曲と海」 【ぜひHDでご視聴ください】
2010.3 沖縄県与那国島 人工か自然物か、意見が分かれるこの海底遺跡ですが、人工物であるなら八千年前に高度?な石造り建築文明が存在したことになり、人類の文明史が大きく変わると言われています?。

グラハムハンコックで知られる沖縄県与那国の海底都市は九州高千穂の前に栄えた王朝かも

http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A7dPSCpkpRNU1zUAEC2JBtF7?p=%E4%B8%8E%E9%82%A3%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%B5%B7%E5%BA%95%E9%83%BD%E5%B8%82&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=&afs=

歴史は覆される可能性があるのでほとんど報道されない.....その理由は?

http://matome.naver.jp/odai/2133751340913855001

http://

 
 
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