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慰安婦高額報酬説のトリック

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年 9月20日(土)17時13分26秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://ameblo.jp/scopedog/entry-10030549652.html

真実を探すブログより.....のコメント

朝鮮半島系悪魔教

>>ここからは山谷えり子参院議員、安倍晋三元首相が統一教会の目的を理解していることが読み取れる。ちなみに「み旨」とは文鮮明教祖の思いを実現させることで、具体的には伝道、霊感商法、文教祖の入国実現(注3)などを意味している。

朝鮮悪魔教統一教会の教義は、日本(エバ国家)の焼失。カルト宗教洗脳の常套手段で、「日本の食口が、日本国に代わって韓国を援助しなければ、日本は滅びる」と脅迫して、韓国(アダム国家)による日本(エバ国家)の支配確立を狙う。半島系悪魔教を暴力で支えるのがC-A.
http://plaza.rakuten.co.jp/kanteishoku800/
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/91.html

高市早苗出身母体で同じく半島系悪魔教の松下政経塾塾生は、2011年3月12日、日本崩壊の祝宴をあげていたそうだ。
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/421.html

今更でもないが、要するに自民党清和会の正体は半島系
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/406.html

名無し #- | URL | 2014/09/21 17:40 [edit]

不治惨経グループと統一教会の関係について朝日様の特集を期待します!

フリーハグから日中友好.....いいですね

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20140921-00000026-jnn-int



これは顔のトリック?

コンパニオンは天然美女?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140923-00000001-xinhua-cn

従軍慰安婦問題・慰安婦高額報酬説のトリック
テーマ:従軍慰安婦関連

「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日」に次のような記載がある。

「これは、慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。慰安婦は、「楼主」に750円を渡していたのである。多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。」

この前半部分から、慰安婦の月収は平均750円で、当時の陸軍大将の月収500円~600円より多かった、という主張がある。

しかし、これにはトリックがある。

まず、この日本人捕虜尋問報告にある内容は1944年のビルマにおけるものである。1943年のマンダレー駐屯地慰安所規定によれば、慰安所の利用には軍票を使用することになっているため、ここでも軍票が使用されていたことは間違いなかろう。

ビルマ方面で使用された軍票は、太平洋戦争開戦当初は海峡ドル軍票、後にルピー軍票が加わり、1943年からは南方開発金庫券、通称:南発券(厳密には軍票ではないが、軍票同様に使用された)に代わっていく。
ちなみにビルマでの軍票は基本的にルピー表示(一部ドル)だが、1942年12月16日の東京朝日新聞の記事「最初は少し混乱したものの今ではすっかり慣れ市場の売子も『ハイ、お釣りを三十銭』とお客の兵隊さんに日本式にやってのけているのは微笑ましい風景である 」に見られるように、公式には1ルピー1円の固定相場であるため、「円」「銭」という表現は現地でも使われている。
つまり、日本人捕虜尋問報告にある料金制度の「兵 1円50銭、下士官 3円、将校 5円」は、南発券での支払いであることが考えられる。

この南発券、実は1943年後半から急速にその発行高を増やしている(19421943年2月9日(2007/6/4訂正)の日本産業経済新聞に賀屋蔵相の「南方券の発行について今その最高限度をきめる考えはない」と言う発言がある)。林博史氏の「「大東亜共栄圏」の実態」 によると、1942年12月に4億6326万円、1944年末に106億2296万円、1945年8月に194億6822万円、と明らかに急増している。なお、日本の占領地域は1942年後半以降は基本的に縮小する一方だったので、占領地拡大に伴う増発でないことは明らか。1944年には戦局は悪化しており南方占領地内の流通が悪化、つまり物不足となっていく。こうした中、日本軍が物資を調達する目的で軍票が増刷され、その結果インフレが生じたわけである。


かといって、駐屯部隊に支給される給料が上がったわけではないと考えられるので、慰安所利用を従来のまま行うには軍が価格統制せざるを得なかったのだろう。
しかし、この場合、被害者は慰安所である。インフレになっているのに価格を固定されていては実質的な減収となるからだ。そう考えれば「多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。」(日本人捕虜尋問報告)の部分が理解できる。

ここで反論として考えられるのは、インフレは戦後になってから起こっており戦時中ではない、という異見。
確かに南発券を大量発行してインフレが生じたなら、固定レートとなっている日本円にも影響が出たはずである。しかし、ここにトリックの肝がある。

1942年5月1日の大阪朝日新聞の記事「南方送金方法大蔵省より指示」に「一、南方占領地に渡航するものの旅費その他の費用は現地に銀行ある場合は原則として信用状、送金為替などの方法によるが銀行がない場合は現地で使用される軍票を内地から携行出来るようにし円札の携行は原則として認められず、円札と軍票との交換比率は近く大蔵省において決定、交換事務は近く日銀本店、一定の支店、代理店などで取扱を開始する 二、南方占領地居住者のうち現地で自活し得ぬものにたいする仕送金は審査の上許可を与える方針で、この場合は銀行経由送金の方法による 」
とあるように、基本的に占領地から内地への金銭送金は許可制で規制されていた。

(訂正2007/4/24:上記は日本から南方への送金に関する記事だったので参照記事を以下に差し替える)「これ等の軍票は何れも在来の現地通貨と等価で流通せしめているが、日本円とこれ等軍票並に各地域の軍票相互間の関係は差当り日本と南方諸地域間並に諸地域相互間の自由な資金交流を認めぬ建前であるため、一般的な交換比率は決定していない」(中外商業新報 1942.4.18)

とあるように、基本的に占領地から内地への金銭送金は規制されていた。


つまり、占領地でだぶついた通貨を内地に入らないようにして、終戦間際まで内地のインフレを食い止めていたと言える。
これを実施するため、「預け合い」というからくりを使っている。

からくりはこうだ。

例えば、財源の裏付けのない状況で日本が軍事費100億円(内地換算)を必要とする場合、通貨の発行数を増やすしかない。

しかし、これをやると物資量に対し通貨流通量が100億円(内地換算)分だぶつきインフレとなる。

そこで、国内の通貨流通量をふやさないように、必要な軍事費100億円(占領地通貨)分だけ日本の銀行が占領地の銀行(この場合、南方開発金庫)に預金をする。これに対し、南方開発金庫も100億円(内地通貨)を日本の銀行に預金する。

預金と言っても実際に現金が動くことはなく、固定レートのためそれぞれの銀行の帳簿に記載されるだけである。

その結果、こうなる。

南方開発金庫に日本の銀行の預金100億円(占領地通貨)

日本の銀行に南方開発金庫の預金100億円(内地通貨)

南方に展開する日本軍は、必要に応じ、南方開発金庫から100億円分の引き出しを行い、占領地に流通させる一方、南方開発金庫には日本の銀行にある預金を引き出させない。

こうすることで内地での通貨流通量は変わらずインフレを防ぐことができた。

しかし当然占領地内ではインフレが進むことになる。(参照:日本軍政下のアジア―「大東亜共栄圏」と軍票/小林 英夫 、p158(2007/4/25追記:参照先では、中国戦線での儲備券を例にしている))

これが、内地と占領地における円の価値の格差のトリックの正体である。

したがって、内地での陸軍大将の月収500円~600円と占領地での慰安婦の月収平均750円を比較すること自体ナンセンスと言える。

では実際に占領地での750円とはどの程度の価値だったのか?

南方占領地の中心シンガポールでの物価指数は、1941年12月開戦時を100として、1942年12月に352、1944年12月に10766、1945年8月に35000と実に350倍になっている(前掲「「大東亜共栄圏」の実態」による)。1944年初頭のデータはないが、物価上昇率を月11~14%として指数モデルで考えると、
1941年12月( 0ヶ月): 100
1942年12月(12ヶ月): 350~ 482(実際352)
1943年12月(24ヶ月): 1224~ 2320
1944年12月(36ヶ月): 4282~11183(実際10766)
1945年 8月(44ヶ月): 9868~31901(実際35000)
となる。ちなみに言うまでもないが、地域や品目によって物価上昇率は異なっており、例えば米60キロについては1941年12月に5ドルだったのが1945年6月には5000ドルと1000倍(物価指数で言えば10万)になっている。シンガポールのような人口稠密地域では米の需要が高いためであろうが、他の地域は他の地域でそこで産出しない物資が上がったであろうと想像できる。

シンガポールとビルマの物価が同レベル、内地の物価は変化していないと仮定すると、大雑把に1944年初頭のビルマの物価指数は1941年12月を100とした場合、およそ2000程度であると考えられる(1944年は既に各占領地間の流通に支障をきたしており、この仮定が正しいとは言えないが、シンガポールとビルマを比較した場合、ビルマの方がより状態は悪化していると推定できるため、最低限の予測は可能と考える)。

実際、

日本軍政下のアジア―「大東亜共栄圏」と軍票/小林 英夫

のp179によるとビルマの物価指数のグラフが表示されており、プロットがないため正確ではないが、1941年12月を100として1943年12月がおよそ2000程度である。

つまり慰安婦の月収750円とは1944年初頭の内地換算で38円となる。当時の下士官の月収が約30円で大体これと同レベル(この内地換算38円から「食料、その他の物品の代金」をとられていたことを考えれば実質はさらに下回るかも)と言える。ただし、これにさらに労働条件を考慮する必要がある。単純に売上げ月1500円を上げるには、下士官を相手にしたとして月500人、一月25日として1日に20人に売春しなければならない。一人30分としても10時間の労働であって、かなりきつい労働条件なのは容易に想像できよう。
ここまで過重な労働を強いた背景としては、やはりインフレが考えられる。慰安婦一人月1500円、20人いたとして、慰安婦に渡す分を差し引くと「慰安所の楼主」の1ヶ月の収入は15000円となる。これを上記レートで内地の円に換算すると750円程度になる。結構な金額には違いないが月10%で物価が上昇することを考えると、経営上の不安はぬぐえない(軍人と違い、「慰安所の楼主」は生活物資の購入を市場で行う必要がある)。軍の規定によって料金が据え置かれている以上、「慰安所の楼主」の取れる手段は慰安婦をとにかく働かせることしかなかったろう。もし完全に慰安所が民間で運営されていたなら、金額を上げることや対価としてインフレ軍票ではなく物資を求めることなど現実的な対応ができただろう。

日本の占領政策の無能さと慰安所の軍管理が慰安婦の悲劇を倍化したと言えよう。

ところで、「慰安婦の月収は平均750円で、当時の陸軍大将の月収500円~600円より多かった」という主張は、当時の前借金が500~1000円程度であったことを考えると理屈では2ヶ月で返済できる金額なわけだが、その時点でおかしいと思わないのかね?それとも、返済が終わった後も慰安婦を続けた、とでも考えているかな?「朝鮮人は欲深い」というような差別意識がなければ出てこない発想だけど。

コメントは省略ですが一部転載

28 ■補足

大元のPDFはhttp://www.awf.or.jp/program/index.html
にありますが、テキスト化されたものは以下にありますので、参考までに。

管理人注:上のHPはカットですが元記事は....

http://www.exordio.com/1939-1945/codex/Documentos/report-49-USA-orig.html

日本語訳

http://ianhu.g.hatena.ne.jp/keyword/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E6%8D%95%E8%99%9C%E5%B0%8B%E5%95%8F%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8%E7%AC%AC%EF%BC%94%EF%BC%99%E5%8F%B7

米国戦争情報局心理戦争班報告

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E6%88%A6%E4%BA%89%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%B1%80%E5%BF%83%E7%90%86%E4%BD%9C%E6%88%A6%E7%8F%AD%E5%A0%B1%E5%91%8A

報告書49号原文
http://www.exordio.com/1939-1945/codex/Documentos/report-49-USA-orig.html
http://news-hassin.sejp.net/?eid=539073

報告書49号日本語訳
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/keyword/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e6%8d%95%e8%99%9c%e5%b0%8b%e5%95%8f%e5%a0%b1%e5%91%8a%e6%9b%b8%e7%ac%ac%ef%bc%94%ef%bc%99%e5%8f%b7
http://members.at.infoseek.co.jp/ash_28/ca_i02_1.html
http://www.geocities.com/theaterapo689/

連合軍翻訳通訳部局(ATIS)調査報告書 No.120(原文・日本語訳)
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/177835/
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/177853/
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/177856

正論2005年1月号

http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-58.html

「誰かの妄想」より

従軍慰安婦問題・慰安婦高額報酬説のトリック
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10030549652.html
都市伝説・慰安婦高額報酬説(追記)
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10031729317.html


「正論」2005年1月号 小野田寛郎「私が見た『従軍慰安婦』の正体」
にたいする「指環」氏によるツッコミ
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/10/freqrf/freqrf.html
従軍慰安婦は商行為である!と主張したつもりが、軍による慰安所管理や「半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話はしばしば聞いた」ということを証言してしまった小野田さんの手記。

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2915

http://mizunamayuneko.blog.fc2.com/blog-entry-1385.html

韓国さん、そこまで日本を慰安婦問題で追及するなら、
同じように他国の過去の人権犯罪も暴いて告発しましょう。


最後に
小野田元少尉が「慰安婦」について語った内容を転載します。

・・・転載開始・・・


    小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」 「正論」1月号より
    (記事はオールアバウトより抜粋)

    ーーーーーーーーーーーーーーーーー

首相の靖国神社参拝や従軍慰安婦の問題は、全く理由のない他国からの言いがかりで、多くの方々が論じているところだ。
南京大虐殺と同様多言を弄することもあるまいと感じていたのだが、未だに妄言・暴言が消え去らない馬鹿さ加減に呆れている。戦後六十年、大東亜戦争に出征し戦場に生きた者たちが少なくなりつつある現今、私は証言として、「慰安婦」は完全な「商行為」であったことを書き残そうと考えた。外地に出動して駐屯する部隊にとって、治安維持と宣撫工作上最も障害になる問題は、兵士による強姦と略奪・放火である。そのためにどこの国もそれなりの対策を講じていることは周知の通りである。

大東亜戦争時、戦場には「慰安婦」は確かに存在した。
当時は公娼が認められている時代だったのだから至極当然である。
野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも「従軍看護婦」と言う言葉は、常識として知っていたが、「従軍慰安婦」と言う言葉は聞いた者も、また、使った者もいまい。
それは日本を貶める為に後日作った造語であることは確かだ。
淫らな言葉だが、中国戦線では「ツンコ・ピー」「チョウセン・ピー」と呼んでいた筈であるが、他の人の見ている所でする筈のないことだけに、「慰安所」のことも「慰安婦」のことも、公の場で自己の見聞を正確に発表する人が少ない。
あまり詳しいと「よく知ってるね」と冷笑されるのが落ちだろう。 では何故、君は、と私に聞かれるだろうが、幸い私はその実態を外から観察出来る立場にあったから、何も臆することなく、世の誤解を解くために発表することが出来るのだ。

◆漢口の「慰安所」を見学
商社員として十七歳の春、中国揚子江中流の漢口(現武漢)に渡った私は、日本軍が占領してまだ五カ月しか経っていない、言わば硝煙のにおいが残っている様な街に住むことになった。
当時、漢口の街は難民区・中華区・日華区・フランス租界・日本租界・旧ドイツ租界・旧ロシア租界・旧英国租界に分かれていて地区ごとにそれぞれ事情に合った警備体制が敷かれていた。
日華区とは日本人と中国人とが混じって住んでいる地区で、そこに住む中国人は中華区に住む者と同様「良民証」を携帯しており、そうでない者は警備上難民区に住まされていた。
難民区は日本兵も出入りを禁止されていて、私たち在留邦人は届け出て許可を得なければ出入り出来なかった。それだけ危険な場所だった。
私は、仕事が貿易商だから、難民区以外はよく歩いた。 ある日、汚れた軍服を着た兵士に慰安所はどこか知りませんか」と路上で尋ねられ、一瞬思い当たらず戸惑った。
しかし看板に黒々と「漢口特殊慰安所」と書いて壁に掲げていて、その前に歩哨と、「憲兵」の腕章をつけた兵隊が立っている場所を思い出したのでその通り教えてあげた。
映画館と同様に日華区にあった。汚れた軍服から推測して、作戦から帰ってきた兵士に間違いない。街を警備している兵士は、そんな汚れた軍服で外出してないからだ。
私は「特殊慰安所」か、なるほど作戦から帰った兵士には慰安が必要だろう。
小遣い銭もないだろうから無料で餅・饅頭・うどん他がサービスされるのだろうと早合点していた。ところが、私の知人が営む商社は日用品雑貨の他に畳の輸入もしていて、それを慰安所」にコンドームなどと一緒に納入していたので「慰安所」の出入りが自由であった。
彼に誘われて一般在留邦人が入れない場所だから、これ幸いと見学に行った。 私たちは、憲兵に集金の用件を話してまず仕事を済ませた。
日が暮れていたので「お茶っぴき」(客の無い遊女)が大勢出てきて、経営者と私たちの雑談に入ろうとしてきたが追い払われた。
そこには内地人も鮮人も中国人もいた
(現在、鮮人は差別用語とみなされ、使われない。しかし朝鮮半島が日本統治だった当時は「日本人、朝鮮人」などと言おうものなら彼らに猛烈に反駁された。彼らも日本人なのだからと言う理由である)。
群がってきた彼女たちは商売熱心に私たちに媚びてきた。 憲兵は特別な事情の時以外は、部屋の中まで調べに来ないからである。
料金は女性の出身地によって上中下がある。
また、利用時間も兵士は外出の門限が日没までだから日中に限られるが、下士官は門限が長く、将校になれば終夜利用出来る。料金も階級の上の方が割高で、女性たちは当然、同じ時間で多く稼げることになる。
半島出身者にコチョ(伍長─下士官)かと思ったらヘイチョウ(兵長─兵士)か」 「精神決めてトットと上がれ ネタン(値段)は寝間でペンキョウ(勉強)する」とか、 笑うどころではない涙ぐましいまでの努力をしているのも聞いた。
内地人のある娼妓は内地ではなかなか足を洗えないが、ここで働けば半年か一年で洗える」といい、 中には「一日に二十七人の客の相手をした」と豪語するつわものもいた。

◆どこにもいなかった「性的奴隷」
ここで親しくなった経営者の話を紹介しよう。
体力的に大差がない筈なのに、内地人は兵士たちと言葉が通じるために情が通うのか、本気でサービスして商売を忘れ健康を害してしまう。
そのために送り返さねぱならず、経営者にとって利益が少ない。兵隊さんには内地人ばかりで営業するのが本当だが」と本音を漏らしていた。
私の育った街には花柳界があったので、芸妓と酌婦をよく眼にしたが、当時は玄人女と呼ばれた彼女たちの外出姿でも一般の女性と見分けることが出来た。
その目で見れば漢口の街でも同様だったが、特に朝鮮人の女たちは特色があった。
というのは、彼女たちは数人で外出してくるのだが、民族衣装ではなく、着慣れないツーピースの洋装のせいで着こなしが悪く、また歩き方にも特徴があって一目で見分けられた。彼女たちは実に明るく楽しそうだった。
その姿からは今どきおおげさに騒がれている「性的奴隷」に該当する様な影はどこにも見いだせなかった。
確かに、昔からの言葉に、
「高利貸しと女郎屋の亭主は畳の上で往生出来ぬ」というのがあった。
明治時代になって人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが、娘にとっては売り飛ばされた」ことに変わりはなかった。
先述の「足を洗う」とは前借の完済を終えて自由の身になることを言うのだが、半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話はしばしば聞いた。
騙された女性は本当に気の毒だが、中にはこんな話もある。
『従軍看護婦募集』と騙されて慰安婦にされた。
私は高等女学校出身なのに」と兵士や下士官を涙で騙して規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女もいた。 またそれを信じ込んでいた純な兵士もいたことも事実である。 日本統治で日本語が通じた故の笑えない喜劇でもある。
ところで、その「慰安所」にどれだけの金が流れたのだろうか。 これが「慰安婦」が「商行為」であった確かな事実である。
私の次兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に直接関係ある野戦衣糧廠にいたので、「慰安所」について次のような統計があると教えてくれた。
当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。
3分の1が飲食費、3分の1が郵便貯金、3分の1が「慰安所」への支出だった。 貯金は給料の僅かな兵士たちにとって嬉しいことではなかったが、上司から躾として教えられている手前せざるを得なかったのが実情だった。
私も初年兵として1ケ年、江西省南昌にいたが、食べたいのを我慢して貯金した。
1人の兵士がそれぞれ3等分して使った訳ではないだろうが、人間の三大欲は食欲、睡眠欲と性欲と言われるだけに、貯金を睡眠に置き換えると全く物差しで測った様な数字である。
ちなみに当時の給料は兵は1カ月平均13円程で、その3分の1を約4円として計算すると33万人で総額約132万円になる。
「零戦」など戦闘機一機の価格は3万円と言われたが、実に44機分にも相当する。 サラリーマンの初任給が40円そこそこの頃だったのだから、経理部の驚くのも無理のない話である
以上が、私が商社員として約3年半の間、外部から眺め、また聞き得た「慰安所」と「慰安婦」の実態である。
私が漢口を去った昭和17年夏以降に、漢口兵站(作戦軍の後方にあって車両・軍需品の前送・補給・修理・後方連絡線の確保などに任ずる機関)の副官で
「慰安所」等を監督した将校の著した『漢口兵站』と照合してみたが、地名・位置等について多少の相違点は見いだしたが、本題の「慰安所」について相違はなく、より内情が詳しく記されていた。
これでは誰がどう考えても「商行為」であるとしか言いようがないだろう。
「商行為」ではない、軍による「性的奴隷」であるとそれでも強弁するとすれば、知らな過ぎるのか、愚かで騙されているのか、そうでなければ関西人が冗談めかして言う、「いくらか貰うてんの?」なのかもしれないが、あまりにも馬鹿げた話である。

*補足
◆問題にして騒ぎ出す者たちの狙い
次に、軍関与の暴論について証言する。
私は20歳で現役兵として入隊、直ちに中支の江西省南昌の部隊に出征した。
初年兵教育が終わって作戦参加、次いで幹部候補生教育、途中また作戦と、1ケ年1度の外出も貰えずに久留米の予備士官学校に入校してしまったから、外出して「慰安所」の門を潜る機会に恵まれなかった。
だが初年兵教育中、古い兵士には外出がある。
外出の度にお土産をくれる4年兵の上等兵に「外出でありますか」と挨拶したら「オー、金が溜ったから朝鮮銀行に預金に行くんだ」と笑って返事をしてくれた。
周りは周知の隠語だからクスリと笑うだけだった。
南昌には師団司令部があった。
「慰安所」には内地人も朝鮮人も中国人もいて、兵士は懐次第で相手を選んで遊んだのだろう。
私は幹部候補生の教育を、南昌から三十キロ以上も離れた田舎の連隊本部で受けた。
「慰安所」は連隊本部の守備陣地の一隅に鉄条網で囲まれて営業していた。教育の末期に候補生だけで本部の衛兵勤務につくことになった。
もちろん勤務は24時間である。
私は営舎係だったので歩哨に立たないから何度も歩哨を引率して巡察に出た。巡察区域の中に「慰安所」も含まれていた。前線の歩哨は常時戦闘準備をしている。
兵舎内の不寝番でさえ同様だ。鉄帽を被り、銃には弾を装填し夜間はもちろん着剣である。
その姿で「慰安所」の周囲だけならまだしも、屋内も巡察し、責任者の差し出す現在の
利用者数の記録を確認する。軍規の維持とゲリラの奇襲攻撃を警戒しているからである。
考えてみるまでもない、そこで遊んでいる兵士は丸腰どころではない。もっと無防備で不用心な姿の筈である。その将兵を守るべき責任は部隊にあるのは当然だ。
それに性病予防の問題もある。そんな田舎に医師や病院がある筈がない。性病予防のため軍医や衛生兵が検査を実施するしかない。
「慰安所」の経営者は中国人だったし、日本では当時公認の娼妓と呼ばれた女たちも、中国人だった。彼らも食料やその他の生活用品が必要だ。
大人数なのだから、それなりの輸送手段もいる。辺鄙な場所だから部隊に頼る以外方法がない。部隊が移動する時もそうなるだろう
私の話す湖北省の言葉もだいたい通じたので、経営者と立ち話をして彼女たちについてそれなりの様子も聞き出せた。
今でも「慰安所」の両側に部屋のある中廊下を巡察した不粋な自分の姿を思い出すが、
こんな漫画にもならない風景が現実にあったのだ。これは私の部隊だけではないと思う。
もう60年も昔のことである。時代が変わり、また平時と戦時の違いもある。したがって娼妓(ここでは慰安婦に相当する)に対する解釈も当然変化している。
そうであるにもかかわらず、すでに証拠も不完全になっていることを幸いに、今更これを問題にして騒ぎ出す者たちの狙いは何なのか。
言えることはただ一つ、不完全だからこそ喚き散らしていれぱ、何かが得られると狙っているということだ。
戦場に身を曝し、敵弾の洗礼を受けた者として最後に言っておく。このことだけは確かだ。野戦に出ている軍隊は、誰が守ってくれるのだろうか。周囲がすべて敵、または敵意を抱く住民だから警戒を怠れないのだ。
自分以上に強く頼れるものが他に存在するとでも言うのならまた話は別だが、自分で自分を守るしか方法はないのだ。
軍は「慰安所」に関与したのではなく、自分たちの身を守るための行為で、それから一歩も出ていない。
「異常に多く実を結んだ果樹は枯れる前兆」で「種の保存の摂理の働き」と説明されるが、明日の命も知れぬ殺伐とした戦場の兵士たちにもこの「自然の摂理」の心理が働くと言われる。
彼らに聖人君子か、禅宗の悟りを開いた法師の真似をしろと要求することが可能なのだろうか。
現実は少ない給料の中から、その3分の1を「慰安所」に持って行ったことで証明されている。有り余った金ではなかったのだ。
「兵隊さん」と郷里の人々に旗を振って戦場に送られた名誉の兵士も、やはり若い人間なのだし、一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在していたのだ。
買うから売るのか売るから買うのかはともかく、地球上に人が存在する限り、誰も止めることのできないこの行為は続くだろう。
根源に人間が生存し続けるために必要とする性さがが存在するからだ。
従軍慰安婦」なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。
こんなことで騒がれては、被害者はむしろ高い料金を払った兵士と軍の方ではないのか。

・・・転載終了・・・

 
 
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