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コミンテルンのスパイ

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年 9月14日(日)14時45分2秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://melma.com/backnumber_45206_6090411/

坂本大典『日本人の百年戦争』(展転社)

この本はペリー来航以来、日本が戦ってきた外圧、とくに薩英戦争、馬関戦争を経て、初の対外戦争である日清・日露、そして第一次世界大戦から満州事変、日支事変から大東亜戦争へといたる、まさに「百年」の戦争を活写する。
本書はやや分厚いので読みかけて、しばらく休憩していた。
おりしも朝日新聞の誤報訂正という『大事件』がおきた。
評者(宮?)は突如、この本に出てくる下記の記述を思い出したのだった。

「1941年の御前会議で、ABCD包囲の影響をもろに受けた日本は、同盟国ドイツが独ソ戦争を開始したにもかかわらず、ソ満国境への兵の配備を行わずに、石油や資源を求めて南方へ進出する『帝国国策遂行要領』を決定した。この決定をゾルゲは、日本の協力者で同じくコミンテルンのスパイであり近衛文麿内閣の側近でもあった、尾崎秀美、西園寺公一から報告を受けた。ゾルゲはその情報を10月4日にモスクワへ送った。ソ連はこの貴重な情報で、日本がソ満国境から攻撃してくることはないと判断して、兵力をモスクワへむかわせる」のである。(中略)「尾崎は、ソ連コミンテルンの戦略である日中戦争(日支事変)を泥沼化させるために、『朝日新聞』や『中央公論』などを使って自らの主張を述べた。中国との和平交渉に反対し、中国との徹底抗戦を強く唱え、日本の疲弊と消耗を企み、ソ連コミンテルンや中国共産党、共産主義の台頭やアメリカなどが利する活動に協力していた」
 やがて捜査の結果、「逮捕された尾崎や西園寺がコミンテルンのスパイであることを知った近衛首相は驚愕した。まさに脇の甘い内閣であった」(224p)
 いま、同様な陰謀が進んでいるのではないか?

あの戦争は俺たちがやったんだ,と。

http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/365.html



2009/05/29 にアップロード

近衛上奏文(このえじょうそうぶん)とは、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)?2月14日に、近衛文麿が昭和天皇に対して出した上奏文である。近衛は昭和天皇に対し?て、「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候」で始まる「近衛上奏文」を奏上し、英米の?世論は天皇制廃止にまでは至っていないとの情勢判断の下、いわゆる「国体護持」には敗?戦それ自体よりも敗戦の混乱に伴う共産革命を恐れるべきであるとの問題意識を示した。?「大東亜戦争」(太平洋戦争)は日本の革新を目的とする軍の一味の計画によるものであ?ること、一味の目的は共産革命とは断言できないが、共産革命を目的とした官僚や民間有?志がこれを支援していること、「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞であ?ること[、米英撃滅の論が出てきている反面、一部の陸軍将校にはソ連軍や中国共産党と?手を組むことを考えるものもでてきていること、近衛は陸軍内に共産主義者が存在し、敗?戦を利用して共産革命を行おうとしている旨を述べた。

関連:敗戦革命論と近衛上奏文

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1230

近衛文麿は共産主義者だった

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1494

共産主義者の大東亜戦争責任

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1901



2009/03/11 にアップロード

1930年代初頭から1945年にかけての「軍国主義」、それは陸軍主導による日本の?社会主義(共産主義)化を「上からの革命」によって成し遂げようとしてきた日本型「革?命」の、表象の事実に過ぎない。これと並行してマルキストの近衛文麿(日中戦争拡大)?、左翼官僚(「企画院事件」など)、ゾルゲ・尾崎秀実らコミンテルンの策謀が進行し、?大東亜戦争へ至った。もし、大東亜戦争を非難するのであれば、その母胎となった社会主?義(共産主義)をこそ先ず非難すべきである。大東亜戦争=日本と東アジアの社会主義化?が真実であり、その敗戦革命、砕氷船理論の副産物としてではあるが、アジアを白人帝国?主義の植民地支配からの解放も生じたのである。



2009/03/11 にアップロード

1930年代初頭から1945年にかけての「軍国主義」、それは陸軍主導による日本の?社会主義(共産主義)化を「上からの革命」によって成し遂げようとしてきた日本型「革?命」の、表象の事実に過ぎない。これと並行してマルキストの近衛文麿(日中戦争拡大)?、左翼官僚(「企画院事件」など)、ゾルゲ・尾崎秀実らコミンテルンの策謀が進行し、?大東亜戦争へ至った。もし、大東亜戦争を非難するのであれば、その母胎となった社会主?義(共産主義)をこそ先ず非難すべきである。大東亜戦争=日本と東アジアの社会主義化?が真実であり、その敗戦革命、砕氷船理論の副産物としてではあるが、アジアを白人帝国?主義の植民地支配からの解放も生じたのである。



2009/03/11 にアップロード

1930年代初頭から1945年にかけての「軍国主義」、それは陸軍主導による日本の?社会主義(共産主義)化を「上からの革命」によって成し遂げようとしてきた日本型「革?命」の、表象の事実に過ぎない。これと並行してマルキストの近衛文麿(日中戦争拡大)?、左翼官僚(「企画院事件」など)、ゾルゲ・尾崎秀実らコミンテルンの策謀が進行し、?大東亜戦争へ至った。もし、大東亜戦争を非難するのであれば、その母胎となった社会主?義(共産主義)をこそ先ず非難すべきである。大東亜戦争=日本と東アジアの社会主義化?が真実であり、その敗戦革命、砕氷船理論の副産物としてではあるが、アジアを白人帝国?主義の植民地支配からの解放も生じたのである。



2012/01/15 にアップロード

平和教育とは、歴史を学び国の舵取りを誤らない人物を育てる事だと考えます。

管理人注:ですから捏造された歴史ではなく本当の歴史を若い人に教える必要があるのです。今のように国の将来を米国に依存しあらぬ方向へ導こうとする政治であってはならないのです。

レーニンの敗戦革命

http://blogs.yahoo.co.jp/keinoheart/36333129.html

『この「敗戦革命」とは・・・

旧ソ連の生みの親であるレーニンが編み出した理論と言われています。彼が母国のロシア帝国で成功させた共産主義革命をモデルとした革命思想のことです。

この思想の概要は・・・

1)帝国主義国家同士を謀略でもって、お互いを戦争させる。

2)戦争当事国を疲弊させ、戦争による不満を充満させ、国家元首と国民を離間させる。

3)敗戦国はモラルも一気に低下し、国家元首が窮地に立たされる事で、追い落としが可能となる。

4)共産主義による新たな希望を持たせる宣伝活動と、謀略、時には暴力をもって国家元首を追い落とし、新たな共産主義国家を建国する。

おおよそ、このような感じです。

これをレーニンの母国に当てはめると・・・

1)日露戦争のきっかけは謀略とは言えないようですが、結果として日露戦争は彼の思惑通りに進行します。

2)ロシア帝国は戦争で疲弊し「血の日曜日事件」を起こしてしまい、国民も皇帝もお互いに疑心暗鬼に陥ります。

3)日露戦争の敗北以降ロシアは国内体制のたがが緩み、第一次大戦の戦況が思わしくなくなると皇帝一家も処刑されてしまいます。

4)共産主義の理想が国民を酔わせ、3度の臨時政府も躓づいて政情不安に陥ります。これは不思議とソ連が出来るまで続きました。

この革命思想はレーニンの実体験によるものですから、

かなりリアルに世界中の革命思想家に影響を与えたと言っても良いでしょうね。

現実の世界では、日本の敗戦はアメリカ軍の占領によってなされたので、敗戦革命は

目的の半分までしか成功しませんでした。しかし、ソ連にとっては、日本が戦争を起こした

お陰で、アメリカを戦場に引ずり出し、支那大陸も結果として中共の手に落ちたので成功な

のです。』

管理人注:ゾルゲは死んでいなかった

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/96.html

『スターリンは1953年3月5日に毒殺されたことになっていますがこれには疑問符がつく。自殺したヒットラーはダブルで本命はバチカン経由でパスポートをもらいU-BOATで悠々と南米に多くのナチともども逃亡した話は信憑性が高い。ここで話は日本でのこと。リヒアルト・ゾルゲはスターリン命を受けたスパイとして最後は銃殺されたことになっている。果たしてそうだろうか?リヒアルトの遺骨は多摩霊園の尾崎秀実の遺体のすぐ近くに葬られていることになっていてその墓標には「ソビエト連邦の英雄」とロシア語で墓碑銘が刻んである。『多摩霊園にある遺体は,本当にゾルゲのものなのだろうか?ゾルゲは彼が考えていたとおりに死刑にはならずにこっそりソ連へ戻った,という説がいつまでもくすぶっている。残念ながら,ロシア人がもっとも偉大なこの同胞スパイを,血も涙もなく突き放したという事実を信じまいとするこうした仮説を,立証する手掛かりは皆無である。<ゾルゲがソ連へ送還されたという話には,なんの根拠もありません。わたしはあの人の骨をみたのですから>石井花子はきっぱりと断言する。彼女は,あの暗い戦争の日々ゾルゲのことを思い続け,やがて平和が到来した時に彼の最後のもようを新聞で知った。それから三年して,ゾルゲの遺体は東京拘置所の高塀の裏手にある雑司が谷共同墓地に埋められてことを知ってそれを調べに行った。だが,墓はどこにも見当たらない。簡単な木標は,薪にするために持ち去られてしまっていた。花子は彼の遺体探しを諦めなかった。勝ち気な彼女は,当時東京大空襲のもとで焼け残った警察記録文書を管理していた,アメリカ占領軍の係官と何年にもわたってかけ合った。こうしてゾルゲの棺のありかは,昭和25年11月になってようやく突き止められた。

 そこは囚人だけが埋められた墓地の一画で,ひどくもの寂しいところでした。私は管理人立会いのもとに自分で遺体の確認をしました。石油不足の折りから遺体は火葬されておりませんでした。わたしは丹念に骨を調べました。片方の脚に,第一次大戦で受けた傷跡がありました。骨折部分は,きちんと接合されていませんでした。それから歯も調べました。オートバイ事故のときにした入れ歯です。そしてゾルゲに間違いないと思いました。花子はゾルゲの金の義歯で作った指輪をいつも指にはめている。やがて自分の費用で火葬の手配をし,緑に囲まれた多摩霊園の一画を購入した』以上はロベルト・ワイマント(故人)のゾルゲ・引き裂かれたスパイ(英文ではスターリンのスパイ)423~424ページ。

 しかしその(注)に以下のようなコメントがあった。『ゾルゲがソ連へ送還されたという話は,ハンス・オットー・メスナーの”The Man with Three Faces"が火付け役である。これに,ドクター・カール・キンダーマンが尾ひれを付けた。キンダーマンはユダヤ人であったのに,東京でゲシュタポのマイジンガー大佐に,おそらくは密告者として雇われていた。

 彼は結局は無駄骨に終わった。ゾルゲの引き渡し要求を掲げたドイツ側の説得文書の翻訳作業に携わった。昭和51年,彼はある新聞にゾルゲはシベリアと満州の境界線へひそかに連行されて,ソ連に引き渡されたという記事を書かせた。キンダーマンの情報源は単なる風聞にすぎなかったが,本人はそれを根拠あるものと信じきっていた。ソ連の聖なる記念日である11月7日(管理人注:ロシア革命記念日)に,日本政府がゾルゲの処刑を命ずるなどとは考えられない。日本はソ連と手を握りたがっており,そのためにこの特別の日を選ぶのは「政治的に見て愚かしくへたなやり方としか言いようがない」(『ジャパン・タイムズ』昭和51年11月24日号付)

 石井花子が嘘をついているのかどうかは読者の判断に委ねたい。同じような話がある。満州から目をそらし上海事変を工作した男装の麗人川島芳子が銃殺されたのは別人であったと噂される』

この記事へのコメント

    舛添要一とは一体何者なのか
    http://blog.goo.ne.jp/yamanooyaji0220/e/0ead3682004b12dc99a8f0490c4899d2

     2014/9/14

    「共産主義とロックフェラー」
    http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/846.html

     2014/9/14

    【今日は何の日?】ナポレオン、モスクワ占領(9/14)

    カテゴリ:┗09月今日は何の日?

    ■きょうの出来事

    ナポレオン、モスクワを占領

    (1812年=文化9年)

    1812年6月23日より、フランス軍と同盟国軍隊総勢70万名をともなって始まった、ナポレオンのモスクワ遠征であったが、ロシア軍は、フランス軍をロシア領の奥深く引きずり込み、焦土戦術によって食料の補給を断つ退却戦術をとった。

    途中、ロシアの応戦はあったものの、フランス軍を破ることができなかったため、ロシア軍は焦土作戦と退却戦を強化、フランス軍をさらにロシア領内に引きづり込んだ。

    9月14日、ナポレオンはモスクワに入城したものの、照度戦術によって四分の三を失ったモスクワにとどまることはできず、結局10月19日、ナポレオンはモスクワからの撤退を決意、退却の過程で冬将軍の到来に食糧は耐え、コサックらのゲリラ活動によって大陸軍は多大な犠牲を払い、ナポレオンは命からがらフランスに帰還した。
   --------------------------------------------------------------------------------

    『ロシアの侵略サイクルに警戒せよ』

    一八一二年、フランスのナポレオン皇帝は、現在の西側と同じ失敗をしている。そのロシア遠征において、アレクサンドルI世麾下のロシア軍が退却につぐ退却でモスクワの都まで放棄したのを見て、モスクワを占領しフランスが勝利したと錯覚した。だが、その数週間後の結果は、史上稀れな大惨敗となり、ナポレオンのパリへの生還は奇跡に近いものであった。

    ロシア(ソ連)の領土膨張は、古来歴史にあまたのある他の帝国とは異なっている。領土を拡大しては減らし、しばらく休んでから再膨張する。この再膨張の時、かつて減らした分以上に侵略する。「侵略(領有)→一部放棄→再侵略(領有)」というサイクルを繰り返すのである。他の帝国で、このロシア(ソ連)のような領土拡大方式をとった例はない。

    戦争における敗北とは、その軍事力が壊滅的な打撃を蒙むるか、もしくは武装解除されることをいう。一九九一年春のイラクの敗北は前者の例であり、戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印した一九四五年九月二日の日本は後者の例である。とすれば、欧州地域から自ら大撤兵(大退却)している現象がたった一つだけ認められるが、この一九九一年夏現在、その巨大な軍事力もその軍需産業体制もすべて従来通りであるソ連(ロシア)は、いかなる側面からみても敗北などしていない。一時的な退却は、その退却がいかに大きな退却であっても、敗北では断じてない。

    この「侵略→放棄→再侵略」のサイクルの期間は、一六世紀から二〇世紀の平均では四十三年間、二〇世紀では約二十年間である。とすれば、今般の東欧解放も、あるいはバルト三国の解放も永久的ではありえず、いずれ二〇年ほどたてばソ連(ロシア)が再領有に動き出す、ということを考えておく必要がある。このような歴史に基づく慎重さがなければ(西側として)ロシアの再領有への動きを未然に防止することはできず、真の世界の平和維持はできない。

    (中川八洋『新・日本国憲法草案』山手書房新社、pp.186-88より適宜引用)

記事との関連はないのですが......自ら生まれた新燃料。3年前から音沙汰なし?潰されたか?

http://enzai.9-11.jp/?p=5288
 
 
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