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金融システムの闇の超起源 その11

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年11月 1日(土)02時25分23秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://ameblo.jp/antibizwog/entry-11900865192.html

≪R.D. Willing 著『マネー/金融システムの闇の超起源』より抜粋(11)≫
2014-07-27 23:20:11
テーマ:R・デュアン・ウィリング
(10頁からの続き)

■宇宙の力を込めた暗号「イスラエル」「マネー」が意識のパラダイムを大転換(詐欺の許容)

旧来の宗教からイスラエルへの意識の変化によって生じた思考の変化は、マネーの経済霊とモロク神が登場する為に十分な素地を与えるものである。出エジプト記が創作された可能性が高いと考えられる紀元前9世紀から紀元前5世紀の間に、人間の意識には実質的な革命が発生し、思考のプロセス自体が根本的に変わってしまったようである。「この人間意識のパラダイム転換によって掻き立てられた、ものの見方・考え方が、金融やマネーという概念である」(Jaynes,Julian,The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind,Houghton Muffin Co.,Boston,1976,P.77 邦訳はジュリアン・ジェインズ著, 柴田裕之 訳『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』紀伊国屋書店 2005年刊行)。この変化は余りにも深甚(しんじん)であった為、「古代の習慣を翻訳する時に、現代のマネー・金融の用語を使用することは完全に間違いである」(前掲書 P.201)。

私の考察によると、エリート知識人は、「イスラエル Israel」という名前を、後にエルサレム神殿として知られることになるものに当て嵌(は)めた。光合成の理解に必要な理論との類似性から、「イスラエル」という名前を、マネー創造の仕組みを理解する為の定型化イメージを呼び出す符号として使用した。先述の通り、マネーの存在の基盤となる信用(クレジット)は、マネーが創造される前に「信用」として使用される為に存在していなければならない矛盾を抱えている点で、マネーと光合成は同じ謎を共有している。

更に、聖書の最初の5章分は暗号で記述されており、他の通常の言語に翻訳することは無意味であるというカバラ(QBLH)の説も忘れてはならないだろう。暗号は宇宙を浮遊する生きた力である。暗号が込められた文章には、その宇宙の力を我々の生活に反映させる意図があり、その為に啓示として機能する(Suarés,Carlo,The Cipher of Genesis,Shambala Publications,Boulder and London,1978,P.53)。ここでは、カバラの尋常ならざる言語は、暗号名「イスラエル」を利用して人類の中に登場する経済霊、モロク神、そしてマネーのことを語っていると理解しておく〔※関連資料(1ユダヤ教徒の「カバラ」と「メシア運動」の歴史・2三大教典、他・3・4・5カバラ・生命の木の対応表、他・6秋端 勉 著『実践魔術講座 リフォルマティオ〈上巻〉』)〕。「イスラエル」という名前を暗号として理解してよいことは、聖書の中でマネーという言葉が使われているところでも裏付けられる。マネーという言葉が使用されているという観点で聖書の登場人物の活動を再検討するならば、人類の祖先や出エジプトの物語は、何千年、少なくとも何百年は最近寄りのことであったと修正する必要があるだろう。マネーへの言及と聖書の人物像が一致する時代は、イスラエルの神である聖書のヤハウェが初めて記録された時期、紀元前850年頃に修正されなければならない。

ヤハウェと共に始まり、第二神殿の時期として一般に理解されている紀元前539年頃に終了する時代は、マネーが誕生した時代という特徴を持つ。市場でマネーが使われ始めた時期、第二神殿の時期と時を同じくして、紀元前539年辺りに「割礼(かつれい)がユダヤ人特有の慣習であると見なされるようになった。神殿の聖職者達はこの些細(ささい)な文化的特徴を神との契約の象徴に仕立て上げ始めた」(Barthel,Manfred,What the Bible Really Says,William and Morrow&Co.,NY,NY,1980,P.78)。この年代によれば、モーセに関する物語の大半と、出エジプト記、アブラハムの割礼の話は、もっと後世のことになる。

この地域の気象条件は大幅に変わった為、聖書のアブラムがいたとされている時代に旅をしたならば、ラクダではなく馬を使っていたはずである。ラクダを使ってエジプトまで移動する方法がこの地域で知られるようになったのは紀元前600年以降である。一部の研究者は、モーセとイクナートンが恐らく同一人物ではないかと推定している。これを支持することになると思われるのが、ミケーネ時代とギリシャ時代の間の暗黒の600年間は存在しなかったというイマヌエル・ヴェリコフスキー Immanuel Velikovsky(1895-1979)の発見だろう。この新たな年代特定によって、火山と嵐の神として認識されているヤハウェ神の起源が、テラ火山の噴火により近付くことにもなるだろう。

聖書の出来事の年代を、紀元前1250年頃から紀元前850年頃に修正することによって人類の祖先達が使った「市場のマネー」も、実際にマネーが発明され使用された時代に配置することが可能である。イアン・ウィルソン Ian Wilson(1941-)は、その著『出エジプトの真実 Exodus:The True Story Behind the Biblical Account』(Harper&Row 1985年刊行)において、出エジプトの真実が大幅に異なることを指摘している。一つの時期としては紀元前1100年プラスマイナス190年ぐらいから始まる。この年代範囲によれば、テラ火山の噴火は最初の記録と共に、ヴェリコフスキーの年代特定は、聖書の物語の大半を有史以前ではなく、より具体的な時期に再配置することを裏付けてくれる。聖書の詩篇78章52節~54節に、聖なるヤハウェの山は火山として記録されている点は注目すべきである。

マネーの発明、そして、モロク神と共に到来した経済霊の物語を暗号化する為に「イスラエル」という名を使って聖書に暗号化された思想を追求することは、当然ながら、思考の根本的な変化、信仰の突然の飛躍を伴うことが想定される。この種の人間心理は、創世記の「第一子を殺す」という聖書の記述として初めて記録されている。幼児殺害は、新たな思想を受け入れる為に、親が伝統的な思想を拒絶することの比喩である。或る種の新思想が最初に出現したのは、イクナートンの新しいイスラエルの宗教においてであった。時代が経過すると、「イスラエル」の名前は別の聖職者によって盗用されたようである。この聖職者による編集が発展し、マネーを発見した直感を隠す暗号としての意味を持たせ、公開された聖書となった。


■地球を汚染し攪乱するマネー信仰(詐欺と背信妖術)の暗号名

本書の狙いは、宗教として我々の政界に入り込んできた経済霊のマネーの駆動力を識別し特定することである。マネーという姿で表現された信仰体系は非常に強力であり、その実践は常識をも凌駕(りょうが)する勢いである。地球が益々汚染されているのは、マネー計算の結果であることが広く認知されている。マネーの計算による意思決定の結果、生物圏にとって有毒なものもやむなしと容認することが出来る能力は、マネーという尺度が絶対であるという進行に基づいているようである。それはまるで地球の世話人の責務を否定する一種の妖術のようなものであり、人間の思考を暗号名「イスラエル」の力で攪乱(かくらん)している。

「イスラエル」という名の普遍的な力が人類に入り込んできたことは、一般的にも理解されている。この概念を支える聖書の教義は、紀元前400年頃に最初の草案が完成した文書に基づいているようである。これとほぼ時を同じくして、マネーは市場で力を持ち始めていた。ジュリアン・ジェインズ Julian Jaynes(1920-1997)教授は、「騙すこと」について、長期と短期の事例を挙げて議論しており、その中で騙すことは、裏切りという形で人間の経験に入り込んできたと述べている。これは旧約聖書のイザヤ書が証明しているようである。イザヤ書の新たな思考能力に関する記述によって、我々は新しい人間の能力を窺い知ることが出来る。今や「内側では或ることを考え、外側では別のことを言う」(Jaynes,Julian,The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind,Houghton Muffin Co.,Boston,1976,P.220 邦訳はジュリアン・ジェインズ著, 柴田裕之 訳『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』紀伊国屋書店 2005年刊行)ことが可能となった。この倫理を超越した能力は、マネーの創造と貸付における経済霊の働きにおいて「騙すこと」の重要さを考えると理解出来る。現在の金融システムにおいて、マネーの創造と貸付は、或る種の詐欺を必要とする。それは、現金のマネーとなる以前に全てのマネーは貸付金から創造されていなければならないのに、貸付金は預金者のマネーに依存しているという神話である。この驚くほど単純なアルゴリズム(インチキな錬金術)について明確に理解されていないままであるのは、モロク神と経済霊の到来を隠匿(いんとく)する暗号名「イスラエル」のヴェールの裏で蠢(うごめ)いている特別な力の心理的な支配があることを示唆している。


■王(ファラオ)の金融コンサルのヨセフは、元祖MBA(経営学修士)、マネートレーダー、金融詐欺師

ヨセフ Joseph(生没年不詳、ユダヤ人の祖ヤコブの子の一人とされる)は、市場に力として登場したマネーを理解する上で要(かなめ)となる人物である。聖書の創世記の物語に描写してあるように、ヨセフは市場と商品を統制するエジプトの最高位の官僚であった。勿論、他の多くの聖書の人物像と同様に、ヨセフは歴史上実在する人物ではないだろう。ヨセフが重要人物である理由は、経済霊の到来と、発生したばかりのマネーの力について述べた寓話を人格化した存在だからである。ヨセフがマネーの発明を初めて交換システムに適用したという物語があるが、それ以前のエジプト経済は物々交換であった。利益を得る為に交換するという慣習はまだ無かった。「市場のマネー」以前には、全ての経済取引はファラオのカルト(統治組織)の直接管理下にあった。

ヨセフは、イシュマエル Ishmael(生没年不詳、アラブ人の祖とされる)の子孫の商売活動を通じてファラオの“ホワイトハウス”に辿り着いたことを聖書から知ることが出来る。彼らはマネーを使った商人(トレーダー)であり、ラクダの隊商を組んでパレスチナからエジプトを商売して回っていた。聖書の物語によると、彼らは銀20枚と引き換えにパレスチナでヨセフを購入した。この取引でマネーとラクダが使用されていることから、この出来事とヨセフの物語は、紀元前600年以降のいつかであることが分かる。その年代以降でなければ、この地域にはラクダと硬貨の形態でのマネーは存在しないからである。ヨセフを取得しエジプトに納品した話の中には、やはり隠匿(いんとく)されてはいるものの、「割引」という金融の概念が巧妙に描かれている。

ヨセフは兄弟によって井戸の中に捨てられていたようである。ミディアン Midian の行商人は、エジプトからの帰路でヨセフを発見して救い出した。エジプトに行く途中だったイシュマエルの子孫は、ミディアン人 Midianites から銀20枚でヨセフを買った。ここでもしも、ミディアン人が誰かをファラオに納品するという単価契約を、例えば銀30枚で締結していたとすれば、割引率の一例となり得る。イシュマエル人 Ishmaelites は既にエジプトに行く途中であったのだから、ヨセフの購入は納品時点で銀10枚の利益を齎(もたら)すことになる。ミディアン人は納品をする必要は無くなり、即金で銀20枚を手に入れることが出来る。割引の概念というのは、将来受け取る見込みのマネーよりも、手持ちの即金マネーは価値があるというものである〔※広瀬 隆 著『アメリカの経済支配者たち』より【図1~4】を参照〕。

マネー創造の経緯を隠匿する暗号という観点を念頭に置きつつ、また、マネーに関する物事には「騙すこと・詐欺」が革新的な役割を果たすことを認識すれば、ミディアン人とイシュマエル人の大商人が、ヨセフをエジプトに連行したのは、エジプト人をマネーの束縛に陥(おとしい)れることが目的であり、人類初の大掛かりな金融詐欺だったと言えなくもないだろう。この偶発的な人間関係の変異のことを、「カルト273」、及び、現在我々が中央銀行と呼んでいるものの起源が秘められた寓話であると考える研究者もいる。また、ミディアン人とイシュマエル人の現代版が今日の日本と中国の大商人組織であり、エジプト人がアメリカ人に相当すると指摘する人もいる。

ヨセフは、聖書の物語では、経営者ファラオの愛顧(ひいき)を受けることになる。ヨセフは、聖書の神話になるような不幸な犠牲者ではなく、バビロン Babylon(現イラク Iraq)とダマスカス Damascus(現シリア Syria)の高度な経営者養成学校を卒業したプロの経営者層を人格化した存在である。現代のMBA(経営学修士)の原型とも言うべきものであるが、これによってコンサルタント業や政府の役人として出世することが出来た。

ファラオは、バビロンとダマスカスの優秀な学校や学界から専門職を引き寄せ、洗練された手法を提供させたり、「世界市場」の鍵を握っていたセム語の知識を利用した。契約では、専門コンサルタントはエジプトにやって来て、国際貿易に必須であるセム語に精通していないエジプトの役人を補助することになっていた。どんな有能なコンサルタントでも同じだが、外国人の専門家が入り込んでくれば、人事面や経営方法の変更を勧めようとするものである。

経営の専門家達は、ナイル川からユーフラテス川にかけた地域に幅広く重要なポストを占めていた。聖書はこの地域のことを大イスラエル Greater Israel と回想している。外国人コンサルタントに地位を奪われたエジプト人達の受け止めは、コンサルタントで酷い思いをした現代の経営者の気持ちに近いものがあっただろう。殆んど実務経験の無い新参者によって地位を奪われた経験豊かな経営者達は、卒業したばかりの新人の出現を邪魔に思ったに違いない。こうしたMBA風の侵入者に起因する経営方針の変更によって、楽しみにしていた昇進の機会を失った者も少なからずいただろう。この時代のエジプト史は、侵略者の到来を思わせる、「イブル Ibru」または「ハイブリ Hibri」の到来のことを伝えている。

エジプトの厄介者としてのイブルまたはハイブリの歴史は、有名なエル・アマルナ El-Amarna の粘土板(アマルナ文書 Amarna Letters)によって初めて発見された。これらの粘土板は、シリアの王とエジプトのイクナートンの間に通信があったことを伝えている。一般的な想定としては、侵入者の「イブル Ibru」または「ハイブリ Hibri」は、聖書のヘブライ人 Hebräer のことであると思われている〔※関連資料(1「国外追放された賎民から神の選民へ:イスラエルとは古代社会において前代未聞の新興宗教信者に対する集団名称であったが、これを彼らは『神(エル)』とさえ『競う(イスラ)』者と解して自らの出自を湖塗した。また、ヘブライ人の『ヘブライ Hebräer』とは、河を「超えてやって来る」余所者を意味したが、何故わざわざ遠くからやって来るのかと言えば、強盗略奪殺戮を恣(ほしいまま)にする為であって、その原形『ヒブル Hibru』と『イブリ Ibri』はアマルナ文書に頻出するならず者集団『ハビル Habiru』『アビル Abiru』とは同じ根から出た同義語である」・2・3)〕。もしそうだとすれば、その当時の彼らはまだ、後にユダヤ人と呼ばれるようになる「聖書の民」といったようなカルトとしては存在していなかった(Graham,Lioyd,Deceptions and Myths of the Bible,Bell Publishing Co.,New York,1979,P.152)。

比喩的な存在であるヨセフは、エジプト史のいつの時代なのか聖書の不明瞭さの為に分からないが、ファラオの側近の長として聖書の物語に登場する。エジプト人が侵入者イブルの到来を伝えているのも、歴史的に曖昧なこの新時代を迎える時期である。もしかすると、ヨセフは、この地域に蔓延した経営専門家やコンサルタント集団を担った侵入者イブルの中でも最も成功を収めた人物なのかも知れない。明らかに、この専門家階級は、虐げられた農民という固定観念的なイメージよりも、「聖書の民」ヘブライ人の特徴によく合致している。


■エジプトでのヨセフ活躍物語は金融(有利子マネー・システム)による束縛支配(牛、種子、土地)の完全モデル

ファラオの“ホワイトハウス”の高みより、ヨセフは、市場の知性の理解、つまり、マネー経済の先駆けとなるものを実際に行ってみせた。ヨセフは、政府の権力の全幅の信頼を完全に掌中に収め、天才的な外交の才能を発揮した。ヨセフがエジプトの聖職者による反発を早々に察知し、宥(なだ)めたことは、マネーの力を行使して社会を操作する方法への道筋を開くことになった。ヨセフの官僚としての才知の威力は、創世記41章34節に窺い知ることが出来る。ヨセフは、財産を巡って規制権力の聖職者達と争うよりも、全ての土地の二割を彼らに与えるように取り計らった。

時はヨセフに味方していた。七年の豊作の後に、七年の飢饉(ききん)がやって来た。豊作の七年の間、ヨセフは経済生産の余剰をファラオの蔵に蓄積した。当時、長期の保存方法も技術も確立していなかった為、倉庫に貯蔵するという話は明らかに寓話であり、或る種の比喩的な表現をしようとしているのが分かる。欠乏の七年間に、ヨセフは、貯蔵した産物を、元々それを生産した人々に売り戻したと伝えられている。ここにマネーが絡んでいる臭いがする。飢饉の間、商品は、特に交換手段としての穀物は、底をついていたか、不足していたはずだからである。

このマネーによる取引を必要とした初めての経験は、明らかに以前の経験とは違っていた。それまでエジプトの商取引は、マネーを使用せず物の交換によって成り立っていたのである。更に、マネーが必要になったことは、土地は豊富に所有していたが、マネーは持っていなかった聖職者達にとってショックであったに違いない。そもそもヨセフが提案した取引を受け入れた時、マネーの力によって土地が如何様(いかよう)にもなるなどとは、創造もしていなかったはずである。また更に、国内で痛切なまでの需要があるにも関わらず、自分達の貯蔵品が外国人に売られているのを目の当りにしたエジプト人は、追い打ちを掛けられたようなカルチャー・ショックに襲われただろう。何百年もの間、共同体の財産であると思ってきたものを手に入れる為に、マネーで支払う必要があるということは、気絶するほどの驚きであったに違いない。物や土地に対するマネーの力は、気絶するほどの驚きであったに違いない。物や土地に対するマネーの力は、エジプト人の原始的な経済感覚を粉砕したに違いないのである。金と銀を大々的に騙し取られたのに加え、貴重な物資がヨセフと同類の異民族出身の外国人に販売されているのを見て、それまで彼らに信頼を寄せていたエジプト人は深刻な裏切りを感じたに違いない。

この新しいマネー経済のサイクルの全体は、創世記47章に、以下のように記述されている。豊作の七年間に余剰が蓄積されつつあったので、ヨセフは血縁者達をエジプトに移住するよう勧めた。この血縁者達は、臨時の外国人労働者として使用可能であるという虚偽の名目でやって来て、エジプト人の牛の世話をした。飢饉が始まると、物資不足は極限に達し、エジプト人にはパンが無かった。ヨセフは残り在庫の食糧をマネーと引き換えに人々に売った。そうしてヨセフは全てのマネーを手に入れる。各地の社会にマネーが欠如していることは、マネー・システムの欠陥であると考えられた。実際のところ、この最初のマネー・システムは、権力を集中させる為の完璧な道具であることを見せ付けるものであった。

人々が所有している財産といえば、もはや牛しかなかった。牛はヨセフの血縁者が管理していることになっていた。エジプト人は、生きる為のパンを得る為に牛と交換することを余儀なくされた。そして、人々は、生き延びる為には、食べ物になる植物が必要であり、その為には種子が必要なことに気付いた。マネーを持っていない人々は、必要な種子を購入する為に、土地を手放してヨセフからマネーを得る以外に方法が無かった。この市場のマネーのメカニズムこそが、ヨセフが全ての土地を配下に置くことが出来た理由である。かつてその地の市民であり、ファラオとその一族の末裔(まつえい)であると思っていた人々は、ヨセフの農奴として小作人になり、マネー価格の経済霊に服従することになった。ヨセフの寓話を通じて分かることは、聖書というものは、人間に関するものというよりは、マネーと詐欺の威力に関する想念の履歴を記したものであることだ。

聖職者によって所有されていた二割の土地は、ヨセフの購入対象とはならなかった。マネーのコントロールは、土地のコントロールよりも遥かに大きな力を齎(もたら)す。事実、ヨセフは、エジプトの毎年の収入から聖職者達に定期的に給与を払うことで、彼らに対する支配力を強化した。完全なる全体主義権力の確立は、市場のマネーをコントロールし操作することから始まったと言える。ヨセフにとって最終段階は、植え付けの為の種子をコントロールすることにあった。現代の巨大穀物複合商社は、日々、全農作物の種子を掌握しようとして遺伝子操作も含め開発改良実験を繰り返し、種子の知的所有権や栽培方法の専売特許を独占しようと必死である。人々を支配するヨセフの全権力は、マネーに依存した小作人の隷属状態なくして存続出来なかった。エジプトでのヨセフの物語は、金融による束縛支配の完成モデルであり、これが現代のマネー・システムとなって現れていると解釈出来る。この唯金発想(アルゴリズム)こそが、現在、世界中の銀行や国際金融機関によって管理された「有利子マネー・システム」の中で、中央銀行が国の債務に寄生する構造を可能にしていると理解することが出来る。


■賄賂、詐欺、威圧のヨセフ戦術を駆使したベトナム占領の布教団

共産主義のリーダーとして有名なホー・チミン 胡 志明(Nguyen Sinh Cung/Nguen Tat Thanh 1890-1969)は、キリスト教会の布教団が旧約聖書さながらの金融戦術を使用したと伝えている。彼によれば、ベトナムの植民地時代に、教会はエジプトのヨセフと似たような戦術を使ったそうである。農民から耕作地を奪取しようと賄賂、詐欺、威圧など、教会は考え得る限りのあらゆる手段を行使した。「穀物の不作の機に乗じて、農民達から田畑を担保に取り融資を行った。利率が異常に高かったので、農民達は借金地獄から抜け出せず、やむなく布教団に担保の田畑を差し出さざるを得なくなった」(Fall,Bernard,Ho Chi Minh on Revolution,Signet Books,NY,NY,1968,P.68,69)〔※関連資料(1・2)及び広瀬 隆 著『赤い楯』より【系図54-1――インドシナ戦争~ベトナム戦争『地獄の黙示録』・54-2】『地球のゆくえ』より【系図1――キリスト財閥とロスチャイルド】を参照〕。


■父ヤコブの国葬行列にかこつけ、敏捷(びんしょう)に搾取マネーを避難させたヨセフ

植民地の教会は、聖書二千年の歴史から学び取ったに違いない。ヨセフのマネーによってコントロールされた新政権では、エジプトの聖職者でさえも国家のマネー・システムに服することとなったのである。エジプトの人々は伝統的に生産物の10%を一種の「十分の一税」としてファラオに納めるのを慣わしとっしていたが、今やヨセフに生産物の20%を支払わなければならなくなった。聖書の記述によれば、この100%の増税は、既にマネーに依存する存在となっていたエジプト人には好意的に受け入れられたという。人々はヨセフに対して「あなたは我々の命を助けてくれた、我々は進んであなたの奴隷になりたい」と言ったとヨセフは述べている。ヨセフは人々の賞賛に応えて「見よ、私は今日、お前達を買った。そして、お前達の土地も」と語る(旧約聖書 創世記 47章23節)。

人々は、政府への依存の代償として、個々の農奴としてマネーで根付けされ富者(ふしゃ)に売られる存在に成り下がったのだが、これは全くの嘘の口実によって実現された。ヨセフはファラオの為に土地を買ったと言ったが、エジプトでは伝統的に以前から全ての土地は事実上ファラオの所有とされていたのである。更に、農作物の管理の仕事は、以前は聖職者の専任職務であったが、それも「民営化」されエジプト人の個々の小作人が行うことになった。こうして、穀物の不作による不足が、価格の変動を齎(もたら)し、マネーによって動かされる経済にとっては非常に好都合になった。ヨセフの物語には、かつて信用されていた政府のシンボルと職位を、ヨセフが狡賢く巧みに利用し操っていたことが明らかに述べられている。経済霊がやって来て強要したマネーへの依存と束縛は、伝統的な考え方の人々には理解もされず、受け入れられるはずもなかった。

ヨセフが推進した伝統的な経済の破壊は、社会不安を積み上げていったに違いない。そしてヨセフが蓄積したマネーは危険に晒(さら)されていただろう。社会不安に直面したヨセフは、経済感覚溢れる敏捷(びんしょう)さで、獲得したマネーをエジプトから即刻避難させ、有名なベテル市 Bethel の近くのパレスチナ Palestine に移した。今日の中央銀行の原型(プロトタイプ)であるヨセフの権力は、彼の父であるヤコブの葬式のエピソードの中に窺(うかが)うことが出来る。ヤコブはエジプト社会では完全に余所者(よそもの)であり、偽装移民であった。しかし、まるでファラオ一族に生まれた者であるかのように、ヤコブの葬式は70日間続いたという。ヤコブの遺体は、エジプト王家のしきたりに従って防腐処理されたそうである。国葬の過程で、ヤコブの防腐処理された遺体は、埋葬の為パレスチナに戻された。

この国葬の行列は、個人に敬意を示す習慣と警備する警察権力のお蔭で、ヨセフが不正に利得したものを安全に隠匿出来る地ベテルに移送する為に好都合な道具立てとなったことだろう。この土地は、メルキゼデク Melchizedek とエルサレムの第二神殿との結び付きという意味で、オカルト的に深い重要性がある。この地域には、何か超常的な意識の信号線(レイライン)のようなものがあるらしく、それによってこの地域は、ヨセフの窃盗・詐欺が公正な神の概念と相容れないことを隠している聖書の宗教と繋(つな)がっている。出エジプト記にしても、ヨセフの物語にしても、中心となっているテーマは、詐欺と窃盗と裏切りである。モロク神と経済霊の力は、数百年もの期間を通じて聖書を教える人々の思考を占領してきた。その為、聖書を説く人達は、大半の聖書の物語の基盤は詐欺と窃盗であることを、大っぴらには認めていない。この中心テーマに人々が気付かなかったことが幸いして、モロク神と経済霊の二千年近い支配を覆い隠すヴェールとして聖書の宗教が利用されることを可能にしたのである。


■詐欺、窃盗、裏切りが常習イブル(「侵入する民」)出身「出し抜く者(イスラエル)」ヤコブ

更に聖書の物語の考察を続けていくと、「神々に選ばれた民」、「侵入する民」イブルの経済的繁栄は、往々にして詐欺と窃盗の成果であることが分かる。モーセという人物像に続き、ヨセフの物語があり、ヤコブ Jacob(生没年不詳、ヨセフの父でありユダヤ人の祖とされる)という別の登場人物の話で補完される。これらの擬人化された人物像の特徴は、何れも詐欺によって富を得る能力である。それはまるで経済霊に元々備わっている性質が詐欺を促しているようである。侵入者イブル族には脆弱(ぜいじゃく)な経済環境しかないことを考えれば、彼らは支配者としての地位を賢明に死守せざるを得ない。多くの聖書の人物像がそうであるように、窃盗行為を働いたとしても何の不思議も無い。聖書のカルト(異常逸脱集団)の物語として伝えられた「世界主義的な侵入者」に望まれる特質は、「ヤコブ」という人物に擬人化され発展した。

「ヤコブ」という名前は、出し抜く者、騙す者という意味があり、詐欺師のことであるが、ヤコブの話の中で、「イスラエル Isra El(神に勝つ者)」に変化している。この詐欺の概念は、エジプト人が全ての金銀を詐取された時の、モーセによるエジプト人への詐欺行為に相通じるものがある。株式市場のマネー・システムのような現代経済の機能の中に存在する経済霊にとって、どれだけ詐欺や不正といった要素が核心を成しているかは注目に値する。

聖書の中で、皮の向こう側に隠れているヤコブに会うことが出来る。ヤコブの妻と子供達は、ヤコブの詐欺が原因で、怒りを買い懲罰を受ける事態に直面し、川の反対側に捨てられていた。ヤコブは家族をも騙したようである。恐怖に襲われながら隠れて過ごした夜に、ヤコブは夢を見た。この夢の中で、ヤコブは、新たな特別な存在としてイスラエルが始まることを告げる特別な人間として特徴付けられる。狡猾(こうかつ)なヤコブは、神の天使と格闘する夢を見る。夜明けが近付き、強要された格闘試合を終結させる取引がなされる。ヤコブが、狡賢(ずるがしこ)いコンサルタントと公務員の経歴を持つ侵入者として有名な集団の出身であるかも知れないことは、この夢の中で完成された取引の性質に現れている(旧約聖書 創世記 28章20節~21節)。

この取引文書は、商業的・官僚的な身勝手を明言したものとしては、最も完成されたものであると言えるだろう。ヤコブは、神が、生活に必要な基本的なことに配慮し、最低限の生活水準を維持し、ヤコブに自由に旅行出来るようにし、「父の家から」(旧約聖書 創世記 28章20節~21節)追放されることのないようにするならば、「イスラエル」になることを承諾することにした。また、巧妙な詐欺師ヤコブは、神が同意するならば、全ての将来の営業活動によって得られるものの一割を神に与えることにした。用心棒代もしくは強請(ゆすり)という形で、ヤコブとモロク Moloch の間に「十分の一税」が成立したものであると考えることも出来るだろう。この取引では、当期利益と純資産は考慮されていない。聖書によると、神の天使は、合意し、提案を受諾した。この取引は、聖書の中で「十分の一税」に言及した二番目の箇所である為だろうが、よく第二の契約を正式化したものであると解釈される。最初に「十分の一税」の言及があるアブラム Abram がメルキゼデクとの取引に基づいてアブラハム Abraham となった時(創世記17章5節)とは異なり、この時は、「十分の一税」(タイズ)の税率は一割に設定された。この取引の条件と、ヤコブの性格から考察すれば、ヤコブの神とはモロクである可能性が高い。

明らかにヤコブの取引には道徳を無視した感があり、神は、下僕達の道徳的な善、無私の精神、公正な取引に対して報いるものであると言う考えと相容れないものである。パスカルによると、こうした矛盾が存在するところが、暗号に秘められた箇所の証拠である。ヤコブが取引した神は、道徳に無関心な神の存在を示しているとも言える。この無関心は、地球の世話人としての責務を求めた最初の契約と全く相容れない。神との取引をパーセント条件で決めることが出来たということは、聖書の第二神殿とマネーが誕生した頃の時代に成立した取引である可能性が高い。十進法が初めてこの地域に知られるようになったのは紀元前400年頃(Blavatsky,Madame,Isis Unveiled,Theosophical Society,NY,NY,1898,P.300)のようであるから、それによって年代を証明することが出来そうだ。ヤコブの取引は、最初の契約で求められた自然を守る世話人の義務というよりも、マネーの管理人としての義務に関連したものであったと推測出来る。


■「燃える森」で(燃え尽きぬ)利子を閃(ひらめ)き、万民を巧妙な束縛(中央銀行システム)に導いたモーセ

モロク神と経済霊を探し出す為に、寓話的な意味で気になる三番目の人物は、有名なモーセ Moses(生没年不詳)〔※関連資料(1ZEITGEIST・2ZEITGEIST・3・4聖書アラビア起源説1~32)〕である。モーセは灼熱の砂漠に足を踏み入れ、靴も服も(下着も)替えずに歩き回ったのであるから、実際には36年でも40年ぐらい掛かったと思っても無理は無いだろう(モーセは84歳で開始し、120歳で死亡したので、36年になる)。モーセは聖書の宗教に、「独特の火」に導かれて入った。「炎は燃えているが尽きることの無い」(旧約聖書 出エジプト記 3章2節)火の点いた森があった。モーセは燃える森の中から民に告知し、神は囚われた人々を解放することを誓ったと言う。モーセは、エジプトで奴隷になっている人々を解放することを命じられたと言った。この燃える森からのメッセージを解釈する上で問題は、当時エジプトには奴隷制度の慣習が無かったことだ(Neubert,Otto,Tutankhamun and the Valley of the Kings,Mayflower Books,London,1957,P.126)。

その訳はこうである。「燃える森」の言外の意味は巧みな比喩となっており、モーセが囚われた人々を解放するように啓示を受けたというよりも、「金融的な束縛」の理解に繋(つな)がる閃きを擬人化したものであることを示唆している。燃えていながらも、その源を費やすことのない炎という発想は、債務から発生する利子マネーを優美な比喩(暗号)で表したものである。マネーは、利子と呼ばれる「得体の知れないもの」によって何故か金額が増えていくと普(あまね)く信じられている。当然の如くマネーから派生する利子は、源を費やすことなく(元本を減らすことなく)燃え盛る「神秘の焔(ほのお)」をイメージさせる。

利子マネーを「燃える森」で発見した閃き、ヨセフによって初めて企(くわだ)てられたマネー操作の手本。この稀有な体験を経て、モーセは究極の現世的な力に気付いた。また、モーセは、利子付きでマネーを貸す金融活動をシステム化すれば、カルト(金融寡頭権力)による世界支配が可能であることを知っていた。利子付きの負債マネーは最終的に人々を囚われの身にしてしまう。モーセは万民を束縛から解放したどころではなく、ヨセフが作ったマネーの運営基盤に乗り、もっと巧妙な束縛を生み出したのである。そして今、モロク神は中央銀行と呼ばれている組織を通じて、嬉々として国を債務でがんじがらめに束縛し、現在の社会を支配しているのである。

 
 
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