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空っぽな人生を生きてきた

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年10月26日(日)23時16分1秒
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  考える生き方 空しさを希望に変えるために」

必読記事:フリジア帽はミトラの帽子

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/08/post-fb91.html

これに関連する記事は以下の「ソロモンの背信」の中にあります

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/874.html

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478023239/fareasetblog-22/ref=nosim#reader_4478023239

空っぽな人生を生きてきた

http://diamond.jp/articles/-/32827

『考える生き方』は、ネット界で尊敬を集めるブロガー・finalvent氏の第1作。自身の人生を「からっぽだった」「失敗だった」と吐露する稀有なスタンスが多くの人の共感を呼び、人生の「むなしさ」と苦難を受け止めるヒントになる内容として話題となっている。この連載ではその「はじめに」と、「おわりに」の代わりとして小冊子「Kei」書かれたエッセイを紹介する。

昨年の夏、55歳になった。
私が子どものころ、1970年代の大企業の定年は55歳だった。子どものころの私は、自分が55歳まで生きていたら定年になってもう仕事をすることはないだろうと思っていた。そのあとの人生は余生だろうとも。
現在の企業の定年は65歳くらいだから、55歳で余生とか人生とか考えるのは早すぎる。それでも自分の人生の大半は終わった感じはする。55歳まで生きられなかった人もいろいろ見てきたから、ここで人生が終わってもしかたない。

自分の人生はなんだったんだろうかと思うようになった。
なんだったか?
からっぽだった。

特に人生の意味といったものはなかった気がする。55歳以降でも一念発起して事業を成し遂げる人もいるから、年を取ったからといって結論を急ぐこともないが、私の場合はこれから人生の一発逆転みたいなことはないだろう。
こうなることはずいぶん前からわかっていた。
自分の人生はからっぽになるだろうというのは、20代のころうすうす気がついていた。30代になって、たぶんそうなるんだろうという確信のようなものが芽生えた。40代になって、ああ、からっぽだという実感があった。これは、あれだな、と若いころ覚えた論語の章句が浮かんだ。

論語に「後生畏るべし」という言葉がある(子罕第九の二十三)。

「後生」というのは「先生」の反対で、自分より年が若い人のことだ。自分より若い人の未来に自分より優れたものがあるというのだ。若者の未来を思って若者をせよと。これに「いずくんぞ来者の今にしかざるを知らんや」と続く。どうして若者が現在の大人に劣るといえようか、と。
若者には可能性がある。自分にも、たぶん、あった。そしてそれがなくなった。いつなくなったかというと、「後生」が見えたときである。自分より若年の人のなかに自分より優れた可能性を見たときだ。この若者たちは優秀だなと思うときだ。
具体的にいつごろの年代かというと、40歳から50歳である。続けて論語で孔子先生がこう言っている。

「四十五十にして聞こゆること無くんば、これまた畏るるに足らざるのみ」。

40歳、50歳になって世にその名が知られるようでもなければ、そんな人は尊敬に値しない、と。
それが私だと、40歳のときに思った。

孔子先生、いいこと言う。「畏るるに足らざるのみ」というのはまさに私のことだ。尊敬に値しない。自分はからっぽな人間で、からっぽな人生だったと納得した。
でも、同時にそれはそれでいいんじゃないかとも思えた。

若い日に希望もあった。希望がかなうように見えることもあった。30代ごろ仕事がめきめきできるような自覚がある反面、自分は実はダメな人間なんじゃないかと不安になり、そこから年を経るにつれ、焦りと失意がつのり、40歳を過ぎて、世間的な地位も名声もない自分を確認した。でも、それはそれでいいんじゃないか。そんな気持ちから匿名でブログを書き始めたのが45歳。

ブログを書いて何か達成できるとは思わなかった。ブログで一発当ててやるみたいな思いもなかった。が、ちょっと楽しい感じはしたし、楽しい感じがしているときは、自分に合った方向に進んでいるんじゃないかという感覚はあった。
気がつくとブログを10年近く書いていた。それで何か得られたかというと、ないと思う。大した意味はなかったが、総じて楽しかった。からっぽな人生なりに生きてきたんだなという感慨はあった。その部分、つまり、ブログの裏側の思いはなんとなくブログには書いてこなかった。
自分がもし本を書くことがあれば、逆にそのあたりを書こうかと思った。
普通、本を書く人というのは著名な人や、それなりに偉業を遂げた人だ。その成功例から何かを学ぼうということだ。私の場合は、そういうのは何もない。
たいていの人もそうだろう。若いころ思っていたような希望に挫折して、それなりに運命と折り合って生きていく。
世間的に社会的に、自分の人生の意味はないとしても、自分の内面から見れば、それなりにある種の手応えのようなものがあれば、それを支えに生きていける。

そうした、ちょっとうまく言えない人生の支えのようなものを見つけるのに、からっぽに見えた私の人生でも、何かヒントのようなものがあるんじゃないかとも思う。
偉そうな言い方になって申し訳ない。ブログを10年書いて、そういう部分に近いところを書いたとき、読んでくれるブログの読者は少なくないようにも思えた。

思い返すと、自分も若いころ、また、じわじわと挫折していく30代から40代、一生懸命読んだ著作家から、そういう部分に聞き耳をたてていた。それを心の糧にしていたように思う。例えば、山本七平という人から学んだ。

彼は、毀誉褒貶はあるが『日本人とユダヤ人』という本を出版して着目された。そのころグアムから戦後27年目の帰還兵があり、彼もまた南方の戦地で戦ったことから、戦争体験記も書いた。そうしたことがきっかけで50代から有名な著作家になった。
山本七平自身は、有名になりたいとはまったく思わなかったとエッセイで書いていた。人は日々の仕事をこなして毎日毎日同じように生きていたらそれでいいと思っていたというのだった。その思いは若い日の私の心に深く沈んだ。

普通の人が世の中に隠れて普通に生きていく。普通でなくてもいい。世の中に評価されなくてもいい。とるに足らないことであっても自分の人生の意味合いを了解しながら生きていくことはできる。誰でもそういうふうに生きていくことはできる。

本当?

本当だろうと私は思う。少なくとも私はそうやって生きてきた。そうやって生きるためには、人生のいろいろな局面で自分で考えていくだけでいい。考えて了解する人生は誰もが実現できる。
考えた結果失敗するかもしれないが、誰かの成功法則を自分で実験するよりも、自分で考えて自分だけの人生を発見していくほうが、結局、納得できる人生になる。
失敗と思っていたことが自分の内面では成功だったかもしれないし、成功だと願っていたものは自分を縛る妄念だったかもしれない。その違いは自分で考えるしかない。
他者の評価なんかどうでもいいとまで超然とすることはないが、自分の人生はこういうものだったんだなという、人生の意味の組み替えは自分なりに考えていけばなんとかなる。

人生、成功はしないかもしれないけど、考えて生きていけばなんとかなるんじゃないか。
なんとかなって、日々、それなりに生きている実感みたいなものを考えて見つけていけたら、それでいいんじゃないか。そうした思いを書いてみたい。

空っぽな人生を書いてみた

http://diamond.jp/articles/-/32991

『考える生き方』という本を書いた。

誰の言葉か忘れたが、「人は誰でも自分の人生について一冊の本を書くことができる」という。55歳になったとき、自分は自分の人生について一冊の本が書けるだろうかと思った。そのときは書こうという意欲はなかった。

ブログを10年近く書いてきて、いちおう有名ブロガーにもなったが、好き勝手な雑文を書いていたにすぎない。まとまって自分のことを書いたことはなかった。
書いても意味がないように思えた。自分には社会的な名声もない。これといって業績もない。人生の失敗者の部類である。空っぽな人生と言ってもいい。

でももしかすると、と思った。空っぽで失敗の人生が、案外そのまま一冊の本になるかもしれない。無名の人の、どってことのない人生の自分語りというのも、案外ありかもしれない。そういう本があれば自分も読んだ気がする。
そう考えると何か書けそうな気がして、そのうち書いてみたい気持ちに変わった。ブログで書かなかった自分の生活に近い分をまとめてみようか。

特になんにもない人生、失敗した人生、挫折ばかりの人生。
それって、けっこうよくある人生である。
そのわりに、失敗した人の人生を書いた人はあまりないだろう。失敗した人生を生きるのもそれなりに大変だったのに。
それで書いてみた。

書きながら、自分のこれまでの生き方はどこかしら、これからの普通の日本人の先行的な例になるかもしれないとも思った。
私のように若いころ挫折して、その後、場当たり的に生きる日本人や、55歳になって空しい思いに駆られる人間も、これから増えるのではないか。
仕事が定まらない。30代半ばをすぎても結婚できない。家もなく引っ越しに次ぐ引っ越し。40歳過ぎて突然の病気。

自分の人生は、たいした人生ではなかったけど、それなりに苦難や不運もあった。それでどうしたか。
「考える」ことでなんとか切り抜けた。人生が行き詰まったら、そのときおりに、自分なりに考えてきた。
人生の問題の大半に解答はない。考えることくらいしかできないものだ。
つらくて憂鬱になったり、心身ともに疲れ切ったり、絶望してしまうこともある。それにどう向き合うか。どう考えるか。

宗教とかポジティブ思考とか、そういうお仕着せの対処ではなく、素手で人生に向き合って考えてみたらいいのではないか。
私はできるだけそうしてきた。たいした結果はないが、そのときおりごとに考えて生きてみた。

何をしたという人生でもないと思っていたが、書いてみるとそれなりに、いろいろあったことに気がつく。

30歳半ばで大恋愛をやってのけた。私の世代、男は20代後半には結婚し、30代には子どももあるものだった。いつか嫁さんが来るのではないかとぽかんとしていたら、35歳を過ぎた。一生独身だろうと諦めたら、10歳年下の女性と大恋愛してしまった。やるなあ、自分。

それから四人の子どもの親になった。結婚したら子どもがあってもいいだろうと思ってはいたが、四人である。妻の故郷・沖縄で8年暮らしていた。子作り以外にすることはなかったのか。
東京に戻り、ブログを始めてちょっとだけ有名になった。

ぱっとしない普通の人生だと思ったが、それなりに生きてきたんだから、いろいろあるものだ。
というか、いろいろな人生があっていいのではないか。
自分で考えて決めた生き方なら、普通であっても、変であっても、別によいのではないか。
そういうことを自分を例にして伝えたかった。

「人生だった」なんて、これから死ぬみたいな表現をしたが、55歳まで生きてみたら、そろそろ人生の終わり方も考えるきっかけになった。
この年齢まで生きられなかった人も多い。自分の人生を振り返ったら、自分の死の形のようなものも、自分なりに納得するようになった。
つらいとき死にたいと思ったり、その逆に病気で苦しんで死を恐れたり、死ということにもいろいろ思うようになった。
考えて生きるというのは、自分だけの死というものを形作っていくことになる。
60代以降に向けて、これからは死もまた人生の一部として受け入れていくしかない。うまくできるだろうか。

この本には後書きは書かなかった。なくてもいいだろうと思っていた。ただ、家族に感謝を伝えたい気持ちは残った。
そういえば、校正の途中、子どもがやってきて覗き込んで少し読んで、不思議そうな顔をしていた。変な父親だよな。ごめんな。校正は妻にも頼んだ。若いころの失恋話とかも読むわけである。「ここはやめて」ということもなかった。ほっとした。家族がいた。それは自分で考えて決めた人生として受け取ったというより幸運に近いものだった。

<了>

◆ダイヤモンド社書籍編集局からのお知らせ◆

考える生き方 空しさを希望に変えるために

ネット界で尊敬を集めるブロガー・finalvent氏の第1作。自身の人生を「からっぽだった」「失敗だった」と吐露する稀有なスタンスが多くの人の共感を呼び、誰もが体験する人生の苦難と空虚感を受け止めるヒントとして話題となっている。読後に得られる考えることへの信頼と「明るい諦観」は一生を支える心強い武器になるはずだ。

価格(税込):¥ 1,470
判型/造本:46並製
頁数:340
ISBN:978-4-478-02323-5

現代の若者は絶望しているのか?

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2014/10/post-287f.html

現代の若者は絶望しているのだろうか。どうなんだろう。というのは、昨日のエントリーへのツイッターのコメントでこういうのを見かけた。晒しとか、反論というかいう意味ではない。基本的には「ふーん、どうなんだろうか」と思っただけ。なのでコメント部分だけ引用。

    ないのはお金だけじゃないよ。将来に対して絶望感以外なんにもない国で、落ちていくしかないんやから、恋愛みたいな長期的なことより、刹那的なものに流れるにきまってるやん。

 現代の若者が恋愛できないのは、お金がないこと論に加えて、この「国」の将来に対して絶望感以外ない、という意見があるらしい。
 若い人が絶望を抱くことについては、20歳までに自殺すると思っていた私としては、特に違和感はない。違和感があるとすれば、私がそうであったように、小学生だった1960年代から、青少年期だった1970年代、若い人の絶望というのは凡庸なことだった。
 特に60年代から70年代にはこの世の終わりという感じだった。核戦争で地球は滅亡すると思われていた。人口増加で食糧危機が発生し巨大な飢餓が起きるとも思われていた。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』が『生と死の妙薬』として日本で出版されたのは1964年だった。今だと冗談みたいだが、氷河期がやってきて地球は凍るとも言われた。日本が沈没したらみたいなネタでウケていた小説『日本沈没』が出たのは1973年である。
 ノストラダムス予言はまだ一部でしかネタになっていなかったが、「もうすぐこの世はおしまいだ」と野坂昭如が「マリリン・モンロー・ノーリターン」で歌っていたのは1970年だった。あのころもの社会も若い人にとって特段に希望なんてなかった。ヤケクソと自暴自棄のナンセンスな世相だった。他面にはモーレツ社員がいた。「社畜」という言葉はなかったが、実態は同じだった。
 ただ、なんというのかな、あの時代、若い人の絶望は、「国」とか、なんかそういう外的な要因よりも、内的なものが強かった。
 内面からこみ上げるように、自殺するかなあ、という絶望感だった。自分の実存はもう存在しえないのだという切迫感もあった。当時よく読まれていたカミュの『シーシポスの神話』(参照)とかにその感じがよく表現されている。

    Il n'y a qu'un problème philosophique vraiment sérieux : c'est le suicide. Juger que la vie vaut ou ne vaut pas la peine d'être vécue, c'est répondre à la question fondamentale de la philosophie.

    本当に深刻な哲学の問題は一つしかない。それは自殺である。生きることが、その困難に値するものかを判定することだ。これが哲学の根本問題に答えることなのである。

 青臭い。それもそのはず。カミュが24歳のときの作品である。若者の感覚がよく表れている。
 とはいえ、この本のオリジナルの出版は1942年。意外と古いというか第二次世界大戦中。日本だと1969年だった。
 この時代の若い人の絶望感については、いつかcakesに『二十歳の原点』(参照)の書評として書きたいと思っているので、その話自体はいずれ。
 それで思ったのは、絶望から自殺が連想されるように、では、当時の若者の自殺はどうだったかなと思い出していた。ネットなどではバブル期以降の日本の停滞から若者の絶望そして自殺の増加という議論をよく見かけるけど、私が青春時代だった1970年代、さらにその前の1960年代はもっとすさんでいたように記憶しているからだ。
 どっかにそのスパンの資料でも転がっているのではないかと、気まぐれに見ていたら、興味深いデータがあった。平成23年版・自殺対策白書「年齢階級別の自殺の状況」(参照)である。もっと新しい白書もあるがこれが見やすかった.....以下省略

関連記事;

日本全国精神病院化計画法?

http://1tamachan.blog31.fc2.com/blog-entry-11348.html

日本で自殺者が多い本当の理由

http://www.asyura2.com/13/senkyo149/msg/256.html

管理人注:龍之介かく語りぬ

万人に共通した唯一の感情は死に対する恐怖である。道徳的に自殺の不評判であるのは必ずしも偶然ではないかもしれない。

 自殺に対するモンテエエヌの弁護は幾多の真理を含んでいる。自殺しないものはしないのではない。自殺することができないのである。

 死にたければいつでも死ねるからね。ではためしにやってみたまえ。

           芥川龍之介『侏儒の言葉』より
 
 
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