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金融システムの闇の超起源 その12

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2014年11月 1日(土)02時34分5秒
  通報 返信・引用 編集済
  http://ameblo.jp/antibizwog/entry-11903446478.html

≪R.D. Willing 著『マネー/金融システムの闇の超起源』より抜粋(12)≫
2014-08-02 00:52:27
テーマ:R・デュアン・ウィリング
(11頁からの続き)

〔Richard Duane Willing 著, 為清勝彦 訳『マネー/金融システムの闇の超起源―地球を滅ぼす人類最後の宗教』 第8章 善悪二重基準の倫理 より抜粋、要約 P.222-P.242〕

■律儀な道徳人がいるから、背徳者ケインズ一派(ズル賢いグローバリスト)は儲けられる

何を善とし、何を悪とするのかの判断基準は人類皆共通と一般的には考えられている。国や慣習の違いを超えて、あらゆる人々にとって自明のものとされている。この道徳的な価値観は、それぞれ民族の神から「聖なる導き」として、教えられている。だから道徳に反する行為は神に対する犯罪となる。何であれ自ら信奉する神の「神聖なる指示」に従わなければ、道徳的でないとされ、それは神に対する犯罪になる。そして道徳律に反する行為は、カルト(閉ざされた運命共同体)の規範に縛られない外部者(よそもの)に向けて遺憾なく発揮される。カルトは、通例、外部者に対しては用心深く無関心を装うが、身内には贔屓(ひいき)をする。

二重基準を応用し、冷徹(クール)に合理化した経済思想は極普通に見られる。現代経済学の父と言われるジョン・メイナード・ケインズ John Maynard Keynes(1883-1946)〔※『ロマノフ家の黄金』より【系図8・36・37・38・39】及び関連資料(1―IMF・2―Victor Rothschild, 3rd Baron Rothschild(1910-1990)・3・4・5・6・7国際金融機関設立の目的 IMF・世界銀行と金貸しとの関係その1・8その2・9その3・10―Darwin Family―Rothschild Family)〕は、「厳密な意味で言えば、私は背徳者だ」と堂々と本音を述べている。「グローバル経済」なるものが芽生えつつあった頃、ケインズを取巻く人々の間では、窮屈な道徳的制約などは無視して当然という空気だった。「一般的な規範によって押し付けられたあらゆる制約を完全に拒絶する。この姿勢に、他者は恐怖を抱き、攻撃であると見なし、それを我々の最も危険な性質と恐れる。我々は因習と旧来の価値観によって押し付けられたあらゆる道徳的な習慣を拒否する。言っておくが、我々は、言葉の厳密な意味において、背徳者である」(Beaugrand,Philippe,Thornton,Henry,Un Précurseur de J.M.Keynes,Presses Universitaires de France,Paris,1981,P.113)。この意気盛んな草創期の背徳者達を引き継ぐ現在の背徳者達が、十戒を否定する風潮の先頭になっていることは不思議ではない。市場の力の邪魔になるからということで、益々裁判所が性的な逸脱を保護し、伝統的な道徳を否定する行為が蔓延(まんえん)するのを保護しているが、そんな傾向を先導しているのも彼ら(ケインジアン Keynesian)である。

私の考えでは、ケインズ派というのは、経済霊の徒党一派として理解すると正確に把握しやすい。ケインズ派は、善悪の二重基準なくして成り立たないことは明らかである。何故ならば、彼らの「身内」モロクが動かしている、道徳を逸脱したグローバリズムは、道徳に束縛された人々なくしては成り立たないからである。倫理観や一般に認められた道徳の制約によって縛られているからこそ、契約や合意は、市場で意味を持つのである。ケインズ派の言う背徳とは、彼ら御一統が如何に背徳から利益を得ることが出来るかという意味で使われているだけのようであり、彼らが利益を得る為には、その他の人々は道徳の制約に縛られている必要がある。これは、モロク神と経済霊が要求する善悪の二重基準の分かりやすい特徴である。

■「左から右横書き(ヨーロッパ)」「右から左横書き(ユダヤ・セム族)」「縦書き(ハムラビ・東洋)」の異なる世界観

社会秩序にとって必要不可欠な規範や価値観は、それぞれの社会で主要な地位を占める宗教が影響を与えているということに異論は無いだろう。古代神殿の書記官は人間のことをよく理解していた。社会というものは、当時も今も、大きく違うものではない。富裕者の成功もあれば貧困者の不安もある。正しいことと間違ったことを弁(わきま)えることは、常になされていた。約束は守らなければならないという決まりはいつの時代も同じだ。倫理的価値観の態様(たいよう)は、文化や人種、地域といった外因性の要素に左右されることはあっても、生命に向き合う基本的な態度や、命を損なうことに対する禁止事項や規則に関する処置は何(いず)れもよく似ている。

しかしながら、世界の様々な慣習の類似性を比較すると、地域によって世界観に相当の違いがあることが明らかになる。それはまるで、ノア Noah の三人息子の物語が、実は、人類の価値観の分類をしているかのようである。例えば、ヨーロッパ人は主に、個人を強調した観点で民族や人種について考える。中東のセム族 Semite にとってはカルト(信念体系を同じくする運命共同体)が基本的な観念であり、華族や部族を強調する。東洋では、家族が強調され、それは時系列上の家族=先祖崇拝としてもよく表れている。これらの異なる世界観は、文章を書く時、①左から右へ横書き、②右から左へ横書き、そして③縦書きという三種類の方法に、視覚的な違いとなって表れている〔※関連資料(1ヒエログリフとヒエラティックとデモティック・2全てが存在するヒエログリフ・3・4・5神話的考察・6「日本人シュメール起源説」の謎・7「イエスはこのユダヤ教の排他性を取っ払った」〕。

これら異なる書字(しょじ)方向形態に対応する「読む技能」も、それぞれの文化と宗教の重要な構成要素となっている。異なる文化群の倫理的な文章を比べてみると、何気なく読むと一見同じことを言っているように思えるが、普遍的に受け入れられるべき思想に、排斥的な感覚(ニュアンス)が加味されたりしている。例えば、(③縦書きの)ハンムラビ法典 Code of Hammurabi の全てを受容する倫理では、「自分自身にしたであろうことを他人にもせよ」と本来は求めている。だが、後の時代にユダヤ教によって修正された(②右から左へ横書きの)記述では、「自分自身がされて嫌なことは他人にするな」という排斥的な倫理に変化している(Steinberg,Milton,Basic Judaism,Harvest HBJ Books,NY&London,1947,P.12 邦訳はミルトン・スタインバーグ著, 山岡万里子 訳『ユダヤ教の考え方―その宗教観と世界観/ユダヤ教の基本』ミルトス 1998年/2012刊行)。

商取引は、文化的な背景や有力な宗教の浮き沈みに左右されない堅固(けんご)な中核的(コア)な倫理基盤で成り立っている。ビジネスにおける契約や代金回収には、倫理的な価値観が共有されていなければならない。異なる文化を横断的に行き交うマネーによる商業活動の為には、宗教ドグマの違いに影響されない普遍的な倫理が不可欠であると言えよう。世界市場を求めて様々な文化に不法侵入している経済霊は、様々な宗教の教えから腹一杯に諸々の倫理を呑み込んだ結果、自分自身が一つの有力な宗教となってしまった。そして、特に「約束を守る」という倫理を基盤としている。


■「釣り鐘曲線/正規曲線(生命活動の物差し)」と「パレート曲線(8対2の法則)」をどう使うか?

商売を業(ごう)とする経済霊の倫理の最も重要な物差しは、「正規曲線」もしくは「釣り鐘型曲線」と言われる統計手法である。この曲線に関する古代の知識を、聖書の中に見出すことが出来る。市場の母集団の属性や傾向は、この曲線状の位置に従って予測することが出来る。正規曲線もしくは釣り鐘曲線は、原初以来の、あらゆる商業的、社会的生活、そして自然の生命に共通のパターンを示している。生命(生活)の中のあらゆる出来事と事実は、この宇宙の不思議によって表される。この物差しは、収穫高を季節的に検証している。

自然及び生命の活動の物差しとしての正規曲線に加えて、人間の企業活動にはもう一つの観察すべき属性がある。それは発見者の名前に因(ちな)んで「パレート曲線」と呼ばれる。これは経済活動に関わる物事を測定する時に役立つ曲線である。しばしば8対2の法則と呼ばれるが、パレート曲線は、約8割の企業活動は、約2割の商品によっていることを示している。利益についてもこの法則は当て嵌(は)まり、利益の8割は、売上の2割によって齎(もたら)される。古代の聖職者や書記官も、共同体社会の中で倫理的に公正な商品の分配を行う為に苦心していたはずであり、この現代統計学的手法について少なくとも直感的に体得していたに違いない。

「釣り鐘曲線(つまり正規分布)」の表された物差しは、現代の商業と社会のあらゆる局面に存在している。この曲線では、どんな母集団でも6つの集団に分離して捉える。それぞれの集団は、対象となる母集団のおよそ16%を含んでいる。定着した手法としては、平均値(つまり中間グループ)は母集団の63%で構成され、曲線の中央を挟んでそれぞれ2つの集団を合わせたものである。この中位グループを構成する4つの集団に属する個体が、母集団の平均を示すと考えられている。だが、この事実にも関わらず、自分の社会的な地位を質問された時、母集団の約9割の人々は自分が中流階級に属していると思っているのが通常である。

社会統計の意味と感覚が一般に共有されていないのか、或いは、一般民衆の思考に及ぼすモロク神の力の成せる業(わざ)なのか、どちらかである。一般的に数学で表現すれば、母集団の半分は、数学的にちょうど平均となる値よりも上であり、半分は下である。

中間クラスにいる約63%の人々が平均的であると思っているとすれば、残りの部分である約3分の1の人口は平均よりも上か下かに分割されることになる。残りの人口は均等に分割され、約16%は平均より上に、同じく約16%は平均より下になる。聖書の知恵は、およそ7人に1人は総人口に依存する状態にあることを知っており、こうした測量手法を認識済みであることを明示している。聖書は、収穫の7分の1(約14%)を貧困な人々の為に畑を残しておくべきだと言っている(旧約聖書 出エジプト記 23章11節)。

聖書は、この農村的な時代においては、老齢、病気・怪我、能力等の理由で、およそ7人に1人は虚弱な人がおり、その他の人々が生活の必需品を与えてやる必要があることを寓話的な表現で伝えている。公式に計測されたわけではないが、この統計は、恐らく現代経済にも該当するものではないかと思われる。経済霊の経済システムでは、社会的弱者として無収入層も追加しておいたほうがよいだろう。平均以上の集団の中には、際立って平均を超えている約16%と、特にマネーという観点で注目すべき並々ならぬ能力を持った2~3%が存在する〔※関連資料(1格差社会と正規分布・2「カーストは歴史的に脈々と存在したと言うよりも植民地時代後期の特に20世紀において『構築』または『捏造されたもの』とも言われる」・3ガンジーとアンべードカル・4・5新自由主義と新たなカースト制度・6―TPP・7【THRIVE~世界支配の計画を暴く~】・8これを知った今どう生きるべきかI~V)〕。


■シャマシュ(ハムラビ指導の太陽神)直伝、イエスの強烈な反モロク黄金律「債務を赦せ!」

人類と人間活動における「釣り鐘曲線」の統計的現実が普遍であることは、支配層が倫理の原型を作る際に着想を与えたであろう。聖書に記録される前の時代に、太陽神シャマシュ Shamash/Utu(紀元前1700年頃)は、シュメールのハンムラビ Hammurabi(1810?BCE-1750?BCE)に統治者としての特別な指導を与えたと伝えられている〔※関連資料(1「古代中近東ではシリウスが信仰されていたが、紀元前3000年から2000年にかけて太陽信仰への大掛りなシフトが行われた」・2「聖書に出て来る神は黒い神と白い神の二つの面を持っており、その時々で両者を使い分ける」)〕。シャマシュは統治の目的は、「正しいことが勝利することを推し進め、強者が弱者を不当に打ち負かすことを防ぎ、国民を教化し、全ての人々の生活を改善する」(Barthel,Manfred,What the Bible Really Says,William and Morrow&Co.,NY,NY,1980,P.120)ことであると言った。この崇高な言葉の意味は、何百年もの時を経てイエスなる人物によって「山上の垂訓」の中に取り込まれた。使徒マタイとルカは、これらの思想を要約し、黄金率に組み入れた。「自分が他者にしてほしいことを、他者にせよ」(新約聖書 マタイ伝 7章12節及びルカ伝 6章31節)。この規律はキリスト教独自のものと考える人もいるが、同じ規律は、遠く離れたインカ文明を含む多くの社会に存在する。

新しい信者向けに教義の中心テーマ説明するという難しい課題に直面した使徒は、新しいキリスト教徒に教える為の要約文をイエスに依頼した。この聖書マタイによる福音書6章12節「主の祈り」の一節には、直感的に(対モロク)「オカルト・パワー」があることが窺(うかが)える。そこには、イエスなる人物の決意として、「我々が債務者を赦すように、我々の債務も赦してください」と述べられている。かくしてイエスから使徒に発せられた究極の指導の中に、かつて投げ掛けられた言葉の中で最も強烈な反モロクの言葉を見出すのである。モロクは債務なくして存在し続けることが出来ない。この一節をオカルト的に解釈すると、モロク神を聖書の文言の中に隠す暗号の痕跡であろう。このマタイによる福音書6章12節には、経済霊のマネー「72の法則」のパワーが込められていることが察知出来る。オカルト数秘術で理解すれば、6と12を乗じた数はモロクの「72の法則」になる。

モロクの欲望の根本は、利子付きで貸した金額が2倍になるのにどれだけの期間が掛かるのかを知ることにある。元金が2倍になる為に必要な期間は、72を利率で割ることで計算することが出来る。6%で貸し付けられた1000ドルは12年で2000ドルになる。或いは、12%で貸し付ければ6年で2倍になるといった感じである。この72という数字には、金融魔術がある。マネー計算の基本的なルールは、誰にでも見ることの出来る形で聖書の一節に暗号となって隠されている。このルールが隠されているのが、まさにそのルールが依存している債務の返済拒否を求めている文言の中であるというのは、痛烈な皮肉である。「主の祈り」の中に表現された債務免除の要求は、当時(今日でもそうであるが)、最も革新的な宣言であった。


■「72の支配(モロクの経済的グローバリズム)」を明確に拒絶したナチ党経済要綱

72の数字に連動した力を更に知ることが出来る事例として、1924年6月24日にベルリンで起きたドイツの外務大臣ヴァルター・ラーテナウ Walther Rathenau(1867-1922)〔※関連資料(1・2・3・4『ドラッカー名著集9「経済人」の終わり』・5労働運動の源流としての「マルクス」+金貸し支配と労働運動は繋がっていた?・6『Geschäftlicher Nachwuchs』・7『天皇破壊史』)及び広瀬 隆 著『赤い楯』より【ドイツ工業界からナチスへの資金の流れ・系図83】を参照〕の政治的暗殺がある。暗殺現場の車の中で息が絶えるまでの間、彼は「72が世界を支配する」と繰り返し最後の言葉を発した。ヴェルサイユ条約による弾圧を緩和させようとした交渉は、彼の死によって断絶した。彼の暗殺に引き続いて起きた一連の出来事が、第二次世界大戦を不可避にしたと言ってもよいだろう。民族社会主義の経済要綱は、ドイツにおける「72の支配」から利益を得ていた政治的・経済的集団を無力化することを目的にしていたと言う事実からも、このことは明らかである。

ナチ党の経済要綱は、「慢性的な政府債務・利子稼ぎのマネー・資本利益率」によって牽引(けんいん)される経済的グローバリズムにとって必要不可欠な要素の大半を、明確に拒絶していた(Angebert,Jean Michel,The Occult and the Third Reich,Macmillan Pub.Co.,NY,NY,1974,P.13-14)。「72の法則」といった社会秩序のコントロールの中に存在する秘密の知識が現実にあることは記録された事実である。モーセは、70人の長老達に囲まれていたが、この他にアーロン Aaron(生没年不詳、モーセの兄)とモーセ自身が加わる。時代の経過と共に、長老達の知恵はモロクによって利用され、経済霊の道具となったようである。モロクは反対勢力のことに気付いていないか、無関心である。有史以前のエジプトにおいてすらも、社会的抑圧に対抗する最初の大規模な民衆蜂起の主な原因は、秘密の知識によって生命をコントロールされていることに対する憤(いきどお)りであった。ファラオ自身の上流階級の区域に下層階級の者が侵入して秘密の知識を獲得したことによって、エジプト上流階級の名誉は傷付けられた(Mumford,Lewis,The City in History,Harcourt Brace Jouvanich,Orlando,Fla.,1961,P.100)。

太陽神シャマシュによってハンムラビ王に示され、後にキリスト教の黄金律として再発見された基本倫理が「受容」の精神であるのと異なり、善悪の二重基準の倫理は「排斥」である。人と人を分離し、人を排斥し、人を騙す。これが善悪の二重基準というものの常套手段で、全体にとっては何一つ良いことはせず、全体を犠牲にしながら自らのカルト(独利的富裕集団)だけの利益を資する。このように経済霊がカルト(運命共同体)の生活に支配的に介入すると、善悪の二重基準が必然的に現出する。善悪の二重基準を率いる経済霊の正体とは、「我欲の為に人間を予(あらかじ)め決められた形式で或る行動に走らせる、内面における複合的な顕在意識或いは潜在意識」と言ってもよい(Fanfani,Amintore,Catholicism,Protestantism and Capitalism,Whitefriars Press Ltd.,London,1935,P.20 邦訳はアミントレ・ファンファーニ著, 佐々木専三郎 訳『カトリシズム・プロテスタンティズム・資本主義』未來社 1968年刊行)。

(弱肉強食を戒めるイエスの「山上の垂訓(黄金律)」にも通じる太陽神シャマシュの指導を受けたシュメールのハンムラビ王。債務が飯の種のモロク神の倫理は冷酷な「排斥」と「二重基準」だが、ハンムラビ王は「受容の倫理」を適用、自然と調和しながら繁栄を目指した)

社会がマネーという尺度で動いている時、経済霊は最も存在感を輝かす。或る社会において経済霊の力がどれほどのものかは、金持ちがより金持ちになり、恵まれない者がより貧しくなり周辺部に追いやられていく、この落差の度合いによって窺(うかが)い知ることが出来る。「釣り鐘曲線」を見れば分かるように、共同体の一定割合を排斥しようとする力は常に発生する。古代の聖職者は、この排斥しようとする力を打ち消すことが自分達の役割であることを自覚していたはずだ。

ハンムラビ王の聖職者としての倫理が、どのように変貌していったかは、モロク神と経済霊が介入してからの経緯を見れば分かる。経済霊がやって来る以前は、商業では価格と価値は別々のものであった。価格には道徳的基準というものがあって、人々の需要に応じて理性ある聖職者の判断によってその価格は適切に設定され、決定されていた。経済霊の権力の下では、例の「善悪の二重基準」が顔を出し、剥き出しの利欲で付けられた価格が冷酷に割り当てられる。人々の需要は無視される。見られる通り、現代社会では聖職者の判断に関係無く、中央銀行と呼ばれる組織で働いている「モロクの司祭達」が経済霊の影響下にある政治的プロセスに沿って、値付けをするのみである。全ての政策は、物質的な判断と現世的な価値観によって牽引(けんいん)される。

現在のところ、往々にして社会の日陰(ソーシャル・アウトカースト Social Outcaste)にいるような芸術家や一部知識人の、極僅かな人々だけが、意図せぬもモロク神に挑戦する思想や批判を投げ掛け、何かしら公共の善に貢献しようとしている。残念ながら彼らは率直に社会が抱える懸念を表明しているが、社会・文化を支配しているのが隠れたモロク神と経済霊であるということの本当の意味を理解していないし、しようともしない。彼らは時代の真相を見逃している。それどころか彼らの思考は、まるでモロク神そのものに乗っ取られたかのように、そちらの方向に向けて開かれている。覚醒への入り口で足止めを食らっているようだ。「聖霊(ザ・ホーリー・スピリット The Holy Spirit)はこの世界から撤退した。もはや自然の中に現れることはない」(Salvadori,Fulvio,“Art and Catastrophe”in FlashArt Transatlantica,Feb.1983,P.51)という彼らの世界認識は間違いである。


■隠匿を促している聖書は「善悪の二重基準」の教則本(ルールブック)

善悪の二重基準は、法律や規則を通じて詐欺や二枚舌を使う欺瞞(ぎまん)のパワーである。モロク神の善悪の二重基準は、早い段階から聖書の中に侵入している。聖書のカルト(各種集団)は、聖書の規律を選択的に適用する方法を教えられ、それを習熟することで、経済的な利益を得ている。法律は、一般的に理解されているような普遍的な正義の為の道具にも、平等の為の尺度にもなっておらず、単に利益を獲得する為の道具に成り下がってしまっている。

その生々しい事例をキャスリーン(キャシー)・アン・オブライエン Cathleen Ann O'Brien(1957-)は『恍惚のうちに作り変えられるアメリカ Trance Formation of America:The True Life Story of a CIA Mind Control Slave』(Global Trance Formation Info Ltd. 1995年刊行)で取り上げている〔※関連資料(1これを知った今どう生きるべきかⅣ 悪魔の証明・2I~V・3・4・5)〕。性奴隷を雇う秘密交渉、麻薬、ワシントンとメキシコの高級官僚に対する現金の賄賂などに絡み、聖書のモロクの暗号が、如何に現代の国際法に悪影響を与えているかを示している。つまり法は、正義の番人として機能していないのが、この著作を読むと痛いほど分かるのだ。

慎重に工作された法的手段であるNAFTA条約は、現代の「カルト273」(国際金融資本家)に気前の良い贈り物と秘密の利益を齎(もたら)した。余所者(ゴイム)を詐欺で騙して経済的な不利益を被らせておきながら、仲間内(カルト)にはしこたま利益が入り込むように仕組んでいる。色々な意味で、聖書は「隠匿(いんとく)を促している」ようである。モロク神の介入を巧妙に誤魔化して隠していることが分かる。聖書は、普遍的な正義を高らかに宣言しながらも、正反対の結果が生じることを許容している。聖書の文言は公式には「お前達の国の為の法律と、異邦人に対する法律は、同じものを適用しなければならない」(旧約聖書 民数記 15章16節)と述べている。

更に「異邦人(ゴイム Goyim)を怒らせてはいけない」とカルト(営利組織)に対して注意を喚起している(旧約聖書 出エジプト記 22章21節)。明らかにこれは異邦人との商売によって利益が齎(もたら)されることを意味している。そこで矛盾するのは、異邦人はカルトにとっての正義から除外されていることである。借金しても利子を支払うことの無いカルトのメンバーとは異なり、「異邦人は利子の無い貸付金(ローン)から利益を得てはならない」と記載されている(Sombart,Le Bourgeois,1956,P.251)。更にカルトは「常に貸し手であれ。決して借り手になってはならない」と指令している(旧約聖書 申命記 15章6節)。聖書の規則は具体的に、カルトの内部では高利を取ることを禁止し、異邦人との取引においてのみ高利を課すことを許可している。債務の免除はカルトの身内では定期的に行われ、永久に債務は帳消しにされているが、異邦人に対しては利子付きの債務を新たに負わせる(旧約聖書 申命記 23章20節、15章2節~3節)。

ここに明らかに、聖書の文言の中には、善悪の二重基準という正反対の観念があることが証明される。これらの諸節は、偏見の無い正義の精霊ではなく、経済霊の方式によって不当な利益を得ることに大いに関係している。そして更には、実は聖書をよく読むと別の精霊のことを伝えていることに気付く。ここに発見された別の精霊は、聖書の中に存在するモロクの概念に繋(つな)がっているようである。この別の精霊は、ヘブライの指導者カレブ Caleb(生没年不詳)に特別の好意を寄せる。「カレブは、もう一つの精霊と一緒だった。(モロクは)カレブが赴(おもむ)くところで土地を与え、カレブの種がその土地を所有した」(旧約聖書 民数記 14章24節)とある。交換手段として機能するという点で、種子という語は、経済的にはマネーと同等の意味を持つ。

善悪の二重基準の倫理は、明らかにハンムラビ王、そして後にイエスという人物像によって説かれた社会主義の中核を成す倫理を拒否するものである。それは、自然と調和しながら繁栄するということは、「排斥」ではなく黄金律にある「受容の倫理」の全面的な適用に依存していることを示唆している。これは勿論、高利によってカルトに利益を齎(もたら)し、異邦人に不利益を被らせることを勧める「反逆の掟(ルール)」への挑戦を意味する。モロク神と経済霊が、異邦人から利益を得るという聖書の発想を伴って社会にやって来たことは明らかである。利益がカルトの身内だけに差別的に蓄積されることが熱望された。この利益は、カルトの形態が、宗教団体であろうと、国や企業であろうと関係無くこの不当な利益を得ることが可能である。


■「知的転移」でYHWH(デーモン、ヤハウェ)の「完全に見通す力」を反転、中央銀行を廃止する

本書では、この力はモロク神に属する力と考えているが、この力の概念を支持する思想が聖書の教義の中にある。それはギリシャの神聖四文字(テトラグラマトン Tetragrammaton)、聖書の神の名エホバを表すYHWHである。最も驚くべき新発見であるが、カバラによると「YHWHという名前の文字は、この世界の王子である悪魔(デーモン)と同義である。置換法を知っていれば、他の言葉から或る言葉を抜き出すことが出来る」(Davidson,Gustav,Dictionary of Angels,Collier Macmillian Cda.Ltd.,Toronto.,Out.,1971,P.228 邦訳はグスタフ・デイヴィッドスン著, 吉永進一 監訳『天使辞典』創元社 2004年刊行)。変形されたYHWHは、「神聖な人物は、恵みを齎(もたら)すと同時に、危険の源でもある。“その魔術的な効能は、極めて厳密な意味で移ろいやすい”」と言う(Fraser,James George,The Golden Bough,1994,P.174)〔※関連資料(172の数字について・2ソロモンの72柱・3ヘブライ語新約聖書が原典?「新約聖書の最も古い写本はギリシャ語で書かれたものである」・4・5仮説)〕。

YHWHに投影された「完全に見通す力」というものがあると考えられており、それによって人は人間として完全な成功を伴って行動することが出来るようになると言う。プラトン Plato/Platon(427BCE-347BCE)は、これは哲学者のみに存在するものであり、彼の目的に完全に沿って生きることを社会環境が許す時だけに限り、彼の中にも存在すると信じていた。社会によってこの目的が否定されれば、哲学者は疎外され、破壊する側の力となる(Gould,1955,P.188)〔※関連資料(1キリスト教三位一体と新プラトン主義の流出説・2・3セフィロトの樹・4全ての始まりゼロと無限・5カバラ創世記・6・7・8モレク コメント欄含む)〕。

聖書のエペソ人への手紙(エフェソの信徒への手紙)6章12節(ここでまた「72の法則」へのヒントが暗号化されている)を見ると、「戦いは肉と血に対するものではなく、この世界の暗闇の支配者達に対するものであり、天の邪悪な精霊に対するものである」とある。この世の「悪魔デーモン Demon」であり、天にあって支配している「闇の勢力」がモロク神であること、そして、知的転移によって「慢性的な政府債務・利子稼ぎのマネー・資本利益率」の哲学から脱出すれば、このモロクの力が反転するかも知れない。そんな可能性を思うと、この物質主義的な金融の時代において、科学的ではないにせよ、エキサイティングではある。

自然と調和しながら繁栄する為の地球の世話人から、経済霊の高利に衝き動かされる「マネー利益の管理人」という反対の観念へと、どのように知的連環(シプナス)が倫理観を反転させていったのか、その過程を聖書の物語が暗号化して伝えているのではないかという疑問に対する答えを想像すると、心が凍(い)てつく。しかし逆に、もしかすると、このモロク神と経済霊の領土からの脱出(転調)が、単純に最転調するだけで達成出来るのかも知れないと思えば、思索は更に理性を超え、心霊的な次元に入り込んでいく。

環境汚染の害悪と、貧困を齎(もたら)す不公正な構造は、集合的な意志を反転させることによって修復することが可能である。目覚めた者によるほんの簡単なことで、恐らくは「地球の世話人カルト(運命共同体)」が中心となった立法が成されるだけで、「慢性的な政府債務・利子稼ぎのマネー・資本利益率の神モロク」の神殿である中央銀行の息の根を止めるには十分である。

一般的に「金融」と言われている(聖書では「高利貸し」と呼んでいる)経済霊の活動を消滅させても、現代の経済システムはそのままで、十分に機能し、マネー・システムと豊かさは実現出来る、そう思えるのだ。

 
 
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